2021/03/03 - 2021/03/06
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montarouさん
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2021年の3月3日から6日まで、大台山系の近くの伊勢神宮、二見御玉神社、神倉神社、雲取温泉、湯の峰温泉の濁り湯を巡った。
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2021年3月3日、濁り湯があるという香帆渓谷に車で向かった。しかし温泉の玄関に「新型コロナのため休館」とあった。
習近平は新型コロナワクチンパスポートを始め、「新型コロナは外国から来た」と言っているようだが、武漢より先に新型コロナが流行した所は無い。中国は強い強制指により感染抑止だけでなく、科学技術の進歩も目覚ましい。これに対し、日本の若者は奔放な自由を謳歌しコロナを拡散し、産業界はスマホだけでなく重電機業界も絶滅種に近づき、年寄向けの健康食品やペット用品の宣伝ばかりで、ワクチンも創れない後進国になった。確かに、香帆渓谷も犬向けのリゾート地になったようだ。
残念だが、ここが休みだったので香帆渓谷までのロングドライブが無駄になった。それでも大台の標高千メータ以上の山々は雪化粧していて、美しかった。 -
4日の9時過ぎ、豊受⼤神宮(外宮)の無料駐車場に車を停めた。外宮への入場も無料。豊受⼤神宮は天照大御神の食事をつかさどる豊受(とようけ)⼤御神を祀っている。9世紀初めに書かれた社伝によると、伊勢神宮に祀られた天照大御神が雄略天皇の夢枕に現れ、「独りでは食事が安らかにできないので、丹波から食物を司る神を呼び寄せよ」と言ったことで、豊受⼤神宮が創建されたと言う。
雄略天皇は5世紀末の倭の武王と言われているが、創設された時期について古事記や日本書記に記載がなく、5世紀の創設との証拠はない。
外宮の北御門に入って直ぐの交差路の手前で、守衛に静止させられた。間もなく右側の通路から三人の神官が行進してきた。後方の神官は大きな鍵を持っていた。豊受⼤神宮では朝夕二度の天照大御神の食事を捧げる神事があり、これが朝の神事の帰りの場面だったようだった。社殿近くは撮影禁止なので、遠景だけとなったが、歴史を感じさせる大きな木が多数見られた。 -
表参道の出口近くの休憩所の奥に遷宮館がある。そのチケット売り場の横には、朝に見た鍵より大きな鍵が飾ってあった。館内には、稲の穂も飾ってあった。その稲の刈り方が、フィリピンの世界遺産のコリデリエーラの棚田で行われている収穫方法と同じだった。
手水舎の反対側に、一本の木が二つに割れたような2本のクスノキの老木がある。伝説では平の清盛が参拝したとき、この木の枝が冠に触れたため、太刀で切りさいたと言う。事実とは思えないが、非常に古い老木であることは確かである。
法隆寺にもクスノキの老木があり、近世には樟脳が得るためのクスノキを求めて日本は台湾を占領した。樟脳からはセルロイドも作られ、歌にある青い目の人形の原料にもなった。楠は日本人に深い縁のある木のようだ。 -
豊受⼤神宮を出て、駐車場前の店で伊勢うどんを食べた。柔らかく太く、個性のあるうどんだった。次は豊受⼤神宮のすぐ近くの猿田比古神社に向かった。駐車場は30分まで無料だった。
天照大御神が大国主命に国をよこせと強要し、その受け取りに、孫のニニギノミコトを向かわせた。猿田比古とは、ニニギノミコトを高天原から地上への道を案内した国神である。しかし、なぜかニニギノミコトは、出雲や大和から遠い九州に降り立った。
猿田比古は道案内の後に、ニニギノミコトに同行していたアメノウズメ(佐瑠女)と結婚して、なぜか、伊勢に住んだと言う。そして、敵のような貝に手を挟まれ溺れたと言う。この思わせぶりの神話が事実を匂わすのか、または天武時代以降の創作か否かは不明である。 -
猿田彦は、手塚治虫の「火の鳥」でも知られているが、猿田彦が単に鼻の大きな、お茶の水博士と風貌が似ているからか、あるいは手塚治虫が別の意味を含めたのかは知らない。猿田彦の鼻が八咫と天狗の鼻より長く、他方アメノウズメは色っぽい女性であることから、道祖神的な匂いもする。ここの猿田比古神社には佐瑠女神社も併設されている。
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12時過ぎに、伊勢神宮内宮に着いた。小雨が降り出したが、車が多く、駐車するにも、順番待ちだった。駐車は1時間まで無料であるが、伊勢神宮に限る参拝なら1時間で済む。ただ、おかげ横丁を巡るなら数時間必要で、1時間以上は400円だったかな?
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外宮の樹木も大きいが、内宮の樹木はさらに大きい。このように超大木が多数あるところが日本にあることに驚いた。人間は大きな脳を持つゆえに、悩み、神に祈り、すがる習性を持つ。しかし現在、神々の実存を信じる日本人は多くない。それでも、ここでは今も天照信仰が生きているようで、他の宗教観光地と違って撮影禁止の所が驚くほど多い。
伊勢の地の神社を最高の地位に引き上げたのは天武天皇で、天武天皇は伊勢に何かの「借り」が有り、その「借り」を返したのかな? 伊勢神宮を参拝した最初の天皇は、天武天皇の皇后の持統天皇だが、それ以後の明治期まで、天皇は伊勢神宮を参拝していない。明治天皇の伊勢神宮参拝は天皇を頂点に戴く政治体制の確立が目的であったが、明治以前に天皇が祖先崇拝の拒否に当たる伊勢神宮参拝を拒否していた理由は謎である。先祖の天照の魂を恐れたのか? ただ仏教や自然崇拝を優先したためとは考えられない。 -
内宮は渓流のある大木の森の中にあり、古代の日本の原風景を思わせる。社殿に特殊性は見られないが、近づくことはゆるされない。これは自然への畏敬を強調するためだろうか?
私のような不信心者や、天照神話を知らない一神教徒にとって伊勢神宮内を回るのに長い時間は無用である。それ故か、駐車場の車数に比べて、内宮の参拝者は多くなかった。おかげで、おかげ横丁の人出は3蜜状態であった。 -
おかげ横丁には、古い面影を残した土産物店がならび、京都のように和服を3千だか4千円だかで借りて歩く卒業旅行者もいた。江戸時代にはキリスト教を除くため、すべての民を仏教寺院の檀家に組み込んでいた。それでも江戸期にお伊勢参りが盛んであった。その理由は参拝より、観光が主目的であったかのかな。それなら、おかげ横丁は大繁盛であっただろう。
内宮は海に近くないが、伊勢のイメージは海であり、江戸期は知らず、現代の横丁には海産物の干物屋もあった。サメなど大型魚には大量の塩を使って水分を抜くのだと聞いた。 -
伊勢うどんは食べたので、名物の赤福2個入り220円を買い、情緒のある店内でいただいた。満足、満足!
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川沿いの道は人が少なく、商店の裏は、川辺を眺める窓が連なり、一部には鉄で固めた倉庫もあり、栄えた昔の風情を感じた。
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5日、天気は昨日より良いが、それでも一時、小雨。二見御玉神社に向かい、神社の北側の無料駐車場に車を停めた。二見御玉神社は三神を祀ると言う。有名な神は猿田彦大神で、夫婦岩の沖合に沈んでいる岩棚(興玉石)からが現れたとの神話がある。
現在は、夫婦岩から日の出を拝む、すなわち太陽神の天照大神を拝むのに良い。太陽の出処への憧れは世界中にあり、近くは聖徳太子の“日のいずる国”や、沖縄のニライカナイもある。ところが日光と真逆の、雨や水を連想させるカエルの像が、この神社に多いことは面白い。 -
猿田彦が、ニニギを九州に案内し、また天照の神魂(八咫鏡)を常世に似た伊勢に案内したと言う。そこから、猿田彦大神は旅の案内の神となり、さらに無事に“旅から、かえる”となり、カエルを神の使いと言うようになったようだ。
蛙と神の神話は少ないと思うが、三国史記から、金色の蛙の子供が東扶余王の金蛙王となり、金蛙王が監禁していた亀の娘の柳花の産んだ卵から、高句麗の初代王の朱蒙が生まれたと言う。 -
二見御玉神社を出て少し走ると、派手な鳥羽湾めぐりの観光船が見えてきた。最も高い屋根の上にシャチホコ、その屋根の四隅には竜かな? 船尾はシャチホコに見えるが、角があるので竜かな? その前の女性は、船先の浦島太郎から考え、常世の竜宮に住む乙姫だろう。
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そのまま海岸沿いを走り、峠の展望台に行ったが、天気が悪い。志摩市に入るとアオサの養殖が盛んだった。そこで、昼食後、マーケットでアオサを購入した。
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曲がりくねった海岸沿いを走り続け、新宮の近くの高田にある雲取温泉に向かった。最初に目に止まった建物の前に車を停めたが、そこは「へき地保育所」だった。「へき地」と居直る所が面白い。へき地保育所の前が雲取温泉であった。最近、掘られた温泉だが、湯が出ず、深くまで掘ったが、それでも低温で、沸かし湯となった。わずかに白濁している湯で、露天風呂が良く、安価で泊まれるのも、さらに良い。ただ、アクセス困難な限界集落に巨大な投資をし、それを民間に経営させていて、投資金が回収できるか疑問だ。
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熊野川に近い高田川沿いの小滝の下には、多数の水溜めが設置してあり、鍵まで掛かっていた。この水は、最高の名水らしく、和歌山県外からも水を汲みに来るという。無粋ながら、成分分析が行われたのかな? 「へき地銘水」とペットボトルで売ったら?
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翌6日は、高田から新宮に戻り、神倉神社に向かった。前回は雨で滑る道をさけ、参拝を止めたが、今日は幸いにも晴れてきた。神倉神社の入口には、何故か、出雲大社新宮教会があり、そこの駐車場に車を停めた。後で知ったが、出雲大社と宗教上の関係があると言う。
神倉神社は東征の神武天皇も登ったとされ、3本足の八咫鴉(大きなカラス)に案内され、奈良に向かった。3本足のカラスは高句麗の朱蒙の旗印で、また、それ以前から中国では太陽に住む鳥とされていた。中国の歴史ビデオの衣装にも3本足のカラスの刺繍が良くみられる。ゆえに八咫鴉は、太陽神の天照の使者との伏線であるかもね。
神倉神社の入口近くは恐ろしく急な石段が続くが、上部は緩やかであった。 -
神倉神社は、また熊野大神が降臨した最初の地でもある。熊野大神は熊野権現と言われるが、それは神々と仏教が融合した結果である。
神倉神社の御神体は山の岸壁の上にある大岩で、明らかに自然崇拝が起源である。もっとも仏教でもヒンズー教やキリスト教でも、岩塔や岸壁の上、巨岩の近くに修行施設がある。要するに宗教とは、人知を超えた自然の大いなる力に対する畏敬が原点にあるのだろう。 -
「自然の大いなる力」を感じる場が、祈りの場であり、パワースポットと思うのだろう。「自然の大いなる力」を感じる場に浸ることで、自然と同化し、苦悩から解き放たれたい、また強い力を得ることができるなどと思うのだろう。
大岩の下で目を瞑り座る、若い金髪の白人女性を見た。俗人の私には、失礼ながら、天女か、人形のように見えた。 -
神倉神社を下から見ると、街並みの背後の切り立った岸壁の上にあることが分かる。貝塚の位置からも分かるように縄文海進の時代には、この岸壁は海の近くあったのだろう。
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再度、熊野川を遡り、熊野本宮大社の近くの湯の峰温泉の濁り湯の、つぼ湯に向かった。湯の峰温泉は、熊野詣の皇族や貴族によって、古くから全国に知られた温泉である。多数の上皇が熊野詣を行っているが、しかし天皇の熊野詣の記録はないようだ。これは伊勢神宮と天皇の関係に似ている。
なおこの温泉の源泉は92度の高温である。 -
熊野古道にあるつぼ湯は、温泉として世界で唯一の世界遺産である。世界遺産と言うが、谷川の斜面のオンボロ小屋内にある。つぼ湯は半円形の岩に囲まれた穴の中の、薄い濁り湯で、湧出湯温は53度で、水で薄めて入る。入浴料は30分で500円、定員は二人、入浴中との下げ札は、つぼ湯の建物と川を挟んだ対岸の事務所でもらえる。ただし、男二人では入り難いよ。
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これがつぼ湯。
ここで今回の旅行は終わり、最後に源泉で温泉卵をつくって帰路についた。
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