2020/07/11 - 2020/07/11
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名古屋のmisakoさん
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長久手市、瀬戸市の城東三十三観音霊場を参拝しました
江戸時代の霊場で、御朱印帳有りますが、観音堂は無いところもあり、御朱印を全部集めるのは困難と伺っています
一番安昌寺、三十三番三光院、三十二番真宗高田派専修寺末寺の本泉寺、二十四番宝生寺、石作神社を参拝
長久手温泉ござらっせ、お食事のみ利用可能なさつき亭の魚の黒酢あんかけ定食900円、限定ミニうなぎ丼蒲焼き天ぷら定食1100円
美味しくいただきました
お隣のあぐりん村は愛知県などの農産物など販売中
石作神社は水土日9-14時のみ御朱印いただけるそうで、早く行けば良かったのですが御朱印もらえず残念
長久手温泉ござらっせ P500台無料
【定休日】毎月第1月曜日
9:00~23:00(最終入館受付は22:00まで)
(祝日の場合は翌平日)
入泉料:12歳以上720円3-12歳300円
お食事処さつき亭
営業時間
土日祝日 11:00~21:00(ラストオーダー21:00まで)
平 日 11:00から15:00(ラストオーダー15:00)
17:00から21:00(ラストオーダー21:00)
あぐりん村
住所】愛知県長久手市前熊下田134
【定休日】第1月曜日(祝日の場合は翌平日)
【営業時間】午前9時~午後6時
安昌寺は曹洞宗赤津雲興寺の古刹。創建は明らかではないが、天正13年(1585年)丹羽氏次が田畑を寄付して再興したと伝えられる。その再興開山の雲山和尚が、長久手合戦の折、戦死した人々の霊を懇ろに弔ったというので、戦後、尾張藩主をはじめ、多くの藩士が当寺を訪れ、合戦にまつわる各種の書付を残した。
かつては岩作字宮前の田中にあったが、昭和48年区画整理事業のため移された子守石は、夜泣石とも呼ばれ、子どもの夜泣き封じのため、祈願に訪れる親子も多い。
釈迦如来像、聖観音坐像、如意輪観音坐像、十一面観音坐像、千手観音坐像、馬頭観音坐像、
普賢菩薩坐像、文殊菩薩坐像、三十三観音像など。
伝竹千代(徳川家康)書の一軸、徳川宗春筆 紙本水墨、仏涅槃図など多数の文化財を所蔵。
うわばみ図絵馬は、実際にあったことを基に、画家樵玉が描いたもので、画面の余白には、うわばみ出現の顛末が詳細に記述されている。
天正征伐記、長久手戰略記、長久手征伐記、長久手物語、遊長湫記など、長久手合戦に関する資料を所蔵。
山門前には樹齢30年を超す大きな菩提樹、春を告げる薄墨桜がある。
参道を進むと、安昌寺の雲山和尚が長久手合戦で亡くなった数千人の死者を、敵味方なく供養したといわれる首塚があります。今でも、毎年4月、地元の皆さんにより香華を手向けられ、法要が行われています。(愛知県観光協会、長久手市観光交流協会HPより)
三光院は長久手町でも最古の寺院とされ,真言宗醍醐寺派三宝院の末寺です。
創建は永享10年(1437)と言われ,古くから信仰を集めてきました。
本尊として十一面観音を祀っており,尾張城東三十三所観音霊場の第三十三番札所(最後の結願時)でもあることから遠方からお参りに来られる方もあるとのことでした。
また寺院境内には石造りの三十三観音が並んでおり,近隣の方は「ここにお参りすれば三十三所観音を巡ったのと同じご利益がある」とされる三光院によく足を運ばれたそうです。
江戸時代の祭礼「馬の塔」を描いた「馬の塔図絵馬」をはじめ,数々の宝物を蔵することでも知られています。(長久手フィールドビューHPより)
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長久手温泉ござらっせ、お食事のみ利用可能なさつき亭の魚の黒酢あんかけ定食900円
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限定ミニうなぎ丼天ぷら定食1100円
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長久手温泉ござらっせ
炭酸泉だそうです -
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安昌寺
城東三十三観音霊場第一番札所
菩提樹 -
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城東三十三観音霊場の観音堂
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安昌寺の本堂
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三光院の本堂
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三光院
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本泉寺
ほんせんじ
瀬戸市矢形町165
教春山 本泉寺。真宗高田派。本尊は慈覚大師作の阿弥陀如来である。また別堂本尊として弘法大師の作である十一面観世音像がある。年中行事には修正会、彼岸会、太子会、釈尊三大聖日、同朋会がある。由緒としては土地の地頭職であった山田泰親が下野団高田専修寺の顕智がこの地に来た際に師資の約をして、法名瀞顕を得て弘安6年(1283)に開山したのが始まりである。以後天文5年(1536)、宝暦10年(1760)、更に昭和63年(1988)に本堂の再建をして現在に至る。明治15年(1882)に観音堂(別堂)を境内に移し、尾張城東西国33カ所第32番札所・山口観音堂となっている。寺宝は前出のものの他、宗祖聖人木像、薬師如来、瀞顕の作になる聖徳太子像がある。(瀬戸ペディアHPより) -
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城東三十三観音霊場の観音堂
山の上から移されて本泉寺の方の話では本泉寺が預かっている状態だそうです -
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宝生寺
ほうしょうじ
瀬戸市駒前町171
佛法山 宝生寺。曹洞宗。本尊は観世音菩薩を祀る。当初は弘法大師を本尊として原山(現西原町1丁目)にあったと言われている。約350年前の寛永9年(1632)に雲興寺15世興南義繁によって開創され、八丁寺(現西本地町1丁目)に移転し雲興寺25世全山紹道によって佛法山宝生寺として開山した。享保5年(1720)に山口川の大洪水にあい流失したため現地に再移転した。現住職は全山紹道より数えて16代となる。寺宝としては2代目代興柏春の真筆正法眼蔵があり、年中行事の中では1月5日の初えびすが名高い。又延命地蔵尊の夏祭りも地域をあげて例年とり行われている。(瀬戸ペディアHPより) -
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御嶽神社
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恵比寿天、大黒天を祀る恵比寿大黒社
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名古屋駅のタワーズも見えます
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石作神社
西暦834年に「人皇54代人明天皇」の承
和元年に現在の石作神社の祭神である「建麻利根命」が、現在の岩作早稲田交差点付近の巨岩自然石に降臨鎮座したことから、「石作連」と言われる当時の豪族郡司が氏の祖神を祀るために創建し現在にいたっており、祭神は「建麻利根命」である。
石作神社には次の末社がある。
神社境内の末社 恵比須神・大黒神神社
熱田社一之御前社白山社 津島社
鍬神社 山神社
神社境内外の末社 直會神社
岩作(やざこ)
上古の時代から代々尾張の国山田郡付近一帯を治政してきた豪族郡司で垂仁天皇御世11代皇后(日葉酢媛命)に石棺を作り献上したことで「石作連」の姓を賜ったと言われている(連とは大和王権の大王から賜る称号)。
石作氏は尾張藩の支族で、当時の山田郡石作郷一帯の地域を支配していた。
秀吉の時代までは石作郷(村)と言われていたが、天正時代頃に山田郡が廃絶となり、当時の石作村が愛知郡岩作村となって、石作が岩作に改称したといわれている。
石作郷は南は現在の日進市浅田付近まで、西は現在の名東区藤が丘付近まであり、付近には村も集落もなく岩作(石作)が中心であったと言われている。
石作連とは(いしづくりれん)
古代の弥生時代に一宮の浅井町から、現在の岩作雁又の地に浅井姓の4~5家族が開拓のために移住したのが岩作が発祥した地
で、平安時代にはすでに30数戸の集落があっ
たと言われている。岩作の地名発祥の語源は、色金山山頂の巨石(胡牀石)の古代の「岩くら信仰」により発祥したとも伝えられている。
(注:「岩くら信仰」とは。
高い山の頂上にある巨石は「神座石」といわれ、神々の降臨を祈り一族の繁栄を祈念したこと。)
岩作田地80余町歩の開拓者
古代から江戸時代までの「浅井氏」「加藤氏」「林氏」「福岡氏」「日比野氏」「倉知氏」等の人々であるが、「浅井氏」だけでも4系統以上あると言われている。
なんと昔からこの地に人が暮らしていたのかと正直驚く。江戸時代に描かれた古い地図にも堂々とその姿が見られる(*1)。
今も田園風景が残るここ岩作には、1906年(明治39年)上郷村、岩作村、長湫村の3
村が合併した長久手村の成立とともに村役場が置かれた。初代村長は、尾張藩士で岩作村に給知を得ていた吉田知紀の子、知行が就任。以来、消防署、商工会などまちの中心としての機能を持つ。
(長久手観光交流協会HPより) -
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石作神社に祀られている「恵比須様と大黒様」
天保9年頃(西暦1838年頃)に制作寄贈された檜造りの御神像様二体で(制作寄贈者は不明)、当時岩作村は亜炭採掘や小商いを元にした商業活動が興り、村は活気に沸いていた。その時期に現在の長久手市宮前に商業・農業の守護神として「石作連」が「恵比須社」を建立して祀り、以来明治初期に石作神社に合祀されるまで毎年旧暦の10月20日に恵比須講の日としてお祀りをして栄えたと伝えられている。
大正から昭和の初め頃の絵図を見ると、様々なお店が立ち並び、お芝居小屋や宿屋まであり、とても賑わっていた様子がうかがえる(下図)。
それでも、日々の暮らしは決して裕福ではなく、商売の傍ら田畑を耕し、つつましく暮らしていたという。
長久手やざこえびす
商売繁盛の神様と言われる恵比須神が大切に祀られたのもそんな暮らしがあったからだろうか。「家内安全」「商売繁盛」を願う人々の願いを受けて、石作神社に合祀されていた「恵比須神」と「大黒神」を祀る神社(社)が平成25年6月1日に建立された。
(長久手観光交流協会HPより) -
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あぐりん村で買ったスイスチャード(不断草)140円アスパラガス長野産250円パッションフルーツ320円つるむらさき130円
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あぐりん村で買った大人の糠漬たくあん400円なす172円にがうり130円
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長久手温泉ござらっせの売店で買ったかめ吉サイダーに210円
あぐりん村で買った竹新こだわりの柿の種270円 -
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長久手温泉ござらっせの売店で買った古戦場最中小倉あん100円ゆずあん100円
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