2002/03/20 - 2002/03/24
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chiaki-kさん
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2002.3/20~3/24にかけてグアムに行ってまいりました。今回は家族4人(家内、ムスコ、ムスメ、私)です。なんでこうなったのか良くわかりませんが、まあ、私がグアムへ行きたかったのが一番の理由でしょう。
エアはノースウェスト(以下NWと略)、ホテルはリーフ、食事無しで○本旅行のツアーを申し込む。3月の連休ということで代金は全部で約50万円ほどかかってしまった。
*今回もバリバリ顔出しでいってみま~す。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
-
3/20 PM2:00
マイカー(代車)にて自宅出発。本当は1:00に出たかったが諸々の事情でこんな時間に。予感は的中し渋滞の嵐。特に首都高八潮料金所付近は30分ほど動かなくなってしまい車内はいやなムード。しかしC2を抜けて湾岸・東関東は流れていたので”ぬうわkm”位で成田ICへ。ネットで予約した民間駐車場へ車を預け成田空港第1ターミナルへPM6:30に到着する。
PM9:30 NW74便はG62を離れ一路グアムへ。水平飛行になってまず配られたものはミネラルウォーター。次いで機内食であるが、まあ、おやつに毛の生えた程度のもの。胃袋の小さい日本人にはこの位で良い鴨。飲み物も種類は少なく、アルコールは缶ビールだけであった。確かにビジネスライクであるが、余計な世話は不用の方ならこのほうがいいかも。 -
3/21
GST1:00、グアム国際空港到着。入国審査・税関を通過し、外へ出ると小降りになった雨と、待っていたバスの排気熱とでムッとする天気。
リーフホテルのロビーで部屋の鍵を受け取り、部屋に入ったのは2時30分ころ。でもヨーロッパ旅行のことを思えば楽勝、楽勝。部屋はビーチタワー7Fの角部屋でとなりの部屋とコネクティング。窓を開けてラナイに出ると、目の前はタモン湾が広がっていた。リーフさん、いい部屋をありがとう!
写真は部屋のラナイから眺めたタモンビーチ。手前からアウトリガー、ハイアット、第一、マリオット、PIC、そしてヒルトン。 -
タモンビーチに映る影は左がリーフビーチワー、右がウェステン。
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ニッコーと後ろは恋人岬。渚はバスクリンカラー。
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1日目の朝は8時に起き、部屋で朝食ををとる。朝食は日本から持ってきたレトルトのおかゆパックとインスタントみそ汁。まずは節約、節約。部屋にそなえつけの電気ポットはけっこう大きく、W数も強いのであっというまに出来上がり。日本茶も入れるが水はこれまた日本から持参した2Lボトルのミネラルウォーターを使用する。
写真はツアーデスクにたのんで借りたアイランドフォン。(ノキア製で、3世代位前の日本の携帯)通話料は1通話(島内)60セント位だが、ホテルまで持ってきてもらったため別に$10をクレジットカードで支払う。まあ、空港渡しでもよかったのだが、手続き等で、他のツアー客を待たせることがあるというので、取り寄せた。なお、この電話器を持ってきてくれた日本人の方にあとでひょんな場所で会うこととなる。 -
グアム最初のイベントはツアーに無料でついていた市内半日観光。9:20のピックアップでバスに乗り込む。プラザ、フジタで他の客をひろい、出発。まず恋人岬へ。
写真はお世話になったツアーバス、左の方が添乗したガイドさん。スペイン系かと思えるスマートな方でした。(恋人岬にて) -
展望台から見たタモン方面。一番手前がニッコーホテル。
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ラッテ・ストーン公園。こじんまりとした公園で、日本軍が造った防空壕などもあった。
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写真の建物はスペイン総督府跡。スペインは1565年からグアムを約300年統治するが、1898年、スペインは米西戦争に破れ、グアムはアメリカ領となる。
WW2では1941年から1944年にかけて、日本に占領されるが、戦後は再びアメリカに戻ってから、1950年に合衆国準州となり現在に至る。 -
写真はDFS前のホテルロードの様子。ゲームワークス、アンダーウォーターワールド、ザ・プラザ、アウトリガーホテルなどがあるグアム一番の繁華街。
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ちなみに夜の様子。まさにプレジャーアイランド。中央の丸い建物はアウトリガーの入り口。その上がレストラン ら・ふらんす。
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ホテルでまったりした後、17:30にフジタ渚のBBQに参加。今回の旅行で唯一の有料オプショナルツアー。
我々は1人$49コースをネットで予約しておいたが、ステーキにロブスター、ブラックタイガーにウィンナー&野菜のコース。火力が強いので食べるのに忙しい・忙しい。
なんとかお腹におさまったころ、いよいよディナーショーの始まり始まり。写真はおなじみのファイヤーダンス。
*フジタホテルはその後、大型台風で半壊となり今は営業していません。 -
この若いダンサーさん、可愛かったですよ。バックの夕日もグーです。
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メインテナーの方と記念撮影。左がムスメ。右はわたし。後ろのココナツ・ツリー、いい感じでしょう。
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ホテルへ到着後、徒歩で、日本語のネットができるグアムで有名なCafe@Creaにムスメと行く。(写真は22日のもの)
お店にどこかで見たような日本人の方がいたので聞いたらやはり、リーフホテルまでアイランドフォンを届けてくれた方!!曰く、「多角経営です」とのこと。
運良くパソコンも1台空いていたので、ムスメと交代で自分のHP掲示板等にカキコする。メロンスムージー、おいしかったです。 -
3/22
朝食は、リーフホテルB1階のレストラン・アりゼで$20のバイキング。和食中心のメニューを選択するが、お味のほうはまあ、まあ、といったところ。
そして、今回の旅行のハイライトであるレンタカーをスマートレンタカーさんより借り受ける(ネットで1月に予約済み)。借りた車は ヒュンダイ・アクセント という日本では売っていない、1500ccファミリーカー。もちろん左ハンドル・右側通行!まあ、家に1台輸入車があるし(当時)、左ハンドル車も運転したのでスイスイとホテルロードへ乗り出す。うん、我ながらうまい・うまい。(^^ゞ
ホテルで家族を乗せた後、予定を変更してKマートへ向かう。会社更生手続き中とはいってもちゃんと24時間営業しているし、お客も多かったが、一部商品の無い棚があったり、店員さんにいまひとつ元気がなかったのが少々気になった。
今回は車での買い物なので、かなりかさばるようなものも買ったが、支払いは約$100ほどで済んだ。Kマート大好き!
写真の車が今回借りた ヒュンダイ・アクセント 運転しやすく、小回りもきいて、燃費も気にならない良い車だった。ただ残念だったのがドアがオートロックでなかったので、ドアの開け閉めがちょっと面倒だった。 -
ジーゴのマクドナルドで昼食をとったあと、平和記念公園に寄る。ここは1944年に日本軍グアム島守備隊が全滅した最後の地で、日本の遺族関係者の手により記念碑が建てられ、管理されているところである。
私たちが行ったときは最初誰もいなかったが、しばらくして1台のレンタカーらしい車が止まり、年配の男の方と娘さんらしい方が参拝に見えられた。あの日も今日のように暑い日だったのだろうか。
Battle of Guamについては↓に記載しますが、興味の無い方はスルーしてください。 -
1944年7月21日は早朝から快晴であった。4:30、コノリー提督率いる45,000名余りの米軍は見晴岬と昭和湾との両正面に艦砲射撃を開始、また数百機以上の飛行機で攻撃を加える。6:00、砲爆撃の間をぬって上陸用舟艇が海岸に接近、7:30,第1波が水際に到達、上陸を開始する。
写真は米軍上陸直後のアサンビーチ
短時間に2000トン近い砲爆撃にさらされた日本軍はすでに戦力は半減していたが、浅間岬や見晴岬に陣取った部隊は横から上陸用舟艇や戦車に砲撃を加え損害を与えた。しかし、ただちに米軍の猛反撃を受け見晴岬はあっという間に占領されてしまった。
8:10 見晴岬と浅間岬の中間に上陸した米軍は戦車を揚陸し、南進を開始した。これに対して日本軍は明石市方面、及び南方向への進撃を阻止するため残った戦車や砲を配置しこれに備えた。10:00~12:00の間、上陸した米軍と日本軍の間では壮烈な肉薄戦が行われ、多数の将兵が戦死した。中には対戦車爆薬を抱いて戦車に体当たりする者もいたが、雨のように降り注ぐ機銃弾や砲爆撃により次々と日本兵は倒れていった。
昭和町も同様な状況で、最初は数十隻の上陸用舟艇の破壊に成功するが、艦砲や航空攻撃により火器の大半は破壊されてしまった。何度となく日本軍は突撃を行うがほとんどの者は銃弾の餌食となる。表半島に陣取った守備隊は側面攻撃によりそこそこの成果をあげるが、夕刻までに昭和地域守備隊はほぼ全滅、そして、この日だけの戦闘で日本軍はおよそ3,000名の戦死者を出し、重火器はほとんど破壊されてしまった。
暗くなると米軍は攻撃を止め、戦車を前に出して防御態勢をとる。高品師団長は部下の将校からの夜間攻撃の請願を承諾、小畑司令官も軍部に対し、応援の電報を打つが、返事は持久戦に持ち込めという内容であった。絶え間なく打ち上げられる照明弾のもと何度となく夜間攻撃が繰り返されたが、いたずらに死者の山を築くだけの戦いであり、失敗に終わった。
1日補給に努めた翌日、米軍攻撃再開、本田台を中心とする激しい戦闘で、正午までに日本軍の現地指揮官はほとんど戦死、兵員も7割方失われる。このような状況から司令部は師団の全力をマンガン山に結集し、25日夜に総攻撃を行うことを決定した。
24日未明 わずかに残っていた浅間岬の守備隊全滅。同日、表半島の部隊も半島半ばまで追いつめられ、29日に全滅する。
25日 総攻撃を前にして司令部は重要書類を焼却、軍部にあてて決別の電報を打つ、そして26日0:00から総攻撃は開始された。幾度となく突撃が繰り返されたが通信手段の無くなった日本軍は連携が悪く、圧倒的に火力の勝る米軍の前にはなすすべもなく、ただ死者の山を築くだけであった。又、この総攻撃にはグアムに居住していた民間の日本人約70名も抜刀隊を編成して攻撃に参加したが、生きて帰ってきたものはほとんどいなかった模様である。結局、攻撃は失敗し、多数の戦死者を出した。
27日 水際作戦は完全に失敗し、司令部はジャングルでの持久戦に作戦を変更、北へ移動することとなった。生き残った兵士は3,000名ほどであるが、皆手傷を負っての敗走であった。また、本田台を脱出する際、高品師団長は米軍戦車の機銃弾を胸に受け戦死、これで二九師団の将校は誰もいなくなってしまった。
28日 激しかった戦闘も一段落し、米軍は主要な高地をすべて占領、補給に入った。昼間は常に米軍機に監視されているため、日本軍の移動は夜に行われたが、この夜の日本軍の後退は悲惨を極め、途中で多くの重傷者が次々と息をひきとった。中には片足を砲弾でもぎとられ、はって後退していく者もいた。
29日、30日と米軍に動きは無く、日本軍は最後の戦闘にそなえ、春田山と又木山に簡単な陣地を構築した。
31日 態勢をととのえた米軍は北へ向かって進撃を開始するが、そのスピードはゆっくりとしたものだった。8月1日~8日までの間、戦車を先頭に進んでくる米軍と、これを阻止しようとする日本軍の間で毎日戦闘が行われ、手榴弾と小火器しか持たない日本軍は毎日100人~200人のペースで少なくなっていった。
9日 米軍は戦車50両を先頭に、日本軍最後の砦である又木山に攻撃を行った。夕方まで生き残った日本兵はわずか500名ほど。
10日 最後を悟った小畑司令官は軍部にあてて最後の電報を打つ。
11日 又木山司令部は米軍戦車に取り囲まれ、司令官小畑中将はピストルで自決、生き残った2人の将校や数人の兵士も戦死し、ここにグアム島は陥落し、日本軍の組織的戦闘は終わった。
13日 アメリカはグアム島の奪還をラジオで放送する。
米軍の損失 戦死者 1,290名 負傷者 5,648名 行方不明者 145名
日本軍の損失 戦死者 19,560名 負傷者・行方不明者 不明
日本軍生存者 1,250名
合掌 -
リティディアンビーチへの道は、マイクロネシアモールを過ぎたら次の交差点を左折。(遠回りだがマリンドライブを真っ直ぐ行ってもいける)
15分ほど走ったら右側にイルカのマークのあるゴルフ場があるY字を左へ。 -
しばらく道なりに進むとこんな真っ直ぐの道。右側はアンダーソン空軍基地なのだが木々で覆われまったくなにも見えない。
-
10分位走るとまたY字があるので、左折。あとはほぼ一本道。
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終点はここ。前にある建物はアメリカ海軍の通信基地。右側にそそりたつ崖がすごい。ビーチはここから歩いて5分ほど。
-
これがリティディアンビーチ。抜けるような青空と白い砂浜、砕ける波。そして、誰もいない海....
-
3/23
この日は朝6:00に早起きし、ムスメと2人でデデドの朝市へ。場所は昨日見当をつけておいたとおり、マイクロネシアモールを過ぎ、マリンドライブを10分ほど走った場所。駐車場はすこし手前の会社の空き地のような所に停めたが、まだ余裕あり。
写真の右前方100m位の場所でやっていた。お客さんはほとんどがローカルだが、日本人観光客もちらほら。 -
市場の中はこんな感じ。Tシャツやアロハシャツ、野菜に果物、おもちゃにミリタリー放出品とさまざまな物が売られていた。中には生きたにわとりとか車!なんてのもあった。
屋台もいろいろあり、ホットドッグやチリドッグが$1.5、コークが$0.75。おかげで、今朝の朝食代は安く上がる。そして、念願のココナツジュース$1.0を飲む。まるでポカリスエットのような味。
*もしかしたら本当にポカリスエット入りだったかも。 -
市場で見つけたレガシィーBG。この4日間でBG、BCは何台か見たがBHやBEはついぞ見かけなかった。米本土でもそうだが、グアムで一番使われている車はピックアップ・トラック。
日本と違い荷台に人を乗せても平気なので島じゅういたるところで荷台に人を乗せたダットサンやハイラックスを見る。雨が降ろうとおかまいなし。濡れたって晴れればそのうち乾くさってなもの。 -
9:00に一旦ホテルにもどってから、家内とムスコを乗せ、南部観光にスタート。まず寄ったのがフィッシュアイマリンパーク。写真は展望塔へ続く桟橋から陸の方を見た様子。
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海中展望塔に近づくにつれ海の色が真っ青に変わっていった。向こう側はアサン岬。
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海中展望塔の中は冷房が効いていて涼しかった。海も綺麗で魚も多く珊瑚礁もみごとだっった。ん?真ん中に泡をふいている魚が?
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フィシュアイからすこし戻り、太平洋戦争国立記念公園に寄る。目の前に広がるのがアサンビーチ。Battle of GUAM 最大の激戦地である。ここで日本兵約14,000人が亡くなっている。
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12:00 アガットのタコベルで昼食。アメリカ海軍の憲兵さん達とお食事。
17:00に車を返す予定なので、このあと大急ぎで南部を廻り、一路タロフォフォを目指す。この間、車の運転に専念していたので写真は無し。しかし、5年前に来たときと全く変わらないのどかな風景がそこにはあったと報告しておきます。
今回、家内が一番来たかったのが写真の横井ケーブ。ロープウェイで滝までおり、売店の脇を通過して徒歩10分位の場所にある。写真はケーブの横にあった休憩小屋の壁に描かれた横井さん。周囲は蒸し暑い、うっそうと茂ったジャングルで、少し降りると淀んだタロフォフォ川があり、横井さんはここで魚をとったりして28年を過ごしたのだろうか。 -
タロフォフォから4号線をひた走り、一路ハガニャへ。マリンドライブを右折してタムニンにある プレミアムアウトレット でお買い物。ジーンズやTシャツなどを購入する。ちょっと隣の コストユーレス にも寄ってみたが、お店向けの商品が多く、めぼしいものは無かった。
ホテルに家族を置いて、17:00ギリギリにフジタホテル向かいにあるスマートレンタカー営業所へ。1日半ということで$65にまけてくれた。(保険料込みですよ!)
この日の夕日は実に見事で、まるで映画のようなシーンを見ることができた。写真はホテルのベランダから撮ったフィリピン海に沈む夕日だが、その瞬間、浜辺で見ていた皆さんからおもわず歓声と拍手が!
19:00 隣のアウトリガーホテルまで歩いてレストラン ら・ふらんす で夕食。ここも日本からネットで予約していたが、ネットで予約したお礼ということで蘭のレイなどいただいてしまった。オーダーしたのはいずれもコース料理で、私とムスコがステーキコース、家内がフランスコース、ムスメが天ぷらコース。人気のあるレストランだけあって店内は日本人で満員。料理はいずれもおいしく、ピアノの演奏もありムードはなかなか良かった。ただ、残念だったのは隣の席の女性のタバコと、カメラのフラッシュ。←皆さんエチケットは守りましょうね。
レストランを出て、ABCストアで最後の買い物。店内は日本人観光客であふれ、大にぎわい。ここでお土産のチョコレートやココナツ石鹸、自分用のビーフジャーキーなどを購入。あ、そうそう薬関係の棚にはあの○イアグラが$23で売っていましたよん。 -
3/24
日本へ帰る日がきてしまった。帰りの飛行機は10:45発のNW73便なのでホテル出発は8:30。グアム最後の朝食は日本から持参したカップヌードルと、ABCストアで買ったサンドイッチ。 -
と、いう訳で、グアム旅行は終了しました。お土産と想い出をどっさりとトランクに入れて。確かに5年の間にタモンの街は大きく変わりましたが、街を離れればそこにはまだまだ、ゆったりと時の流れるグアムは健在でした。そして、そこに暮らしている人たちも変わりません。しばらくこれでグアムとはお別れですが、冒頭に書いたとおり何度いっても良いところですからチャンスがあったらまた訪れてみたいと思っています。本日も最後まで古い旅行記をご覧いただきありがとうございます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- fuzzさん 2020/04/21 09:25:49
- タイムトラベル
- おはようござんす。
フィルムの写真が新鮮で良いですね~
何より、ずっと前の事の記憶のはずが鮮明に覚えているものですね。
当時の写真を見ると、あっちゅー間にその時に気持ちが戻れちゃうんですよね。
街の景色、海の色、同じはずなのに新鮮に感じます。
次のシリーズも楽しみです。
fuzz
- chiaki-kさん からの返信 2020/04/21 21:16:15
- RE: タイムトラベル
- ・
fuzzさん、こんばんは。「古すぎてすみません」シリーズに”いいね”
をありがとうございます。
> フィルムの写真が新鮮で良いですね?
よくお解りになりましたね。あの年は8mmビデオカメラを購入したので、
ビデオがメインでカメラはサブ的な位置づけになり、重たいソニー・
マビカはやめて、フジフィルムの軽いコンパクトカメラを持参しました。
>街の景色、海の色、同じはずなのに新鮮に感じます。
fuzzさんは私より数多くグアムに行かれていますから、写真に写って
いる場所は全てお解りですよね。
> 次のシリーズも楽しみです。
明日、早朝に第3弾2003イタリア編をUPします。お楽しみに。
閑話休題
ところで、「リアルトラベルは当分我慢して 若かった頃の
あの日に戻り シンガポールへタイムトラベル」拝見しました。
プロローグに記載された”もう若い頃には戻れないけど、気持ちは
いつでもあの日にワープできる。今はどこへも旅行が出来ないからこそ、
旅行記でタイムトラベルをしよう。”には感銘しましたので、もう
使うことは無いと思っていた古い旅行記のUPを決意した次第です。
もし気力が続けば第9弾!まで考えていますが、さて、どうなるで
しょうか。本当になんの参考にもならない自己満足旅行記ですが
UPしたら、また見てやってください。
PS : fuzzさんは今でも可愛いと思いますが、○○年前はさらに
可愛いですね。
PS2: 最近「収束」と「終息」の違いがわかりました。
「収束」は混乱状態が落ち着くことで、
「終息」は物事が終わること、だそうです。
コロナ禍が1日も早く「収束」、そして「終息」することを
祈ってやみません。
chiaki-k
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