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国交が回復して、5年後の韓国を 卒業旅行の行き先に選んで 2週間の予定で<br />何の 予備知識も無く、1人で訪韓した私。<br /><br />想像を絶する事ばかりで 1週間で旅を切り上げて 帰国しました。<br /><br />トラウマが尾をひき、その後ソウルオリンピックの年まで 18年間、韓国に足を踏み入れる事が<br />出来ませんでした。

50年前 韓国で知ったこと

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1970/02/04 - 1970/02/11

69位(同エリア821件中)

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こめつきさん

国交が回復して、5年後の韓国を 卒業旅行の行き先に選んで 2週間の予定で
何の 予備知識も無く、1人で訪韓した私。

想像を絶する事ばかりで 1週間で旅を切り上げて 帰国しました。

トラウマが尾をひき、その後ソウルオリンピックの年まで 18年間、韓国に足を踏み入れる事が
出来ませんでした。

同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
鉄道
旅行の手配内容
個別手配

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  • 写真は 慶州市の メインストリート。<br /><br />1970年2月。大学の卒業旅行に アルバイトで貯めたお金で<br />お隣の国「韓国」を その旅先に選んだ。<br /><br />家族も友人たちも 私の韓国行きを心配した。<br />日本との国交が回復したとはいえ、韓国の人々の激しい反対を<br />押し切っての 国交回復から わずか5年。<br />今なお、反日感情が厳しいところへ なぜ?<br /><br />私は 本当に軽い気持ちで 1人で2週間の予定を立て、京都から列車で博多へ向かった。そこからYS11機で 釜山に降りたった。<br /><br />タラップを降りたら、そのまま飛行機のそばで待機。トラックがやってきて飛行機の下に着き、乗客の荷物を降ろす。<br /><br />自分の荷物を トラックから降ろしてもらって、歩いて税関検査場へ。<br /><br />荷物の中味は すべては テーブルのうえに出され、チェック。<br />当時、使い捨てカイロなど無かったので 14日分のカイロ用「ベンジン」が怪しまれ、ずいぶん長いこと 調べられた。

    写真は 慶州市の メインストリート。

    1970年2月。大学の卒業旅行に アルバイトで貯めたお金で
    お隣の国「韓国」を その旅先に選んだ。

    家族も友人たちも 私の韓国行きを心配した。
    日本との国交が回復したとはいえ、韓国の人々の激しい反対を
    押し切っての 国交回復から わずか5年。
    今なお、反日感情が厳しいところへ なぜ?

    私は 本当に軽い気持ちで 1人で2週間の予定を立て、京都から列車で博多へ向かった。そこからYS11機で 釜山に降りたった。

    タラップを降りたら、そのまま飛行機のそばで待機。トラックがやってきて飛行機の下に着き、乗客の荷物を降ろす。

    自分の荷物を トラックから降ろしてもらって、歩いて税関検査場へ。

    荷物の中味は すべては テーブルのうえに出され、チェック。
    当時、使い捨てカイロなど無かったので 14日分のカイロ用「ベンジン」が怪しまれ、ずいぶん長いこと 調べられた。

  • 写真は 釜山を取り囲む山々。<br /><br />朝鮮戦争で 逃れてきた人々が住む、「はこバン」と呼ばれる小さな家がびっしり建てられて、 壮観だった。<br /><br />今は、キムチが何であるのか、知らない人はいない。<br />ところが 私はキムチを見たことも、食べた事すらなく、ハングルも<br />全く判らず、まして韓国の人々が 日本植民地時代に どれほどの辛酸を<br />なめたのか、知るよしもなく、韓国にやってきたのだった。<br /><br /><br /><br />正直に言って、私は町の様子を見て 驚いてしまった。<br />めまいがしそうな ハングルの洪水の中で ガイドブックもなく、<br />あちこちと あるきまわった。<br /><br />日本の 終戦直後も こんな感じだったのだろうか?<br />貧しい人々と汚れた街・・・<br /><br /><br />山々の頂上まで びっしりと建てられた 小さな家。<br />外出禁止令の深夜12時まで 体を真っ黒にして、オンドル用の<br />練炭を運ぶ子供たち。<br /><br />街を歩けば、革靴をはいている私に 何人も 「靴を磨かせて」と追いかけてくる少年。<br /><br />茶房(タバン)に入れば、チューインガムをばらいて、1まいづつ客席に<br />売りに来る少女。<br /><br /><br />はじめて そういう光景を見て、心が痛んだ。

    写真は 釜山を取り囲む山々。

    朝鮮戦争で 逃れてきた人々が住む、「はこバン」と呼ばれる小さな家がびっしり建てられて、 壮観だった。

    今は、キムチが何であるのか、知らない人はいない。
    ところが 私はキムチを見たことも、食べた事すらなく、ハングルも
    全く判らず、まして韓国の人々が 日本植民地時代に どれほどの辛酸を
    なめたのか、知るよしもなく、韓国にやってきたのだった。



    正直に言って、私は町の様子を見て 驚いてしまった。
    めまいがしそうな ハングルの洪水の中で ガイドブックもなく、
    あちこちと あるきまわった。

    日本の 終戦直後も こんな感じだったのだろうか?
    貧しい人々と汚れた街・・・


    山々の頂上まで びっしりと建てられた 小さな家。
    外出禁止令の深夜12時まで 体を真っ黒にして、オンドル用の
    練炭を運ぶ子供たち。

    街を歩けば、革靴をはいている私に 何人も 「靴を磨かせて」と追いかけてくる少年。

    茶房(タバン)に入れば、チューインガムをばらいて、1まいづつ客席に
    売りに来る少女。


    はじめて そういう光景を見て、心が痛んだ。

  • 写真は 茶房(喫茶店)<br /><br />頼んだコーヒーは 水のように薄く、普通は 韓国茶を飲んでいるようだった。<br /><br /><br />私が、日本人だとわかると、「日本人とは話したくない!」と 英語で言い放つ大学生。  <br />本屋で 日本語の本を手に取っているおじさんに、日本語で話しかけると<br />チラッと見て 完全無視。<br /><br />心が折れて、店を出た私を はしって追いかけてきた、そのおじさん。<br />「さっきは すみませんでした。人前で日本語を使う事は出来ないのです。」と 気の毒そうに謝ってくれた。<br />その人は 終戦まで 大阪に住んでいたそうで 京都から来た私を<br />懐かしがってくれた。<br /><br /><br />夜行列車の わずかな停車時間に 松葉杖をついて ざるを持った体の不自由な 男の子が乗り込んできた。<br />寂しげな 歌を唄いながら 客席をまわり、わずかな硬貨を 入れてもらっている。<br />2月の 韓国の夜は 寒い。列車が着くまで ホームで待っているのだろうか?今日の ノルマを満たすまで 寒いホームで耐えている姿を想像して、つらかった。<br /><br /><br /><br />予想もしなかった 日本への強い抵抗。私はそれまで 学校の授業で<br />日本による韓国支配について 1度も習ったことはなかった。<br /><br />何もしらなかった。<br /><br />本当に 驚き、心が痛んだ。<br />孤独で 韓国に来た事を後悔した。<br />これから2週間、どうやって旅を続けたら いいのだろう?

    写真は 茶房(喫茶店)

    頼んだコーヒーは 水のように薄く、普通は 韓国茶を飲んでいるようだった。


    私が、日本人だとわかると、「日本人とは話したくない!」と 英語で言い放つ大学生。  
    本屋で 日本語の本を手に取っているおじさんに、日本語で話しかけると
    チラッと見て 完全無視。

    心が折れて、店を出た私を はしって追いかけてきた、そのおじさん。
    「さっきは すみませんでした。人前で日本語を使う事は出来ないのです。」と 気の毒そうに謝ってくれた。
    その人は 終戦まで 大阪に住んでいたそうで 京都から来た私を
    懐かしがってくれた。


    夜行列車の わずかな停車時間に 松葉杖をついて ざるを持った体の不自由な 男の子が乗り込んできた。
    寂しげな 歌を唄いながら 客席をまわり、わずかな硬貨を 入れてもらっている。
    2月の 韓国の夜は 寒い。列車が着くまで ホームで待っているのだろうか?今日の ノルマを満たすまで 寒いホームで耐えている姿を想像して、つらかった。



    予想もしなかった 日本への強い抵抗。私はそれまで 学校の授業で
    日本による韓国支配について 1度も習ったことはなかった。

    何もしらなかった。

    本当に 驚き、心が痛んだ。
    孤独で 韓国に来た事を後悔した。
    これから2週間、どうやって旅を続けたら いいのだろう?

  • 写真は 中央洞にある釜山中央郵便局。<br /><br />そんな旅にあって、今も忘れられない出来事がある。<br /><br />夕方5時前、プサン中央郵便局に行った。家族にはがきを出すために。<br />はがきを見た、窓口の男性が 私に声をかけてきた。流暢な英語だった。<br /><br />「日本人?大学生?俺、ここでバイトやってるんだ。プサン大学英文科の4年生。」<br />「もうすぐ仕事終わるから。夕飯くった?まだなら、一緒にメシ食おう。ちょっと待ってて。」<br /><br />おそらく 私の表情が 誰から見ても寂しげで沈んでいたからに違いない。 <br /><br /><br />ハングルがわからず、日本語も使えず、英語がわかる学生には相手にされず、心細かった私は 2つ返事で承諾した。<br /><br /><br />バスに乗って、着いたところは山の上。あの「はこバン」だ。<br />みかん箱のような木造の 小さな家が山肌に張り付くようにたくさん建っていた。<br /><br />彼は」ある1軒のいえに間借りしていたようで 他人の家族がおなじ家に<br />住んでいた。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    写真は 中央洞にある釜山中央郵便局。

    そんな旅にあって、今も忘れられない出来事がある。

    夕方5時前、プサン中央郵便局に行った。家族にはがきを出すために。
    はがきを見た、窓口の男性が 私に声をかけてきた。流暢な英語だった。

    「日本人?大学生?俺、ここでバイトやってるんだ。プサン大学英文科の4年生。」
    「もうすぐ仕事終わるから。夕飯くった?まだなら、一緒にメシ食おう。ちょっと待ってて。」

    おそらく 私の表情が 誰から見ても寂しげで沈んでいたからに違いない。 


    ハングルがわからず、日本語も使えず、英語がわかる学生には相手にされず、心細かった私は 2つ返事で承諾した。


    バスに乗って、着いたところは山の上。あの「はこバン」だ。
    みかん箱のような木造の 小さな家が山肌に張り付くようにたくさん建っていた。

    彼は」ある1軒のいえに間借りしていたようで 他人の家族がおなじ家に
    住んでいた。






  • 写真は プサン大学英文科の学生 孔さん。プサン中央郵便局の前で<br /><br /><br />彼が 夕食の支度を自分でしてくれた。<br />しんちゅうのおわんの中には 麦と豆が入った黒いごはん。<br />辛い唐辛子の入ったような 味噌汁。これも 辛い白菜の漬物。<br /><br />あとで考えると 「雑穀ごはん」「テンジャンチゲ」「キムチ」<br />だったのだろうと 思う。<br />当時は そんなことも知らなかったのだ。<br /><br />私は あまり食べられなかった。<br />食事の内容が どうのこうの言うのではなく、反日感情が渦巻く中、<br />郵便局の 窓口で会ったばかりの 見知らぬ日本人を 家に連れてきて<br />ささやかでも 夕食をもてなしてくれる・・・・その気持ちが とても嬉しく 胸が一杯で のどが通らなかったのだ。<br /><br />それでも 少しずつ 涙とともに飲み込んだ。<br /> 

    写真は プサン大学英文科の学生 孔さん。プサン中央郵便局の前で


    彼が 夕食の支度を自分でしてくれた。
    しんちゅうのおわんの中には 麦と豆が入った黒いごはん。
    辛い唐辛子の入ったような 味噌汁。これも 辛い白菜の漬物。

    あとで考えると 「雑穀ごはん」「テンジャンチゲ」「キムチ」
    だったのだろうと 思う。
    当時は そんなことも知らなかったのだ。

    私は あまり食べられなかった。
    食事の内容が どうのこうの言うのではなく、反日感情が渦巻く中、
    郵便局の 窓口で会ったばかりの 見知らぬ日本人を 家に連れてきて
    ささやかでも 夕食をもてなしてくれる・・・・その気持ちが とても嬉しく 胸が一杯で のどが通らなかったのだ。

    それでも 少しずつ 涙とともに飲み込んだ。
     

  • 写真は 韓国から出した はがき。<br /><br /><br />私が もし反対の立場だったら・・・このように旅人をもてなす事が<br />できるだろうか?<br /><br />しかも 嫌われている国からやってきた者に・・・<br /><br />夜には 南甫洞というところで、ひしゃげてぼこぼこになったアルミの<br />やかんに入った「マッコルリ」という 白いどぶろくのような酒を<br />飲み交わした。<br /><br />心から楽しく、嬉しかった。<br /><br />ホテルまで 送ってくれて、明日、私が 慶州に行くと言うと、「郵便局まで来たら バス停まで送るから。」と言い残して 帰っていった。<br /><br /><br />翌朝、約束どおり慶州行きのバスに乗せてくれて、運転手さんに<br />「日本人だから 頼みます。」というようなことを 伝えてくれていた。<br /><br /><br /><br />その後 しばらくは手紙のやりとりをしていたが 孔さんは 大韓航空に<br />就職。私も 定年まで忙しく 連絡が 途絶えた。<br /><br /><br />8年前 八方手を尽くして 大勢の方の協力を得て、消息が わかった。<br />残念ながら 50代で 早くに亡くなられていた。<br /><br /><br />私が 1番 会いたかった韓国人だ。<br />いまでも時々 プサンに行くと、必ず 中央郵便局の前に立ち<br />あの時の 感謝を 孔さんにささげている。<br /><br /><br />手元には 1970年の ソウルや 慶州 テグなどの 写真が たくさんある。<br />終活をしているが 私がなくなったら これらの写真も処分されるのだろう。<br />おしい気もする。

    写真は 韓国から出した はがき。


    私が もし反対の立場だったら・・・このように旅人をもてなす事が
    できるだろうか?

    しかも 嫌われている国からやってきた者に・・・

    夜には 南甫洞というところで、ひしゃげてぼこぼこになったアルミの
    やかんに入った「マッコルリ」という 白いどぶろくのような酒を
    飲み交わした。

    心から楽しく、嬉しかった。

    ホテルまで 送ってくれて、明日、私が 慶州に行くと言うと、「郵便局まで来たら バス停まで送るから。」と言い残して 帰っていった。


    翌朝、約束どおり慶州行きのバスに乗せてくれて、運転手さんに
    「日本人だから 頼みます。」というようなことを 伝えてくれていた。



    その後 しばらくは手紙のやりとりをしていたが 孔さんは 大韓航空に
    就職。私も 定年まで忙しく 連絡が 途絶えた。


    8年前 八方手を尽くして 大勢の方の協力を得て、消息が わかった。
    残念ながら 50代で 早くに亡くなられていた。


    私が 1番 会いたかった韓国人だ。
    いまでも時々 プサンに行くと、必ず 中央郵便局の前に立ち
    あの時の 感謝を 孔さんにささげている。


    手元には 1970年の ソウルや 慶州 テグなどの 写真が たくさんある。
    終活をしているが 私がなくなったら これらの写真も処分されるのだろう。
    おしい気もする。

  • ソウル・東大門。<br /><br />詰襟、坊主頭の中学生が 制帽をかぶって登校する風景。<br />昔の日本と 同じですね。

    ソウル・東大門。

    詰襟、坊主頭の中学生が 制帽をかぶって登校する風景。
    昔の日本と 同じですね。

  • ソウル・正面は 新世界百貨店(旧 三越百貨店)<br />左は ソウル中央郵便局。

    ソウル・正面は 新世界百貨店(旧 三越百貨店)
    左は ソウル中央郵便局。

  • ソウル。景福宮の「慶会楼」前の池で アイススケートを 私もして見ました。池の周りには 普通に屋台が出て 商売をしています。<br />このおじさんは 貸しスケート屋さん。

    ソウル。景福宮の「慶会楼」前の池で アイススケートを 私もして見ました。池の周りには 普通に屋台が出て 商売をしています。
    このおじさんは 貸しスケート屋さん。

  • ソウル駅前。向こうに南大門が見えます。

    ソウル駅前。向こうに南大門が見えます。

  • 南山 山頂から見た ソウル中心部。<br />まだ ソウルタワーは ありません。

    南山 山頂から見た ソウル中心部。
    まだ ソウルタワーは ありません。

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この旅行記へのコメント (5)

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  • 梅子のお母さんさん 2022/05/19 10:50:19
    旅の思い出
    なかなか大変な時代に旅行されたのですね。
    たまたま1970年代のソウルの町並みの写真を探していてこちらにたどり着きました。私もソウル旅行をした際に地下鉄の中で具合の悪くなった娘に、韓国の方々がとても良くしてくだった経験があります。
    歴史や政治の問題も多々ありますが、人と人の関係はいつの時代も良いのでは?と勝手に想像しています。
    素敵な写真と旅行記、ありがとうございました。

    こめつきさん からの返信 2022/05/19 18:53:30
    Re: 旅の思い出
    コメントありがとうございます。ブログ読ませていただきました。私も定年後韓国語の勉強に3ヶ月、ソウル大学に留学し、朝9時から午後3時半までびっしりしごかれて、老体にムチ打ち3度も病院のお世話になりました。若い人と寮生活は、ストレスでした。今は近くの10人程の方に韓国語をボランティアで教えています。早くまた行きたいですね。
  • miyokegaokaさん 2021/12/07 17:40:27
    感動しました。ありがとうございます。
    今の私も、母の、遺品整理をしています。あなた様の、終活をしているが 私がなくなったら これらの写真も処分されるのだろう。の、お言葉に、胸が、締め付けられます。

    こめつきさん からの返信 2021/12/09 11:07:28
    Re: 感動しました。ありがとうございます。
    こんにちは
    メッセージをありがとうございました。返信が遅れて申し訳ありません。お母様の遺品、整理するのも
    辛いですよね。お気持ち十分わかります。納得できるまで、そばに置いて上げて下さい。  
    こめつき

    miyokegaokaさん からの返信 2022/04/01 11:15:34
    RE: Re: 感動しました。ありがとうございます。
    > こんにちは
    > メッセージをありがとうございました。返信が遅れて申し訳ありません。お母様の遺品、整理するのも
    > 辛いですよね。お気持ち十分わかります。納得できるまで、そばに置いて上げて下さい。  
    > こめつき

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