2019/11/17 - 2019/11/17
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名古屋のmisakoさん
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名古屋の西国三十三所霊場、番割観音巡りに出かけてきました
毎月第3日曜日(7,8月除く)11/17名古屋の西国三十三番割観音めぐり、熱田区、港区、中川区を約11km歩きました
接待もあります、浅野祥雲コンクリート像、新田開発工事を行った鬼頭景義建立の空雲寺、もうすぐ閉店下之一色魚市場、下之一色までの市電を作り、下之一色農業など発展に貢献した森治郎の石像など見所あります
帰りに、あったか!あつた魅力発見市2019で公開された断夫山古墳に登ってきました
青大悲寺、雲心寺、高座結御子神社も寄ってみました
16時過ぎてましたので寺は公開時間終了してました
ドニチエコきっぷ620円
熱田新田・番割観音について
江戸時代の経済の根幹は農業であり、各藩で耕地を増やすことにより増収が図られました。初代尾張藩主徳川義直の命により1647年から開拓された熱田新田は尾張藩が実施した最大規模の新田開発で、現在の熱田区、中川区、港区にまたがる約4平方キロメートルが埋め立てられました。この新田を33に分け「番割」と呼び、それぞれに西国三十三ヵ所にちなんで観音堂がまつられました。現在はまとめてまつられている観音堂もありますが、熱田区内には一番から九番までの番割観音が現存しています。7、8月を除き、毎月第3日曜に一番割観音から三十三番割観音まで約10キロメートルの道のりを歩く観音めぐりが行なわれています。(熱田区役所HPより)
あったか!あつた魅力発見市
令和元年11月17日(日)に金山駅を含め5か所で実施されるイベント
古墳マルシェ・オータムフェスタ(熱田神宮公園)
熱田神宮公園ではハンドメイドのアクセサリーや小物などを扱う出店やキッチンカー、そして新鮮野菜市場など約40店が出店します。お気に入りの雑貨やアイテムはもちろん、キッチンカーグルメを楽しみたいならこのエリア。さらにコンサートや体験教室なども開催されているので、家族で楽しめます。
【会場】熱田神宮公園
【時間】10:00~16:00
熱田寺院特別公開
聖徳寺や円福寺など5つの寺院では、普段は見る事ができない仏像やエリアがこの日だけ特別公開!貴重な光景をゆったりと堪能しながら癒されてみませんか?
【会場】
〇聖徳寺(名古屋市熱田区大瀬子町702)
〇円福寺(名古屋市熱田区神戸町301)
〇正覚寺(名古屋市熱田区神宮4-7-22)
〇青大悲寺(名古屋市熱田区旗屋1-10-39)
〇雲心寺(名古屋市熱田区尾頭町3-19)
※公開時間は施設によって異なる。私有地のため、公開場所以外の立ち入りは不可。
(ナイスタイムHPより)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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集合場所の観音堂第一番、8時集合
熱田区一番1丁目24番14号
名古屋市営バスバス停一番三丁目徒歩1分
西国三十三所の御詠歌、般若心経、弘法大師の御詠歌を皆さんで唱えます
御朱印は世話人の方が今回は体調不良で不参加で次回になりました
参加費300円でした -
身代わり地蔵
交通安全、無病息災を祈る -
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第二番、第三番は、一番でお参り済ませましたので通過
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こちらの熱田社に巨大保存樹クロガネモチが有りますが、通過されてしまいました
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交番がおしゃれですね
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第四番、第五番観音堂
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第六番、第七番観音堂
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第八番、第九番観音堂
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浅野祥雲コンクリート仏像
浅野祥雲
1891年、岐阜県恵那郡坂本村(現中津川市)に生まれる。父親は農業の傍ら、土人形を製作する職人であった。父の仕事を継いで土人形製作を始めるが、土では大きな作品がつくれないことから、コンクリートでの作成を思いついたという。1924年、33歳のとき名古屋に移住し、映画館の看板を描くなどして生計を立てる。作品は中部地方を中心に800体近くが現存しており、ほとんどが身長2メートル以上の人物像(仏像)で、コンクリートの表面にペンキで着色され、一箇所に集中して林立することが特徴である。リアルさ・稚拙さ・ユーモラスさをあわせ持った作風で、一度見たら忘れられない強烈さから一部で人気を博している。
関ヶ原ウォーランド(岐阜県関ケ原町)
五色園(愛知県日進市)
岩崎御嶽社(愛知県日進市)
桃太郎神社(愛知県犬山市)
中之院 軍人像群(愛知県南知多町)
厄除弘法大師(愛知県尾張旭市)
春日井駅前・弘法大師像(愛知県春日井市)
熱海城・シャチホコ(静岡県熱海市)
圓通寺・毘沙門天像(愛知県名古屋市)
久国寺・護国観音像(愛知県名古屋市)
(weblio辞書HPより) -
浅野祥雲コンクリート仏像
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第十番、第十一番観音堂
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中川運河を渡ります
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第十二番、第十三番観音堂
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番外玄泉寺の白龍神(水の神)をお参りします
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白龍神
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1つ北側の道沿いにスサノウ神社
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愛知県武道館
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第十七番観音堂
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第十四番、第十五番、第十六番観音堂の天年寺
昼食休憩に天年寺にお邪魔します -
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第十八番、十九番観音堂
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第二十番観音堂
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あおなみ線高架を通過します
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第二十一番、第二十二番、第二十三番観音堂
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番外の空雲寺、鬼頭景義建立、保存樹クロマツ( 名古屋市中川区の木はクロマツ、花は葉牡丹)
鬼頭 景義(きとう かげよし)
中川区内のゆかりの地
中川区中島新町4-1201 道龍山 空雲寺
人物の紹介
鬼頭勘兵衛(吉兵衛)景義は源為朝の子孫といわれ、八田村(中川区八田町)に在住しました。
土木工事の技術に優れた才能を持ち、寛永8年(1631)から明暦3年(1657)までの27年間、新田開発に東奔西走し、尾張西部を中心に美濃まで合計27ヶ所の新田を開き、その総石高は2万3千石にも及んだといいます。中川・港・熱田区の中島新田、中野内・外新田、東・西福田新田、熱田新田などが含まれます。晩年は仏門に入り、自ら道龍山空雲寺を中島新田に開きました。空雲寺には景義の墓碑と木像があります。
新田の開拓に尽力した景義が熱田新田の干拓工事に携わっていた時、夢枕に観音さまがたち、「この場所(須成)に水の引くところがある。そこに鶴がとまったらその場所から埋め立てを始めるように」告げられ、その通りにしたら首尾よくいったので番割ごとに観音を祀ったと言う口伝が番割観音の十二番に残っています。(異説もあり)(名古屋市中川区人物事典HPより) -
空雲寺(くううんじ)
創建は寛文元年(1661年)で、開基は鬼頭景義といい、当地の初期新田開発の功労者であった。春日井郡大溜村(現春日井市)の善源寺が廃寺となったのを景義が譲り受け、その子義知と空雲寺を建立した。現在は、曹洞宗、道龍山と号し、聖観音像、宗祖道元禅師像等の寺宝が保存されている。また、境内には延宝4 年(1676年)建立の景義の墓碑がある。さらに市内最高長の名木クロマツは一見に値する保存樹である。
(中川区史跡散策路中島・下之一色川浪コースHPより) -
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第二十五番観音堂
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第二十六番、第二十七番、第二十八番観音堂
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第二十四番観音堂
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小碓中央公園
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第二十九番、第三十番、第三十一番、第三十二番観音堂
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百曲街道(ひゃくまがりかいどう)
この街道は、現在の古渡橋付近から熱田八番町を経て港区明徳橋に至る道筋で、昔はこの道が海辺を通っていて、曲がりくねっていたところからこの名称が付いた。今は、中川区東起町と港区明正一丁目を分ける境界線約1キロメートルの行程がわずかにその面影を残している。
(中川区史跡散策路中島・下之一色川浪コースHPより) -
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下之一色魚市場
戦前は、多くの漁船から魚介類が水揚げされ市場も活気にあふれていた。その起源は古く幕末安政の頃と伝えられている。現在は、新川沿いに鮮魚保管のための施設があり、魚商いが活発である。年末には河川敷で朝市が開かれ近在の人々に人気があり、昔を懐かしむ情景がうかがえる。
(中川区史跡散策路中島・下之一色川浪コースHPより) -
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第三十三番観音堂
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森 治郎(もり じろう)
中川区内のゆかりの地
下之一色魚市場、一色電車車庫跡、松蔭公園、共愛病院、なごや農業協同組合下之一色支店
人物の紹介
森治郎は万延元(1860)年、下之一色村で代々庄屋を務める大地主の森家に生まれました。父の治平は村長から愛知県会議長を勤め、愛知県水産試験場を下之一色に誘致するなど、下之一色漁業の発展に貢献しました。
森治郎は明治28 (1895)年に下之一色農会を設立し、その約10年後には当時では画期的な田畑の耕地整理事業を行いました。大正元(1912)年には下之一色信用組合(後の農業協同組合の前身)を設立し、組合長に就任しました。また漁業に関しても、明治36 (1903)年に下之一色漁業組合を設立して初代の組合長になりました。漁業者のための組合病院を作り、それは昭和7 (1932)年には一般にも公開した共愛病院になりました。大正元(1912)年には下之一色魚市場を開設し、仲買制度を確立しました。さらに名古屋の市街地へ魚の行商に行きやすいように「下之一色電車軌道株式会社」を設立して、翌年には下之一色から尾頭橋までの私鉄「一色電車」を開通しました。一色電車は昭和12 (1937)年に名古屋市が買収して、市電・下之一色線になります。一色電車会社は大正14 (1925)年に松蔭遊園地を開発して運営し、海水浴場として賑わいました。昭和22 (1947)年に88歳で逝去するまで、地域の発展に尽力しました。地元では父の治平から治郎やその子孫までの一家を森様と称して尊敬しています。なごや農業協同組合下之一色支店の横には森治郎を顕彰する石像があります。
(中川区人物事典HPより) -
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熱田区に市バスで戻ってきました
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あったか!あつた魅力発見市2019
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断夫山(だんぷさん)古墳
東海地方最大の前方後円墳。6世紀初頭の築造で全長約151メートル。古来、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃宮簀媛(みやずひめ)の墓と伝えられていたが、現在では尾張氏の墓と考えられている。国の指定史跡。
(名古屋市史跡散策路白鳥断夫山コースHPより) -
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青大悲寺(せいだいひじ)
如来教の本山、尼寺。山号は登和山(とわさん)。この地に生まれた「きの」が、享和2年(1802)に開基。室町時代に鋳造された等身大の鋳鉄地蔵菩薩立像は、県の指定文化財。(名古屋市史跡散策路白鳥断夫山コースHPより) -
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雲心寺(うんしんじ)
浄土宗鎮西派、山号は遣迎山(けんこうざん)。元文5年(1740)現在地に移建。本尊の阿弥陀如来座像(木造2.4メートル)は、市内三大仏の一つといわれる。
(名古屋市史跡散策路白鳥断夫山コースHPより) -
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高座結御子神社
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井戸のぞき
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高座結御子(たかくらむすびみこ)神社
熱田神宮の摂社で承和2年(835)の創建とされる。俗に高蔵神社と呼ぶ。現在の祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)。子育ての神として知られ、6月1日の大祭は「井戸のぞき」で賑わう。境内の井戸をのぞくと子どもの虫封じになるという
(名古屋市史跡散策路熱田区高蔵夜寒の里コースHPより) -
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高蔵(たかくら)貝塚・古墳群
貝塚は弥生時代後期のもので、沢上から高蔵にかけ10か所以上で小貝塚や土器片が発見された。宮廷式土器の華麗な丹塗り壺(重要文化財)や、当時馬がいたことを示す馬の骨が出土した。古墳は高座結御子神社とその周辺に十数基散在していた。
(名古屋市史跡散策路高蔵夜寒の里コースHPより) -
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高座結御子神社内の稲荷社
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三十三番割観音巡りの接待でいただいたお菓子
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三十三番割観音巡りの接待でいただいたお菓子
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三十三番割観音巡りの接待でいただいたお菓子
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高座結御子神社で買った交通安全ステッカー1000円熱田神宮のものです
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接待菓子
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