2019/10/17 - 2019/10/21
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yourenさん
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10月に5日間の日程でパラオ団体ツアーに参加しました。パラオでの見学・観光は、(1)パラオの文化・産業の見学、(2)世界遺産ロックアイランドのクルーズ観光、(3)ペリリュー島の戦跡ツアーです。
旅程はまず飛行機で成田からグアムへ行き、飛行機を乗り換えてパラオへ行きました。コロール島の同じホテルに旅行期間中連泊し、そこを拠点にして観光バスとボートを使って色々な観光スポットを訪れました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ユナイテッド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
見学で訪れた農場にはノニジュースでおなじみのノニの実がたくさんなっていました。この実を収穫し熟成させ、フィルターで濾過してノニジュースを作るとのことです。
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収穫したノニの実をバケツで熟成させているところです。このような薄茶色になれば良好に熟成が進んでいるとのことです。
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熟成したノニを絞る圧搾機だそうです。その後フィルターを通してジュースができあがるそうですが、ここの農園では製品はすべて日本へ輸出するとのことでした。
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ここの農場での主な生産品はタロイモ焼酎だそうです。この農場では自分たちで栽培したタロイモを原料にしてかなり本格的な製法で焼酎を製造しているとのことです。
まずお米を蒸して米麹を作り、酵母菌を加えて発酵させ1次もろみを作った後蒸したタロイモを加えて発酵させ2次もろみを作り、それを蒸留して高濃度の焼酎(原液)を造るということです。
この農場ではこれらの工程を人手でこなしているそうです。各種の機械・装置がある建物内には空調はなく窓の開け閉めで温度を調節しているとのことでした。 -
タロイモ焼酎を造る最後の重要な蒸留工程の装置です。写真のように大きめの小屋のような風通しがとても良い屋内に装置が置かれていました。
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写真のような高速ボートに乗って世界遺産ロックアイランドの1日観光に出かけました。ボートのスピードはなかり速く、乗った人全員に救命胴衣の着用が指示されました。
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クルージングの途中に海中に沈んだままの零戦を見ました。太平洋戦争中にアメリカ軍に撃墜されたそうで、このパイロットは何とか生き延びて近くの島に自力で泳ぎ着いたとのことです。
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ミルキーウェイに到着しおなじみの泥パックを楽しみました。現地ガイドさんが海にもぐって泥を取ってきて、ボートの上で皆泥を体にパックしていました。
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ランチ休憩のために美しいオモカン島を訪れました。島には桟橋はなく、岸辺に近いところに船を止めて、そこから腰の辺りまで海に浸かりながら上陸しました。
そこにはとても美しい砂浜がありました。 -
クルージング中には四方八方、素晴らしいコバルトブルーの海に囲まれていました。
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石灰岩が長い間の侵食で穴が開いてできた「ナチュラルブリッジ」です。
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ホテルの窓から見た幻想的な早朝の日の出前の風景です。朝日が昇るであろう場所を中心にピンクの帯が空一面に広がっていました。
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3日目はペリリュー島戦跡ツアーに参加しました。ペリリュー島のすぐ近くにガドブス島という島があり、そこにも1,000m級の滑走路があって主にゼロ戦が配備・運用されていたとのことです。その島を結ぶ橋の橋脚が残っていました。
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ペリリュー島の海岸近くに残っている千人洞窟と呼ばれる大規模な洞窟が残っていました。内部はありの巣のようにたくさんの部屋や通路が築かれていて1,000人ほどの兵士が寝泊りすることができたということです。
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ペリリュー島の日本軍総司令部跡を訪れました。
当時はかなり立派な鉄筋コンクリート製の建物だったことがうかがえます。アメリカ軍のかなりの集中砲火を浴びたらしく天井や壁にはあちらこちらに直撃弾の跡がありました。
窓はすべて吹き飛ばされたのかと思いましたが、実は当時からもともと窓はなかったそうです。パラオのさわやかな風が常に室内を自由に流れるように設計されていたそうです。
ここは司令部でしたので下士官や通信兵、事務要員など40~50人ほどが常駐していたのでしょうか。 -
ペリリュー島守備隊の中には戦車隊も含まれていました。九五式軽戦車が17両あったとのことです。
そのうちの一台が残っていました。戦車に近づいてよく見ると肝心の前面の鉄板の装甲がとても薄いことが分かります。シャーマン戦車やバズーカ砲の砲弾が当たれば簡単に大破したのだろうと想像できます。 -
オレンジビーチは1944年9月15日にアメリカ軍が最初に上陸したペリリュー島の南西部の美しい海岸です。
現在はある程度木々や草が生えていますが、アメリカ軍の上陸作戦が始まった頃は、上陸前の3時間にも及ぶ艦砲砲撃や爆撃機による爆弾投下でこの地域一帯は焼け野原になっていたと思われます。 -
まだ残っていたアメリカ軍の装甲車を見学しました。砲塔には大砲ではなく機関砲(または重機関銃?)が備えられていました。
かなり大型の車両で現在でも歯車の一部が動くようですが、これは地元のパラオ人がときどき油を指しにきてくださっているとのことです。理由はこの展示物を長持ちさせて世界の人々に平和のありがたさを知ってもらいたいからだということだそうです。 -
ブラッディ・ノーズ・リッジ(大山)は標高98mのペリリュー島内の最高峰の山です。この頂上からはオレンジビーチを始め島内すべてが見渡せます。この山を中心として麓にかけて広がっていたのが旧日本軍の複郭陣地で中川大佐率いる旧日本軍兵士が最後まで戦った激戦地です。
麓にバスを止めて徒歩で山を登って行きますが、入り口付近には大きな注意書きのたて看板がありました。そこには「まだ不発弾や地雷の撤去処理が終わっていない場所があるので十分に注意すること」などと書かれています。
要するに各所に白と赤の2色に塗られた杭が打ち込まれていて、白の側は処理済、赤の側は未処理のままという意味だそうです。 -
ブラッディ・ノーズ・リッジ(大山)には崖のあちらこちらにたくさんの洞窟が見られます。旧日本軍兵士はこれらの洞窟と中でつながっている通路を活用しアメリカ兵に対してゲリラ戦を仕掛けたとのことです。このような洞窟はこのあたりの山岳地帯に500以上も作られていたということです。
山奥の洞窟のそばには中川大佐自決の石碑が置かれていました。
なお、この旅行記の詳細はhttp://fineart.180r.com/wpでご覧になれます。
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