2019/06/10 - 2019/06/10
1222位(同エリア1905件中)
北田辺さん
豊臣秀吉により築城された大阪城は大阪冬の陣で徳川によって壊滅、外堀まで埋められた、その後徳川によって城が再構築され特に石垣は各藩に指名して石材の供給搬出と構築させたことで各藩は力量を誇示する為又徳川に対し忠誠を誓う為国内で見ることのできない見事な石垣が構築された
第二次世界大戦の大阪空爆で建物は全焼したが石垣は無事、戦後大阪市民によって天守閣などが整備され現在にいたっている。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大阪城入城の正面口である大手門に続く道
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外堀から六番櫓付近、高石垣が見事です
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南仕切門跡 両側の石が門柱、太鼓楼もこの横にあった
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大手門正面の石垣 玄関前なので綺麗な石組がされています
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大阪城桜門を入ると正面広場は桝形の巨石で囲まれている、桜門を抜けると前方広場は本丸、奥に天守閣が聳え建っている、本丸を防御する最後の砦が桜門、正面の巨石は城内第一の表面積を持つ巨石 畳36畳分ある、重さ108トン、表面から見ると石の後ろ側には相当の石かあるように見えるが厚みはあまり無い、大きな一枚板のイメージらしい このことは5年前の散策の頃に石の裏側改修工事をしており発見したように聞いている
大阪城 名所・史跡
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玉造口付近
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かってあった玉造門の門柱に使用していた石
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玉造口付近からの石垣 一番櫓が角地に建てられている
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天守閣西側 この付近では天守閣土台となる石垣が見られる
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極楽橋横の石垣
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極楽橋からの天守閣
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最大20人乗り程度の観光船です、石の高さをが推測できます 内堀の中です
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大阪城の本丸見学を終え、極楽門に向かって坂を下りたところに「刻印石広場」という広場があり足を止めました。大阪城の築城にあたっては天下普請ということで各地の大名に仕事が割り振られ参加させられたようです。このあたりの石を見ると大名が自らの仕事であることを他に示さんと刻印をしたようで、名前や家紋のようなものが読み取れる物が多くて、興味深く感じました。まるで地理の授業と日本史の授業を同時に受けているよ...
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ナツメロ大王さん
ナツメロ大王さん
(大阪城・京橋 クチコミ 47件)
満足度普通~低いクチコミ(~3点)6件
大坂城山里丸に集められた残念石
3.0
訪問時期:2019/06 (約2ヶ月前)
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大坂城山里丸に集められた残念石、大阪城内整備時に城内に散らばっていた石をこの地に集めて展示している、各石には持ち込んだ藩の刻印が刻まれており苦労してここまで持ち込んだが使われないで放置されていたのが目的は違うが日の目を見る機会を得られた、大阪城 名所・史跡
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北西方向の石垣
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西側から見た天守閣
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天守閣
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天守下仕切門跡
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残念石
瀬戸内海の小豆島にある石切場で大阪城再築用の石として準備していたが使用されないで現地に残っていた石を地元と大阪の青年会議所の人達で持ち帰り碑用石として利用している、石だから多くは運べなかったのだろうがこの標識が示す石のみ、他にどの程度残されていたかなど詳細が判らない状態です、天守閣入り口左側にあります
同行者一人旅大阪城 名所・史跡
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天守閣がかなり高い石垣の上造られている
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北東方向の石垣
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西北方向にある石垣で上に乾櫓が建てられている 水面は外堀
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京橋から見た付近の状況
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大阪城公園内にある大阪城ホール(1983年完成)入り口に築かれた石垣、角の部分は算木積工法で造られいるが角は整っているが他の石組は美観など意識していない雑なに組み方、目障りとしか言いようのない工事の仕方は恥ずかしい限り,重機の無い江戸時代に造られたお城の石垣に比べる為掲載しました
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