2019/03/16 - 2019/03/16
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momoneneさん
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3月16日「錦帯橋をちょっと勉強する会」に参加してきました。
バスに乗り45名で出掛けた日の記録です。
ガイドさんの熱心な説明にメモを取っていると写真が撮れなくて、今回は説明が多くなりました。
日本三名橋のひとつに数えられる「錦帯橋」です。
錦川に流されない橋を架ける事に取り組んだのは、三代領主吉川広嘉でした。
技術面で優れた研究や資料収集をしながら、優秀な棟梁や人材を呼び寄せていた広嘉(ひろよし)は、
当時、易者として名のあった中国の「独立(どくりゅう)」との交流の中でヒントになる絵図をみつけました。それがアーチ橋です。
~1673年10月に五連のアーチ橋完成、その後洪水で流されましたが人力、財力、技術の全てで、その後276年間持ちこたえる橋を完成させました~
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
-
「錦帯橋をちょっと学習する会」なんだか楽しく素敵な勉強ができそう!と参加しました。
⌒ ガイドさんから、まず教わったのは「橋」のお話し。
五連につながるアーチは、中の三連は橋の下に支えが何もありません、橋桁や橋梁構造についても専門的な説明があって、両端の二つが、木組みで支えられている事がわかりました。その構造を漠然と見ていたんだなぁ~と気持ちを新たに勉強会スタートしました。 -
橋は、岩国城の麓(横山地区)へ錦川の対岸から通ってくる武士たちにとっての通勤手段だったため、流されては生活に大変困っていました。
そこで、三代領主吉川広嘉が流されない橋を架けることに尽力しました。
~清流で知られる錦川だけに、橋を壊してしまうような勢いある姿が想像できません~ -
~~広嘉(ひろよし)は病弱で中国の易者であった「独立(どくりゅう)」に治療をお願いしていました。独立が見せてくれた絵図に島から島へ渡る石橋が描かれていました~~アーチ橋のヒントになったのはその中国の絵図です
広島「縮景園」の跨虹橋(ここうきょう)も中国の庭園を模して造られ、そのアーチ型の橋は原爆に遭っても壊れませんでした。
錦帯橋も中国がモデルになった丈夫なアーチ橋なんだなぁ~、と思うと、共通する親しみが湧いてきます。 -
吉香神社
吉川家の御霊が祀られています。 -
錦雲閣
元は当主が暮らすお屋敷(お土居)でした。その姿を再現し場所を少し移動して建てられました。
(今は吉香神社の絵馬殿になっています) -
吉香公園でみつけた寒緋桜です
ここには、山口県立女子高等学校がありました。
吉香公園は学校が移転した広い跡地に整備されました。 -
花が下向きに咲く「寒緋桜」
桜の中で一番色が濃いとか・・・鮮やかですね。 -
⌒ 旧目加田家のお話し
当時の武士の住まいで、外からは派手にならないよう一階建てのようにみせたり、外の往来の様子が見えないようにするなどいろいろ工夫があったようです。
~訪れた3月は、表玄関にあたるところにお雛様が飾ってありました~
「平成」の元号を決めるメンバーにおられた~「修文」を提案された~ 目加田誠さんは岩国出身です。洞泉寺にあるお墓に「お名前」が刻まれていたので、目加田誠さんは子孫になられるようです。 -
旧目加田家の庭に咲く三椏(ミツマタ)
二代領主広正(ひろまさ)が専売化して和紙を作っていたそうで、その皮からできる上質な和紙には多くの注文がありました。
そして岩国領の大きな財源になり、錦帯橋はこの資金で設計、そして繰り返し架け替えされました。 -
⌒ 吉川家の墓所のお話し
写真は、洞泉寺(とうせんじ)に咲く門前の白梅
その奥の枝垂れ梅「臥龍梅」 (がりょううめ) が白梅に続いてこれから咲きます。
お寺の周囲に「吉川家の立派なお墓」がたくさんならんでいます。
一番高いところ(山のお塔)に、初代領主吉川広家のお墓が代々の皆を見守るように建てられています。また、茶人の上田宗箇から贈られた「みみずくの手水鉢」がその傍らにあります。
~~ここでも、縮景園とつながりのある上田宗箇の名前を聞きました~~親近感^^ -
洞泉寺
昔、寺谷と言われたこの地区にはたくさんのお寺が並んでいました。
今も残っているのは、曹洞宗「洞泉寺」 (とうせんじ)と趣のある臨済宗「永興寺」 (ようこうじ)だけです。
~ここは紅葉谷公園の中にあるので、お地蔵さんも秋には落ち葉掃除が大変そうです~ -
午後から、ロープウエイに乗り岩国城を見学しました。
⌒ 山頂の白いお城のお話し
岩国城は、天守台に穴太(あのう)積みの石垣が残されています。
穴太積みは水分が抜けるよう穴を開けて石を組んだものです。
空いた穴の間には、補強も兼ねて小石を積めています。
「吉川家の家紋」には九つの○があり、天守には家紋の入った瓦が使われています。 -
天守閣からの眺め(右端に錦帯橋)です。
遠く瀬戸内海が見えます、東の方向が「岩国錦帯橋空港」です。 -
錦川の流れがきれいに見えました。
錦川はこの先(写真向かって右側)で大きく「つ」の字に曲がっていきます。
⌒ 十二代領主吉川経幹(つねまさ)のお話し
~39歳で亡くなっていますが、短命の中にも太く時代を生き抜いた物語があります~ -
経幹は幕末に長州藩を守るため活躍しました。
幕府軍による長州出兵を戦いの無いまま終わらせたのは、三人の家老の首を持って広島の国泰寺に出向いた経幹の決死の覚悟がもたらした功績です。経幹の死は、長州藩主・毛利敬親によって2年間隠されていました。(実は37歳で突然亡くなっています)
それは明治元年(1868年)岩国が藩として認められた時、永年の吉川家の願いであった初代岩国藩主となる名誉を吉川経幹に与えたかったからとも言われています。 -
繊細な雰囲気の経幹からは想像できない時代を揺るがすパワーはどこにあったのか?
ガイドさんが熱く語る幕末の物語に引き込まれました。
そして最後に錦帯橋を渡るときのマナーについて
錦帯橋は「飲食は禁止です」
橋にまつわるお話を聞いたら、橋を汚すことになる行動はできません。
~二軒ある人気のソフトクリームはベンチでいただいてから渡ります~ -
バスで錦帯橋から移動して、次に訪れたのは「宇野千代」さんの生家です。
錦川の西の地域「川西」の住宅の中に溶け込むようにありました。
午後4時までの公開で、急いで中を見せていただきました。 -
宇野千代さんのお話し
代表作「おはん」は千代さんの故郷岩国錦帯橋が舞台になっているようです。
当時の映画のポスター(吉永小百合さんと大原麗子さんがダブル主演)が飾られていました~小説は残念ながら読んだことがありませんでしたが、ポスターから宇野千代さんの世界で恋愛物語が展開されている感じがたっぷり伝わりました~ -
勉強会終了、解散した後、そごうで開催されていた「浅田真央展」に寄りました。
会場には、オリンピックで着ていたきらびやかな衣装や写真パネルの展示と、真央さんの首に掛けられたそれぞれの色のメダルが並んでいます。
~そちらは残念ながら撮影がNGでした~ -
これは浅田真央ちゃんの白いメリーポピンズの衣装~エキシビションでポップに滑る真央ちゃん~「五輪マーク」のオリンピックでフィギュアスケートを通して世界の架け橋になりました。
浅田真央さんの世界も鑑賞して、
「錦帯橋~五連のアーチ橋~」も時代をまたぐ大きな架け橋なのかなぁ、、帰り道、疲れた頭をそんな思いがグルグルまわったのです(^^;)
長い「お話し」に目を通してくださって、どうもありがとうございました。
⌒т⌒т⌒т⌒т⌒
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この旅行記へのコメント (2)
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- ふわっくまさん 2019/03/26 08:21:59
- ちょうど来月・・☆
- momoneneさん、おはようございます。
来月に呉,宮島と錦帯橋に、1泊かけて行く予定です(^^)
だいぶ以前に錦帯橋を渡った思い出がありますが、久しぶりという事で興味深く拝見させていただきました。
岩国城・天守閣からの眺め、とてもキレイでしたね♪
そごうでの浅田真央ちゃんも、スゴク可愛かったです。
ふわっくま
- momoneneさん からの返信 2019/03/26 22:23:53
- Re: ちょうど来月・・☆
- ふわっくまさんへ
4月に広島へご旅行を計画されているようで、錦帯橋にも目を止めていたたいた事、とても嬉しいです。
こちらへの旅も、娘さんご夫婦と一緒ですか?
今回は、12月にももと訪れた時には乗れなかったロープウェイで山頂 まで行きました。お城までの道は2パターンあって、山の景色もいいです。ふわっくまさんも、是非、錦帯橋とお城にまつわる景色を楽しんできてくださいね。
真央ちゃん展、そごうでの最終日前で結構賑わっていました。友達と真央ちゃん衣装のクリアファイルを買ったんですよ☆♪
メッセージ寄せていただいてありがとうございます。momoneneより
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