2019/03/12 - 2019/03/12
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montsaintmichelさん
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大阪市立美術館で開催中のフェルメール展に併せて訪問しました。美術館の前庭の様な存在です。
天王寺公園内にある慶沢園は、明治の4大財のひとつの住友家 15代 吉左衛門友純(春翠)が茶臼山本邸内に造営した純日本風の林泉回遊式庭園です。茶人 3代目木津韋斉(いっさい)が基本設計を行ない、南禅寺「無鄰菴」や平安神宮「神苑」、「円山公園」などを作庭した京都の名庭園師「植治(うえじ)」こと7代目小川治兵衛の手により10年の歳月をかけて1918(大正7)年に完成しました。
大名庭園を基礎に造営し、大小3つの中島を浮かべた大池を中心に、その三方に全国から名木や名石を集めて築山を築き、大池の回りの林間に園路や飛石、石橋、小滝を巡らせ、四阿や茶室などを巧みに配しています。
完成から3年後に住友家本邸が神戸の住吉に移転したことにより、1926(昭和元)年に慶沢園を含む茶臼山一帯の広大な土地が大阪市に寄贈されました。
太平洋戦争の戦災で一時荒廃した時期もあったそうですが、再整備がなされ、1958(昭和33)年に一般公開が再開されました。時代の潮流に翻弄された美しい日本庭園ですが、今では市民の憩いの場となっています。
慶沢園などを紹介している大阪市のHPです。
http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu170/tennojizoo/tennoji-garden/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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あべのハルカス
JR天王寺駅前から見上げたハルカスです。
大阪のキタとミナミの2大拠点に続く、第3の拠点として大阪市阿倍野地区のランドマークとして造られた超高層ビルで、2014年3月7日にグランドオープンした地上60階・地下5階建の複合用途タワーです。
2019年3月現在、日本一高いビルであり、日本初のスーパートール(高層ビル・都市居住協議会の基準による300m以上の超高層建築物)でもあります。日本の構造物としては、東京スカイツリー(634m)、東京タワー(333m) に次ぐ3番目の高さです。
外観デザインは、米国人シーザー・ペリ氏(ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ代表)と竹中工務店が協働で行い、ペリ氏が監修を務めました。全面をガラスのスキンで覆ったスケルトン感に溢れたカーテンウォール構造としています。ペリ氏は、台湾の台北101が建設されるまでは世界最高層ビルであったマレーシアのペトロナスツインタワーなど、数々の超高層建築物の設計実績を持ちます。2017年度グッドデザイン賞、また第56回BCS賞を受賞しています。
天気が良い日は我家のベランダからも見られるのですが、改めて近くで見るとそのボリューム感に圧倒されます。 -
JR天王寺駅界隈
びっくりドンキーの裏手には、屋上にチープな大阪城天守閣を載せた謎の建物が見えます。さて何でしょうか?
正解は「醍醐」という名のノーブル・ホテルです。この地域は茶臼山と言い、いわゆるラブホテル街です。
ファミリーで出かけた際、子どもに「あれ何なん?」と聞かれたら返答に窮することでしょう。ですから、横断歩道を渡り終えたら道路沿いに左折し、「てんしば」エリアへ入るのが無難です。 -
てんしば
てんしば(天王寺公園エントランスエリア)は、2015年10月にリニューアルオープンした、広大な芝生広場やフットサルコート、プレイランド、飲食店が並んでいるエリアです。2016年度グッドデザイン賞金賞を受賞しています。グリーンのシートが掛けられている箇所では、芝の養生をしています。
ここから見る「あべのハルカス」は、西面を3段階にセットバックさせたステップ構造にして「天空への階段」のような上昇感に満ちた外観デザインです。また、各ステップの屋上空間には緑地空間を設け、周辺の公園施設と協調して緑のネットワークを形成するほか、建物内部では吹き抜け空間を利用した「光と風の道」を創出することでエネルギー消費量を低減するなどの環境対策が取られています。
名称「ハルカス」は古語「晴るかす」に由来し、「人の心を晴れ晴れとさせる」という意味があります。ビルの上層階から晴れやかな景色を見渡して爽快感を味わえることや、多彩で充実した施設で来訪者に心地よさを感じてもらいたいという思いが込められています。 -
池上四郎 顕彰像
警察部長、第6代大阪市長、第6代朝鮮総督府政務総監を歴任した人物です。因みに、文仁親王妃 紀子殿下(紀子さま)は曾孫に当たります。
会津藩士の家に生まれ育ち、11歳で戊辰戦争を経験し、白虎隊少年隊員として会津若松城に篭城しました。白虎隊本隊への入隊も志願しましたが、年齢的な制約のため叶いませんでした。もし入隊が許されていたら、こうした銅像は立たなかったでしょう。
鶴ヶ城の開城後は再興を許された斗南藩へ一家で移住し、開拓農民として苦渋に満ちた生活を送っています。その後上京し、横浜正金銀行 柳谷卯三郎の書生となり、勉学に励みました。1877年に警視局一等巡査に採用され、その後は各県の警部を歴任し、1900年に大阪府警察部長となり、13年間に亘って治安維持に尽力されました。
その精勤さと冷静な判断力に多くの市民が信頼を寄せ、1913年に嘱望されて大阪市長に就任しました。財政再建を進める一方、都市計画やインフラ、更には大阪港建設などの都市基盤を整備し、大阪を近代都市へ押し上げました。御堂筋の「メインストリート計画」や天王寺動物園の開園、全国初の児童相談所・公共託児所の開設の他、関東大震災の際には、いち早く大阪港から支援物資を東京に送って被災者の救済を行いました。
翻って、もはや賞味期限切れの「大阪都構想」が自分たちの「一丁目一番地」と豪語して憚らない大阪府知事と市長は、歴史に汚名を留めるべき首長だと思われます。しかも、中身の具体的な構想は後回しで、自分たちの名を残すための形だけの「張りぼて」に過ぎないのです。もし本気で府民の僕として都構想をやり遂げたいのなら過労死どころでは済まないはずですが、知事と市長が入れ替わる「たすき掛け」という姑息な選挙を企ててほくそ笑む余裕です。
安倍政権は辺野古移設住民投票の民意はどうあれ埋め立てを止めるつもりがなかったことが明るみにでましたが、都構想も同じ構図でしたので府民にとっては他人事ではないはずです。自分たちを踏み台にされた府民や市民は、何故怒らないのでしょうか?ダブル選挙には怒りをぶつけてもらいたいものです。 -
大阪市天王寺動物園
1915(大正4)年1月1日に開園した、日本で3番目に長い歴史をもつ動物園です。面積約11haの園内には、ここでしか見ることのできないニュージーランドの国鳥「キーウィ」をはじめ約200種1000点の動物が飼育されている都市型総合動物園です。悲しい報告ですが、2019年2月に国内最高齢だったクロサイの「トミー」(雄36歳)が 亡くなりました。クロサイはワシントン条約で絶滅危惧種に指定されています。
2006年7月には総有料入園者数が1億人を超え、国内では恩賜上野動物園に次いで2番目となりました。
現在は、動物の生息地の環境を可能な限り再現し、そこに暮らす動物の様子を紹介する「生態的展示」の計画を進めています。例えば、生息地の現地調査を踏まえた爬虫類生態館「アイファー」や日本初の水中透視展示プールを有するカバ舎、アフリカのサバンナを再現したサイ舎などです。 -
旧黒田藩蔵屋敷長屋門
てんしばから大阪市立美術館への単なる通用門ではなく、数少ない蔵屋敷遺構のひとつに数えられる歴史的建造物です。筑前(福岡県)黒田藩52万石の蔵屋敷の遺構の一部で江戸時代中期の建築物です。
「後藤又兵衛不閉(あかずの)門」とも呼ばれ、大坂夏の陣で豊臣方につき、真田幸村らと共に戦い、討ち死にした黒田藩家臣 後藤又兵衛が帰ってくるのを門を閉めずに待っていたとの言い伝えがあります。これぞ戦国ロマンの醍醐味です! -
旧黒田藩蔵屋敷長屋門
明治時代初頭、「天下の台所」と言われた大阪には、水運の利便性もあり、中之島周辺の堂島川や土佐堀川、江戸堀川に沿ってピーク時には135邸もの藩邸や蔵屋敷がありました。しかし、明治4年の廃藩置県により、蔵屋敷は廃止されて官有になり、程なく民間に払い下げられました。
この長屋門も中之島の渡辺橋南西詰西側から移築されたもので、大阪府の有形文化財に指定されています。1933(昭和8)年の中之島三井ビル建設に際し、往時の所有者だった三井家が大阪市に寄贈したものです。 -
旧黒田藩蔵屋敷長屋門
白壁の重厚な造りや太い梁には、近世大阪の繁栄ぶりと、米をはじめとする自国の諸産物を管理・販売する大名と豪商の富と力を窺い知ることができます。 -
慶沢園(けいたくえん)
庭園の名は、伏見宮貞愛(さだなる)親王から賜ったもので、当初は「照代之恩恵、祖先の余沢」の意に因んで「恵沢」を用いていましたが、完成時に「慶沢」の文字に改められました。
貞愛親王は、初め妙法院を相続した後、孝明天皇の養子となりましたが、伏見宮貞教親王薨去のために還俗し家督を継ぎました。また、皇族として唯一、大正時代初期に4代目内大臣を務め、軍人として最高位の元帥陸軍大将に就任された方です。一般的には「明治天皇すり替え説」の根拠とされる明治天皇の写真で有名な方です。すり替え前の睦仁親王(明治天皇)だとされていた写真は、実は睦仁親王ではなく、伏見宮貞愛親王だったようです。睦仁親王は、写真に写りたがらなかったようです。 -
慶沢園 南門(出入口)
天王寺公園に忽然と現れる鄙びた門構えが旅情をそそります。
大阪市立美術館の南東にあり、他に出口専用の北門があります。「慶沢園」と書かれた扁額が掲げられているものの、由緒ある大庭園の正門にしては、拍子抜けするほど簡素な佇まいです。
門構えだけを見て入園を躊躇される方も多いのでは!? -
慶沢園
プロムナードでは大きな蘇鉄(そてつ)がお出迎えです。3月初旬に「こも巻き」が外されたばかりです。
蘇鉄は桃山時代から異国情緒豊かな庭園樹として大名庭園などで珍重されました。金生木(金のなる木)と言われ、その南国情緒あふれる樹形と合わせて権力の象徴でした。また、上手く処理すれば食用にもなるため、いざという時の備えでもありました。 -
慶沢園
住友家が贅の限りを尽くした日本庭園です。
初めてなのにどこか見覚えのある風景だと思われた方も多いのでは?
実は、NHK朝ドラ『まんぷく』で、お付き合いを始めた萬平さんと福ちゃんが初デートをした場所のロケ地です。このベンチに2人が腰かけていましたね! -
慶沢園
リーフレットからマップをアップしておきます。
現在地は池の下側にある「舟着石」のある州浜です。
ここを起点に反時計回りに回遊します。 -
慶沢園 州浜 舟着石
入口(南門)の先にあるのは白い玉砂利を敷き詰めた州浜です。ダイナミックに州浜を表現しています。
芝生の先には海を模した大池の前景として白石の州浜を配し、その先に平たい舟着石を置き、大海原へ向けてここから舟を漕ぎだす光景を連想させます。 -
慶沢園 切石橋
「く」の字の形をした切石橋です。
この庭園には、名庭のエッセンスが散り嵌められています。平安時代に書かれた日本最古の作庭のバイブル『作庭記』には、名庭の良い点を模倣するようにと書かれています。従って、時代が下がるほど研ぎ澄まされた庭ができるのは必然なのですが、単に良い点をスポット的に模倣するのではなく、大局的に捉えてエッセンスを消化して効果的に活かすことが重要です。これは作庭に限ったことではありませんが…。 -
慶沢園
中島を浮かべた大池を中心に配置し、その周囲の築山に全国から集めた名木や名石を配し、多彩な趣向を凝らしている庭園です。緑豊かなこの場所は、賑やかな天王寺公園の中にあって清閑としており、心が落ち着きます。
手前の石は、表面がスラグ(鉱滓)で覆われたようにガサガサで刺々しい状態になっている「アア溶岩(玄武岩)」です。溶岩から発泡したガスが溶岩流の上面に溜まるためこうした岩肌になります。 -
慶沢園
この庭園を作庭した7代目 小川治兵衛「植治」は、明治時代中期~昭和時代初期にかけて活躍し、小堀遠州以来の近代数寄者の造園スタイルを確立したと称えられる造園家です。夢想国師や小堀遠州と並ぶ庭園史上の「巨星」とされます。
主に京都を中心に活躍し、琵琶湖疏水を引き込んだ山縣有朋の依頼による「無鄰菴」や名勝「平安神宮神苑」、「円山公園」、「大原三千院」、「南禅寺」、東京「西園寺公望邸」、倉敷「大原孫三郎邸」など大規模な庭園を手掛け、後世に多大な足跡を残しました。 -
慶沢園 苔園
住友家15代 吉左衛門友純(春翠)が茶臼山にあった本邸内に造営した日本庭園であり、都島区網島町の藤田邸や中央区今橋の鴻池邸内の庭園と共に「大阪市内の3大名園」と称されています。
現在の慶沢園は約2400坪あり、東側の一部が取り崩されたものの、大池を中心とした中央部は往時のままの姿を留めています。 -
慶沢園 大阪市立美術館
海外からの訪問客もちらほら見受けられます。
1921(大正10)年に住友家は神戸住吉に本邸を移しましたが、春翠は美術館の建設を条件に慶沢園と隣接する旧本邸敷地(現 大阪市立美術館)、茶臼山と共に大阪市へ寄贈しました。
市は、美術館用地の寄贈を受けて直ぐに建設を着手しましたが、折からの世界金融恐慌の煽りを受け、大阪市美術館が完成したのは1936(昭和11)年になりました。
慶沢園の大池の横には大阪市立美術館がどっしりと構え、美術館の前庭のような景観は小川治兵衞も想定外だったことでしょう。 -
慶沢園
一方、住友家の寄贈にまつわる裏話も聞こえてまいります。
天王寺界隈でデモをしていた労働者たちが慶沢園で宴たけなわの住友家当主たちを見て、「金持ちはいい気なもんだなぁ~」と陰口をたたいたのが当主の耳に入るところとなり、そのパッションで寄付したとか???真偽の程は不明ですが…。
実際のところは、市が美術館を建てる土地を探していることを知ったからだと思いますが、いずれにせよ「さすがは大阪の豪商」と唸らせるものがあります。「ノブレス・オブリージュ」の典型ですね!
それとは対照的に近頃の成功者は、我欲で高価な絵画を購入したり、売名行為で宇宙旅行を企画したり…。世のため人のためにできることがあるでしょうに…。爪の垢を煎じて飲んでもらいたいところです。 -
慶沢園
慶沢園の南東方向には超高層タワー「あべのハルカス」が望めます。
こうした近代的高層ビル群は、この純日本風庭園が都心の真ん中に佇むことを実感させるアクセントともなっています。 -
慶沢園 ヒイラギナンテン
鮮やかな黄色で垂れ下がる様に咲く可憐なヒイラギナンテン(柊南天)の花に目が留まりました。ヒイラギに似た葉が美しく、枝がナンテンに似ていることに因む命名のようです。因みに、ヒイラギは楚々とした純白の花を咲かせます。
植治の庭園には遊び心に富んだ石橋や飛石が配されることが多く、慶沢園でも随所で見られます。明るく開放的な空間と躍動する水の動きを足元に感じさせてくれる沢渡りに植治の作風を感じることができます。
庭園ができ上がった時、「大阪随一で、岡山 後楽園などとても及びますまい」などと嘯いたといいます。後楽園とは作庭時期も違えば意匠や規模も異なるため比べるべき対象ではありませんが、作庭技術がほぼ完成したとされる明治時代後期の作庭には人を惹き付けるものがあります。 -
慶沢園 蹲踞
足場に石臼を配した味わい深い蹲踞です。
庭園は、林泉回遊式のコンセプトに沿いながら、景色がフィルム映画をコマ送りで見ているかのように展開します。つまり、数歩進めば景色が切り替わります。
大池の中央には大小3つの中島を浮かべ、大池を囲むように石橋や四阿(あずまや)、燈籠、小滝が配され、まるで名勝「松島」や岡山「後楽園」、金沢「兼六園」などを凝縮した箱庭的な景観を魅せる造形です。石臼や池畔に建つ四阿は、石川丈山の趣向を取り入れた京都「渉成園」の趣を彷彿とさせます。 -
慶沢園 四阿(あずまや)
池に迫り出して建てられているため、池の中に礎石が露になっています。
四阿の周辺には石臼を巧みに配した蹲踞や沢渡り、あるいは切石橋など、植治の真骨頂が散らされています。植治は「水と石の魔術師」とも称され、水の使い方や石の使い方の妙には唸らせるものがあります。 -
慶沢園 四阿
往時はここに西園寺公望が命名した「喚魚亭」という建物があったそうです。現在の四阿は「喚魚亭」を模して建設されたようです。また、北側には「留春亭」もあったそうです。
このように池に迫り出した庭園建築は、東京清澄庭園「涼亭」や白沙村荘「問魚亭」などが知られていますが、とても珍しいものです。こうした構造は煎茶独自の様式とは言えませんが、いずれも煎茶を好んだ人物の庭園に共通している点は見逃せません。 -
慶沢園 四阿
見所のひとつが、四阿から見渡せる四季折々の表情です。休憩ができるように長椅子が並べられ、大池の美しい光景を座ったままで愛でられる趣向です。窓枠は額縁を彷彿とさせ、外の景観は一幅の絵画のようです。 -
慶沢園 四阿
内部の静謐な陰翳から、眼前に広がる開放的な明るさが実感できます。まさしく、明と暗の対比です。春翠は、「喚魚亭」からガラス越しに外の景色を眺めながら、どのような思いを巡らしていたのでしょうか?
因みに、このガラスは微妙に波打っています。現代の凹凸のない無機質なガラスではなく、昭和時代の波ガラスに近い歪みのあるものを嵌めており、外からの日差しが柔らかく入ってくるため居心地の良い空間を提供しています。 -
慶沢園 四阿
大池の中央にある大きな中島には枝ぶりの良い黒松が植栽され、その周囲に点々と浮かぶ岩島が雄大な海の景色を映しています。 -
慶沢園 四阿
大池から見渡せる1936(昭和11)年に建立された大阪市立美術館は、国の登録有形文化財に指定されています。威風堂々たる帝冠建築でありながら、商都大阪らしく町家の土蔵風デザインでまとめられているのが最大の特徴です。
因みに、帝冠様式は、昭和時代初期の日本で流行した鉄筋コンクリート造の現代建築に和風の瓦屋根を載せた和洋折衷の建築様式です。1930年代のナショナリズムの台頭を背景に、モダニズム建築に対抗して日本で考案された建築様式であり、「軍服を着た建物」という異名を持ちます。 -
慶沢園 四阿
中央にある「竜頭石(右)」と松の枝で下部が隠れている「竜尾石(左)」は共に天然石でできており、「竜頭石」は竜が口を開けた姿、水辺にある「竜尾石」は尻尾を表わしています。2つの石の間にこんもりとしたサツキの植込みを配し、それを竜の胴体として表現しています。
5月にはピンクか赤色の竜に化けるのでしょうか? -
慶沢園 四阿
州浜にあった舟着石と対になる舟形石が中央に見られます。 -
慶沢園 四阿
天井はへぎ板を用いて矢羽根模様に編んだ網代です。矢羽根とは、矢の後方に付けられた羽根を指します。弓矢には魔除け、的を射止めるなどの意味があり、矢羽根網代は幸運をもたらす縁起の良い網代とされます。
廻縁には小丸太と白漆喰を用いています。 -
慶沢園 四阿
大工さんの遊び心を認めた「千切り」が打たれた長椅子にも趣があります。「千切り」は日本の伝統的技法であり、リボンのようにも蝶々のようにも見える鼓型の埋木です。古来から「一度離れたものを繋ぎ留める」、「繋ぎ続ける」という意味合いで、割れて離れた部分や離れていた部分にそれ以上の割れや離れを生じさせないための装飾を兼ねた埋木として用いられてきました。「千切り」が「契り」にかけられているのかは定かではありませんが、木と木、人と人の違いを除けば類似のコンセプトと思います。
床には、那智黒石をびっしりと敷き詰めています。
那智黒石は、水成粘板岩が噴出溶岩と接触して多量の炭素を含んだ黒色硅質頁岩を指します。三重県熊野市神川町原産のものは、屈指の銘石のひとつに数えられています。かつては、金の品位を鑑定するため、こすってその条痕を見るための試金石として用いられていました。 -
慶沢園 馬酔木(あせび)
ツツジ科アセビ属の植物で、開花は2~4月。色は白からピンクまであり、釣り鐘型の可憐な花を沢山咲かせますが、葉には毒性があります。葉や茎に含まれる有毒成分よって「足がしびれる」ことが変化して「あせび」と名付けられました。漢字表示は、「馬」が葉を食べると神経が麻痺し「酔」ったような状態になる「木」ということに因みます。
馬酔木は、奈良時代に書かれた『万葉集』の中でも「我が背子に 我が恋ふらくは 奥山の あしびの花の 今盛りなり」と読まれるなど、古くから自生していたと考えられます。 -
慶沢園 馬酔木
花言葉は、「清純な心」「犠牲」「献身」。
あせびの英名は「Japanese Andromeda(ジャパニーズ・アンドロメダ)」です。アンドロメダとは、ギリシア神話に登場するエチオピアの王女です。神々の怒りをかって岩にはりつけられていたところを英雄ペルセウスに救われた人物です。このペルセウスとアンドロメダのエピソードに因み、「犠牲」や「献身」という花言葉が付けられました。
「清純な心」は、清楚な白い花を見れば一目瞭然です。 -
慶沢園 切石橋
NHK朝ドラ『まんぷく』で、萬平さんと福ちゃんが仲良く渡っていた橋です。
切石の中央は、池に置かれた石に載せられているだけです。維持管理するのも大変なことだと思います。 -
慶沢園 中島
美術館側から見る景観を正面としていますが、何処を切り取っても遜色のない景観が愉しめる不思議な空間です。 -
慶沢園
大池の主「アオサギ」です。
獲物を狙っているため、こちらには注意力が散漫になっています。 -
慶沢園
植治の庭園は、ただ眺めるだけの庭ではなく、回遊して「五感」で感じられるように工夫された庭園です。空虚なだだっ広いだけの空間に、ありとあらゆる作庭技法を駆使して息を吹き込み、こうした日本庭園を創造した先人には頭が下がります。
春翠は、何を思いながら、この明媚な眺望を日々愛でていたのでしょうか?
庭園を目の前にしてこのような思いを回らすと、自らも胸躍る心持にさせられます。 -
慶沢園 徽軫(ことじ)燈籠
脚が2本あり、琴の糸を張る琴柱の形をした燈籠です。池に片方の脚を突き出した姿は有名な兼六園の徽軫燈籠を彷彿とさせます。兼六園のものとは、火袋が幅広になっている点が異なります。 -
慶沢園
切石橋を反対側から見た様子です。
両先端は大きな石に嵌め込まれています。
ジグザグにして真っ直ぐに通させない所に遊び心が窺えます。
園内の飛石や石段には、鉄平石が使われている処もあります。鉄平石は、節理に沿って層状に剥がれる特徴を持つ輝石安山岩です。代表的なのは、長野県諏訪、京都府丹波、徳島県阿波、埼玉県武蔵産鉄平石が挙げられます。地理的には丹波産鉄平石でしょうか? -
慶沢園
梅花越しの大阪立美術館 本館の姿です。 -
慶沢園
水辺の広がりを演出する州浜から打たれた飛石は中島にまで延び、そこを渡れる仕掛けです。こうした大名庭園風の大らかさの中に、植治の得意とする「水と触れ合う手法」が惜しみなく織り込まれています。
プロムナードとなる洲浜~飛石~水辺から中島へ、そしてその先にかつては住友家本邸が聳え、アイストップになっていたはずです。この絶妙な導線が観る者の心を揺さぶります。 -
慶沢園
州浜の右手の護岸に「竜頭石」と「竜尾石」がひっそりと隠れています。 -
慶沢園 竜頭石と竜尾石
天然石とは思えないほどの造形です。 -
慶沢園 徽軫燈籠
燈籠の火袋は兼六園のものよりがっしりしていますが、片足を意図的に短くしている点は兼六園の燈籠を意識しているようにも思えます。 -
慶沢園 雪見燈籠
大岩の上に設置された4脚の脚付型石燈籠は、笠が他の部分に比べて大きく薄いので雪見燈籠のようです。
このように竿が変化して複数の脚となったものを「脚付型」燈籠と呼びます。雪見燈籠はこのように水辺に多用されていますが、「浮見」が転じて「雪見」になったとも言われています。 -
慶沢園 舟形石
大海を模した大池に、まさに漕ぎ出さんとする1艘の舟の趣です。
すでに紹介した舟着石と対になり、大池を巡る舟旅に思いを巡らせる趣向になっています。 -
慶沢園
鱗状の表面を持つ石です。
表面が剥がれている部分もあります。 -
慶沢園
竜頭石と竜尾石を反対側から眺めた様子です。 -
慶沢園 小滝
落差3.5m程の小滝です。細い白糸を何条も引く、繊細で美しい滝です。
枯山水の石庭では約束事となる龍門瀑ですが、ここでは実際に滝が配されています。築山から流れ出す水は垂直に立てられた巨大な1枚岩を流れ落ち、渓谷を辿って大池に注ぎます。
鯉魚石の位置や形、構図には金閣寺の龍門縛を彷彿とさせるものがあり、参考にしているのかもしれません。滝の直下には荒々しい石を一見無造作に配して深山幽谷の趣を湛えています。 -
慶沢園
小滝を仰ぎ見る「せせらぎ」には、豪快な沢渡しが打たれています。滝から勢いよく流れ出た水は遣り水となり、やがて沢渡しの近くで緩やかな「せせらぎ」に変わります。
植治の「せせらぎ」については無燐庵が代表例ですが、こうした「せせらぎ」に関しては植治の独壇場と言えるかもしれません。 -
慶沢園
滝を迂回する石段を登ると滝口にでられます。 -
慶沢園 滝口
白糸を何条も引くような特別な仕掛けは見当たらないのですが…。 -
慶沢園
少し高い所から庭園を俯瞰することができます。
手前の築山には菖蒲園が併設されており、四季折々の花が愛でられる趣向になっています。 -
慶沢園
黒松も丁寧に剪定されています。 -
慶沢園
竜頭石をほぼ正面から見た様子です。
海蝕された岩のようですが、よく探したものです。 -
慶沢園 逆さハルカス
このような高層ビルが立ち並ぶ借景は、植治も想定外だったことでしょう。
ましてや「逆さハルカス」をジャスト・フィットで大池に映すとは、想像すらできなかったことでしょう。実は「逆さハルカス」が見られるのは、周りの植樹により風が遮られるここだけなのです。
因みに、この写真は帰路に再入園して撮影したものです。午前中は逆光になり、池面にはハルカスの黒い影しか映りません。 -
慶沢園 灯明石
円く開けられた処に明かりを灯して日暮れの風情を愉しんだのでしょうか? -
慶沢園 大阪市立美術館 本館
白梅に白壁も絵になります。 -
慶沢園
まさに都会のオアシス的存在です。 -
慶沢園 茶室「長生庵」
武者小路千家様式の茶室です。
千利休を祖とする「茶の湯」の家督を継いだ本家の表千家に対し、分家の裏千家と併せ、三千家と言われるのが武者小路千家です。宗家は京都市上京区武者小路通り小川東入にあり、この所在地が武者小路千家の名の由来です。
特徴として「合理的な動き」がよく挙げられます。この流派の茶室は何回も消失、建て直しを繰り返しており、その度に今までの茶室の無駄を排除してきた事から、必要のない所作を極限にまで省いた経緯があります。
作法については、細かい点を重視する表千家と武者小路千家は比較的似ており、外国人向に椅子に座る方式を考案した裏千家とは一線を画します。 -
慶沢園 茶室「長生庵」
この門は、今では利用されることがなく、羊歯に占領されてしまっています。屋根が重すぎて傾いてしまっているのが気がかりです。
15代住友家当主 春翠は公家の徳大寺家出身で、西園寺公望を実兄に持ち、兄の影響で煎茶に接することも多かったようです。しかし、慶沢園が造営された頃は、煎茶よりも抹茶の方に傾倒していたようです。 -
慶沢園 茶室「長生庵」
春翠と植治との繋がりは、東京にある実兄の「西園寺公望邸」の庭園の作庭を植治が担ったことにあるようです。 -
慶沢園 北門
都島にあった旧藤田邸(住友家の分家)の正門を1958(昭和33)年の一般公開の再開に合わせて移築したものです。
時代を経た木組みの重厚感と屋根の軽快な反りが相俟って端正な趣を醸しています。
高塀の上の忍び返しも見所です。
因みに、この門は出口専用です。一旦門を出てしまうと入れてもらえず、南門まで回って再入園する必要があります。 -
慶沢園 北門
蟇股は波を象っています。
「本蟇股」や「刳抜(くりぬき)蟇股」と呼ばれる、中央をくり抜いて装飾性を重視した様式です。平安時代後期に現れた様式です。 -
慶沢園 北門
破風の下の妻飾りが拝懸魚(おがみげぎょ)です。
垂れ下がった「猪の目懸魚」、中央上部の「六葉」、両脇の「鰭(ひれ)」の部材で構成されます。懸魚の語原は、屋根に懸けた「魚」に由来しています。ですから、古い物は魚の形をしています。
建築物を火災から守るため、水に関連する「魚」を模した飾りを屋根に懸けて火伏のまじないをするためのものです。また、機能的には棟木の切り口を隠すための部材としての役割があります。 -
慶沢園 北門
仙果(桃)の飾り瓦です。
桃は葉や花も旺盛に繁ることから、「多産( =子孫繁栄)」や「生命力」の象徴とされ縁起物とされてきました。
また、桃は、魔物を退散するとか、仙人の果物とされて不老長寿の霊力を持つと言われてきました。理想郷のことを「桃源郷」と言うように、昔は梅や桜よりも桃に人気があったようです。
屋根の隅は雨水で腐るのを避けるために板状の蓋が必要になりますが、単なる蓋では味気ないため、こうした飾り瓦が置かれるようになったそうです。 -
慶沢園
荒磯を表現しているかのようなダイナミックで力強い護岸の石組です。 -
慶沢園 州浜
穏やかな佇まいを魅せる州浜周辺です。 -
慶沢園 舟着石
ここが大池を一周した林泉回遊のゴールです。 -
慶沢園 大阪市立美術館 本館(東面)
帝冠様式と言えばいかつい建物をイメージしますが、対極となるモダニズムの要素が随所に散らされており、柔らかい印象になっています。 -
慶沢園 大阪市立美術館 本館 鬼瓦
切妻の頂点には鬼瓦が載せられ、その左右に軒瓦が迫り出しています。
鬼瓦には、波を扇状の形に描く幾何学模様を重ねた「青海波(せいがいは)」と呼ばれる伝統文様が使われています。古代ペルシャからシルクロードを経て伝わったとされる文様で、どこまでも広がる大海原に絶えず繰り返される穏やかな波のように、平穏な暮らしが何時までも続くよう願いを込めた吉祥文様です。
文様の名前は『源氏物語』にも登場する雅楽の舞曲「青海波」に由来するとされ、江戸時代以降はこの曲を舞う際に舞人が身に着ける衣装に青海波の文様が描かれていました。しかし一説には、元禄時代の漆工家「青海勘七(あおみかんしち)」という職人が頻繁にこの模様を描いたことから青海波と呼ばれるようになったとも言われています。 -
慶沢園 大阪市立美術館 本館(東面)
1階には、出窓のようなサンルームらしきものが見られます。 -
慶沢園
後方にある割れ目が顕著な大石は、岡山 後楽園にある大立石を彷彿とさせます。
こうしたことからも、名石の選定については多分に後楽園を意識していたことが窺えます。
赤茶色を呈しているので、赤御影石でしょうか? -
慶沢園 蹲踞
トイレの手前にあるのは、直方体をした蹲踞です。 -
慶沢園
鳥取砂丘でも見かけた、小蛙を背負った親蛙です。
「無事にかえる」ようにと見送ってくれています。 -
慶沢園
騒がしいと思たら、木立にカラスの群れが集まっていました。
狡猾な都会のカラスたちも、こうして一期一会を噛み締めてくれています。
この続きは、早春賦 大阪 天王寺逍遥<後編>大阪市立美術館・通天閣でお届けいたします。
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