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 昨年(2018)は大山街道を歩きました。<br />今年(2019)は同じメンバーで日光街道を歩きます。<br />  日光街道は江戸五街道の一つ、江戸日本橋から日光東照宮迄、21宿140KMの道中です。<br /> 私達もスタートはお江戸日本橋から、途中江戸の風情を探しながら、旧街道を辿ります。<br /> 初日の今日は、午前10時に日本橋を出発、日光街道(奥州街道)を東照宮に向い歩き始めます、終点は北千住。<br /> それでは行程に従いアップします。<br /> 尚今回は以前に写した写真も一部使用しています。<br /><br /> 表紙の写真は、日本橋の上に掲げられた表札額。<br /> 15代将軍徳川慶喜公の揮毫です。<br /><br />

日光街道を歩く 1 (日本橋~千住)

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2019/02/12 - 2019/02/12

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愛吉

愛吉さん

 昨年(2018)は大山街道を歩きました。
今年(2019)は同じメンバーで日光街道を歩きます。
 日光街道は江戸五街道の一つ、江戸日本橋から日光東照宮迄、21宿140KMの道中です。
 私達もスタートはお江戸日本橋から、途中江戸の風情を探しながら、旧街道を辿ります。
 初日の今日は、午前10時に日本橋を出発、日光街道(奥州街道)を東照宮に向い歩き始めます、終点は北千住。
 それでは行程に従いアップします。
 尚今回は以前に写した写真も一部使用しています。

 表紙の写真は、日本橋の上に掲げられた表札額。
 15代将軍徳川慶喜公の揮毫です。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
友人
交通手段
JRローカル
旅行の手配内容
個別手配
  • 出発は江戸時代と同じ日本橋から。

    出発は江戸時代と同じ日本橋から。

  •  現在の日本橋を横から見るとこんな感じ。<br />上を高速道が通り、押し潰されそう。<br />2020年オリンピック後に高速道を地下に移す計画があります。<br /><br /><br />

     現在の日本橋を横から見るとこんな感じ。
    上を高速道が通り、押し潰されそう。
    2020年オリンピック後に高速道を地下に移す計画があります。


  •  日本橋の親柱。 

    日本橋の親柱。 

  •  橋の袂にある日本国道路元標のレプリカ。

     橋の袂にある日本国道路元標のレプリカ。

  •  同上<br />現物は橋の中央にあります。

     同上
    現物は橋の中央にあります。

  •  袂には日本橋魚河岸跡碑

     袂には日本橋魚河岸跡碑

  •  解説板

     解説板

  •  東海道寄りの角には旧白木屋跡、名水白木屋の井戸碑があります。<br />江戸時代には日本橋を代表する名店、浮世絵にも登場します。

     東海道寄りの角には旧白木屋跡、名水白木屋の井戸碑があります。
    江戸時代には日本橋を代表する名店、浮世絵にも登場します。

  • 中山道、日光街道側の袂には三越が店を構えます。

    中山道、日光街道側の袂には三越が店を構えます。

  •  三越の向かいには、江戸から続く山喜の鰹節屋。<br />山喜の鰹節、お使い物には無くてはならないものでした。

     三越の向かいには、江戸から続く山喜の鰹節屋。
    山喜の鰹節、お使い物には無くてはならないものでした。

  •  通りの奥に赤い鳥居が見えます、平成26年10月に蘇った福徳神社です。<br />江戸時代には日本橋界隈の鎮守として栄え、社地も広く、将軍のお成りもあったそうです。<br /> 一時絶えていましたが、この度蘇りました。

     通りの奥に赤い鳥居が見えます、平成26年10月に蘇った福徳神社です。
    江戸時代には日本橋界隈の鎮守として栄え、社地も広く、将軍のお成りもあったそうです。
     一時絶えていましたが、この度蘇りました。

  •  本殿、ビルの谷間になります。

     本殿、ビルの谷間になります。

  •  神社に向って新しい商店街が造られました。

     神社に向って新しい商店街が造られました。

  •  日本橋から五百米程進むと、中山道と日光街道が別れます。<br />右に曲がると日光街道、その曲がり角にあるのが石町時の鐘跡、現在十思公園に移設されています。 

     日本橋から五百米程進むと、中山道と日光街道が別れます。
    右に曲がると日光街道、その曲がり角にあるのが石町時の鐘跡、現在十思公園に移設されています。 

  •  続いて長崎屋跡、オランダ商館長が江戸参府の折宿泊した場所、解説板をお読みください。

     続いて長崎屋跡、オランダ商館長が江戸参府の折宿泊した場所、解説板をお読みください。

  •  通りにはこんな暖簾を出す店もあります。<br />覗くとブラシ屋さんでした、江戸から続くのでしょうか。

     通りにはこんな暖簾を出す店もあります。
    覗くとブラシ屋さんでした、江戸から続くのでしょうか。

  •  伝馬町に入って来ました。<br />江戸時代牢獄と処刑場があった場所です。<br /> 奥に見える白いお寺が跡地に建つ大安楽寺、中央に延命地蔵、手前の茶色の建物が弁天堂になります。

     伝馬町に入って来ました。
    江戸時代牢獄と処刑場があった場所です。
     奥に見える白いお寺が跡地に建つ大安楽寺、中央に延命地蔵、手前の茶色の建物が弁天堂になります。

  •   跡地中央に建つ延命地蔵、片足を組んでいます。 <br />250年の江戸時代を通じ、ここから死出の旅路に旅立った人は2万数千人と云われます。<br />南無阿弥陀仏、合掌。<br /> 

     跡地中央に建つ延命地蔵、片足を組んでいます。 
    250年の江戸時代を通じ、ここから死出の旅路に旅立った人は2万数千人と云われます。
    南無阿弥陀仏、合掌。
     

  •  処刑場跡を示す石碑が建っています。<br />後ろの建物は弁天堂、表のガラス戸を覗くと。

     処刑場跡を示す石碑が建っています。
    後ろの建物は弁天堂、表のガラス戸を覗くと。

  •  八本の腕を持つ弁天様が鎮座します。<br />余りにも亡者が多く、2本の手では足りないのでしょう。

     八本の腕を持つ弁天様が鎮座します。
    余りにも亡者が多く、2本の手では足りないのでしょう。

  •  向かいは十思公園、ここも牢獄跡、今は幼稚園児の遊び場です。<br />石町の時の鐘が移築されています。

     向かいは十思公園、ここも牢獄跡、今は幼稚園児の遊び場です。
    石町の時の鐘が移築されています。

  •  片隅には吉田松陰の顕彰碑。<br />松陰はここで処刑され、小塚原に捨てられました。<br /> 辞世の句が彫られています。<br />身はたとえ、武蔵の野辺に朽ちるとも 留めおかまし大和魂

     片隅には吉田松陰の顕彰碑。
    松陰はここで処刑され、小塚原に捨てられました。
     辞世の句が彫られています。
    身はたとえ、武蔵の野辺に朽ちるとも 留めおかまし大和魂

  •  浅草橋を渡ります。

     浅草橋を渡ります。

  •  浅草見付跡。

     浅草見付跡。

  •  隅田川の畔、蔵前を通過中。<br />幕府の米倉が並んでいた場所です。

     隅田川の畔、蔵前を通過中。
    幕府の米倉が並んでいた場所です。

  •  駒形に到着。<br />丁度12時、江戸名物駒形どじょうを食べましょう。<br />

     駒形に到着。
    丁度12時、江戸名物駒形どじょうを食べましょう。

  •  どじょう鍋。

     どじょう鍋。

  •  駒形橋際に建つ駒形堂、浅草寺発祥の地になります。

    駒形橋際に建つ駒形堂、浅草寺発祥の地になります。

  •  浅草に到着、雷門です。

     浅草に到着、雷門です。

  •  浅草寺境内には入らず、街道に沿って松屋の脇を進みます。

     浅草寺境内には入らず、街道に沿って松屋の脇を進みます。

  •  江戸六地蔵の一つ、日光街道出口を固める東禅寺の地蔵像。<br />日光街道を歩く旅人の一人として道中の無事を祈願しましょう。

     江戸六地蔵の一つ、日光街道出口を固める東禅寺の地蔵像。
    日光街道を歩く旅人の一人として道中の無事を祈願しましょう。

  •  泪橋に到着、江戸時代小塚原に引かれる罪人が、現世と涙の別れをした処。<br />今はドヤ街として名を馳せます。

     泪橋に到着、江戸時代小塚原に引かれる罪人が、現世と涙の別れをした処。
    今はドヤ街として名を馳せます。

  •  案内板です。

     案内板です。

  •  小塚原刑場跡に到着。<br />日光街道はこの刑場脇を通ります。<br />獄門台もありました。<br />草原の一本道、旅人は小走りで通り抜けました。

     小塚原刑場跡に到着。
    日光街道はこの刑場脇を通ります。
    獄門台もありました。
    草原の一本道、旅人は小走りで通り抜けました。

  •  首切り地蔵。<br />この地蔵の前で首を切られた人は、江戸時代を通じ二万数千人を数えます。

     首切り地蔵。
    この地蔵の前で首を切られた人は、江戸時代を通じ二万数千人を数えます。

  •  続いて隣の回向院。

     続いて隣の回向院。

  •  刑場跡地は史跡エリアになって居ます。

     刑場跡地は史跡エリアになって居ます。

  •  安政の大獄で刑死した人達の墓所です。<br />正面は吉田松陰の墓。

     安政の大獄で刑死した人達の墓所です。
    正面は吉田松陰の墓。

  •  吉田松陰墓に合掌。

     吉田松陰墓に合掌。

  •  橋本佐内墓にも合掌。

     橋本佐内墓にも合掌。

  •  刑死した四悪党の墓<br />左から鼠小僧治郎吉、片岡直次郎、高橋お伝、腕の喜三郎。

     刑死した四悪党の墓
    左から鼠小僧治郎吉、片岡直次郎、高橋お伝、腕の喜三郎。

  •  観臓腑分碑<br />1771年(明和8年)3月4日、杉田玄白、前野良沢等が此処で罪人の腑分けを見学、後に解体新書を翻訳しました。

     観臓腑分碑
    1771年(明和8年)3月4日、杉田玄白、前野良沢等が此処で罪人の腑分けを見学、後に解体新書を翻訳しました。

  •  ちょっと寄り道、南千住駅前の芭蕉翁銅像。<br />奥の細道はここ千住から始まります、それを記念しての銅像です。<br /> 従いここから日光迄の道中、芭蕉と曽良が同行します。

     ちょっと寄り道、南千住駅前の芭蕉翁銅像。
    奥の細道はここ千住から始まります、それを記念しての銅像です。
     従いここから日光迄の道中、芭蕉と曽良が同行します。

  •  街道に戻ると街道脇にスサノウ神社があります。<br />795年から続く由緒ある神社。

     街道に戻ると街道脇にスサノウ神社があります。
    795年から続く由緒ある神社。

  •  本殿、立派ですね。

     本殿、立派ですね。

  •  本殿の横、緋傘の元に文政5年建立の芭蕉碑があります。<br />近寄ると奥の細道、千住の一節が彫られていました。<br /> 行く春や鳥啼き魚の目に泪<br />下部には芭蕉翁の像が彫られています。<br />又手前には杖と菅傘、水の流れは大川、掛かる橋は千住大橋に例えたとあります。

     本殿の横、緋傘の元に文政5年建立の芭蕉碑があります。
    近寄ると奥の細道、千住の一節が彫られていました。
     行く春や鳥啼き魚の目に泪
    下部には芭蕉翁の像が彫られています。
    又手前には杖と菅傘、水の流れは大川、掛かる橋は千住大橋に例えたとあります。

  •  又境内には寛文13年(1673)銘記の庚申塔があり文化財に指定されています。

     又境内には寛文13年(1673)銘記の庚申塔があり文化財に指定されています。

  •  千住大橋に到着しました。<br />1594年、家康により隅田川に初めて掛けられた橋、大橋の表札がその歴史を語っています。<br /> 尚現在は足立区と荒川区の区境となります。

     千住大橋に到着しました。
    1594年、家康により隅田川に初めて掛けられた橋、大橋の表札がその歴史を語っています。
     尚現在は足立区と荒川区の区境となります。

  •  こちら側は荒川区、橋の袂にはこの様な小公園が。<br />奥に記念碑が見えます。

     こちら側は荒川区、橋の袂にはこの様な小公園が。
    奥に記念碑が見えます。

  •  記念碑に近寄ると。<br />「おくのほそ道矢立初の碑」とあります。<br /> 芭蕉は深川採茶庵を船で出発、ここ千住で陸に上がり歩き始めます。<br />そしてここにも千住の一節と最初の句、行く春や鳥鳴き魚の目に泪、が彫られていました。<br />

     記念碑に近寄ると。
    「おくのほそ道矢立初の碑」とあります。
     芭蕉は深川採茶庵を船で出発、ここ千住で陸に上がり歩き始めます。
    そしてここにも千住の一節と最初の句、行く春や鳥鳴き魚の目に泪、が彫られていました。

  • 橋下の河原には「千住大橋際御上り場」の標識。<br />江戸時代裕福な方や高貴な方々は、ここまで船で来たようです。<br /> 芭蕉も船で来ました。

    橋下の河原には「千住大橋際御上り場」の標識。
    江戸時代裕福な方や高貴な方々は、ここまで船で来たようです。
     芭蕉も船で来ました。

  •  堤防の壁には、おくのほそ道旅立ちの地と書かれています。

     堤防の壁には、おくのほそ道旅立ちの地と書かれています。

  •  大橋を渡り足立区に入ります。<br /> こちら側にも奥の細道スタート記念碑があり、矢立初めの芭蕉像が立ちます。<br />

     大橋を渡り足立区に入ります。
     こちら側にも奥の細道スタート記念碑があり、矢立初めの芭蕉像が立ちます。

  • 奥の細道ここよりすの石碑もあります。<br /> 芭蕉が隅田川の右岸か左岸かどちら側に上陸したかは、定かでありません。<br /> 足立区の主張<br />奥州に旅立つのだから、奥州側に上陸するのが当然。<br /> 荒川区の主張<br />正式の船着場は江戸側にあった、ここで船を降り橋を渡った。<br /> 貴方はどちらの説をとりますか。

    奥の細道ここよりすの石碑もあります。
     芭蕉が隅田川の右岸か左岸かどちら側に上陸したかは、定かでありません。
     足立区の主張
    奥州に旅立つのだから、奥州側に上陸するのが当然。
     荒川区の主張
    正式の船着場は江戸側にあった、ここで船を降り橋を渡った。
     貴方はどちらの説をとりますか。

  •  北千住の街に入って来ました。<br />日本橋から約8K、日光街道最初の宿場になります。<br />宿場よりも岡場所として栄えました。

     北千住の街に入って来ました。
    日本橋から約8K、日光街道最初の宿場になります。
    宿場よりも岡場所として栄えました。

  •  本陣跡碑。

     本陣跡碑。

  •  本日はここ迄、電車で帰途に付きます・<br /><br />                    終

     本日はここ迄、電車で帰途に付きます・

                        終

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