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■ロマンティック・バレエ<br /><br /> ロマンティック・バレエとは、一体どんなバレエのことを言うのでしょう。ロマンティック・バレエの代表的な作品といえば、「ジゼル」「ラ・シルフィード」等。思い浮かぶのは白いふわっとした長いチュチュを着た妖精たちの姿でしょう。しかし、こう呼ばれるのは何もロマンティックなバレエだからという意味ではありません。ロマン主義時代に作られたバレエのことを、19世紀末にロシアで成立されたクラッシックバレエと区別してこう呼びます。<br /><br /><br />■「ラ・フィユ・マル・ガルデ」<br /><br /> 現存している最古のバレエは「ラ・フィユ・マル・ガルデ」といわれていますが、1789年ボルドーでの初演版は音楽すら不明で、現在上演されている作品のルーツは1828年にオペラ座で再演されたエロルドによるものになります。初演当時「麦と藁のバレエ―善と悪とは紙一重」という名前で発表されたこのバレエは、現在までに数十の音楽と演出ヴァージョンがあり、同じように名前も変わりました。日本では「ラ・フィユ・マル・ガルデ」や「リーズの結婚」と呼ばれることが多いですが、ロシアでは「無益な用心」(Тщетная Предосторожность)という作品名が使われています。現在モスクワではボリショイ劇場のアシュトン版とダンチェンコ音楽劇場で上演されているヴィノグラードフ版を観ることができます。どちらもエロルド版が元になっている同じ作品なのですが、音楽の使い方、編曲と演出の違いなどで全く違った印象を受けるでしょう。<br /><br /><br />■「ラ・シルフィード」とマリー・タリオーニ<br /><br /> 次のロマンティック・バレエの代表作といえば「ラ・シルフィード」(ロシアでは単に「シルフィード」)です。スコットランドを舞台に描かれたこの作品の主演は1832年で、初演は伝説のバレリーナ、マリー・タリオーニ。父親フィリッポ・タリオーニが彼女のために振りつけた作品です。現在ボリショイ劇場で上演されている版は初演の4年後にデンマーク・ロイヤル・バレエでブルノンヴィルによって振り付けられたものがもとになっています。<br /><br /> さて、この「シルフィード」を初演し、オペラ座で活躍したマリー・タリオーニは、はじめてポワント(トゥ)で踊った事でも有名です。もともとポワント技法は1810年代にバレリーナをワイヤーで吊るした事をヒントに生まれたと考えられています。マリー・タリオーニ以前はポワントで踊ることは一般的ではなく、一部のダンサーが離れ業、自分の得意技として用いる珍しい芸当であって芸術と呼ぶようなものではありませんでした。父フィリッポは、そのポワントの可能性・将来性に着目し、ポワントをバレエ技術全体のなかに組み込んで新しい様式を作り上げ、それをマリーが体現したのです。<br /><br /> フィリッポはマリーを文字通り特訓しました。ドゥミ・ポワント(爪先立ち)でバランスをとったまま100まで数えたり、跳躍の稽古では疲れきってマリーが気絶しても、意識が戻ると稽古は続けられるといったものであったようです。その特訓の結果、彼女の踊りは優雅で軽やかで、乱暴な努力は全く見られませんでした。彼女はそれまでバレエの優美なスタイルを犠牲にして技巧に走る傾向を一新し、彼女の踊りのスタイルは新しい規範となりました。彼女が出現して以降、女性ダンサーたちはポワント技法を含め彼女のスタイルをこぞって模倣するようになりました。<br /><br /> マリー・タリオーニは1827年にオペラ座でデビューし、10年間そのトップで踊りつづけますが、その後37年にオペラ座を去ってロシアへ向かう事になります。マリーがオペラ座にはいった2年後に、彼女の最大のライバル、ファニー・エルスラーがデビューします。タリオーニとエルスラーは全く正反対の雰囲気を持つダンサーで、冷たく白い世界の住人というイメージを持つタリオーニと熱く色とりどりの世界の住人であるエルスラーは人気を2分しました。タリオーニはまさに空気に浮かんでいるようにふわふわと踊ったのに対し、エルスラーはこまやかな動きを早く正確にこなしました。エルスラーの出現によって、ロマンティック・バレエの幅は広がります。<br /><br /><br />■「ジゼル」<br /><br /> さて、次にロマンティック・バレエの最大の代表作「ジゼル」にまつわるエピソードを少し紹介しましょう。「ジゼル」は1841年オペラ座にて初演されました。「ジゼル」の作者、ゴーチエはフランス・ロマン派を代表する詩人・作家です。ゴーチェは友人である詩人ハイネの著書「ドイツ論」の中に出て来る様々な妖精について書かれた個所から「ヴィリ」を使ったバレエのインスピレーションを受けたといわれています。初演はゴーチエが生涯愛した女性カルロッタ・グリジとリュシアン・プティパ(のちにロシアでクラッシック・バレエを確立するマリウス・プティパの兄にあたります)でした。<br /><br /> バレエの演出上、一見シルフィードとヴィリは似ているように思いがちですが、じつは全く別のものです。シルフィードが人間に少しいたずらをするくらいの妖精であるのに対し、ヴィリはスラヴの伝説上、結婚式を前に死んだ花嫁たちの亡霊の集まりで、人間を取り殺す怖い存在です。本来、羽もなく、地中から現れて踊る存在であったヴィリに、羽がつき空中を飛びまわるようになったのは「ラ・シルフィード」の影響だといわれています。<br /> こうして、フランスで生まれた「ジゼル」は9年後にオペラ座のレパートリーから外された後、ロシアの地で踊り継がれていくことになります。

ボリショイ劇場へ行こう

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2003/01/10 - 2003/01/10

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JIC旅行センター

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■ロマンティック・バレエ

 ロマンティック・バレエとは、一体どんなバレエのことを言うのでしょう。ロマンティック・バレエの代表的な作品といえば、「ジゼル」「ラ・シルフィード」等。思い浮かぶのは白いふわっとした長いチュチュを着た妖精たちの姿でしょう。しかし、こう呼ばれるのは何もロマンティックなバレエだからという意味ではありません。ロマン主義時代に作られたバレエのことを、19世紀末にロシアで成立されたクラッシックバレエと区別してこう呼びます。


■「ラ・フィユ・マル・ガルデ」

 現存している最古のバレエは「ラ・フィユ・マル・ガルデ」といわれていますが、1789年ボルドーでの初演版は音楽すら不明で、現在上演されている作品のルーツは1828年にオペラ座で再演されたエロルドによるものになります。初演当時「麦と藁のバレエ―善と悪とは紙一重」という名前で発表されたこのバレエは、現在までに数十の音楽と演出ヴァージョンがあり、同じように名前も変わりました。日本では「ラ・フィユ・マル・ガルデ」や「リーズの結婚」と呼ばれることが多いですが、ロシアでは「無益な用心」(Тщетная Предосторожность)という作品名が使われています。現在モスクワではボリショイ劇場のアシュトン版とダンチェンコ音楽劇場で上演されているヴィノグラードフ版を観ることができます。どちらもエロルド版が元になっている同じ作品なのですが、音楽の使い方、編曲と演出の違いなどで全く違った印象を受けるでしょう。


■「ラ・シルフィード」とマリー・タリオーニ

 次のロマンティック・バレエの代表作といえば「ラ・シルフィード」(ロシアでは単に「シルフィード」)です。スコットランドを舞台に描かれたこの作品の主演は1832年で、初演は伝説のバレリーナ、マリー・タリオーニ。父親フィリッポ・タリオーニが彼女のために振りつけた作品です。現在ボリショイ劇場で上演されている版は初演の4年後にデンマーク・ロイヤル・バレエでブルノンヴィルによって振り付けられたものがもとになっています。

 さて、この「シルフィード」を初演し、オペラ座で活躍したマリー・タリオーニは、はじめてポワント(トゥ)で踊った事でも有名です。もともとポワント技法は1810年代にバレリーナをワイヤーで吊るした事をヒントに生まれたと考えられています。マリー・タリオーニ以前はポワントで踊ることは一般的ではなく、一部のダンサーが離れ業、自分の得意技として用いる珍しい芸当であって芸術と呼ぶようなものではありませんでした。父フィリッポは、そのポワントの可能性・将来性に着目し、ポワントをバレエ技術全体のなかに組み込んで新しい様式を作り上げ、それをマリーが体現したのです。

 フィリッポはマリーを文字通り特訓しました。ドゥミ・ポワント(爪先立ち)でバランスをとったまま100まで数えたり、跳躍の稽古では疲れきってマリーが気絶しても、意識が戻ると稽古は続けられるといったものであったようです。その特訓の結果、彼女の踊りは優雅で軽やかで、乱暴な努力は全く見られませんでした。彼女はそれまでバレエの優美なスタイルを犠牲にして技巧に走る傾向を一新し、彼女の踊りのスタイルは新しい規範となりました。彼女が出現して以降、女性ダンサーたちはポワント技法を含め彼女のスタイルをこぞって模倣するようになりました。

 マリー・タリオーニは1827年にオペラ座でデビューし、10年間そのトップで踊りつづけますが、その後37年にオペラ座を去ってロシアへ向かう事になります。マリーがオペラ座にはいった2年後に、彼女の最大のライバル、ファニー・エルスラーがデビューします。タリオーニとエルスラーは全く正反対の雰囲気を持つダンサーで、冷たく白い世界の住人というイメージを持つタリオーニと熱く色とりどりの世界の住人であるエルスラーは人気を2分しました。タリオーニはまさに空気に浮かんでいるようにふわふわと踊ったのに対し、エルスラーはこまやかな動きを早く正確にこなしました。エルスラーの出現によって、ロマンティック・バレエの幅は広がります。


■「ジゼル」

 さて、次にロマンティック・バレエの最大の代表作「ジゼル」にまつわるエピソードを少し紹介しましょう。「ジゼル」は1841年オペラ座にて初演されました。「ジゼル」の作者、ゴーチエはフランス・ロマン派を代表する詩人・作家です。ゴーチェは友人である詩人ハイネの著書「ドイツ論」の中に出て来る様々な妖精について書かれた個所から「ヴィリ」を使ったバレエのインスピレーションを受けたといわれています。初演はゴーチエが生涯愛した女性カルロッタ・グリジとリュシアン・プティパ(のちにロシアでクラッシック・バレエを確立するマリウス・プティパの兄にあたります)でした。

 バレエの演出上、一見シルフィードとヴィリは似ているように思いがちですが、じつは全く別のものです。シルフィードが人間に少しいたずらをするくらいの妖精であるのに対し、ヴィリはスラヴの伝説上、結婚式を前に死んだ花嫁たちの亡霊の集まりで、人間を取り殺す怖い存在です。本来、羽もなく、地中から現れて踊る存在であったヴィリに、羽がつき空中を飛びまわるようになったのは「ラ・シルフィード」の影響だといわれています。
 こうして、フランスで生まれた「ジゼル」は9年後にオペラ座のレパートリーから外された後、ロシアの地で踊り継がれていくことになります。

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