2018/03/18 - 2018/03/18
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三峯霧美さん
時間の空いた週末の午後、思い立って車に飛び乗り、府中周辺の式内社を廻りました。
いつでも行けると思う場所は、意外と足が向かないもので、やっと重い腰を上げたといったところ。
府中という地名は武蔵国の国府があったことに由来します。
国府の近くには総社(六所神社)が設けられ、武蔵国の総社は大國魂神社です。
近くにある式内社の小野神社と東日本最古の天満宮という谷保天満宮を回って、御朱印を頂いて来ました。
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15:13 大國魂神社
大鳥居と社号標が通りに面してあります。
奈良時代から平安時代中期に武蔵野国の国府がこの地にあり、大國魂神社は六所宮(六所神社)でした。
鳥居の脇にある駐車場に車を止めました。大國魂神社 寺・神社・教会
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鳥居の後ろを振り返ると、ケヤキ並木の参道が続いています。全長600m。
馬場大門のケヤキ並木と呼ばれ、天然記念物なんだそうです。
平安時代から植樹が始まったという古いもので、昔は北端に一の鳥居、南端に二の鳥居が立っていたそうです。
並木道の途中に府中駅があり、両側に商業施設が並んでいます。 -
鳥居をくぐってすぐ右側に「稲荷神社」
このあたりの旧町内、神戸(ごうど)のお稲荷さん。 -
真っすぐで広い参道です。
大國魂神社は景行天皇41年(111年)5月5日に大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)がこの地に降臨したのが起源と伝わります。
その後、武蔵国造に天穂日命の後裔(出雲)が任ぜられ、お社の奉仕を行います。
大國魂大神は大国主命と同じ神様というのも、その頃に決められたのではないかと、勝手な想像をしてみる。 -
参道右手に、ふるさと府中歴史館。
国府の資料展示と資料庫、公文書の展示があるそうです。時間が無いので、外観見るだけ。 -
参道左側に 宮乃め神社(みやのめじんじゃ)
祭神 天鈿女命(あめのうづめのみこと)
芸能と安産の神様。 -
源頼朝の妻、北条政子の安産を祈願した神社です。
南関東は政子の安産を祈願した神社というがあちこちにあります。
頼朝や正子が参拝したわけじゃなく、代理人が祈願に訪れていたようです。
お社の両側に、びっしりと木の柄杓が奉納されています。 -
底に穴の開いたひしゃく。
穴から水が抜けるように、お産が軽くなるようにと奉納し、お産の後に、安産であったことに感謝して奉納するそうです。 -
隣には相撲奉納するための土俵。
1590年8月1日に徳川家康が江戸入城したのをを記念して、毎年8月1日に奉納相撲が行われます。 -
随神門 2011年に鎮座1900年事業として改築された新しい門。
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随神門の手前に手水舎
こちらは明治30年に造られたもの。 -
手水の水盤は随神門の改築を手掛けた会社が奉納しました。
江戸時代の水盤と旧髄随神門は 国府八幡宮に移築されているそうです。
一度見に行ってみたい。 -
忠魂碑 第二次大戦に出征し亡くなられた方を偲んだ石碑です。
そばに軍艦多摩の戦没者を祀った慰霊碑があります。
艦内神社が大國魂神社だったらしく、2014年に造られました。
レイテ沖海戦で沈没、乗員全員未帰還。
神社では乗組員の遺族探しをしているそうです。戦争は本当に嫌ですね。 -
随神門の近くに来ると木の色が明るいので、近年の作であることが、よく分かります。
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扉の金具がとても綺麗。誰がデザインしたんだろう。
大國魂神社の神紋は十六八重菊 ピカピカです。 -
枝垂桜がぽつぽつと咲き始めています。ソメイヨシノより早く咲く桜みたい。
大國魂神社は式内社の「大麻止乃豆乃天神社 」の論社ですが、さて、どうなんでしょう。江戸時代の名所図会で比定されてるそうですが。
個人的に武蔵御嶽神社なんじゃないかな~と、これも勝手な想像。 -
中雀門 ちゅうじゃくもん
明治百年の記念事業で1969年に建替えられました。
明治百年って1968年のことで、当時、私の明治生まれの祖父母が4人とも健在でした。あれから50年経ってしまって、その時の祖父母の年に近づこうとしている自分。あ~あ、昭和は遠くなかりけりか・・・。 -
拝殿 1885年(明治18年)改築。1978年に改修。
主祭神は大國魂大神、
本殿は三殿が並んでいて、武蔵国の一宮から六宮の神様が祀られています。
中殿に、主祭神と御霊大神、国内諸神
東殿に、武蔵一宮「小野大神」、二宮「小河大神」、三宮「氷川大神」
西殿に、四宮「秩父大神」、五宮「金佐奈大神」、六宮「杉山大神」 -
手前が拝殿、中で幣殿と分れているんだそうです。
大國魂神社が創建された当時の一宮は小野神社で、大宮氷川神社は三宮、金鑚神社は五宮だったという事なのでしょう。
その後、一宮は氷川神社に変わります。神社の力関係も変わってきたんでしょう。 -
隙間から本殿が見えます。1667年に造られ、都の文化財に指定されています。
5月のくらやみ祭の一番の見どころは、神輿8基の御旅所へ渡御。
その他、山車や大太鼓、流鏑馬に競馬(こまくらべ)、子供神輿に万灯の披露など、イベント満載の大きなお祭りです。 -
なんでも以前は、本殿が南向きだったのを源義家が北向きにしたんだとか。
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本殿の脇に水神社
祭神 水波能売命 むずはのめのみこと
瀧神社から合祀
加茂別雷命 かもわきいかずちのみこと
玉依姫命 たまよりひめのみこと
加茂別建角身命 かもわきたけぬみのみこと -
水神社の創建時期は不明
1983年に府中の清水が丘にある末社の「瀧神社」から御霊分けして現在の場所に移設され、その時に井戸を掘り、くみ上げた水は、お水取りができます。 -
松尾神社
祭神 大山咋命
1800年に醸造家(造り酒屋ですね)の願いで京都の松尾大社から勧請されたそうです。
1956年に東京都の酒造組合によって覆屋が奉納されたそうです。 -
そうそう、松尾大社はお酒の神さまでしたね。
敷地内には東京の酒造メーカーからお酒と、近くにあるサントリーの工場からビールが奉納されてます。
ユーミンの中央フリーウェイに出てくるあのビール工場。都内で唯一のビール工場なんですね。 -
巽神社
祭神 市杵嶋姫命 (弁財天)
創建は不明、享保のころに再興したと伝わるそうです。
本殿から辰巳の方角に遍座したので「巽神社」というそうで。 -
元は市場の守護神として弁財天を祀っていたそうで。弁天様は楽器をもっていることからか、花柳界の信仰が篤いそうです。
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大イチョウ
幹の周りが9.1m 東京都では2番目の大きさの銀杏で、日本銀杏見立て番付(そんなもんがあるんだ)で33番目に大きいんだそうです。銘板に記されておりました。 -
神馬舎 鍵がかかってます。中を覗いてみると・・
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あら、びっくり!わたしがいるのよ~ってカメラ目線・・・なぜか女言葉。
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東照宮
祭神 徳川家康
この近くの高台に家康が造った御殿があり、鷹狩や鮎漁をしたときに泊まっていたんだそうです。
家康は神社はに社領500石の寄進をし、社殿などの造営を行いました。
神社にとってはありがたい存在だったのですね。 -
家康が亡くなり、久能山から日光に霊輿(遺骸)を運ぶ際に、国府の斎場に逗留します。
大國魂神社の宮司が祭祀を務めました。
それを後世に伝えるために造営されたんだそうです。 -
住吉神社・大鷲神社
住吉神社 祭神 表筒男命 中筒男命 底筒男命
江戸時代、近隣の油商たちが世話人になり大阪の住吉神社から勧請
大鷲神社
堺の大鳥神社の分霊で、府中新宿町にあったものを明治に入って住吉神社に合祀 -
御朱印は社務所で頂きます。
引き戸の内側で、待っている間もあたたかい。 -
頂いた御朱印、シンプルです。
時刻は4時、まだもう一社間に合いそうです。
無人の府中の小野神社の参拝は後回しにして、先に谷保天満宮に向かいます。 -
16:08 大國魂神社の前の道を西に4㎞ほど直進すると、谷保天満宮の鳥居の前に到着。
鳥居の脇に広い駐車場があります。谷保天満宮 寺・神社・教会
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参道を進むと、次の鳥居が見えてきました。
ここは多摩川の河岸段丘の境です。 -
二の鳥居をくぐると手水舎、そこから参道は石段を下りて行くという、変わった造り。
というのも、以前の甲州街道は、この河岸段丘の下を通っていたそうです。
多摩川の流れが変わることで、街道も位置を変えたようです。 -
境内はきれいな鶏が放し飼いされて、あちこちお散歩しています。
東日本最古の天満宮、式内社(武蔵国多磨郡、穴沢天神社論社)
菅原道真が太宰府に左遷された折、第三子の道武はこの地に配流され、父の道真が亡くなり、父の像を刻み祀ったことが創建と伝わります。
ただ、道武の記録はどこにもなく、父の配流を恥じて偽名だったともいわれます。 -
石段を下ると参道は右に曲がって本殿に向かいます。
道武が亡くなると、相殿に父と共に祀られます。
946年~967年、村上天皇の勅により官社に列します。 -
亀戸天神、湯島天神と合わせて、関東三大天神。
1181年に社殿を府中インター付近から現在地に移動しました。
元の地名は「やぼ」と言います。南武線の駅名が「やほ」となったので、地名も「やほ」になりました。
なので「やぼてんまんぐう」が正式名称です。 -
天満宮なんで、お約束の牛。
江戸時代、神無月に目白で出張開帳をして、大田南畝に「神ならば出雲の国にいくべきに目白で開帳やぼのてんじん」と野暮と谷保をかけた狂歌を読まれ、野暮天の語源となったという、不名誉な伝説もございます。 -
拝殿
交通安全祈願も有名で、1908年(明治41年)8月、有栖川宮威仁親王が「遠乗会」というドライブツアーを行い、谷保天満宮が折り返し地点でした。
参加台数は11台。
宮様一行は昇殿参拝して、梅林で昼食会の後、無事に戻られたそうです。
神社では交通安全絵馬とお守りの授与がおこなわれています。 -
御本殿
威仁親王はドライブツアーの4カ月前に 王子の栽仁王を虫垂炎で亡くされており、有栖川宮家は断絶が決定的になりました。
ドライブツアーは何か楽しいことをと周囲の方の配慮があったのかもしれませんね。 -
御本殿の奥に、境内社。
厳島神社、石上地区にあったものを明治時代に遷座。 -
池は常盤の清水という東京名湧水57選の一つです。
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梅林、350本の梅があります。梅は種類によって開花時期が違うので、1月中旬から3月まで楽しめます。
売店もあり、お天気が良ければ梅見が楽しめます。 -
2月下旬には梅まつりも行われます。
もうすぐ桜が咲く季節、梅は名残りの花が咲いています。 -
御朱印を頂きました。
梅の印がとてもかわいい。
さて、この谷保天満宮では、府中の小野神社の御朱印も頂きました。
小野神社は式内社の論社のひとつ、しかし、現在は無人の神社。
ナビをセットして小野神社に向かいます。 -
谷保から府中に戻って、中央高速の下をくぐったり、路地を曲がろうとすると狭くて通れなかったりしつつ・・・。府中の小野神社に向かいます。
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16:45 小野神社(府中)式内社の論社
昔、この辺りは「小野宮」と呼ばれていたそうです。
今は境内の半分が児童公園。
多摩川の対岸の多摩市にも同名の小野神社があります。そちらは武蔵国一宮。小野神社 寺・神社・教会
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延喜式内 郷社小野神社と書かれた石碑。大正時代建立。
どうも、多摩川の河岸段丘の下にあることから、川が氾濫して流れを変えて、対岸に遷座したと考えられます。
こちらが元宮で、あっちに遷座したとか、二つに分かれただけだとか・・・。 -
手水鉢も手水舎も、狛犬も近年造営された雰囲気。
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祭神 天下春命 瀬織津比売命
創建は不明、772年には小野神社の記述の史料があるので、それ以前と思われます。 -
大正時代に火災で焼失し、現在の社殿はその後再建されたものです。
対岸の小野神社は一宮となりますが、衰退して一宮が氷川神社に変わり、こちらの小野神社は総社大國魂神社ができて、信仰の対象が移り衰退します。
いずれにしても、多摩川の氾濫が影響しているのは否めません。 -
小野宮廟碑 1795年に建てられたもので、安寧天皇の時代に武蔵国造の兄武日命が創建したと書いてあるそうです。
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本殿の奥にお稲荷さん。江戸名所図解にも描かれたお稲荷さんです。
今は多摩川の氾濫は起こらなくなり、すぐそばを中央自動車道が通り、周囲は住宅街に変わりました。
縁も所縁もない人間が、こうしてカーナビを頼りに参拝に訪れる時代です。 -
対岸の小野神社と、どちらにしても、地域開拓の神様と、川を鎮める神様を祀った神社。
まあ、祖先からずっと武蔵国に住んでいたので、それが縁かもしれません。
よく来たねと歓迎してくれたでしょうか。 -
御朱印は谷保天満宮で頂きました。
府中小野宮 式内社と書いてあります。
時刻は17時、そろそろ家に帰りましょう。隙間時間を使った神社巡り、遠くに行くばかりじゃなく、近隣の寺社もしっかりお参りしないとな~と思うのでした。
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