2018/11/21 - 2018/11/26
6位(同エリア154件中)
gyachung kangさん
- gyachung kangさんTOP
- 旅行記53冊
- クチコミ58件
- Q&A回答20件
- 71,516アクセス
- フォロワー51人
4年前の夏に初めて訪れた中国雲南省。納西族が闊歩する麗江に入りシャングリラ、さらには梅里雪山を拝むために最北の徳欽まで足を伸ばした。長江の源流にあたる金沙江が流れるエリアは想像を超えて素晴らしかった。雲南の三江併流地区、世界遺産の看板はダテではなく私の中では今でも最上位クラスの世界遺産である。
で、北があれば南もあるよね。
西双版納。
雲南省ファンの私が前から一度行ってみたかったところである。
響きがイイんですよ、シーサンパンナ!ね、行ってみたくなるじゃないか。
ってことで2018年締め括り旅、雲南の南の果てにひとっ飛びしてきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 四川航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2018年の秋旅は11月21日出発。勤労感謝の日を利用しての例年より少し遅めの晩秋の時期になった。
普段通り仕事をしてから早めに切り上げ成田T1へ。初めて利用する四川航空は20時30分定刻離陸し現地時間真夜中の1時半に成都双流国際空港に着いた。
一旦荷物はピックアップ、国内線に移動し4時間の乗り継ぎ時間を堪える。
夜明け前5時40分に乗り継ぎ便に搭乗し8時過ぎ景洪空港に降りたった。
この時間なのにまだ薄暗い雲南省の最南端。北京ははるか東だ。今さらながら中国は広いっすなあ。 -
空港の外に出ると首尾よくタクシーが待ち構えていた。景洪市中心部まで15分ほど。30元。私が目的の住所を伝えるとドライバーはここで私を降ろした。
大通りに面した入り口に見張り台がついた楼閣のような建物があり茶城と書かれたその下には象のモチーフ。
これってこれまで見てきたコテコテの中華圏文化圏の匂いとはちょっとばかし雰囲気が違ってる。 -
あたりをウロウロ歩き回ってようやく発見した。ここが今回の旅の宿、ビーンズホームステイである。豆豆の表記がなければ間違いなく見過ごしてしまう隠れ家立地だった。
-
雑居ビルの3階にあるこの宿。
完全に家族経営のゲストハウスでチェックイン時には若い女性が対応。たどたどしい英語でちょっと頼り無さげだがアーリーチェックインOKを確認してまずは一安心。 -
部屋の外にはこの専用テラススペースが付いている。
地上から伸びる樹木の枝とテラスの中に茂る緑が絶妙な自然のカーテンとなりいい具合のプライベート空間だ。これは3階とは思えない。こんなの日本のホテルじゃまずお目にかかれないのでは。 -
真夜中の成都乗り継ぎで少し眠い。
部屋で2時間睡眠した後、ゲストハウスのすぐ下に発見した店でランチに。写真が出ていた麻婆豆腐が美味そうに見えて迷わずオーダー。麻辣必至と思ったら意外にもマイルドで拍子抜けした。でもやっぱり美味かった。 -
お腹を満たして景洪の街に出る。
宿から南の方向へぶらぶら歩き。小さなお寺がありここで早速の安全祈願。境内に描かれた仏陀の説話画はご覧のとおりのアジアンタッチだ。 -
道をまっすぐ南下すると大きな公園に突き当たった。名前は曼聴公園。公園を入るとすぐ、かつてここを訪れた建国時の重鎮である周恩来元総理の銅像が待ち構えている。
-
敷地内には仏教寺院があった。で中に入るとキンキラキン、これってタイのバンコクあたりで見るような様式だ。
-
広い園内には仏塔も建っている。景洪よりさらに南の傣族の村にある曼飛龍仏塔に倣って建てられた仏塔とのこと。
-
博物館があり入ってみた。周恩来がやってきた時の記録が残されている。彼の周りに描かれているのは漢民族ではなくて西双版納の少数民族なのが重要なポイント。中国共産党政府が超多民族国家を統治することにいかに腐心したかという歴史の証しだと思う。
-
展示物の中で目を見張ったのがこの絵。
真ん中に孔雀、そして水と傣族の女性を描いたこの絵はまさに西双版納を象徴するデザインである。コレは是非とも原画が見たかった。どこにあるんだろうねえ? -
散策道の真ん中に池があって屋根のある橋から眺めるとこんな感じ。公園の向こうには高層のマンション群が見えている。これが今の中国、開発の波は国中の隅々まで及んでいるのかもしれない。
-
街歩きから帰ってくる途中で屋根がガラス張りの開放感のあるレストランを発見、ここでちと早めの夕食に。
-
豚肉に数種類の野菜、鷹の爪が容赦なく入った中国王道の一皿。これって北京で食べても上海で食べても景洪で食べても味的には外しようがない。日本のお米よりややポソッとした中国の米飯とは実に相性がイイんだよね。
-
夕食後にもうひと歩き。
市街中心部から東側へ歩いて行くと。このどデカイ立派な橋が現れた。
こ、ここは?? -
橋の下に流れているこの川は
瀾滄江 らんそうこう
にゃんと、あのメコン川!
実は私がこの景洪の街を訪れたかった目的のひとつがこれ。インドシナ半島随一の大河メコンの上流を一目見たい。
以前ラオスのチャンパーサックで見たメコン川の勇姿がずっと脳裏に焼きついていた。全てのものを飲み込んで音もなく流れる土色の大河を見て以来、私はメコンに惚れた。あれほど川の流れに釘付けになったことは後にも先にもない。
そのメコンの上流が、まさかこんなことになっているとは!! -
瀾滄江の川沿いに競うように建つコンドミニアム風のビル群。
いっやあ驚いたなあ。まさかの夜景だ。 -
橋から戻ると瀾滄江の右岸には夜市が立つ一帯があった。
-
選ぶのに迷うくらい種類豊富なフレッシュジュースの屋台
-
なんだかようわからん推定スイーツ。下から加熱してこんがりキツネ色に焼き上がってるんだけど見送った。今見るとちょっと後悔。
-
神鳥測姓
だそうで。これは面白そうなんだけど占いの結果が出ても理解不能であること間違いなしだなあ、たぶん笑 -
で商材の王様、お茶。
雲南省は実は中国屈指の茶処なんで。
お茶と言えば福建省がまず浮かぶし、有名な龍井茶の生産地は杭州である。でも古来からの交易ルートである茶馬古道があるくらい雲南と言えばお茶、お茶と言えば雲南だ。雲南を代表するお茶はプーアール茶だろうか。パッケージや商品名も多種多様で百花繚乱ならぬ百茶繚乱、中国、いや世界に轟く大市場である。 -
この夜市、瀾滄江を見下ろす土手の上に延々と1キロくらい続く大夜市であった。メコンから吹き上げる温かい夜風にあたりながら中華とアジアがミックスする夜市見物。このゆるさがなんとも楽しい。
-
翌朝。
豆豆宿の真下にある早朝営業のお店で朝食。何を食べるかは迷う必要がない。もちろん米线、フライドエッグを乗せて12元。ところで米线が出てくるまでにおばちゃんの勧めに乗って豆漿、豆腐の精製過程で取れる豆乳のような出汁を飲んでみた。私は初体験、豆乳よりも甘い旨みがあって朝一番に合う。もちろんこれは免費で。 -
朝食を済ませて市街の北にあるバスターミナルを探す。このあたりは景洪の中心エリア。街路樹はパームツリーでこの南国情緒、よく知る中国のイメージとはずいぶんと掛け離れてるよなあ。
-
ほぅ
ここはやっぱりザ・中国か。中華人民共和国伝統の高齢者路上朝活はここでも健在のようだ。この隣ではこれもお約束の早朝人民ダンス体操の集団にも遭遇。 -
いやいや、やはりひと味違った。
私の目の前にエスニックスタイルのおばちゃんが登場。ハロウィンのコスプレなんか見ても何の感慨も湧くことはないが、伝統の民族衣裳ってガツンと来るね。私は多様性とクラシコに弱いのだ。ん~朝からシーサンパンナ! -
西双版納バスターミナルを発見。
窓口で今日の目的地の名を告げチケットを購入。私の行き先は少数民族ジノー族が暮らす基諾山景区だ。
ところが。このバス、なぜか定刻出発ではなく集客数任せの流水出発だった。同乗者の集まりが遅くドライバーも暇を持て余しスマホ翻訳機を駆使して私を質問攻めにしてきた。株取引で儲けたんだけど今年は景気が悪いんで客足が遅いんだよ、と説明するドライバー。私が、明白了、習近平加油!と返すと爆笑してました。
そんなこんなで1時間後にようやく出発。 -
景洪から30キロ、基諾山景区に着いた。
村への入口は1ヶ所。怪しげなゲートをくぐって両側を樹木に覆われたヒンヤリした石段を登り始めると水牛の頭骨がビッシリと折り重なっていた。 -
その数は半端ない。100を優に超え200、いや300頭分あるだろか。
いったいどんだけ水牛がいるんだよ。これひょっとして精巧な擬似模型?と疑ってようく見てみたがやはりホンモノ。ショーアップもここまでやれば脱帽です。 -
長い石段を登りきると踊り場に出た。
私を含めて30人程を集めるとジノー族女性のMCが前に立った。
どうやらここで歓迎のセレモニーらしい。 -
男性が現れて前口上。
手には簡素な楽器を持っている。 -
そこに5人の女性が加わりゆったりした歌声とこれまたゆったりしたダンス。
ここで気がついたのだが女性の身につけている民族衣裳のカラーリングが朝景洪の街中で見かけた女性とおんなじである。あのおばちゃんはジノー族だったのね。 -
歌とダンスのセレモニーが終わるとご一緒フォトセッションとなる。これは中国のみならず万国共通ですかね。
で、少数民族の衣裳はたいがい色遣いが鮮やかだったりするがジノー族は特段にカラフルな色にこだわるようで。それとお団子付きの三角帽が珍しい。 -
踊り場からはさらに石段が続いていた。
その途中に彫り出された特大の人面岩。
これはジノー族の創生神話に登場する阿膜腰北 アモヤオベイ という名前の女神だそうだ。 -
石段を登りきると見学エリア。実際に住居として使われていたジノーの伝統的な家屋が残っている。
-
家屋の内部には展示品が。ジノー族長老達の写真。こうしてみると確かに漢族の顔つきとはまるっきり違う。大耳洞ってなんですかね?
-
食卓風景や
-
ベッド
枕と毛布までこの色遣いのボーダー柄 -
狩猟風景
蝋素材じゃなくて木造りである。 -
かなり原始的なライフル
もちろん本物 -
干しトウモロコシ
展示品に混ざってどう見ても実用の食材にしか見えないんだが -
2006年には当時の国家主席胡錦濤もこの場所を訪れていた。やはりここでも北京政府が多民族国家の国内統治をいかに課題にしているがが透けて見える。私はまだラサとウイグル自治区を体験していないが今どうなっているんだろう。
-
どういうわけかこの中で火を起こし始めたジノーのご婦人。ん~見学館なのか実用家屋なのか不思議な空間であった。
-
その奥には屋根に覆われたスペースがあって観光客が歓談しながらショー待ち中。
-
厨房があり窓口でチケットを提示するとジノー式の軽食が提供される。ふたつの皿に乗って出てきたものは唐辛子タップリの鶏肉と茹でたジャガイモに落花生。みんな良く知っている食べ物なんだがちょっと驚いたなあ。
-
私もジノースナックをつまみながらステージが始まるのを待つ。目の前には使い込まれた大太鼓。そのまた後ろには見たことがないようなマッシブな大太鼓が。
観客は100人チョイいるが日本人は間違いなく私だけと思われる。 -
ジノー族の演舞が始まった。
-
これは男性がメイン
おそらく狩猟の舞でしょう -
こちらは女性が主役
農耕の舞、ですよね -
男性は水田を耕やしているように見える。
女性がかぶっている編み笠はベトナムのノンラーに酷似。行政区分的には中国、でも生活文化的にはインドシナ北部、それが西双版納の正体ってことかもしれない。 -
演舞が終わるとそのあとはゲストも参加してのフリーダンスタイム。わかっているけどこの流れ、私はかなり好きである。
-
高台から周囲を見渡してみた。
風光明媚なお山の中での生活か。
南靖土楼での風景に通じるものがある。
さて帰りの車を待たせているので長居はできない。ジノー族の実生活エリアをちらりと見て引き返す。 -
帰りの下り坂はアスファルトでもなく石段でもなく竹を割って敷き詰めた道になっていた。竹のしなりがクッションになって歩き心地が凄くいい。これもジノーの生活の知恵か。ジノー族の人口は約1万8千人。中国では55番目に認定された少数民族だそうである。
-
午後4時頃、景洪市内に戻る。
前夜あまりの夜景にア然とした瀾滄江の昼の様子を見てみたい。シーサンパンナ大橋のたもとまで行き川岸に下りてみた。 -
地元の男性がレトリバー2匹と川辺を散歩中。私のいつもの癖が出た。犬がいると目的を忘れて立ち止まってしまう。
-
男性がペットボトルを瀾滄江に放り投げ、それを競って取りに行くレトリバー。バシャバシャと川に入りびしょ濡れになって戻ってきたコイツがペットボトルを加えたまま、ご主人ではなく私に向かって凄い勢いで突進し体当たりしてきた。一緒に遊んでくれってことらしい。こういう手荒い歓迎は大歓迎。彼は抜群に愛想が良かった。
-
巨大なアヒル隊長がいて
水上に小屋がある。
なにやら人の気配。 -
ただの小屋ではなくエンジン付きゴムボートの船着場だ。
スタッフがいる。お値段を聞くと一人100元との返事。
太貴了!と言いながら私はしっかり100元札を取り出していた。だってさ、あの瀾滄江でボートクルージングですよ。見送る理由?そんなもんは無いっす。
ライフジャケットを羽織っていざ乗船! -
ボートにまたがり紐状の把手につかまるだけ。同乗者は中国人女子の2人組。
ぶるんとエンジンをかけるとボートは滑るように瀾滄江の水面を走りだした。
下流に向けて疾走し折り返し地点でいったん上陸、再び上流に戻ってくる。 -
なんせゴムボート
船体が軽いので川の渦の上を通ると上下左右に大きく揺れる。それがまた妙。
大橋が近づいてきた。 -
前方には豪華遊覧船が停泊中。
ここにもかなり観光マネーが落ちているようで。日本も負けてらんないよねえ。 -
無事に船着場に戻ってきた。
往復1時間強のゴムボートクルージングを満喫。水面スレスレ、目線が低いのでスリル満載、楽しめた。振り落とされずに終わって良かった良かった。 -
翌日。
この日私が向かったのは景洪から南に30キロ。ここには少数民族の傣族の村があり観光客向けに整備されたシーサンパンナ傣族園がある。 -
園内に入ると人はまばら。
その代わりにこんな感じの像がずらりと並んでいる。 -
ちょっとした広場に出るとこの大岩があってそこに園内の見取り図が書かれていた。
驚くべき粗さの原始的な見取り図である。ネアンデルタール人でももうちょっと精巧な見取り図を書くんじゃないのか?と思われたが、見ているうちに全体の位置関係が把握できた。私は少しばかり甘く見て目の前にある道を漫然と歩いていたのだが、方向感覚がサッパリ掴めなかった。思ったよりずいぶんと広いのである。 -
傣族の古民居や
-
お寺
-
今も普通に人が住んでいる現役の民家が点々とある。これは傣族の正調高床式住宅。
ガイドブックにはテーマパークと説明されてはいるが実際に居住者がいるわけでかなり異質なテーマパークだ。 -
住宅ゾーンの外側にはバナナ畑が広がっていた。私、日常生活でバナナを購入することは皆無に近い。が食材としての価値は実は相当高いと最近思うようになった。バナナの実がなる気候や風土って実はかなり豊かであるよ、うん。
-
傣族の食堂にて早めのランチ。
本日もやはり肉メイン。海がはるか彼方の中国内陸部にいるとシーフードを欲することは自ずと消え気がつくと肉食指向になっている。この適応能力が私の旅路を支えております笑! -
時刻は1時過ぎ。
さきほどの大岩の原始地図で確認したこの円形水場がある広場にやって来た。
この時間に合わせたかのように空は青々と晴れ渡って気温は推定27度。湿気は微塵もない。 -
象が登場する。赤い民族ドレスを纏った女性が並んだ。さきほどまでほとんどまばらだった園内からいつの間にか大勢の観光客が集まってきた。その数既に300人は超えている。
お察しの通り、これから水かけ祭りのショータイムの始まりである。 -
先頭を歩くのは女性
手に洗面器を持った年齢の高めの一団
平たく言えばおばちゃん達である。
彼女達が先導役だ。 -
続いて全員が鮮やかな赤い民族ドレスに身を包んだ若い女性達。その外側には象が悠然と歩いてくる。
-
象の背にはマイクを手にしたMC役の女性。ピンク色のドレスは彼女だけ。
-
手には水色の傘、赤揃えでしなやかに歩く傣族の彼女達。
これはメチャカッコいい。 -
周回していた隊列がぴたりと止まって
全員が真ん中を向いた。 -
そして号令とともに水かけが始まる。
水かけの先導はさきほどの傣族おばちゃん組だ。おばちゃんはここでも斬り込み隊の役割である笑 -
続いて子どもが加わる。
周りをぐるりと取り囲んだ観客はまだ躊躇しているのだが -
もはや時間の問題だった。
言うまでもなく観客は防水対策なんぞしていない。だがこの楽し気な雰囲気に誘われて、まあいっか~的な感じでかなりの人たちが水の中に入って行った。 -
入らずとも水際ではしゃぐおばちゃんも。
このシーンで写真を撮ってくれと要求してるんだけど、結局はずぶ濡れになってましたなあ。 -
水かけ祭りの本来の時期は4月。タイのバンコクではソンクラーンの名前で街中が水だらけになる行事として今はかなり知れ渡ってきた。その原型がこの西双版納の水かけであろうか。ここでも本番の4月には万単位の人が集まるらしい。
水をかけ合うだけでみんながこれだけ笑顔になれるなら素晴らしい伝統行事である。いいことはどんどんパクるべし。日本でもそのうちどこかで始めるんじゃないの。 -
参加者の中でひときわ目に留まったのがこの2人。王族コスチュームを用意してやってきたカップル、実にキマってます。
この日の水かけMVPはあなたたち、私が認定してあげる。 -
水かけが終わったあとは専用のステージで傣族舞踊を見学。ジノー族とはずいぶん違ってこちらはぐっと女性的、華やかで艶やかである。
-
たまたま園内のショップにあった女性用民族衣裳がこれ。スタンダードはピンクなんですね。
-
園内には確か4つの仏教寺院があった。
そのうち入り口から最至近の場所にある寺院がこちら。左右対照の均整のとれた様式。参拝客も一番多い。 -
このお寺のご本尊に注目。
全身が銅でも石でもなくて、イグサのような植物の茎の編細工でできている。
他に見た記憶がないくらい珍しい。私は危うくここを見過ごすところであった。
あの原始見取り図に今さらながら感謝。 -
旅の4日め。明日の朝一番で成都行きの飛行機に乗り日本に帰る。事実上この日が旅の最終日、この日の朝も私はバスターミナルに出向いていた。
景洪の北25キロ、ここに野生の象の群れが生息するという森があるらしい。場所の名前は野象谷。中国語の発音がわからず窓口でメモに書いて差し出すと係員は手慣れた様子でチケットを発券してくれた。 -
10時半、野象谷に着いた。
実はこの野象谷の情報はガイドブックには全く出てこない。私は事前にネットで野象谷のことを知り、どうしても気になっていたのである。
飼育象なら確かにアジアに広くいる。私はスリランカ、カンボジアでは象に乗った。だが、なにしろ野象、しかも希少種であるアジア象があの中国に生息していると聞けばこりゃもう素通りなんかできっこない。 -
野象が出現するというエリアがある。ここに行くためにまずロープウェイを利用。降車地点から象の出没区域を抜けながら戻ってくる、という設定らしい。
野象という響きには金の成る木の匂いがするようで、そこはさすが中国、観光客を呼び込めるような整備が抜け目なくなされていた。来て見て納得である。 -
周辺の山々には濃霧が立ち込めている。
これなら確かに野象がいるかもしれないという幽玄な雰囲気。 -
でこのロープウェイ、とてつもなく長い。
前年に訪れた張家界では市街地から天門山に向かってロープウェイが掛けられていてアレにはビックリしたが、いやいやここも負けてないかも。ホントはロープウェイの支柱を工事している間に野象が逃げちまったんじゃないの、ねえ。 -
遠くを見ているとわからないが森の密度がすごい。木に木が絡んで隙間空間が見えない大ジャングルになっている。これなら野象は隠れ放題。野象どころか野人がいても恐竜が生き残っていても隠れられる、かも。
-
真下を見ると川が流れていた。ディスカバリーチャンネルのサバイバル番組ならば水場を確保!とガッツポーズが出るような綺麗な川だ。
-
30分乗って降車地点に着いた。ここから下まで長い索道が続いている。歩くのはゴメンという人は往復ロープウェイももちろんOK。
-
カーブを切って川が流れる場所に上から見下ろせるよう展望デッキが作られている。
-
木の幹に掛けられた樹上の小屋が。
野象を観察するにはベストポジション。 -
展望デッキから見下ろすと。
まだ真新しい足跡を発見。 -
川べりには糞が。
間違いなくここに野象がいた痕跡。
展望デッキからは見通しがよく下は丸見え。しかし象もそれはわかっているだろう。象がこの場所に現れるのはおそらく早朝、日が昇ってくると森の中に身を隠していると思われる。
さて。寝坊して出遅れた野象が今から水を飲みにここにやってくる、それを待ち構える策もある。だが、野象が寝坊する確率はいくらネット検索しても出てくるわけもなく私の待機策はあっけなく露と消えた。
相手はレッドリスト指定の野象だ。
野豚とはわけが違う。甘くないぞ。 -
野象の足跡と糞に後ろ髪を引かれながらも展望デッキを後にして前に進む。
地上から5メートル位の位置に高架式で設置されたこの索道、なかなか出来栄えがイイ。 -
湾曲しながら少しずつ下っていく力作で途中にはこんな場所も数カ所ある。
まあこれだけの天然大密林地帯なので観光開発視点と自然保護視点の両立は不可避。
とは言え工事中は野象たちはさぞやはた迷惑だったであろうとお察しする。 -
索道から下を見下ろすとこんな景観。
これだけ距離をとっていれば野象も警戒を解いて姿を見せるってことだよね。 -
欄干には実際に野象が出没する地点を示すサインがあった。
-
この索道の終盤に野象の博物館があったので立ち寄ってみた。
これは剥製。アフリカ象や同じくアジアに生息するインドやスリランカの象と比べるとはるかに小型。耳も極端に小さく森の中で生活に適応するとこうなるようだ。 -
2015年にはチャールズ、あ、いや、あのウィリアム王子がこの野象谷を訪問していた。そう言えばこれはTVニュースで見た記憶がある。忙しい訪中日程の中でわざわざここを訪れたとは王子はよほどの象好きってこと?
-
索道デッキに戻りふと上を見上げると
木の枝にまるまったモフモフの物体が。
微妙にカラダを揺すっている。
この正体はおそらくロリス、猿の仲間。 -
その先、さらにコイツが現れた。
真っ黒な手長ザル。 -
なるほど、この手長ザルは野生ではないようだ。近くにレンジャーの男性がいて周囲から気づいた人が寄ってくると逃げ込むようにレンジャーに抱きついてしまった。きっと何か理由があって野生状態から保護されたのだと思う。
-
ひとしきり観光客の注目を集めた後、連行されるように手長ザルは去って行った。
-
長い長い索道は終わり保護区園内の蓮の花が咲き誇る池に突き当たった。
道中もしかしたら遭遇できるかも?との期待は結局かなわず、野象が現れることはついぞなかった。
この広大な西双版納のジャングルで野象の生息数は推定250頭とのこと。1週間朝夕と張り込みを続ければ野象の姿を拝めるかもしれない。
だが見れずとも落胆は無い。
野生とはそもそも手強いものよ。 -
園内にはバタフライガーデンがあった。
ご覧のような夥しい数のサナギが繁殖されて -
何種類もの蝶が飛び交っていた。
この蝶の乱舞には観光客も大喜び。ちょっとした穴場的スポットである。 -
え、こんなところに大蛇が??
いやいや、ようく見たらこれ木の枝にペイントしたアート。何かにつけてストレートな中国でこの余裕がある遊び心はなかなかイケてます。 -
野生がダメなら飼育がいるさ。
ここには保護された飼育象のスクールがある。全部で10頭。その全員の名前と体格、体重、そして性格が解説されていた。 -
これからこの運動場で学校という名の象たちによるショーが始まる。
-
私が陣取った席のすぐ近くが象たちの入場花道だった。
-
小型とは言え。
象は象だなあ、やっぱり。
人間を圧倒する体躯、こんなのと森の中で鉢合わせしたらひとたまりもない。
実際、暴れん坊の野象が道路に現れて車をコテンパンにしたこともあるらしい。 -
本日の学校に出席する象が勢ぞろいした。
一同、礼 -
この人だかりを見よ。
今さらながら恐るべき象の求心力。 -
こんなことや
-
こんなことや
-
こんなことまでしてくれる。
幻の野象になりかわって最大限のホスピタリティを発揮してくれた象たちに観客は大喜び。 -
パフォーマンスが終了すると象たちは出口に並ぶ。
お見送り?いえいえ極限まで伸ばした鼻の先にあるものは -
私からのおひねりである。20元。
あっという間に口に放り込んでしまった。200元購入してもいいんだけど2000元購入しないと君は満腹になんないだろ。
ま、このくらいで勘弁しておくれ。 -
野象谷を後にしてバスをキャッチし景洪の市内に帰還。乗ったバスは瀾滄江の右岸の開発エリアに終着。ここには真新しい巨大な寺院が建立されていた。
-
大橋から見えた新築コンドミニアム。
この一帯、足下にはオシャレなカフェやショップが立ち並んでいた。
中国は大河メコンの水源を握っていることを背景に下流域のラオスやカンボジアに潤沢な資金を投下して開発を主導し外交の材料にしていることは周知の事実。開発の範囲は上流域の瀾滄江から始まっていることが今回の旅の発見であった。 -
シーサンパンナ大橋を渡って宿に戻る。
西双版納=桃源郷というイメージで語られていたのはそれほど昔の話でもないと思う。経済発展によって街が変貌するのは必定、だが残すべきものは残して欲しい、これはどの国であってもそう願う。 -
西双版納、景洪での最後の夕食はこのお店。この旅で世話になった景蘭茶城ストリートで営業しているプチ高級店だ。
-
火鍋~
重慶式と書いてあった。普通は店員から渡される菜単に皿の数を書き込んで頼むのだがこのお店ではスープと肉のみが有料チョイスで野菜類はお好きなだけ、という方式。これは初めて。
火鍋は本来寒い季節にどハマりする料理、この日夜は半袖でも快適な気温だったが熱々の麻辣を堪能してお腹いっぱい。お勘定は101元。 -
帰国便は8時55分発成都行き。乗り継いで成田に夜到着する。雲南省は奥が深い。これで雲南北端と雲南南端を見た。次回は雲南真ん中でお会いしましょう。
そう言えば最後に。今回の渡航で出入国カードを渡されることがなかった。廃止になった話も聞かないしこれはいったいどういうわけ?ご存知の方、ご教授ください。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
gyachung kangさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
132