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中国三十三観音第十二番札所佛通寺参拝<br /><br />佛通寺は、1397年(応永4年)小早川春平の開基、愚中周及の開山により創建された。春平は奉公衆として京都で足利将軍家に仕えており、同僚の那珂宗泰と親しかった。春平は宗泰から、那珂氏の所領にある天寧寺にいる愚中の名声を聞き及び、彼を招いて氏寺を建立することで、南北朝時代の動乱のさなか自立性を強めた一族内の結束を図ろうとした。佛通寺の名は、愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし、その諡号「仏通禅師」から取られており、場所は佳き山水の地を選んで建立された。1409年(応永16年)には後小松天皇から紫衣の着用が許されたが、同年愚中は示寂、以後弟子たちは愚中派として臨済宗の中で一派を形成した。1441年(嘉吉元年)足利将軍家の祈願所となり、小早川氏のほか毛利氏の保護も受けの帰依を受けて、最盛期には塔頭88、西日本に末寺約3000寺に上ったという。しかし、応仁の乱以降寺勢は衰え、小早川隆景の代でやや盛り返すも、その後の権力者の変転の中で取り残されていった。明治に入ると法灯は盛り返し、1876年(明治9年)一時天龍寺派に属するも、1905年(明治38年)には天龍寺から独立して臨済宗佛通寺派を称し、その本山となった。

中国三十三観音第十二番札所臨済宗佛通寺派総本山佛通寺参拝

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2018/09/15 - 2018/09/15

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吉備津彦

吉備津彦さん

中国三十三観音第十二番札所佛通寺参拝

佛通寺は、1397年(応永4年)小早川春平の開基、愚中周及の開山により創建された。春平は奉公衆として京都で足利将軍家に仕えており、同僚の那珂宗泰と親しかった。春平は宗泰から、那珂氏の所領にある天寧寺にいる愚中の名声を聞き及び、彼を招いて氏寺を建立することで、南北朝時代の動乱のさなか自立性を強めた一族内の結束を図ろうとした。佛通寺の名は、愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし、その諡号「仏通禅師」から取られており、場所は佳き山水の地を選んで建立された。1409年(応永16年)には後小松天皇から紫衣の着用が許されたが、同年愚中は示寂、以後弟子たちは愚中派として臨済宗の中で一派を形成した。1441年(嘉吉元年)足利将軍家の祈願所となり、小早川氏のほか毛利氏の保護も受けの帰依を受けて、最盛期には塔頭88、西日本に末寺約3000寺に上ったという。しかし、応仁の乱以降寺勢は衰え、小早川隆景の代でやや盛り返すも、その後の権力者の変転の中で取り残されていった。明治に入ると法灯は盛り返し、1876年(明治9年)一時天龍寺派に属するも、1905年(明治38年)には天龍寺から独立して臨済宗佛通寺派を称し、その本山となった。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通手段
自家用車
  • 輸蔵

    輸蔵

  • 燈篭

    燈篭

  • 山門<br /><br />佛通寺の正門。寛政の回禄(1796)の後、<br />広島藩主浅野家の外護で文化年間に再興されたもの。<br />巴紋は小早川家の家紋。<br />鷹の羽の打違いは浅野家の家紋である。

    山門

    佛通寺の正門。寛政の回禄(1796)の後、
    広島藩主浅野家の外護で文化年間に再興されたもの。
    巴紋は小早川家の家紋。
    鷹の羽の打違いは浅野家の家紋である。

  • 佛通寺は、1397年(応永4年)小早川春平の開基、愚中周及の開山により創建された。春平は奉公衆として京都で足利将軍家に仕えており、同僚の那珂宗泰と親しかった。春平は宗泰から、那珂氏の所領にある天寧寺にいる愚中の名声を聞き及び、彼を招いて氏寺を建立することで、南北朝時代の動乱のさなか自立性を強めた一族内の結束を図ろうとした。佛通寺の名は、愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし、その諡号「仏通禅師」から取られており、場所は佳き山水の地を選んで建立された。1409年(応永16年)には後小松天皇から紫衣の着用が許されたが、同年愚中は示寂、以後弟子たちは愚中派として臨済宗の中で一派を形成した。1441年(嘉吉元年)足利将軍家の祈願所となり、小早川氏のほか毛利氏の保護も受けの帰依を受けて、最盛期には塔頭88、西日本に末寺約3000寺に上ったという。しかし、応仁の乱以降寺勢は衰え、小早川隆景の代でやや盛り返すも、その後の権力者の変転の中で取り残されていった。明治に入ると法灯は盛り返し、1876年(明治9年)一時天龍寺派に属するも、1905年(明治38年)には天龍寺から独立して臨済宗佛通寺派を称し、その本山となった。

    佛通寺は、1397年(応永4年)小早川春平の開基、愚中周及の開山により創建された。春平は奉公衆として京都で足利将軍家に仕えており、同僚の那珂宗泰と親しかった。春平は宗泰から、那珂氏の所領にある天寧寺にいる愚中の名声を聞き及び、彼を招いて氏寺を建立することで、南北朝時代の動乱のさなか自立性を強めた一族内の結束を図ろうとした。佛通寺の名は、愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし、その諡号「仏通禅師」から取られており、場所は佳き山水の地を選んで建立された。1409年(応永16年)には後小松天皇から紫衣の着用が許されたが、同年愚中は示寂、以後弟子たちは愚中派として臨済宗の中で一派を形成した。1441年(嘉吉元年)足利将軍家の祈願所となり、小早川氏のほか毛利氏の保護も受けの帰依を受けて、最盛期には塔頭88、西日本に末寺約3000寺に上ったという。しかし、応仁の乱以降寺勢は衰え、小早川隆景の代でやや盛り返すも、その後の権力者の変転の中で取り残されていった。明治に入ると法灯は盛り返し、1876年(明治9年)一時天龍寺派に属するも、1905年(明治38年)には天龍寺から独立して臨済宗佛通寺派を称し、その本山となった。

  • 大玄関の長谷川大道老師作の達磨大師像

    イチオシ

    大玄関の長谷川大道老師作の達磨大師像

  • 清潔感あふれる庭

    清潔感あふれる庭

  • 佛殿<br /><br />広島藩主浅野家の外護で文化5年(1808)に再建。

    佛殿

    広島藩主浅野家の外護で文化5年(1808)に再建。

    佛通寺 寺・神社・教会

    迫力ある長谷川大道老師作の達磨大師像に逢えます。 by 吉備津彦さん
  • 多宝塔遠景

    多宝塔遠景

  • 朱塗りの多宝塔

    朱塗りの多宝塔

  • 多宝塔アップ<br /><br />昭和初期の建築で、軒周辺の材料に反りをもたせた整った塔姿が特徴の近代の多宝塔

    多宝塔アップ

    昭和初期の建築で、軒周辺の材料に反りをもたせた整った塔姿が特徴の近代の多宝塔

  • 観音様

    観音様

  • 鐘楼

    鐘楼

  • 迫力満点の達磨図

    イチオシ

    迫力満点の達磨図

  • 佛殿<br />

    佛殿

  • 広い境内

    広い境内

  • 仏殿<br /><br />寛政の回禄(1796)の後、広島藩主浅野家の外護で文化5年(1808)に再建。

    イチオシ

    仏殿

    寛政の回禄(1796)の後、広島藩主浅野家の外護で文化5年(1808)に再建。

  • 薬師堂

    薬師堂

  • 「一畑薬師瑠璃光如来」

    「一畑薬師瑠璃光如来」

  • 「一畑薬師瑠璃光如来」アップ

    「一畑薬師瑠璃光如来」アップ

  • 薬師堂前の香炉

    薬師堂前の香炉

  • 石仏群

    石仏群

  • 石仏群

    石仏群

  • 仏殿

    仏殿

  • 石仏群

    石仏群

  • 石仏群

    石仏群

  • 石仏群

    石仏群

  • 3観音

    イチオシ

    3観音

  • 3観音

    3観音

  • 巨蟒橋(きょもうきょう)

    巨蟒橋(きょもうきょう)

  • 巨蟒橋(きょもうきょう)と天然記念物のイヌマキ

    巨蟒橋(きょもうきょう)と天然記念物のイヌマキ

  • イヌマキの説明

    イヌマキの説明

  • イヌマキの隣に鎮座するお地蔵様

    イヌマキの隣に鎮座するお地蔵様

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