2018/08/23 - 2018/08/23
9位(同エリア221件中)
松本伸雄さん
台風20号が来る前に行きました。
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1563年(永禄6)尾張国を支配していた織田信長が小牧山に城を造り、それまで住んでいた清洲城からここに来て住みました。
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山の南側には、城下町を造りました。美濃攻めが早く終わったので、4年後には信長は岐阜城へ移ったため使われなくなった。
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土塁断面展示施設。
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土台の土、運んできた土、戻した土が解ります。
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井戸、直径2メートル、深さ3.2メートル以上
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歴史館1階の井戸の復元模型。
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信長は、大手口から真っ直ぐな大手道を造りました。家康が入城した時は、大手道を曲げました。
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徳川家康と織田信雄が外側と内側の土塁を造りました。小牧市役所を造るとき壊されましたが又、造り直しました。
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尾張徳川家九代徳川源明公墓碑。昭和28年菩提寺である名古屋東区の建中寺に有りましたが、区画整理のため移転して来ました。
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桜の馬場。
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小牧市の木、タブの木。
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小牧山にのみ自生している。
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徳川十九代、徳川義親。尾張徳川家所有の小牧山は、明治時代は、入山禁止でしたが昭和に入り小牧市に寄贈される。
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石垣の内側に有った石。
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石垣から落ちた石を転落石と表示してあります。
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主郭部付近の石垣跡(永禄期)加工痕のない自然石が使われていた。
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1967年(昭和42年)に西本願寺の飛雲閣をモデルに建設された。
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入場料は、100円です。
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墨書石垣石材。墨書きで、佐久間と書かれている。安土城のより13年さかのぼる発見です。
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1584年(天正12年)小牧、長久手の合戦で信長の子供の織田信雄と徳川家康が小牧山城に入り、犬山城の豊臣秀吉と戦います。
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染色技術者の平松茂氏が小牧市歴史館を私財を投じて建設し小牧市に寄贈しました。
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3層4階、高さ19.3メートルからの名古屋駅方向。おわり。
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追伸 、石垣を発掘された小牧市考古学専門員の小野友記子さんのご活躍は、すばらしいです。
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