2018/09/22 - 2018/09/26
52位(同エリア193件中)
尖椒土豆絲さん
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春秋航空から届いた就航4周年記念リレーセールの案内メールに誘われ、何気にHPを眺めてみると、何と東京成田⇒武漢が激安4,000円で販売中では有~りませんか!!!!
よっしゃ~~ここは中国に行くっきゃ無い無い!!
会社PCスケジュールを開き、中秋節3連休に続けて代休が取れることを確認して航空券を購入~~~さてさて、何処を暢游しようか・・ヽ(^o^)丿
そんな時、仕事関係で知り合った在日華人の方から借りた映画“レッドクリフ”を観て・・・“そうだ!三国志史跡 赤壁に行こう!”と思い立ったが吉日です。
武漢IN・OUTを暢游拠点にして、長沙・岳陽・赤壁の史跡群に突撃!、何とか無事に帰国しました~!(o^^o)!
魅力たっぷりの中国の様々な史跡群、私達と一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅の始まりは東京成田空港第3ターミナル春秋航空カウンターです。
中国人団体客の行列は短いのに、個人旅行客レーンは長い行列が連なります。
訪日中国人の旅行パターンが、団体ツアーから個人旅行へと移行して来ているようです。
並ぶこと約20分、搭乗手続きが終了し、中国暢游モードスイッチONです。
フードコートへ行って・・・さあ、何を食べようっかなあ~~~(●^o^●) -
春秋航空日本IJ1011便は、いよいよ日本を脱出、一路武漢に向かいます。
この東京成田ー武漢路線、4回目の利用です。
今回は、どんな 珍・道・中 になることやら !(^^)!
機内の乗客の大半は中国人旅行客です。
let's go together 中国!!! -
武漢天河空港内の中国建設銀行のATMで、早速、軍資金の調達です。
ところが、いつものATMですが、SMBC信託銀行キャッシュカードもDCクレジットカードも反応しません。
日曜日だからか? 中秋節だからか? 理由は分かりませんが、我家はここで時間を費やす訳にはいきません。
軍資金調達は諦めて、先に進みます。 -
新ターミナルが完成し、大改造中の武漢天河空港ですが、新たに高鉄線が乗り入れていました。
3年前、長距離バスに4時間も揺られて訪れた襄陽も、高速列車で簡単に行くことが出来るようになるようです。
既に漢口站ー武漢天河空港站ー感考東站迄と直通運転が始まっています。 -
暢游期間は僅か5日間です。
先を急がなきゃ!!!
早速、地下鉄武漢天河机場站から地下鉄2号線と4号線を乗り継いで高鉄武漢火車站を目指します。
3月に許昌・開封に行った時と同じルートですね。 -
約90分かけて武漢火車站に到着です。
今から乗車する武漢-長沙南間を含めた全行程の高鉄切符は、予めT-tripサイトで予約済みです。
予約番号とパスポートを渡し、無事に高鉄切符を入手です (^O^)。
中国人民の方々は事前予約した切符を無人券売機で取り出すことが出来ます。
そのシステムが普及してきた為か、以前の様な集票処の大混雑は無くなりましたね。 -
武漢から長沙南迄の二等車高鉄切符(164.5元)です。
-
乗車するG2055高鉄が入線です。
湖北省と湖南省の両省都間をノンストップ、1時間18分で駆け抜けます。 -
湖南省初上陸です。
京広高鉄と滬昆高鉄が交差する長沙南火車站は超巨大な駅舎です。
長沙黄花国際空港からのリニアモーターカー線も接続される等、日本の地方空港のターミナルの数倍の規模ですね。
何もかも、デ・カ・イ!!!!
その大きさの圧倒されながら、地下鉄に向かいます。 -
おっと~~~!! 地下鉄2号線の改札口近くで中国農業銀行のATMを発見、軍資金調達のリベンジです。
今度は無事にキャッシュカードが読み込まれました。
WeChat PAYの仕組を持たない我家にとって、現金は必要不可欠品な暢游アイテムです。
因みに今日のSMBC信託銀行為替レートは、1元=16.98円でした。 -
武漢地下鉄と全く同じ券売機で、操作は至って簡単です。
五一広場站まで4元の切符(プラスチック製コイン)を握りしめて、改札を通ります。
いよいよ長沙の中心部に向かいます。 -
乗車約30分で五一広場站に到着です。
この五一広場站は繁華街に位置すると同時に地下鉄1号線との乗換駅でもあり、凄い人の数です。
人混みを抜け、地上に上がってみると・・・
何と~~滋賀県民御用達の平和堂が鎮座しているではあ~りませんか!!! -
日本人にとって、長沙の平和堂といえば、2012年9月16日の反日デモで襲撃・略奪を受けた生々しい映像が蘇ります。
中国全土で発生した反日デモの影響で、嫌中になった日本人が沢山います。
非常に・・非常に残念でなりません。 -
琵琶湖を擁する滋賀県と、洞庭湖を擁する湖南省は有効姉妹都市関係にあり、その縁で、早くから滋賀県の代表的企業の平和堂が進出した経緯が有ります。
店内に入ると、日本人にとって見慣れた外食店舗が目に飛び込んで来ました~(^O^)。
ここは何処?
ここは日本??
ここは中国???ですよね (*^^*) -
平和堂斜め向かいの中山国際大厦上に聳える長沙友誼賓館(ツイン朝食付378元)に無事にチェックインです。
小休止後、長沙繁華街の一画の太平街という老街を散策します。 -
中秋節が始まり、老街は大混雑です。
様々な店舗が軒を連ねます。
ん~~??、何か鼻につく異様な臭いが漂い始めます。 -
臭いの原因は、この長沙臭豆腐です。
真っ黒で異臭を放つ臭豆腐屋の前は、どの店も大行列です。
長沙の皆さん、美味しそうに食べ歩きしてます。
我家もチャレンジしようと思っていたのですが、その強烈な臭いの為に意気消沈してしまいました~(≧∀≦)。 -
太平街を南下し、坡子街を西進して火宮殿に向かいます。
ここ坡子街は昔の長沙の“ウォールストリート”だった通りです
清朝末には銭庄と銀行がずらりと立ち並んでいたらしい・・・
今でも百年老店の老舗が多く軒を連ねています。 -
火宮殿は元々は火神廟で260年以上もの歴史を刻んでいます。
現在では線香の香りが漂う観光地になっています。
宮殿は清乾隆十二年(1747年)に建てられ、道光六年(1826年)に修建されています。 -
この火宮殿には長沙老舗の郷土料理店が有り、毛沢東も、ここの臭豆腐がお気に入りだったようです。
-
そう!湖南省は毛沢東国家主席の出身地ですね。
-
繁華街で湘菜料理の看板を揚げた店を選択します。
山椒の効いた辛くてシビれる湖南料理が我家を待ち受けます。
ホテル近くの薬王街には沢山の郷土料理店が軒を連ねます。
折角なので湖南の名物料理に舌鼓といきましょう。
その中の1軒で、殺椒魚頭・尖椒土豆絲を注文、哈爾賓ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
山椒が効いて、ハオツー 好吃!好吃! -
ホテルに戻り、TVの電源を入れてみると、国営CCTVが中秋節の人民大移動・大混雑について報道していました。
中国人民の方々も、連休は帰省や旅行をする等、日本と同じですね。
部屋で明日の予定を再考しながら眠ります。
暢游初日の9月22日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游2日目、9月23日が始まりました。
窓から外を眺めると、無情にも雨が降っています。
時間予報を確認すると、午後には止む予定です。
よっしゃああ~雨の影響を受けない屋内施設から暢游する予定に組み替えです。
ならばと先ずは腹ごしらえします。
流石四つ星ホテルだけあって、目の前で調理をしてくれます。
湖南省名物の米粉(ビーフン)料理でエネルギー充填終了~~~さあ!出発だあ!! -
黄興南路と解放西路交差点の鼓楼を模した建物から南側が、黄興歩行街です。
長沙古城の城壁は、清朝時代に取り払われてしまい、殆ど残っていません。
城内の鐘楼や鼓楼も無い中、この鼓楼に模した建物があるかとから、ここが古城の中心だったのかも知れません。 -
歩行街近くの司門口站から112路バス(2元)に乗車です。
先程からバケツをひっくり返したような豪雨です。
晴れ男・晴れ女の面目丸つぶれです。
参ったなあ~~(´∀`*) -
112路バスを馬王堆医院南站で降車です。
雨が酷く、至る処で冠水しています。
靴もビショ濡れです (≧∇≦) -
馬王堆漢墓は馬王堆医院の敷地内にあります。
以前より“馬王堆”と呼ばれるこのあたり一帯には多数の古代墓・墳墓があることが知られていました。
1970年、地下病棟を建造する際に発掘したところ、極めて保存状態の良いミイラが発見されたことで一躍世界的に有名な遺跡となりました。 -
3号墓への洞窟です。
鉄柵越しに撮影しました。
ここ馬王堆漢墓には1号から3号まで3基の墳墓が有ります。 -
馬王堆漢墓門票(2元)です。
驚くことに、この馬王堆漢墓が作られたのは、2000年前の漢の時代です。
現在はミイラが発見された1号墓ではなく、3号墓の上に屋根を被せて一般公開しています。 -
発掘当時の写真が展示されています。
現在、埋蔵品は湖南省博物館に移送され保存・公開されています。 -
公開されているのは3号墓です。
想像以上に深いなあ~!!!
覗き込んでいると、トタン屋根に豪雨が叩きつけられることで、もの凄い騒音が施設内に響き渡っています。
ふ~秋雨前線、侮れません (@_@;) -
さあ、次は今回の湖南省暢游目的の一つ、湖南省博物館に向かいます。
-
晩極大道の紫薇路站から省人民体育場站まで、520路(2元)で移動します。
中秋節・日曜日・雨という条件が重なった為か? 沢山の人達が、博物館方面へ歩いて行きます。
イヤな予感・・・(=_=) -
湖南省博物館は2017年に移転し新たに開館しています。
ん~~かなり デ・カ・い・・・
我家は己預約通道の電王掲示板に従って進みます。 -
湖南省博物館門票(免費)です =(^.^)=
入場数制限が有ることを知っていた我家は、事前にネット予約を済ませました。
とは言え、知人の在日華人の方にネット予約を御願いしたのですけど・・・
御蔭で傘をさして館外で並ぶという最悪の状況は免れました~。
パスポートと予約番号の書いた紙を渡して門票入手成功です。 -
やっとの思いで入館するも、館内は大混雑です ((+_+))
-
上階へのエスカレーター大行列に並び、やっと馬王堆漢墓の埋蔵品・発掘品と対面します。
馬王堆漢墓が作られた2000年前というと、日本では弥生時代ですね。
歴史の重み・・・凄いなあ~ -
周恩来直筆書が展示されています。
当時、周恩来総理は、馬王堆の女性の遺体を、少なくとも200年間保存してほしいと要望したようです。
というような内容が書かれているのかな??? -
2号墓で発見された3個の印鑑が展示されています。
写真の印鑑には“利蒼”と刻まれており利蒼の官印のようです。
これら印鑑と歴史書の記述から被葬者が明確になりました。
1号墓が“辛追“”という名の利蒼夫人・2号墓が前漢初期の長沙国の宰相 利蒼・3号墓が息子の利希の墓と分かっています。 -
埋蔵品ですが、琴・瑟・笙・笛などの楽器、鐘・磬・鈴などの明器(死者とともに埋葬した器物)の他、歌い手や踊り手の俑も多く出土しています。
これらは一族の音楽や舞踏を楽しむ暮らしを彷彿とさせています。 -
嫁入り道具を入れた漆の箱“九子奩”です。
頬紅・白粉・櫛・針袋等が入っています。
当時、辛追婦人は、お化粧するのが大好きだったに違いないですね。 -
展示されている絹織物は、絹・紗・羅・綺・錦などがあり、あらゆる種類が揃っています。
展示されている絹織物の一つ“素紗褝衣”という裏地のない単の衣服は国宝級で、長さ128cm・袖丈190cm・重さは僅か49gしか有りません。
2000年もの昔に既に絹織物技術も高度に発達していたようです。
凄いぞ中国!!!!!!
-
馬王堆漢墓を模した竪穴の四角い方穴墓は、映写機器を駆使したプロジェクトマッピングで電光装飾されています。
音楽とセリフが流れていますが、日本語しか分からない我家にとっては意味不明です。
というか、日本人にとって墓は荘厳・厳粛という価値観なだけに、この派手な電光電飾演出は理解不能ですね (≧∇≦) -
梓の木で4重に作られた棺です。
2000年もの間、辛追婦人はこの中で眠っていたのですね。
隙間は漆で密封され、菌が繁殖出来ない無酸素状態が保たれたことで、ミイラとして保存され続けることが可能だったようです。 -
辛追婦人のミイラは強化ガラスを通して、上から眺めることが出来ます。
写真撮影不可とは知らずに、i-phone撮影をした途端、近くの服務員の女性に“●×△□●◎◆!!!”と怒鳴られました~~~とても謝々。
このミイラ、全身の筋肉に柔軟性がまだ残り、手足の関節も自由に曲げることが出来るようです。
指でその額・腹・腕を押すと、窪んだ筋肉がまた元に戻って来ます。
2000年間も遺体が腐らなかった謎を解明すべく、学者たちの研究は続けられています。 -
さあ、湖南省博物館を後にします。
省博物館站から天心閣に向かいます。 -
358路バス(2元)に乗車、南門口站で降車です。
-
写真の長沙古城南門は、かつての南熏門が有った場所です。
この長沙城は三国志の舞台でもあります。
蜀国劉備配下の関羽による長沙城攻略戦が有名ですね。
魏国曹操方に組して応戦する韓玄が籠る長沙城に押し寄せた関羽が、黄忠との一騎打ちを演じた舞台です。
そして戦さの後、劉備に説得された黄忠が配下に加わった地でもあります。 -
近くの食事処で雨宿りです。
湖南風牛肉蛋炒飯・青菜大蒜炒・干鍋花菜(カリフラワー辛鍋)を注文、哈爾賓ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!! -
さてさて後半戦の暢游は天心閣からスタートです。
先ずは城外から天心閣楼閣を眺めます。
雨が止んだ後、楼閣は靄に包まれ、これもまた趣があって宜しいかと!!! -
天心閣の門票(32元)です。
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天心閣は“秦漢名城”という美称を持っており、昔は風水の宝地として、天文観測や天神を祭る場所として使用されていたようです。
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元々、天心閣は明朝時代に建てられ、清朝乾隆帝時期に修復されましたが、1938年“文夕大火”によって燃えてしまいました。
今の天心閣は1983年に再建されています。 -
瓮城のような構造の城牆上に楼閣が建てられています。
登ってみましょう。 -
楼閣は古城牆の一番高い所にあり、楼閣内には文昌帝と魁星の像が祀られています。
瑠璃瓦の反り返った軒先が特徴的な楼閣は3階建てで、建築面積は846平方m、朱色の梁、絵画で飾りつけた棟が人々を魅了しています。
早速、3階に上がってみましょう。 -
先程、城外から天心閣を眺めましたが、今度は天心閣の楼閣から城外を見降ろします。
護城河つまり城堀は残っておらず、今は車道になっています。 -
堅固な城壁が連なります。
天心閣は、紀元前202年の漢の時代、当時の長沙王が築いた城跡に建てられています。
長沙古城の城壁は清朝時代にその大半が撤去され、残った城壁も日中戦争(中国呼称:抗日戦争)で激しく損傷したようです。 -
長沙城の古地図です。
縦型長方形の古城には、かつては東南西北に併せて9座の城門がありました。 -
長沙にも旧日本軍が来ています。
日中戦争(中国呼称:抗日戦争)時、第1・2次長沙作戦が遂行された場所です。
旧日本軍が侵攻し、一時は長沙を占領するも戦略上撤退しています。
この撤退を中国側は日本側の敗走で長沙は難攻不落だと世界中に謳い、戦意高揚に利用した様です。
両国が都合良く歴史解釈をしています。
何にせよ、ここで多くの貴い命が散ったことを忘れてはなりません。 -
さて、次の暢游地に向かいましょう!!!
再び路線バスで移動します。 -
湖南省博物館からの移動で乗車した同じ358路(2元)に乗車です。
天心閣西門站から麓山南路口站まで、途中、湘江の地下を貫く南湖路貫道トンネルを潜ります。 -
麓山南路口站から歩くこと15分、湖南大学が見えて来ました。
赤煉瓦の校舎は歴史の香りがするかのようです。
因みに、ここにある湖南大学は中国国内で唯一、校門と敷地囲塀の無い大学なんだそうです。
何て開放的なのだろう!!! -
岳麓書院は湖南大学の広大な敷地の奥の岳麓山麓にあります。
宋時代は四大書院の筆頭に数えられていたようです。
中国に現存する最も保存のよい古代書院であり、千年学府とも呼ばれています。
1988年には全国重要文化財に指定されています。 -
岳麓書院の門票(50元)です。
-
表門の左右にに“唯楚有材・於斯為盛”の対句があります。
“楚に人材ありて、はじめて書院の繁盛有り”と伝えています。
また、看板の“嶽麓書院”の文字は宋の真宗の肉筆と伝えられています。 -
実際、唐才・黄興・陳天華・蔡和森など数多くの人材が育ちました。
毛沢東が仮住まいをし、雑誌を編集していた場所としても有名です。 -
アラアラ・・・
御書楼は工事中で閉鎖・・・
暢游を諦めて先に進みます。 -
文廟です。
岳麓書院は中国四大書院のひとつとされ、宋代の976年に創建された私塾で、世界最古の最高学府と言われています。
そして1000年以上にわたる学問の歴史が、現在の湖南大学に引き継がれているのです。 -
岳麓書院暢游が終わり、路線バスで長沙中心部に戻ります。
岳麓山南站で立珊専線バス(2元)に乗車、華図教育太平街站へ移動です。 -
昨夜も訪れた太平街で地下鉄2号線に乗り継ぎます。
しかし、その前に歴史的な史跡を訪れてみましょう。 -
長沙は春秋戦国時代から存在する古い街です。
それ故に楚漢古都と言われています。
写真は昨夜暢游した太平街です。
やはり老街っていいなあ~ -
乾益升糧桟です。
現在はお土産屋さんとして使用されています。
清代末期、朱昌琳という富豪商人が建設した穀物倉庫です。
穀物倉庫だけあって、重厚な造りですね。 -
長沙西漢賈誼故居です。
紀元前177年頃の西漢時代の著名な政論家・思想家・文学者の賈誼の故居です。
閉館しています・・・入れません・・・( ;∀;)
今日は最終暢游地の長沙西漢賈誼故居の開放時間に合わせて、17:00迄に入館出来るように暢游ルートを再考したつもりでしたが、時計を見ると、既に17:20過ぎ・・・
う~~~ん、暢游見通しが甘かったかな!!! -
さあ、今日は岳陽まで移動しなければなりません。
長沙南火車站まで地下鉄2号線で移動です(4元)。 -
30分後、空港のように巨大な高鉄長沙南火車站に到着です。
-
長沙南から岳陽東迄の高鉄切符(69.5元)です。
二等車が満席だった為か、何故か一等車の座席でした。
日本で我家は、二等車を事前ネット予約しています。
まあ、飛行機同様、エコノミー席が満席になり、一部のラッキーな人たちがビジネスシートに移される・・・という状況と同じですね。
何にせよ、ラッキー!!!!! -
乗車するG426高鉄が入線です。
長沙南站から岳陽東站間を僅か33分で結びます。 -
高鉄岳陽東火車站です。
電飾が故障しているのか?東の文字が変な漢字になっていますね (^O^)! -
岳陽楼景区が有る南岳坡站まで、55路(2元)で移動です。
始発から終点まで、何も心配の要らない路線で超~安心・安堵です (*^^*)! -
約30分かけて南岳坡站つまり岳陽楼景区に到着です。
-
南岳坡站を降車すると、目の前の巴陵広場に瞻岳門が鎮座しています。
瞻岳門前では太極拳や中国舞踊を練習する沢山の人民がいます。
皆さん!元気だなあ~!!! -
瞻岳門隣の箭楼閣です。
ライトアップが映えますね。 -
宿泊予定の洞庭湖風情酒店(ツイン朝食無し 346元)に無事にチェックイン!
早速、岳陽楼景区の☆河街(☆はサンズイ編に卞)を暢游します。 -
☆河街(☆はサンズイ編に卞)は老街の街並みとして整備されています。
沢山の暢游客や地元客で賑わっています。 -
河魚を湖南風に調理した晩餐を狙って彷徨います。
威勢のいいお兄さんの呼び込みに反応して着座します。
香辣焼魚・辣炒飯を注文、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
私達が日本人と分かり、店内は大騒ぎです。
よっぽどの珍客だったのでしょうネ。
暢游2日目の9月23日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游3日目、9月24日が始まりました。
香港と中国とを結ぶ高速鉄道が開通!!というニュースが中国国営CCTVで大々的に報じられています。
互いの人・物・金の動きは更に加速するのでしょうね。 -
朝食はホテル1階の店で単品注文です。
紅焼牛肉米粉・粥飯・煮蛋でお腹を満たし、さあ!出発だあ!!!(^O^) -
岳陽楼景区遊覧地図を眺め、今日の暢游ルートを策定します。
やはり、湖畔のナイスビューを満喫しなきゃ!!! -
瞻岳門です。
やはり城門は美しいなあ~(●^o^●)
城門に上れないのが残念・無念・何でやねん!! -
昨夜も眺めた瞻岳門隣の箭楼閣です。
ここも上がれません<`~´> -
巴陵広場の巨大な雕像です。
-
洞庭湖は中国で2番目に大きな淡水湖です。
大陸は、何もかもスケールが違います。
巨大な船が往き来し、湖というより大海原って感じですね。
この洞庭湖ですが、湖南と湖北の省を跨ぎ、北は長江に繋がり、南は四水と接し、“八百里洞庭湖”とも呼ばれています。 -
ホラ!!!
どう見ても海でしょ!!!! -
岳陽古城の西側の城壁は、湖畔に沿って南北に連なります。
-
城壁大好き、我家の決めポーズです。
-
城壁に連なる烽火台です。
ん~~~シビれます。 -
昨夜、暢游した☆(☆はサンズイ編に卞)河街を抜けて行きます。
朝から屋台が出ています。
とても頑張る商魂逞しい人達ですね。 -
岳陽楼景区の有料エリアに向かいます。
“巴陵勝状”の扁額と“洞庭天下水・岳陽天下楼”の楹聯を掲げた南大門から入場することになります。 -
岳陽楼の門票(50元)です。
-
最初のエリアで、岳陽楼の変遷が分かりやすく紹介されています。
池を挟んで五つの小さな楼が立ち並んでいます。
唐代・宋代・元代・明代・清代、それぞれの時代の岳陽楼のレプリカです。 -
双公祠です。
1046年に岳陽楼を修復したことでも知られている巴陵郡守の滕子京と、政治家・詩人でもある範仲淹を祀っています。 -
滕子京と範仲淹が並んで座っています。
範仲淹は、岳陽楼とその情景を詠じた詩文 “岳陽楼記” を残しています。 -
さあ、石牌坊を潜ると・・・
-
遂に・遂に・・遂に・・・岳陽楼と御対面~~~
この岳陽楼は、洞庭湖の東岸に建てられた高さ20.35mの木造3層の楼閣です。
赤壁の戦いの後に、呉の魯粛が水軍の訓練のために閲兵台として建てたものが、岳陽楼の始まりとされています。
岳陽楼は、武漢の黄鶴楼・南昌の滕王閣と並んで、江南の3大名楼のひとつに選ばれています。
黄鶴楼は暢游しましたが、滕王閣は行ったことが有りません。
また、暢游目標出来てしまいました~~~ -
言い伝えによると、ここではかつて三国時代の呉国の軍師 魯粛が水軍を閲兵した場所なんだそうです。
唐代、岳州に赴任してきた張説が、西暦716年(開元4年)に岳陽楼を改修し、岳州城(岳陽城)の西門としています。 -
岳陽楼からの洞庭湖の絶景です。
-
岳陽楼の下にある洞門を抜けると、洞庭湖まで歩いて降りて行けます。
但し、湖に通じる点将台の扉は閉じられ、洞庭湖畔には降りることが出来ません。 -
振り返ると、岳陽古城の堅固な作りが分かります。
-
先程の双公祠に展示されていた写真です。
洞庭湖から眺めた岳陽楼です。
遊覧船に乗船すれば同じ景色に逢えますよ!! -
洞庭湖側は堅固な城壁で守護されています。
攻めるなら違う城壁を狙った方が得策でしょうかね。 -
景区最奥に小喬の墓丘が残されています。
小喬は三国志時代における呉国の都督であった周瑜の妻です。
姉の大喬は、呉の孫策の妻です。 -
言い伝えによれば、2人の姉妹は絶世の美女だったようですね。
やはり、いつの時代でも美女は特ですね。 -
景区有料エリアを出て、魯粛墓に向かいます。
と・こ・ろ・が・・・閉鎖されています。
呉国の軍師 魯粛に会いに来たというのに・・・非常に残念です (≧∇≦)
仕方なく、向かい側の一段高い畑によじ登り、塀越しの魯粛丘墓の写真を撮りました。 -
☆(☆はサンズイ編に卞)河街を歩いて食事処を探していると・・・
石鍋魚という看板が気になりました~~
これは熱くて辛くて痺れそうな鍋ですね。 -
洞庭湖側に面した露天卓を確保し、石鍋魚・白飯を注目、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
注文時に言葉が通じないことで不思議がられていましたが、やはり質問が来ました~~“那里●▽◆×▲◎●”!!
我是日本人と紙に書くと・・・他テーブルのお客さんも巻き込んで大騒ぎです。 -
写真は、日本のコイン・紙幣が見たいと懇願してきた山東省から岳陽に旅行で来ていた王さんです。
人民元と交換して欲しいと言われ快諾です!(^^)!
ここでも日中友好草の根交流は続きます。 -
昼食後、後半戦の暢游開始です。
岳陽文廟を訪れてみると・・・工事中!!
ヤ・ラ・レ・タ・・・ガーン!!!
残念ながら閉鎖中です。
まあ、こんなことも有るさ~!!! -
岳州文廟は岳州学宮と呼ばれ、廟内は数十回にわたり再建・修繕が行なわれています。
大成殿の天井に描かれた龍と鳳凰の天井画“盤龍戯鳳”を見ることが楽しみだったのですが、閉鎖中につき、夢は絶たれました~(≧∇≦)。
仕方ありません!!まあ、気を取り直して暢游再開です。 -
翰林路の片隅に、古城壁が残っています。
かつて、岳陽古城瞻岳門に繋がっていたであろう古城壁は、無残な史蹟になっていました。 -
さあ、岳陽風景区を離れ、老街を南下します。
すると、乾明古寺の看板と遭遇、行ってみましょう!!! -
狭い路地を奥へ奥へと進んで行くと、乾明古寺に辿り着きます。
当然、説明文は中国語のみです。
西暦184年建立という長い歴史を持つ寺院で、当初は永慶寺という名称だったようです。
狭い敷地内に大殿・天王殿・弥勤殿・斉堂・藏経閣が並んでいます。 -
暢游を続けます。
洞庭南路歴史文化街区の看板が立てられています。
老街の整備が始まるようです。
きっと、数年後には、新しい老街の町並み??? が出現するのかな? -
老街を暢游していると、慈氏塔が見えてきました。
この慈氏塔には物語が有ります。
洞庭湖には水の妖怪がいて、常に人々に危害を加え、時には巨大な波を引き起こし、漁船を壊し、田畑や家屋を水没させていました。
そこで、住民は資金を集め、妖怪を鎮めるために塔を建てる事にしましたが、その住民は皆、水妖が引き起こした波にのまれてしまい、“慈氏”という未亡人だけが生き残りました。
慈氏は長年蓄えてきたお金を全て寄付し、また昼夜を問わず、塔を建てる人々の世話をしましたが、塔が完成する前にこの世を去ってしまいました。
そんな彼女を慕って、住民は完成した塔に“慈氏塔”と名を付けたそうです。 -
民家に囲まれていた慈氏塔です。
残念ながら工事整備中で暢游出来ません・・・
塔周辺は立ち退きが進み、塔の修復&化粧直しが始まっています。
観光地としての整備・完成が待たれますね(^O^)。 -
呂仙観という道教寺院です。
西暦934年、洞庭湖畔の白鶴山に呂仙亭・娘娘廟・霊宮殿等が建てられてます。
そして西暦1806年(咸豊十年)に正殿純陽宮が修復されています。
1階は呂祖殿、2階は玉皇殿、3階は三清殿になっています。 -
2階の玉皇殿に入ってみると、沢山の渦巻き型の線香が吊り下げられています。
一種独特な雰囲気です。 -
さて、次の暢游地、経安寺へ移動です。
事前のネット調査では、17路の路線バスが通っているはずなのですが見当たりません。
どうやら、2路の路線バスしか通っていないようです。
これは予定外だ!さあ困ったゾ!! -
到着した2路バスの運転手に、“亀山站”と紙に書いて見せると、“没有●△×□◆◯▲▽◎”と言われ、理解不能・・・
同じバス停で待っていた男性から、“没有×●▽◆□◇◎”と言われるも、やはり理解不能!!!
仕方なく、亀山站方面へ歩いて行くと・・・
後ろから走行して来た白い自動車の運転席から、誰かが “HELLO” と声をかけて来るではあ~りませんか!!! -
何と、先程、バス停にいた男性を含む男女3人組が、車内から“◯×▼□◆◎×”と叫んでいます。
“Do you want to go with us?”とも聴こえたような・・・
どうやら“乗せて行くよ” と言っているようです。
何て親切な若者達なのだろう・・・
困っている外国人旅行者を放っておけなかったのでしょうか???
日中友好の草の根は、中国に飛び込んでみれば何度も体験出来ますよ!! -
経安寺山門近くの湖浜大道で降車後、その男性1人だけが親切にも一緒に経安寺まで歩いて、私達を送り届けてくれました。
“没謝・没謝~”と言いながら、その男性は戻っていきました。
本当に感謝・感謝です。 -
経安寺の門票(20元)です。
-
経安寺の始建は唐代(公元716年-760年)の頃で、湖南亀山の北東斜面に建てられた歴史のある寺院です。
-
念仏堂を越えると長い階段上に万佛宝塔が聳え立っていました~
この階段、登るしかない・ない・ない!! -
亀山に建立された経安寺の万佛宝塔に登るには、更に5元が必要です。
その門票です。
拝観券ではなく香花券と記載されています。 -
高さ56mの万佛宝塔を、ハアハアハア・・・
息を切らせながら登り切ると・・・ -
山門・天王殿・大雄宝殿・念佛堂・観音殿と暢游して来た経安寺全体を俯瞰出来ます。
-
さあ、今日は赤壁市まで移動しなければなりません。
湖浜大道を亀山站に向かって歩いていると、先程、乗車しようにも通っていなかった17路バスがやって来ました。
ダ~~~ッシュ!!!
先ずは17路バス(2元)で、岳陽火車站に移動です。 -
その17路バスを岳陽站近くの火車站で降車した途端、高鉄岳陽東站行き55路バス(2元)が到着です。
何とスムーズな乗換なのだろう・・・超ラッキーーーー -
55路バス乗車約25分、高鉄岳陽東站に戻って来ました。
-
岳陽東站から赤壁北站迄の二等車高鉄切符(39.5元)です。
-
G1124号高鉄列車は僅か22分で赤壁北站まで駆け抜けます。
いよいよ湖南省ともお別れです。 -
早々に高鉄赤壁北火車站に到着です。
実は、この赤壁市という名称ですが、1998年に蒲圻市から名称変更されました。
赤壁の文字を使うなんて、観光商魂、たくましいですね~(*^^)v
さあ、まだまだ移動は終わりません。
中心部までのバス移動が待っています。 -
赤壁北火車站からは、遅い時間まで、各方面行きの路線バスが運行されています。
-
我家は1路バス(2元)で市内中心部の人民広場站へ向かいます。
-
人民広場では、沢山の人民が、大音量の音楽に合わせて太極拳や舞踊に興じています。
その一角に、諸葛亮(孔明)像が建てられています。
三国志モードが盛り上がりますネ (*^▽^*) -
今夜、お世話になる金橋国際酒店(ツイン朝食付246元)に無事にチェックインです。
小休止後、ライトアップされた蒲圻古城散策に出発です。 -
蒲圻大橋を渡る途中、ライトアップされた通匯門と拱極門が陸水越し(護城河越し)に見えて来ました。
古城って何故かワクワクしちゃうんだよね ヽ(^o^)丿 -
通匯門(通称:水西門)を城外から眺めます。
ん~うっとり !(^^)! -
門洞を潜り、今度は通匯門を城内から眺めます。
ん~シビれます (^○^) -
護城河に沿って東へ暢游すると・・・
ライトアップされた拱極門(通称:北門)が見えて来ました。
ん~幻想的~ )^o^(
蒲圻古城は全部で6門を有し、現在でも4門が残されています。
今夜は2門を眺めて終了~晩御飯TIMEです。 -
晩餐会場は何処に有るのか?
古城の場合、城門周辺か中心部の鼓鐘楼周辺に発達している場合が大半です。
蒲圻古城中心部に狙いを定め、暢游・暢游です。
すると・・・古城内の純川街道沿いに大規模な屋台街が現れました。
我家の“カン”的中です (^ω^) -
どの屋台で晩餐しようか・・・
イイ香りが立ち込めます。
一生懸命、言葉の壁を乗り越えて説明してきた屋台をチョイスです。
羊肉を含む各種串・香辣花甲が単菜に有るのか否か・・・
そこが大切ですネ (^○^) -
各種串・香辣花甲・辣炒飯を注文、金龍泉ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
日本では、衛生面での縛りが厳しく、沢山の屋台が消えています。
そんな中、今の日本では体験出来ない屋台の空気・雰囲気、そして筆談コミュニケーション、全てが楽しいのです。
あ~美味しかった!楽しかった~!!御馳~!!!
暢游3日目の9月24日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游4日目、9月25日が始まりました。
今日は蒲圻古城と赤壁古戦場を巡ります。
何か雨になりそうなイヤな予感が過ぎります。
とはいえ、暢游開始です。
昨夜同様、蒲圻大橋から護城河越しに通匯門(通称:水西門)が見えてきました。 -
通匯門(通称:水西門)を仰ぎ見て・・・
-
拱極門(通称:北門)前の石碑に到着!!!
蒲圻古城は蒲圻石城というようです。 -
拱極門です。
何て心惹かれる城門なのだろう・・・ -
その城門に連なる古城壁です。
やっぱり、シビれます (*^▽^*) -
さあ、蒲圻古城は4門の城門が残されています。
他の2城門まで護城河越しに暢游します。
綺麗に散策路が整備されています。 -
アレレ・・・
安心していたら散策路が工事で途絶えていました・・・
中国暢游に付きものの工事中・閉鎖中って訳ですか!!!
どうやら護城河に歩行専用の人行橋を架けているようです。
引き返すしか方策は有りませんネ。 -
拱極門から蒲圻古城内に切り込みます。
古城内には魅力的な露天が連なっています。
日本では消えてしまった光景に・・・
ワクワク・ドキドキです。 -
拱極街を南端まで暢游すると、迎熏門(通称:南門)が鎮座しています。
洞門を潜って護城河に出て、暢游の仕切り直しです。 -
迎熏門から北側に連なる城壁です。
城壁上を歩けないのかな・・・??? -
迎熏門から護城河沿いを北上、聚奎門(通称:東門)から古城内に戻ります。
これで蒲圻古城4門全て制覇です。 -
古城内の景色①です。
豚さんは、既に御臨終で肉塊になっています。 -
古城内の景色②です。
鶏さんは、まだ生きています。
でも・・・やがて御臨終です。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・・・ -
古城内の景色③です。
亀さん・蟹さん・蛙さんも生きています。
連れて帰ってくれる主人を待っています。
ここに来てしまったが最後、まもなく御臨終です。
南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・・ -
純浪合酒・・・お酒屋さんです。
朝から酔う訳にはいきません。
ここは素通りします。
しかし、イイ香りだなあ~ -
昨夜の純川街道沿いの晩餐会場ですが、何と、日中は西湖国際市場駐車場として利用されています。
というか、駐車場が夜になると、屋台街に変貌するのですね。 -
昨夜、屋台街で輝いていた看板が、駐車場の隅に並んでいました。
今夜も出動を待っているのですね。 -
西湖国際市場駐車場を過ぎ、赤壁古戦場迄のバスが発着する城西停車場に到着です。
-
駐車場内には各方面行きのバスが停車しています。
赤壁古戦場という看板を掲げたバス(9元)を発見、乗り込みます。
30分毎に発車するようです。 -
バス内では、珍客日本人に対し、大騒ぎです。
“×●▼□▲◎●◇”と聞いてきますが意味不明・・・
しかし、このバス、赤壁古戦場行きの観光客用バスでは無く、途中で人民を乗せたり降ろしたり、また、大きな荷物を運んだりと、完全に地元民用のバスですね。 -
赤壁古戦場は赤壁古鎮站まで乗車し、後は歩く必要が有ります。
古鎮入口のモニュメントです。 -
石碑坊を潜り、古戦場に向かいます。
段々と高揚感が高まって来ます。
お願いだから雨にならないでネ (o_o) -
徒歩約15分、古戦場という名のテーマパーク入口に到着です。
再確認です。
テーマパーク化したとは言え、赤壁古戦場は天下三分の形勢が確立した重要な地であることに変わりは有りません。
赤壁の戦いとは西暦208年に起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍との合戦のことを指します。
曹操の全国制覇が事実上失敗し、三国鼎立への分岐点となった重要な戦いです。 -
映画レッドクリフは、日本の三国志ブームに再び火を灯しました。
この先に古戦場が有る・・・いよいよ御対面です。
因みに“赤壁”という言葉は、孫権・劉備連合軍が、曹操の軍船を焼き払った時に燃えた炎が、長江の岸壁まで赤く染めたことに由来すると言われています。 -
赤壁古戦場門票(150元)です。
何て高額なのだろう・・・
ここで武道演武が午前中で終了していることが判明~!!
この事実を知れば、更に高額な門票と感じてしまいました。 -
園内図を確認し、出撃だあ~
有名な史実ですが、再度おさらいです。
三国志の名場面“赤壁の戦い”は、後の魏の礎となった漢丞相 曹操が、北部を平定した後、南部も制圧する為に、大群を率いて南下、領土拡大を図ったことで、呉蜀連合軍(孫権・劉備軍)との間で起こった戦です。 -
演武会場です。
いくら平日とはいえ、午前中しかショータイムが無いなんて、ちょっと酷過ぎないかい??? -
順路に従い進んで行くと、関羽を模したトランスフォーマーが出迎えます。
三国志ファンとしては理解できない演出です。
何故、トランスフォーマーなの? -
兵法三十六計が書かれた説明板が並びます。
三国志関係のエピソードも沢山有るのです。 -
美人計(びじんけい)とは、兵法三十六計の第三十一計にあたる戦術です。
色仕掛けで相手の戦意を蕩かせてしまう計略です。
春秋時代末期に越が呉に滅ぼされそうになった時、呉王の夫差に対して越の范蠡が美女西施を送り込み、やがて逆に呉を滅ぼしてしまったという故事があります。
三国志では、王允が自らの娘の貂蝉を、董卓と呂布の双方にあてがい、双方が嫉妬し合うようにする計略が有名ですね。 -
苦肉計(くにくけい)とは、兵法三十六計の第三十四計にあたる戦術です。
人間というものは自分を傷つけることはない、と思い込む心理を利用して敵を騙す計略です。
三国志でも苦肉計が使われています。
孫権・劉備軍の勝因は、黄蓋の“苦肉の計”です。
黄蓋が投降すると見せかけて対岸の烏林の曹操軍に向けて火をかけた船を突っ込ませたという話です。 -
☆統(☆は广に龍)が兵書を読み、呉の周瑜や魯粛と意気投合したという“閲書亭”です。
古い藤の木の蔓が互いに絡みついているのを見て、連環之計を思いついたという“千年古藤”が残されています。 -
後に蜀の軍師中郎将となる☆統(☆は广に龍)が、孫権・劉備軍から距離を置くため金鸞山中腹に居を構えていたという鳳雛庵があります。
☆統(☆は广に龍)は、赤壁の戦いの頃は孫権軍に属してはいなかったので、陣中ではなく鳳雛庵に待機したそうです。
その孫権軍に属していないことを利用し、☆統(☆は广に龍)は曹操軍に乗り込み、北方の兵が船上に慣れていない事(船酔い)を指摘し、船と船を鎖で繋ぎ、鉄板を渡し、船の揺れを抑える連環之計を授けるのです。
因みに☆統(☆は广に龍)は、鳳雛、孔明は伏龍と呼ばれています。 -
先に進むと・・・アララ、桃園の誓いの再現石像が現れます。
赤壁の戦いとは関係ありませんが、三国志ファンとしては楽しめます (*^^)v -
小喬が周瑜に嫁ぐ場面を表現した像でしょうか。
一緒にいるのは大喬です。 -
赤壁という模擬石刻の前で指揮を執る周瑜像です。
曹操の攻撃で孤立した蜀国 劉備は、軍師の諸葛亮(孔明)を、呉の孫権へ使者として派遣します。
孔明は孫権の総司令である周瑜と意気投合し、2つの勢力は共に曹操と戦う同盟を結ぶこととなります。 -
煮酒英雄論像が有ります。
手前が劉備、奥が曹操です。
今でも“青梅煮酒”という三国志にまつわる諺が残っています。
曹操が劉備を梅園の宴に招き、梅の実を肴に、天下英雄を論じる話です。
その宴席で曹操は劉備の人物を推し量ろうと“天下の英雄は君と余だ”と論じます。
曹操は当時自分の客分格でしかない劉備に対し、既に英雄的資質を見抜いていたのです。
それに対する劉備は、驚きの余り、箸を落としてしまいます。
この時、突然鳴り響いた雷に怖がっている小心者を装い、曹操に対し偽って己を小さく見せることで英雄的資質を見抜かれないように用心したという話です。 -
呂布と貂蝉像です。
董卓は洛陽に入ると皇帝を傀儡化して実権を握り、暴虐の限りを尽くします。
その董卓と武将で勇猛な呂布を離反させるため、王允が自らの娘の貂蝉を、董卓と呂布の双方にあてがい、双方が嫉妬し合うようにする“美人連環の計”の場面を表現しています。
ん~~?? 遥か彼方に誰かの像が見えていますね。 -
カメラをズームしてみます。
見つめ合う呂布と貂蝉に物申している董卓像です。
“俺の女を横取りするな~”なんて叫んでいるのでしょうか?
テーマパークならではの演出ですが、三国志にまつわる諺が、分かりやすく表現されていますね (^0_0^) -
黄承彦像です。
世に出る前の諸葛亮を知り、その才覚を認め、まだ結婚していない諸葛亮に対して、娘の黄月英を娶らせて岳父・義父となります。
・・・ん~~ヤバイなあ~~雨が降り出しましたよ (+_+) -
拝風台です。
赤壁の戦いで東南の風を呼び起こした諸葛亮を祀る廟です。
孫権・劉備軍は、諸葛亮(孔明)が追い風となる東南風を予測し、火攻めにより、3万の兵力で30万の兵力の曹操軍を撃破しました。
諸葛亮が東南の風が吹くのを祈ったその南屏山の場所に拝風台という建物が建てられています。 -
火攻め成功の理由ですが、日頃は西北の風が吹く冬場に、赤壁から対岸の烏林へと追い風となる非日常の東南の風が吹いたことにあります。
諸葛亮が赤壁にある南屏山の拝風台はで東南の風が吹くよう祈ったそうですが、諸葛亮は天文学と地理に通じていて、冬至の前に東南の風が吹く日があることは知っていたようです。
それを如何にも自分の力と思わせるために祭壇を築かせ祈祷しています。
完璧な策士ですね。 -
急に雨足が強くなって来ました。
先を急ぎます。
諸葛亮が発達させた機械式弓の諸葛連弩を放ったという射箭台があります。
船上には兵士を模した藁人形が並び、弓を放った状況が再現されています。
周瑜は、諸葛亮の才能が後々呉の災いになることを懸念し、わざと難題として10万本の矢を集めるよう依頼したようです。 -
雨に濡れる周瑜彫刻像です。
この石像は26個の花崗岩によって作られ、重さが113トンもあります。
周瑜彫刻像は周瑜が鎧を纏い、マントを羽織り、手に剣を持っている立派な姿を表現しています。 -
遂に・遂に赤壁摩崖石刻に辿り着きました~(*^。^*)
ここに来る為に今回の中国旅行を組んだも同然です。
赤壁の戦いの後に呉国 周愉が夕日で赤く染まる崖を見て刻んだと言われていますが、実際には1548年に眉山張という人が書いたようです。 -
長江に降りようとしましたが、散策路の階段は閉鎖されていました。
季節によって、大きく水量が変わるらしく、時には赤壁の石刻文字まで水位が上がるらしいのです。 -
実は赤壁の戦いで実際に火で燃えたのは、ここではなく、曹操が駐屯していた対岸の烏林です。
私達が立っている場所は、呉・蜀連合軍(孫権・劉備軍)の駐屯地です。
対岸の烏林からは、焼けた土の後や当時の武具などが発掘されています。
当然、火攻めにより焼かれてしまっているため、何も遺跡は残っていません。
しかし、実際に赤壁の戦いは1800年前に起こった事実であるということは証明されているようです。 -
雨から逃げるように赤壁大戦陳列館に入館すると、赤壁大戦陳列館の火計のジオラマに遭遇です。
映画レッドクリフでは、周瑜役に梁朝偉(トニー・レオン)、諸葛亮役に金城武、孫尚香役に趙薇(ヴィッキー・チャオ)、甘興役に中村獅童、小喬役に林志玲(リン・チーリン)・・・など、日本・中国・台湾・香港でお馴染みの豪華キャストが集結です。 -
周瑜が物見櫓として使用していた赤壁塔が見えて来ました。
さあ、登るぞ!!! -
赤壁塔を登る階段では、三国志の様々なシーンが描かれています。
諸葛亮と魯粛が、怒り狂う周瑜を落ち着かせようとしています。 -
大喬・小喬です。
中国三国時代、美貌と才気で知られた呉の喬公の二人の娘です。
兵書を好んで読んだようです。
映画レッドクリフでは、曹操が小喬を我が物にしようとし、茶を嗜んでいる間に風向きが変わり、魏軍は火攻めで敗北を喫します。
魏国からすれば、小喬は傾国の美女ということになりますかね。 -
周瑜は計略で水軍の要である蔡瑁・張允を謀殺することに成功します。
水軍の大将を欠いた曹操軍は、風向きの変化の予兆も探知出来ず、やがて火攻めによって大敗北を喫するのです。 -
☆統(☆は广に龍)が仕掛けた連環之計も描かれています。
曹操軍の船と船を鎖で繋ぎ、船の揺れを抑えました。 -
登り切った赤壁塔からテーマパーク全域を見降ろします。
しかし、雨と靄で良く見えません。 -
劉備や周瑜の指揮船が停泊しています。
-
中秋節が終わった平日で、しかも雨が降っています。
観光客は殆ど居ません。
場内の食事処は開店休業状態です。
ならば赤壁古戦場を退場し、赤壁鎮まで歩いて食事処を探した方が良いでしょう。 -
赤壁鎮のバス乗場近くの食事処で、水餃・木耳炒肉・尖椒土豆絲を注文、金龍泉ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
我家の中国旅行時の定番メニュー尖椒土豆絲、やっぱり美味しいなあ~!(^^)! -
さてさて、赤壁市の城西停車場に戻ります。
バスに乗り込むと、“●×▲◇□×◎”と言われるも理解不能。
すると、バスの運転手さんが、フロントガラスに立てかけてあった行先案内ボードを示しています。
何と“赤壁北站”と書かれてあるでは有~りませんか!!
高鉄赤壁北站直通の路線バス(15元)が存在しており、超ラッキーです(*^▽^*) -
とはいえ、結局、この路線バスは、城西停車場前の路上を経由して、赤壁北站に向かいます。
直通では無く、城西停車場経由の路線バスですね。 -
御蔭で予定よりも1時間も早く赤壁北站に到着です。
集票処へ行って、1時間前倒しの17:51発G544高鉄列車(59.5元)に切り替えてもらいました。
早い列車に空席が有り、LUCKY (^_-)-☆ -
G544高鉄列車が入線です。
赤壁北站から武漢站まで、僅か33分で駆け抜けます。 -
武漢は、武昌・漢口・漢陽の3都市が合併して誕生しました。
高鉄武漢火車站は武昌エリアになります。
三国時代の西暦223年(黄武二年)、呉の孫権は、黄鵠山の川の側に夏口城を築き、大部隊を配置したことにより周辺に商人が集まり都市が形成されました。
この場所を孫権が“武運昌盛”の意をこめて武昌と命名したと伝わり、その夏口城内に築いた展望楼が現在の黄鶴楼なのです。 -
地下鉄4・2号線で循礼門站まで移動です(4元)。
遂に武漢まで戻って来たゼ~!! -
循礼門站から徒歩5分、武漢美聯都市假日酒店(338元・朝食付)にチェックインです。
早速、夜の江漢路に繰り出します。
租界時代のレトロな建築群と近代的なそれとが混在しています。
何とも言えない異国情緒的で懐古的な街並みに心躍ります。 -
夜市に潜入します。
この THE アジア~的な雰囲気、ゾクゾクしちゃいます(o^^o)! -
その一画の吉慶街で武漢魚を扱う食事処を探します。
川湘辣子武漢魚鍋・白飯に舌鼓、哈爾賓ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!
淡水魚の武漢魚は淡泊で美味でしたよ~~(⌒∇⌒)。
暢游4日目の9月25日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
早上好!!!暢游5日目最終日、9月26日が始まりました。
龍王廟へ行く予定でしたが、走行予定の道路が工事中で、527路が運休しているかも知れません。 -
バスを待っていると雨が降り出しました。
渋滞が激しくなる可能性があります。
安全策を取り、先に晴川閣だけ行くことにしました。
従って、京漢大道前進一路站で553路バスを待ちます。 -
約20分間、待っていたら、553路バスが2台続けて到着です。
空いている後ろのバス(1.5元)に乗車します。 -
浜江大道晴川閣站で降車すると、目の前に城門が現れました~。
鉄門関と呼ばれる城門です。 -
理由は不明ですが、今日は入場料不要で免費でした。
まあ、ラッキ-と素直に喜びましょう)^o^(!! -
晴川閣は武漢長江大橋の漢陽側にある楼閣です。
長江を隔てた武昌側に建つ楼閣 黄鶴楼と対峙しています。 -
晴川閣は、禹稷行宮・鉄門関の三大主体建築及び禹碑亭・朝宗亭・楚波亭・荊楚雄風碑・敦本堂碑及び碑楼・臨江駁岸・曲径回廊など10箇所以上の付属建築によって形成されています。
-
中国の治水の神といえば禹王です。
禹稷行宮に入ってみると・・・ -
中国の古代王朝である夏王朝の初代皇帝である禹王が祀られています。
禹王は司馬遷の“史記”にも名前が出ており、“三皇五帝”という有名な聖君の一人として伝えられています。 -
武漢は、武昌・漢口・漢陽から成り立ちます。
それぞれのエリアは長江と漢江によって隔てられています。
その二つの大河が合流する分界点の石碑が設置されていました。
えっ!!!こんな場所に石碑???
きっと今と昔では、河川の場所が変わっているのでしょうね。 -
晴川閣に別れを告げます。
当初の予定通り龍王廟へ行くか否か・・・
悩んだ結果。龍王廟は次回の武漢旅行の時に訪れればイイじゃん!!ってことになりました。
という訳で、浜江大道晴川閣站から循礼門站まで戻ります。 -
532路バス(1.5元)が到着です。
-
循礼門站から武漢天河国際机場站まで、地下鉄2号線(5元)で乗換無しで行くことが出来ます。
-
武漢天河国際机場に戻って来ました。
いよいよ中国旅行が終わろうとしています。 -
春秋空港日本の個人カウンターに並びます。
成田空港同様に個人客カウンターは混雑し、団体客カウンターは閑散としています。
中国人訪日客のトレンドが変化していることが分かります。
周りを見て感じるのですが、以前と違って、結構、若い人達が訪日しているような気がしますね。 -
出国後、最後の昼餐を楽しむべく、1軒しか営業していない手工牛肉拉麺店に行ってみると、目の前で麺を手打ちしています。
-
紅焼牛肉拉麺・羊肉ヤンモーカンモーに舌鼓、黄鶴楼缶ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!!乾杯~!!!!
搭乗アナウンスが流れる時間が近付いてきました。 -
私達が登場するIJ1012便です。
-
いよいよ離陸です。
いつも後ろ髪を引かれる瞬間です。
あ~楽しかったなあ~ -
湖南省・湖北省史跡巡りの旅・・・・如何でしたか?
過ぎてしまえば、あっという間の5日間の旅でした。
刻々と夕闇が迫り、睡魔が心地よい瞬間です。
現実的な中国暢游という夢の世界から、本当の夢の世界への扉が開きます。
さあ!!明日から仕事を頑張って、そして、またまた休暇を取って、中国旅行に行くぞ~!!行くぞ~!!!!!絶対行くぞ~!!!!!!!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
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この旅行記へのコメント (3)
-
- バカボンさん 2018/10/01 14:03:47
- 春秋航空安い
- 結構なハードスケジュールですね。それと辛い料理もお好きとお見かけします。私辛いものがだめです。
史跡巡りがお好きなようですね。どれも結構ディープな場所と言うか中国好きでないと行きませんね。
あと、晩上好 は 今晩は の意味なので、お休みなさい の意味で使うのなら 晩安 が良いと思います。
ちょっと気になったので老婆心ながら申しあげました。
- 尖椒土豆絲さん からの返信 2018/12/15 10:09:02
- RE: 春秋航空安い
- バカボン様
ご指摘ありがとうございます。
新しい旅行記からは、晩上好ではなく晩安と記しました。
これからも負けじと中国旅行にのめり込みたいと思っています!(^^)!
> 結構なハードスケジュールですね。それと辛い料理もお好きとお見かけします。私辛いものがだめです。
> 史跡巡りがお好きなようですね。どれも結構ディープな場所と言うか中国好きでないと行きませんね。
> あと、晩上好 は 今晩は の意味なので、お休みなさい の意味で使うのなら 晩安 が良いと思います。
> ちょっと気になったので老婆心ながら申しあげました。
- バカボンさん からの返信 2018/12/15 12:34:18
- 差し出がましい事ですみません
- 早速訂正していただき恐縮です。
私も中国との付き合いはかれこれ30数年になります。
1984年に初めて中国へ行きました。中国語を習い始めたのもこの頃です。
北京には駐在の3年間を含め9年いました。留学していた時期もあります。
2010年から2年間ボランティアとして青海省の大学で日本語を教えていました。
今はチベットに興味があり歴史、仏教などの本を読んでいます。
中国は2,3の省、自治区を除いてほとんど行ったので、関心はチベットと台湾に向いています。
来年は青蔵鉄道を利用してラサ、シガツェへの旅行計画しております。
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