2018/02/17 - 2018/02/17
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watersportscancunさん
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皆様こんにちは。ウォータースポーツカンクンの店長吉田です。一昨日、大きな地震が発生する夢を見ました。あまりにリアルだったので、家内にも何か大きな地震がまた起こるのではないかと話をしていたのですが、まさかその日の夕方にオアハカでM7.1の地震が発生するとは思いもよりませんでした。。。店長吉田は昔から、こういう虫の知らせのような出来事が時々あるのですが、いずれにしましても、人災がなく本当に良かったと胸を撫でおろした次第です。。。
カンクンも問題ないので、皆さまどうかご安心ください。
さて、今日も店長日記行ってみましょう!
今日は、お客様をXplorへご案内した後の時間が開いたのでシェルハ遺跡に行ってみることにした。
朝の腹ごしらえはリビエラ方面では定番のアルボリートにて。何をいっても、今時、しっかりと手コネの焼きたてトルティーヤが味わえるタコス屋は貴重だ。多くの店が、繁盛をし始めると手を抜くメキシコにおいて、ここだけはちゃんとお客さんの訴求ポイントを外さないのは素晴らしい。
タコスと聞くと具材に目が行き、トルティーヤはわき役だと考え勝ちだが、実際、多くの人がこの店に何故足蹴く通ってしまうのかと言えば、「この手焼きのトルティーヤ」が目当てであることは言うまでもない。
けれど、経営者というのは時々この辺りを見誤って、メインに見える具材を充実させることばかりに気を持ってかれて実はもっとも重要なトルティーヤは工場生産のものに、手間とコストを下げる一番簡単な場所と考えてかえてしまう事が多い。
結果、客足が遠のき、なぜだろう?という事になる。何事も、押さえるポイントというものがあり、それが一見わき役に見えるものだったりすることもあるという事だ。。。ボクらのツアーでも同じこと。。。なんてことを考えながら、今日もこの美味いトルティーヤのタコスを味わった。
因みに、カンクンではラーメン屋が流行りだしていて、NADER通りには小太郎(KOTARO)というラーメン屋が新しく出来た。スープは最近は良く出来ているものが多いので問題はないのだが、肝心の麺がまだイケてない。やはり残念ながら、ここも麺は既製の冷凍麺。ラーメンは麺が重要なのだけれど、まだスープまでしか辿り着いていないようだ。。。しかも、やはりというか、メキシコ人の茹でる麺は茹ですぎているし。。。ま、それでも、これだけ気軽にラーメンにありつける環境は喜ばしい以外の何物でもないのだが。
さて、そんな脇役が実は主役をしのぐ存在である。。。なんてことを体現しているのが、今回訪れたシェルハ遺跡だ。今回はブログなので、あまり難しい地層年代や発掘品の細かな分類、建築様式などの説明は長くなるので避けるけれど、ここは中級者以上の遺跡好きにはたまらない魅力を備えた遺跡であることは前もって言っておきたい。
シェルハと聞いてあのシェルハ海洋公園を思い浮かべる方も多いかもしれないけれど、ここは海洋公園ではない遺跡のシェルハだ。ちなみに、シカレーもマヤ遺跡の一つである。まー、こんなマニアックな遺跡であるが故あえて中級以上と書かせてもらったが、見学の仕方次第ではマヤ文明好きの方であればだれでも楽しめる遺跡でもあるので、ちょっと今日はこの遺跡について書いてみたい。
偉そうなことを書いておいて恐縮なのだけれど、ボクも恥ずかしながら、このシェルハ遺跡についてはこのエリアの歴史的背景から、一番発展したのは後古典期13世紀以降だと考えていた。あのトゥルム遺跡が含まれるエカブ王朝が隆盛した時代だ。実際、ここには美しいセノーテがあり(泳いでもOK!)、そのすぐ横にある神殿には、養蜂のジャガー神が祭られている。養蜂の神というと、トゥルムで有名な天下る天使があるが、ここはその天井から降りてくるスタイルでジャガーが描かれているのは興味深い。さらに、この神殿には、羽毛の蛇であるククルカンの神殿も規模はかなり小さいながらあったりする。
もともと、シェルハ遺跡についてはこのセノーテを中心に発掘が進んだため、現在出ている情報もこうしたポスト・クラシックの時代に関係するものが多いのは仕方がなく、また、建築様式の類似から、チチェンイッツアとの交易や影響があったと長年推察されてきた。
しかし、近年エリアを広げて発掘が進められた結果、この遺跡は古典期の前期2世紀までその歴史が遡ることが分かり、更に、10世紀以降の地層年代からは、まったくチチェンイッツアの影響を受けた遺品(例えば、メキシコ様式のオレンジスリップなど)が発見されず、逆にマヤ高地の交易品が多く発掘されるなど、マヤ文明との結びつきが盛んであったことなど、これまでの定説を覆すような発見が相次いだ。
例えば、建築様式はメキシコ様式(例えばチチェンイッツァのトルテカ様式など)が多く存在しているにも関わらず、センター間の政治的な関係には何ら影響や関連性がない、、、なんて具合だ。
ククルカンの神殿のような建物もあれば、テオティワカンの影響を受けた壁画まで存在しているのに、直接的な関わり合いが発掘品からは特定出来ないというのは興味深い点だろう。
これは当時の支配者の趣味や趣向で建造物や壁画が描かれていたという事も考えられるわけで、建造物の類似が決してセンター間の関係に結びつかないということでもある。
逆に、シカレー遺跡にはメキシコ様式の建造物は全くなく、マヤの純粋な建築様式のものばかりにも関わらず、発掘品からはチチェンイッツァ様式のものが大量に発掘されるなどしているので、こうしたこともまた上記の説を後押ししている。
こうしたマヤ考古学に一石を投じるような発見があった遺跡ではあるが、センターの規模はそれほど大きくないので、派手なピラミッドがあるチチェンイッツア遺跡や、そのロケーションでインスタ映え(こういう流行りの言葉を入れるのも時代の流れと受け止めて欲しい(笑))するトゥルム遺跡のように注目を浴びることはないのだけれど、マヤ考古学好きには実に魅力的な遺跡であることは分かってもらえると思う。
実際このシェルハ遺跡に訪れると、きっと誰でもぐいぐいとこの遺跡に引き込まれていくだろう。
さて、先にも書いたセノーテ周辺の遺跡群だが、このシェルハ遺跡の見どころは、このエリアではない。セノーテ周辺には天下るジャガーの神殿やククルカンの頭をあしらった神殿が400mものサクベでつながれているとはいえ、作りは粗雑で後古典期の一地方小都市の印象を強くする。これだけだったら、特にこの遺跡をボクが取り上げることもなかったと思う。
が、この遺跡の魅力はマヤ文明がもっとも発達した古典期の遺跡群にある。規模は小さいのだが、その作りの精巧さは目を見張るものがあるからだ。例えば、グループBのエリアにこのシェルハ遺跡の中心ともいえる宮殿がある。
この宮殿は、外から見学するとそれこそ、トゥルム遺跡にあるハラチウィニクの宮殿と何ら変わりのない、若干それより大きい程度の印象しか与えない。
が、一歩中に入ると、この建造物の凄さが爆発する。
建物には入口が何か所かあり、中は細かく区切られているのだが、分かりやすいくらいにその部屋が何に使われていたのかが瞬時に理解出来る。ここは寝室、ここは謁見の間、そして、ここは侍者が控えた場所。カーテンがここにひかれて、王はここで寝て、控えの間では奥方たちが生活をしたと思われる場所など。更にシャワーを浴びたと思われる場所まであったりする。
ここで準備をして、侍者の前を通り、長い通路を歩いた先に表となる大きく開かれた舞台がつながっている。舞台裏から表に出ると、そこは開かれたプラザで、シェルハの住人たちが王の言葉を聞こうと集まったであろうことが、リアルに目の前に現出する。
当時のマヤの世界が、まるで自らに王の魂が宿ったように、体感をすることが出来るのだ。
マヤの王様が実際に生活をした世界をリアルに体験が出来る遺跡ってすごいと思わないか?
しかも、この宮殿は小さいのだけれど、細かな部分をみると目を見張る。壁に敷き詰められた切り出し石が、今までどの遺跡でも見たことがないほど「精巧」なのだ。寸分の狂いもなく長方形に切り出された石灰岩のブロックがすべての部屋に敷き詰められている。これだけ狂いのないブロックをボクは今まで見たことがなく、マヤ文明の当時の技術力の高さ、また、このような小さなセンターでも王の力がどれほどのものであったのかがはっきりと分かる。
それにしても、こうした事は、建物の中に立ち入りが出来なければ何一つ分からない。細かなブロックの積み方にしても、近くまで行けなければ分からない。往々にしてマヤ遺跡には多いのだけれど、観光客が増えれば立ち入り規制が敷かれる。結果、建物の外からのみの見学となり、遺跡本来の探訪という一番の楽しみがそがれることになる。
何もわからず見学すれば、ただの小さな建造物だが、中級以上の方にとっては、この中に入って見学できるという事がどれほどの意味を持つのかよくお分かりいただけると思う。
また、ここには鳥の神殿(Edificio De Los Pajalos)と言われる建造物がある。建造物地の基礎は西暦100年と書かれているのでこのセンターでは最も古い建造物の一つだ。
ここには美しい二種類のインコを描いた壁画が残されているのだが、これ以外にも最高権力者(俗にいう王)を示すアハウというマヤ文字が刻まれた文字も残っており、西暦100-300年の間にはすでに、このセンターは王によって統治されていた事が分かる。
このような初期の古典期の時代(ちなみに、マヤ世界第二の規模を誇った巨大センターであるコバも西暦200年ごろからスタートしている)に、既にアハウが存在していたのはこのセンターがそれだけ当時重要な都市であったことをうかがわせる。
更に、この壁画には、当時はかなり貴重であったマヤンブルー(青色顔料)が使用されているのも重要な都市であった有力な証拠となる。当時の青色顔料は、パリゴルスキーという鉱石から抽出されていたのだが、この特殊な鉱石はプウクエリア近郊のサカルムというエリアでしか産出がされず、しかも少量しか採取出来なかった為、どのセンターでも手に入るというものではなかった。
500km以上離れた場所から陸路交易を通じて手に入れることが出来るのはごく限られたセンターだけであり、この青色顔料を壁画に使用している事も、このシェルハが強い力を持っていた事を示しているわけだ。
また、この神殿だが、3期に分けて増築されているのだが、神殿として建てられたものがいつの間にか住居に建て替えられている事も分かっている。時代が下がって違う支配者によって作り替えられた結果だと考えるのが妥当だが、興味深い事に、3つの部屋の内、一つは墓室だったことも分かっている。そこから発掘された骨は支配者を示す副葬品に包まれていた事も、あえて神殿を王の墓とし、その上に生活をすることで威信を高めようとしたのかどうかは想像の域を出ないが、こうした事に思いを馳せるのも遺跡探訪のロマンだ。
ただ見学するのではなく、マヤの埋葬方法や宗教観など、ちょっとした知識があるだけで、マヤ遺跡の見学はぐっとその楽しみを増す。
チチェンイッツア遺跡などのように研究が進んだ遺跡は初心者でもガイドの説明を受けながら楽しむことが出来るが、シェルハのようにガイドもおらず事前知識として様々な研究論文にあたらなければ分からないような遺跡は、それなりの知識を必要とするわけだけれど、それがこの遺跡が中級以上向けとボクがいうその理由でもある。
何と言っても、全ての建造物に立ち入ることが出来、細かな作りの詳細、壁画なども間近にその筆のタッチまで感じることが出来るのは実に魅力的だ。こうした遺跡はなかなか最近では少なくなっている。
残念ながら、何も分からない観光客が適当に中に入って壁画に直接手を触れたり、酷い場合には落書きをしていくような不届き者もいたりするため、こうした行為が規制を増やす原因になるわけだが、遺跡への立ち入りを続ける為にも、遺跡を見学する際にはこの古代の人々に対する敬意だけは忘れてはいけないと思う。
というわけで、マヤ遺跡に興味がある方は、是非、シェルハ遺跡に行ってみて欲しい。細かな詳細は今回も写真でご案内することにします。
ボクの会社でも、こうした中級向けに遺跡探訪の企画を出してみようかなと思ったりしている。もちろん、初心者の方でも、リアルにマヤ遺跡を感じる事が出来るシェルハ遺跡は是非行ってみて欲しい。何度も繰り返すけれど、決して敬意を忘れないように(^^)
それでは皆様素敵な一日を!
店長吉田拝
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ALBORITOSのタコス
ちと、写真写りが悪いですが、この手コネ手焼のトルティーヤはいつ食べても最高です。
沢山の具材から自分の好きなものを指定するGUISADOというスタイルは、種類が多すぎてハードルがどうしても高い印象を受けてしまうのだけれど、見た目であれとこれととチャレンジすればいいので、是非皆さんも果敢に攻めて欲しいと思います(^^) -
シェルハ遺跡の全体マップ。
真ん中に見える400m近いサクベが目を引く。このサクベもしっかり見学が可能です。 -
この遺跡は発掘がまだそれほど進んでいないこともあり、こうしてジャングルの中に埋もれる自然との共生の美しさに触れることも出来ます。
こうした自然の中にセンターに流れる時間の長さを感じることが出来ます。
因みに、こちらはALAMOの木(ポプラの木)です。 -
パハロの神殿の壁画
ここには二種類の鳥が描かれています。使われている顔料は三種。黄色と赤、そして、マヤンブルーです。
このマヤンブルーが如何に貴重かが分かるとこの遺跡の存在感が際立ちます。 -
壁画のオウムの姿。分かりますか?
この壁画には鳥かごも書かれています。超自然を象徴していると言われますが、実際には自然との共生を強調しているようにも見えます。 -
アハウの文字。
分かりますか?
西暦300年ごろには王が存在していた事を示しています。当時は、その後マヤ世界第二の巨大センターに発展するコバが建国されたころと時が重なります。その当時、ここシェルハでも王がこの地域を統治していたわけで、シェルハはその後コバほど大きく発展をしなかったわけですが、何がその命運を分けたのか。。。思いを馳せるといろいろな事が思い浮かんできます。 -
この壁画の裏は4面に分かれた壁画が描かれており、美しい文様が綺麗に残されています。更に入口のマヤアーチ実に美しく組み立てられていますが、この切り出した石の精巧さもまた技術の高さをうかがわせます。
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中央にはネックレスとブレスレットを付けた擬人化された神が描かれています。時代は300年前後と考えられています。
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これがその神の全容。上半身には鳥の羽をあしらった王冠をつけているのが分かります。様式としてはテオティワカンの影響が見て取れます。
4世紀ごろに既にテオティワカンの影響を受けていたとすれば、このセンターが非常に力をもっていた事は想像に難くないですね。 -
宮殿の表舞台。広場に向かって開けています。
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宮殿内部
ここは寝室ですね。 -
寝室の入口に取り付けられたカーテンの棒をひっかける為の穴
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宮殿内の精巧なブロック
全ての石が企画化された均一の大きさで隙間なくぴったり積み上げられています。 -
壁の角の石もご覧の通りの精巧さです。
これだけ完璧に切られた石を店長他では見たことがありません。このシェルハは規模は小さいですが、建造物一つ一つの精巧さが際立っているのが特徴です。
恐らくこうしたギルド的な技術をもって発展したセンターなのかもしれません。 -
トイレの為に穴をあけられた石
当時でも水洗式だったりしたんですよね。テオティワカンでも見ることが出来るものです。 -
謁見の間
一段高いところに基台が置かれているのが分かると思います。ここで王に謁見をしたのでしょうか。
壁の美しいブロックがとにかく目を引きます。見惚れるほどに美しいブロックです(^^) -
宮殿からプラザの先にある8本柱の神殿
生命力に満ち溢れた熱帯樹が遺跡を引き立てています -
こうした自然の力強い生命力に触れることが出来るのもこのシェルハ遺跡の魅力です。
ハリケーンで一度倒れたにも関わらずまたその先から根を生やし生き続ける力強い生命力に感動します。 -
この8本柱の神殿は元々神殿として建てられていたものを後に作り替えられたことが分かります。
因みに、当初はこの柱の上には茅で葺いた屋根がのっていたと考えられています。石の天井ではなかったという事ですね。
元々の神殿の入口の石積みが後に埋められたことが分かります。 -
400mのサクベ
まっすぐセノーテまで伸びています -
天下るジャガーの神殿
ここには羽の生えたククルカンの頭をあしらった小さな神殿もあります。 -
ククルカンの神殿。階段はなんと2段しかない(笑)
かなり規模の小さな神殿ですが、ククルカンの神殿です(^^) -
マヤンブルーが綺麗に残ったジャガーの神殿
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天下るジャガーの神
これはトゥルムにある天下る天使(Ah Mucen Kab)という養蜂の神に通じていると言われています。
陸上交易から海上交易へ、農耕社会から交易社会へと社会構造の変化とともに、崇拝される神の姿も変わっていきます。
こうした交易が重要になってくるのはポストクラシック以降になります。 -
その横に並々と水をたたえる美しいセノーテがあります。
遊泳可能ですが、誰も泳いでいないセノーテは畏怖を感じるのでなかなか入って泳ぎたいという気持ちになるかは微妙かな(苦笑)
しかし、とても透明度の高い美しいセノーテです
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