2017/08/05 - 2017/08/07
155位(同エリア458件中)
千恵蔵さん
長男夫婦と一緒にレンタカーで廻った山口県。
そもそもなんで山口県?
長男=youが 角島の写真をどこかで見てどうしても自分の目で見てみたかったという理由で山口県。
酒豪の嫁=U-koは 山口の銘酒をGetしたい。
台風が近づいている週末。予定通り二泊三日で戻ってこれるの?
いざ、出発。
①角島・元乃隅稲荷神社
②萩城下町・反射炉・秋吉台・秋芳洞・別府弁天池・春帆楼
③唐戸市場・関門トンネル・錦帯橋・湯田温泉
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旅は二日目の朝。
台風が近づいているとは思えないような快晴。 -
私達が宿泊したホテル「リゾートホテル美萩」の目の前は海。
早朝にも関わらず もう泳いでいる人もいます。 -
まずは朝風呂。
このホテルのすごい所はあらゆるところに企業努力を感じます。
このマッサージチェア。
大浴場の出入り口前に置いてありますが、勿論無料。
女子更衣室内にもあるんです。
知らないオヤジに気持ちよくマッサージしている至福の顔を見られずにすみます。
部屋の鍵も二本用意してもらっていますので、時間を気にすることなく自分のペースでお風呂を楽しむことができます。 -
色々な形の、硬さの枕も無料で借りられます。
漫画や本なども自由に読んでいいそうで。
何日も滞在したくなります。 -
7:30朝食
昨日の夕食もそうでしたが、こちらの希望の時間に食べることができるのもうれしいサービスです。
ついつい食べ過ぎてしまいます。
でも、今日これからの活力となりますのでよしとしましょう。 -
夏で暑くて入る気がしませんでしたが 駐車場脇には足湯がありました。
海を眺めながらの足湯なんていいですよね。
9:00車はそのままで萩の城下町散策へでかけます。 -
5分も歩くとこんな風景が。
萩城外堀
日影がまったく見当たらない。
まだ朝の9時だというのにすごい日差し。
汗だくです。
車を置いてきたのは失敗だった。 -
北の総門
脇戸付きの切妻造り本瓦葺き、柱間約6m、高さ7mの日本最大級の高麗門。平成16年11月に、「萩開府400年」を記念して復元されました。本柱や「冠木(かぶき)」と呼ばれる横材などは、欅(けやき)の巨木を使って復元しています。
北の総門は、藩政時代に城下から三の丸(堀内地区)に入るために設けられた総門の一つであり、他に中の総門、平安古の総門がありました。かつては門番が常駐して人の出入りを監視しており、門は暮れ六ツ(酉の刻)から明け六ツ(卯の刻)までは閉じられ、鑑札を持った者以外の通行を禁止していました。
その後、総門脇の土塁や船着場などが整備され、外堀に架かるものとしては全国唯一となる土塀付き土橋も整備。土塀には白漆喰(しろしっくい)仕上げが施され、平成23年度に萩城跡外堀保存整備が完了しました -
旧~邸とか立ち並ぶ。
保存が大変そうですね。 -
木戸孝允旧宅
桂小五郎の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允の旧宅。生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建ての家 -
円政寺
境内には十二支の彫刻が施された珍しい形式の金毘羅社があり、神仏習合の形態が見られる貴重なお寺です。高杉晋作や伊藤博文が幼少の頃に勉学に励んだことでも知られています。
境内には大きく迫力のある天狗の面があります。晋作は小さい頃病弱だったため、母親がこの天狗の面を見せて晋作を勇気づけたと言われています。
このお寺の近くにある萩焼のお店に寄りました。
茶陶として誉れ高い萩焼には「萩の七化け」という言葉があります。
これは萩焼の器を長年使い込むうちに、貫入を通してお茶などが器に染み込み、色合いが変化して微妙な味わいを増してくることをいいます
旅の記念にマグカップを購入しました。どんな七化けになるのか楽しみです。 -
高杉晋作立像
銅像は、晋作が明倫館や松下村塾に通っていた20歳頃の若々しく凛々しい顔をイメージしており、両刀を差した羽織、袴の立ち姿です。銅像の高さは1.8mで、台座を含めて3m。晋作誕生地と萩城の方角を向いて建てられています。また広場には晋作が好きだった梅の木も植樹されています。 -
高杉晋作誕生の地
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地。敷地内には、晋作ゆかりの品や東行と号した句碑・産湯の井戸などがあります。
伊藤博文から「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」と評された晋作の生涯が、イラストでわかりやすく解説されています。 -
なまこ壁のこんな路地
素敵ですね。
それにしても暑い -
夏みかんジュース。300円
さっぱり、フレッシュです。
10:00ホテルへ戻りました。
めちゃめちゃ暑かった。
ここからは車で移動。 -
10:30萩反射炉
西洋式の鉄製大砲鋳造を目指した萩藩が、安政3年(1856)に建設した反射炉の遺跡です。
当時は鉄製大砲を建造するには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり、その装置として反射炉を用いていました。今見えているのは高さ10.5mの煙突にあたる部分
反射炉が現存するのは、静岡県伊豆の国市の韮山反射炉と鹿児島市の旧集成館、萩市の3ヶ所のみです。 -
10:45松陰神社
明治40年(1907)に創建された、吉田松陰を祭神とする神社。
明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などにより松下村塾の改修が行われ、松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立されました。
その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、明治40年(1907)に県社の社格をもって創建が許可されました。現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したもの。御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められています -
この神社のおみくじは 珍しい形
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傘です。
小吉でした。 -
おみくじを結ぶ木もなんだかかわいくみえます。
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松下村塾(しょうかそんじゅく)
幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。
松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。
案外小さい。 -
松下松陰幽囚の旧宅
旧宅は国指定の史跡で、木造瓦葺き平屋建て214㎡のかなり大きい建物です。そして幽囚室は東側にある3畳半の一室です。
吉田松陰は、安政元年(1854) 3月27日に伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して江戸伝馬町の牢に捕らえられ、ついで萩に送られ野山獄に入れられました。翌年に釈放となりましたが、父杉百合之助預けとなり、この実家である杉家に帰され謹慎生活を送り、読書と著述に専念しました。松陰は家族からの薦めもあり幽囚室で孟子や武教全書などを講じました。次第に多くの若者が参加するようになり、やがて松陰は松下村塾を主宰するようになりました。
へーそうだったのか。
11:00次の目的地秋吉台へ向けて出発 -
ここでカーナビの案内する通りにすすんで大失敗。
標識には右って書いてあったけど、カーナビの通り左に進んだら
対向車とは到底すれ違うこともできない 細く曲がりくねった山道だった。
12:00なんとか無事到着
夏で草がたくさん生えて せっかくの岩があまりみえなくてちょっと残念 -
名物の夏みかんソフト。
おいしいです。 -
13:00
秋芳洞近くの駐車場に車を停めようとしていたら、おじさんがこっちこっちと手招きしていて 駐車料金100円って書いてある。
これはいいぞと車を停めて 歩きだして気が付いた。
秋芳洞入口まで結構距離がある。
洞へ近づくにつれ駐車料金も上がっていく。
まあいいか。徒歩5分くらいの距離だし。
まず、バスターミナルで黒谷口行のバスの時間を確認。
車内でも乗車料金払えるらしいけど、ついでにバスチケットも購入。
お昼は瓦そばと決めていたので
バスターミナル目の前の「秋吉館 湧水亭」へ
名前の通りお店の横には湧水の池が。
一匹の亀が優雅に泳いでいて気持ちよさそう。
こんなにきれいな湧水の中で暮らしている亀は幸せ者だなあ。 -
これが噂の瓦そば
ジュージューしながら食べる。
上に乗ってる白いものはイカと思ったら玉ねぎ。
この玉ねぎがいい仕事している。 -
13:20のバス。
なんと 貸し切りです。
そもそもなんでバスなんだというと。
秋芳洞へは、秋芳洞案内所(秋芳洞正面入口)、黒谷案内所(黒谷)、秋吉台案内所(エレベーター)の3ヶ所の入口から入洞できます。 ?秋芳洞正面入口から黒谷口までの高低差は40mあり、秋芳洞正面入口から入ると「上りコース」、黒谷から入ると「下りコース」となります。(基本的には、洞くつ最終点まで行き、引き返すこととなります)
以上の理由から終点まで行って引き返すのは嫌だな。
歩くなら下りのほうが楽。
ということで、バスで黒谷口へ向かいました。 -
黒谷口は殆ど人がいません。
鍾乳洞では当たり前ですが 地面が濡れていて非常に滑りやすい。
youはビーサンを履いていたので 滑って転びました。
黄金柱
ものすごく大きいです -
百枚皿
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見どころの箇所にはこんな機械があり、聞きたい言語のボタンを押すとその見どころの説明をしてくれます。
これはありがたい。 -
秋芳洞冒険コースというのがあって、懐中電灯片手に20分くらいのコースらしいです。
面白そうなので行ってみることに。
料金箱に200円入れて懐中電灯もって岩をよじ登ります。
暗いしどこを通ればいいのかわからない箇所もあり
なかなか楽しかった。
洞窟内は寒いくらいなのに この冒険コースは外の外気が入ってくる箇所のようでとても暑い。
天井にはたくさんのコオモリが飛んでいました。 -
出口。っていうか秋芳洞正面入口ですね。
綺麗です。 -
14:40
約8700mある秋芳洞のうち見学できるのは約1000mだそうで
なかなか素晴らしいです。
外はひと雨降ったあとのようで、蒸し暑い -
15:25別府弁天池到着
無料の駐車場脇には勿論無料のおいしいお水を汲める蛇口があります -
綺麗です。
水はものすごく冷たい。
グリーンに見える所は結構深そうです。
さあ、ここからは下関まで70kmくらい走ります。 -
17:00から下関「春帆楼」でふぐ会席を予約していますので、ドキドキしながらのドライブとなりました。
下関の街中が渋滞していたらどうしようとか、
まったく問題ありませんでした。
高速から降りると間もなくこの日泊まることになっているホテル
「東京第一ホテル下関」があり、駐車場もすぐそばにありました。
いそいで荷物を持ってチェックイン。
部屋に荷物を置くと すぐ「春帆楼」へ向かいました。
(下関のマンホールはフグの絵) -
すごい立派な建物
そもそも「春帆楼」とは
初代内閣総理大臣、伊藤博文が愛した 日本のふぐ料理公許第一号の老舗フグ料理店。伊藤博文の意向で春帆楼にて日清講和条約が締結された。 -
お店に続く坂道をジグザクに進んでいったら
こんな素敵なロビーから係りの人がでてきて
「ご予約の千恵蔵様でいらっしゃいますか?」とお迎えされてしまった。
恐縮でございます。
ふかふかの椅子に座って待つと、スルスルとエレベータの扉が開いて
和服姿の仲居さんが「ようこそお越しくださいました」と、深々と頭をさげられます。 -
そして案内されたのがこのお部屋。
こんな素晴らしい景色一望の個室なんてまさか別料金とらないよねえ。なんて心配しちゃいましたよ。 -
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これが本物のフグ刺しだ。と実感。
今まで食べていたフグ刺しはゴム製だったに違いない。 -
もちろんU-koは山口利き酒三種。
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みんなで回し飲み、ひれ酒も頼みました。
マッチで火をつけて瞬時に蓋をします。
ヒレのうまみがしみてきて 味わい深い -
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うまい!
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〆は勿論雑炊。
仲居さんが作ってくれます。
美味しいという言葉以外でてきません -
デザート。
一生に一回の贅沢と思って、このような高級なお店にきましたが
思い切ってよかった。
切実に思いました。
また、食べたいな。
19:15余韻に浸っている時間はありません。
宿泊ホテルのオプショナルサービス、夜景観光ツアーに申し込んでいます -
19:20ホテルロビーには本日のガイドハヤシさん?が待っていてくれました。今日の参加者は私たち3人のみだそうで
早速出発
まず、赤間神社
ライトアップされていて 綺麗です。
しかし、説明を受けている間に 蚊に刺されました。しかも5箇所。
めちゃくちゃかゆい。
次に向かったのは関門トンネル。
片道15分で九州へ行かれるそうで。今日は入口だけ見学 -
そしていよいよお待ちかね、関門橋が一望できる展望台へ
すばらしさは写真では撮りきれない
20:45ホテル帰着
ホテルそばのコンビニでドリンクやおつまみなど購入して
部屋で大宴会
下関の夜を満喫しました
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