2017/06/04 - 2017/06/04
2位(同エリア29件中)
ベームさん
6/4(日)、11日目。
昨日ブルターニュからパリに帰ってきました。
今日はパリ近郊、サン・ジェルマン・アン・レーにモーリス・ドニ美術館を訪ね、シャトゥーに印象派の島を巡ります。パリに引き返しベルシー地区、リュクサンブール公園界隈を散策しました。
写真は印象派の島、レストラン・フルネーズとセーヌ川。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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サン・ジェルマン・アン・レーはパリ郊外にありモビリス1~4ゾーンを使います。12ユーロ。
地下鉄12号線でマドレーヌまで行き、ぶらぶら歩いてRER・オベール駅まで。
ユニクロパリ店です。 -
オペラ座の横にシャルル・ド・ゴール空港へ行くロワシーバスの発着場があります。以前一度空港からここまで来るのに大渋滞に巻き込まれ2時間以上かかったことがあるので以後利用しません。
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サン・ジェルマン・アン・レーへはRER・A号線で行きます。
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RERオベール駅。
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8:51発。まだこの時間閑散としていました。
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RERは治安等であまり評判は良くありませんが車両は綺麗でした。
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パリの西郊で南北に蛇行するセーヌ川を3回渡ります。
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パリ郊外の緑の多い家々。
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パリの西20キロ、終点サン・ジェルマン・アン・レー駅到着。
9:16。26分ほどです。
1837年フランス最初の鉄道がサン・ラザール駅からル・ペックまで開通し、1845年サン・ジェルマン・アン・レーまで延伸されました。現在のRER・A線です。 -
地上に出ると一方にサン・ジェルマン教会。
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他方にサン・ジェルマン・アン・レー城。
王家の居城もフランス革命後は監獄、病院などに使われたが、1867年ナポレオン3世により国立考古学博物館に変身しました。。 -
この城で、アンリ2世(1519年)、シャルル9世(1550年)マルグリット・ド・ヴァロワ(1553年)が生まれています。ルイ14世もすぐ近くの館で生まれているという王侯たちの誕生の地です。
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城の起源は1124年ルイ6世の建設によるもので、その後フランソワ1世とかルイ14世、ナポレオン3世によりにより拡張、修復される。
ルイ6世からルイ14世まで王家の主要居城の一つでした。 -
宮殿はあまり興味がないので中には入りません。
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サン・ジェルマン教会には入りました。ギリシャ神殿風のファサード。
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王城の地の教会に相応しい壮麗な堂内です。
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内陣と主祭壇、華やかな燭台。
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主祭壇。
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周りの祭壇も華麗です。
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パイプオルガン。
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ジャンヌ・ダルク。
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フランス王家ゆかりの地にある壮麗な教会でした。
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次はモーリス・ドニ美術館を目指します。
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パン通りをずっと歩きました。駅から20分近く、最後の降り坂。
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下った所の石の塀にモーリス・ドニ美術館の文字があります。左に行くと入り口です。
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元はルイ14世の寵姫モンテスパン侯爵夫人の邸宅で、1914年にモーリス・ドニが手に入れたものです。ドニはこの屋敷をル・プリウレ/少修道院と呼びました。
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美術館の門。
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モーリス・ドニ。1870~1943年。
19世紀末のパリで活動した前衛的芸術家の集団ナビ派の理論的指導者。
ナビ派には1880年代ブルターニュの寒村ポン・タヴァンのポール・ゴーギャンのもとに集まったいわゆるポン・タヴァン派のメンバーが含まれている。
ポール・セリュジェ、エミール・ベルナール,ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、ポール・ランソンなど。 -
モーリス・ドニ:プリウレの前の自画像。1921年。
絵の名前は、プレートに書かれているものを訳したもので、間違っているかもしれません。 -
以下美術館の絵です。
モーリス・ドニ:ペロ・ギレックのレガッタ競技。1897年。 -
モーリス・ドニ:茂みの中の梯子。1892年。
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ポール・セリュジェ:アネモネの傍の糸紡ぎ娘。1922年。
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館内。
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オディロン・ルドン:外国の花。1910年。
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ポール・ランソン:火の周りの魔女達。1891年。
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ポール・ランソン:泉の傍の4人の娘。1895年。
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ランソン。
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ランソンの絵のある部屋。
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モーリス・ドニ:猫とランソン夫人。1892年。
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一風変わった絵です。
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エミール・ガレ:黄色の猫。1880年頃。
磁器。
モーリス・ドニとどんな接点があったのか。 -
エドゥアール・ヴュイヤール:サン・ジェルマン・アン・レーのドニの家。1907年。
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邸内には礼拝堂もありました。
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第2次世界大戦後のル・アーヴルを再建した建築家オーギュスト・ペレが手掛けました。
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礼拝堂の天井。
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ケル・グザヴィエ・ルーセル:回春の泉。
1867~1944年。 -
モーリス・ドニ:森林の中の春。1907年。
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モーリス・ドニ:塔の中の王女。1914年。
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モーリス・ドニ:メディチ家の別荘の庭のバテシバ。1914年。
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モーリス・ドニ:ガラテアまたは鬼ごっこ。1908年。
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モーリス・ドニ:カトリック教の奥義。1889年。
宗教的主題はドニの得意とするところでした。 -
モーリス・ドニ:プリウーレの礼拝堂の前で聖体拝領する人々。1917年。
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モーリス・ドニ:墓のかたわらの聖なる女たち。
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モーリス・ドニ:浜辺の女児(2歳のドミニク・ドニ)。1911年。
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館内。
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アントワーヌ・ブールデル:小さなサッフォー。
ブロンズ。 -
こんな絵が展示されています。
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”招き猫、幸運を呼ぶ伝統的な猫の像。世田谷区の新宿から約20分の所に招き猫発祥の地で有名な豪徳寺がある”。
なんて説明がされています。 -
北斎:神奈川の大波。1831年。
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モーリス・ドニ:ロレンツォ・ディ・クレディ風の裸体。1898年。
ロレンツォ・ディ・クレディ:ルネサンス期のイタリアの画家、彫刻家。1459頃~1537年。 -
庭園への出口。
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建物の裏には緑濃い庭園が広がっています。
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ブールデルの彫刻です。
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サン・ジェルマン・アン・レー城の庭園に行くべく駅の方に戻ります。
途中パン通りにあるクロード・ドビュッシーの家と観光案内所。クローズでした。
ドビュッシーは1862年この建物の2階でうまれ、2歳まで住んでいたそうです。2階が記念館になっています。 -
ティエール通り。
豪壮な館が並んでいます。 -
高級ホテル、パヴィヨン・アンリ・キャトル/アンリ4世館です。
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ここでルイ14世は生まれ、その部屋が保存されているそうです。
ルイ14世はサン・ジェルマン・アン・レー城で生まれたとされていますから、ここも城の一部だったのでしょう。 -
パヴィヨン・アンリ・キャトルの横からくぐり戸を抜けて広大な庭園に入りました。
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45ヘクタールにも及ぶこのイギリス庭園は1663年、ル・ノートルにより着工されました。ヴェルサイユ宮殿、フォンテーヌブロー宮殿、チュイルリー庭園などを手掛けた造園家です。
遠くにパリ、ラ・デファンスの高層ビル群。 -
このテラスからはパリが見えます。
ラ・デファンスの高層ビルです。 -
近くを流れるセーヌ川。
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遊歩道テラス・ル・ノートルは全長2400mあります。
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ブドウ畑。
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テラス。
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サッカー遊びの子供たち。後ろはサン・ジェルマン・アン・レー城。
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サン・ジェルマン・アン・レー城。
これでサン・ジェルマン・アン・レーを終わり、パリへ帰る途中にある印象派の島を訪れました。 -
シャトゥー・クロワジー駅。
サン・ジェルマン・アン・レーから来た時と同じRER・A線でシャトゥー・クロワジー下車。 -
セーヌ川沿いに少し歩きます。
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セーヌ川。
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大きな橋シャトー橋にぶつかります。
橋の袂のノートルダム教会。 -
シャトー橋。
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セーヌ川の砂利運搬船。
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セーヌ川の中州、イル・デ・ザンプレッショニスト/印象派の島の標識。
正式にはシャトー島ですが印象派の島と呼ばれています。
シャトー島には橋の中ほどから降りられるようになっています。 -
19世紀末頃パリに近いセーヌ川に浮かぶこの島はパリジャンたちの格好の舟遊びの場として人気がありました。
ルノワールを初めモネ、シスレー、ピサロ、モリゾーら印象派の画家たちもこの島を好み遊びを兼ねて良く来ました。そこからこの島を印象派の島と呼ぶようになったのです。 -
レストラン、メゾン・フルネーズ。
当時この島にフルネーズと云う人の経営するレストランがありました。ルノワールはそこで後に妻となるアリーヌ・シャリゴと知り合います。二人の間に生まれた子が後の名映画監督ジャン・ルノワールです。シャリゴはルノワールの絵のモデルを務めます。ルノワールにとってこの島は特に印象深い島なのです。 -
レストランの隣にフルネーズ美術館があります。先にそちらに寄りました。
入館料6ユーロ。 -
館内。
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模作ですがこの島を舞台にしたルノワールの絵が幾つか飾られています。
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ピエール・オーギュスト・ルノワール:フルネーズ親父またはパイプを吸う男。
1875年。 -
ルノワール:船漕ぎたちの昼食。1879年。
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ルノワール:シャトゥーのセーヌ川。1874年。
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ルノワール:シャトゥーの橋。1875年頃。
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ルノワール:アルフォンシーヌ・フルネーズ、シャトゥーにあるレストランの娘。
1881年。 -
館内。
当時舟遊びに使われた舟の模型が吊るされています。カヌーみたいなものです。 -
”パリの口づけ Leon・Zeytline展”というのをやっていました。
馴染みのない名前でレオン・ジトリーヌと発音するのかチトリーヌどうか分かりません。一応ジトリーヌとしておきます。
20世紀初頭にパリにやって来たロシア人の風俗画家で、世紀末のパリを描いています。1885~1962年。 -
レオン・ジトリーヌ:プチ・パレ。
20世紀初頭のパリの風俗が分かります。 -
レオン・ジトリーヌ:カフェ・フロールの前の美女。
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レオン・ジトリーヌ:ゲテ通りとモンパルナス劇場。
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レオン・ジトリーヌ:シャンジュ橋と花市。
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レオン・ジトリーヌ:食事をする二人の婦人。
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レオン・ジトリーヌ:パレ大通りの伊達男と粋な婦人たち。
なかなか面白い風俗画家です。 -
レストランのテラスが覗けます。
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レストランの方です。
ここのテラスで描いたのがルノワールの傑作「船遊びをする人たちの昼食」です。
勿論今はフルネーズの末裔の経営ではありません。途切れていたのを1990年頃復活したそうです。 -
ピエール・オーギュスト・ルノワール:船遊びをする人たちの昼食。1881年。
レストラン・フルネーズのテラスで食事しながら談笑するルノワールの友人たちが描かれています。
左手前が後ルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴ、その後ろレストランの経営者フルネーズ、右手前画家カイユボット、その横女優エレン・アンドレ。
ワシントン、フィリップス・コレクション蔵。 -
先の方に先ほど渡って来たシャトー橋。
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印象派の絵描きたちがここに集まり、談笑し、ボート遊びをし、絵を描いた様が目に浮かびます。
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食事をしたかったけれど予約で満席でした。
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帰路に着きます。
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橋の上からラ・フルネーズ。
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絵葉書ですがMarie-Joと云う人の描いたセーヌ川で遊興に興じる人たち。
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セーヌ川の舟遊びを描いたカイユボットの絵です。
レンヌ美術館蔵。 -
帰りは橋を渡った次の駅ルエイユ・マルメゾンからRERに乗りました。印象派の島はシャトー駅とこの駅の中間にあります。
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リヨン駅で地下鉄14号線に乗換えクール・サンテミリオンまで。再開発されて話題のベルシー地区を見に行きました。
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以前はパリの郊外で、ブドウ畑が広がりワイン倉庫の並ぶ田舎でした。
1998年地下鉄14号線が開通し急速に開発が進みました。 -
そのショッピング街ベルシー・ヴィラージュ、ベルシー村です。
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ここを潜ると狭い道の両側にずらりと店が並んでいます。
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クール・サン・テミリオン。
中央の通りの両側はびっしり飲食・物販店。 -
使われなくなった倉庫を利用した店です。
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レールはその上をワインを積んだ列車が走ったのでしょう。
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飲食店、物販店ばかりです。
たこ焼き「香り」。 -
飲食店ははやっていますが、
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物販店になると客があまり入っていない感じです。
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パリの新しいおしゃれスポットとして人気があるそうだが、観光客にとってこんな所で食べる気も起らない、買い物をする気も起らない、私にはつまらない所でした。
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突き当りにシネ・シテ/シネマ・コンプレックスがあります。
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倉庫の一部が残っていました。
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この辺りは若者がたむろしていて雰囲気はよろしくない。
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疲れたので一旦ホテルに帰りました。
地下鉄14号線の路線図。パリ西北のサン・ラザールから南東のオリンピアードまでパリの中心部を斜めに縦断する、1998年開業の一番新しい路線です。 -
パリの地下鉄では一番きれいな車両で全自動運転、ホームにはホームドアが設置されています。
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ホテルで休み、元気回復、また出かけます。私のパターンです。
地下鉄6号線でダンフェール・ロシュローへ。夕方5時頃。
広場の中央に巨大な獅子像があります。普仏戦争の時、フランス軍のベルフォールでの勝利を記念した「ベルフォールのライオン」像のレプリカです。 -
カタコンブに入る長い行列が出来ています。私の目的はここではありません。
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アラゴ大通りを東へ。
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目の前に聳える高い塀、ラ・サンテ刑務所です。これを見に来ました。
囚人の虐待行為とか数々の忌まわしい歴史を持つこの刑務所、パリの刑務所と云えばラ・サンテ刑務所。ギヨーム・アポリネールとかジャン・ジュネ、日本人では社会主義者大杉栄、忌まわしい人肉事件の佐川一政(存命中のようですが公けになった有名な事件なのであえて名前を出します)などが収監されたことがあります。 -
「法務省はパリ、ラ・サンテ刑務所を改築中」。
そのため今は収監者はいないそうです。 -
見上げるような塀。内側には入りたくないものです。
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「1940年11月11日、占領軍(ドイツ軍)に抵抗しド・ゴール将軍の呼びかけに最初に呼応し蜂起した高校生、大学生がここに収監された」。
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私がラ・サンテ刑務所に興味を持ったのはそんな事ではありません。
ここにかのアルセーヌ・ルパンが宿敵ガニマール警部により逮捕され収監されていたのです。しかもあろうことか、ルパンは禁止されている外部の同志と手紙のやりとりをし、新聞に獄中生活の有様を投書し、どうやって手に入れたのか高級葉巻をぷかりぷかり吹かしているのです。 -
ルパンは、「ここは私のようなものが長くいる所ではない、近く脱獄することにした」、と新聞に公告をだし厳重な警戒の中奇想天外の方法で見事脱獄します。
このラ・サンテ刑務所がどんなところか見たくて来ました。
もっとおどろおどろしい所かと思っていましたが、そうでもありませんでした。 -
ここから歩いて行けるのでリュクサンブール公園を目指しました。
途中パリ天文台。門は閉ざされていました。
1671年ルイ14世治世下に開設されたフランス最大、現存する世界最古の天文台です。今も世界有数の天文学研究センターとして活動しているそうです。
パリ子午線が通っています。1884年にグリニッジ子午線に変るまで世界の標準でした。 -
正面の像は海王星の発見者ユルバン・ルヴェリエ(1811~1877)。この天文台で研究していました。
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オプセルヴァトゥワール/天文台大通り。
天文台からまっすぐ北にリュクサンブール公園まで続いています。 -
振り返ると側では見えなかった天文台のドームが見えました。
この辺りに林芙美子とか島崎藤村が下宿していました。
大正2年姪のこま子との関係を清算すべく、逃げるように日本を脱出した藤村は最初この地に居を定めます。のちに書いた告白の書「新生」には天文台やリュクサンブール公園(藤村はリュキサンブールと書いています)、ダンフェールロシュロー広場の獅子像のことが書かれています。 -
前を見るとフランシス・ガルニエ像。1839~1873年。
軍人、探検家。フランスのインドシナ支配に功績があった。
1987年建立されガルニエの遺灰が納められている。
奥に見えるのがオプセルヴァトワールの泉。 -
オプセルヴァトワール/天文の泉。別名4大陸の泉。1874年。
リュクサンブール公園に続くマルコ・ポーロ公園の入り口にあります。
4人の女性が4大陸(アフリカ、アメリカ、アジア、ヨーロッパ)を支えている。 -
天文の泉。
たしかオルセー美術館に似たような彫刻がありました。 -
マルコ・ポーロ公園。
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市民の憩いの場です。
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鉄柵の向うがリュクサンブール公園。
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リュクサンブール公園。
1612年アンリ4世未亡人マリー・ド・メディシスが造らせました。 -
リュクサンブール宮殿。
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遠くにモンパルナスタワー。
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周囲にはパリにかかわりの深い歴代の女性像が建っています。
マリー・スチュアート。
フランス王妃(フランソワ2世妃)。1542~1587年。
夫フランソワの死後スコットランド女王として帰国するが、イングランド女王エリザベスとイングランド王位の正当性を巡り様々な確執の末エリザベスにより処刑される。 -
聖ジュヌヴィエーヴ。
パリの守護聖人。423~512年。
パンテオンの近く、ジュヌヴィエーヴの丘のサン・テチエンヌ・デュ・モン教会に祀られています。 -
マチルド王妃。
ノルマンディ公ギヨーム妃。イングランド王ウイリアム1世妃。~1083年。
バイユーにあるマチルドのタピスリーで有名です。 -
公園の東北端にメディシスの泉が木々に隠れて静まり返っています。
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1630年、アンリ4世の未亡人マリー・ド・メディシスが故郷イタリアの泉を模して造らせました。
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リュクサンブール公園の北にオデオン座があります。
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今は国立ヨーロッパ・オデオン劇場。
オデオンとはギリシャ語で劇場の意味。以前日本にもオデオンと名の付く映画館などがありましたが今はどうですか。 -
ポスター「メデュースの筏」。
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メデア。
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2017~2018年シーズンの演目にはそのほかチェーホフの「三人姉妹」、シェークスピアの「マクベス」なども見られます。
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丁度工事中で、建物の裏が開いていて観客席が見えました。
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一寸首を突っ込んで撮りました。
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オデオン広場。
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カフェ・ヴォルテール跡。
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オデオン通り。
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地下鉄オデオン駅前、サン・ジェルマン大通りに建つダントン像。
ロベスピエールと共にフランス革命の立役者だが、1794年ロベスピエール一派により処刑される。ロベスピエールもその2か月後に断頭台の露と消える。
今日も今日とてよく歩きました。オデオンから地下鉄4号線一本でモンパルナスまで帰れます。明日は日帰りでシャルトルへ行きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- frau.himmelさん 2017/11/07 21:58:59
- 超大作揃いの旅行記
- ベームさん、こんばんは。
いつも寄っていただくばかりで、なかなかお邪魔できなくて申し訳ありません。
ベームさんの旅行記は片手間に拝見できるものではなく、ゆったりした時にお邪魔したいと思っていましたものですから。
今回の旅行記は超大作揃いですね。
全て写真の枚数が100枚を越えたものばかり。
しかも写真だけの羅列ではなく、それぞれに素晴らしい説明をつけていらっしゃるので、油断できません。
前回拝見した後も感動しまして、コメントを残そうと思いながら時宜を失してしまいました。
カンペール美術館(私は全く知りませんでした)の美術品の説明、さすがベームさんならではと思いました。
またお寿司屋さんとのやり取り、声を出して笑ってしまいました。
今回のモーリス・ドニ美術館も素晴らしい。
淡い色調のドニの絵がこれでもかこれでもかと。素敵な絵ですね。
日本の絵も紹介されていましたね。海外で日本を見るってどんな気持ちですか。
面白いものも見つけました。
エミール・ガレの猫の磁器。
実は今回の旅でナンシーのガレ美術館に行ってきました。日本の狛犬みたいなものがあるって聞いたものですから、これはどこかって美術館に尋ねたら、今貸出しているって。
一瞬ベームさんのあの写真を見たとき、あれが貸し出ししている狛犬かと思いました。違いましたけど。
それから印象派の島、ルノワールやモネの舟遊びは、なるほどこの島で描かれたのか、と納得したり。
ベームさんは美しいところがお好きな方だと思っていましたら、そんな方が刑務所!?
そしたらなんと、マルセーヌ・ルパンが収監されていたから・・・!(笑)。
いろんな美術館や博物館を訪れられて本当に充実した旅をなさったのですね。
これからも私の気持ちにゆとりができましたら、またベームさんの旅行記で癒されたいと思います。
himmel
- ベームさん からの返信 2017/11/08 20:23:39
- Re: 超大作揃いの旅行記
- himmelさん、
メッセージ有難うございます。
写真の枚数が多いのは自慢にならず、かえって編集能力の無さをさらしているようなものです。取捨するのが難しいのと編数を増やすのがめんどくさいのでつい1回に多く載せてしまいます。
どうか片手間に飛ばし飛ばして読んでくだされば結構です。
今回は地方でもその地の美術館を見てきましたので、それなりに収穫はありました。
モーリス・ドニ美術館でガレの猫の陶器を見たのはなにか場違いのような気もしました。ナンシーでこそふさわしいと思います。himmelさんはナンシーに行かれたのですか、私も2014年に行きました。その旅行記楽しみですね。
外国で日本の絵を見るのは実はあまり好きではありません。モーリス・ドニ美術館のあの絵はなにかゲテモノのような感じがしました。浮世絵が好まれているようですが、(私には浮世絵の本当の良さは分かりませんが)浮世絵そのものがなにか日本の風俗が誇張されているようでどうも好きになれません。それよりも明治以降の日本人画家が描いた西洋画のほうが好きです。でもそういった類の絵は海外の美術館では見かけませんね。オルセー美術館に梅原龍三郎や安井曽太郎の絵が掲げられる日が来ることはあるのでしょうか。
ルパンシリーズは堀口大学訳のルパン傑作集(新潮文庫)で読みました。私がルパン物に引き込まれたのもモーリス・ルブランの原作よりも詩人でフランス文学者の堀口大学の名訳によってです。himmelさんもお読みになってるかもしれませんが、もしまだならその内の一冊でもお読みになればルパンフアンになること必定です。
himmelさんの今回の旅行記では相変わらずマイナーではありますが歴史的に興味のある場所の写真とコメントが拝見できそうですね、期待しています。
ベーム
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