2017/06/14 - 2017/06/14
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ペコちゃんさん
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6月の○○会の行事は、クリクラ本庄工場見学と本庄の散策です。
群馬県との県境に位置する埼玉県北西部の本庄市は、かつては中山道で最大の宿場・本庄宿が置かれ、宿場町として栄えた歴史のある街。
現在は、JR高崎線・本庄駅と八高線・児玉駅や2004年に開業した上越新幹線・本庄早稲田駅があり、国道17号と関越自動車道(本庄児玉IC)も走る、都心からのアクセスに優れた街です。
2006年に旧・本庄市と児玉郡児玉町が合併し、新たに本庄市として発足しましたが、寺社など見どころも多く、一度は訪れてみたい街でした。
今回は、8名の参加者なので車2台で出発し、午前はクリクラ本庄工場の見学、午後は金鑚(かなさな)神社 ⇒ 塙保己一記念館 ⇒ 高窓の里 ⇒ 百体観音堂(サザエ堂) と見て回り、梅雨の合間の一日を楽しみました。
写真は、美しい花に囲まれたクリクラ本庄工場。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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地元を9時半に出発し、10時10分に関越・嵐山PAに到着して小休止。
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手入れが行き届いたPAは、綺麗な花が迎えてくれます。
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北東から南西に細長い本庄市は、北側が旧・本庄市、南側が児玉町で、北側の群馬県との県境には利根川が流れています。
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本庄児玉ICで降りて「クリクラ ミュージアム&工場見学」へ。
2015年に完成したクリクラ本庄工場の敷地面積は約1万㎡で総工費は約60億円。
広い敷地の中に鮮やかなデザインの事務棟(左側)、右側は工場です。 -
工場と右側のクリクラミュージアムは、中央奥にある2階建ての建物で繋がっています。
水面をイメージしたミュージアムの外壁は、大理石を使用。 -
クリクラミュージアムの入り口では、クレヨンしんちゃんがお出迎え。
産業・観光の開発に力を入れている本庄市ですが、この施設も本庄市の新たな観光資源として活用されているようです。 -
ロビーで受付をし、11時から70分の見学へ。
クリクラは、2011年から春日部市在住(?)のクレヨンしんちゃんの野原一家をCMキャラクターに起用しています。 -
(株)ナックは、1971年に創業者の西山由之さんが東京都町田市でダスキンのFC加盟店として清掃用品のレンタル業を始めたのがスタートで、その後、加盟していたアクアクララの経営破綻(2004年)に伴って自社ブランド「クリスタルクララ」を立ち上げて全国展開し、2009年にブランド名を「クリクラ」に変更しました。
現在、クリクラは50万世帯に出荷しており、宅配水市場売上高シェアNo.1。 -
見学はコンシェルジュの案内で。
最初にクリクラミュージアムの見学を行い、次に、原水からボトリングされるまでの製造工程を見学します。 -
地中熱利用のクールチューブのロゴマーク。
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建物にはクールチューブシステムを採用し、72%の電力を削減。
クールチューブシステムとは、給気塔から外気を取り入れ、地中に設置した管を経由して、地中と外気の熱交換により、夏は涼しく、冬は暖かくなることで、冷暖房の消費エネルギーを軽減する仕組みです。
ガラス張りの床下を覗くと、風が流れているのが分かります。 -
最初にDVDで会社概要を観た後、「水ギャラリー」を見学。
「クリクラ」の由来は、「クリスタル・クララ」の略称で、水晶を意味する「クリスタル」と、「澄んだ」「光り輝くもの」という意味のラテン語「Clarus」からきた「クララ(Clala)」を組み合わせた造語。
また、利用者に「クリエイティブ」な「暮らし」を提供したい、という思いも込められているそうです。
クリクラのロゴは、「クリクラ=CreCla」の “ C ” を重ねたマークで、赤が温水、青が冷水を表しています。 -
ギャラリーには、世界48ヶ国から集めた約2,000本のミネラルウォーターのほか、50台以上のウォーターサーバーが常時展示されています。
場内はカラフルでオシャレ! -
入ってすぐの所には、ウォーターサーバーの展示。
これはクリクラの歴代のサーバーで、左側が新しいサーバー。 -
世界26カ国から集めてきたサーバーには、中には模様入りでインテリアとして違和感のないものや、スリムでお洒落なものもあります。
ちなみに、ウォーターサーバーの7~8割は中国製ですが、クリクラのサーバーは韓国製だそうです。
水道水を直接飲めない韓国では、嫁入り道具にウォーターサーバーを持っていく人も増えているようです。 -
クリクラはサーバーレンタル料・入会金・宅配料・解約金が無料で、冷たい水も温水も、レバーを押せば好きな時に好きなだけ飲めて、12Lのボトルが1,250円。
500mlの飲料水のペットボトル(150円)と換算比較すると、クリクラは1本当りが52円と経済的です。 -
宅配水の歴史は、約150年前にアメリカで始まったとのこと。
アメリカの南西部は砂漠地帯が延々と続いているので、その頃は安全な飲み水を確保することは、まさに死活問題でした。
当時、ネイティブアメリカンが珍しいウィスキーと井戸を交換したなど、多くのエピソードが残っています。
こうしたことからアメリカでは、今でもボトルウォーターをデリバリーするサービスが続いています。
また、世界の約200の国のうち、水道の水が飲める国は、たった11カ国しかないとのこと・・・予想外に少ない!
そういった話を聞くと、『飲める水』というのは貴重なものなんだなあ、ということをひしひしと感じます。
クリクラの宅配水サービスは2002年に開始されたそうで、日本の宅配水ビジネスはまだまだ歴史が短いですね。 -
水ギャラリーは小さな美術展のようで、とても綺麗・・・見たことのない日本のペットボトルが展示されています。
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これは新幹線と電車のペットボトル・・・孫が喜びそう。
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「有名デザイナーの水」のコーナー。
手前にあるスリムなボトルは、ノルウェーのスーパー・ピュアー・ウォーター「VOSS」。 -
お馴染みの「evian」も、こんなボトルがあります。
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キラキラしているスワロフスキーで飾られたボトル・・・この「Fillico ジュエリーウォーター」は、ハリウッドのセレブ達がホームパーティ等で楽しむためにオーダーしたのが始まり。
その場にあるだけで、華やかな気分になるボトルデザインです。(1本が約1万円) -
ミュージアムの見学が終わり、工場見学へ。
工場とつながった渡り廊下からは、広い中庭と建物が見渡せます。 -
クリクラミュージアムの建物が、波のようになっているのが分かります
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建物内には、創業者の西田さんが蒐集した石のコレクションが幾つか展示されています。
これは「水入り水晶」・・・数億年から十数億年前に、地殻変動などにより天然水晶に生じた歪みやヒビ(クラック)に、偶然にも水蒸気が入り込み、徐々に冷えて結晶になったものです。
中国の皇帝はこういう水晶を割って、不老不死の妙薬として中の水を飲んだのだそうです・・・どんな味がしたのでしょう、ぜひ飲んでみたいですね。 -
工場の内部は撮影禁止。(写真はHPより)
クリクラ本庄工場は大型ロボットを複数導入し、生産ラインから倉庫格納までを全自動化・・・つまり、人の手を介さずに製造することにより、外部からの汚染を限りなくゼロに近づけています。
また全自動化により、ボトルの生産量は1時間で2,000本、月間100万本のハイスピードで、最後は161,640本のボトルを格納出来る全自動倉庫で出荷を待ちます。
クリクラの原水は水道水なので、最初に塩素を除去し、次にフィルターで不純物の除去を行い、99.9999%の純粋な水を取り出します。
(糸巻きフィルターによるゴミ・小石などの除去⇒活性炭フィルターによる臭いの除去⇒ RO膜フィルターによる細かい不純物の除去)
それからミネラル(ナトリウム、マグネシウム、カリウム、カルシウム)を添加してUV殺菌と濾過を行い、ボトルにクリクラ水を充填し、ラベルを貼って完了。 -
工場見学の最後は、クリクラの品質を体験するための実験。
クリクラの水と水道水をコップに入れて、白い粉をサラサラと入れると、水道水の入ったコップの水だけが塩素のためにピンクに変わりました・・・これ、子供がやったら、きっと喜ぶでしょう。 -
帰りにはお土産も頂き、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
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昼食は、17号線沿いの「てんぐ茶屋」で。
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店内には、てんぐ茶屋の由来が壁に描かれています。
でも、当店の創業は昭和35年ですが・・・ -
一番人気の「昼御膳」(1,080円)・・・刺身・天ぷら・麺・茶わん蒸しなど、ボリュームたっぷりの美味しいランチでした。
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昼食後は、高崎線と並行して走る旧中山道を、車窓から見ながら走ります。
現在はこのような普通の通りになっていますが、ここは江戸時代の初期に本庄宿があった所。
中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち、江戸から数えて10番目の宿場で、本陣もある中山道最大の宿場町として発展しました。 -
この浮世絵は、天保6~8年(1835~1837年)に、渓斎英泉が描いた『支蘓路ノ驛 本庄宿 神流川渡場』・・・本庄宿より5.5キロ離れた神流川の渡し場と上毛三山(右から赤城・榛名・妙義山)が描かれています。
右側の燈籠は、文化12年(1815年)に完成したものだそうです。 -
本庄宿の周辺には寺社が多く、「武州本庄七福神めぐり」も出来ます。
その中から、本庄宿の西の外れにある本庄宿の総鎮守「金鑚(かなさな)神社」に立ち寄ってみました。
大きく生い茂ったクスノキが目を引く神社です。 -
社伝によると、欽明天皇2年(541年)の創建と伝えられ、武蔵七党の一つである児玉党の氏神として、また本庄城主歴代の崇信が厚かった神社です。
唐破風屋根付きの両部鳥居の社号額は、老中・松平定信が揮毫したもの。 -
鳥居の奥にある「大門」は1814年に建立されたもので、旧別当寺の威徳院(廃寺)の門。
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大門の横には、武州本庄七福神の恵比寿様が鎮座しています。
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当社の御神木となっているクスノキは、幹回り5.1m、高さ約20mの巨木で、樹齢は300年以上。
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クスノキの隣にあるカヤの木は、樹齢400年以上の古木。
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社殿は1724年の再建。
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拝殿の向拝には、細部に見事な極彩色の彫刻が施されています。
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拝殿の内部。
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左右の脇障子には、瀧に登り降りの龍。
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彩色が鮮やかですね。
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本殿にも、見事な彫刻が施されています。
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本殿南西面の胴羽目には、鶴と梅をこよなく愛した中国宋代の詩人・林和靖。
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背面の胴羽目には李白観瀑・・・唐代の詩人・李白が、旅の途中で訪れた盧山(ろざん)の瀧を目の当たりにして心打たれる様子。
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北東面の胴羽目には菊慈童・・・帝の枕を越えてしまったために島流しになったが、それを哀れんだ帝が密かに授けた普門品の2句の偈 (げ) を菊の葉に書き写したところ、葉の露がしたたって天の霊薬となり、それを飲んだ慈童は仙人になった、というお話。
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北東側の脇障子は梅に鷹。
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これは神楽殿。
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11月2日~3日に開催される「本庄まつり」では、神楽殿で終日、江戸神楽の古い姿を今に伝える「里神楽」が奉納されます。(写真はHPより)
本庄まつりは金鑚神社の大祭で、絢爛豪華な山車10基が中山道を曳き回されます。 -
金鑚神社から児玉町に向かい、「塙保己一記念館」へ。
塙保己一(1746~1821)は現在の本庄市児玉町保木野に生まれ、7歳の時に病気のために失明。
15歳で江戸に出て当道座(盲人の組織)に入門し、苦労を重ねながら晩年には当道座の最高位である総検校に昇進しました。
保己一は国学者として「群書類従」や「続群書類従」の編纂、さらに和学講談所の設立、当道座の改革など多大な功績を残しています。 -
記念館では塙保己一の遺品および関係資料を収蔵展示し、保己一の残した偉業について紹介しています。
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三重苦で「奇跡の人」として知られるヘレン・ケラー。
昭和12年にアメリカの親善大使として初めて来日しました。
その時、真っ先に渋谷の温故学会(塙保己一の学問を継ぐ研究所)を訪問して、保己一の座像に触れ、「私は幼い頃に、母から日本の塙保己一先生を手本にしなさいと教えられました。先生のことを知ったお陰で、障害を克服することが出来ました。心から尊敬する人です」と、感謝の言葉を述べています。 -
保己一は34歳の時から約41年の歳月をかけて、全国に散逸された古い記録や資料を集めて分類整理し、1819年に「群書類従」の業書を完成させます。
正編666冊、続編1185冊は、日本の文学・歴史等を研究する上で欠かすことの出来ない重要な資料となっています。
群書類従の版木は、温故学会に17,244枚が残されていますが、これは児玉中学校所蔵の「群書類従」の版木。 -
15歳で江戸に出る時に身に着けて行き、生涯大切にしていた、母手縫いの巾着。
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江戸へ出る時に、着替えなど入れて背負ったという素麺箱(お宝箱)。
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明治以降、生糸・絹織物の産地として栄えた本庄市。
小平地区は古くから養蚕の盛んな所で、養蚕農家の屋根に換気のために付けられた高窓の家並みが残り、「高窓の里」と呼ばれています。
のんびりした佇まいに、往時の繁栄した養蚕農家の牧歌的な雰囲気を感じます。 -
現在は、4棟の民家が残されているようです。
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最後の観光は、高窓の里にある真言宗豊山派のお寺・成身院の「百体観音堂」へ。
百体観音堂の近くにある観光農業センターの駐車場に車を止めて、拝観料300円を支払い、スタッフの方から観音堂の概略を説明してもらいます。 -
百体観音堂は寛政(1789年~1801年)の頃の開創で、天明3年(1783)の浅間山の大噴火の際の死者を供養するために建てられました。
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観音堂は風光明媚な場所にあり、遠くには浅間山が望めます。(写真はパンフレットより)
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外観は二階建てですが、内部は三層という三層二階建ての珍しい建造物です。
観音堂の前の仏像は、高さ85cmの「唐(から)銅造大日如来坐像 」。 -
明治21年の火災で観音堂は焼失し、現在の建物は、明治43年(1910年)に再建されたもの。
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火事の時に奇跡的に残ったのが、堂宇の中央に吊り下げられている大きな鰐口(わにぐち)・・・ 寛政7年(1795)に鋳造された鰐口は、直径180cm、厚さ60cmで、重さは750kgもあります。
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堂内は右周り(時計廻り)で参拝する構造で、参拝しているうちに三層に到着し、下りはまた別な順路で降りてくるという、一方通行の順路になっています。
これは右繞三匝(うにょうさんぞう)という仏教の礼法に基づいたもので、右回りに三回巡ることが死者に対する最上の礼をつくすという意味から考え出されたものです。
このような仏塔をこの三匝礼法に由来して「三匝堂(さんそうどう)」というのですが、一般的にはその外観や螺旋構造などから「サザエ堂」と呼ばれています。
全国にいくつかサザエ堂はありますが、日本三大サザエ堂は「児玉のサザエ堂」と「会津のサザエ堂」、「太田のサザエ堂」(群馬県太田市)。 -
もともと百体あった観音像は、火災の後に再建された時には60体しかなく、更に戦後の荒廃した時代に約半数が盗まれてしまいました。
それ以来、多くの方の善意と努力により一体一体寄進され、観音像を失ってから100年の時を経て、再び100体すべてが安置されました。 -
堂内には、一層に秩父三十四観音、二層に坂東三十三観音、三層に西国三十三観音の観音像が祀られています。
左は秩父札所第二番・真福寺、右は第三番・常泉寺の聖観世音菩薩。 -
千手観音。
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奈良・興福寺の阿修羅像を思い出します。
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こうして拝観していくと、仏心はともかくとして温かい身持ちになります。
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二層への階段を上がると、斜め屋根の下にも観音様が祀られています。
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二層の坂東三十三観音を参拝します。
坂東三十三箇所とは、神奈川・埼玉・東京・群馬・栃木・茨城・千葉にかけてある33か所の観音霊場のことで、源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として札所を制定したと伝えられています。 -
二層の中央には、室町時代に造られた薬師・阿弥陀・釈迦の三仏が安置されています。
元々は成身院・三仏堂に祀られていましたが、防犯上の理由からこちらに安置されているそうです。 -
二層を右回りして、美しい壁絵の描かれた戸の手前から三層に上がります。
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三層は西国三十三観音で、これを参拝すると百観音巡礼となります。
西国三十三所は、京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・滋賀・岐阜に点在する33か所の観音信仰の霊場。
三層は観音像だけでなく、花鳥風月の天井画も見事です。 -
これで百観音巡礼も終わり、下りはまた違ったルートを右回りで降ります。
仏心は別としても、建物や歴史、文化としても見所のある観音堂でした。
埼玉県には、まだまだ行ってみたい所が多くあるので、これからも仲間と各地を訪れたいと思います。
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