2017/04/20 - 2017/05/10
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二十日間の中国旅行を綴った旅行記です。その日の出来事、感じたことを書き留めました。
4月20日 シカゴ~北京 機内泊
4月21日 北京着 北京泊
4月22日 北京観光(紫禁城)、北京~成都(飛行機)成都泊
4月23日 成都 (パンダ基地)成都泊
4月24日 成都~丹巴(長距離バス) 丹巴泊
4月25日 丹巴 丹巴泊
4月26日 丹巴~甘孜(長距離バス) 甘孜泊
4月27日 甘孜~亜青寺(ミニバス) 亜青寺泊
4月28日 亜青寺 亜青寺泊
4月29日 亜青寺~成都(長距離バス・ミニバス・夜間バス) 成都泊
4月30日 成都 成都泊
5月1日 成都~北京(飛行機)北京泊
5月2日 北京~羽田
、、、、
5月10日 成田~シカゴ
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アメリカン航空 中国南方航空 海南航空 JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1日目 4月20日
プロローグ
1980年もターニングポイントを迎える頃。ボディコンと赤いルージュできめた同級生達が祇園マハラジャのお立ち台にいるころ、私は赤い刺繍がついた可愛いブラウスできめていた。これから小姐になりすまし、格爾木発拉薩行きへのバスに乗り込むためだ。
中華人民共和国、チベット自治区。初めての海外旅行だった。厳密に言えば、当時はイギリス領であった香港に上陸したので、香港ではあるのだけど。
香港から広州に入り、格爾木まで列車を乗り継いて行った。当時、青藏鉄道などなかったけど、同じような路線(成都、蘭州)で格爾木まで移動したのを記憶している。おそらく、2週間ほどかかったと思う。列車の中で、向かいに座った中国人達と山口百恵や高倉健知ってる!みたいな筆談で盛り上がったりしたり、停車駅では車窓からお弁当の売り子を呼び、弁当やお菓子を買ったりした。中国人はこぞってカーキ色の人民服と星がついた人民帽をかぶっていた。皆優しかった。列車の中で見あげた満天の星空を今でも忘れない。
また行きたいと思った。最近の私は10代の追憶の旅ばかりしている。 -
2日目 4月21日
中国の匂い
空港に降り立つとその国特有の匂いがする。カンボジアは季節にもよるけど赤土の匂い。アメリカは季節にかかわらず、ドル札の匂い。そして中国は、体操服の匂い。月曜日の洗いたての体操服ではなく、月火水木くらいまで着た汗じみた体操服。
北京の地下鉄に乗ると、ここは日本かしらと錯覚をおぼえる。
おぼえがき:
空港で両替をすると、金額に関係なく手数料60元。ホテルでは30元。
空港よりエアポートエクスプレス(25元)で北京中心部へ。 -
3日目 4月22日
The Last Emperor
この映画を何度見たことだろう。心を揺さぶられるシーンや台詞が随所にある。とりわけ初恋と別れの"she is my butterfly"のシーンが好きだ。溥儀のメガネ姿に、茶碗を乱暴にならし不満を表す先の皇帝の妃達のシーンもいいし、紫禁城追放の命を受け、準備をするのに階段を駆け上がるテニスウエアーの溥儀の後ろ姿もかっこいい。初夜のセクシーなシーンでは、それとは対照的にキスマークだらけにされる溥儀の表情が初々しい。結婚式のシーンで、女官達が階段を降りていくところで、転びそうになって慌てふためく女官役がいる 笑。
なので1日かけて、紫禁城(故宮)を見学することにした。
ガイドの姜さんは、中国の歴史、文化に精通している国家資格を持つガイドさんだった。中国好きが高じて、中国史を授業でとったりしたので、私もそのあたりはほんのすこしだけ明るいのだけど、姜さんのガイドはとても丁寧で、中国人の視点から教えてくれたり、そうゆう見解もあるんだと考えさせれくれる。でも近代中国史はやっぱり難しい。
姜さんからも楽しいクイズが出される 笑。さて、西太后に出された昼食には、一体何種類の料理が出されたのでしょうか?答:300種類
太和殿の向かって右側に書いてある文字は、何文字でしょう?なぜ右側なんでしょう 答:満州語。向かって右側の方が格が上となる。満州族が漢民族を君臨しているということから。
紫禁城の巨大な石畳をどうやって運んだのでしょう? 答:北京の寒い冬を利用して、溝を作りそこに氷を貼って滑らせた。以上過去問。姜さんと会うことがあったら、全問正解で挑んでください 笑。
保和殿では、皇帝自ら臨席の下、官吏採用試験の最終試験が行われたそう。保和殿の柱半分は後から取り除かれているのは、カンニングを防ぐためである。
保和殿の前で両手を大きく上げて何か叫んでる観光客がいた。姜さん曰く、「科挙(最終試験)を一番で合格したぞ!」みたいなことを叫んでいた。 -
景山公園を登ると、紫禁城が一望できる。英語で、Forbidden City(シティー)と言われる理由を納得。お堀を作る際に出た土砂を盛って人工的に作った山だそうだ。
夕方帰りの地下鉄の中でちょっとした事件があった。姜さんと私が日本語で話していると、なんだか周りの目が気になる。すると、姜さんがいきなり中国語でなにやら言い出した。そのあと、若い中国人と取っ組み合いになりそうな勢いで怒鳴り合いが始まった。私はなにがなんだかわからず、固まっていたが、相手の青年と一緒の女性は、彼をなだめすかそうと一生懸命だ。どうやら、その青年は日本人の私に対して何か暴言を吐いてきたらしい。それに姜さんが反論して、喧嘩が始まったのだ。姜さんは私に謝った。若い世代は、反日感情はないとも言った。私は、姜さんに関心した。私は中国は解らない。そのまま聞こえないふりをしてしまってもいいはずだった。
その夜、北京から成都に飛ぶ。見目麗しいフライトアテンダントが勢ぞろいしていた。故宮で、皇帝や妃達に仕えた華やかな女官達の姿を勝手に想像した。
おぼえがき:
故宮入場料 54元
博物館入場料 20元 事前に姜さんが手配してくれた。
景山公園 10元? 牡丹祭りが開催されていた。
姜さんと一緒だと、ガイドバッチの提示で、長蛇の行列を飛び越えて、施設内中に優先的に入れてくれる。
北京ー成都(海南航空)157 USドル -
4日目 4月23日
国の宝
成都に来たら、まずはパンダではないでしょうか 笑。
おぼえがき:
パンダ基地には、8時頃までに行ってみましょう。朝食後はパンダは動かなくなってしまいます。混む前に、パンダ幼稚園と、成年パンダのいるエリアに直行しましょう。
入場料 58元 このお値段は10年前から変わらないそうです。
お土産代 必ずパンダ(ぬいぐるみ)を家に連れて帰りたくなるので、お土産代は余分に持って行きましょう 笑。 -
午後は錦里で、地元のクージンのウィンドーショッピングです。
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これはカモの腸のようです。
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デザート、ではないですね。
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5日目 4月24日
中国でもっとも美しい村へ
ナショナルジオグラフィックが、もっとも美しい村と呼んだ村。成都から8時間で行けるなら、亜青の途中寄り道して行こう。
初の長距離バス。お菓子と飲み物を持ち込んで遠足気分で望んだが、バスには痰壺完備、おタバコはお座席でお吸いください、男性の生理的ニーズを優先し、お手洗い休憩は3時間ごととなっております。快適なバスの旅をお楽しみください、とは決してならなかった 泣。
バスは途中、四姑娘山登山のベースとなる日隆、小金あたりを通っていく。あいにくの天候で、娘と比喩されるほど美しい姿はおぼろげに見えるだけだった。観光バスがたくさん来ているし、帰りに時間があれば、ハイキングできればいいな。
バスは、川沿いのひなびた温泉街のような丹波中心部に到着。けっこうな街だ。さて昨日予約した登巴客桟青年旅舍とう客桟を探さなければならない。バスのおじ様達は、英語を話さないことはすでにわかってるが、その辺を歩いている人、ミニバスの客引き、公安官はどうだろう?
そして英語ゼロ圏内に入りこんでしまったことを知った。これは予想外だった。日本人は漢字を12年もかけて習う。この時ほど、漢字を習っていてよかったと思ったことはなかったが、中国人の使う簡体字は微妙に解らなく、筆談も想像力をフル活動させて挑まなければならない。
当初、明朝に甘孜に移動しようと考えていたが、やめにした。他の人の旅行記を見ると、次から次へと移動しているけど、着いたと思ったら、もう明日の予定を立てるなんて、私には無理だった。観光を明日にして、今日はゆっくりご飯を食べて、お酒でも飲もう。
おぼえがき:
成都茶店子バスターミナル~丹巴 長距離バス 108元
登巴客桟青年旅舍に宿泊するが、英語は通じず。後から知るのだけど、近くの扎西卓康国客桟青年旅舍では英語が上手なおかみさんがいて、長距離バスのチケットも手配してくれるようです。扎西卓康でははカプチーノが飲めました!
成都からのバスは丹巴で二箇所に止まります。終点は長距離バスの停留所ときっぷ売り場のあたり。扎西卓康国客桟青年旅舍や登巴客桟青年旅舍は一番目の停留所。丹巴の街を西から東までタクシーに乗っても10元ほどなので、間違えても大丈夫。 -
昼と夜はいつもここで。キッチンでこれとこれでお願い!と指をさして伝えるとそれで炒め物を作ってくれました。メニューは青椒肉絲しか、読めず 笑。
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毎回の食事はこんなかんじ。四川料理は大量の油を使うのにもかかわらず、旅行から帰ってきたら、3キロも痩せてました。
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こちらが登巴客桟青年旅舍のお部屋。プライベート・オンスイート。wifi、電気毛布、テレビ、オートロック。一泊100元。おかみさんも従業員の女の子もとても感じがいい。とても綺麗で清潔。
いつまでも出ると思うな、熱いシャワーと親からの援助を心してシャワーを浴びます。でもここは熱いお湯がよく出ました! -
6日目 4月25日
丹巴美人を探せ
丹巴には美人が多いそう。でも街で見かけるのはお婆さんばかり。若い丹巴美人は、海南航空のフライトアテンダントになるため、街を出て行ってしまうのか 笑。
観光スポットにいくミニバスを拾う。ミニバスはイスラエルからのカップルとシェアした。
まずは、中路へ。曇り空だったが、霧のベールが、美しい村をより一層美しいく見せてくれる。田舎の風情があっていい。空気もまったりして美味しい。ここに住んだら長生きできそう。 -
丹巴に戻り昼食をとって、甲居へ。カップルは、ベジタリアンなので色々大変な様子。何も入っていないバンと野菜炒めを食べている。バンも、野菜炒めもラードを使っているかも、とは言えなかった。
彼らは、インターネットと、オフラインの中国語翻訳アプリで、コミュニケーションや、ウエイアラウンドには事欠かない様子。私もグーグル翻訳くらい入れておくべきだったと思った。なまじっか自信が、やっかい事の火種になることもある。
グーグルは中国国内では使えないが、国外でダウンロードしておけば大丈夫だそう。 -
展望台で、公安の宣伝広告の撮影現場に居合わせた。写真撮ってもいい?とジェシュチャーで聞くと、どうぞどうぞと言う感じだったので、シャッターを切らせてもらう。
公安のお姉様達は、かっての紅衛兵がしたように、全員で声を合わせてスローガンを大きく、甲高に詠じている。アコーディオンの音響効果をこれにつけたら完璧だ。間違えたり、かみ合わなかったりと何度も撮り直しされていた。丹巴でやっと会えた美人達。
帰りのバスの中で、カップルとその話をしていると、英語が通じない、ミニバスの運転手が、プロパガンダと言う言葉に反応したので驚いた。この単語はなぜか知っているようだった。 -
せっかくなので、丹巴ちゅう楼まで足をのばしてみる。カップルは、観光はもう充分したらしいので私一人で行くことになった。運転手も、外国人の私に少し慣れてきたみたいで、運転も鼻歌まじり。そこで私が、「ナリーナリー(まあまあだねぇ)」と返すと大笑いして、アイスブレーカーとなる。中国人(チベット人)は、相手が理解しようと、しまいとも、全く御構い無しで一方的に延々と話し続ける人が多いようだ。運転手もそうだった。そのうち私との一方的な会話に飽きたのか、また短調の悲しげな歌謡曲を歌い出し、それがなかなか上手なので、旅情と重なって心にしみた。
ちゅう楼には誰もいなかった。豚の親子が何しに来たの?と言わんばかりに私を見ていた。 -
丹巴の女性の髪型はとてもおしゃれ。まず刺繍をほどこした黒い布を頭にのせます。その後、トルコ石や珊瑚の宝飾品がついた、しめ縄のように立派な三つ編みをぐるっと一巻きし、三つ編みの先についているピンクや渋めの色の房も同じくぐるっと巻いて出来上がり。おばあちゃんの「君が緑の黒髪」は、ここだけの話ですが、カツラでした。若い頃の自分の髪で作るのかもしれません。
おばあちゃん達、テーィンエイジャーのようにきゃーきゃー騒ぎながら、自分のカツラを私につけてくれました 笑。
Photo Credit:仏具店にいたもう一人のおばあちゃん 笑 -
夕方には広場で盆踊りがはじまる。正面の巨大スクリーンにカラオケが映し出されるれ、それに合わせてみんなで輪を成してぐるぐる回る。みんなの好きな曲がかかると、わっと歓声も上がる。お酒もでてないし、屋台も出てないけどとても楽しそうだ。私も輪に入って踊ってみるけど、なかなかステップが難しい。
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丹巴美人はどこ?
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丹巴美人はどこにいるのかしら?
恥ずかしそうに微笑むおばあちゃま。 -
本物の丹巴美人にやっと会えた!でももしかすると男の子かな?
おぼえがき
中路までのミニバス一台につき 90元
甲居のミニバス一台につき 100元
ちゅう楼までのミニバス一台につき 60元 (ちょっと安くしてくれたかも)
ミニバス乗り場は、扎西卓康国客桟青年旅舍をでて右、長距離バス停バス停方面に少しあるいたところ。
ミニバスは中国語で、小巴 Mínǐ bā またはXiǎo bāと発音。
丹巴のおばあちゃん達、お世話になりました。 -
7日目 4月26日
ひとりぼっち
朝6時50分出発の炉霍経由、甘孜行きの長距離バスへ乗り込む。途中、休憩所で皆と同じように辛いカップラーメンをすすった。
甘孜に到着し、バスから降りるとああ、太陽が近いと思った。コンクリートでできたバスターミナルの周りは食堂と車の修理工場があるだけで、閑散としている。バスに乗ってた客は、蜘蛛の子を散らすようにあっとゆうまにどこかへ消えていった。
「え、こんなところなの?」と思った。地図にしたがって町の中心部方向へ歩いていく。2012年改定の地図には、バスターミナルは町の中心部近くに存在していた。橋を渡ってまっすぐまっすぐ進んでいくが、高圧送電線の電柱が延々と続いているだけだった。反対方面に歩いてしまったのか、戻ってみようかと思っている矢先、突然黒い雲がもくもくと現れ、突風が吹いてきた。あっとゆうまに変化する山特有の天気だ。どこかに入らなくては。恐ろしくなって足がとまる。
流しのタクシーを拾い、めぼしをたてておいたヒマラヤホテルの住所を指差す。このタクシードライバーは漢字が読めなかった。車を止め通りがかりの人に道の名前を音で読んでもらっている。
ヒマラヤホテルの寒々とした部屋に通され、割れたガラスをみたら、ここに泊まるのはやめようと思った。ホテルを出て、2、3件先の立派な門構えの貴賓之家酒店に入ってみる。貴賓之家酒店には、おばあさんがいた。今晩ここに泊まりたいんだけど、と手を頬に当てて首をかしげる。万国共通であろう「寝る」ポーズをしても通じない。「いくらですか?」というと、やっと分ってくれた。こうゆうシチュレーションでは単刀直入に言うのが、もっとも効果的なことを学ぶ。
外観は、カラフルな色彩のチベット様式なのに、部屋は、まるで日本でバブル時代に立てられた熱海のリゾートマンションの一室のよう。
部屋のキーをもらうと、部屋番号と、キーに書かれた番号が違っている。さてこれをどうやっておばあちゃんに伝えようかと、試行錯誤するが伝わらない。wifiのモデムもルターも部屋にあるが繋がりやしない。
どうしてそうなってしまったのか分らないが、おばあちゃんに部屋のキーは撤収され、インターネットもつながらないまま一人部屋に残された。キーを没収されたので、この国では、「ただのプラスチックの板」、にすぎない自分のクレジットカードを、「ただの懐中電灯」となりはてたアイフォーンで照らしながら照明スイッチに入れて、明かりをつけた。
外にご飯を食べに行こうかと思うが、おばあちゃんの手をわずらわせるのも、鍵をかけずに出るのも嫌だった。かばんに入ってたビスケットの残りをねずみにようにかじった。明日の予定をたてなくっちゃと思い立つが、かばんの中にあるはずの地図が見当たらない。その途端、一瞬にしてずっとがまんしていた不安が怒涛のように押し寄せてきた。どこにいるかもわからない、誰とも言葉が通じない、明日どおすればいいのかもわからない。今日死んだら、中国にいってくるね、とだけ言ってきた家族にちゃんと伝わるだろうか。
パンダのいる成都に戻りたくなる。後先考えずに行動する自分が愚かに思える。ジョン万次郎は偉大な人だったと思える。河口慧海なんて、信じられない。
その後、シャワーを浴びて、歯も磨かず7時にはベットにもぐりこんで寝てしまった。
おぼえがき:
丹巴~甘孜 長距離バス103元 8時間
地図は、ハローチェンドゥユースホステルで購入 15元。
甘孜には新しい長距離バスターミナルができてます。旧バスターミナルは、町の中心地にありましたが、2017年現在、長距離バス乗り場は2、3キロ東の町のはずれに移されました。チケットは旧、新バスターミナルの両方で買えるようですが、成都行きの長距離バスの乗リ場は新バスターミナルのみだそうです。
宿泊場所:貴賓之家酒店(住所:車大街/Dongda street51号)120元、プライベート、オンスイート。冷暖房。 -
8日目 4月27日
青いジャケット
中国の朝の匂いが好きだ。蒸かしたての小籠包の匂いが街中に充満して、街全体が巨大な竹製の蒸かし器のなかに存在しているよう。小籠包の匂いに混ざってお香が漂ってくるのは、私が今、チベット人の街にいるから。
鏡に映る自分にDon't lose your coolと言い聞かせた。大丈夫だから。酒店の入り口で寝ているおばあちゃんを起こさないように静かにドアをあけ、ミニバス乗り場まで歩いていく。遠目にしつこい客引きが見えて憂鬱になったが、そこには青いジャケットを着た香港人、いやシンガポール人とも見える風貌の男性がいる。押し寄せる客引きを払いのけ、その青年の前に立ち、一息ついてから英語で話しかけた。その青年は怪訝な顔をして英語で答えた。旅行の神様は私を見捨ててはいなかった、と思った。彼の真っ青の薄手のダウンジャケットが、とても都会的で洗練したものに見えた。
昌台行きのバスに乗って亜青寺に行くヤン先生の後ろにくっついて行く。彼は私が話かける度に、眉間にしわをよせるので嫌なのかと思ったが、それは彼の癖であることがすぐにわかった。雪のため、長距離バスは10時になっても出発しないので、ミニバンを探すことにする。7人乗りのミニバンが満席になるまで、出発しないのがここでのやり方。
バスを待つ間ヤン先生と私はお茶を飲みながらお互いの自己紹介をした。彼は去年の6月から放浪している。グルジアなどカスピ海周辺のいつできたかも知らない国々と、パキスタン、インド、東南アジアと中国全土を旅行してきたそう。最後に東チベットをぐるっと回ってから(中国人は、このあたりを西四川省とよぶのだけど)旅を終らせ故郷に戻る。その理由はというと、上海の両親の怒りが限界まできているからだそうだ 笑。ヤン先生は、北京で公務員をしていた。北京の姜さんが、保和殿で行われていた科挙について話してくれたことを思い出した。今でも中国では公務員は、エリートである。でもその割には給料が安い。それは裕福な親が家名のために息子を役人にさせることがが多いからだそうだ。両親に頭が上がらない、ぼんぼんの一人っ子のヤン先生のイメージが湧いてきた。
お昼ごろに亜青への出発が決まった。峠は雪のため通れないので下の道を回って行く。道には落石が転がっていたり、道半分が滑落しているところもあった。この辺りは、雨季のあとに道が壊れるので、毎年補修工事をしているそうだ。2人のお坊さん、1人の尼さん、2人のチベット人巡礼者と、オーマニペメフムの歌謡曲がカセットテープから流れるバスに揺られて私たちは亜青に向かった。
途中トイレ休憩があったが、坊さんは女のように座って用を足す。私はというと、川辺で影になるところがなく、腹をくくってできるだけ遠くで用を足した。けれど私がどこで用を足そうと、そんなことは誰も気にしない。
3時過ぎに亜青に到着。その間、3箇所の検問を通り、全ての検問でパスポートを提出した。いつ亜青から出るのかと聞かれたり、出身地や、職業を書かされることもあった。お坊さんたちは、職業欄に「僧侶」と真面目に書いていたのでおかしかった。ヤン先生はたぶん、その都度公安に私との関係を聞かれていた。厄介なものを拾ってしまったと思っていたかもしれない。ヤン先生が「メイヨー」と答えてなにか説明しているのが私にも解かった。 -
亜青の全景には圧倒された。雪がちらつき幻想的な景色でもあった。この地形はどこかで見たことがある。アメリカのコロラド高原のホースシューベンドだ。ここでは侵食によって作られた島に、2万人もの尼達が寝食をともにしているのだけど 笑。
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家にいらっしゃいと声をかけてくるお坊さんがいる。土間続きの部屋が彼の書斎兼寝室兼リビングルーム。絨毯が敷き詰められ快適そうだが、広さは三、四畳くらいか。
ヤン先生でも、時々お坊さんがおしゃっていることがわからない。中国語の訛りが強く、時折チベット語が混ざっているらしいのだ。お坊さんは、チベット自治区と四川省の境ある白玉とうところの出身でいらっしゃるそうだ。
夕食を食べていきなさいと勧めてくれる。ここに泊まっていきなさいと勧めてくださる。丁重にお断りするが、2人が寝るスペースはどう転んでもない 笑。
帰りには、のむと悟りが開けるというありがたい丸薬と、お守りを頂いた。お守りには、亜青のサンガを開いたアチュリンポチェの写真とこのお坊さんの写真が入っていた。
私もなにかお返しに渡したかったが、あいにく成都で買ったパンダのキーホルダーしか持ち合わせていなかった 笑。 -
お坊さんが持っていた、iPhoneはチベット語のキーになってました。
試しに、自分のアイフォーンの言語設定をみてみると、tieng vietとあるので、もしかするとこれ?と思い言語設定を変更したらベトナム語でした(そうなんじゃないかと思っていたんだけど) 笑。その後、ずべてがベトナム語表示になって(当たり前ですが)、戻すまで苦労しました。 -
雪が降ったり。
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晴れたり。
標高4000メートルのお天気は、目まぐるしく変化します。 -
ここに来れてほんとうによかったと思った。ヤン先生に感謝を伝えると、私がついてこなかったら、来もしないバスをずっと待っていたかもしれないから、よかったとボソッと言う。
おぼえがき:
亜青までのミニバス 45元。亜青〈ヤーチンと発音します。アチュンガルでは通じません)では活佛があらゆる物の値段、レストランでの食事から、ホテルも宿泊料にいたるまでを決める。信仰深いここの人々は活佛の決め事を守り、外国人でも金額を上乗せすることはなさそうです。
昌台・亜青行きの普通バスは朝の8時にミニバス乗り場から出発のようです。ミニバス乗り場は、川藏路沿い、Den Temple近く。
宿泊先 亜青賓館 プライベート120元、トイレ付き170元。亜青賓館の食事は美味しい。他にも、25元の宿があるが、汚い。
亜青には、wifiが存在しない。これは、若い僧達がちゃんと勉強に集中できるようにと活佛がきめたんじゃないかなと思われます 笑。 -
9日目 4月28日
信仰心
せっかくここまで来たのだから、もう一泊亜青に泊まろう。北京に戻るのに、まだ二日もある。
朝食をとっていると、ヤン先生が現れた。ヤン先生は、少し離れた客桟に泊まっている。宿探しの時、一緒のところと思ったが、ヤン先生から止められた。後から部屋を見せてもらって納得する。どうしたらこんなに汚くなるのかと不思議に思うほど、その部屋は汚れていた。いつ変えたのかわからないシーツ。マットレスの隙間からは、なにか得体の知れないものが夜中に這い出てきそうで怖い。親に頭が上がらないヤン先生は意外とタフなんだなと関心した 笑。
亜青では、尼達の島には、男性は立ち入り禁止だ。島に入れる私は 笑、ヤン先生とは別行動することになった。私の携帯は使えないので、度々ホテルに立ちよるから、時間が合えば逢おうということになった。 -
朝9時。それまでマニ車を回していた大勢の尼達が同じ方向に移動し始める。広場で朝の教義がはじまるらしい。途中子供の後をつけながら、伝わらないはずの日本語で話かけていると、「日本からですか?」という返答が後ろからかえってきた。そこには日本に留学してたこともあり、流暢な日本語を話す内モンゴル出身のチダムさんが立っていた。亜青にきて1ヶ月、密教の勉強をしている。こんなところに、こんな人。チダムさんに運命を感じてしまう 笑。夕方に活佛に謁見できる法要があるのでそれに連れて行ってくれるという。チダムさんの学校が終わった後、逢う約束をした。
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広場での教義の様子。一体何人いるのだろう。漢民族は建物の中で、中国語で教義を受けるそうです。チベット人は、家族の負担で亜青の佛学院で学びますが、漢民族とチベット人以外の民族は国からの補助金が出るそうです。
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雪が降ろうとも(きっと槍が降ろうとも)教義を熱心に聞き続けます。3時間近く続きます。
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そんななか子供は、やっぱりじっとしていられない。
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あーあ、泣かせちゃった。
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どーもすみません(林家三平風に)笑。
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橋を渡って男人禁制の島へと上陸してみましょう 笑。
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尼さんたちに挨拶をすると、にこやかに挨拶を返してくれる。私は「ハロー」とか、「こんにちは」、とか「タシデレ」という挨拶を選んで使った。「ニーハオ」は故意に使わなかったが、漢民族出身の尼さんも多いそうだ。一人ふらふら歩いていると、手招きしてくる尼さんがいた。私の事?と自分の顔に指を向けると、彼女は頷く。メインストリートから横道に入っていく。尼さんは、時々振り返って私がちゃんとついてきているのを確認している。大きな赤い門のある家にたどり着いた。この家は他の家〈バラック)とは様子が違う。家に靴を脱いで上がると、そこには立派な台所があり、ガスレンジが備え付けられていた。その横のリビングルームに通されてさらに驚いた。電子レンジや、冷蔵庫や、コンピュータやストーブがあり、部屋がめっぽう暖かいし板張りの床はピカピカだ。この立派なお宅には2人の尼さんが暮らしていた。若い尼さんはお世話係のようで、料理をしたり、部屋の掃除をしたり、ストーブにヤクの乾燥糞をくべたりしている。お世話をされている女性は、40歳くらいの美しい尼さんだった。言葉が通じないので3人で始終にこにこして白湯をすする。そのうち、お世話係の尼さんが、漬物のような野菜が入った餡餅を作って出してくれた。後でチダムさんにその話をしたが、その方は高空母様かもしれないと言った。高空母とは、尼の頂点に立つ高僧だそうだ。密教では、女性は下位にあるので、活佛にはならない。なぜ、私を招きいれてくれて、食事まで振舞ってくれたかはわからないが、似た感じの風貌の外国人女性に興味があったのかもしれない。ここでは、本土からの中国人も滅多に訪れることはない。
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さあ、お腹も膨らんだことだし、ぶらぶらと街歩きをしてまいりましょう。
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尼さんの後に付いて行きましょう。
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ここがメインストリート。
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バラックには、ちゃんと住所がついてるんですね。お手紙送ったらつくのかしら。
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狭い横道から幼い尼さんが出てきましたよ。驚かしてごめんね。
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お菓子を買いに行くんですね。
島での、普通の暮らし。 -
さて、もう一度登って、全体図。
ここでは現在1万人ほどの尼さんが暮らしているそう。色達同様、デモリッションと再開発の計画がここでも持ち上がっている。
ここで出会ったマレーシアから旅行者は、色達にも入ってきたところだった。写真をみせてもらうが、まるで竜巻が通過したか跡のように、帯状に建物が倒壊されていた。その跡に白く雪がつもり、包帯が巻かれているよう見えて痛々しかった。開発は早い勢いで進んでいるそうだ。
ヤン先生に、チベット問題について聞いみたことがあった。チベット人は、教育や、公共の福祉にお金を使うという概念がない。寺の建立だけにすべてのお金を使ってしまう。中国共産党は、チベットに道を作り、仕事を作り、学校を作り、補助金を与えている。西側諸国ではフリーチベットなど言っているが、共産党が作った道を通らなければ、西洋人はチベットを訪れることさえできない。
若いヤン先生はまだ経験していない。精神的豊かさは、ときとして物質的な豊かさを上回ることを。
神山に設けられた箱の中で、尼さん達は100日間、光になるための瞑想を続けるそうだ。 -
五体投地の練習中です。ジムみたい。男臭いな。お邪魔しました 笑。
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学校ですね。驚かせてごめんね。お邪魔しました。
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ジェダイがいっぱい。
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私の102歳まで生きた祖母、ヨネさんにそっくりだわ。生き別れた双子かも。
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人生を自分と、信仰だけに捧げるって、どうゆうことなんだろう。
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お年を召した尼さんは、右手をどうぞどうどというように上下に振って挨拶してくれます。
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修行や勉強の時間以外は、やっぱり女性。みなさんとても人懐こいし、優しいです。
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オーマニペメフムは、それぞれのチベット文字と、その色を頭に浮かべながら唱えるのが正しいやり方だそう。色彩は、密教と密接な関係にあるそう。チベット様式がカラフルな理由がやっとわかりました〈チダムさんありがとう)。
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天葬師、鳥葬師とも呼ばれる。たぶん、世界で一番少ない職業、生業。
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夕暮れ時、ご飯時。かまどからの煙が立ち昇ります。
島での日常。 -
チダムさんの案内で、アソン様という活佛に謁見の機会を得た。チダムさんはちゃんと、アソン様に差し上げる美しい黄色のカターを私の分も用意してくれていた。謁見の時には、アソン様に質問をすることができるそう。質問した相手だけに秘密の教えを説く、それが密教。亜青も色達もニンマ派であるが、名高いダライラマとパンチェンラマはグル派の活佛である。
その後チダムさんの案内で亜青をまわる。亜青は、密教の実践を教えるところだが、お隣の色達では論理に特化した勉強をするところらしい。亜青が一望できる赤土の丘には「神山」というありがたい名前がついている。この丘を一度登ると、経典を一回読経したことになる。丘の上に鎮座するのは、密教を開いた蓮華生。蓮華生は釈迦と同様、実在した人物であるそうだ。この金色の蓮華生を見た者は、いつか極楽浄土へ行けるが、それは明日かも知れないし、1000年後かもしれない。密教は、縁起の考え、縁起とは全ての欲、梵脳を捨てることを原理としている。
チダムさんに、「だって死に際に、真面目に生きたが辛い人生だったと思うより、羽目ははずしたけど、楽しい人生だったと思うの方がいいんじゃない?」と聞いてみた。こんな失礼な質問にも「それでは、ようこさん〈私のこと)が悟りを開いたら、私も一緒に極楽浄土に連れて行ってくださいね」と温和なチダムさんはニコニコして答えた。チダムさんと話をしていると心が綺麗になるようだった。ツァンパをいただきながら楽しく食事をして、真暗でぐちゃぐちゃな道をホテルまで戻ると、すでに9時をまわっていた。ホテルに戻ると、ヤン先生は8時ごろまで私を待っていてくれたようだった。悪いことをしたと思ったが、服務室のおじさんが、まるで失踪していたヤン先生のガールフレンドがとうとう帰ってきた、みたいな大げさなジェスチャーで騒いだ 笑。 -
10日目 4月29日
下界へ。
出発の朝、ヤン先生が現れてくれるのを待ったが彼は現れなっかた。バスは時間通り8時半に出発した。亜青は今朝も小雪がちらついている。帰りのバスは峠を越えて、ぐんぐん進む。私は、くもった窓ガラスの向こう広がる雪景色を一人ぼんやりと見つめていた。
私はいつも一人でなかった。ヤン先生に、チダムさん、そして姜さん、お家に上がらせてくれたお坊さんに尼さんに、長距離バスで興味半分で、色々と世話を焼いてくれるタバコ臭いおじ様。お一人様の相席で、自分のとったものを「食べろ食べろ」と進めてくれる中国人観光客。自分の髪飾で、丹巴美人にふん装させてくれたおばあちゃん。唐辛子少なめのスペシャルデッシュを作ってくれる食堂のお兄ちゃん。スキヤキソングを一緒に歌ったミニバンの運転手。私はいつも誰かに助けられ、誰かと一緒に笑って、誰かと一緒に感動した。
雪のせいで、バスのおしりが左右にすべる。どうしても進めなくなったところで、タイヤのチェーンを装着する。甘孜まで戻るのに時間がかかりそうだな、とため息がでた。 -
甘孜には、お昼過ぎに到着した。ミニバスの客引きが、バスの中まで入ってきて、俺の車に乗れ、乗れと私の荷物に乱暴にしがみついてくる。お財布にはまだ300ドルと1200元残っている。ええぃ、面倒くさい。全財産を使って、このまま成都に帰ってしまおう。こういう場面で、金にものをいわせて済ましてしまえという、えせバックパッカーのシッポと、段取りとか計画とかとにかく面倒なことはごめんだという私の悪い癖がでてくる 笑。「成都、いくら?」と聞いてみた。成都まで距離にして750キロ。350元で行くという運転手が現れた。え、350元?
お金のことで、不可解な心理に陥ったので追記しておく。
亜青に着く前、甘孜に着いたあたりから、お金のことが心配になっていた。クレジットカードもキャッシュカードの使えないこんな所で、もちあわせの現金を全部使ってしまったらどうしよう。丹巴で、ばかみたいに20元近くするコーヒーばかり飲まなければ良かった 笑、と思ったりもした。これから先、必要であろう交通費や宿泊費を書き出したりしても、不安は消えない。ヤン先生には、根拠のない不安だとたしなめられた。事実、一日200元も使うことはなかった。クレジットカードで全ての支払いを済ましてしまう生活を何十年もしている。プラスチックのカードが、今お財布に入っている現金よりもずっと頼りになる心理に、びっくりした。
何時間で着くの?イー、アー、サン、スーと指折り数えてと聞くと9で「ドゥイ」。成都のどこまで行ってくれるの?と市内の地図を指差すと、北?汽?站を指さした。Done deal! 私はミニバスに乗り込んだ。
バスにはもう一人の中国人が同乗してきた。いやはや成都に行く人がここにもいた、と思ったら彼は理塘に行くという。ちょっと待ってよ、方向がちがうと、運転手に言うが大丈夫、大丈夫のような素振り。長距離バスは、行き先も途中停車も決まっているが、ミニバンは客を回転させながら(拾い、降ろしながら)最終目的地まで走る。そうか、だから、プロビデンシャルハイウエイには乗らないのか。
中国語のポップミュージックが最大ボリュームでかかるミニバスで、私は自分のアイポッドを引っ張りだして、ジャスティンビーバーを聞いていた。ヘッドホーンをしていても、音が入ってきて、ジャスティンが、中華ポップを歌ってるように聞こえる。このうるさいバスに乗って成都までいかなければならないのか、と憂鬱であった。
2時間ほど乗ったところで、バスは炉霍で停車した。ここで違うミニバスに乗り換えるという指示。そうゆうシステムだったのか。甘孜からのミニバスの運転手は、引き継ぎのミニバスの運転手に私の乗り賃分のキャッシュをもらっている。その姿は奴隷仲買人のようにも見えた。乗客2人だったのが、あっと言う間に7人を集客して発車オーライ。アマゾンも顔負けの無駄のない流通システムだ。 -
幾つかの峠を越えて理塘に夜の8時に着く。峠では積雪60センチ以上の場所もあった。SUVが今では見かけなくなった金属製のチェーンを装着して走っているのでは初めて見た。このミニバンの運転手の運転技術には感心した。雪で滑りながらも、ハンドルを切り返して車のお尻をもとにもどす。でも乗客とおしゃべりを始めると、なぜかスピードが落ちた。おしゃべりなんかしないでと思った。
理塘までの道のりは長かった。前出のジャスティンのアルバムも4回くらい聞いた 笑。成都に9時間で着くというのは、嘘っぱちであった。
理塘でまた違うバスに乗り換え。今度は大きめのバスだった。オーマニペメフムの歌謡曲が大音量でかかる。もうジャスティンも、オーマニペメもなんでもいいから静かにしてぇー 笑。3人席に4人座らされ、一人が背もたれを使うと、隣は背を浮かせなくては収まりきれない。最初は遠慮していた私も、そのうち疲れて背にもたれる。隣のおじ様は、遠慮なくタバコを吸い、その大きな体をぐいぐいおして入ってくる。バスは、タバコと、ニンニクと体臭でむんむんしている。という私も亜青に入ったときからシャワーは浴びていないので、少しは貢献しているのだけど 笑。
労働節の連休で道は大渋滞となり、10メートル進んだところで10分留まる。運転手はそのたび、エンジンを切る。3時間たってやっと渋滞を抜けた。「ワタシキレルカモ」、と思う時が数回あった。そんなときは、家で留守番している猫のことを思い出した。一番大変なのは、運転手さんなんだよ、と日本にいる優しい母はそういうだろうと、思うようにもした 笑。
バスは、朝の5時に成都市内に無事到着した。21時間近くのバス旅となった。
後でそのことをヤン先生にメールすると、「ナイトバス?! You must be crazy !!」といわれた。あの豚小屋のようなところに泊まっていたヤン先生が、そんなことをおっしゃるとは。でも豚小屋か、あのナイトバスかのどちらかを選べといわれたら、私はまよわず豚小屋を選ぶ。
長い一日だった。久しぶりにオンラインになったので、家族に無事であることをメールする。その後もなかなか寝付けず、そのうちに鳥のさえずりが聞こえてきて空がしらけてきた。
ちなみに、日本に滞在中「学割ってる?」とはしゃぐジャスティンを見て憂鬱な気分に陥ったのは、そうゆう訳です。
おぼえがき
亜青~甘孜 普通バス 40元 8時半に亜青賓館前バス乗り場から出発。雪のため4時間。
甘孜~成都 ミニバンとナイトバス 350元
長距離ミニバンは乗ってないけない! -
11日目 4月30日
古都にて、
アスペンでハイキング中に道に迷ったことがある。成都に着いたときのほっとした気持ちは、下界に戻ってきて安堵したその時の気持ちと同じだった。
ホテルでゆっくりしようか、それとも観光にでかけようか。市内の地図を眺めていたら、人民広場を下がっところにペットと花のマーケットがあるらしい。今日はそこに行ってみよう。 -
金魚屋やペットショップが立ち並ぶ。
アメリカのペットショップに犬、猫はもういない。ブリーダーから買うか(それも、非難の対象となりつつある)シェルターから譲ってもらうのがスタンダード。動物が檻に入れられて売られているのは、久しぶりに見た。
中国もペットブームのようである。 -
おなかも空いてきたので、早めの夕食、おなじみ、陳マーボー豆腐〈本店〉へ。ここでは同じくお一人さまの広州出身のスティーブさんと同席となった。スティーブさんも自分でとったものを「食べろ、食べろ」と勧めてくれる。辛いので、ご飯とビールがあっという間になくなる 笑。
スティーブさんは英語を話したが、複雑な会話は、翻訳アプリにたよった。 彼も中国各地を旅行しているようで、新疆ウイグル自治区はいいよ、と言っていた。私の亜青までの武勇伝を話すと、You are brave. I am impressed. と翻訳アプリにテキストが現れた。
AKB48のファンだというスティーブさんは、特に好きなのがなになにさんだと言ったが、私の知らない人だった。百恵ちゃんはAKB48にとってかわっていた。 -
文殊院を一本はずれた静かな通りに面した部屋のバルコニーで、景徳鎮のお茶碗でお茶を飲みながら旅の終りの余韻に浸る。風がここちよい。外には、面子で遊ぶ少年がいたり、中庭には、囲碁をうつ少女たちがいた。ロビーには水習字の一式がおいてあり、何か書きたいなと暫し考える。「万里一空」という言葉が浮かんだ。
精進するという意味でなく、「道は、果てしなくどこまでもつながっている。その先には想像を絶する風景や、自然、固有の文化に生きる人々がいる」という旅行の感想として。次は、どの道を歩いてみようか。
おぼえがき
陳麻婆豆腐は赤坂にもあったんですね。 -
12日目 5月1日
北京へ
成都最終日。晴れ晴れとしている。飽きずに陳マーボー豆腐をお昼に食べる(文殊院店)。ここでは、重慶から観光に来た女の子達と同席した。また食べきれない程の料理を頼んでいる 笑。彼女達が頼んだ、冷たくて、香辛料がきいた鶏肉の料理がすごくおいしかった(たぶん口水鶏とよばれる料理)。デザートは、文殊院通りの門近くにある、ベーカリで。
寛窄巷子へも行ってみる。お茶の専門店では、何十万円もするプーアール茶があった。茶器をお土産にと思うけどとても手が出ない。
楊貴妃の再来のような美人の写真を撮らせてもらったり、パンダグッズを買い足したりして、一路、北京へ。
おぼえがき
文殊院通りのどちらかの門入り口近くにあるベーカリは美味しい(お饅頭と蒸しパン)。人がたくさん並んでいるので、すぐにわかります。
文殊院~空港 タクシー 60元
成都~北京 (中国南方航空) 265ドル 労働節最終日のため混雑。 -
13日目 5月2日
日本へ
「本日は、機内には45名のお客様をお迎えしておりますので、ごゆっくりおくつろぎいただけます」アテンダントが微笑む。羽田行きの787機には45人の乗客しか乗ってなかった。中国の労働節の威力はすごい。あれだけの交通渋滞を引き起こし、あれだけ空港を混雑させて、翌日には綺麗さっぱり明日は明日の風が吹く。
羽田空港のバス停に台湾からの旅行者がいた。緑色のパスポートで分った。中国での自分の姿と重なり、おせっかいかな、と思いながらも世話をやいてあげた。その青年は、眉間にしわを寄せて恥ずかしそうに、私に礼を言った。その笑い方はヤン先生にそっくりだった。
おしまい。 -
おまけ:カンフーパンダ。
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おまけ:あ、やばい目があっちゃった。寝たふりしようかなパンダ。
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おまけ:ずっと友達でいようねパンダ。
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おまけ:ダレパンダと、ウフィフィフィ陰謀パンダ。
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おまけ:一人になりたいパンダと、彼のことはもともと眼中にないパンダ。
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おまけ:これ食べたら寝よっパンダ。
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おまけ:ブルトーザーパンダ。ガー。
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ボーナス!
photo credit: ヤン先生。
最後までお付合いありがとうございました!
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