2017/04/08 - 2017/04/16
3位(同エリア36件中)
地中海人さん
チュニジアは古名・アフリカという。 カルタゴはローマ帝国と3度戦い、一時はハンニバルがイタリア本土を蹂躙し、ローマを震撼させたという矜持を持つ誇り高い民族が住んでいた。
イスラム教であるが、アフリカでは最も世俗的で、教育が普及し(大学まで無料、大学進学率3割、女性多し。)、アラブ世界では一番女性が社会的進出を果たしている、という。なにしろ査証不要であり、アルコールが飲める。
今旅行において生まれて初めて、「蜃気楼」を見た。
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2017年4月8日(土)
添乗員無し四名現地ガイド付きツアーとのことだったが、出発前2週間前には14名となり、直前に3名の取り消しがあって、最終的に11名となり、西遊旅行ではチュニジア添乗員付きツアーは2年ぶりという。
★ 成田Ⅱ発 EK319/U 22.00→(11時間15分)→ドバイ着04.15(JAL fop無し!)
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4月9日(日)
ドバイ発 EK747/U 08.05→(6時間25分)→チュニス着11.30(JAL fop 1,381マイル)
専用大型観光バスにで早速バルドー美術館
カイラワーン ラ・カスバ ホテル
★ 夜、旧市街一人で歩く。
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4月10日(月)
カイラワン観光(大モスク シディ・サバブ霊廟)後トズールへ途中スベイトラ遺跡。
トズール パームビーチパレスホテル
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4月11日(火)
シェビカ峡谷 シデス廃村
ドゥーズのHOTEL 泊(クサールギレンのテント泊が前日の大雨のため変更)
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4月12日(水)
マトマタ ベルベル人の洞窟住居 エル・ジェムの楕円形闘技場
スース ディアル エル アンダルースホテル
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4月13日(木)
スース旧市街の観光(リバト、メディナ等)。カルタゴのローマ遺跡(トフェのポエニ人の墓、古代カルタゴの港、アントニヌスの共同浴場、古代カルタゴの中心地ビュルサの丘、博物館等)。
シディ・ブ・サイドを訪れ、チュニスへ。
チュニス アフリカエルムラディホテル 2泊
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4月14日(金)
ドゥッガ遺跡 ブッラレ―ジャ遺跡
チュニス泊
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4月15日(土)
チュニスの旧市街(メディナ)散策
チュニス発 EK748 13.15→(6時間00分)→ドバイ着22.15
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4月16日(日)
ドバイ発 Ek318 02.40→(9時間55分)→成田空港Ⅱ着17.35
成田空港Ⅱ発→東京駅→仙台
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エミレーツのチェックイン
eチケットには、「発券航空会社 EMIRATES」[発券事業所 16310512][発券日16MAR17]とあった。
往路
旅行会社が通路席でWEBチェックイン済みとのことだったが、3時間前に並んだ成田空港カウンターではチェックインされていない、として真ん中の席となった。
復路
添乗員さんが帰国便の48時間前にWEBチェックイン(予約番号を入力する)しようとしたら私のだけが予約されていない、と出たので、西遊本社からEMIRATESに連絡し、通路席を座先指定することとなった。
こんなことは初めてだが、単なるシステム異常か?
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カメラ スマホのソニー エクスペリアZ1
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表紙写真 カイラワーン ラ・カスバ ホテル
**** 両替
2017年4月7日 成田空港Ⅱの銀行
9,975円=88USドル
4月8日 チュニス空港 1USドル=2.27ディナール
クレジット
換算日4月15日 5,303円=110,00TND 48.210
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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成田空港
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エミレーツに乗るのは、2008年シリア、2015年イラン、の3度目。
ツアーなので、JALに成田→ドバイ間のマイルはつかない。ドバイ以降の分のみマイルが付く。
ボーディングタイム21.05 クローズ21.40 出発22.00
A380でエコノミーは3-4-3列。 -
成田からソウル→北京→イスラマバード→ホルムズの首上空を飛びドバイ空港BターミナルにAM4.26着 外は29度。
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セキュリティは,?F、Cクラス、ゴールドと②その他 に別れ、②の最後列に並び約30分ちょっとで通過。
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チュニス行きEK747便はゲートB2。
ツアー客はゲート前でAM7.20集合ということで、 -
マルハバラウンジへ
このときは、JALのJGCプレミアカードに付帯したプライオリティカードで入った。
(引退を機にJALカードを5月末をもって解約し、かわりに楽天プレミアカード附帯プライオリティーカードをいただいた。) -
午前5.30頃であったが、乗り換え便はAM6時前後からラッシュなのでほぼ満席。
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で、赤ワイン、水、サラダを頂き、VAIOを開くこともなく酒屋へ。
オールドパーの小瓶を探したが無く、シーバスリーガルの18年物の小瓶(22ユーロ)を購入。
日本のウイスキーが健闘しています。日本産ウイスキーは有名になりましたね。
そのうち日本酒も賞を続けて取れば並ぶことになるのでしょう。
(自宅では「伊達」をたしなんでいます。) -
EK947便ドバイ発8.05が、9.05発に。
左は機内で配布された入国カード -
チュニス上空
やはり、砂漠が近い? -
チュニス空港
スムーズに荷物を受け取ることができました。 -
今や世界各地で見かけるエミレーツのCAさん。
なんとなく近寄りがたく、写真もおねだりできず、というか考えもつかなかった。 -
チュニス空港内で両替しました。(30ドル=68.190DT 2.273DT/1ドル)
日本人が大好きという現地ガイド・アハリムさん、運転手のモハメッドさんが待ち受けていました。「アッサレーム アレイクム!」と挨拶。アハリムさんはアラブ人、英仏語が流暢、日本語は発展しつつあり、添乗員さんのダメ押しに懸命についていった。旧宗主国を同じくするレバノンと異なり、チュニジアでは仏語はかなり通じるようだ。
1か月前まではこの二人とツアー客4名のはずだった。
11名に達したので現地旅行社は大いに喜び、社長自身がホテルまでお土産を持参した。 -
早速、バルド国立博物館へ。
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「バルドー美術館」と称されることもあり、古代ローマのモザイク、古代ギリシア, チュニジア, イスラム時代の遺物が主な収蔵品。また若干先史時代の文化遺物を見ることができる。
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2015年3月の銃撃事件。
旅を愛し旅に倒れた18人のご冥福をお祈りしました。
触れられたくない日本人遺族がいらっしゃったらお詫びします。
慰霊碑を掲げ、花が添えられています。
この事件後、日本からのツアーは西遊1社で、しかも4名以上8名未満のツアーを続けること2年。ようやく今回出発直前8名以上集まり添乗員つきとなった。
外務省の危険情報によれば、ツアーはレベル2のところを行く。
レベル3は西と南のごく一部の国境地帯である。
(エジプトで銃撃事件ありましたが、その時も直後に訪問したことを思い出しました。) -
ビザンチン時代の洗礼槽
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もともと「アフリカを出なかったコーカソイド」と言われるベルベル人が基層で、フェニキア人、ポエニ人(ベルベル人とフェニキア人の混合)、ローマ人、ギリシャ人、ゲルマン系ヴァンダル人、アラブ人が折り重なっている。
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チュニジアは、北アフリカど真ん中、イタリアに近く、したがって古来からヨーロッパ、アフリカ、オリエントとの交通路であることの宿命に耐えた人々が生き残り、遺伝子を伝えている。
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フェニキア人、ギリシャ人、ローマ人、ゲルマン系のヴァンダル人や到来し、カルタゴ、ローマ帝国、ヴァンダル帝国、東ローマ帝国、イスラム諸帝国、オスマントルコ帝国、フランスと、民族と言語の混合の度合いは深い。
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オスマン時代の邸宅です。
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チュニジア国会です。
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バルドー国立博物館
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バルドー国立博物館 四季の女神の内「春」
[アラブの春が起こった国では、テロの増大や無政府状態になるなど混乱が広がる国が多数であるが、チュニジアはアラブの春が起こった国の中で、唯一、民主体制への移行が実現した.]
とある。 -
バルドー国立博物館
すばらしいモザイクの数々。 -
バルドー国立博物館
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チュニジア初日にしてバルドー博物館を見、観光専用バスは、チュニス郊外のバルドー博物館から一気にカイラワンへ。
カイラワンのホテルは、「ラ・カスバ」五つ星。
(このツアーは全部五つ星!) -
オスマントルコ時代の要塞を改造したホテルでした。
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メインの通りの両側にカフェが並び、ほとんどが男性ですが、家族連れで女性も。
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夜、ガイドに断らずに、一人でカイラワン市街地を歩きます。
ホテルが旧市街の城壁を背にした要塞なので、新市街地は南側に広がっています。 -
クレープ屋台です。
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この店の前で、5,6人の若い男女が談笑していたので声を掛けてみた。
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若者たちの写真を撮ったが、これを代わりに出します。女性はヘジャブやスカーフをかぶらず、表情豊かで、なんといっても眼が愛くるしい。
アラブ人のイスラム教徒と言った風情は全く無い。
チュニジアは大学まで無償で、大学の進学率は3割、優秀な女性が多いという。
アフリカで一番最初に民主革命が成功しているし、その後揺り戻しもない。 -
お店のディスプレイは色が変わり、見せますねー。
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カイラワンの夜
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カイラワンの夜
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カイラワンの夜
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カイラワンの夜 旧市街を囲む城壁
サハラ砂漠以北のアフリカに住む先住民族・ベルベル人はチュニジアから広がったといわれている。
現在はチュニジアにおいてはベルベル人は1%だという。 -
カイラワンの夜
カイラワンは670年アラブ人によって建設された。北アフリカにおける第一のアラブ拠点となり、中世には、マグリブ地方のイスラームの中心地として、イスラム世界でマッカ、マディーナに次ぐ第3の聖都となった。
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メディナはここから。
ここから「サラセンの海賊」に指令を出し、シチリア沿岸、イベリア半島、ローマの近郊まで侵略、またピレネーを超え南フランスまで進軍するなど、脅威を与え続けた。
地中海沿岸のキリスト教都市は、略奪拉致を防ぐため、「サラセンの塔」を設置し、村は高台に作り城壁をめぐらすこととなり、現在まで多くの「鷲の巣村」がある。
この中にはキリスト教徒が拉致されていたので、826年にはローマ法王の命により
キリスト教軍がここから救出したとか。 -
カイラワンの夜 当然ながら、夜歩く観光客は全くいない。
旧市街を足早に照明がついているところだけ数十分歩きました。 -
カイラワンの夜 旧市街を囲む城壁の外側の屋台。
塩野七生さんの著作「ローマ亡き後の地中海世界」に出てくる「カイラワン」。
なかなか妄想するに難しく、アップが5月(マレーシア)6月(スペイン)8月(ロシア)の後になってしまった。
やはり、イスラム教、アラブ人、フェニキアというローマ世界外の地は、地中海北岸の常識からはどうもイメージが固まらず、難しい。
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