2017/02/25 - 2017/02/25
285位(同エリア333件中)
t.oさん
今回はJRの「駅からハイキング」で「鴻巣びっくりひな祭り」を歩きました。
普段、なかなか観光では訪れる機会がない埼玉県鴻巣市ですが、実はこの地域の「人形製作」は約380年の歴史があるといわれ、鴻巣の貴重な地場産業として現在に伝えられているそうです。
「鴻巣びっくりひな祭り」は、この歴史ある鴻巣雛のまちとして「ひな人形のふるさと ー鴻巣ー」を広く世間に紹介し、まちを明るく元気にすることを目的として今年13回目の開催となるそうです。
今回は、駅ハイならではのこの「まちかどひなめぐり」を楽しみました。
起点駅・集合時間:埼玉県・JR高崎線北鴻巣駅 10時
歩行距離・所要時間:約11km 約3.5時間
今回のコース:
北鴻巣駅(スタート)→箕田氷川八幡神社→宝持寺→パンジーハウス→クレアこうのす→鴻巣市役所→マル武人形店→勝願寺→東照宮(鴻巣御殿跡)→エルミこうのすショッピングモール→鴻巣駅(ゴール)
歩行後のお酒とごはん:たきのや
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
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先ずは北鴻巣駅の線路脇を鴻巣駅方面に歩き始めます。人生初の鴻巣訪問なのでどんな出会いがあるか楽しみです。
北鴻巣駅 駅
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満願寺脇の道路を歩いていきます。ここの辺りは旧街道の雰囲気がありますね。
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満願寺北側に古墳がありました。箕田2号墳との看板があります。
説明書によりますと、この地域には9個の箕田古墳群あるそうで、この古墳は箕田2号墳と名付けられているとのこと。 -
現状は直径23m、高さ3mの円墳ですが、築造当時は、直径32mを有する大型古墳だったそうです。調査によりこの古墳は6世紀後半に築造されたものであることが判明しているそうです。頂上には、神社の祠が見えますが箕田氷川神社なのだそうです。氷川八幡神社の境内掲示によると、承平元年(966)六孫王源経基が勧請したものだといわれ、江戸時代には箕田村の鎮守社となっていたそうです。
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引続き鴻巣駅方面に歩いていきますと、氷川八幡神社に到着しました。ここは、平安時代の京都一条戻り橋や羅生門の鬼退治で有名な「頼光四天王」の1人である渡辺綱(源綱)ゆかりの神社だそうです。伝えでは渡辺綱(源綱)が、永延2年(988)当地に八幡宮を勧請して創建したとのこと。
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本堂にお詣りすると地元のボランティアの人が色々とわかりやすく説明してくれました。
説明書の看板があったのですが、内容が難しそうだったのでありがたく拝聴します。
この辺りはかつて箕田郷と言われ、嵯峨流箕田源氏の発祥の地と伝えられているそうです。 -
本堂脇にあった箕田碑。宝暦9年(1759)建立だそうです。この碑は箕田源氏三代を始めとする武蔵武士の歴史を永く伝えようとするものだそうです。
箕田源氏三代とは、源仕(みなもとのつこう)、源宛(みなもとのあつる)、源綱(みなもとのつな)で、三代目である源綱(みなもとのつな)は、953年に、鴻巣で生まれたそうです。
因みに源仕の祖父は源融(みなもとのとおる)と言い、あの源氏物語の主人公光源氏のモデルになった人だそうです。 -
神社本堂脇の渡辺家の家紋です。源綱は若くして父宛を亡くし、母方の実家に預けられた後、摂津国(せっつのくに)渡辺へ移り住み、そこの地名となっていた「渡辺」の名を取って、渡辺綱(わたなべのつな)と、日本で初めて「渡辺」の姓を名乗ったそうです。因みに、摂津国渡辺というのは、現在の、大阪市西成(にしなり)地区あたりだそうです。
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氷川八幡神社を後にし、次に神社北側にある宝持寺を訪れます。
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宝持寺の創建年代は不詳ですが、箕田氷川八幡神社とともに、渡辺綱が祖父(箕田源氏の祖源仕)父(源宛)の菩提を弔う為に創建したと伝えられているそうです。その後、東松山市永福寺の第二代住職壑芸玄巨大和尚により永正年間(1504-20年)に曹洞宗寺院として中興、慶安年間(1648-1651)には江戸幕府より寺領5石の御朱印状を拝領したそうです。この本堂は平成15年一新されたものだそうです。
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渡辺さん発祥の地を示す碑。
前述したように、渡辺の祖は「渡辺綱(わたなべのつな)」とされており、全国の”渡辺さん”有志でつくる「全国渡辺会」が建立した顕彰碑だとのこと。鴻巣が「渡辺さん」の故郷だったとは初めて知りました。因みに渡辺は渡部ともかかれ「ワタナベ・ワタベ・ワタリベ」と読み、渡部は古代の部民制における職業部の一つだったそうです。具体的には船で人を運ぶ仕事に従事した人々が渡部といったそうで、摂津の渡辺という地名の由来はそこなのかもしれませんね。 -
宝持寺の薬師堂ですね。
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寺務所でしょうか。なかなか歴史を感じさせる造り。
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宝持寺を後にして次のコースポイントに向かいます。この日の天気は穏やかな晴れで、日射しも暖かくウォーキング日和です。
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沿道の住宅の庭には紅白の梅が咲いていました。春を感じますね。
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広々とした田園の道を次のスポット、パンジーハウス方面に歩いて行きます。彼方に大きなコンベンションホールのような建物が見えてきました。アド街ック天国でも紹介された鴻巣フラワーセンターですね。東日本最大級の花市場だそうです。
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フラワーセンターの近くにはビニールハウスがずらりと並んでいます。花の栽培が行われているのですね。
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パンジーハウスに到着しました。ここは、地域の農産物直売所で、ドライブイン風の施設です。「びっくりひな祭り」の会場の一つとして、期間中はピラミッド型ひな壇や各種雛人形が展示されるとのことです。
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入って直ぐに大きなひな壇が目に飛び込んできました。なかなか壮観で華やかです。高さは3.6m、17段あり、約400体飾られているそうです。
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ビラミッド型の他にもこのようなひな壇も展示されております。華やかでまさに桃の節句といった感じです。
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丸テーブルのひな壇には可愛らしい雛人形が飾られていました。目に飽きないですね。
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会場奥には生花で飾られた雛人形が展示されておりました。まさにフラワーセンターお膝元施設の雛人形らしいですね。
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会場では、雛人形の展示の他、通常の販売所としての営業もしておりました。農産物や生花、園芸用品など様々な商品が陳列され、見物客と買い物客で賑わっておりました。
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パンジーハウスを後にして暫く歩き続け、鴻巣市街中心に近付いてきました。埼玉県運転免許センターの所から市役所方面の道に入っていきます。
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次のコーススポット、鴻巣文化センター「クレアこうのす」に到着しました。ひな祭り期間中、こちらも会場の一つとして雛人形が飾られているそうです。
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施設に入ると窓際にずらっと雛人形が展示されておりました。約500体飾られているそうです。その他にも、災害時の非常食の商品の展示ブースや、ボランティア関係の展示ブースなど文化センターらしい雰囲気で、結構な人出で賑わっておりました。
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クレアこうのすの外に出るとゼリーフライの屋台がありました。もともとは行田市が発祥と言われていますが、ここ鴻巣でも地元のB級グルメとして紹介されております。せっかくなのでいただくことにします。
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ゼリーフライと言われてるものの、ゼリーを揚げたものではなく、おからと茹でたジャガイモを混ぜ合せ、コロッケのようにまとめて素揚げして作ったものだそうです。漢字で銭富来と書くことでわかるように、銭の形をしていることがその名前の由来だとか。
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かじってみると確かにおからです。美味しい。鴻巣ならではの渋いB級グルメとの出会いでした。
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屋台のそばには機関車も展示されていましたので写真に撮ります。
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次のスポット鴻巣市役所です。ここにも祭りの期間中、ひな壇が展示されております。
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ロビーに入るとピラミッドひな壇が展示されておりました。パンジーハウスより少し小ぶりですが、立派なひな壇です。
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また鴻巣御殿模型が展示されていました。鴻巣御殿は、徳川家康により、鷹狩りや領内視察などの宿泊や休憩所として築造されたもので、鴻巣駅の近くにあったそうです。
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「鴻巣」の地名の由来の説明書がありました。鴻巣に古くから伝わる「こうのとり伝説」がその由来との趣旨です。
「 むかしむかし、鴻巣の宮地に本宮(もとみや)というところがあり、そこに小さな祠が祀られていました。
側には「木の神」と呼ばれる大きな木があって、村人はその木を「神様の木」として大切にしていました。ところがその木はお供えをしないと災いを起こすので人々は困っていました。
あるとき、1羽のコウノトリがやってきてその大木に巣を作ってたまごをうみました。すると、どこからか大きなへびが出てきて、そのたまごを食べようとしました。
怒ったコウノトリは矢のように巣に舞い戻り、そのへびと戦いになりました。そうして、ようやくへびを追い払いました。
その後、この地には災いもなくなり平和な日々が続くようになったということです。
村人たちはコウノトリに感謝して、その木の下にお宮をつくり、コウノトリのお宮「鴻の宮(こうのみや)」と名付け、この土地の守り神としました。
そしてこの地はいつのころからかこうのとりが巣を掛けたところとして「鴻巣(こうのす)」と呼ばれるようになりました。」
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このこうのとり伝説に因み、こうのとり関係のさまざまな資料も展示されておりました。
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市役所を出て次のコースポイント、マル武人形店に向かいます。この辺りは江戸時代の中山道の旧宿場町鴻巣宿のエリアにですね。
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沿道には旧宿場町の雰囲気を漂わせる建物もあったりします。
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そうこうしているうちなマル武人形店に到着です。
こちらは、毎年首相官邸入口ホールのひな飾りを担当するなど、江戸時代から続く、鴻巣を代表する伝統と格式のある人形店だとのこと。マル武人形 名所・史跡
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早速入口で雛人形がお出迎えです。華やかな感じですね。
マル武人形 名所・史跡
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着物とお顔に品がありながら、可愛らしい感じもありますね。当然のことながら、全て職人さんが一つ一つ手作りで作っているものです。
マル武人形 名所・史跡
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店内に入るとずらりと雛人形が陳列されておりますね。
7段飾りが展示されていないのは、桃の節句も間近で、注文も一通り終わってしまっているので展示を終了しているとのこと。マル武人形 名所・史跡
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代わって端午の節句に向けた展示が始まっておりました。兜人形がずらりと展示されており、なかなかの壮観です。
マル武人形 名所・史跡
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伊達政宗の飾りですね。仙台出身のお客様がお買い上げしそうですね。
マル武人形 名所・史跡
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真田の赤備えの甲冑ですね。NHK大河ドラマ真田丸を思い起こします。
マル武人形 名所・史跡
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これも立派な甲冑ですね。
お店の人のお話によると、鴻巣が人形製作で発展したのは、江戸時代、日光東照宮造営に参加するために、京都から人形師が大勢やってきて、この鴻巣に住み着いたのがきっかけだとのこと。道理で、雛人形も端午の節句の飾りも、どことなく雅で品があったりするなと思いました。マル武人形 名所・史跡
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マル武人形を後にして次のスポット、勝願寺に向かいます。
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勝願寺の惣門に到着しました。ここから敷地内に入ります。惣門には「栴檀林」の額がかけられています。
勝願寺 寺・神社・教会
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勝願寺の仁王門です。堂々とした造りですね。
このお寺は浄土宗関東十八壇林(僧の学問所)の一つであり、徳川家康より将軍家の三葉葵紋を拝領したとのこと。境内には大名の牧野家や関東郡代伊奈氏、真田家に嫁いだ小松姫などの墓があります。この門自体は明治15年の火災により焼失後に再建されたものだそうです。勝願寺 寺・神社・教会
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仁王門の両側に立つ仁王像です。どことなく愛らしい感じでユニークです。仁王門が大正9年(1920年)11月に再建された際に秩父の三峯神社から贈られた像だそうです。
勝願寺 寺・神社・教会
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本堂ですね。こちらも明治15年の大火により焼失したあと再建されたものだそうです。
勝願寺 寺・神社・教会
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本堂左手の木々の下にこのお寺縁の歴史を彩る人たちの墓石がありました。
勝願寺 寺・神社・教会
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真田小松姫のお墓がありました。NHK大河ドラマ真田丸で大泉洋が演じた真田信之の奥方のお墓です。お墓は信州にもありますが、生前、当寺の住職・円誉不残に帰依していたことから一周忌の際に分骨して造られたそうです。
勝願寺 寺・神社・教会
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そして、真田信重のお墓と信重の正室のお墓です。信重は真田信之の三男で、母と同様に鴻巣で没したため当寺に埋葬されたそうです。また、正室は鳥居忠政の六女で、夫の死の翌年に没したため当寺に埋葬されたとのこと。正室の方が大きいですね。
勝願寺 寺・神社・教会
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勝願寺を後にして鴻巣駅近くの路地裏に入ってきました。敷地の間の鴻巣御殿(東照宮)跡へ続く狭い通路に入っていきます。地元の人も知らなさそうな非常に目立たないところに入口があり、駅ハイの案内がなければ、まず訪れることは無い感じの場所です。
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通路の突き当たりには、ここが鴻巣御殿跡であることを説明する立札と小さな祠がありました。
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鴻巣御殿は文禄二年(1593)年、徳川家康によって鷹狩や領内視察などの宿泊や休憩所として建てられ、その敷地は一町四反歩(約1,4ヘクタール)に及んだそうです。
その後、秀忠、家光の三代に渡って将軍家の鷹狩の際の休泊所として利用されたが、寛永七(1630)年頃を最後として以後使用されなくなったとのこと。
明暦三(1657)年の江戸大火後は、その一部を解体され江戸城に運ばれ、天和二(1682)年頃には残りの建物も腐朽して倒壊し、元禄四(1691)年には御殿地に東照宮を祀り除地としたそうです。
その東照宮も明治三十年代に鴻神社に合祀され、旧御殿地はその後民有地となって今に至っているそうです。 -
鴻巣御殿を後にして、駅前ロータリーまで来ました。ロータリーには花火の玉のオブジェでしょうか?「ギネス世界記録四尺玉」と読めます。調べてみたところ「平成26年10月11日(土曜日)に開催された「市制施行60周年記念・第13回こうのす花火大会」において、世界最大となる正四尺玉の打ち上げに成功し、ギネス世界記録の認定を受けました。」とのこと。因みに認定にあたって、正四尺玉の実際の直径105センチメートルは参考値とし、重さ464キログラムを「最大」としているそうです。
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いよいよ最後のメイン会場、エルミこうのすに入り、巨大ひな壇を眺めます。
実に壮観で華やかですね。このセントラルコートにそびえ立つ高さ7mを超えるピラミッド型ひな壇は日本一の高さを誇るそうです。因みに段数は31段、雛人形は1830体とのこと。 -
ひな壇の前では、マル武人形店の人形師のかたがたが製作の実演を行っておりました。これはこれで貴重な眺めですね。
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ひな壇の近くには、地元のグルメのイートインがあり、こうのすコロッケが売られておりました。
鴻巣の近くには荒川が流れており、その川幅が日本一だとのこと。それに因み地元では「川幅グルメ」と銘打って、この、こうのすコロッケや、ゼリーフライや幅広うどんなどが猛プッシュされているのだそうです。 -
さて、歩行後の、ごはんとお酒ですね。今回は駅前ロータリーに面している「たきのや」というお店が気になりましたので入ることにしました。
たきのや グルメ・レストラン
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時刻は昼時2時頃。外観は定食屋(どうやら蕎麦屋でもあるらしい)ですが、店内は、地元のご常連とおぼしきご年配のお客様がたが仲良くお酒を酌み交わしております。
そんな中、私達一行も少し離れたテーブルで自家製もつ煮込みなどを肴に乾杯スタートします。たきのや グルメ・レストラン
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雰囲気としては、ランチタイムが終了し、酒場タイムがスタートしたといった感じでしょうか。
各種おつまみの短冊も壁に貼られ、なかなか渋い、まさに地元の社交場といった感じです。
私達はめざとく地元のグルメの川幅メンチを注文したりします。たきのや グルメ・レストラン
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ご一行のかたが締めの肴にハンペンのバター焼きを注文しました。酎ハイとともに美味しくいただき、今回も大満足のウォーキングを終了しました。
たきのや グルメ・レストラン
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