2017/01/29 - 2017/01/29
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tachuさん
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北野廃寺が気になっていってみました。
まずは真福寺から
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真福寺は 寺の起源によると 聖徳太子建立の寺とか。推古二年に物部守屋次男 真福が山で泉を、発見し薬師如来を見つけたということで、聖徳太子に願いでて建立した。
山門は1494年に建て替えられたもの。それでもかなり古い。 -
長い長い階段を登ります。
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階段を登りきると、法螺貝の穴があり、そこは伊勢神宮から通じている穴だとか、覗くのもなんだか怖く恐る恐る覗くと、びっくりするほど大きな穴が、怖くてとても写真が撮れませんでした。奥に地蔵観音のようなものがみえました。他にも、多宝塔や大きな鳥居。本堂とならんで八所神社。
本堂の中に井戸があり、それが御本尊。
本堂の下を覗いて観察したのですが、なにやら古い石垣がありました。そして、写真を撮り損ねたけど、水の流れが本堂の方から流れおちています。 -
奥の院まで足を伸ばしてみるとやはり神社。
物部氏なのになぜ推古二年に寺院建立?岡崎に物部氏?謎ばかり。、 -
今度は 岡崎廃寺に行ってみました。
こちらの四天王寺式の伽藍配置は日本での寺院建立の初期型ということで、全国でも珍しいそうです。
こちらも物部氏の氏寺とか。
建立年代は7世紀後半とか。その後100年ほど建っていたけれど、消失してしまったそうです。 -
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廃寺の区画の片隅には 現代まで続く寺がちょこんとあります。
古代の国分寺跡を訪ねたときも、必ず跡には何かしらの寺がありました。 -
想像以上に広いです。ここに古代の寺があり、塔や金堂 講堂 僧坊かあったとしたら、かなり文化的に洗練された土地だったことが想像できます。
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もうひとつ行きたかった矢作神社。
こちらの由緒は、創建は明らかではなく、日本武尊か東海の荒ぶる神、服従せぬ夷賊を平定するために旅立たれ、この地(三河国蓬里)にお着きになった。ここには海のように広い川が洋々と流れる場所があり、民が言うには この川の東に賊がいて人々を悩ますと。尊はこれを討たんと 戦いの神様 素盞嗚尊をお祀りし、率いた矢作部に矢を作らせたとこから、社号を矢作神社と称えこのあたり一帯を矢作と呼び習わした。
蓬里(よもぎのさと) 海のように広い川 日本武尊が率いていた矢作部 私の中に新しいキーワードが出てきました。 -
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矢作川
今は海のようには広くない。けれど古代は整備されてなくて、何筋も川があるような大きな川だったのかもしれない。
日本武尊は1人の人物がモデルではないが、ヤマト政権が東国に進出する話を神話化したものであろう。
調べてみると三河国遠江国駿河国の国造に物部氏がなっていたこともあるようだ。日本武尊の東征と物部氏の国造 何か関係ありそうな。
そして、古代にこの場所で、矢作部と呼ばれる集団が矢をせっせと作っていたと想像すると、1500年、いえ、もっと前にタイムスリップ出来て楽しい。
自分が思っているより、はるか昔より 政治的な歴史が日本にはあったかもと考えさせられました
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