2017/01/27 - 2017/01/27
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ペコちゃんさん
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川越の北側に位置する、人口約2万人の川島町(かわじままち)。
梅林で有名な越生から流れてきた越辺川(おっぺがわ)が、川島町の西側を流れていますが、2004年から越辺川の河川敷に白鳥が飛来するようになり、今や160羽ほどの白鳥がこの地で冬を過ごしています。
以前から一度行ってみようと思っていた遠山記念館の見学がてら、川島町の冬の風物詩になった白鳥に会いに行きました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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これは、遠山記念館の駐車場にあった、川島町の観光ガイドマップの看板。
川島町は街の真ん中を圏央道が東西に走り、東側に遠山記念館や廣徳寺、西側に白鳥の飛来地があります。 -
遠山記念館の邸宅は、川島町出身で日興証券(現SMBC日興証券)の創立者である遠山元一(げんいち・1890年~1972年)が、一時没落した生家を再興させ、母・美以(みい)の住まいとして昭和11年に建てたものです。
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航空写真で見ると、その規模が分かります。
広大な敷地の北側に邸宅、南側に庭園、東側にある大きな建物は美術館です。 -
遠山邸は3棟で構成されており、東棟は生家を再興したことを象徴する豪農風、中棟の1階は書院造りの大広間と2階の応接室、西棟は母のために数寄屋造りの座敷を設け、3つの棟は渡り廊下で連結しています。
これに、土蔵や長屋門を加えると、総建坪は400坪を超えます。 -
明治23年に当所で生まれた遠山元一は豪農の長男でしたが、父親の放蕩により生家が没落したため、高等小学校卒業後、16歳で東京日本橋・兜町の半田商店に雇われ丁稚奉公をします。
苦難の末、大正7年に独立し、当所の地名をとった川島屋商店(日興證券の前身)を設立し、昭和11年にこの豪邸を建設して生家を再興し、錦を飾りました。
昭和19年に、川島屋商店と日本興業銀行の債券専門証券会社だった旧・日興證券が合併した後、遠山元一は日興證券の社長・会長を歴任して戦後の日本証券市場の発展に多大な貢献をし、昭和47年に82歳で亡くなりました。
これは、昭和18年の長男・次男の学徒出陣の時の写真で、前列左から遠山元一、一行(長男)、美以(母:75歳)、信二(次男)、愛子(妻)。 -
明治34年に33歳で小学校の教員となった元一の母・美以(1868~1948)は、昭和23年に亡くなるまでの晩年を遠山邸で過ごし、美以が亡くなった後は日興證券の迎賓館として使われました。
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遠山記念館の駐車場の前には濠があり、その先に入り口の長屋門が見えます。
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堂々たる正門の長屋門。
遠山邸の工事は、元一の弟・遠山芳雄(1896~1945)が総指揮を担当し、昭和8年から3年がかりで工事を進め、昭和11年に竣工。
遠山記念館は、再興された生家と、長年にわたり遠山元一が蒐集した多くの美術品を保存・一般公開するために、昭和45年に開館しました。 -
門を入ると、1月なのに梅の花が見ごろを迎えています。
最初に、右側にある美術館へ・・・遠山元一のコレクションを展示するため、昭和46年に建てられた美術館です。 -
遠山元一は、遠山邸の8ヶ所の床の間を飾り、来客に最高のもてなしをするに相応しい書画工芸を蒐集し、そのコレクションは日本と中国の書画・陶磁器、人形、染織品、世界の工芸品と染織品など11,000点に及びます。
コレクションの約7割は世界各地の染織品となっていますが、多岐にわたる美術品を年間6回のテーマ展で展示しています。
1月のテーマは「酉と縁起物」・・・干支の酉年に因んで、鶏や鳥を描いた絵画や、鳥をモチーフにした工芸品が展示されていました。 -
エントランスを入ると、右側に展示室1、左側に展示室2があります。
ゆったりしたロビーにある彫刻は、荻原守衛 (1879-1910)の明治43年の作品「女」・・・元一は碌山美術館の設立に協力した関係から、昭和33年鋳造のこの作品を寄贈されました。
階段下にあるのは、ブロンズ・漆喰製の「朱鷺像」。 -
まず、展示室1へ。
これは、鳳凰・草花文様の「ろうけつ染め肩掛け」・・・インドネシア・ジャワ島で19~20世紀に作られたものです。 -
これは、動物文様の経絣(たてがすり)腰布または肩布(男性用)・・・インドネシア・スンバ島で20世紀に作られたものです。
展示室1では、この他に古代アンデス・中近東・インドなど、様々な時代・地域の土器や染織品に表現されてきた鳥たちも、酉のテーマに合わせて勢揃いしていました。 -
続いて展示室2へ。
これは、今尾景年(1845~1924)が描いた六曲一双の「群鶏図屏風」右隻・・・桃の老木の下で争っている左の二羽は軍鶏(しゃも)、小形の鶏は矮鶏(ちゃぼ)のようです。
いろんな鶏が集まっている様子が面白い絵です。 -
左隻は、紅葉した楓の老木の下に、黒の烏骨鶏(うこっけい)やヒヨコが群がっています。
鶏たちが集う春と秋の風情が何とも素晴らしい。 -
これは、大嶋如雲(1858~1940)の「鶏」・・・大嶋は東京美術学校教授にもなった鋳金家で、精緻な蝋型技法で傑作を残しています。
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江戸後期の絵師・岸駒(がんく 1756~1839)の「芭蕉鶏図」。
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これは、江戸時代前期の柿右衛門様式の伊万里「色絵鳳凰梅文鉢」・・・酒井田柿右衛門(初代:1596年~1666年)は肥前国・有田の陶芸家で、代々の子孫(後継者)がその名を襲名しています。
初代は乳白色の地肌に赤色系の上絵を焼き付ける柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風を確立しました。
磁器の製作は、成形・焼成・絵付けなど各工程をそれぞれ熟練した職人が分担しており、柿右衛門はデザインや土・色の調合など主要部分を受け持つ総監督でした。 -
これは、松竹梅鶴亀模様の打掛(江戸時代後期)。
大海に浮かぶ島に大樹があり、空には鶴、波には亀・・・松竹梅と鶴亀を組み合わせた蓬莱模様になっています。 -
これは、松竹梅鶴亀草花模様の振袖・・・明治時代の友禅染です。
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美術品を鑑賞した後は、遠山邸の見学へ。
生家の再興を象徴した「豪農の館」が再現され、東棟は重量感のある萱葺き屋根。
表玄関から入ります。 -
これは家人や使用人が出入りする内玄関の土間・・・亀甲(きっこう)石のように見えますが、これは左官職人が研ぎ出した人造石。
亀甲の真ん中が微妙に膨らんだ「甲盛り」のようになっており、職人がモルタルに砂利を入れた土をひとつずつ研いで、石のように仕上げています。 -
東棟メインの18畳の和室には囲炉裏があり、2枚の縁無畳が不自然な位置に敷かれています。
これは川島町出身の彫刻家・長澤英俊の芸術作品「浮島」で、2009年に特別作品展が開催された時のものを、元の状態に戻していないのだとか・・・ -
母・美以は、自分のために建てられた京都風の西棟よりも、この囲炉裏端を好んだそうです。
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建設当初、天井は古民家の造りになっていたため、柱の骨組みがむき出しでしたが、その後、寒さ対策で網代を張りました・・・竹を組んだ網代天井が何とも豪華で、自然に溶け合っています。
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廊下に出てみると、水琴窟がありました。
長い年月の間に音が出なくなったので、新たに復元したそうです。
水を掬って玉砂利に落とした後、耳を澄ますと、風情ある幽かな音が聞こえてきました・・・心が穏やかになる不思議な音色です。 -
鏡台などが置かれた部屋・・・左側は、長女・貞子さんの嫁入り箪笥。
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東棟と中棟をつなぐ渡り廊下の北側にある、ヒノキ風呂の浴室。
昭和11年完成の和風住宅で、お風呂に蛇口が2つ並んでるのにもビックリですが、何とシャワーまで! -
浴室の隣に化粧室があり、お風呂から出た時、お母さんが寛げるように広い部屋になっています。
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中棟の1階は18畳と10畳からなる書院造りで、広い畳廊下が部屋の周りをぐるりと取り囲んでいます。(中棟の2階は応接室になっていますが、特別公開日でないと観られません。)
紫がかった壁は、ガーネット・石榴石(ざくろいし)の砂を土に混ぜて塗っており、他では見られない個性的な壁! -
ノスタルジックなデザインの電燈。
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付書院の上の欄間は、桐材の七宝透かし・・・桐材は柔らかいので、本来は彫り物に向いていませんが、花菱文様を8点の僅かな支えで宙に浮かせている職人技です。
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飾り小窓。
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広くて気持ち良い中棟の畳廊下には、昭和10年頃にアメリカから船で直輸入した一枚ガラスが使われています・・・戦時中は、倉庫に保管しておいたそうです。
ガラス戸の上にある縁桁(えんげた)の丸太材は7間(約13m)もあり、吉野杉1本が使われています。 -
大広間の廊下から見た庭園。
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中棟から西棟に続く渡り廊下にある土蔵の重厚な扉。
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西棟は、客間3部屋と仏間からなる、母・美以のための建物で、右に見える広縁はタイル張りになっています。
7畳の間は「墨差し天王寺」という濃淡の表情をもつ土壁・・・「80年も経った建物は、土壁と建材の間にひびが入ったり隙間が出来るのに、遠山邸はどこも状態がいい。信じられない!」と遠山邸の見学に来た職人さんは、土壁を見て驚くそうです。 -
3室の客間のなかで一番大きな12畳の間・・・ここは母の寝室で特別仕様・・・木瓜火灯形(もっこうかとうがた)の「狆潜り(ちんぐり)」と呼ぶ窓を大きくとり、極上の薩摩杉が天井板に使用されるなど、元一・芳雄兄弟の拘りが尽くされています。
優美で品のある雰囲気が演出された部屋は、やや暗めで落ち着いた感じがあり、そこに外からの光が広縁や障子を通して優しく射し込みます。 -
壁に架けられた田中針水(明治35年~昭和54年)作の「鏡獅子」。
田中針水は、小樽出身の日本画家で、川合玉堂の家に書生として入門。
風雅な生活感のある和服姿の女性や女の子など、大正のよき時代を吸収した典型的な日本画を描いています。 -
藤の透かし彫りが入った欄間。
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西棟から見た庭園。
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建物内部の見学後、庭園に出てみました。
東棟は、かつて梅屋敷と呼ばれた豪農の趣を受け継ぐ茅葺き屋根。
見ごろを迎えた梅の古木が、花を咲かせています・・・まさしく梅屋敷ですね。 -
庭の主役は松で、紅葉や槇、椎などの樹々が変化に富んだ景色を作り出しています。
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二階建ての中棟・・・2階の高欄(こうらん)の意匠が華やかさを添えています。
邸宅の設計を行ったのは、入間市に建つ「旧石川組西洋館」の設計者・室岡惣七。 -
見事な沓脱石。
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窓の上の明り取りや手摺りをよく見ると、部屋ごとに違ったデザインなのが分かります。
鬼瓦や雨樋にも家紋があしらわれ、隆盛を感じます。 -
西棟の背後に、先ほど扉を見た土蔵が建っています。
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西棟は京都風の数寄屋造平屋建。
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回遊式の日本庭園は、四季折々の風情が楽しめるように植栽と石組みが配置され、要所に十三重塔や石灯籠が添えられています。
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庭の広さは約3000㎡で、飛び石づたいに園を巡れば、春は梅・桜・ツツジ・さつき、夏は花菖蒲と濠の蓮花、秋は紅葉が眼を楽しませてくれます。
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組井筒から流れ出た井戸水は、庭をゆるやかに流れて、屋敷の外の濠へと下ります。
邸宅・庭園・美術館と、どれも素晴らしい遠山記念館でした。 -
遠山記念館の近くにある「廣徳寺」に行ってみました。
廣徳寺は大同年間(806~810年)に開創されたと伝えられ、その後衰退し、源頼朝の家臣である美尾屋十郎廣徳が館を築いたと言われます。 -
廣徳寺は真言宗豊山派の寺院。
堂々とした構えの山門(仁王門)から入ります。 -
山門の木鼻(きばな)・・・木の端すなわち木鼻を美しく飾る彫刻です。
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門の左右に鎮座する金剛力士像。
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山門の左側には大御堂(おおみどう)があります。
大御堂とは、浄土信仰が盛んだった平安末期から鎌倉期にかけての阿弥陀堂のことを指します。 -
大御堂の手前に鎮座する六地蔵。
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美尾屋十郎廣徳は、源頼朝に従って武功を挙げた武将です。
美尾屋十郎が亡くなった13世紀初期に、源頼朝の妻・北条政子がその菩提を弔うため、美尾屋館跡に十郎廣徳の名を冠した広徳寺を開創し、本堂や坊舎と共に、阿弥陀如来を祀る大御堂を建立したと伝えられます。
現存の建物は、鎌倉期の規模や形式を踏まえて室町時代後期に再建されたものだそうです。
関東地方では数少ない茅葺の禅宗様の仏堂で、国指定重要文化財になっています。 -
山門(仁王門)からまっすぐ進むと、左に表門が見えてきます。
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表門をくぐると正面にある本堂。
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本堂の向拝にある蟇股(かえるまた)。
蟇股とは,蛙(蟇)が脚を広げてふんばった姿勢と似ているところからその名がつきました。 -
本堂(金堂)の扁額の両側には、天女の彫刻が・・・
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本堂・向拝の木鼻・・・正面に向いているのは唐獅子、側面に向いているのは獏の頭貫木鼻彫刻。
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境内の庭園。
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庭園側から見た本堂。
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雲上菩薩が祀られています。
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境内の左側には御影堂があります。
この御影堂は、江戸時代初期の慶安元(1648)年に、当所を菩提寺としている江戸日本橋伊勢町の初代・鈴木三右衛門が願主となって建立したものです。
昭和59年には堂宇の大修理が行われました。 -
廣徳寺の後は、白鳥の飛来地へ。
臨時駐車場に車を止めて、越辺川の土手に上がると・・・いました、いました! -
白鳥も見物者も沢山います。
ここは、越辺川と飯盛川の合流地点で、対岸は坂戸市。 -
ゆったりと流れる越辺川に浮かぶ白鳥。
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カモと仲良く泳いでいる白鳥たち・・・ここの白鳥はコハクチョウです。
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遠くシベリヤからやって来て、10月頃から3月頃までここで越冬するわけです。
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白鳥とカモが仲良く餌を探している光景を見ていると、ほのぼのとした気分になります。
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羽根を広げるのを待ちますが、なかなか写真に収めるのは難しい!
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朝、餌を求めて飛び立つ時か、夕方、戻ってくる時でないと、翼を広げた白鳥には、なかなかお目にかかれません。
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いつまで見ていても飽きない風景でした。
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