2017/02/18 - 2017/02/27
137位(同エリア830件中)
アーサーさん
旅行社てるみくらぶ催行のトロント経由 MSC「オペラ号」のカリブ海クルーズ(10日間)のツアーに参加した。
クルーズは ハバナ出航、モンテゴ(ジャマイカ)寄港、コスメル(メキシコ)寄港、そしてハバナに帰港した。
アメリカとの国交回復後のキューバも見れたし、何よりも温暖で ゆったりしたカリブ海に触れられたのが 良かった。
《もうすぐ70歳の旅行記。》
写真はモンテゴの海水浴場。素晴らしく綺麗だった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 1.5
- 交通
- 2.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 船
- 航空会社
- エアカナダ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
去年の6月の終わり TRAVELZOOのメールで「限定1.1万円引 羽田発 カリブ海キューバクルーズ10日間が破格14.8万~ 添乗員+22食付」の案内が来た。後先考えずに、キャンセル可だけを頼りに 冬場の避寒目的で取りあえず申し込む。
キューバと言えば 森山加代子の歌 「月のキューバの 夜のことよ」位しか思い出さない 団塊世代の一人ですが アメリカとの国交回復のニュース位は知っていた。巨大なアメリカの直ぐ傍で ちっぽげなキューバが東西対立の終了後も存在し続けて 対等な国交回復にまで至ったことに ちょっと興味を持っていた。
フィデル・カストロ前国家評議会議長が90歳で死亡したと 11月の末に知った。
旅行無償キャンセル期間が終了する間際だったが これも縁と思い 行くことにした。
1月になり 旅の準備をし始めた。
まず図書館で 目に付いた本を借り出す。
「したたかな国キューバ」西林万寿夫著 (2009年~2013年キューバ大使) -
それから
「キューバへ行きたい」板垣真理子著
「キューバ 超大国を屈服させたラテンの魂」伊藤千尋著
「あっけらかんの国キューバ」越川芳明著
それぞれに 著者の思い入れがあり 面白かった。 -
12月始め 催行旅行社のてるみくらぶから 用意の案内ワンセットを送ってきた。
1,海外旅行保険が必須条件みたいだったので 加入する。
(後で ネット情報を見ればカード付帯保険の英文契約書でも 可能みたいだった。)
2,通過国カナダのETA取得が義務付けられているので これも ネットで取得。
3,キューバのツーリストカードの取得が必要なので 仕方が無いので キューバ 大使館に行って 申請・受領する。申請料一人2100円。
(窓口の女性の方は親切だったが 狭い窓口スペースで 結構混雑。サービス軽視の社会主義国キューバの片鱗を経験。)
・・・写真は入手したツーリストカード (至って簡単な内容のカード) -
(1)2月18日(土)
1
出発の5日前に てるみくらぶから、「出発のご案内」「Eチケット」等が届く。クルーズの乗船券は同封されていなくて 船の詳細(船室)は不明。
キューバでの夏用の衣類を準備して、旅行情報等は地球の歩き方の該当ページをコピーして、MAPS.MEの地図情報をスマフォにダウンロードして用意完了。
当日 羽田18;50発に併せて 空港に向かう。(羽田はやはり近い。)
航空会社(エアーカナダ)のカウンターも親切。ANAのマイレージ加算もしてくれて
一人片道約4000マイルが付いていた。ラッキー。
写真は 羽田空港のクレジットカード会社のラウンジ。初めての利用。空いていて一息つける。 -
2、
事前に キューバの概要を ちょっと調べてみると
面積は日本の九州と北海道を合わせた面積より 少し大きい。人口は11百万人。人口密度は日本の約三分の一。一人当たりGDPは日本の約四分の一。気候は亜熱帯性海洋気候。公用語はスペイン語。首都はハバナ(人口210万人)。アメリカのフロリダ州から 約145KMに位置する。(東京から静岡の感覚)結構近い。
トロント行きのAC006便は到着遅れとかで 30分ほど搭乗口で待たされる。 -
3、
飛行機はほぼ満席。
隣の席に座った 同じツアーの男性に声をかけられ 昨年の東地中海クルーズの時に一緒のツアーメンバーだったと判明する。私はほぼ記憶が飛んでいるが お話しから納得する。奇遇と自分の耄碌振りに愕然とする。 -
4,
エアーカナダの食事は余り美味しくは無かった。
機内ではただ 眠ることに専念し、とりあえず持参のアイマスクや 機内乾燥防止のマスクをして、目を瞑っておいた。飛行機はカムチャッカ沿いに北上し、アラスカを越え、北極海を飛んでいるのはモニターで知っていたが。
途中、カップラーメンのサービスもあったが 私は目を閉じて無視した。 -
5
約11時間の飛行の後 朝食のサービスが始まる。眠ったのだろうが やっぱり充分には眠れない。 -
6、
飛行機を降りたところで ツアーの皆さんと勢揃い。今回のツアーは総員58名だそうだ。随分多い。関東近辺組のグループに入り、添乗員さんから トロント空港の乗り継ぎ等の説明を聞く。 -
7、
空港から見えるトロント街は もう夕刻の風景。
カナダの広さに圧倒される。 -
8、
トランジットの窓口までの長い「動く歩道」。
セキュリティチェックが一ラインしか動いていなくて 随分手間取り 18:40のハバナ行き便に間に合わないと焦ったが、添乗員さんから自信をもって、大丈夫と言って貰い安心する。 -
9、
確かに搭乗口のカウンターに進めば 余裕を持って乗れた。トロントの街の明かりが輝く中をAC1752便は離陸。
飛行機は横6人掛けの小型機。3時間半の飛行でソフトドリンクしかサービスは無かった。座席のモニターサービスも無し。
途中 アメリカ上空を飛行中 ニューヨークだろうか 恐ろしく光り輝く金色に近いエリアを遠くに見掛ける。空を含めて黒い空間の中の人工的な虚飾に脆さを感じる。
機内では 眠れず。 -
10.
現地時間 22時過ぎ ハバナのホセ・マルティ国際空港 に着陸。上空から見る暗いハバナも 空港自体も日本の地方都市のイメージ。気温は暖かく 南の国に来た感じ。入国手続きも 何のトラブルも無く 旅行保険の提示指示も無くパス。
少し 時間が掛かって荷物が出てくる。
写真の通り 荷物ターンテーブルの部屋の照明も明るくは無い。 -
11
それから 迎えのバスで 30分強掛かって クルーズ埠頭へ。車内で添乗員さんから 連絡事項を聞く。
24時過ぎ クルーズターミナル玄関に着く。深夜と言うこともあり 華やかさは微塵も無い。(昼間は人通りもあり、それなりの雰囲気だった。) -
12,
深夜だったが スーツケースを船室に運んでくれるサービスはまだ可能だとかで 一旦 荷物を岸壁に集め 荷札を付け 引き渡す。写真はスーツケース引き渡し場。
それから ターミナルの二階で乗船のチェックイン。お客も少なく スムーズにクルーズカードを発行して貰う。
(乗船券は 羽田で添乗員さんから渡されていた。) -
13.
クルーズカードを読み取って貰い 写真の通り 深夜のオペラ号に乗船。
この前段階で セキュリティチェックゾーンが有り、更にキューバの入出国チェックゾーンがあった。クルーズ船は厳密に国外の扱い。(ちょっと いつもと違い 面倒。)
その 入管女性係員に ツーリストカードの出国用カードを回収された。添乗員さんから トロント空港で話を聞いていて ハバナ迄のエアーカナダの飛行機内で ツーリストカード用紙を貰えれるならば 貰った置くようにとのアドバイスがあったので それに私は従っていた。それで実害は無かったが 引っかかり易い盲点となる可能性があった。(下船の時 再入国のツーリストカードを購入しなければならなくなった人もいたらしい。) -
14
部屋は10階の中央付近。船内移動には比較的便利だった。
今回期待した 船室のグレードアップは残念ながら無しだった。窓無しの内側。初めて経験。(やはり外光の陽の明かりが無く、妻は不満そう。船室で過ごす時間を少なくして対応したが。)
オペラ号は船室のスペースも 従来のファンタジー号やオーケストラ号より狭くて、ソファー部分が無かった。
11階のカフテリアで軽食をちょっと食べ、部屋に戻ったら 預けた荷物が届いていた。疲れていたので急いで眠ったが それでも 午前2時近かった。 -
(2)2月19日(日)
1
時差の影響か朝6時頃 目覚める。6時半頃 下階の食堂に行き 朝食を頂く。早い時間のためか 空席が目立つ。注文料理とセルフを併用した食事提供内容。(私はそのことを 気づかなくてセルフで取ってしまった。翌日から修正。注文料理の方が暖かくて美味しい。)
野菜の鮮度が良くて 美味い。 -
2
暫し 甲板を散策。静かなハバナの街。
遠く ハバナ湾の入り口にモロ要塞が見える。 -
3
ハバナ初日の観光は 全体を知る意味で てるみくらぶのオプショナルツアーに申し込んでおいた。(昼食付きで一人14千円掛かるが。)
朝9時半に クルーズターミナルの出口で集合。
(ターミナル内の窓口で5千円のみ CUCに両替。結果的に少し少なかったかもしれない。)
手荷物を迎えの観光バスに預け、ターミナルビル前の道路を挟んだ広場の (写真のサンフランシスコ広場)で キューバ観光添乗員の若い女性から説明を聞く。上手な日本語。 -
4
広場の片隅のサンフランシスコ・デ・アンズ修道院を覗き込み、歩いてハバナ旧市街の観光に出かける。
現地添乗員の方は 殆どの観光ポイントで 許される場所まで進み、入場料を払わずに案内される。それも一つの方法と感心する。係の人も公務員の体質か 黙認される。 -
5
旧市街の通りは 観光客らしき人ばかりのような気がする。上階には生活の後が残っているが。 -
6
どうという言うことは無いが 観光客が一休みする店が並んでいるビエハ広場に案内される。確かに地ビール店やカフェが店を構えている。 -
7
現地添乗員の方は 明日の自由時間に個人で訪れることが出来る店を中心に案内してくれている感じ。
写真はその内の一つキューバコーヒー店。確かに店内は新しく コーヒーを飲みたくなる店作り。 -
8
それから 街をブラブラして、元のサンフランシスコ広場に帰ってくる。
思いの外 近い。
広場から クルーズターミナルを正面に写す。クルーズターミナルは観光の拠点。
街は11時位になり 観光客以外の人を見掛ける。 -
9
そこから バスに乗って観光開始。 -
10
バスはハバナの海岸通り(マレンコン通り)から 走り始める。通りは海に面して また遊歩道も併設されていて 憩いの場となっている。
途中 モロ要塞の対岸のブンタ要塞を車窓から写す。 -
11
現在の所 道路の混雑はしていなくて ゆったりした感じ。
メイン道路だけに将来はラッシュで動きがとれなくなるだろうと思われる。 -
12
途中 現地添乗員さんが ハバナでもっとも醜い建物とソ連が建設したビルを紹介したが、ちょっとその言い回しに驚き 写真を撮ろうとして旨く撮れず。(私には古いだけのビルに思えたが。)
その代わり 新市街で ロシア大使館の建物があったので写す。確かに 風景の中に建物がなじんではいなかった。
(マイクを持つのが 添乗員さん。窓外の高い建物が大使館。) -
13
バスはもう一度 旧市街方向に戻り、キューバ中枢の革命広場に。ここで暫し徒歩観光。写真タイム。
いつもの ホセ・マルティ記念博物館の塔。(日曜日で休みだったみたい。)
クラシックカーと共に写す。 -
14
そして 反対側の内務省の壁にあるゲバラの肖像。 -
15、
2009年に作られた 情報通信省の壁面の カミーロの肖像。 -
16
それから バスはセントラル公園の近くで止まり、歩いて周辺を散策。
写真は 1838年建設「アリシア・アロソ・ハバナ大劇場」。
Hop-on Hop-offバスがハバナでも運行されていた。 -
17
ちょっと向こうに旧国会議事堂(カピトリオ)が見える。建築は1929年だそうだが 改修用の足場で囲まれていた。随分豪華そう。2年前 ワシントンのアメリカ議会を見に行ったときも 改装中だったが 皮肉な巡り合わせ。 -
18
近くの革命博物館の前を通り、クラシックタクシーの乗り場に向かう。
博物館は大切なところという認識か 警備の人を見掛ける。
革命の際にメキシコからの渡航に利用したヨット「グランマ号」がガラス越しに見えたが、随分小さな船。
この小さな船で 歴史が変わったのかと感慨深いものがあった。 -
18
それから クラシックカーに乗り込む。
車内には古い装備品が基本だが、現代のカーナビも追加されていた。
1940年から50年代の生産の車を改装して使用しているので その手工業的なメンテナンス力は凄いものがあるのだろうが、乗り心地は余り快適では無かった。不安が残る。 -
19
20台近いオープンカーの車列でハバナの街を巡る。
海岸に近い建物は潮風の為か かなり荒れていて 無人の一階をよく見掛ける。 -
20
ちょっと郊外に近い所にあった ハバナ大学。
古い建物だが 病院も数度見掛ける。医療の社会インフラは進んでいそう。 -
21
郊外らしきところには 自然がそのまま残り、川も清流。
住宅も古いが、敷地はそれなりで 庭らしきところも手入れされている。
墓地も広大。 -
22
再び 旧市内に戻り海岸通り(マレンコン通り)沿いに アメリカ大使館を見掛ける。
2015年7月 54年振りに再開されたアメリカ大使館。星条旗がはためいていた。 -
23
そして 近くにかっての宗主国 スペイン大使館も見掛ける。
キューバの人にとって 黒人奴隷のルーツを除けば スペインの文化、言語を受け継ぎ血縁的にも特殊な感情が今も残っているのではないかと思えた。 -
24
また 海岸通りの向こうにモロ要塞が見えてくる。
この美しい海岸通りが 醜悪な新興ビル群で閉ざされないように願った。 -
25
セスベデス公園でクラシックタクシーに乗る旅は終わった。
結構貴重な経験で満足した。
スペイン語しか話さないドライバーだったけれど 親切に思えた。 -
26
それから 公園沿いの レストランへ行く。
外観はもう一つでも 内部は整備されていた。 -
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出される料理も 量は多くないが キューバ料理らしい品々が続く。
飲み物もミント系の優しいジュースだった。 -
28
隣横の吹き抜けでは キューバ音楽の生演奏。観客を乗せるのが上手い。 -
29
それから 徒歩で案内されながら 船に帰る。
最初に案内されたのが 仙台育英学園関係者達が建立した支倉常長の像。
1615年頃 この辺りを通って スペインにまで行き、生きて日本に帰ったとか。
コロンブスのアメリカ大陸発見から 100年余りの後に世界の航海技術がそこまで進んだかと驚く。 -
30
途中 柵越しに 子供の遊園地らしきものを見掛ける。日曜の為か 多くの子供達。何となく幸せを感じる。 -
31
それから 公園の青空マーケットに出会う。
観光客目当ての書籍、ポスター、記念雑貨等などが並べられている。
余り売れている風でも無く それでものんびりと 眺めている感じの店主達。 -
32
旧総督邸(市立博物館)も ちょっと覗き込む。
(多くの観光客もそうしていた。) -
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総督邸の室内、家具。当時のスペインの豊かさを感じる。 -
34
近くの公道に砂絵で描かれた 当時の様相。
-
35
それから カテドラルの外から説明を受ける。
威風堂々の教会。
(残念ながら 日曜の午後は休みらしい。) -
36
ヘミングウェイ関係のポイントもいくつか案内してくれたが、観光客で混雑していて、写真には上手く撮れず。私は 欧米人と異なりヘミングウェイの歴史・生活にそれほど 個人的に興味も持てず。
写真は その内の一つ「ラ・ボデギータ・デル・メディオ」ここは今でも生バンドに名物のカクテルを提供して ヘミングウェイを偲ぶ客で混雑していた。 -
37
その店の直ぐ横の路地を覗き込むと 土産物屋風で それなりにきちんと片付けられていた。
そこにいた人に 写真の許可を得たが さすがに路地に入っていく勇気は無かった。 -
38
表の窓には 土産物を並べて販売していた。
買う気にはなかなかならないが、個人の手工業的なものは 刺繍などが育ってはいた。
人が集まり、賑わっていくと 顧客ニーズを捉えて 産業が育っていく可能性はあるなと思った。 -
39
葉巻の店やカフェなど いくつかその他にも案内してくれて 午後3時過ぎ 最初のサンフランシスコ広場に戻り、ツアーは終了。
日本語でのツアーだったので よく分かった。キューバの女性現地添乗員からも キューバを理解して貰いたいと 説明に意気込みを感じた。 -
40
船に戻り、夕方 恒例の避難訓練に参加。簡単だった。それから クルーズカードとクレジットカードの紐付けを実施しておく。(前回オーケストラ号の時 遅れてちょっとトラブルとなったため。)セルフで緊張したが 機械の操作に日本語の案内画面が出てくるので問題なく登録実施。
オペラ号の概要は以下の通り。
総トン数 65,591トン
乗客定員 2,679名(2名1室利用時)
キャビン数 1,075室
全長/幅/高さ 274.9m/32m/54m
ファンタジア号の総トン数が137,936トンで乗客定員が3,274名だったので かなり小さい。
岸壁からオペラ号を写す。 -
41
夕食は最初の組の時間だった。
いつも 夕食前にシャワーを浴び、休憩(一眠り)して 食堂に降りていった。
同席の方は てるみくらぶの女性二人組の方だった。
今回の食事は美味しく私は 少し驚いた。船内で知り合った クル-ズ歴の豊富な方のお話しに寄れば 同じ船会社でも 中型船・小型船の方が美味しいことがあるらしい。今回の経験で私もそう思った。
体内時計に日本時間が残っているためか 早く眠りにつく。 -
(3)
2月20日(月)
1
朝 早く目覚め、本日も食堂に一番乗り。南国でフルーツも美味しい。
ジュースも旨い。優雅な一時。 -
2
食堂の窓から 大きなクルーズ船が入ってくるのが見える。現在のキューバが観光収入に頼っているのが分かる。アメリカとの国交回復後の 経済交流が更に進めば この地理的近さからも益々容易にアメリカの観光客は入ってくるだろうと思われる。
大きな変化の時代になるのかなぁ と思った。 -
3
船内で喫煙出来るところは限られている。食後 船首の劇場の下のこのスペースで たばこを楽しんだ。キューバは葉巻の生産国だが 喫煙に関しては段々厳しくなっている様子。
写真はそのバーラウンジ。 -
4
本日は 夕方の出港まで 自由時間。
どうしようか 色々迷ったあげく 昨日行っていない 船の窓から見えるハバナ湾の向こう側を訪ねてみようということになった。 -
5
クルーズターミナルの出口で タクシーの乗り場を探したが見当たらず、そこにいた人に 地図を指し示してタクシー乗り場を尋ねたが 道路の反対側の白タクらしき人を紹介される。ドライバーの言い値は 地球の歩き方記載の 三倍から吹っ掛けられ、仕方がないので 二倍の20CUCで手を打つ。
それで 海底トンネル(無料)を抜け 向かった「カバーニャ要塞」。 -
6
入り口の切符売り場で 本日はクローズと言われる。拙い英語力で理由も分からず、次の目的地「第一ゲバラ邸宅」をジェスチャーで教えて貰い 歩く。
写真はカバーニャ要塞の空壕。 -
7
教えて貰った方向に歩き、途中三回ほど 確認の為 その付近の人に道を尋ねた。どの人も親切で 英語の話せない人もいたが 身振り手振りで 指し示してくれる。
キューバの人の心持ちが充分に伝わった -
8
途中、カストロの写真を掲げ、墜落した飛行機の残骸や武器が道端に無造作に展示されていた。一種のプロパガンダなのだろうが 緊迫感は全く感じなかった。 -
9
たらたらと暑い日差しの中を30分弱歩き 白い巨大なキリスト像に出会う。でも由来などは分からず。
見晴らしが良くて無料の為か 大型観光バスが来ていて、観光客はそこそこ居た。 -
10
キリスト像の広場の横が「第一ゲバラ邸宅」。
正面から写す。
横のボックスで切符を購入してから入場。 -
11
邸内にはゲバラの写真や肖像画が飾られていた。
写真は執務室。 -
12
簡素なベッド。
革命の功労者として キューバの国立銀行総裁、あるいは 工業大臣としてこのベッドで眠ることも可能だったはずだが ボリビアの山中で殺される道を選んだゲバラ。 -
13
展示されていた遺品の中に女性の写真。奥さんの アレイダ・マルチ・デ・ラ・トーレさんだろうか。 -
14
ゲバラの家の前から、ハバナの旧市内が広がる。 -
15
湾内部には オペラ号の巨大な船体が横たわる。
それから カバーニャ要塞入り口に戻り、タクシーを拾い、モロ要塞の入り口付近に立ち寄る。疲れてもいたので そのまま 旧市街の葉巻屋さんに行く。
(今回のタクシー料金は10CUCも 掛からなかった。) -
16
葉巻屋さんは ボックス単位売りで 多すぎてちょっと買えなかった。
(後日船内の免税店で三本入りの葉巻セットを購入した。約2000円)
その代わり 葉巻屋さんの庭で孔雀が羽を広げてくれて歓待してくれた。 -
17
ランチの場所を探して 旧市街を歩いたが、面倒になり 船に戻る。
今日も 街は観光客で一杯。 -
18
写真はクルーズターミナル二階の入出国管理ブース。
ここでチェックを受け船に戻る。(普通他の国では このポイントは無い。)
ブースでは暇で本を読んでいた係官が 乗船者が来ると パスポートを提出させチェックする。
昨日 キューバ人の案内者が言っていたように キューバでは 公務員が多く配置され 仕事を無理して作られているシーンを私もよく体験した。仕事があるのは良いことだけれど 効率性の観点が不足していると思われた。(効率性の過度な追求も問題だが 人の能力を生かしていないのも問題だと思った。) -
19
昼食は 船内のレストランで食べる。
クルーズは船に帰れば 食べるところと寝るところは確保されている安心感がある。
船室の清掃も一日二回してくれて タオルも取り替えて 気持ちが良い。
(遅い昼飯の後 少し眠る。) -
20
夕方 船は出航。甲板で風景を眺める。
船はクルーズターミナルをゆっくり離れる。 -
21
丘の上に 午前中に訪れたキリスト像やゲバラ邸も見える。
ハバナ港を渡る小さいフェリーに気づく。タクシーを利用しなくてもこのルートが便利そう。 -
22
モロ要塞にも別れを告げ、カリブ海に船は進む。 -
23
暫しの別れのハバナ港。 -
24
遠くから見ると ハバナ市も結構広い市域。
空には少し 夕焼けが広がっていた。 -
25
甲板では サルサ等のダンスのレッスンが行われて 楽しく踊っていた。 -
26
本日の夕食は「ガラの日」(正装)。
私も上着とネクタイを着用。日本人は結構 着物姿の人とか きちんとした格好の人多し。(その機会を楽しんでいる風。)
また ガラの日の料理は豪華。満足。
食後 一休みしてから 劇場へショウーを見に行く。本日の演目はもう一つ。期待外れ。 -
(4)2月21日(火)
1
本日は終日航海日。少しゆっくり起きる。船内も静か。
いつもの食堂でゆっくり朝食を楽しみ 取りあえず デッキのチェアーを確保するため黄色のタオルを持って行き 場所取りを優先。
(昨晩 劇場から部屋に帰って クルーズカードの紛失に気づく。慌ててレセプションに行って、カードの停止と再発行を依頼する。慣れた様子で窓口の人は再発行してくれた。ちょっとドキドキした出来事。) -
2
航海日のデッキは満員。本を持参して読む人、日なたぼっこに徹する人、眠る人と多様。
オペラ号の図書室、アスレチックジム、等は狭くて ゆっくり時間を過ごせれる気分にならなかった。 -
3
私も持参した 岩波新書 堀田善衞著「キューバ紀行」をデッキチェアでひっくり返って読む。1966年発行だから 今から約60年前、キューバ革命後7年後の著作。堀田氏の確かな眼力に恐れ入る。
私も 色んな社会主義国を巡ったが その国を出て行こうとする国民を閉じ込めておくような壁を作る政府は信用出来なかった。キューバは 以前から出て行きたい国民を黙認していたことを知り 安心した。 -
4
本を読むのに飽きたら プール横の狭いジャクジーで露天風呂の気分で浸ったり、プールで泳いだりした。ちょっと水温が冷たかった。 -
5
ランチはレストランでゆっくり食べる。
午後、船会社の日本語オプショナルツアー説明会があったので 1時間程参加する。日本人女性クルーの方が オーバーヘッドプロジェクトを使用して画像も使い説明してくれたので 安心して見られた。
説明会で 幸運なことに料金3割引の抽選が当たり 翌々日のケイマン諸島の「エイとのふれ合い」のツアーに申し込む。
その女性クルーの方に 昨夜のクルーズカードの紛失のことを話したら レセプションで「PLEASE INVOICE」と言って クレジットカードの使用実績を確認しておくように言われた。確認してみたら 問題は無かった。それで安心出来た。やはり 日本人クルーの方が乗っていると 心強い。 -
6,
劇場でのショー。今晩は結構盛り上がっていた。船のクルーの「にわか」出演も楽しめられた。
ショーが終わり 充足した気分で部屋に帰って 直ぐ寝られるのに満足する。 -
(5)2月22日(水)
1
旅の半分は過ぎた。遊んでいると時間の経つのは速いと いつも思う。
今日も 朝食のレストランも ほぼ一番乗り。ウエイターさん達にも覚えられる。注文はいつもの オムレツ。
本日はジャマイカのモンテゴに上陸し、海で泳ぐ予定。 -
2
事前に船内で 巡回バスの切符を購入しておいて、下船。
ジャマイカは短距離走のウサイン・ボルトとジャマイカコーヒ位しか知らないが、帰国してちょっと調べてみると
イギリスの植民地時代が長く。国民の殆どがアフリカ系。人口 約300万人。面積は四国の半分弱。一人当たりGDPは日本の23%。英語が公用語。
岸壁で迎えに来ていたバスに乗り込む。 -
3
港湾エリアのゲートを出ると 早速 南国の艶やかな花が迎えてくれる。
道路沿いに 多くの客待ちのタクシーもいた。 -
4
道路からの風景は 英語表示で ケンタッキー・フライド・チキン等の看板もあり、アメリカの地方都市の感じ。車は小型だが。 -
5
流石に 海はきれいそう。 -
6
繁華街に入ると 車は渋滞。道の両側は観光客目当ての店が軒を連ねる。
店の呼び込みは キューバよりは熱心だが、激しくはない。
バスを降りて 「ドクターズ・ケープ・ビーチ」に入場料を払い、利用する。(プライベート・ビーチの一種。) -
7
私の入場した時間が早かったので、ビーチに人は少なかった。
写真はビーチ全景。 -
8
砂浜に降りたところで パラソルとチェアのレンタルを勧められ、前の白人がパラソルだけ借りたので 私もそれに倣う。後から来た客の動向を見ていたら、何も借りずに MSCクルーズの船から持ち出した黄色のバスタオルを 木陰に広げて 代用している人達も見かけた。 -
9
ロッカールームを借りるのも面倒で 砂浜で服を脱ぎ 海に入る。シュノーケルを持参して正解。 -
10
海中では サンゴの上に 魚が泳いでいるのが見える。
久し振りに潜った気分。 -
11
昼過ぎ 泳ぐのに満足し、日差しも強くなってきたので 引き上げる。
パラソルを返却すると言ったら こんなに早いのに と驚かれた。
それから 一寸街並みの土産物店をを覗いたが アフリカの民芸品のようで 買って帰るものは無かった。
景色の良いレストランがあり、そこに入ろうかと思ったが 丁度 船の連絡バスが来て バスに乗って帰る。 -
12
途中 観光産業以外 目につかなかった。
ジャマイカの首都キングストンでは 世界で最も殺人事件発生率の高いところの一つであり 注意するようにとの警告を受けていた。 昼のモンテゴでは そんな風には感じなかった。道路沿いには 桜に似た花が満開だった。 -
13
バスを降り 船に向かうと 数組の日本人客が 前を歩いて 船に帰っていた。私も早い帰りだったが同じような人もいた。 -
14
いつもの如く レストランで昼食をとり、シャワーを浴びてさっぱりして、まどろむ。妻はダンスのレッスンに行ったみたい。
夕刻 船が出航している気配なので 甲板に出てみると、隣にもう一隻クルーズ船が着岸していた。ここはカリブ海クルーズのメッカの一つなのかもしれない。 -
15
船はゆっくり沖合に進み、瞬く間に 夜のとばりが広がった。 -
16
夕食の時 船内放送で 明日のケイマン諸島ジョージタウンの上陸が出来なくなる可能性があるとアナウンスがあった。
よく分らないが タックスヘイブンのケイマン諸島の街を見てみたかったのに残念。
眠る時 風が出てきたのか 少し船が揺れている感じがする。 -
(6)2月23日(木)
1
朝 ゆっくり起きたら やはり港は風が強くて ジョージタウンへのテンダーボートでの上陸は許可が出なかったそうだ。
仕方が無いので デッキのチェアーを確保して、ゆっくり運動がてら船内探索、昼食時のおしゃべり等で時間を過ごす。昼食時 同じテーブルになった 若い女性達は阪急交通社のツアー参加者の方だった。妻は夕方 下船時の説明会に参加。
写真はキャンセルされた「エイと触れ合う エクスカーションチケット」。
翌日のエクスカーションでも3割引の権利は引き継がれるとの説明があったが 望むコースが無く断念。 -
2,
MSCの船の方でも 上陸出来なかった埋め合わせか 夕食前に臨時のショータイムを設定してくれた。
船の各バーやラウンジで 歌っている人達で流石に上手い。プロの迫力を堪能。 -
3
その余韻で 夕食へ。
本日2回目のガラの日。 -
4
夕食後 VOYAGERS CLUBのパーティーに参加。昨年のオーケストラ号の時より バンドも入って楽しそう。 -
(7)2月24日(金)
1
朝食の時 丸窓の外は丁度日の出。
メキシコのカンクン辺りかと勝手に想像する。 -
2
メキシコのユカタン半島の離島コスメルに接岸。
何隻もクルーズ船が見える。
海も 想像通り綺麗。 -
3
本日はツアーに参加せず、歩いて回る予定。
個人客の一団と ゆっくり下船。
隣に もっと大型のクルーズ船が既に着いていた。 -
4
クールーズターミナルから海岸通りを歩こうと思っていたが、強制導線で向かいのショッピングモールに入る道しかなかった。
歩きたくもない道を歩かされ 資本の横暴を勝手に怒る。(頭の老化現象?) -
5
海岸通りの土産物店も見ながら フェリターミナルの横を通り、ブラブラと南に歩く。結構な人通り。市民マラソンらしき人達も見掛ける。 -
6
20分ほど歩いて 海岸通りに面したコスメル博物館に着く。
薄黄色の建物。 -
7
最初に コスメルの自然界 山、野、海の紹介のコーナ。
矢張り 海の珊瑚の展示が目を見張る。 -
8
それから アートのコーナー。
思いがけず メキシコらしい 卓越した絵画が続く。 -
9
歴史のコーナーでは 古代の彫刻類。
荒削りの造作だが 日本の埴輪を思い出せる像。
文化の共通性を感じる。 -
10
スペインの侵略のコーナーも多く取られていた。 -
11
カリブ海の位置関係を示す 地図があったので 写す。
日本人には遠い異国の関係だが 中南米、北米、南米は案外 近い関係で 海のルートも使い文化、経済の交流も行い易かったのではないかと思われる。ちょっとクルーズでの移動も経験していたので そう思った。 -
12
スペイン船の模型。船の設計図も展示されていた。
メキシコの人にとって スペインからの移住は 今も大切なルーツ、出来事なのだろう。 -
13
移民の人達の 初期の街づくりのコーナー。
何となく USAの移住の歴史を彷彿させる。
博物館は小さいスペースだったが 広い視点で構成されていて 予想外で満足した。
(博物館の奥のマヤ人の住居復元後址を見落としてしまった。失敗。) -
14
それから 更に南に歩く。海岸通りの遊歩道には 多くの展示コーナーが設置されていた。途中ちょっと海にも出れるように岸壁の切り込みもあったので 波打ち際にも出てみる。 -
15
それから 博物館の係員から聞いていた公共海水浴場を見掛け、公園の端から 海辺に降りる。小さな砂浜があり、泳いでいる人もいた。遠くにクルーズ船オペラ号も見える。 -
16
写真は反対側の公園の方向を写す。海水浴場としては整備されていない様子。
上空を旅客機が 結構な頻度で 着陸していく。この辺りはコスメル国際飛行場と隣接しているようだ。
砂浜で 黄色のバスタオルを使う数人の海水浴客を見掛ける。同じオペラ号の利用者かと 推察する。
私達は裸足になって 暫し足を浸し それで 満足して 引き返す。
海辺の 見晴らしの良いカフェに入り、ジュースの値段を尋ねたら、予想外の価格を言われて、アメリカドルかと確認したつもりだが、よく分からず 諦める。
-
17
海岸通りの土産物店を覗きながら 船の方に戻る。
しっかりした品揃えの店もあったが あえて買って帰る気にならない。 -
18
クルーズターミナルの入り口近くまで戻り、メキシコ料理店に入る。
そして軽くタコス料理を食べる。
旅の記念にはなったが それだけ。 -
19
クルーズターミナルの二階から 北の方向に ネットで見た記憶の残るスーパの建物を見掛ける。それで もう一度 海岸通りに戻り 人通りの少ない北の方に向かう。3分位で大型スーパーの玄関に出会う。 -
20
店内に入ると 日本では最近余り見掛けなくなった ハイパーの一種の様相。買い物にやたら歩かされ 大型パックで 安いが買い物しづらい。妻のバラ巻き用土産を購入して早々に引き上げる。
レジは世界共通の仕様で カードも使え 女性店員さんも親切。 -
21
桟橋に クルーズ船が仲良く並んでいる。 太陽の光が輝き 海の透明度は高く、海底が見えている感じ。
桟橋ではコスメルで乗船、下船するお客もいて スーツケースを持ち運ぶ人達を見掛ける。 -
22
船に戻り、11階のビュッフェレストランでサラダや果物を食べながら コスメル島を眺める。
10年ぐらい前 メキシコのマキドーラを利用した北部国境地帯の工業地に行ったことがあった。同じメキシコでも観光地のコスメルとは随分違っていた感じがした。国境地帯は躍動はしていたが 貧しさも目だち すさんだ感じもした。
いずれにせよ 大国アメリカに隣接する国は その影響力を直接受けるために大変だろうと思う。
万歩計を見れば 1万歩を越えていた。今日はよく歩いた。 -
23
(参考1)
船生活の日常では 毎夕部屋に 写真のような日本語新聞が配られ、明日の計画がはっきりする。新聞は必需品で配達が待たれる。今回は簡明で分かりやすい新聞だった。 -
24
(参考2)
それから 旅行社のてるみくらぶからも 写真のような新聞が毎日配られる。
てるみくらぶのオプショナルツアー関連が大半だが 参考になる記事も多い。 -
25
カリブ海に沈む本日の落日。甲板には多くの乗船客。夕日の綺麗なところらしい。 -
26
荷物の整理、詰め込みを優先して 本日の夕食は 短時間で済ますため ビュッフェレストランを利用。プラスチック製かと思うような食器では やっぱり気分は出ないが仕方が無い。 -
27
早い回の劇場ショーを見て、10時過ぎには 荷物を廊下に出す。
ショーでは恒例の最終日の盛り上げを全員でやってくれていた。
年寄りは ゆっくり眠る。 -
(8)2月25日(土)
1
最後の朝食をいつものレストランでいつものメニューを食べる。妻は焼きたてのワッフルに一杯のラズベリーを楽しみ、私は具だくさんのオムレツに焼き野菜を添えて食べる。
下船が15時過ぎの予定なので ゆっくり デザートまで満喫できた。 -
2
食後 もう一度船内を散歩する。
写真は後方デッキから カリブ海を写す。暫しの別れと言いたいが 多分もうくることは無いだろうと思う。
部屋に戻り、部屋に届けられた明細書を確認して、手荷物をまとめ荷造りをした。それから 室内を忘れ物の確認をして 充分時間があったのでシャワーを浴びた。 -
3
12時から レストランで軽くランチを食べ 美味しいデザートも頂く。13時前に部屋を明け渡し、手荷物をカジノの臨時預かりに預け、11階のピザコーナーでコーヒーを戴きながら ハバナ入港を眺める。 -
4
ハバナのクルーズターミナルに戻ってきた。 -
5
5日振りのハバナ湾だけれども懐かしい感覚。 -
6
それから 時間が来て 手荷物を返却して貰い、集合場所で集まり、結構早い時間グループで下船ができる。
写真は下船する人達。 -
7
クルーズターミナルでの キューバ-再入国手続きを終え、地上階でスーツケースを返却して貰い 迎えのバスに乗る。 -
8
夕刻のハバナ都心部は5日前と同じだが 今日は土曜日の午後で更にゆったりした感じ。
建物群は古い。でも 気がつけば看板類が見当たらない。それで すっきりした雰囲気を醸し出している。 -
9
30分ほどで 新市街の今晩の宿泊ホテル「COPACABANA]に着く。
元気の良い女性陣では 都心部を楽しんでこようと またタクシーで出発しようとする方々もいた。私は大事を取って ホテル周辺の散策に止める。 -
10
ホテルにはプールが併設されていた。宿泊客以外の利用も多そう。 -
11
下のプールは カリブ海と一体になったような配置がされていた。泳ぎたい気持ちもあったが 日が陰り始めていて 諦める。でも広々として いい雰囲気で眺められる。 -
12
手持ちのお金が 残り10CUC(日本円で1000円強)しか持っていなかった。それで プールの傍のピザ屋に入り 掌の上にお金を示して ピザが食べれるか尋ねた。チーズ味なら食べれるとスペイン語で答えているようなので 注文してお釣りを貰った。お釣りの中から 飲み物のスプライトを追加注文して 夕食にありつけられた。
店の人は 純朴で正直そうだった。焼きたてのピザは普通に美味しかった。 -
13
それから 教えて貰ったホテルの前のスーパーに行く。
外観はスーパーとは見えない。何かの工場かと見間違う感じ。 -
14
店内は野菜・果物・総菜の類はなく 肉、魚は冷凍のブロック販売。グロサリー商品が限定して置かれている。アルコールの類いの販売はそれなりにあった。
キューバ土産にと思って お釣りの残り2CUC余でクッキーサンド等を購入した。レジでは クレジットカードは使えなさそう。
(日本に帰り、クッキーサンドをよく見れば 香港製造。ちょっとがっくり。)
現地のお客もそこそこいて 店が地元に定着しているのは分かる。それにしても キューバは配給制の時代が色濃く残り 消費 流通革命の時代はまだ到来していない様子。変化が始まれば早い変貌になりそう。
写真はスーパーの店内。剥き出しの保管用ラックに 貧弱な陳列商品。 -
15
部屋に戻り トイレの水を流すと 水がタンクに補給されない。レセプションに頼んでメンテナンスの人に来て貰い 見て貰ったが スペイン語でここでは直せないと言っている風で 部品を持ち帰る。
30分以上待ったが そのまま 帰ってこない。もう一度レセプションに行って 事情を話したが らちがあかない。ただ「待て」と言っているだけのよう。明日朝が早いので 少し強引に 話したら 後刻 最上階の二倍くらいのスペースのスイートルームに グレードアップしてくれた。 -
16
それで 移動した部屋。
設備も新しそうで 水も流れたが 湯の供給力は弱かった。
翌朝4時過ぎに集合なので ともかく眠ることを優先する。
部品を修理する。それでも駄目だったら部屋を代えて対応する。キューバ的な方法で何の問題があろうかと言うところだが 経済的にやっぱり可笑しいと思いながら眠った。 -
17
翌朝 ホテルを4時半頃 バスで出発。朝食用のパン等が配られ 車中で食べる。
途中行き交う車も少ないが 街路灯も少なく暗い夜道。 -
18
30分ほどで空港に着き ACの搭乗手続きカウンターへ。窓口の方はテキパキと処理をしてくれて ANAのマイル登録も実施してくれた。現地添乗員さんも ここまでお世話をしてくれて 満足、お礼を言って別れる。
そして 出国手続きのゾーンを通り、ツーリストカード(出国片)を回収され、 無事にキューバを出国。
セキュリティチェック後 デューティフリーの店舗もあり カナダ入国の際の没収リスクも覚悟してアルコールを求める人もいたが 私はパス。 -
19
搭乗口のロビーで 7時発トロント行きののAC1753便を待つ。
瞬時に近いキューバ訪問だったが 考えさせることの多い体験だった。
キューバ革命後 資本の接収・国有化を契機として 1962年アメリカはキューバの経済封鎖を実施。2015年7月国交回復したが 両国はゆっくりと新しい関係を築いて行っている感じ。
革命後60年近くが経ち、キューバ政府は無償教育制度、無償医療制度など 平等化の視点から政策を推し進め 国民の安定化に成功はしている。ただ 経済封鎖により 資本の蓄積・利用は遅れ 国際分業体制からは 一回り以上遅れている。 -
20
AC1753便は定刻にハバナを離陸。ほぼ満席。
古いクラシックカーを修理する技術、ホテルの水栓を修理する技術、刺繍をする技術など 個人の持つ手工業的な潜在力は認めるけれど 大規模生産技術、大規模流通技術の効率性には圧倒的に負けている。資本主義は資本の蓄積・利用・拡大をベースに 個々の競争力を意識づけて 発展してきた。キューバが 「平等」のモラルを棄てずに どう立ち向かって行くのか 関心が持たれる。(キューバの進む道は 中国のような「共産党独裁」「市場化」とは ちょっと違うような気がする。)
隣国の強大国アメリカに 50年余 経済封鎖され、それに耐え続けて 国交回復にまで至った 南国、島国のキューバに可能性を期待したいと思った。民度も高く、テレビやネット普及の端緒も見られ 情報社会の到来は近そう。
ヨーロッパ大陸における英国、東アジア大陸における日本、アメリカ大陸におけるキューバ、地政学的に 独自性持つ共通性があり、注目して行きたい。
-
21
定刻 10時半に トロントに到着。
外は寒いはずだが 空港内は暖房していて それを感じさせない。
帰りは トランジット セキュリティチェックゾーンも混んでいなくて スムーズ。 -
22
カナダは多民族・移民国家で国土も広いせいか なんか包容力溢れる国の感じがする。空港内のWIHIも無料で、スマフォの接続をカフェの店員さんに尋ねたら 設定をしてくれた。空港の乗り継ぎ待ち時間 カフェで安価な価格のコーヒーとクロワッサンを戴きながら過ごす。 -
23
それから 時間が来て AC005便 13時40分発羽田行きに搭乗する。 -
24
AC005便はほぼ満席。若い日本人客が目立つ。
来た時と同じ席の並びで 以前ご一緒だった御夫婦とまた隣り合う。雑談の中で 私より若い方と思っていたが 年配の方と分かり驚く。スポーツジムに通われているとかで随分若々しくお見受けした。反省すること大。
70歳になれば 肉体的に海外旅行は無理かなぁと思っていたが 「旅に出かける。」を動機として 体を鍛えればもう少し行くことが出来る可能性があるのかなぁと思えてきた。 -
25
機内夕食?は(カナダ航空の合理性の表現というか)文句は言えないが素っ気ない内容。
昼の便なので 少しモニターの映画を見て時間を過ごす。
最初に ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち/MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN を見る。(夢の中のお話し。)
まだ眠くならないので
次に 国民の創生『The Birth of a Nation』を見る。(アメリカの黒人奴隷の蜂起の話。)実話に基づく話なので ちょっと頭が冴えたが 眠ることにする。 -
26
飛行機は 来たときと同じく 北極海の上を飛んでいるみたい。
地球を北の北極側から俯瞰すると 見慣れない地図が現出する。日本の立ち位置も異なって見える。面白くて暫し眺めたが 眠ってしまった。
シベリアの上空で カップラーメンのサービスがあり、妻から一口だけ分けて貰う。
熟睡は出来ず。 -
27
北海道が近くになって 起こされ 最後の食事を提供される。
日本時間17時過ぎ 無事に羽田空港に着陸。
写真は最後の食事(オムレツ)。 -
28
いつも 外国に出かけていると 日本の国は素晴らしいと頭の中で理想化してしまう悪い癖が私にあるが、羽田空港のスーツケースの引き取りに今回は時間が随分掛かった。眠い頭に 夢が覚め 現実の姿を思い知らされた。
遠方に飛行機で帰る人や お世話になった添乗員さんに挨拶して 空港ターミナルを出ると それほど寒くなくてホッとした。
外国旅行で得るものは大きいと今回も思い、元気を出して また出かけようかと思いながら帰途についた。
(帰宅後 1週間以上経っても 時差ボケの体調不良は続いたが。)
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