2016/12/07 - 2016/12/12
58位(同エリア520件中)
アーサーさん
仏教の源流に近いものが残っていそうな セイロンにいつか行ってみたいと夢見ていた。
10月中旬 「ビジネスクラス×スリランカ6日間 3世界遺産含む観光&10食-- ¥119,500」Travelzoo のメールを見た。半信半疑で申し込み、12月 実際に行ってみた。
全行程 専用車の個人ガイド付きのツアーで スリランカが これからの可能性を秘めた豊かな島であることは 何となく分かった。建築家ジェフリーパワーの芸術作品にも触れ 感動があった。年老いた夫婦の シギリアロックの岩登りなど体力的には限界に近いものもあったが 総じて満足できる旅となることが出来た。
表紙写真 インド洋の落日
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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1)12月7日(水)
1
「ビューツアー」の名称で旅行を募集している株式会社CDHDが旅行契約先だった。中国関連の旅行に特色がある会社みたいで 利用航空機は中国東方航空の羽田発・上海経由便の利用だった。
ホテル選択は 少し高いが「ジェフリーパワー」設計のホテルに二泊するプランを選んだ。(結局 一人当たり費用は147110円となった。)
やり取りの途中で フライトスケジュールの変更連絡があり、上海での乗り継ぎ待ち時間が長くなった。キャンセル可能との申し出もあったが これも一つの経験と思い、成田発に変更して 待ち時間を少し短縮して決定。
ビザ(スリランカ)は自分でネットを利用して 大使館から直接取得。あっけないほど簡単。
写真はいつもの地下鉄「アクセス特急 成田空港行き」(朝のラッシュが始まろうとしていた。) -
2
出発の10日ほど前に 旅行社から Eチケットなど一式が送られてくる。普通の旅行社からのパンフレットなどの送付はないが、必要最低限度の資料は提供されていた。私は納得。
事前にネットで読んでみると 中国東方航空の評判はもう一つだった。
でも 成田のカウンターの対応は親切。コロンボまでの搭乗券を発行してくれて、JALでのマイル登録もしてくれる。(片道約4,000マイル)
ラウンジへの案内もしてくれる。
写真はビジネス用カウンター。エコノミークラスは混雑していた。 -
3
利用したラウンジは JALほど優雅ではないが それなりに満足。 -
4
スリランカのことは 正直 余り知らなかった。
最近まで内乱状況だったとか、近年観光産業に随分力を入れていて、西欧の評価も高いらしいとか、中国が「真珠の首飾り」戦略でスリランカへ進出しているらしい 位だった。
むしろ 子供の頃からの知識で セイロンは紅茶の産地 仏教国 東南アジアの向こう側の国のイメージが強い。
写真は搭乗機10:55発MU272便。随分と小型機。 -
5
それで簡単にだが ネットなどでスリランカについて調べてみると
面積は北海道の8割程度の国土に 約2100万人の人が住み、(人口密度は日本とほぼ同じ)
気候は熱帯性であり高温多湿で、海岸部・低地では年平均気温27~28°C。(高地の気候は冷涼)。昔 15世紀頃まで インド大陸と陸路で繋がっていたとか。
民族構成はシンハラ人72.9%、タミル人18%、スリランカ・ムスリム人8%で 宗教構成は仏教70%、ヒンドゥー教10%、イスラム教8.5%、キリスト教11.3%。
1人あたりのGDP (PPP)は6,530ドル。日本の17%程度だが 経済成長率は近年約5%。
首都はスリー・ジャヤワルダナプラ。(1985年にコロンボから遷都されたが 事実上コロンボ郊外の一角を市域とする都市。)
自然、民族、文化が驚くほどの多様性を備えて混在している国とか。
成田では離陸待ちの飛行機が いつものように列を作る。 -
6
機内のビジネス席の設備は少し古くて 個人用のモニターは付いていなかった。ただ ゆったりしていて 食事もそれなりに美味しく 周辺席も日本人ばかりで 気楽に新聞などを読み 過ごせられた。 -
7
上空から眺める 上海沿岸の海の色は相変わらず泥色だった。4年振りの上海だったが 陸地の変貌は新しい建物設備で驚く。空港も何か広くなったようで着陸から ターミナルゲートまで随分時間が掛かる。
写真は ターミナルの長いオートウォーク。
この先の右側にトランスファの手続きをするコーナーがある。 -
8
トランスファーの手続き、セキュリティチェック後 中国東方航空のラウンジに行き、軽食を頂く。時間も暇な時間なのか ゆったりしていて 普通のラウンジ利用の感覚。
ラウンジ入り口の係の人に コロンボまでの座席を夫婦横並びに替えてくれるようにお願いしたところ 快く 片言で日本語を話せる人も参加して対応してくれる。中国も確実に「サービス」の改善が進んでいることを知る。(乗せてやる式の役人対応の人も残ってはいるが。) -
9
約2時間の乗り継ぎ所要時間を経て、コロンボ行きの搭乗機にバスで向かい、飛行機に乗り込む。
空は現地時間の午後4時過ぎだけれども 曇天で暗い。 -
10
機内のビジネス席は8割位のお客。半数以上が日本人客の感じ。ビジネス席は一応区画され 普通に平穏な気分。
水平飛行に移り シートの動作状況をチェックしてみたら 私の座席はスイッチを入れても動かない。客室乗務員を呼んで 試しても同じ。困ったなぁと思っていたら 客室乗務員から よく分からないが 中国人乗客(飛行機会社の関係者?)と席を替われと言われ 妻ともども移る。一応問題解決。
写真の通り ほぼフラットになる座席仕様で体が楽だった。 -
11
食事もエコノミーよりは美味しく頂けれた。
(本日 5回目の食事 食べ過ぎ。)
個人用のモニターは 同じく用意されていなくて 食後 シートをフラットにして 眠った。 -
12
途中 目覚めて モニターを見れば 随分飛行機は飛んでいて バングラデシュの上辺りだった。
直行便は9時間位で速いが 経由便のビジネスで横になって14時間かけて眠りながら行くのも 年寄りには ありかなぁと思った。
飛行機は定刻より30分以上遅れて 現地時間午後9時半頃 到着。 -
13
入国審査なども スムーズに通過し、一階でバッケージを受け取り、両替え所で5千円だけ スリランカルピーに替えて出ると、日本語の名前掲示板を持った多数の出迎えの人の波。ちょっと 戸惑ったが 向こうから近づき日本語で呼びかけて貰って ガイドのニランダさんと会えた。
写真は コロンボ空港の2階 メイン通路。結構大きな空港施設。 -
14
空港の屋外に出ると 暖かい。南国に来たことを実感する。
駐車場の専用車はトヨタのプリウス。何となく安心した。
現地時間 午後11時前にホテルに向けて出発。通りは暗いが 南国らしく木々が茂って豊かそう。
ニランダさんの 日本語はぎこちないが 意思は通りそう。こちらも 警戒して必要最低限度のことしか 最初は話さない。
(まぁ 旅の首尾はガイドさん次第ということは分かってはいるが。)
写真は9日の朝 ホテルの前で写した ニランダさんとプリウス。
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15
ホテルは空港から約30分弱の「ジェットウィング ラグーン」。ジェフリーバワーが1965年に設計し 開業。2012年にリニューアルオープン。
写真は翌朝 写したホテルの正面側。随分オープンな独立したレセプション棟。 -
16
中央に巨大な100Mプールを配し、周辺に宿泊棟などを巡らす。 -
17
宿泊棟の風景。
現代の海洋隣接 リゾートホテルの感じ。
私の部屋は一階の「バワガーデンルーム」?? -
18
室内は木材を多用して、家具、装飾も自然の風合い。 -
19
ゆったりしたベッド部分。
ただ 空調が寒すぎる。 -
20
バスルームは別棟。右側のドアを開けて入る。 -
21
別棟との間に 光りの差し込む空間を設けて 2階の部屋にも光りを取り入れている。
下は日本の坪庭の感覚で植栽。 -
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別棟のバスルーム。後ろにトイレを配置。
(年寄りの使い勝手としては 広すぎて面倒。) -
23
隣室とは2M強の土壁で区切られ 上部には屋根がない。下部には同じく簡単な植栽。
開放的だが 隣室の音は漏れ聞こえ、トイレでは落ち着かない。 -
24
洗面部分。
(現地時間午後12時を過ぎて 機中では微睡んだが さすがにつかれを感じる。建物の観賞もそこそこに眠りにつく。時差が3時間半あり、日本時間では午前4時頃。) -
(2)12月8日(木)
1
6時過ぎ すっきりと目覚める。6時半から朝食が始まるので、構内を散策しながら食堂に行く。
お客のいない食堂には 朝日が降り注いでいた。 -
2
二人で食堂を独占して 外側の席を選び 朝食を頂く。美味しい。
ちょっと 席を離したすきに 鳥にバター片をかっさらわれる。
驚いたが 怒る気もしない。 -
3
目の前に広がるラグーンは海のように広い。
手漕ぎの船が 漕ぎ出てきて 沖で何か作業をしている。
(私は最初インド洋と間違えていた。ラグーン上側に太陽が昇り 東側と気づく。) -
4
朝食後 水辺に近づくと 大規模な護岸は見られない。ラグーンには津波のような大波は来ないのであろうと思った。自然の景観に近いものが残されていて羨ましい。 -
5
食堂の方では ボチボチお客が朝食を取り始めていた。
芝生の上では ヨガ体操をしている西欧人の人達も。
ここでは 時間がゆっくり流れているようだった -
6
プール周辺では まだ泳ぐ人の姿は見えず、アーユルヴェーダ施設も眠っているようだった。 -
7
前夜 9時半の迎えをお願いしていたので 残念ながら 「ジェットウイング ラグーン」滞在は満喫できずに 9時15分にチェックアウト。
瞬時だけ 向いのインド洋に面した専用ビーチに行く。 -
8
ビーチにはプール等の施設があったが 海岸そのものは世界共通の風景だった。
途中 お花畑風に薄い赤紫色の花が群生していたので写す。 -
9
本日のメイン観光は中央部のダンブッラ石窟寺院の見学。
ニランダさんは最初に ホテル近くのネコンボのフィッシュマーケットに寄ってくれる。
マーケットでは漁船から直接 魚を陸揚げして、販売している。
向こう側に 多くの陸揚げが終わり係留された漁船が見える。 -
10
魚の鮮度は抜群に思えるが 冷蔵施設は見当たらなかった。日本でも多分私が子供の頃はこうだったのだろうと懐かしくもあった。 -
11
更に 直ぐ近くのインド洋沿いのマーケットにも立ち寄ってくれる。ここでは農産物も少し置いていた。外国人観光客も多くの人が訪れていた。 -
12
砂浜では 魚を干す準備をしていた。
向こう側では 多くのカラスが魚を狙っている風に見えた。
(スリランカではあまり防鳥という考えは無いのだろうか?それとも鳥などの動物とは共存の考え?) -
13
大量の自然乾燥場。
日本では「煮干し」「スルメ」の類い。
スリランカは海に囲まれた島国で 海魚文化が発展して 日本との共通性を感じる。
(実際 スリランカでは色んな所で 魚の生臭い臭いを感じるところもあり、若干閉口したが。) -
14
それから ダンブッラへ向けて 北上。
高速道路は無いらしく 一般道で進む。平均時速30キロぐらいの感じ。道路には「トクトク」やオートバイが走り回り、それを追い越すのが運転技量のポイントのようだ。
ニランダさんの運転は 40代の落ち着きで 無理をしないで 確実に運転してくれる。
(それでも 4日間中で二度、三度 無謀運転の類いの車と遭遇し、かなりヒヤッとしたことがあった。) -
15
郊外で見掛ける 田んぼは 日本と似ている。二期作らしいが。
田んぼの土を掘り起こす作業をしている所では 周辺に 驚くほどの「白鷺」が群れている。地中の虫を狙っているのか。それだけ 化学肥料・薬品の散布で汚されていないと言うことか? -
16
二時間ほど走り ニランダさんが ほぼ強引に「ウェルカムジュース」と称して 道端の露店に車を止め 椰子の実ジュースを御馳走してくれる。
黄色く熟していて 今まで飲んだよりも美味しかった。
車から椰子の林を見て、「椰子の木」がスリランカでどう暮らしに結びついているか 長々と説明してくれる。確かにその多様性には驚かされた。
スリランカが海、林、農地に恵まれ 潜在的には豊かな島であることは そう思う。 -
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ホテルを出て 三時間ほど走り、トイレ休憩に立ち寄った ところ。
外国人観光客用に整備されていた。100ルビー払う。 -
18
それから 暫く走って 外国人観光客用の昼食レストランへ。スパイシーオムレツの料理とか記載さていたが メインはバイキング料理。
ちょっと団体客がいて 落ち着かない雰囲気。 -
19
それから 山中の「ダンブッラ石窟寺院」へ。
途中 見掛けた 農産物の「卸売り市場」。
同じような建物が三棟あり、昼過ぎの時間(午後2時過ぎ)だが まだ農産物の持ち込みが続いている様子。活気に溢れていた。子供の頃見た 農家のおばさん達が自転車に横付けして 市場に野菜を運んでいた風景を思い出す。 -
20
それから 街道沿いの現代的な「黄金大仏」はパスして、裏山の石窟寺院を目ざし、車で行けるとこまで行って貰う。
車を降りて 供花を購入して登り始める。階段と坂道利用の二通りがあったが 行きは階段を利用。
写真は途中の見晴らしから 写す。ジャングルが眼下に広がる。石窟寺院の山は大きな岩山の感じ。 -
21
階段は整備されているが 結構続く。
写真はほぼ登り切った辺り。 -
22
靴を預け、(写真左側に小屋あり。)
裸足で 写真の階段の所から 入場建物に入る。
思いがけず 床石板が熱を持ち 足裏が熱い。 -
23
ヒンズー教の神様にもお祈りして、右側の最初の石窟に入る。 -
24
第一石窟の涅槃像。足裏が赤いのは赤土のスリランカに来たことを表すとか。 -
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足下の壁面には弟子達の像が描かれている。 -
26
岩屋根の下には 第二 第三 第四 第五と石窟が続く。 -
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一番大きな空間の第二窟には 多くの仏像関連が並ぶ。まず最初に涅槃仏。そして坐仏。 -
28
更に16体の釈迦の立像と40の釈迦の坐像が安置されているとか。 -
29
ニランダさんの説明に寄れば 神様の像や王様の像もあるらしい。
仏の像、僧の像、神様の像、王の像などとの区分は自明の特徴があるらしいが、一度の説明を受けただけでは覚えられない。
(スリランカ流で「神仏混合」みたいなところがあるらしい。) -
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第三窟、第四窟とお参りし、ニランダさんの説明も聞くが 段々疲れてくる。
天井や壁面の絵は仏との関連で重要らしいが その仏教の基礎がなく 上の空で聞いてしまっている。 -
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中には 随分人間的なお顔の涅槃仏も。 -
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第五窟も見終わり、元の入り口に石窟の外を通って戻る。
石窟の歴史は紀元前3世紀まで戻るそうだとか 釈迦の時代は紀元前5世紀だから 原始仏教には それなりに近かったのであろう。因みに日本への仏教伝来は紀元後6世紀。
(僧侶の姿を見掛けなかったので 不思議に思い ニランダさんに尋ねたら 岩下の一角の小さな建物を指さし そこに居るそうだった。あまり人数は多くなさそうに思えた。) -
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石窟の前に 大きな菩提樹が祭られていた。現在も菩提樹は悟りを開いた木として 瞑想の木として 各お寺では大切にしている様子。
実際は猿が数匹 枝にいたが。 -
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ニランダさんが指し示す 湖の畔の丘に今晩の宿「ホテル ヘリタンス カンダラマ」があるらしい。随分 自然の中に立地している。
ジェフリーパワー設計のホテルライフをゆっくり楽しみたい思いも強かったが、ニランダさんの強い勧めもあり、私も疲れを感じていたので ホテルに入る前に フルボディマッサージ(60分)シロダラ(30分)ホットスチームバス(20分)ホットシャワー(10分)計二時間のアーユルヴェーダの Ayurveda Treatment packages を予約して貰い、そちらに向かう。一人1万ルピー(8千円弱) -
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車は30分後 田舎の山中の広い敷地に入り 写真の小屋に導かれ、まず最初に医者らしい若い女性から問診というより 支払いを含めた手続きを実施させられる。後 施術エリアへ。
(写真機の持参は断られる。) -
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トイレの後、個室の施術室で全裸でベッドに横たわり クリーム状の薬品液体を全身に塗られながらマッサージを受ける。それからシロダラを額に受けてるいるみたいだが 目は閉ざされているので 明確な様子は分からない。その後 別小屋のスチーム室に導かれ 床に薬草らしき匂いの葉っぱが敷かれたところで スチームバスを浴び、温水シャワー小屋で全身を洗い流す。最後に林のベンチで薬草茶らしきものを頂く。 -
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施術後の感想として、普通の爽快感は 同じ程度にあった。でも劇的では無かった。ただ細かい点としては 医療施術の観点が強いのか、サービス提供の面が 日本人の私には不満が残った。例えば 時間一杯マッサージをして欲しいのに 時間的にはルーズ、シャワーにはシャンプーがあったが、トリートメントは無いとか、ドライヤーは一台だけ柱に掛けられているとか、料金は安いが 安いだけのことはあるというのが私の感想。
帰るときも 新たな白人の客が 緊張した顔をして入ってきていた。外国人観光客には 珍しく 好奇心も満たされるので それなりの 需要があるのだろう。
パンフレットを貰い 後で見てみると 店名は「athreyaayurveda」だった。 -
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それから車は 暗い夜道をホテルに向かい 約40分後ホテル専用道の先に やっとホテルが見えてくる。
レセプションの上階のオープンカフェの所で ウエルカムジュースを頂きながら、チェックイン。女性の係の人はスマフォのWIFIの接続なども手助けしてくれて 親切。
それから 部屋に案内してくれる。但し ホテルは山麓沿いに建設されていて 約1キロの長さに渡るとか。結構歩かされる。
(ニランダさん達 運転手の方の宿泊棟は 下の別棟があり、食事もそこで供されるそうだ。)
写真は翌朝 オープンカフェを庭側から写す。 -
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ホテル ヘリタンス カンダラマは 建築家ジェフリー・バワが1994年に手がけたホテル。
私の部屋は 随分コンパクトだった。 -
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洒落ていて 日本人の私には 充分な広さだったが 前日の広さに圧倒されていたので 意外。 -
41
むしろ機能的で 備品にもこだわりを感じられる。約20年前建築の古さは否めないが。 -
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私の部屋にはバスタブは無く、シャワーのみ。 -
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そのシャワーのヘッドが固定式で 一部のお湯がガラスのドアをつたい、下部で外に漏れてしまう。気づかずにドアの外に出ると 床が濡れていて 転倒しそうになる。
(利用する方は お気をつけて。)
写真は 床にバスタオルを引いて 滑らないようにしたところ。 -
44
夕食をカフェテリアレストランで軽く食べる。味は繊細。
レストランには 日本人観光客がかなり居た。
レストランから部屋への長い帰り道 建物内だが 開放的なので 静かな森の中を歩いているようだった。
10時前に眠る。 -
(3)
12月9日(金)
1
早朝 色んな鳥の声で 六時頃目覚める。
ベランダに出ると ツタが建物を浸食している感じ。
自然の力を感じる。
木の枝が不自然に揺れる 小動物が活動を開始したようだ。 -
2
6時半過ぎ 朝食のカフェテリアレストランに向かう。
本日は薄曇り気味。日差しがきつくなくて助かりそう。
写真はホテル下のカンダラマ湖を写す。 -
3
昨夜は暗くて見えなかったロビーラウンジ前のプールが 目の錯覚でカンダラマ湖が浮き上がり 一体に見える。そして 広がりを感じる。
今となっては ありふれた手法なのかもしれないが 立ち止まる客多し。 -
4
ラウンジ横の 崖の下では 大きなリスが走っていた。確かにスリランカのリスは大型。
道路端にマングースもみかけたが、写真は撮れなかった。ニランダさんの話に寄れば マングースがいるところは コプラが居なくて安全なそうだ。 -
5
展望の素晴らしい席で 朝食を頂く。
屋外に料理してくれるコーナーがいくつもあり、出来たての熱々を楽しむ。 -
6
部屋に戻り暫くすると ベランダに猿の一団が現れる。傍若無人の感じ。
ベランダ側の警告に鍵を掛けるように書かれていたが 猿の侵入もあり得ると思った。
ジェフリー・バワーが動物たちとの融合を考えていたのなら 猿とは一部で実現していると思った。 -
7
それから 本日の観光のメイン シギリアへ。
(ホテルライフを堪能することを諦めて 登ることを 優先し 9時半にホテルを出発。)
途中 高木の上に小さな小屋が 作られていて 不思議に思ったが ニランダさんの説明に寄れば 畑を荒らすイノシシなどの番小屋だそうだ。夜間はここで農夫が眠ることもあるそう。(殺生の排除はしないのだろうか?) -
8
また 途中 あぜみちに野生のクジャクを見掛ける。それほど鮮やかでは無いが 瞬時大きな羽を広げてくれた。感激。 写真に撮ることは失敗。
スリランカは自然が残り 野生動物の宝庫。 -
9
駐車場に車を止め、入場口から 公園内に入る。広い整備された公園。
案内図で 説明を聞く。 ニランダさんは一旦出口側(説明図の下側)に車を回送して止め、再度説明図の中央付近で合流して ロック登坂案内に戻るということだった。
私達は 左側から 公園中央を進む。 -
10
トイレにも行き、中央の道を進むと 二重の堀が巡らされ、白鷺の姿も見れる。
また ここでも 犬が数匹フラフラと居る。
(スリランカでは道路や空きスペースに犬がそこらじゅうに 傍若無人に居る。犬同士でも 人間に関しても無頓着の様子。) -
11
シギリア・ロックが目の前に現れてくる。 -
12
岩に登り始める手前で ニランダさんと再会。
岩の周辺の洞穴状の遺跡に案内され ここが元々 仏教の施設であったことの説明を受ける。
確かに前日見たダンブッラの石窟寺院と構造は小規模だが似ている。
シンハラ王朝の5世紀に 僧の寺院を隣の山に交換して、王はここに王宮を建てたとか。 -
13
巨石の間の狭い階段を登り、ここからロック登坂が始まる。確かに王宮警護には自然の要塞。
この辺りから 公認サポーターと称するスリランカ男性が 私の腕を支えたり、腰を押してくれる。足腰の覚束ない私を見て 代わる代わる援助を申し出てくれる。頼んでもいいかなぁと思ったが それも面倒なので 意地になって断り続ける。
途中 気が散るのも危険と思い ニランダさんにはっきり断って貰うようにした。気持ち良く あっさりと 申し出は止んだ。 -
14
ゆっくりとマイペースで階段を登り、「シーギリヤ・レディ」が描かれている岩壁の直下のスペースに着いた。
ここから 急な高さ約150m位の 階段になるが 現代の建築構築物。手摺りも完備されている。
シーギリア・レディは写真撮影は禁止されているが ゆっくりと対面できた。岩肌に描かれたフレスコ画だそうで 1000年を越えてて風化もしているはずだが えらく表情豊かで艶めかしい女性達だった。 -
15
隣のらせん階段を降り ミラーウオールの通路へ。
ミランダさんの話に寄れば 高所恐怖症の方がこの辺りで登坂を諦めるとか。確かに むき出しのらせん階段は 気持ち良いものでは無い。この辺りで引き返すことも出来るようだ。 -
16
ミラーウオールでは 右側の岩側にレディ像が描かれ、左側の鏡のような壁にその女性像が映し出されていたとかの説明があった。全部で500体の像が描かれていたとか。
実際に垂直に近い絶壁で どのようにして 描くことが出来たのか不思議。
また 5世紀当時の階段仕様についても説明があったが ロッククライミングのような危険な方法で 多量の王宮生活物資を運び揚げていたのか不思議に思えた。
王の財力は 相当なものだったと予想できる。 -
17
ライオンゲートの広場で一息つぎ、上を見上げれば王宮跡の頂上空間が見え もう一息の感じ。しっかり手摺りを持ちゆっくり登る。
最後のところで 韓国の老婦人観光客が四つん這いになって 登ろうとしているのに出くわす。その執念に敬服。 -
18
やっと 岩頂上のスペースに至る。周辺の見晴らしが広がる。
時計を見れば 公園の入り口から約二時間掛かっている。曇天で助かった。
ニランダさんも安心したのか喜んでくれる。
それから 気をつけて 広い王宮跡のスペースを登り始める。 -
19
最頂部の宮殿跡から 見下ろして写真撮影。
風が吹き抜けて 爽快。 -
20
下を見下ろせば 今 歩いて来た 公園の入り口が見える。 -
21
王宮跡の諸設備には 大きな給水用の貯水池も見える。
スリランカでは その他にもよく給水の施設を見掛けた。歴史的にも 広くその蓄積があるのかなぁと思われた。
それから ゆっくり慎重に下り始める。 -
22
ライオンゲートの広場まで 降りて記念撮影。
ホッとした。 -
23
それから 更に下り、途中から別の出口に 向かい、駐車場に着く。
駐車場周辺には土産物屋、トイレ等があった。
(帰り道は 慎重に下りたが 約一時間弱ですんだ。)
木陰の向こうにシギリア・ロックが見え お別れの挨拶をして 車に乗り込む。 -
24
マータレのスパイスガーデンに向かう途中 道路沿いの果物店で ニランダさんがマンゴーを買ってくれた。
ホテル朝食でも よく食べていたので 遠慮したが 食べてみると 別の果物のように美味しい。やはり 食べ頃を熟知している地元の人が選ぶと違っている。 -
25
30分弱で マータレのスパイスガーデンに着き、先に昼ご飯とする。
外国人観光客用の ガーデン付設のカフェテリアレストラン。
たまたまなのか お客は少なかった。 -
26
体を動かした後だったので 美味しく頂けられた。
ただ スパイシーの感じはした。 -
27
マータレのスパイスガーデンは薬草など含めた小さな植物園を併設した外国人観光客用のショップ。
日本語のそれなりに上手なおじさんに 園内を案内して貰い、両足も20分弱マッサージして頂いたので、一般的なハーブティーを一箱購入した。
ここは薬草の効用の知識のある人には面白いかも知れない。 -
28
それから 近くの ノリタケのアウトレット店へ。
丁度クリスマス前の売り出し期間だったようだ。
写真は 敷地ゲート前。 -
29
露天の庭先には セール品が雑多に積み上げられている。安いことはべらぼうに安いが 私には手が出ない。
(ニランダさんもカップセットを購入した模様。) -
30
店内のショールームも見て回る。この部屋は輸出用の規格の部屋とか。
さすがに 綺麗な磁器が並ぶ。値段も日本で購入することを考えれば安そう。
ただ 我が家は これから整理の時代に入り 物の始末を考えなければならない時なので 記念に小ぶりの消耗品的な要素もあるティーポットを一個だけ購入。(輸出外用の規格外の商品。 裏の倉庫の棚に保管していた。輸出用と比較すると少し見劣りはするが 値段を優先した。)
女性店員さんが 簡単に段ボールに箱詰めして渡してくれる。
(妻は 破損を心配したが スーツケースにつめて日本に持ち帰り、開けてみれば 大丈夫だった。) -
31
それから キャンディの街に向かうが 道路は渋滞してくる。
金曜日はイスラム教徒の休みの日なので シャッターが下りた店舗が続き、イスラムの黒い装束を身にまとった人達が 思いがけず多く目に付く。
ニランダさんの話に寄れば イスラムの人達は増えているとか。
一神教の宗教は 仏教のエリアに浸透しやすいのだろうか。
キリスト教の教会も それなりに目に付いたが 教育を含めた慈善活動が他宗の人々に排他的なので ニランダさんは余り良く言っていなかった。
インド系のヒンズー教の寺院も 派手で目に付く。
スリランカは宗教的にも多様な 言い方を変えると寛容な国と思った。 -
32
車は渋滞の中を更に南下し、キャンディの街に着く。
結構 大きな街。
最後の王朝の首都であり、スリランカの仏教の聖地であるらしい。
車をキャンディ湖の畔に止め、有名な仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)へ急ぐ。
広い公園のような所を抜け、写真左側の靴預け所で 裸足になり、門を入る。周辺には水路が張り巡らされている。 -
33
建物の中は 芸術品のように 豪華な装飾。
修理を続ける人も見掛ける。 -
34
仏歯が納められているお堂のような 入り口で写す。
(朝、夕の開扉とは タイミングが合わず諦める。) -
35
供花し 振り返れば 熱い思いで見つめる仏教徒達の姿。開扉の瞬間を待っているみたい。皆さん白い服装をしていらっしゃる。 -
36
お寺の一つ一つの造作に意味があり、ニランダさんは説明してくれるが 覚えられない。 -
37
ただ 仏教芸術品として 写真に写すのみ。 -
38
世界の仏教界から寄贈された仏像の数々。よく見れば それぞれに差異はあるのであろうが。
日本からのものもあったので 写真に写す。 -
39
5時半からの ショーを予約していたので 少し慌ただしく お寺を後にする。
この寺でも 僧はいるらしいが その姿を見掛けなかった。私には奇異な感じ。
帰途 夕闇が迫り、湖水の畔には水鳥がいたが 背後から近づいても 逃げず 一緒に 暮れ行く静かな風景を暫し眺めた。 -
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外国人観光客用に 文化センターで開催されているショーを見に行く。
今回のツアーで 入場料、一部を除き食事代、駐車料金、高速代などは ツアー代に含まれているということで 一切支払う必要が無かった。これは 予約・購入・支払いの諸事の煩わしさが無く 想像以上に楽だった。時間についても 任意に決められ、余り行きたくも無かったキャンディの「宝石博物館」も そのときの都合でキャンセル変更が可能だった。
専用車による旅行のメリット以外に 特記しておきたい事項。
センターでは 外人観光客が席の半数ぐらいの入り。予約席の前方中央付近の席で観覧。 -
41
ショーは数幕に分かれていて、キャンディ王朝時代に宮廷内で踊られていたダンスがもとになっていて、そこにスリランカ各地の民族舞踊を組み込んで構成されているとか。 -
42
確かに 日本の盆踊りのような踊りも。 -
43
悪魔ばらいが目的のダンスの側面もあり、アクロバット風のところや火祭りのところもあり 多彩。
最後に全員舞台に並び挨拶。 -
44、
そして追加のように 観客が周りを取り囲み その中を真っ赤に焼けた炭火の上を歩く火渡りの儀式の披露。 -
45
それから 午後7時過ぎ キャンディ郊外の本日のホテル シナモン シタデル ホテルに入る。
渋滞はまだ続いていた。
ホテルは少し古い大型観光ホテル風。客は一杯いた。 -
46
8時頃から ホテル内のレストランでバイキング料理を食べる。
少し スパイシーな味に飽きてくる。
夕食時の飲み物は有料なのか サービスされていない。
部屋に帰れば、セルフの飲物は作れると思い 頼む気がしない。
隣の席はイスラムの女性で 黒いニカーブで顔を隠していて どうして口に食事を運ぶのだろうと不思議に思っていたら 口の部分の布が別になっていて 布を持ち上げて 口に運んでいる。器用そうだが ちょっと面倒臭そうでもある。
今晩も 午後10時頃眠る。 -
(4)12月10日(土)
1
朝 起きて 食堂まで歩いて行ったら ホテルの全容が見えてくる。
どうも此処は郊外山中の川端に立地したホテルのようだ。空気は冷涼で、ホテル内に段差が続く。
下にプールや川が見える。 -
2
レストランのテラス側に席を選び 朝食を頂く。 -
3
胃の辺りに 私には珍しく鈍痛を感じ 食べる量を控える。スパイスがきつかったのか。
ホテルを9時半頃出発。 -
4
最初に ギラガマの茶畑や、セイロンティの工場に向かう。
途中 第2次世界大戦の戦没者の綺麗な墓地を見掛ける。日本軍はコロンボ市を空襲して 日本人飛行士が戦死したこともあったみたい。ニランダさんに言われて セイロン沖海戦の微かな記憶が蘇った。頭を下げるのみ。
それから 車中セイロン紅茶の諸々の話を聞き 30分程で工場に着く。
ここでも犬が通りかかる人間を無視して 眠っていた。 -
5
茶畑はちょっと見て 工場の乾燥工程、選別工程と見て回る。 -
6
選別最終ラインでは日本の機械が導入されていた。 -
7
それから 試飲コーナーに行き 各種のお茶を頂く。他の日本人客も訪れていた。
日本茶に近いグリーンティーを記念に購入。 -
8
工場からキャンディからコロンボの幹線道路に戻るとき 鉄路と駅舎が見え 車を降りて撮影。
植民地時代イギリスが設営した キャンディからコロンボの幹線線路とか。広軌で現在も主要な運輸手段らしい。ただ 駅周辺は小屋やテントの店がひしめき合い 発展途上にまで行かないレベル。これからの変容は劇的なものになるだろうと予測できる。 -
9
それから ピンナワラの象の孤児院に向かう。途中山嵐を見掛ける。
象の孤児院の辺りは 一帯の観光地になっていた。
車を止め入場ゲートから入る。
ニランダさんが 院の庭に干している えさの草を手に入れて 子象に与えると喜んで鼻を伸ばしてくる。
鼻の穴付近に触れたが 動作も優しいので可愛い。親しみを覚える。 -
10
兄弟の子象らしいが 目は優しそうにしていて お互いに餌の草を食べるのを防いでガードしている。結構競争熾烈。 -
11
隣の柵では 一匹のもう少し大きな象が 突然立ち上がって 柵に足をかけ咆哮する。ちょっと近付くのは怖い。鼻を振り回されたらひとたまりも無い。 -
12、
別の広い野原では牙をもつ雄象が一人でいた。
象は人間の手で育てられるともう野生の集団には戻れないらしい。もともと雌を中心とした家族から離れて暮らす雄象は この環境では 更に少し寂しそう。 -
13
それから 普通の象の一団は川で水浴びをさせているとのことで 道を挟んだ土産物店が並ぶ先に歩いて行く。
途中の宴会場のような所で 結婚の披露式が始まるようなので見物をする。飾り立てられた車から降りてきた新郎・新婦。 -
14
会場の入り口で待つ新郎側の両親に頭を下げ 跪き、両親側からお茶を貰い 両家の対面が終了して 中に入る。
スリランカでは中流クラスの結婚披露みたい。
(翌日 コロンボのホテルでちょっと結婚披露を見掛けたが 信じられないほど豪勢。)
色々とスリランカの結婚事情を ニランダさんから伺ったが 葬儀とか 教育とか国や時代によって異なり 考えさせられるところ多し。 -
15
川では 象達が水浴びをしていた。 -
16
観光客も水辺に降りることは出来るが 柵があり、近づけない。 -
17
ベランダで椅子に座って 見ることにする。 -
18
ベランダの柵の下に鼻を伸ばして 餌をねだる象。 -
19
時間が来たのか 象遣いに追い立てられて 水浴びを終え 院に戻らされる象たち。
結構 従順。 -
20
それから
幹線道路に戻り コロンボを目指す。こちら側の車線もそれなりに渋滞しているが 反対側のキャンディに向かう車線は車が連なり、気の毒なほど動いてない。祭日か何かで 連休の帰省らしい。
途中カシューナッツ店が連なるところで立ち寄ったりしたが 昼過ぎ やっと中間地点のレストランに着く。
キャンディからコロンボまで約120キロ弱だが 2時間強掛かって半分。 -
21
イギリス植民地時代からの 中間地点レストランとして開発されてきたのか 現地の人も利用する感じの良いレストラン。胃の具合が本調子で無く ランプライスを二人で一つを分ける。
バナナの葉っぱで蒸し焼きしたチキンご飯の感じ。後で知ったが ランプライスはスリランカの代表料理の一つらしい。 -
22
コロンボに近づくにつれ 道は良くなるが 車も増えてくる。建築物も大型化してくる。
途中から ちょっと車に乗るのに飽きてくる。半分頭は眠る。
3時半頃 本日のホテル シナモンレイクサイトに着く。
コロンボの中心地付近に立地して 4.5星クラスの大型ホテル。レセプションロビーも広く、ソファに座って ゆっくりチェックイン。
クリスマスモードの飾り付け。 -
23
部屋自体は広く、バスタブもあり問題なし。ただ エレべーターから遠く 歩くのが面倒。
一旦 7時前まで 部屋で休息。
年寄りには有り難い 無為な時間。
それから 7時に ニランダさんが迎えに来てくれて 夕食レストラン「パラダイスロードギャラリーカフェ」へ連れて行ってくれる。 -
24
カフェは繁華街の裏通りの 高級住宅街の一角にあった。
変哲もない門兼用の建物を入った駐車スペースで車を降り 一歩建物に入るとジェフリーパワーの世界が広がる。
奥の深い敷地なのか ズンズンと引き込まれていく。
大気が取り入れられ、池の水が水が広がる。 -
25
ここは 住宅として設計され パワーが事務所として実際に使用していた空間らしい。
現在は ショップやカフェとして使用され、パワーの業績展示もされている。 -
26
パワーは1919年に生まれ、2003年に亡くなっている。大阪万博のセイロン館も設計。
トロピカル建築の第一人者らしい。
現代の私も その恩恵を享受している感じ。
展示コーナーにパワーの頭部像があり、写す。 -
27
カフェ部分は暗くてよく見えないが 自然の中で食事をしている感じはする。
昼間見たら また異なる感覚だろうと思えた。 -
28
食事自体は スリランカ風高級カレーライスの感じで 格段のものとは思えなかった。
お客は 外国人、スリランカの富裕層のようであった。
それから コロンボの夜の繁華街を見ながら ホテルに帰る。 -
29
ホテルは土曜の夜で賑わっていたが ジェリーパワーの世界とは異なっているように思えた。 -
(5)12月11日(日)
1
先夜 風呂にも入れたし、胃薬も効いてきたのか 快適に目覚める。
今日 ニランダさんのお迎えは 朝11時で約束していたので ゆっくり行動する。
9時近くになって 食堂に降りて行き、朝食をとる。
普通に美味しい。
ただ 中国人と間違えられたのか そのグループと近い席になり、少し落ち着かない。偶然かもしれないが 気づいてみると レストラン内は白人のグループの席と黄色人のグループの席と エリアが二分されていた。 -
2
朝食後 プールで軽く泳ぐ。水温も適温で快適。
その後 ホテル内を散策したが 飲食関係が中心で 図書室は重厚だったが 私には無縁で フィットネスの部屋は見つけ出せられず 仕方なく部屋に帰る。
11時前に チェックアウトし、ロビーでニランダさんと会い、本日の行動を確認する。
時間を持て余しそうなので 午後4時からのアフタヌーンティーを予約して貰う。 -
3
最初に 旧植民地時代からの建物が残る大統領居宅辺りや、コロンボ駅の周辺や 市場の周辺を 車窓を中心に見て回る。
それから「ダッチホスピタル」のショッピングモールで車を降りる。
本来 旅行社の設定はここで 自由ランチの予定だったので レストランを覗いたが お腹も空かず、ランチはパスする。
現在の日本人にはこのモールの建築スタイルには 目新しさは感じない。
周辺は金融街だとか。 -
4
その中の一つの店(ベアフット?の店)に入る。デザインはかわいい商品が並んでいたが 買って帰る必要も無く 何も買わず。
外国人観光客が店内にはそこそこいた。 -
5
次に ニランダさんが連れて行ってくれたのが このお寺。日本に帰って調べてみたら コロンボ市内では一番大きな寺院で ガンガラーマ寺院と言うそうだ。
門を入り スリランカ式に裸足になり、見て回る。
最初に左側の建物に入り、いつものヒンズー教の神様二体に挨拶して お堂に入る。 -
6
中には座像の大仏様がいらして、周辺の壁や天井に 関連の像や絵が掲げられている。 -
7
写真のように 大きな堂内に所狭しと一杯掲げられ、ニランダさんも説明が追いつかない。
日本の「空白」を重んじる感覚は皆無。
次の別棟に入場したら 整理の付いていない宝物館のように 世界からの仏教の接点が 雑多に陳列されている。(世界各地からの寄贈品?)
正直 田舎の巨大な古道具屋に紛れ込んだ感覚。 -
8
中庭らしき所に 大きな 菩提樹が聳え、多くのスリランカ人が周辺を巡り、瞑想し、小さな声でお経を唱えている。(お経の波動は世界共通。)
私も教えて貰い、スリランカ式に水を汲んだ器を掲げ、菩提樹を数回巡り 最後に水を樹に注ぎながら お祈りをして回った。
この広い寺でも 僧の姿は殆ど見掛けず、一人だけしか見なかった。 -
9
それから 近くの 「シーマ・マラカヤ寺院」に連れて行って貰う。
ベイラ湖の水の上に建っていて、ジェフリー・バワによって 1978年設計されとか。
(管理運営は先ほど見学したガンガラーマ寺院によりなされている ことを日本に帰ってから知った。) -
10
お堂の中は 中央にほぼ涅槃仏だけ。簡素。
外が素通しで、遮たれた空間とはなっていない。 -
11
周辺に仏像が配され 木製の連子窓風の桟を波打たせ動きを感じさせる。
仏塔、菩提樹と それなり形式には考慮した配置。
パワーが建築を通してどう仏教を表現しようとしたのかは分からないが 私には 記憶に残るお寺になった。 -
12
近くでは 奇異な驚きを感じる新ビルディングの建設が見られたが 自然の中に調和するパワーの考えとは随分異なっていた。 -
13
それから 地元 スーパーへ行き、妻のバラ捲き用のお土産の買い物に付き合う。
(アルピコ スーパーセンター) -
14
クリスマスセール用の商品が並び、大きな店だった。生鮮商品は目に付かなかった。
レジは世界共通の方式で クレジットカード処理をした。 -
15
時間が余り、ニランダさんの話に寄ると パワーと少し関係がありそうな雑貨店「パラダイスロード」に立ち寄る。 -
16
確かに 入り口など パワー流にちょっとこだわっていたが 中は外国人観光客用のお土産屋さん。 -
17
日本人観光客もいて 繁盛していたが 年寄りの私は 陶器等の雑貨を購入する考えは無い。 -
18
1948年のセイロン独立の記念建物 「独立記念館」にも立ち寄る。
風が通り抜け 心地よい。周辺は公園。 -
19
クリケット場で クリケットの試合をしているプロ集団を眺めたり、英国が植民地時代に作った競馬場を訪れたりして 時を過ごす。 -
20
時間つぶしに「ベアフット」の店に 寄る。 -
21
テラスでは ショーが開かれていて 外国人が眺めていた。 -
22
確かに 色使いも鮮やかで 外国人好み。
本のコーナーで時を過ごす。
結局 何も買わずに出る。 -
23
都心部や沿岸部では 猛烈なビル建設ラッシュ。巨大なモールの建設も目にする。
私は 何かちぐはぐを感じる。
都市計画の基礎はインフラ整備、特に都市交通の遅れが目立つのだから 公共交通機関の整備が急がれるはずだが そういう基幹部分の整備建設が進んでいる風では無い。
建設の現場の塀には 中国語の完成予想図の派手な宣伝。中国人建設労働者も多数導入されているみたい。ニランダさんの話に寄れば 海岸部は100年の賃貸で中国に土地を貸しているそうだ。
かって南雲機動部隊がインド洋作戦を敢行した「強者どもの夢の跡」に触れた我が身には 中国の「真珠の首飾り」戦略が 同じ過ちを犯さないように祈るだけ。
インド洋を見ながら 南下して アフターヌーンティーを予約しているホテルに向かう。古びて歴史を感じる列車を追い抜く。 -
24
4時前に 元のイギリス総督の別荘だとかのホテル「マウントラビニア」に到着。
周辺は海岸で 外国人長期滞在者が住むような雰囲気。
(写真は帰るとき 6時半過ぎに写したので あたりは暗くなって来ていた。) -
25
ホテル内は 日曜日で 現地の家族連れも見かける。
建物施設はさすがに古い。 -
26
景色は素晴らしく 岬の高台のホテルから砂浜で遊ぶ人達が見える。 -
27
プールそばの日陰に入り、英国流アフタヌーンティーを頂く。
WI-FIを接続し ボケーと過ごす。
(お茶代 セットで2,200ルピー、約1,800円) -
28
6時頃 インド洋に陽が落ちて 帰ることにする。 -
29
空港まで 後半は高速道路も使い、約一時間少しの走行時間。
ニランダさんは空港内のビルに入れず、セキュリティの列の前でお別れ。
セキュリティを終え 通路を進もうとして 二つあるガラスの仕切りの向こうで 遠くにニランダさんを気づく。伸び上がって両手を振ってくれた。
入り口でお別れして10分位は経っていただろうが 普通は気づかなくて ただ去って行く客の為に 待っていてくれていた心意気は有り難かった。
中国東方航空のカウンターでチェックイン。搭乗券は上海ー成田間分はここでは発行出来ないと言うことだったが、荷物は成田空港まで預けた。JALのマイル登録は拒否される。(揉めても仕方が無いので 日本に帰り事後登録するつもり。)
カウンター中国団体客でごった返す。ビジネスは空いていたが。 -
30
出国手続きも 無事に終わり、免税店も眺める気がないので ラウンジに行き 軽く食事を取る。
食後 シャワー室は一個しか無く、妻に利用を譲り、洗面所で顔を洗い眠る準備をする。上海からの服装に替え、成田での冬服を準備する。 -
31
定刻22時25分発のMU232便は少し遅れて、コロンボを離陸した。
水平飛行に移ると同時に 座席を倒し、食事も取らず眠りに付く。
ビジネス席客の日本人は全員そうしていた様子。どこかでフォークやナイフの触れあう音がしていた ぼんやりとした記憶が残ったが。
(6)12月12日(月)
1,
早朝 機内アナウンスで目覚める。モニターを見れば上海に近づいている。実質5時間強の睡眠で まだ眠い。 -
2
MU232便を降り、長い上海空港ターミナルを先頭で歩き トランスファーカウンターでEチケットとパスポートを出したら、ディレイと困惑した顔で男性係員は答える。
Eチケットを指し示し 9時10分発の成田行きの便になぜ乗れないのか 現在8時前では無いかと 下手な英語で尋ねる。荷物が間に合っていないのが理由と分かる。
11時過ぎのMU521便に搭乗するように言われて 一旦中国に入国し、荷物を取って 搭乗手続き後 出国・搭乗するように言われていることを後になって気づく。(その 男性係員個人は 後で搭乗カウンターまで来て サポートしてくれたので 親切な人なのだろうが。)
それから 成田行き便の他の日本人客数人とともに 入国審査、荷物探し、搭乗手続き、セキュリティを数度経て、出国審査と無駄な作業を 眠たい頭でこなす。
出国してホッとし、 意地になって ラウンジに行き 暫し休もうと思ったら 食事部分は満席で 上階の喫茶部門の席しか空いていない。身の不運を恨む。
喫茶部門のソファで やっと落ち着いて ラウンジでの写真を撮る気分になってきた。 -
3
直ぐに時間が来て 11時前にMU521便に乗り込む。
上海は寒く 曇り。
搭乗して 落ち付いて考えれば まったく無駄な行為だったけれども 中国が二時間半位で 入国、出国のサービスを出来る体勢がとれてきたのも 変化かもしれないと思った。
ただ 乗り継ぎ便の危険も身に染みた。
(予定で乗り継ぎ時間が2時間20分と安心していたが、状況によっては 乗り継ぎが不可になることもあり得る。)
-
4
機内では お腹が空いて 美味しく食事を頂けられた。
日本の新聞を読み、くつろぐ。
成田までは 近い。
飛行時間 約三時間。 -
5
最後に アクシデントもあったが 無事に16時前に 成田に着く。
成田は思っていたより 暖かだった。
先頭の客で 間違いなく老人だったせいであろうか ターミナルを繋ぐ橋の部分を カートに乗るように勧められ 初めて乗せて貰う。
無料で楽だった。日本の有難さを思う。 -
6
空港からは 接続が良くて 初めて 成田スカイライナーを利用する。
お金は掛かるが 速い。
18時前には家に着いた。
今回のスリランカ旅行は 結果満足できた。
個人専用ガイド(日本語で意思疎通可能)付の乗用車で 初めて全行程旅行できた。
西欧との混血者ジェフリーパワーを通して スリランカに触れることが出来た。
シギリア・ロックにも無事に登れた。とかとか
スリランカと日本との共通性も (異なるところも含め)分かり、 これからのスリランカの変貌に期待が持てることも分かった。 -
7
長々と書いて済みません。
短期間の旅行だったのに 書き出すと色んなことを思い出し 思いがけず長くなりました。それだけ今回の旅は実り多い旅であったと言うことかもしれません。
写真は スリランカで購入したお土産の数々。ポットは3200ルピー(2,500円)
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