1999/07/16 - 1999/09/15
7位(同エリア9件中)
みどくつさん
1999年7月30日。
本当は昨日、ゴルムドへ旅立つ予定だった。
ところが、中国人経営の旅行社「西蔵大自然国際旅行社(TIBET NATURE INTERNATIONAL TRAVEL SERVICE)」の「Mr. Yong Liang」に騙された。
ツアーに含まれている、切符を渡してくれなかった。
しつこく交渉したところで、中国人はウソツキで鉄面皮なので、「切符はもらえない!」と諦める。
人生で一番大切なことは、諦めが早いこと(笑)。
そのあと、ラサの長距離バスターミナルで切符を買おうと窓口へ行った。
ところが、「当日の出発前に買え」と言われてしまう。
なぜ前日に切符が買えないのかわけがわからないが、とにかく中国だから、諦める。
こういう風に諦めが早いのが、悩まないコツだ。
というわけで、7月30日の早朝に、バスターミナルへ行った。
泊まっていた「キレーホテル(吉日旅館/Kirey Hotel)」からバスターミナルまで、タクシーで10元。
僕は気合を入れていたので、チップを2元渡した。
バスターミナルの窓口へ行くと、今度は切符を売ってくれた。
座席番号が24番、上臥というのだから、二階建ての寝台バスの上の席なのだろう。
料金は210元プラス保険料が10元で、220元。
バスに乗り込むと、この24番という席は、バスの後ろの平らになった場所にごろ寝する席だった(涙)。
最悪といえば最悪だが、もうとにかく、ゴルムドへ行けさえすればそれでいいと覚悟をきめる。
海外個人旅行では、とにかくいろいろ考えないほうがいい。
現実をそのままに受け入れて、「諦める」ことが大事なんだ。
僕は、エジプトで、ハルガダからスエズまでの6時間のバスの中で、立ちっぱなしで移動したことがあるからね。
その時は、「椅子に座れたら天国のようだろうに…」と思ったものだ。
ゴルムド行きのバスでは最初から横になっているのだから、楽といえば楽だろうさ。
バスは午前8時35分に出発した。
出発した時点で、席が空いていたら、その席へ移動して自分のものにしていいようだ。
僕の隣で寝ていたチベット人2人が前方の席へ移動した。
これで、5人のスペースが3人で使えるわけだ。
「これは楽だ♪」と、喜んだとたん、バスターミナルを出たところでバスが止まる。
人がドドッと乗り込んでくる。
これは、正規の料金を払わない客に決まっている。
多分、運転手とかその上の人の副収入になる、定員外の乗客だね。
これで、僕の隣のスペースも人で一杯になり、5人の席に7人が寝てしまう(涙)。
バスの通路も人間と、彼らが持ち込んだ荷物で埋まっている。
これはこれは…。
でも動けばいいと思ったとき、バスはガソリンスタンドへ。
本格的に走り出したのが、午前9時過ぎになる。
町を出るとすぐに高原へ入ったが、まともな道はなくなった。
少し踏み固められた部分があって、そこが車が通る道になっているようだ。
しかし全体としては、高原はぬかるみ状態。
後輪を湿地に踏み入れてしまった。
バスの後輪が空回りをして動けないので、乗客は全員降りる。
バスを軽くして、バスを押す。
そこを写真に撮った。
ついでに「青蔵高原に立つ世界旅行者」という写真を撮ってもらった。
あとで考えてみると、めったに撮れる写真ではないので、貴重なものだよ(笑)。
バスにはトイレが付いてないので、出来るだけ水を飲まないようにしている。
ただ、乗客はそんなことを気にする人は多くないわけで、トイレをしたくなった人が声をかけてバスを止める。
そのときに、他の乗客も連れションをするわけだ。
バスが止まったときに乗客を見ていたら、日本人らしいカップルも居た。
だが、愛想が悪くて、声をかける気もしなかった。
この時期、高原では道路工事が多かった。
バスが、その工事を避けて迂回すると、ぬかるみにはまる。
乗客がバスを降りて軽くなったバスは、一気に乾いた地面まで移動する。
それを、乗客が追いかけていく。
その繰り返しだ。
青蔵高原には、小川が流れ、湿原が広がり、ヤクや羊が草を食んでいる。
天気もいいし、なかなかのどかな景色なんだ。
ローカルバスで青蔵高原を行くのも、なかなかいいじゃないか(二度とはいやだけれど)と感じる。
ところが、逆方向から、豪快な乗り物が出現した。
後輪4輪、前輪2輪のツアートラックだ。
ドイツのトラックらしくて、ものすごい馬力で、豪快に水溜りを通過していく。
見た感じでは、前方半分が椅子席で、窓からは白人男女が見える。
窓のない後方半分がベッドになっているようだ。
僕の乗っているバスの頼りないエンジンに比較すると、全くレベルが違う。
ドイツトラックは力強く、水溜りを無視して走ってく。
いやはや、豪快そのものだね。
このあと、中国からパキスタンへのクンジュラブ峠でも、欧米人のツアートラックを見た。
それも、トラックに座席が作り付けになっていて、白人美女が乗ってたものなー(笑)。
欧米人と日本人の旅行者の感覚は全く違うよ。
日本人は、公共バスで辛さに耐えたり、こっそり現地人の乗るバスやトラックに乗せてもらったりする。
欧米人は、金をうんとかけて、乗り物を強力に改造して、強引に通過する。
日本人のように、こっそりとうまく立ち回るのではなくて、金をかけて、許可を得て、堂々とやるんだから(笑)。
午後1時40分に昼ごはんの休息があった。
が、下手なものを食べてお腹を壊したら悲劇なので、お茶を飲んだだけ。
バスの出発前にトイレに行く。
トイレ使用料が5角。
バスに乗っていた日本女が、お金がなくて困っていたので、5角あげた。
でもこの女は、ゴルムドに付くまで特にお礼を言うわけでもなかった。
バスは、サスペンションが柔らかで(つまり、へたれていて)、ちょっとしたでこぼこ道で大きく揺れる。
一度、大きく車体が傾いて、バスが横倒しになりそうになった。
その時は、バスの乗客全員が、「オーッ!」と叫び声を上げた。
車体が元に戻った時は、拍手が起きたよ。
夕食の休息もあって、中国人、チベット人の乗客はどんどん食事を取る。
しかし、僕はトイレのことが心配で、このときも軽く水分を取っただけだ。
朝食をとってない上に、昼食、夕食も取らなかった。
翌朝も食べなかった。
ラサでバスに乗る朝から、ゴルムドへ到着するまで、断食していたわけだ。
バスの中で横になっていると、急な坂ではバスのエンジンが一生懸命がんばっている振動が響く。
僕が思うのは、なんとかゴルムドに着くまで、エンジンやクラッチが持って欲しいってことだけ。
明け方になって、どこかで休息をとったかもしれないが、記憶にない。
翌日の午前11時55分に分水嶺を越えたようだ。
これが青海・チベットハイウェイの唐古拉(タングラ)峠(海抜5,231m)だったのかもしれない。
ただ、ボーッとしていたので、確認はしてません。
途中にはいろんな峠があるだろうしね。
これがタングラ峠でなくても、僕は青蔵ハイウェイを通っている。
だから、タングラ峠を通過しているのは間違いない。
ネットで調べると、道路の方が、青蔵鉄道の唐古拉峠(海抜海抜5,072m)よりも高い。
どちらにしても、僕は5千2百メートルを超すタングラ峠をローカルバスで通過している。
鉄道旅行よりも高いところを通っていることで、自慢が出来るわけだ。
この峠を越えたあとは、下り坂が続き、バスも順調にひた走る。
道路の横には流れの速い川が岸を削って、垂直の崖が見えた。
平原にはいって、低い町並みが見えてくる。
これがゴルムドだった。
到着は時計では夕方になったが、到着時間を記録する気力がなかった。
おそらく、午後5時くらいではなかったかな。
そうだとすると、ラサからゴルムドまで、ローカルバスで32時間程度かかったことになる。
午後5時に着いたとしても、北京時間だ。
ゴルムドはまだまだ明るかった。
乗客は、ゴルムドの手前で、次々にバスを降りて行く。
バスターミナルまで乗っていたのは、ほんの数人のバックパッカーだけだったよ。
このバスの所要時間は、バスターミナルでは24時間と言われた。
「Lonely Planet」には、26時間とある。、
もちろん、故障したら何日かかるかわからないと噂されていた。
ラサで聞いた話では、2泊3日も珍しくないとか。
しかし僕の乗ったバスは、いつ故障しても不思議ではない様子だったが、なんとか走ってくれた。
そのことについて、神に感謝の祈りを捧げる。
どんなにお金を積まれても、このバスには、2度と乗ることはないだろうけれど。
青蔵鉄道ができた以上、外国人観光客でわざわざローカルバスに乗る人間なんて、もういないだろう。
そういう意味では、僕はこのバスに乗ったことだけで、自慢話が出来る。
長期旅行者にとっては、これって、とってもおいしいことなんだよね(笑)。
- 旅行の満足度
- 4.5
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