2014/07/29 - 2014/08/06
47位(同エリア99件中)
montarouさん
- montarouさんTOP
- 旅行記133冊
- クチコミ4件
- Q&A回答0件
- 75,549アクセス
- フォロワー12人
夏に、南インドのコーチンから、ジャイナ教の聖地のシュラヴァナベルゴラを経て、バンガロールからハンピ、三蔵法師も訪れたバーダーミを尋ね、達磨大師の故郷のカーンチプラムに向かった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 1.5
- 交通
- 3.0
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- エアアジア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ティルチラパリから非正規の夜行バスで早朝に、宿まで遠いコーチンの郊外に到着。南インドの宿は、北インドと異なり、チェックインの24時間後がチェックアウトの期限である。宿でシャワーの後、本当のバスターミナルで明日の夜発のマイソール行きの切符を購入。その後、公共の渡船で、外国人の居留地だったフォートコーチンに渡り、写真のような魚取りを見た。日本の網に比べ、恐ろしく巨大だが、観光用で漁獲は少ない。
-
その後、近くの劇場に行き、カタカリ踊りを観劇。京劇のような派手な化粧で、その化粧の過程も見せてくれる。
-
ただ踊りの身のこなしは東南アジア風に感じた。題目はバカ(暴力的な悪魔)を懲らしめる話。観客の大部分は白人観光客。
-
翌日は宿に荷物を預け、早朝のバスでアレピーに向かう。1時間余りで到着。バス停から10分ほど歩くと、公共の船乗り場。アレピー周辺は広大な水郷地帯で、船がローカルバスや自家用車の役割をしている。朝には生徒が多く乗る船もある。公共船の料金はいずれも数十円で、約2時間をかけてコッタヤム近くに行く船に乗ることにしていた。出発時間は9時半、それまで時間があるので船着き場の店でコーヒーを飲む。
-
周囲には南国風の船が多数停泊している。船着き場の水は濁っていたが、ホテイアオイが密生し、写真のようにナマズの子供の大群がいた。
-
船は小型だが、数十人が乗り、大量の荷物も積みこまれる。観光客はフランス人とスロベニア人の夫婦の計4人で、他は地元民。船はローカルバスのように、あちこちで停まり、地元民が乗り降りする。
-
写真の大型船は、貧乏人には無用の宿泊できる客船。
-
公共船は広い湖に出て、やがて水路に入っていく。水路は波が無いので、荷物運搬船は喫水ぎりぎりまで荷物を積んでいる。
-
今は満潮で、水田より運河水面が高く、運河と水田の間に堤防があり、堤防を兼ねた宅地と家がある。
-
2時間の水航で風景を十分に楽しめる。
-
やがてホテイアオイが減り、水の色が替わり、流れが出てくると終点。
-
終点はコッタヤムではない。5分ほど歩くと、コッタヤムに行くバス停があり、30分ごとにバスが出ている。バス停まで途中で、流木を拾う老人を見かけた。この辺りは雨が多く、緑が豊かだが、それでも燃料になる木竹は貴重なのである。
-
バスはコッタヤムのバスターミナルまで行くが、そこからコーチン行きのバスは出ておらず、市の外れの列車の駅の横のターミナルから出ている。夜行バスまで時間があったので、列車でエルナクラムジャンクション駅まで行くことにした。急ぐなら、船の終点からもリキシャに乗ることができる。
-
バスは夕方にコーチンを発車し、夜中に標高2200mほどの峠を越え、早朝に標高800mのマイソールに到着。時間があれば10時開門のマイソール宮殿を見るのも良いが、今日中にジャイナ教の総本山を見て、バンガロールまで行く予定なでの、8時発のチャンナラヤパトナに行くバスに乗りこむ。2時間でチャンナラヤパトナ、寺のあるシュラヴァナベルゴラ行きのバスは頻繁に出ていて、約30分でシュラヴァナベルゴラのバスターミナルに到着。ターミナルの後方の134mの高さのチャンドラギリ名の岩山のてっぺんにジャイナ教の寺があり,その山頂に18mの高さのゴマテーシュワラという聖人の像が建っている。この像は岩山から削り出したものである。
-
この一枚岩の岩山は、裸足か靴下で登らなければいけない。良い天気の日中は日光で岩が熱くなり、やけどをすると言われるが、幸運にも、この日は曇りだったので裸足で気持ち良く登れた。
-
ジャイナ教には白衣派と裸派の二派があり、ここは一生を裸で通す裸派の総本山である。
-
三千数百年前、地球の寒冷化によってコーカサスから南下したアーリア人が,インダス文明を築いた黒人系と言われるドラビタ人を支配し,バラモン教を広めた。やがてバラモン教支配に不満が多くなり、二千数百年前から仏教やジャイナ教が生まれた。仏教は日本まで伝わったが、もっとも寒い日本に裸の宗教は不向きである。他方で、これらの各宗教と各地方の民間宗教が合体し始めて二千年前ごろからヒンズー教が形成され始めた。その後,他の宗教を排斥する一神教のイスラム教が入って来て、戦争が起こり、空想過多で弱体化していた仏教は壊滅,ジャイナ教も衰退した。現在のインド人にはヒンズー教徒が多く、一般に輪廻を信じ、違法なカーストも認め、殺生をしないベジタリアンである。
-
チャンナラヤパトナに戻り、そこから2時間半でバンガロールバスターミナルの近くまで来たが、渋滞がひどく、途中で降ろされた。バスターミナルまでリキシャで来て、大きな旅行代理店で明日のホスペット行きの夜行寝台バスを予約。多数のバスが走っていたので、予約なしでも乗れないことはなさそうだ。
-
翌日の午前はほぼ無人の博物館。午後はバザールに行ったが、余りに人が多いので13億人にインドを再認識。昨日は夕方にチェックインしたので、ホテルに帰り、シャワーの後にチェックアウト。夜行バスで出る。
-
ホスペットには翌朝の7時前に着いた。リキシャで約20分、途中で牛の大群。この種の牛はナンディ―型でなく、荷役や農作業用である。
-
宿はハンピの集落の一番奥の“ジャンパとサキ”のカルヤンゲストハウスで3泊。ハンピは大変に素晴らしいところで、またカルヤンゲストハウスも良かった。
-
インドでは聖地や寺院の周辺で酒は飲めないし、普通の町でも酒屋や酒の飲める店が少ないのが欠点。ハンピの集落でビールは飲むことは困難、川の対岸では飲める。ただし、橋がないため、増水するとハンピに渡れなくなる。
-
ハンピの人口は多分数百人?周囲はヴィジャヤナガル王国の14世紀から16世紀の広大な都の遺跡である。この王国は16世紀の半ばに,イスラム教の5国の連合軍に負けたが、王都は堅固な7重の城壁に囲まれ、都を守るのは容易と思われた。しかし、ビビリ虫の王は南の町に遷都した。他方で、イスラム教の5国は仲間割れを起こしたため,王都は完全な破壊からは免れ,放置されることとなった。
-
集落に接したヴィルパークシャー寺院の象が9時ごろに水浴びに出るというので見にいったが、今日は川の増水で出ないという。寺の裏の民家を越えて登ると、水浴場で、さらに登ると王府となる以前の10世紀から14世紀ごろのヘーマクータ寺院。途中の花崗岩のスラブには三頭のリンガと、写真のような5頭のリンガがあった。
-
リンガはシヴァ神のシンボルで、シヴァ寺院ではリンガがご神体の場合も多い。リンガは男根が女陰に入っている姿を子宮側から見たものと言われる。従って、普通リンガは写真のように、一頭であるから、なぜ多頭なのかわからない。
-
ヒンズー教の特徴は、他の宗教が避ける性表現である。寺院であっても、リンガだけでなく、戦いや踊り、食事と同じように、隠すことなく、あるがままに性を表現している。むしろ、これが正常で、隠す現代世界が異常なのかもしれん。ヴィルパークシャー寺院にも、写真のように隠した部分のない裸の女性像がある。
-
ヘーマクータ寺院の最上部にはシヴァの息子で象の頭を持つガネーシャの像がある。生い立ちは,シヴァ神の妻パールヴァティーが自分の垢で人形を作り,その人形に魂を吹き込み息子にした。この息子に、自分が入浴中の門番の役割をいいつけた。そんなこととは知らずにシヴァ神が家に戻ってきたが、互いに初対面なので、お互い「入れろ、入れない」の押し問答になった。結局、史上最強の破壊神のシヴァはこの息子を殺そうとしたがなかなか歯が立たない。そこでヴシュヌ神(宇宙の維持)の助けを借り、ようやくこの息子の首を,遠くまで切り飛ばした。それを知った妻のパールヴァティーは息子の死に嘆き悲しんだ。シヴァは同情心の強い神様で,家来たちを連れて首を探しに行った。しかし,ガネーシャの首は動物に食われてしまっていた。そこで、象の首を切り落として死んだ息子の胴体につけて生き返らせた。こうしてシヴァ神の長男のガネーシャが生まれた。ガネーシャは優しく,勉学と富の神として高い人気がある。ガネーシャの乗り物はネズミで,それから落ちたときに片方の牙を折ったことになっている。ヒンズー教の神話は非常におおらかで面白い。私もガネーシャの話が大変に気に入り,ガネーシャの石の彫り物を土産に買ってきた。ガネーシャは日本では大聖歓喜天と呼ばれている。
-
ヘーマクータ寺院の丘の頂上から南側に見える寺院は修復中のクリシュナ寺院。ヒンズー教の重要な神は宇宙世界の創造神のブラフマー、宇宙世界の維持神のヴシュヌ(クリシュナ)と、破壊の神シヴァである。ただシヴァ神信者が最多で、ブラフマーの信者は少ない。
-
クリシュナは宇宙を維持するビシュヌ神の化身で、多くは子供の姿で描かれている。その理由は知らないが,ビシュヌ神の化身は写真のようなナラシンハ、またラーマ王や釈迦でもある。そのため東南アジアの釈迦像の後背には、ビシュヌ神を示す7つ頭のコブラがいる。もっともラオスでは7頭の龍である。ただ、9の化身があることがビシュヌ神の特徴である。日本でも地蔵菩薩の化身は閻魔大王であるが、仏教が日本文化の基礎なら,化身の文化の起源がインドあっても可笑しくない。これらの化身、変身の発想は,キリスト教の三位一体論などより,はるかに古い。
-
ヴィルパークシャー寺院の前に、トタン板で囲まれた高い覆いがあったので、覗いてみると、大きな山車であった。固い木に緻密で精巧な彫刻が施され、日本の山車より優れているように思えた。祭りに使われると思われるが、それを見てみたいものだ。
-
近辺で最も高いマタンの丘に登るのも良い。巨大な花崗岩の間を登ると、素晴らしい展望。写真はマタンの丘から見たアチュタラヤ寺院の川からの入口。
-
アチュタラヤ寺院の裏山の反対側が宮殿地帯。王都の入口近くは鋳造所があった所で、まれに金貨がみつかると言う。その奥にバサーラ・ラーマ寺院、マハーナバビ基壇、王宮などがあり、当時、ここまでオランダ商人が来ていたと言う。バナナ畑を越えると2頭の象の引く山車で有名なヴシュヌを祭るヴィッタラ寺院。あまりに高価な入場料は残念だが、南インドの石を彫る技術が非常に素晴らしいことを示している。
-
最後は、遺跡群の南端のカマラプールの町にあるカマラプラム博物館。首のとれた石像が多いのは、偶像を破壊するイスラム教徒の所業。一神教のユダヤ,キリスト,イスラム教は、多神教を邪宗として排斥し、さらに、一神教3宗派間でも争いを続けてきた。多くの宗教が軍事支配者と手を組んだのは歴史の常である。宗教が人を慈しみ、戦いを煽らなければ、人類の歴史はもっと平和で過去の遺跡ももっと多く、綺麗に残っていただろう。
-
数日前に7時発のバーダーミ行きのバスの切符を取っておいたので、朝4時に起きて、ホスペットに向けてリキシャで出発。9時にバーダーミに到着。翌日のバンガロール行きの夜行バスの切符を確保。
-
バーダーミは6世紀から8世紀に存在したチャールキヤ朝の王都であった。チャールキヤ朝は,チェンナイ(旧名マドロス)を含むパッラヴァ朝と戦争を繰り返していた。一時はバーダーミを占領されたこともあったが,逆にパッラヴァ朝の王都を占領したときもあった。パッラヴァ朝の王都を占領したとき,石像職人の優秀さを知り,彼らをバーダーミに連れ帰ったと言われている。また大勝した時,その記念として妃と第二夫人は明日訪れるバッダカルに記念の寺院を造営した。この時代に,唐の三蔵法師がバーダーミを訪れている。そして彼は,当時の王が臆病な兵士に対する罰として,女装させていたことを記している。この地域には大小百を超える寺院があるが,しかしその大半はヒンズー教の寺院で,ジャイナ教の像も見られるが,仏教の像は非常に少ないように感じた。これは,玄奘三蔵が訪れた時代には,この地域の仏教は既に衰えていたことを示す。
-
岩山の頂上には寺院もあり、また眺めは素晴らしい。
-
頂上を通り越して、降りて行くと集落に出で、さらに池の畔に出る。この奥には、最も美しい水辺のブータナータ寺院がある。そこの裏を回ると、道はないように見えるが、コンクリートの堰の上を歩いて池を一回りして、バーダーミで最も有名なバーシャンカリ石窟寺院に達する。余りに高い入場料だが、それなりに立派だ。
-
1から4窟までで、最後の4窟は最も新しい11世紀ごろのジャイナ教の窟。シヴァ神、ビシュヌ神、ラーマ王の神話に出てくるサルのハヌマーンなど多くの神々が彫ってある
-
再度、信心深い民家の間を通ってホテルに戻る。
-
翌日は7時半発のアイホーレ行きのバスに乗る。パッタダカルを通り過ぎ,約50㎞の距離を1時間余りかけて,アイホーレの遺跡公園の前に着いた。ここの馬蹄形の寺院は有名なドルガー寺院。ヒンズー教寺院の原点に近いと言われ、シヴァ神(牛のいる像)とヴシュヌ神(水底に沈んだ大地を牙で救い上げたイノシシ),ナーガ(蛇神)、和合の彫刻など,ヒンズー教の重要な神々が共存している。
-
遺跡公園を出ると、多くの遺跡と民家と家畜が共存している。石のハシゴのような階段のある寺院もある。この村にホテルは見当たらなかったが、修復が進むと、大きな観光地になるかもしれぬ。
-
村を挟んで北東の丘の頂上の7世紀ごろのメーグティ寺院まで行ったが、見晴は良いが、仏像の残骸仏像らしきものが残っているだけだった。
-
アイホーレは観光客も少なく,オートリキシャを探すのにも苦労、それでもパッタダカルまで頼むが、貸し切りと思ったが、途中で子供を二人、やがて爺さんなど大人を乗せて何と13人に、身動き不能で落とされそうに!それでもお金を払ったのは私だけ、なぜ? まあー村人を乗せるのも良いか。
パッタダカルの遺跡公園は戦勝記念の寺院で、コンパクトに纏まっていて,非常に綺麗に管理されていた。 -
ここは戦勝記念に二人の王妃が建設したと言うが、ヒンズー教の神だけでなく、男女の仲睦ましい彫刻が多いのは良いね!
-
公園出口でバスを待ち、バーダーミに戻って、夜行寝台バスでバンガロールに行き、バスを乗り換えて、午後の2時に、達磨大師の故郷のカーンチプラムに着いた。ここにはヒンズー教の寺院が数か所、またここからチェンナイまで電車が使える。パッラヴァ朝の貿易港であったマハーバリプラムには、Chengelpet駅で降りて、二百米ほど歩いたところのターミナルからバスが出ている。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
45