2016/07/09 - 2016/07/10
234位(同エリア513件中)
ニッキーさん
最近、長男第2子と次男第1子が相次いで生まれました。
長男の子は比較的近くにいるのでたびたび会えますが、次男の所はお嫁さんが里帰り出産。実家が佐賀なので、これは遠い。
千葉県から佐賀までは1000キロメートルぐらいでしょうか?
でも、直行便の飛行機で行けば、成田や羽田から2時間ほどで行けるのです。
という訳で、今回孫見たさに夫と2人、思い切って佐賀へ行って来ました。
別の飛行機で次男も東京から佐賀入りしていたので、両家そろっての楽しい滞在となりました。
また、先方のご両親が車で案内をしてくださり、佐賀市の観光もして来ました。
今回のスケジュール:
<1日目 7月9日(土)>
・有明海の東よか干潟(ひがしよかひがた)
・お宅訪問、孫と初対面
・佐賀牛レストラン「季楽(きら)」で夕食をごちそうになる
・ホテルニューオータニ佐賀泊
<2日目 7月10日(日)>
・佐賀城跡のお堀を散策
・お宅訪問、孫と会う
・「本庄うなぎ屋」で昼食をごちそうになる
・佐賀市歴史民俗館(旧古賀銀行・旧牛島家・旧三省銀行)
・佐賀県庁展望室
・佐賀城跡「鯱(しゃち)の門・続櫓(つづきやぐら)」「佐賀城本丸歴史館」
・県立美術館で「ピカソ展 ルートヴィヒ・コレクション」、常設の「OKADA-ROOM 岡田三郎助展」を観る
- 旅行の満足度
- 4.5
-
佐賀への飛行機はLCCのスプリングジャパン(春秋航空日本)を利用することにしました。
成田発で我が家からは近くて便利なうえ、料金も安いからです。
去年オープンした第3ターミナルから出発です。
利用するのは初めてなので興味津々。
第3ターミナルへは第2ターミナルから黄色い連絡バスで移動します。
屋根のある630メートルの歩道が整備されているので、歩いても行けます。 -
第3ターミナルのフードコート。
こんな所があるのなら、ここで昼食にすれば良かったです。
何もないかと思って、私たちは第2ターミナルで食べて来てしまいました。 -
国際線、国内線に分かれ、保安検査場を通って搭乗口へ向かいます。
私たちは国内線へ。
天井がすかすか。
これが噂のむき出し配線ですか〜。
壮観です。 -
本日は雨。
屋根付きのタラップが見えています。
あそこまで歩かされるのかぁ、これは乗る時に傘が要るなーと覚悟していたら・・・ -
蛇腹のボーディング・ブリッジが伸びて、濡れることなく搭乗することができました。
-
午前11:40発のIJ601便。
機材の準備が遅れ、15分ほど遅れて出発です。
この日は満席でした。
後で次男嫁レモンちゃんのお母さまに伺ったところによると、佐賀空港では1000円でレンタカーが借りられるので、佐賀を足掛かりとして近県を回ろうとする人もいて、この路線、結構人気があるのだそうです。 -
座席前のポケットに機内販売の料金表が入っていました。
コーヒー200円は安いなと思ったら、スティックコーヒーみたい。
わざわざ機内で飲まなくてもどこでも飲めると思い、やめました。
全体的に地上で買うより割高ですが、200円〜500円の範囲なので、必要な時は購入してもいいかも。 -
成田は雨だったのに、佐賀空港に着いたら、みごとなお天気でした。
山が見えて低い雲が広がって・・・
美しい眺めに思わず写真を撮りました。
空港にはレモンちゃんのご両親が車で迎えに来てくださっていました。 -
有明海の干潟を案内してくださるということで、お父様の運転でやって来たのは「東よか干潟(ひがしよかひがた)」。
写真ではわかりませんが、日差しが強く非常に暑かったです。
広がっているのは海水ではないんですよ。
ちょうど潮が引いている時間帯。
水は遠く沖へ去り、見渡す限り泥の干潟が続いていました。
国際的にも重要な湿地として、2015年にラムサール条約湿地に登録されたそうです。
向こう岸に多良岳(たらだけ)・島原半島の雲仙岳などが見えました。 -
設置されている双眼望遠鏡をのぞくと、潮が引いた干潟がよく見えました。
有明海の干潟と言えば、ムツゴロウが有名ですよね。
泥だらけの干潟のあちこちでムツゴロウが這い、トビハゼがぴょこぴょこ飛び跳ねているのが見えました。
生き物の動きは動画でないとわかりませんが、この写真に写る黒い点の一つ一つがムツゴロウだったりトビハゼだったりするのです。
ちなみにこの双眼望遠鏡、無料なんですよ〜。 -
ここも満潮時には海水が上がって来るようです。
泥の上にはシオマネキ(カニ)がたくさんいました。
足元に広がる植物は塩水に耐えて育つ「シチメンソウ」。
秋には真っ赤に色づくそうです。 -
次に立ち寄ってくださったのは私たちの今夜の宿、「ホテルニューオータニ佐賀」です。
ご両親がロビーで待っていてくださる間にチェックイン。
部屋に荷物を置きに行きました。 -
ツインの部屋はゆったりしていて居心地が良さそうです。
-
窓から見えたのはこんな素晴らしい眺め。
このホテルはちょうど佐賀城跡のお堀のほとりに建っているのです。
ロビーにご両親をお待たせしているというのに、景色があまりにきれいだったので急いで写真だけ撮りました。
とにかく、車で送り迎えをしていただいて本当に助かりました。
この後、お宅へお邪魔し、別の飛行機で来ていた次男とも合流、生まれたばかりの孫とも対面しました。
長男のところの子とは誕生が2週間しか違いません。
新生児の可愛らしさは格別です。
この歳になって新生児を2人も抱っこできるとは、なんて幸せなんでしょう。 -
夕食は佐賀牛レストラン「季楽(きら)」へ連れて行っていただきました。
佐賀牛は高価だけれど、美味しいんです〜♪
高級レストランなのに、お客さんが一杯。
「ただいま1時間待ちです」なんて言ってます。
ご両親が個室を予約してくださっていたのは正解でした。 -
これは佐賀牛の握り。
牛肉の甘みと薬味の酸味がマッチして、例えようもない美味しさです。
孫はお医者さん以外ではこれが生まれて初めてのお出かけになります。
クーファン(赤ちゃんの移動用寝具)に寝かせ、その横で私たちはごちそうを食べます。
赤ちゃん、匂いだけおすそ分けね〜。 -
サラダ。
サラダにも牛肉のたたきが乗っています。
海草のプチプチ感がたまりません。
特製ドレッシングがとても美味しかったです。 -
夏をイメージした前菜。
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こちらはじいじばあば世代が注文した佐賀牛赤身のせいろ蒸し。
蒸した野菜の上に薄切り牛肉を乗せて蓋をし、さらに蒸します。 -
蒸し上がったら、お肉で野菜をくるむようにして、ごまだれとポン酢だれにつけて食べます。
とても美味しかったので、いずれ家でも似たようなものを作ってみようと思いました。
もっとも、良いお肉でないとこの味にはなりませんけどね。 -
こちらは若夫婦が注文したフィレステーキ。
すばらしいお肉。
食べやすい大きさにすでにカットしてあるので、自分で焼いて食べます。
孫はお腹がすいてきたのか、ぐずぐず泣き始めました。
いい匂いばかりさせて、ごめんよ〜。
赤ちゃんには佐賀牛はまだ早いからね〜。
とか何とか言いながら、抱き上げて気をまぎらわせます。
赤ん坊が家族に一人いると、話題の中心は赤ん坊になりますね。
赤ちゃんをめぐってみんなにこにこ。 -
デザート。
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食後のコーヒー。
酸味があって美味しいコーヒーでした。
特に確かめた訳ではありませんが、佐賀ではこういった器はご当地の名物、有田焼を使っていることが多いようです。
いやぁ、美味しゅうございました。
ごちそうさまでした。
帰りはお父様の車を借りて息子夫婦がホテルまで送ってくれました。 -
孫の様子を初めて見て、なんだかすごく安心しました。
退院後も新生児黄疸がなかなか収まらず、再入院したり何度も検査を受けたりしていたからです。
レモンちゃんもご両親もさぞかし心配されたことでしょうが、もうすぐ一か月検診。
それが済めば、ひと安心です。 -
ホテルの湯呑みセットもおそらく有田焼です。
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部屋の窓からお堀がライトアップされているのが見えました。
正面に見える2棟の建物は佐賀県庁です。
奥の高い建物の最上部は展望所になっていて、土日でも開いていると調べて来ました。
4トラベラーとしての私の好奇心がうずうず。
明日時間があれば、ぜひ上ってみたいです。
早めにベッドに入り、朝までぐっすり眠りました。 -
翌朝の朝食ブッフェ会場、レストラン「ロータス」。
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和食、洋食、シリアルなど充実した内容です。
私は洋食を中心に取りました。
いつもならブッフェの時はパンは控えめにしておくのですが、ここでは美味しそうなパンがたくさん。つい大きなパンを取ってしまいました。
夫も大きなパンを2つも取ってしまい、それはそれで美味しかったのですが、パンだけでお腹が一杯になってしまい、失敗した〜と言ってました(笑)。 -
目玉焼き、オムレツ、ポーチドエッグ、ゆで卵は注文して作ってもらいます。
私たちはオムレツ。
中はとろとろ〜。
自分ではこうはいきません。 -
ホテルは佐賀城のお堀のほとりに建っているため、ロビーもレストランも借景でこのとおり。
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ロビーには有田焼の名品が飾られています。
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こちらはロビーの壁に飾られていた鍋島緞通。
佐賀鍋島藩の秘伝工芸として江戸時代から伝わる緞通だそうで、たいへん高価なのだそうです。
ホテルやレストランを見ただけですが、佐賀県は県民挙げて県の産業振興に力を入れているという印象を持ちました。
千葉県のホテルではこういうことはあまり見ないような。
というか、千葉県には誇れる陶磁器や織物がありませんからね。
牛肉も無いし・・・。 -
朝食後、ホテルの近くを散策しに出かけました。
結構蒸し暑い。
佐賀城のお堀に沿って南へ歩きます。
立派なお堀です。
幅が広い〜。
場所によっては皇居のお濠より幅広い部分もあります。 -
この建物は鍋島緞通吉島家本社で、中には緞通ミュージアムやショールームがあります。
見学できるそうなのですが、まだ朝早いため、オープンしていませんでした。 -
90度曲がって南堀にさしかかると、一面のハス畑が広がっていました。
私はハスの葉も花も大好き。
ハスを見るとテンション上がります。 -
ぷっくりふくらみ始めた蕾。
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ハスは午前中に咲くと言います。
朝来て良かった〜♪ -
県立博物館・美術館の裏に「古賀忠雄彫刻の森」という公園があり、古賀忠雄氏の26の彫刻が野外展示されていました。
これは作品の一つ、「晴間を待つ」(1974年)。
通り抜けができるようなので、数々の彫刻を見ながら森を通ってホテルへ戻りました。
ホテルへご両親が車で迎えに来てくださり、昨日に続いて再びおうちへ。
孫は、首はまだぐらぐら、手足もぶらぶらで、この時期の赤ちゃん特有のかわいらしさがあります。
孫との時間を楽しみ、全員で写真を撮ったりしました。 -
昼食は部屋を予約しておいてくださった「本庄うなぎ屋」へ。
これは「特せいろ蒸し」です。
普通のうな重もありますが、こちらではうなぎはせいろ蒸しにすることが多いのだとか。
ふんわりしていて美味しい。
ご飯も炊き込みになっているようです。
1.5人前ぐらいの分量がありました。
ごちそうになってばかりで恐縮です。
とても美味しくいただきました。 -
午後は息子夫婦・孫とは別れ、ご両親が車で市内を案内してくださいました。
やって来たのは旧長崎街道の柳町界隈。
この辺りは明治や大正時代の銀行や民家が並ぶ景観保存地区で、「佐賀市歴史民俗館」としていくつかの建物が一般公開されているのです。
すばらしいのは、それらの建物の見学がすべて無料だということ。
観光客にとって、こんなにありがたいことはありません。 -
おおー、さすが〜!
ここのマンホールのふたの絵柄はムツゴロウです。 -
この洋館風の建物は旧古賀銀行です。
明治18年(1885年)、両替商だった古賀善平によって設立された銀行。
一時は九州の5大銀行の一つに数えられるまでに成長しましたが、大正15年、恐慌により休業に追い込まれました。
この建物は大正5年頃、古賀銀行が最も輝いていた頃の姿に復元されているそうです。 -
中へ入ってみました。
1階は「浪漫座」というレストラン&カフェになっているのですが、この日はオカリナコンサートが開かれていました。
和洋折衷の建物が素晴しい。
銀行というからには昔は1階にカウンターなどがあり、2階からは仕事やお客さんの様子を眺めたのでしょうね。 -
2階の一部屋。
ここはおそらく頭取室だったのでしょう。 -
天井が凝っています。
木を編み込んで張った網代天井が和風で、和洋折衷の感じがします。 -
ここは会議室だったのでしょうか?
なんて、ご両親と話しながら見て回りました。 -
旧古賀銀行の斜め向かいにあった白壁の家。
こちらは「旧中村家住宅」と書いてあります。
明治18年、もともとは古賀銀行の社屋として建てられた建物で、後に中村家の住宅として利用されたのだそうです。 -
門構えも立派な堂々たるお屋敷。
古賀銀行創設者の古賀善平氏の家「旧古賀家」です。
残念ながら改装中のため、この時は見学ができませんでした。 -
「旧牛島家」
佐賀城下で最古、江戸時代に建てられた築300年の町屋建築だそうです。
もともと別の場所にあった建物を移築してきたもの。 -
ここは内部が見学できました。
もとは問屋業や煙草仲買商・海陸運送店、油商が営まれていたそうです。
奥へ続く長い土間が商家の雰囲気を感じさせます。
この日は何かの写真撮影隊が来ていました。 -
奥へ行くと中庭があり・・・
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さらに奥には土蔵がありました。
奥に長い造りは京都の町家に似ています。 -
最後に見学したのが「旧三省銀行(きゅうさんしょうぎんこう)」です。
建物は白壁に銅板窓の土蔵造りになっています。
外観は素朴な造りに見えたのに・・・ -
中へ入ると、広くてびっくりしました。
三省銀行は明治15年に設立され、最初は一般銀行業務ではなく米相場取引を行っていたそうです。
その後、普通銀行業務を行うようになりましたが、しだいに投機師専門の金融機関と化し、貸し付け資金の大部分が回収不能となって明治26年に倒産したということです。 -
3か所に階段がありました。
そのうちの一つを上って二階へ上がってみると、和洋折衷の広間が。
ここではパーティーを開いたのでしょうか? -
2階にはまた大広間のお座敷もありました。
いったい何十畳あるでしょう?
宴会を開いたり、大勢が一度に宿泊したりできそうです。 -
吹き抜けから下を見る。
-
ひょうたんをかたどった釘隠し。
旧三省銀行はなかなか見ごたえがありました。 -
佐賀の歴史が感じられる建物を見学した後は、佐賀県庁12階にある展望ホールへ連れて行っていただきました。
うわー、眺めがいいです〜♪
周り360度すべてが見渡せます。
高層建築の少ない佐賀県では、県庁舎が最も高い建物なのだそうです。
この日は日曜日。
県庁はお休みなのに、展望ホールは見学可。
しかも料金は無料です。
これは東側の眺め。
白い反った屋根の建物は市村記念体育館。
佐賀出身の元リコー会長、市村清氏が私財を投じて建設、佐賀県に寄贈したものだそうです。
その左手前が県立図書館です。 -
南側。
遠くに有明海が見えました。 -
南西方向。
この写真はズームしていますが、佐賀城の「鯱(しゃち)の門」と「佐賀城本丸歴史館」の瓦屋根が見えます。 -
北側。
JR佐賀駅方面になります。
お堀の向こうの白い建物は佐賀県警察本部です。 -
展望レストランで休憩。
冷たい飲み物をごちそうになりました。
窓の向こうは西側の眺め。
お堀の向こうに私たちが泊まったホテルニューオータニ佐賀が見えます。
アイスコーヒーとホテルが一緒に入るように狙って写真を撮ってみました。 -
最後に佐賀城の門まで車で送っていただきました。
滞在中、ご両親には何から何までお世話になり、本当によくしていただきました。
感謝しつつお別れして、ここからは自分たちで観光します。
これは「鯱(しゃち)の門」と「続櫓(つづきやぐら)」。
1838年(天保9年)、佐賀藩10代藩主、鍋島直正(なべしまなおまさ)によって本丸御殿再建と同時に建設されました。
当時の姿を残す国の重要文化財です。 -
重厚で立派な「鯱の門」。
1874年(明治7年)の佐賀の乱でも焼失を免れました。
門扉には銃弾の跡が残っているそうです。 -
門をくぐって中へ入り、内側から見た「鯱の門」。
屋根の左右に青銅製の鯱(しゃちほこ)がついていることが名前の由来です。 -
佐賀城本丸歴史館。
佐賀城本丸御殿の一部を復元した施設です。
すばらしいです。
城跡と言っても、建物が残っていないと物足りないもの。
こういう施設があるからこそ、私たちが昔の様子をしのぶことができるのです。
しかもこの施設、入場は無料です。
そう言えば、有明海干潟の双眼望遠鏡も無料、市内の歴史建造物も無料、県庁展望ホールも無料でした。
佐賀空港の駐車場も無料だということです。
観光用の駐車場もすべて無料でした。
佐賀県、太っ腹〜。 -
来館者には外国人も多いようで、パンフレットも何か国語かそろっていました。
ここは藩の公式行事が行われた外御所院。
廊下だけでもこんなに立派。
45メートルの長さがあります。
足の裏に畳が心地良いです。 -
一之間、二之間、三之間、四之間に廊下を合わせると、320畳もの広さになるそうです。
-
本丸歴史館の模型。
これで見ると、復元されているのは本丸の一部なんですね。
江戸時代の本丸はこの模型からわかるように、もっとずっと広かったようです。
昔の遺構を保護するため、もともとの礎石を砂の層で覆い、コンクリート製の耐圧板を敷いた上に復元建物が建てられています。
そのため、復元された建物は当時の建物より80センチ高い位置に建っているのだそうです。 -
本丸御殿を3D画面で探検できる「バーチャル佐賀城」。
これ、レバーとボタン操作に慣れていないと思うように進めないので、大人より子供の方が上手。
城攻略ゲームのような画面なので、慣れてる私はすいすい進めて問題なし。
夫はなかなか進めず苦労していました。
進むにつれて襖が開き、本丸御殿の隅々まで3Dで体験できます。
なかなか面白かったです。 -
藩主鍋島直正の居間として建てられた「御座間(ござのま)」。
この部分だけは天保期の建物です。
梁や柱が年月を経た色をしています。 -
寺子屋風の部屋。
コンピューターで○×クイズやゲームが楽しめるので、小学生に大人気でした。
他に、開催中の特別展「よろいとかぶとー甲冑入門ー」も見ました。
本丸歴史館はとても立派な施設でした。
入館料が無料というのが信じられません。
600円とか800円とか徴収してもいいぐらい充実した施設です。
感動したので、寄付ボックスにわずかながら募金して来ました。 -
佐賀での観光の最後は県立美術館へ行きました。
ちょうど「ピカソ展 ルートヴィヒ・コレクション」を開催していたのです。
ピカソ展を見たいということもありますが、目的のもう一つは涼むためです。
美術館なら涼しいはず。
佐賀へ来て初めて観覧料を払いました。 -
ポスターの絵は「銃士とアモール」(1969年)。
ピカソ90歳を目前にした頃の作品です。
赤、青、黄の原色に白、黒・・・
この年齢にしてなおほとばしるような情熱を感じます。
「ピカソ展 ルートヴィヒ・コレクション」はドイツ、ケルンのルートヴィヒ美術館所蔵のピカソ作品を中心にした展覧会です。
全国を回って、この時は佐賀で開催されていました。 -
「手を組んだアルルカン」(1923年)
私はこういう穏やかな絵が好きです。
ピカソは多作で知られています。
91歳で亡くなるまで作風をどんどん変えながら10万点以上の作品を制作したと言われています。
油絵が有名ですが、本展では油絵の他に素描、版画、彫刻、陶器などが展示されていました。
また、有名な写真家によるピカソ本人を撮った写真も多数展示されていました。
どの写真においても眼光鋭いピカソの姿は絵になっていて、ピカソ自身、実に魅力的な被写体だったということがわかりました。 -
「アトリエにて」(1964年)
ピカソ83歳の作品。
手にパレットを持ちモデルを前にしたピカソ自身を描いた絵です。
来場者の層はバラエティに富んでいました。
東京での展覧会に比べ、家族連れや子供さん連れが多く来場しているという印象を持ちました。
幼い頃から美術に親しませる・・・良いことですが、ピカソ展は小さい子供さんにはちょっとわかりにくいかもしれません。 -
常設展、OKADA-ROOMも見ました。
佐賀出身の画家、岡田三郎助(おかださぶろうすけ)や彼が影響を受けた画家の作品が展示されていました。
観覧は無料ですが、内面の美をにじませる女性の絵の数々・・・これがとても良かったです。
ポスターの絵は、上が「花野」(1917年)、下が「清楚(少女)」(1907年)。 -
ところで、入口を入って左側にパリのオルセー美術館と同じベンチを発見!
オルセー美術館で採用されたベンチは日本人アーティスト吉岡徳仁氏の作品です。
でも、いったいどうして、それがここにあるのでしょう?
調べてみると、吉岡徳仁さんは佐賀県出身なんですね。
たいへん美しいガラスのベンチで、オルセー美術館では休憩や座って鑑賞できるように上階展示室のあちこちにこのベンチがあるのです。
ここでも実際座ってよいベンチとして設置されていました。
もちろん、しっかり座って来ました。
美術館内は作品保護のため、非常に冷房が効いています。
佐賀観光の最後にちょっと涼めたら、なんて思っていたのに、涼むどころか体が冷え切りました。
外へ出たら、夕方になって涼しくなっていました。
美術館博物館前から空港へのアクセスバスに乗りました。
バスは佐賀発の飛行機便に合わせて運行しているのです。 -
佐賀発19:40の春秋航空IJ604便で帰ります。
帰りはオンタイムで出発。
47都道府県の魅力度ランキング2015で佐賀県は下から2番目の46位とのこと。
最下位の茨城県民が佐賀県を評して「茨城県は『最下位』という特徴づけができるけど、下から2番目の佐賀県は印象に残る特徴がない」なんて冗談で張り合っているのをテレビで見ました。
でも、実際に見た佐賀県はたくさんの魅力的な点がありました。
今回行った所では佐賀城跡や有明海の干潟。
今回行けませんでしたが、吉野ケ里遺跡や武雄温泉、嬉野温泉、唐津。
特産品では有田焼、鍋島緞通、佐賀牛、うなぎ・・・タマネギも美味しいそうです。
バルーンフェスタも有名で、今年2016年10月末〜11月初めには佐賀市で第22回熱気球世界選手権が開かれることになっていて、市民県民の期待が高まっているのが感じられました。 -
21時25分、予定どおり成田へ帰って来ました。
孫をたずねて一千キロの旅でしたが、飛行機の直行便を使えば2時間程度。
意外に近いです。
一泊2日でレモンちゃんご実家を訪問、孫と触れ合い、佐賀名物のお料理をごちそうになり、観光まですることができました。
充実した旅になりました。
思い切って行って、本当に良かったです。
次に孫に会えるのは次男夫婦が東京へ戻って来てからになります。
赤ん坊はどんどん変わっていくもの。
成長した孫に会うのを楽しみにしています。
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