2016/05/02 - 2016/05/02
6位(同エリア16件中)
地中海人さん
2016年5月2日レバノン2日目は、レバノン北部カディーシャ渓谷にあるキリスト教徒の街・ブシャ?レから南下して首都ベイルートへ向かい(126キロ)、途中、カディーシャ渓谷にあるレバノン杉の森と聖アントニオ修道院、世界最古の街・ビブロス遺跡を散策しました。
主な日程
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2016年
4月30日(土) カタール航空QR-807便 成田発22.20発
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5月1日(日) ドーハ着03.20 JAL FOP 1,543
QR-424便ドーハ発08.30 ベイルート着12.25 JAL FOP 340
専用バスでドッグリバー、ジェイダ洞窟へ
ブシャーレ ホテルシャバット泊 、
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★ 5月2日(月)レバノン杉の森、聖アントニオス修道院 ビブロス遺跡
ベイルート グランドスイーツホテル泊
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5月3日(火) シドン、ティールの遺跡巡り
ティール アブディールホテル泊
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5月4日(水) ダルエルカマル村、ニハの神殿、クサラのワイナリー
シュトゥーラ シュトゥーラパークホテル2泊
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5月5日(木) バールベック遺跡
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5月6日(金) 午前中休養
午後 ベイルート国立博物館 旧市街、繁華街散策
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5月7日(土) ベイルート空港 QR419便01.30発ドーハ着05.00 JAL FOP 340
ドーハ空港 QR-812便07.05発 羽田空港着22.45 JAL FOP 1,543
羽田東急ホテル泊
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西遊旅行のツアー
添乗員のSさんはモロッコ在住経験があるアラビア語の使い手、中東をこよなく愛している。帰国後頂いた40頁のレポート(※2として引用))も素晴らしい。
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レバノンの査証
成田空港のカタール航空カウンターで「レバノンの入国ヴィザは?」と問われたら「現地で」と、答えるよう添乗員に指示された。
ベイルート空港のイミグレでは、パスポートと入国カードを提示しただけで、ヴィザの書面申請、代金支払いをした記憶はない。(後日添乗員さんからのレポートによると、パスポートにレバノン杉の描いてあるスタンプの押印のみだという。)
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通貨
レバノンポンドは全く使用せず。あらゆるところ(国立博物館売店でも)でUSドルの少額紙幣が通用している。
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表紙写真は、ビブロスの遺跡と街
スマホ エクスペリアZ1とキャノンEOS M3
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ガイドブック
「なるほど ザ・レバノン 最新版98 124頁 発行 日本・レバノン友好協会」(-※1として引用)。
現地ガイドから頂いた。
「シリア・レバノンを知るための64章」 赤石書店 2013年8月発行
[報道されない中東の真実] 国枝昌樹著 朝日新聞出版 2014年8月発行
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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2016年5月2日(月) カディーシャ渓谷 レバノン杉保護公園(3キロの遊歩道がある)入口。
ブシャーレから車で15分。まだ開かず、前の道路を散策。 -
若者たち7,8人に囲まれ写真を撮ったが、ヒズボラに共鳴しているというので南部から観光に来たのでしょう。
この写真に写っていないが、シリア領山岳地帯での自撮り写真を見せてくれた若者も。 -
奥にあるもう一か所の入り口から入る。
この木がパスポートのモデル。成長が非常に遅く樹齢4000年以上。
かつては、カディーシャ渓谷はレバノン杉で覆われ、フェニキア人は、この杉を利用してギリシャ人に先立ち地中海に乗り出し、主な輸出品とし、繁栄し、その後の地中海の歴史に密接にかかわり、その転回を他地域よりも早めるきっかけを作ったことでしょう。 -
カディーシャ渓谷
残雪が望めるよい季節でした。
この50キロに及ぶ峡谷の一番高い山・レバノン最高峰サウダ山(3088m)は専用バス走行中に見えなかった。 -
松ぼっくりが落ちていないか探して歩く。
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レバノン杉は「科・マツ科、属・ヒマラヤ杉属、種・レバノン杉」で、杉ではなくマツの一種です。松ぼっくりが4年に一度地中に落ちる。塩分と水分により種子が成長するが、生育に非常に時間がかかるという。
種としては非常に古くからある。とここで、新疆ウイグルの胡楊もそうだったかと思い当たる。 -
地元の子供たちが、空手の練習中でした。
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造船、寺院、墓に利用され、エジプト人は樹脂をミイラ製造に使っていたという。
アッシリア人、バビロニア人、ペルシャ人がレバノン杉目当てに遠征してきた。
オスマントルコ時代に至って森はほとんど破壊され、イギリスはトリポリとハイファを結ぶ鉄道枕木とした。 -
これも樹齢4000年以上とか。
現在1200本残るのみという。
なにしろ、最初に杉の保護を試みたローマ皇帝ハドリアヌスの記録がある、というから保護の歴史も年期が入っています。 -
カディーシャとは神聖なという意味とのこと。この渓谷は、初期マロン派(アラビア語でキリスト教儀礼を行う。)の司祭たちの隠遁の地であったことからそう呼ばれる。
コズバイヤ村にある聖アントニウス修道院にやってきました。個人旅行でははずしてしまうところです。
修道院の農地。
昔はカディーシャ渓谷は到達しがたいところで、道もほとんどなく、初期のマロン派が迫害を避けるためここに移住したのでしょう。 -
精神の病を治療したといわれている「気違いの洞窟」。
悪魔払いのため狂人たちが足かせをはめられていたという。 -
修道院礼拝堂入り口
色の薄い石と濃い石で作られている、後期オスマントルコのキリスト教建築。古い時代の基盤の上に1864年に建てられた。 -
アラビア語で儀礼が行われています。全員アラブ人のキリスト教徒です。
マロン派はシリアとレバノンにのみ存在するという。
ヨーロッパ人の観光客は見かけなかった。 -
かつては数多くの隠遁者の洞窟があった。
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修道院は裕福だったという。
博物館にはヨーロッパから運ばれた中東初の鉄製印刷機が陳列されていた。
ここで1585年に初めて東方古代ギリシャ語で詩編が印刷されたという。 -
この日は、ベイルートからの小型バスが多く、聖人の祝祭かなにかがあったのでしょう。
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聖アントニウス修道院から1時間15分走り、ビブロスでのランチは、MARENAレストラン。
メッザはすばらしく、味は全て日本人に合うものです。 -
十字軍の要塞跡と海を見ながらテント付きテラスで。
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シーバス(スズキの一種)
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デザート。
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レバノンの海岸線は225キロ。北からトリポリ、ビブロス、シドン、ティールとフェニキア人が作った貿易港があった。
ビブロスは、聖書ではゲバル、現在はジュベイルという。
レストランから徒歩で行ける十字軍の要塞はフェニキア時代からの港にあり、現在は漁港としてそのまま利用されている。 -
円柱4本の向う側にビブロス遺跡の入り口
手前左に行くと旧市街の商店街。 -
十字軍の城跡です。12世紀。
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現ビブルスは遺跡の上にある。
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フェニキア人はここからレバノン杉を輸出し、エジプトからパピルスを輸入し、ギリシャへ転売していた。
ギリシャ語で本をビブルスと言うとか。 -
先史時代、フェニキア時代、ローマ時代の遺跡が積み重なっており、妄想をたくましくして、地図と照らし合わせてみるが、なかなかイメージがつかめない。
7000年以上前からセム語系の人達が住み、前3000年の初めには東部地中海の木材貿易センターとなって、交易の富により、前2800年頃にビブロスの女神にささげられた神殿、その100年後には男神に捧げられたL神殿が建設された。
(アーリア人が前2500頃中央アジアから移動開始し、アナトリアやギリシャに到達したのは前2000頃、インダス川上流に達したのは前1600年頃と言われています。) -
7000年にわたり10ヘクタールの街に住み続けたので、12m、12,3層の文化層があり、特定が難しい。
オベリスク神殿は、レシェフ神殿の上に建てられていたので、考古学者によって発掘後そっくり移動したと言う。 -
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十字軍の城壁から
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十字軍の城壁から
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十字軍の城壁から
夾竹桃が満開でした。 -
遺跡のカルドが街までまっすぐ伸びていた。
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BC7500-4000年 後期石器時代にレバノンを含む肥沃な三日月地帯にホモサピエンスが農耕して定住するようになる。
BC4000-3000年 青銅器時代 ビブロスやイスラエルのジェリコに小さな町が生まれた。紅海にフェニキア人が現れる。
BC3000-1570年 フェニキア時代 フェ二キア人(カナン人。フェニキアはギリシャ人の命名)は地中海沿岸にいくつもの独立国家、植民地を築く。
この写真はBC3000年頃ビブロスの街並み復元模型。 -
小さな博物館にあるフェニキア文字とアルファベットの対照ボード。
エジプトとの密接な関係から当初はヒエログリフを使用していたが、商業的記録には適さず音標文字を開発したのでしょう。
ここビブロスからフェニキア商人によってアルファベットが普及していった。パピルスのシートを重ねたものがビブリオン、聖書・バイブルの語源がビブロスだという。 -
竪穴の底に横穴があり墓としたものだ。
イランのチョガザンビル近くの墓地の構造に似ています。
ここの発掘品は、ベイルートにある国立博物館に収められている。 -
この建物の人が立っている地面下の土地を発掘したのでしょうね。
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王家の墓
多くの墓が盗掘されていたが、前1200年の「アヒラムの石棺」に初期のアルファベットが記されていた。「嘆きもがお前たちを待っている」と墓泥棒を予想して、フェニキア人の呪いの言葉が彫られているという。 -
ローマ時代3世紀の劇場跡も一部のみ、座席は3分の1ほど、考古学者によって移動され復元されています。
最前列に穴があり、そこにポールを建てて天幕を張って日差しを避けたのでしょう。
ローマ時代の石造建築物は、そのほとんどが十字軍時代に作られた城壁の材料となったと思われる。 -
ここは、もう一度個人で訪れ宿泊してじっくり見たいところですが、いつのことやら。
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遺跡入り口前の街歩きです。
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お土産屋さんが並んでいます。
ここで、初めてフランス人観光客に出会う。レバノンはフランスの旧植民地だったので、店の名前や遺跡解説文にフランス語が用いられていることが多い。添乗員さんは現地の人はフランス語をほとんど解さず、やはり英語が通用しており、現に現地ガイドは英語ガイドだ。
目下レバノンの敵はイスラエル。そのイスラエルを擁護するアメリカも嫌われているというが、USドルが大いに通用しているのはシリアと同様だ。 -
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この後、標高600メートルにあるマロン派のハリッサの教会からジェ二エの街を眺め、ベイルートのイタリアンレストラン・EL FORNEYOで夕食。
ホテルはベイルート一の繁華街のはずれにあるGRAND SUITE ホテル。
翌日は、ヒズボラ支持者が多く住むレバノン南部、ティール遺跡を訪問します。
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この旅行記へのコメント (1)
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- のまどさん 2017/01/30 00:44:10
- フォローありがとうございます
- 地中海人さん、こんにちは。
拙ポーランド旅行記に多数ご投票いただき、またフォローいただきありがとうございます。
ハンドルネームの通り、地中海に思い入れがあるんですね。
地中海沿岸にあるレバノンは中近東にありながらキリスト教徒が多数などユニークですよね。どの国の外務省も警告を出しているので、旅行記は興味深いです。
ビブロス遺跡の写真からやはり地中海文明に属しているんだなと思いました。その他国土が岐阜県と同じとかレバノン杉は松というのは初耳でした。
私のブログの更新はいつも遅く、万人受けしない濃い内容になっていますが、末永くお付き合いくだされば幸いです。
今後の更新を楽しみにしています。
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