2016/04/30 - 2016/05/07
39位(同エリア265件中)
地中海人さん
レバノンは山国だった。砂漠はない。
岐阜県ほどの小さな国に3000m級の山脈が二つ(ベイルートの南北48キロメートルに伸びるレバノン山脈とシリア国境沿いに走るアンチレバノン山脈)縦に走り、その間の標高1000前後の長さ176キロ、幅15キロ、アフリカの大地溝帯の北端であるベカー高原を太古の昔からホモサピエンスが行き交ったのでしょう。
野菜や果物が豊富なので、料理は前菜が素晴らしく、肉や魚料理も全く日本人に合う食事でした。
一部に危険な地もあるようだが、現在治安はよい。
アラビア語を話すアラブ人が、マロン派キリスト教徒、スンニ派、シーア派など細かく分けると18派にもわかれて国を作っている、ということを、レバノンを初めて訪問して知った。
ここも「文明の十字路」の多大な恩恵と悲惨な歴史が積み重なり、現在のレバノンという国が作られたのか。
人口密度が高く、人口の3倍の人達が国外に住む。
主な日程
2016年
★ 4月30日(土) QR-807便 成田発22.20発
★ 5月1日(日) ドーハ着03.20
QR-424便 ドーハ発08.30 ベイルート着 12.25
専用バスでドッグリバー、ジェイダ洞窟へ
ブシャーレ ホテルシャバット泊 、
5月2日(月)レバノン杉の森、聖アントニオス修道院
ベイルート グランドスイーツホテル泊
5月3日(火) シドン、ティールの遺跡巡り
ティール アブディールホテル泊
5月4日(水) ダルエルカマル村、ニハの神殿、クサラのワイナリー
シュトゥーラ シュトゥーラパークホテル2泊
5月5日(木) バールベック遺跡
5月6日(金) 午前中休養
午後 ベイルー?国立博物館 旧市街、繁華街散策
5月7日(土) ベイルート空港 QR419便01.30発 ドーハ着05.00
ドーハ空港 QR-812便07.05発 羽田空港着22.45
羽田東急ホテル泊
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西遊旅行のツアー(現在レバノンツアーはこの旅行社のみ?)
添乗員のSさんはモロッコ在住経験があるアラビア語の使い手、中東をこよなく愛している。帰国後頂いた40頁のレポート(※2))も素晴らしい。
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VISA
成田空港のカタール航空カウンターで「レバノンの入国ヴィザは?」と問われたら「現地で」と、答えるよう添乗員に指示された。
ベイルート空港のイミグレでは、パスポートと入国カードを提示しただけで、ヴィザの書面申請、代金支払いをした記憶はない。(後日添乗員さんからのレポートによると、パスポートにレバノン杉の描いてあるスタンプの押印のみだという。)
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通貨
レバノンポンドは全く使用せず。あらゆるところ(国立博物館売店でも)でUSドルの少額紙幣が通用している。
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写真は、バールベック
スマホ エクスペリアZ1とキャノンEOS M3
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ガイドブック
「なるほど ザ・レバノン 最新版98 124頁 発行 日本・レバノン友好協会」-※1として引用。
現地ガイドから頂いた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
ドーハ空港
2016年4月30日
成田空港をカタール航空QR807便22.20発、ソウル、北京、イスラマバード、ホルムズ上空を通過しドーハ着は翌5月1日現地時間03.20頃だった。
夜行便のエコノミー席はしばらくぶりで、かなりこたえた。
ドーハ空港は初めて。空港建物内のモノレールは試運転中で、到着ゲートからAとDホールまでかなり歩く。 -
ドーハ空港
ドーハ空港の朝のラッシュは6時頃からのようで、4時過ぎからトランスファー客が大勢。 -
ドーハ空港
このエスカレーターを上がるとカタール航空ラウンジがあります。カタール航空のCAさんの制服を着た係員が待ち受けています。
この反対側にもうひとつラウンジがあり、まずワンワールドのサファイアカードを提示したところ、断られた。プライオリティーカードは提示しなかった。 -
ドーハ空港 カタール航空のラウンジ 4時ごろ。
6時ごろから混みだした。 -
5月1日(日)
ドーハ空港から4時間弱(アンマン上空を通らずにエジプト上空を迂回して)でベイルート空港に12.25着。
早速専用バスにてブシャーレに向かう途中のベイルート市内。
内戦の爪痕は如何にと、街路を見渡す。
ベイルート(古名ビロット、セム語で井戸に由来。フェニキア人が活躍した港町・べりタスとも呼ばれた。)は5000年の歴史がある。
カナン人(フェニキア人)の町として繁栄した。
これまで何度繁栄と破壊を繰り返したのか。
フェニキア人、アッシリア人、バビロニア、ペルシャ、ギリシャ人、ローマ、ビザンチン、アラブ人、十字軍、エジプトのマルムーク朝、オスマントルコ,フランス。
モンゴル人もここまで到達している!。 -
かなり復興していますね。
SOLIDEREが独占して、復興事業を強引に進めたようです。
アラブ人、しかもラテン系よりも独立独歩を貫く気性の、近隣の国々に比べるとけた外れに多くの宗派に分かれ、そしてまた岐阜県ほどの狭い国土に密集している。
従って、国会議席は、宗派ごとに議席数が確定しており、マロン派キリスト教徒から大統領、イスラム教徒から首相と、出身母体も固定している。
現在マロン派内がもめていて大統領は空席のままだ。消費税10%で、所得税3%、累進課税なしのなで、ベンツやBMBが多く走る。、 -
ドッグリバーにやってきました。
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古代はここまで海がせまり、エジプトとメソポタミアの交易ルートだったのでしょう。
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古代から、征服者などがこの辺一帯に、記念碑を建てたものです。
ラムセス?から20世紀の将軍まで、名のある人たちは自分の足跡の証拠として石碑を建てたくなるのでしょうね。
ハドリアヌス帝も巡行したはず、と目を凝らすが見当たらない。 -
1920年7月25日にフランス軍の将軍が訪れたようです。
バビロニア王の碑文、2000年の「イスラエル軍撤退の記念の碑などがある。 -
ラムセス?が残した壁画、アッシリア王の壁画だという。
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ナポレオン三世の記念碑がラムセス2世の記念碑の上に建てられている?
(私の妄想
ラムセス2世は、BC1285年頃、カデシュの戦いの際にここから上陸(あるいはここから退却?)した?
ヒッタイト帝国はアナトリアからメソポタミア、シリアまで鉄器技術により制覇していた頃。) -
ジェニエの海岸沿いのレストラン・LA MAKHALOFでランチ。
前菜、ミックスグリル、フルーツ。
中段4皿の左1皿目は、「ホンモス・ビ・タヒーニー」
ひよこ豆のつぶしたものにタヒーナ(白ごまのペースト)
左から3皿目は、「ムタッバル」、
タヒーナになすを加えたもの
右1皿目は、「マハシー」
味付けは酸っぱく、中にお米や野菜をブドウの葉で巻いたもの。
以上はレストランで毎回でた。(コメントは※2) -
レバノンは山国で、平地が少なく、なだらかな丘には街が作られています。 -
ジェイダ洞窟
内部は撮影禁止。入り口でカメラ、スマホをロッカーに。
田部井さんはエッセイ(※1)で「天地創造を目の前二叩き付けられたような自然の神秘さと威力に思わずひれ伏したくなる程の感動があった」と語っているが、本当に文字通りであった。
立派な鍾乳洞、内部はかなり広い。 -
上下の洞窟間を往復する。
下層の鍾乳洞には623mの湖があり、ボートで遊覧できる。(四月初旬は水量が多くボートが出せないことがあるという。)
べイルートの東近郊(30分)にあるので、夏は涼みに来る市民が多いとのこと。 -
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ブシャッレ村 シュバ-トホテル(以下3枚は翌2日朝の写真)
レバノン訪問初日はベイルート北東レバノン山中カディーシャ渓谷(世界遺産)ブシャッレ村にあるシュバットホテルに宿泊。我々ツアー客9名ほかに日本人1名。
スキー場まで車で15分、シーダーズ(レバノン杉の森)カディーシャ渓谷観光の基地として利用されているスキーロッジ風の客室40室のホテルだった。
田部井さんが1997年5月初旬レバノン最高峰サウダ山(標高3100m)に登頂する際は、このホテルのオーナーがガイドを勤めた。 -
カディーシャ渓谷
段丘の向い側には滝(10か所ある。)、稜線の山襞には雪も残る。スキーシーズンは12月から3月。
4月まで道路脇に雪が残る、中東のリゾート。 -
カディーシャ渓谷
ブシャッレは、フェニキア人には「空の女神の家」として知られていたという。古代から風光明美な町だったのでしょう。
エルバナー滝では紀元前から儀式のため若い女性が身を清めたという。
5月2日は世界最古の町ビブロスを訪問します。
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