2016/05/14 - 2016/05/14
104位(同エリア179件中)
t.oさん
駅からハイキング「真鶴の歴史ロマンを巡る旅?源頼朝の軌跡?」に参加しました。
有名な観光地・箱根と熱海の間に挟まれ、行楽では素通りされがちな真鶴半島。実は、海あり原生林ありと大自然豊かであり、歩いても半日で半島を一周できるという、ウォーキングには最適なコースであります。しかも歩行後は真鶴漁港の海鮮グルメや隣駅の湯河原で日帰り温泉も満喫できるという隠れた穴場スポットでもあります。そんな真鶴には意外と知られていない「源頼朝」の伝承が存在します。今回は源頼朝がたどった道を歩きながら、楽しいハイキングの1日を送りました。
起点駅・集合時間:神奈川県JR東海道本線真鶴駅 10時
歩行距離・所要時間:約8.0km 約3時間
今回のコース:
今回はその他の見所も見逃すまいと、駅ハイ設定コース以外の半島岬エリアも巡る充実企画でした。
(日帰りという時間の制約上、ところどころタクシーやバスも使用)
真鶴駅→真鶴町観光協会駅前観光案内所(スタート)→(タクシー移動)→お林遊歩道→ケープ真鶴→三ツ石海岸→(バス移動)→貴船神社→鵐窟(しとどのいわや)→真鶴産業活性化センター→背戸道(せとみち)→謡坂(うたいざか)→源頼朝船出の浜(岩海岸)→如来寺跡(にょらいじあと)→瀧門寺(りゅうもんじ)→兒子神社(ちごじんじゃ)→岩忠(食事)→真鶴駅(ゴール)
歩行後のお酒とごはん:岩忠
http://www.iwachu.jp/
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- タクシー JRローカル 徒歩
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今回は真鶴駅からスタートです。
駅ハイ設定のコースだけでなく、真鶴岬まで足を伸ばすという欲張りな計画ですが時間の制限もありますので、岬まではタクシーを使って移動します。
真鶴駅は真鶴半島の付け根でかつ尾根の高さに位置しており、駅前広場からは、岬の先端までほぼ水平に尾根を通る道と、真鶴港まで降りて海岸沿いに半島の先端まで続く道の二つの道が分かれております。先ずは尾根を通る道をタクシーで移動していきます。真鶴駅 駅
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県道739号線の半島尾根道をタクシーで走ります。ところどころ道の両側から、江の島側と熱海側の双方を眺められるスポットがあり、タクシーの車窓から雄大な海の景色を楽しみながら移動していきます。(写真のように真鶴港を見下ろす風景が見れたりします。)
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尾根道なので熱海方面の遠景の眺めも見ることができます。はるか向こうに熱海市街とその右側には湯河原の市街が望めます。
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琴ヶ浜海岸を見下ろすところも通ります。ゆっくり風景を眺めながら歩いて移動するのもお薦めです。
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あっと言う間にタクシーは中川一政美術館に到着しました。時間がないのでここはスキップしてこの先のお林遊歩道に向かいます。
真鶴町立中川一政美術館 美術館・博物館
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先ずは、半島岬エリアのお林の入口に到達しました。ここからは樹林帯の中を通る遊歩道「お林散歩道」が奥に続いております。
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森の中に続く遊歩道です。
真鶴岬一帯を覆う森林は、「魚つき保安林」として指定され、木陰を好んで魚が集まることから、「魚の棲む森」と呼ばれることもあります。主に江戸時代に植えられたクロマツ、明治時代に植えられたクスノキ、自然植生のスジダイの巨木の森林は、江戸時代の小田原藩の時代から明治期の皇室の御用林を経て町有林となり、「お林」として保護されてきたそうです。その中を通り抜ける散歩道を歩いていきます。 -
森の中では樹齢何百年も経つクロマツなどの沢山の巨木と出会うことができます。そうした巨木樹林帯を通っていきます。
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お林遊歩道を抜けて、岬先端の施設「ケープ真鶴」に到着しました。
真鶴半島岬先端にある景勝三ツ石を間近に眺める絶好のロケーションに位置する観光施設です。「小田急真鶴ケープパレス」の撤退を受け、食堂・喫茶店・休憩所・売店・会議室・研修室を備えた「真鶴町営ケープ真鶴」として、平成16年6月より営業しているとのこと。ケープ真鶴 名所・史跡
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ケープ真鶴の裏手から展望台や三ツ石海岸に続く道が続いております。
真鶴岬 自然・景勝地
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ケープ真鶴の裏手の展望台。初島や大島、伊豆半島、さらには晴れて空気の澄んでいるときには、房総半島まで見渡すことができるそうです。左手にある石碑は与謝野晶子歌碑だとのこと。
真鶴岬 自然・景勝地
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展望台には幕末嘉永三年に築かれた砲台跡の史跡があったりします。
真鶴岬 自然・景勝地
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50メートルくらいある展望台から海岸に降りる石段があり降りていくと三ツ石が見えてきます。浜辺から約200mに渡って続く岩礁の先に、3つの巨大な岩が顔を出しています。
三ツ石 自然・景勝地
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真鶴のシンボルともいえる、景勝地三ツ石海岸から眺める三ツ石。笠の形に似ていることから笠島とも呼ばれ、この独特な形は溶岩が波の浸食によってできたものと言われております。
三ツ石は、初日の出のスポットとしても広く知られ、岩の間からご来光を拝むことのできる近くの番場浦海岸は、例年元日には多くの見物客やカメラマンでにぎわうそうです。三ツ石 自然・景勝地
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三ツ石海岸から熱海市街方面の眺め。海岸は磯遊びをする家族連れでにぎわっております。
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三ツ石からケープ真鶴に戻り、バスで移動。真鶴漁港エリアに移動しました。宮の前バス停で降りるとそこは貴船神社の入口になっております。立派な鳥居ですね。
貴船神社 寺・神社・教会
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貴船神社の石段と石の灯篭。
鳥居をくぐると急な108段ある石段には、ずらりと石灯篭が並んでいます。石段と石灯篭は真鶴で採掘された「小松石」で作られているのだそうです。
真鶴半島の石材業の歴史は古く、平安時代末まで遡るそうです(土屋格衛という人が始めたとのこと)。また江戸城を築くための採石にあたった黒田長政支配下の7人の石工たちの業績をたたえた碑が真鶴町役場前の丘の上に1859年に再建されたそうで、今も残っているそうです。貴船神社 寺・神社・教会
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石段を登り切ったところに神社の本殿があります。この本殿は関東大震災の後に石段の上の場所に遷座され、当時としては珍しい鉄筋で建立されたものだそうです。
貴船神社 寺・神社・教会
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山神社。
もともと真鶴半島内に奉斎されていたそうですが、遠隔で参拝に不便なため、明治初年に同社の里宮として現在の地に移動したとのことだそうです。貴船神社 寺・神社・教会
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祖霊社。
貴船神社の本殿を新たに造営する前の旧社殿だそうです。真鶴町の氏子総代や本町出身の戦没者を奉る御社となっているとのこと。貴船神社 寺・神社・教会
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本殿横にあった厄除厄祓門。この人型穴を通り抜けられれば厄除けができるそうです。私は何とか通り抜けられました。
貴船神社 寺・神社・教会
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心願成就石。小松石でできているのかな。
貴船神社 寺・神社・教会
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御船舎。
海上渡御の模型が展示され、壁面には祭り初日に岬の神社から神霊を移乗させ「御旅所」へ向かう様が描かれています貴船神社 寺・神社・教会
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稲荷神社とその後ろ側に粟島神社。
粟島神社は和歌山県の加太神社(淡島明神)より御分霊を勧請したものと伝えられているそうです。また針(おそらく漁網の針も含む)供養をするのもこの社の特色だとのこと。貴船神社 寺・神社・教会
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龍神社
漁民が大漁を祈念する神社とのこと。貴船神社 寺・神社・教会
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貴船神社の見学を終了し、「魚座」に入ってきました。
「魚座」周辺は、真鶴港周辺での最もにぎわいのあるエリア。
魚座の魚市場見学スペースや水揚げされたばかりの魚を味わうことのできるレストランなどの楽しい施設や、周囲にある味を競い合う磯料理店などには、週末ともなれば多くの人々が集まります。真鶴 魚座 グルメ・レストラン
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魚座は、平成7年、築60年を迎えて老朽化が著しかった木造平屋建ての魚市場の建て替えたものだそうです。1階は市場で2階が飲食エリアになっておりその印象的なそのデザインは、真鶴港のランドマークとして人気を集めているそうです。
真鶴 魚座 グルメ・レストラン
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魚座に遊覧船が近づいてきます。ここは遊覧船の発着所もあるようです。
真鶴 魚座 グルメ・レストラン
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遊覧船発着所から道路を渡った崖側に鵐窟(しとどのいわや)があります。
源頼朝が挙兵後初めての平氏方との戦い、石橋山の合戦(1180)に敗れたとき、この岩屋に一時隠れて難を逃れたと言い伝えられています。
大庭景親の追手が怪しんで中を覗くと、「シトト」(ホオジロ、スズメの仲間)と言われる鳥が急に舞い出たので、人影がないものとして立ち去ったと言われ、このことから「鵐窟」と呼ばれるようになったとされています。
鵐窟 自然・景勝地
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かつては、高さ2メートル、深さ10メートル以上の大きさがある大きな海食洞(かつては奥行き130mあったとも言われているそうです)でしたが、現在は近代の採石や度重なる崖崩れで数十センチ程度の大きさにまでなってしまったとのこと。しかしながら、周囲には源頼朝や土肥実平などの幟が立てられるなどされ、史跡として大切に保存・管理されています。
鵐窟 自然・景勝地
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漁通り沿いをさらに歩いて行きます。漁港らしい眺めです。
真鶴港 名所・史跡
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スミマルシェ(真鶴産業活性化センター)に到着しました。
スミマルシェ グルメ・レストラン
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真鶴港入口にある通称「まなづる里海BASE」。真鶴町観光協会、店舗が入っている複合施設で、水産物や地場産品の購入ができます。カフェも併設されており、休憩しながらお茶や生ビールも飲めます。
スミマルシェ グルメ・レストラン
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施設内には海産物の干物など様々なお土産が売られております。また味見もOKということで、鯵の干物を自分で炙って食べてみたら脂がのって美味しかったです。
スミマルシェ グルメ・レストラン
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皆さんお土産を買っております。私も片口イワシの干物を自分用に購入しました。
スミマルシェ グルメ・レストラン
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真鶴産業活性化センターを後にして、途中背戸道を通って岩地区の方へ移動していきます。
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もともと港を囲む平地面積が小さく、斜面に村が形成されてきた真鶴には「背戸道」という、昔から日常に欠かせない路地状空間が、町中のあちこちに張り巡らされているとのこと。背戸道の幅員は一様ではなく、1mから2mにちょっと足らないぐらい(半間から一間)の道まで実に多彩なのだそうです。それが、等高線に沿って走っていて、斜面に建つ家はこの道に接道することによって古くからの真鶴の日常の暮らしが支えられてるのだそうです。ちょうど、棚田の畦道のような役割りを果たしているのがこの「背戸道」と例えられるのでしょうか。
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真鶴小学校近くの背戸道からの町中の眺め。尾道や長崎に近い地形なのでしょうね。
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岩地区への入口、謡坂(うたいざか)に到達しました。一見普通の坂道ですが、源頼朝が石橋山の戦いに敗れたあと、この地で敵の襲撃から逃れた喜びのあまり、土肥実平らと狂喜乱舞したという伝説が残る地だとのこと。なお、写真の石碑「謡坂之記」は、この近くに別荘を構えた高井徳造氏が昭和9年1月に建立したものなのだそうです。
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謡坂の説明書き。相模国風土記稿にもその記事が刻まれているそうです。付近からは、源頼朝が房州に船出した浜と伝えられる岩海岸を見下ろすこともできます。
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坂道を降りていくと源頼朝船出の浜(岩海岸)に到着です。治承4年(1180年)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝らが、房州に逃亡する際に船出したと伝えられる海岸だそうです。この浜には「源頼朝開帆碑」が建てられいます。
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岩海岸ではちょうど春のお祭り、豊漁豊作を祈願する「竜宮祭」が開催中で、大勢の人出で賑わっておりました。
岩海水浴場 ビーチ
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地元の人達の神輿の練り歩きにも遭遇。良い日にウォーキングのタイミングが合ってラッキーです。
岩海水浴場 ビーチ
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真鶴道路の橋が少し邪魔ですが、とても良い眺めです。源頼朝らは、この浜辺から船出すると、安房国勝山海岸(現鋸南町勝山)に上陸したとされ、相模湾・東京湾を渡った先の鋸南町には「源頼朝上陸地の碑」が建てられているそうです。
岩海水浴場 ビーチ
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岩海岸の浜辺のすぐ近く路地の奥にある如来寺跡(にょらいじあと)に到着しました。帰命山如来寺は1620年に建てられ、廃仏毀釈の影響で1911年に瀧門寺に統合、廃寺となった寺で、本尊は石仏の阿弥陀如来であったと伝えられているそうです。古い境内には石窟が残っており、その中に入っていきます。
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石窟内部には石造りの十王像や菩薩形座像、地蔵菩薩像などが安置されていますが特に灯りもなく真っ暗な中微かな外の光の中に石像が幽玄に浮かび上がります。写真は一番入口に近いところに安置されていた閻魔大王像。
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如来寺跡を後にして細い路地を進んでいくと瀧門寺の入口に到着しました。
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入口には古い墓石が並んでいて歴史を感じさせます。
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参道を進んでいくと立派な山門がありました。
伝承によると、このお寺の創建は14世紀半ばとのことだそうです。
記録としては、鎌倉時代の五山文学を代表する禅僧、義堂周信が「空華集」の中に応安7年(1374)熱海へ湯治に赴いたおり、この寺に立ち寄り、観音堂の壁に詩文を残したと記しており、当時は小さな堂宇がありそれが寺の始まりだったと言われているそうです。
その時、寺には修行僧がただ一人いるのみだったそうですが、その者の語るところによれば、開山は道禅禅師といい、寺の後ろにあった滝に鬼神を感じて一夜で建立し、1364年に死んだそうです。(したがって建立は14世紀半ばころ) -
山門近くにあった石造りの五重塔。伝えによると廃寺になった岩松山光西寺の遺物だそうで、江戸初期(1654)に一個の石から削り上げられたものだそうです。
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お寺の本堂。寄棟造りで茅葺です。
現在の本堂は建築様式から1700年代半ばの建立と推定されているそうです。(寺の古文書によると寛永12年(1635)から正保3年までの間に建設と推定されるとのこと)
本堂の造りは客殿形で向拝がなく、伊豆一帯の寺院建築の様式の流れをくむものだそうです。 -
本堂内の仏壇。歴史を感じさせます。
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境内にあった鐘楼。これも茅葺屋根で歴史を感じさせます。本堂と同時期建立と推定されているそうです。
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瀧門寺を後にして、最後のコースポイント兒子神社(ちごじんじゃ)に向かいます。岩集落内の路地の奥にある民宿脇の長い石段を登っていきます。
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石段を登り切った小高い丘の上に厳かな雰囲気漂う神社がありました。大きな鳥居や木造建築の社殿は立派なもので、思わず見入ってしまうほどです。
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兒子神社は、延喜年中(901〜922年)の創立と言われる歴史ある神社だそうで、惟喬親王とその御子神を祭神として祀っており、天保年間および明治26年の二度にわたり社殿焼失などの火災に遭うものの、村人たちの労苦や寄附により現在に至っているとのことだそうです。
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立派な社殿にお詣りします。現在の社殿は、昭和8年7月に改築・移転されたものだそうで、毎年7月中旬には例大祭が行われ、山車・花山車・神輿等が街に繰出し、岩地区は祭一色となるそうです。
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境内の奥にはひっそりと石造りの手水が安置されておりました。脇に真鶴町の重要文化財の札が建てられているので、これもきっと貴重な歴史遺産ののでしょう。最後に良いものを拝見させていただきました。
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兒子神社を後にして、岩海岸と謡坂の中間地点にある「岩忠」まで戻ってきました。今回はここで歩行後の食事をいただきます。
岩忠は地元岩地区の旅館を兼ねた老舗地魚料理店です。
http://www.iwachu.jp/岩忠 グルメ・レストラン
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今回は刺身定食と金目鯛の煮つけをいただきました。写真は刺身定食。これ全てで1人前2000円で、全て真鶴漁港市場で仕入れてきた魚だそうです。特に写真左下のイカの塩辛はお店自家製でとても美味しく、ビールと日本酒によく合いました。
岩忠 グルメ・レストラン
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金目鯛の煮つけも頼みました。5人で一匹2800円。お店お薦めの食べ方で、身と天かすをごはんの上に盛り、煮汁をかけていただきました。とても美味しかったです。
岩忠 グルメ・レストラン
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満腹で岩忠を後にして、謡坂の坂道を歩いて真鶴駅に向かいます。
途中町役場の近くの「石工先祖の碑」を拝見し真鶴の石材業の歴史の古さを改めて認識し駅への帰路を歩み続けました。
今回は隣駅湯河原の温泉にも寄る計画もあったのですが、料理とお酒で十分満足した私たちは、そのまま真鶴駅から湘南新宿ラインに乗り継いで帰宅の途に着きました。
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