2015/12/09 - 2015/12/09
347位(同エリア947件中)
愛吉さん
シニヤスクールOBの歩こう会です、月一度開催されます。
事前の出欠は取らず、集合場所に定時に集まった人だけで出発する決まりです。
本日の参加者は8人、いつもよりちょっと少な目。
午前十時にJR田町駅をスタートし西郷・勝会見地址〜港区郷土資料館〜御田八幡宮〜高輪大木戸址〜泉岳寺〜東禅寺と回り、解散は品川駅です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
10時にJR田町駅に集合。
-
5分も歩くと、江戸開城、西郷、勝会見の地址。
ここは元薩摩藩蔵屋敷でした。
尚西郷、勝の会見は、今で云う条約の調印式みたいなもので、これ以前に具体的な交渉が各方面で行われました。
特に有名なのは、山岡鉄太郎(鉄舟)幕府代表と征討軍参謀西郷南洲との駿府会談です、この時将軍慶喜の助命と江戸開城が実質的に決まりました。
西郷はこの案を持つて京都に戻り、朝議に掛け決済を得て江戸に来ます。
そしてここ薩摩藩蔵屋敷で調印式が行われたのです。
幕府代表は陸軍奉行勝海舟、征討軍代表は参謀西郷南洲です。
勿論山岡鉄太郎(鉄舟)も参列しています。
調印式が済むまでは、攻守両軍とも臨戦態勢であるのは当然です。
この他幕府側の働き掛けとして残るのは、静閑院宮(皇女和宮)と輪王寺宮(北白川宮)2人の嘆願でした、朝議の採決に影響を与えています。 -
そこから又5分程歩くと港区立港郷土資料館。
区内の伊皿子貝塚遺跡から出土した縄文時代後期の資料を主に展示しています。
参観人は私達のみです。 -
御田八幡神社
鳥居をくぐり参道を進むと20段ほどの階段、階段を登ると社殿のある境内。
社伝によると和銅2年(709)の祭祀。
本殿は昭和20年空襲で焼失、昭和29年の再建。
参拝時は何かの工事の為、足場を組立て中。 -
高輪大木戸址に来ました。
ここは江戸時代、江戸の南の入口を守り、治安の維持と交通規制にあたった処。
道幅約10米の東海道の両側に土手を築き、木戸を設け、夜間の交通を規制しました、又高札場を設け、江戸六大高札場の一つでもありました。
後ろに写るのが残された土手の一部です。 -
そばに建つ高輪大木戸址の説明看板
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泉岳寺に到着。
12月14日が近く、義士祭の準備がが進んでいます
。 -
中門と山門の間の広場には大石内蔵助の銅像。
手には連判状、遠く江戸を睨んでいる処。 -
前方には立派な山門。
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山門をくぐり振り返ります。
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正面に建つ本堂、獅子吼とあります、お釈迦様の説法の事です。
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墓地に入る手前に、首洗いの井戸が有ります。
墓前に供える上野介の首をこの井戸の水で清めました。 -
井戸は金網で覆われています。
そばの石柱には、川上音二郎之を建つと彫られています。
川上音二郎、懐かしい名前です。
明治の初めオッペケペー節で一世を風靡しました、又新派の父とも呼ばれています。名妓貞奴の夫であり、又ヨーロッパ、アメリカで興行を行った最初の興行師でもあります。 -
天野屋利兵衛は男で御座る。 歌舞伎の世界です。
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墓地に入ると先ず浅野内匠頭の墓。
その前に入口でお線香を購入、ここから1本づつ供えていきます。 -
その横に、内匠頭夫人あぐりの墓。
勿論ここにもお線香を供えます。 -
四十七士の墓所
中央の屋根の付いているのが大石内蔵助の墓。 -
大石主悦の墓、 こちらも屋根付きでした。
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47士墓の配置図。
全部で47+1合計48個有ります。
プラス1は討入りを熱望しながら、親族との板挟みで切腹自殺した萱野三平のものです。 -
墓参りを済ませ、門前の茶店で甘酒を飲んで一服します。
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最後に訪れたのが東禅寺です。最初のイギリス公使館址。
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立派な仁王門です。
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仁王門を潜ると、静かな参道が続きます。
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三重塔が有ります。
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本堂。
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大きな風格ある寺です、これなら公使館として十分通用すりと思いました。
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庭の一風景。
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東禅寺を出て、品川駅に向かって歩いています。
紅葉が綺麗な公園を近道なので横切ります。
好天に恵まれ爽やかな一日でした。
終
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