2015/12/04 - 2015/12/05
473位(同エリア1302件中)
ケイホウさん
滋賀県の地元主催の「白洲正子ツアー」に参加してきました。「かくれ里」「近江山河抄」の地を辿るツアーです。
「かくれ里」は一人で巡るには辺鄙な所が多く、近くに住んでいてもなかなか行けません。今回、東近江のあたりを一泊二日で巡るツアーでしたが、私は日帰りで二日参加しました。初冬でしたが、晴天に恵まれ、鄙びた里は紅葉に彩られていました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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駐車場から、のどかな田舎道を進みます。
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教林坊総門
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ちょっとした坂道を上がるので、杖が用意してありました。
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紅葉がまだ残っています。
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石垣が苔むして美しいです。
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表門
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書院内部です。右側のふすまの向こうに階段があり屋根裏の部屋に上がれます。
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掛軸庭園。
書院からの眺めを、四季折々の自然を切り取って山水掛軸に見立てているそうです。 -
書院から見える庭園と左奥に本堂。
もみじの古木に囲まれた庭園は小堀遠州作と伝わるそうです。 -
屋根裏部屋。
五人くらいが限度らしく、交代で上がりました。
こんなところにと思えるような狭い空間に大黒天が祀られていました。 -
書院を後にして庭園を歩きます。
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ヨシ葺きの書院。
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山の斜面を利用して、一周できるようになっています。
右に巨岩が見えています。
広い境内は約千坪あるそうです。 -
本堂前の庭園。
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本堂の背後にある巨岩。
本堂内の観音様の背後は窓になっていて石窟の中の「赤川観音」を祈るようになっていました。 -
内部に祀られている石仏。
寺伝では、聖徳太子自作の石仏と伝わっています。 -
ご住職は40代前半の方で、教林坊の住職に就任したのは24歳の時だそうです。お寺の復興にずいぶんご苦労されたようです。
ご住職が《週間「仏教タイムス」》に連載された『荒れ寺復興録』には「当時、合掌造りの庫裏の腐った屋根には杉の木が生え、中は天井がめくれて一部床が抜け落ち、本堂はどこから漏れるのか、雨漏りがひどく、大雨が降ると護摩壇の炉の中に水が溜まる有様。・・・・」だったようです。 -
「かくれ里」の中で、「古墳」と記された巨岩が中心の庭。
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水琴窟。
金属音のような美しい音色が聞こえました。
この後、地元では有名な〈納屋孫〉で故国郷土料理の昼食。
「鯉の洗い・手長海老・フナずし・近江牛のしゃぶしゃぶ・・・」等、滋賀の食材
満載でした。美味しかったです。 -
石馬寺。
五個荘という近江商人発祥の地にあります。
正面に見える石段を上がります。 -
私達以外は誰もいません。
苔むした自然石の石段が続きます。 -
息を切らしながら長い石段を上がります。
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趣の有る石段です。
まっすく上がると雨宮龍神社。
石馬寺は右に曲がります。 -
石馬寺の石碑。
始終苦(四十九)坂の石段の両脇には石仏が並んでいます。 -
上りきると庫裏です。宝物館には、庫裏から入ります。
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こじんまりとした石庭。
背後の岩からは水が滲み出ています。 -
右側が宝物殿。
見ごたえのある仏像が祀られていました。
著書「かくれ里」の中で、「私の興味をひいたのは水牛に乗った大威徳明王であった・・・」と記されている大威徳明王牛上像は、狭いお堂の中で、至近で拝観できました。 -
お不動さんですが・・・。不思議なお顔?誰かに似ているような・・・。
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行者堂。
宝物館には役行者像と脇侍の前鬼・後鬼も祀られていました。
ここから太郎坊宮に向かいます。 -
太郎坊宮。
ずーと狭くて急勾配な石段が続きますが、駐車場からなので、だいぶショートカットしたみたいです。 -
麓からだとこの石段を上がってきます。かなりしんどそうです。
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手水場から振り返ります。
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急勾配の石段が続きます。
「もうすぐですよ」と、背後から励ましの声が。 -
夫婦岩が見えてきました。
向かい合うように巨岩がそびえ、入口に鳥居があります。 -
鳥居をくぐり、この狭い岩と岩の間を通ってきました。
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見上げれば、巨大な岩が寄り沿うように立っています。
通り抜ければ本殿です。 -
本殿下の石段を下ります。
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右も左も巨岩。
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弁財天。
岩窟の中は5〜6人は入れそうな広さで、床板が張ってありました。
石段をひたすら下りて駐車場へ戻ります。
今日はここまで。宿泊の人たちはホテルへ向かいます。私は明朝、合流です。 -
二日目は石塔寺からです。
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かなり急勾配の石段を上がります。それも歩きにくい石段です。
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手前左に拝観受付所。右が本堂です。
石段奥にぽっかり空が広がります。 -
まず、目に入るのが、石塔。
白洲正子さんが「日本一」と称された石塔です。 -
境内一円が石仏・石塔です。
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宝塔。
滋賀県でのみ見られる宝塔だそうです。 -
山上を一周すれば約400mあるそうです。
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石仏・石塔が続きます。
石仏・石塔は最初からここにあったのではなく、土の中から出てきたりしたものが集められ、この場所に祀られたそうです。中には、この場所に祀られることもなく、石垣に使用された石塔などもあるそうです。 -
年月を経た石仏は優しいお顔でした。
これから、油日神社に向かいます。 -
手前の田が神田。
正面に見えるのが油日岳です。 -
石灯籠から油日岳を遥拝します。
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民家の奥に鳥居が見えています。静かな村里です。
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油日神社の鳥居。
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きれいに掃き清められた参道を歩きます。
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立派な楼門。
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深い木立に囲まれて、拝殿と奥に本殿の屋根が少し見えます。
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拝殿から反時計まわりに進み、本殿でお参りします。
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重厚な本殿の屋根。
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拝殿を横から見ています。左が本殿。
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楼門にはコノの字型に翼廊(よくろう)が付き、床が張ってあります。床が張ってあるのは珍しいそうです。
案内の講師のお話では、中世では、地侍たちの合議の場として使用されたそうです。翼廊(よくろう)は柱で区画され、その一画、一画に地侍たちが座り、談合したそうです。その場に座す神の前で決議されたことは、背けば、神に背くことになるそうです。
翼廊(よくろう)を見ていると、光景が目に浮かぶようです。 -
歴史民族史料館。生活用具や、甲冑類、油日神社の宝物など展示されています。
宮司さんのお話を聞かせていただきました。
「ずずい子」さんは「福太夫」の面と隣り合わせに、特別扱いもなく、館内の一角に普通に展示されていました。
小さな木桶(たらい?)のようなものの中に入って展示されていて、宮司さんは、赤ちゃんだからお湯(入浴)に入っているのだろうと思うと言われてました。
説明文だけですが、こんな感じに展示されています。 -
二日目の昼食は〈錦茶屋〉で甲賀薬膳料理。
ちょっと食べてしまってからの撮影です。
ご飯は黒影米。
写真の他に、薬草てんぷら、吸い物が付きました。
優しいお味で美味しかったです。
個人的には、昨日の湖魚料理より薬膳料理の方が好きです。 -
櫟野寺は油日神社からはすぐのところにあります。
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山門をくぐるとすぐに本堂です。
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土俵がありました。
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本堂。
奥に宝物殿があり、秘仏の十一面観音坐像を拝観させていただきました。
お寺の方が厨子を開けてくださると、優しいお顔立ちの観音様が姿を現した。坐像一丈一尺の観音様は、日本最大座仏だそうです。
宝物殿には他にも平安時代の仏像が安置されていて壮観でした。 -
櫟野寺全景。こじんまりしたお寺でしたが、すばらしい仏様にお会いできました。
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「近江山河抄」の「鈴鹿の流れ星」の里にある瀬古薬師堂。
毎年、9月12日に火薬を竹筒に詰めただけの花火を打ち上げます。
写真では華やかに写ってますが、実際は、細い線のように打ち上がるそうです。
忍者の狼煙を起源にするともいわれているそうです。 -
村のコミュニティセンターの一角にある瀬古薬師堂。
このお堂の裏あたりの田んぼで花火が打ち上げられるそうです。
思わず「えっここ!」と思ってしまうようなお堂でした。
究極の「かくれ里」なのかもしれません。
二日間、どこも魅力的で、近江再発見の旅となりました。
中でも、教林坊と油日神社が心に残りました。
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