2015/05/20 - 2015/05/23
28位(同エリア2763件中)
あの街からさん
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サンフランシスコへ向かったのは
5月でした。
先ごろ、今年の秋口からの旅行を
未だアップしないでいましたので
このままだとお蔵入りになってしまうなぁ
と、急遽「愛と風のように 2015」
に編集してアップしました。
その時にも、「サンフランシスコ」は
どうしょうかなぁ。今年の出来事の中でも
心に残った旅を飛ばしたままで良いのか?
でも、あれは「旅」と言えるだろうか?
と多少躊躇したのですが、
やはり残しておこうと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
あけましておめでとうございます
昨年中は「あの街から」の旅行記に
おいでいただきましてありがとうございました。
今年も皆さまの旅行記を拝見・拝読しながら
旅への夢を抱いた素敵な年となるよう思っております。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
あの街から -
サンフランシスコの空港まで友人の旦那さんと
娘さんと2人で迎えにきてくれました。
サンフランシスコ郊外に在る
友人宅へ向かいました。 -
その夜は、遠くにサンフランシスコ空港を
望むレストランに行き
丁度学期と学期の間の休みで
NYの大学から帰宅していた娘さんと
4人でテーブルを囲みました。 -
知らせを受けてから
この日までに何度となく
メールのやり取りをして
友人の病状の経過等を聞いていたのですが
やはり空港で迎えに来てくれた
旦那さんと娘さんの姿を見たときには
涙が落ちてきてしまいました。 -
「この店はママもお気に入りにしていて
いつもこの席でお食事をいただくのよ」
明るく振る舞う娘さんの姿に心が和みました。
この後も「これはここの名物料理よ」
と色々と出てきたのですが喉をなかなか
通りませんでした。 -
サンフランシスコに着いた日から
2晩友人宅へ滞在をしました。
翌朝は友人宅でゆっくりと朝食を食べた後
AT&Tパーク(サンフランシスコジャイアンツの
本拠地としている野球場)からベイブリッジの
下をくぐり抜け
フィッシャーマンズワーフへ向かいました。 -
昨晩、「明日はシスコで行きたい所が
あるなら何処でも連れていってあげるよ」
との言葉に甘えて
友人(彼女)がシスコに渡ったばかりの頃
『「あの街から」さん、シスコへ
来たら先ずフィッシャーマンズワーフと
ゴールデンゲイトブリッジへ連れてゆくね。
後、休みがいっぱい取れるようになったら
ヨセミテに行こうね。』
と言っていたことを思い出し
そこにとお願いしておきました。 -
フィッシャーマンズワーフにある
ここの大きな駐車場に車を停め
歩きました。 -
「PIER39」へ向かう大きな通りの
片側には土産屋さんが並んでいます。 -
「PIER39」へ向かう大きな通りの
片側には土産屋さんが並んでいます。
帰りにそちら側を歩いてみることにし
先ず、「PIER39」へ -
ほどなく「PIER39」到着。
ピア39 散歩・街歩き
-
レストランや土産屋さんが並ぶ
ショッピングモールです。 -
カリフォルニアの太陽を浴びた
フルーツが並んでいました。 -
ウィークディの午前の
早い時間でしたが小学生・中学生
と思われる観光客が随分来ていました。 -
ショッピングストリートを
さらりと見た後 -
フィッシャーマンズワーフ一帯を
歩きながら、アシカを見たり
かってクリント・イーストウッド主演
映画『アルカトラズ島からの脱出』で知った
サンフランシスコ湾に浮かぶ刑務所跡
アルカトラズ島を眺めアルカトラズ島 博物館・美術館・ギャラリー
-
この日のサンフランシスコ湾は
雲が低くたれ込めていて
まるで歌のタイトルのような景色でした。 -
まだ朝食を食べてからあまり
時間が経っていませんでしたから
フィッシャーマンズワーフの
クラムチャウダーや茹でたカニは
この時には食べませんでした。 -
駐車場に戻る途中
今度は先ほどとは反対側の歩道を
歩きました。
すると、とある店先で
レオナルド・ディカプリオと遭いました。
その店とは
「マダムタッソー」です ヽ( ̄▽ ̄)ノ -
フィッシャーマンズワーフから
市内へ
車中からロンバートストリートからの
サンフランシスコの市街地を眺め -
小高い丘の上に建つコイトタワーから
サンフランシスコの市街地を眺め
「あぁ、あそこに見えるのが
友人達が来た時に泊った
キングジョージホテルかぁ」
とか思い出しながら -
ケーブルカーを横に見て
-
ランチはここでと案内してもらった所が
「ジャパンタウン」でした。
大きなビル駐車場につながった
2階建ての広いモールには
成田空港等で見かける様な
日本の品の土産店が並んでいました。
その一角にかなり大きなスペースの
「紀伊国屋書店」が出店されていました。
「ママはお休みの日に時々ここ来て
日本の本を買うの」と話してくれました。ジャパンタウン 散歩・街歩き
-
丁度昼時で大きな店内が
随分混み合っていました。
メニューには
天ぷら・うどん・寿司
お刺身・日本のビールや酒
と日本食なら何でも揃っていました。
カルフォルニアロールとラーメン
がセットとなっている定食をいただき
ました。思ったよりうまかったです。 -
今年のはじめに突然サンフランシスコの友人の
旦那さんから訃報が入りました。
「えっ!一瞬 私は何が何だか
分からなくなり 頭が真っ白になりました。」
・・・つい10日程前に例年の様に彼女から
クリスマスメールを受け取っていたばかり
だったのです。
知らなかったぁ・・・。
元気だとばかり思っていたぁ・・・。
白い封筒に書かれてある
Air Mailの文字はいつもの彼女の自筆だったし・・・。
〔封筒の宛名や差出人の住所氏名は
いつも、印刷してある可愛いシールでした。
そう思って最後のクリスマスメールを見返したところ
家族のスナップ写真で自筆の書き加えはありませんでした。
後で旦那さんに聞いたところ、写真は彼女が選び
まとめて郵便局に持って行ったのは旦那さんという事でした。〕 -
彼女は、私がかっての転勤先で
週に2回程通っていたトレーニング倶楽部の
仲間の1人でした。
それから30年来の友人
でした。
と過去形で書きたくはないのですが・・・ -
当時、トレーニングのある日には朝からワクワク。
前もってこの曜日とこの曜日は
と、ノー残業ディにしてもらい( ̄ー ̄)
一目散に倶楽部へと向かい仕事の
忙しさをしばし忘れました。
職業も違う多勢の人と
ストレッチ・ジョギングの後
バドミントン等を2時間程。
この日が待ちどおしかったことを覚えています。 -
倶楽部の新年会や忘年会
更には季節のキャンプや登山
にも参加するうち“ほとんど仕事の話が出ない”
このつながりが楽しくなりました。
やがてその中で8人程(男・女)が
良く話しをするようになりました。
ほどなく、このメンバーで北アルプスへ登ったり
松島や気仙沼大島の椿マラソンを走ったり
それぞれが観て来た映画を肴に飲み会をしたりしました。 -
そのようなつながりが2年程続いた後
私が転勤先を離れまた新たな
転勤先へ移ることとなりました。
それと前後して
彼女がサンフランシスコへ活躍の場を求めて
渡米することに。
仲間で送別会を開き「1年後に皆で
サンフランシスコで逢おう」と約束をしました。
1年後友人達はシスコへ。ところが私はどうしても
休暇が取れず行くことが叶いませんでした。
彼女はその後、米国人と結婚。
商社のキャリアとしてバリバリ働き始めました。 -
倶楽部の女子の中でも1番の体力を持つ
彼女には男子の私でも何をやっても敵わず(;´ェ`)
奥穂高の山頂にいち早く着いた彼女の
『「あの街からさん」早く!早く!こっちよ」
という声が今でも耳に残っています。
その後も、私の転勤先に新婚の旦那さまを
連れてきてくれたり、帰省した時には皆で集まって
ランチ会を開いたりの交流は続きました。 -
世界1週の旅の途中「アメリカ大陸へ行く」
旨メールを送ったところ折り返しメールが来て
「で、シスコはいつ来るの?」「シスコにはyouが居るから
この先いくらでも行く機会はあるサ。今回はシスコの上空を通るから」
「アメリカまで来て私の所に寄ってくれないの」との やり取りの後
「アメリカで何かアクシデントに会った時には私に電話して。
昼はオフィスに 番号は×××-×××××(携帯が出る少し前でした。)
それ以外の時間は家へ電話をよこして
知っているとは思うけれど番号は××××-×××よ。
24時間何時でも良いのよ。
きっと力になってやることができるわ。」と言ってくれた彼女。
東日本大震災の当日には発生2時間後くらいには
電話をしてきてくれました。
そんなこと等
色々なことを思いだされます・・・。
最後に彼女に会ったのは震災の前の年。
仲間が家族連れで集まり彼女を囲んで
ランチ会をした時でした。
「○○(娘さん)が来年からNYの大学へ行く事に
なったの。いよいよ私も子離れしなくっちゃぁね」
「じゃあ○○(旦那さん)も誘ってドロミテへ行こうよ!」
となど話していたところでした。
まだ50代半ばにさしかかったばかりで・・・
とても信じられず、シスコへ行って手を合わせた
のなら実感することができるのかなぁ〜。と
思って急遽シスコへやってきたのですが・・・
今でもこの時期になると、クリスマスカードが
届きそうな気がしています。 -
旦那さんから『あの歴史を感じさせる建物は
「サンフランシスコの市役所だよ」』
等案内を受けながら観光を終えて郊外の
友人宅に戻りました。そして兼ねてメールで
打ち合わせをしていた通り
地元の大きなスーパーへ買い出しに行き
少し豪華な海産物を買い求め
友人がほんの数ヶ月前まで立っていたであろう
キッチンに私たちが立ち
イタリアンを作り
彼女の写真を飾ったテーブルで
4人で夕食を共にしました。
その後、夜更けまでいろいろなことを話し合いました。 -
翌朝、朝食の後
ヒルトンホテルまで送ってもらいました。
何度か「ホテルではなくここに(友人宅)
泊ってゆきなよ。明日もどこへでも
案内するよ」と引き止めてもらいましたが
「シスコを発つ朝は早朝に空港に
行かなければならないから」と・・・
辞退して -
ヒルトンホテルの広いロビーで
挨拶を交わしました。
旦那さん(私たちはお互い愛称で呼び合っていますが)は、
最後に「Please keep in touch」
そして「じゃ!」と言い残して帰って行きました。 -
早めのチエックインが出来
部屋に入ったところで
ふぅ〜と虚脱感を感じました。
くよくよしていても
彼女(友人)が喜ばないだろうなぁ。
と、
いつもの私たちの旅のスタイルに戻り
街へ飛び出しました。 -
昨日のゴールデンゲイトブリッジは
霧が立ちこめていて
友人の旦那さんから借りた
ガホガホのブルゾンを着て震えていましたが
この日は日本の3月ぐらいの陽気でした。 -
パウエルストリート辺りから
歩き始めて -
ビルの谷間で
開かれていた絵画展を見たり -
いかにもカリフォルニアで
描かれた題材の絵が展示されてありました。 -
Jazz のアーティストの絵も
魅力的でした。 -
サンフランシスコの街は
カリフォルニアの街らしく
ド派手なペインティングを施した
ビルも在りました。 -
いゃぁこんな所を
彼女の案内で歩いてみたかったなぁ。
と
考えてみれば
彼女がサンフランシスコに渡ってから
20数年程1度も、いや、1度だけ
やはりあの時の仲間4人で
デンバーからレンタカーでグランドサークルを
回った帰り、シスコの空港でのトランジェット
の時間を知らせ空港に逢いに来てもらい
2時間程皆で話したっけ。
あの時にも
「どうしてシスコに滞在するよう予定を
組んでくれないの」って
叱られて(;´ェ`)しまったのだっけ。 -
「あれっ 見たことが無い
ミニカー?だぁ」と思ったら -
そこから少し歩いたところに
観光客相手のレンタルの店がありました。 -
坂の道を歩いて
サンフランシスコに来ているのだ
と実感。 -
ここを通り抜けてチャイナタウンに
入りました。 -
あの提灯がいっぱい並んでいて
-
道の両側にいかにも
チャイニーズ風の土産物屋さんが
並んでいます。
ちょうど表参道のあの店を少し
チープにした感じのする店で
こうずらりと並んでいると雰囲気があります。 -
坂の途中の四つ角の
小さなレストランが目に止まりました。 -
飲茶でランチをしました。
-
街並を眺める小さなテラス席で
ランチを食べながら
「何処へゆこうか」と
話し合いましたが
家人も「別にどこでも良いよ」
といつもの元気がありません。 -
観光の写真が少なかったので
サンフランシスコで買ってきた
絵本を少しばかり載せてみます。 -
ランチの後になっても
2人共すぐには切り替えが
出来ないでいました。
それでもケーブルカーを眺めたり
しながら歩いていたら -
坂の途中に可愛らしい
カード(誕生日やクリスマス等の)の店を
見つけました。 -
オシャレな店内には
バースデーカードをはじめとして
サンフランシスコの絵はがきや
イベントカードの他
絵本に可愛い文具や机に置く小物等が並んでいて
2人共、一時・時間を忘れて( ̄ー ̄)
あれもこれもと手を伸ばしてきました。 -
リビングのブックスタンドの
インテリアとして
サンフランシスコのイラスト本をも
買って帰りました。 -
店を後にするころには
なんだか元気が蘇ってきました。
ユニオンスクエア一帯の
街歩きを続けることにしました。 -
信号待ちで立ち止まった時に
隣の2人連れの人が何やらイラストが
描がかれた大きな紙袋を下げていました。 -
どうやらレコード屋さんの紙袋ということが
わかりました。思い切って聞いてみました。
「その袋の店は何処にありますか?」と -
すると「あれに(トロリーバス)乗ってそこから
○○という停留所で降りて、電車の進行方向
に向かい右に直角に行った所にあるよ」
とのこと。それは面白そうだ。
トロリーバスにも乗れるし、これとといった予定も無いし
同意を得行ってみることにしました。 -
Powell駅から7番行きの
バスを2台連結のトロリーバスに乗りました。
もしかしたら初めての体験でした。 -
「オペラ座の怪人」を上演中の劇場前の
停留所に止まった時
何やら人だかりが見えました。
よく見て見たら丁度出待ち時で
アクターが出で来る度に歓声が上がっていました。 -
やがて車窓で展開して行く街角の風景は
これまでのサンフランシスコで
見た風景とは全く異なり -
ウイークディの昼間でしたが
大きな窓をフルオープンにした
酒場(カフェ?)が並んでいて
アルコールを飲んでいる人々の姿も見え -
どこかその昔の
ヒッピー文化の香りがしました。 -
ヘイトアシュベリーの停留所で
バスを降りて -
先ほどユニオンスクエアで聞いて来た
『Amoeba Music店(アメーバレコード)』
をここでまた通行人に聞いてみました。 -
先ほどバスの窓から見てきた
イメージが強く残っていて
この景色を見て
開放的な街だなぁと感じました。 -
建物の向こう側には
昨日車で通った
ゴールデンゲイトブリッジ? -
『Amoeba Music店(アメーバレコード)』
見つかりましたぁ。
何やらド派手な看板でまるで
いかがわしい劇場のネオンサインの様でした。 -
入口は狭く
そこでセキュリティ・チエックを受け
手荷物は番号札と引換えにそこで
預けなければなりません。
入口の狭さとは裏腹に
一歩中へ入って驚きました。
まるで体育館! -
おびただしい数の
CDとDVDが並んでいました。 -
アメリカでも近頃
再び人気が出て来たという
アナログ盤のLPレコードも並んでいました。
サンフランシスコを訪れたこの時
ベストセラーを続けていた
ボブ・ディランの新譜
「Shadows in the Night」のアナログ盤
ももちろん!ありました。 -
しばらく時間をもらって
ヽ( ̄▽ ̄)ノ 数枚のアルバムを買い求め
家人の待つ入口付近の雑貨売り場に
戻った時には「まるで、鳥かごから
放たれた小鳥みたいだったよ」と
言われてしまいました。が
この小確幸がたまりませんでした。 -
Amoeba Music店を出て戻る時に
さっき来る時にバスの窓から見た
風景の中を歩いてみたいと提案
何とか却下されずに歩いてみることにしました。 -
早速、ヒッピー文化を引きずった
ような風景に出会い私はヽ( ̄▽ ̄)ノ
家人は足早になり -
ここはカリフォルニアだぁ!
と感じながら歩く小確幸。 -
アーティストをペイントした
家並みがあり -
坂道を下って行くと
-
カラフルなビクトリアン様式の家並みが
続き -
カラフルなビクトリアン様式の家並みが
続き -
その中でもひと際は目に引く
建物が並んでいる一帯に出ました。
これは
昔見た映画『パシフィックハイツ』の
舞台となった付近に?
出たのかなぁ。 -
更に通りを曲がったりした
-
所に標識が掲げてあるのを
見つけました。
ここは何処かと見上げたところ
「フィルモア」とあり驚きました。
ン? ここはロックのLIVEアルバムで
有名なフィルモアイーストが在る所かぁ。 -
歩き疲れタクシーで
先ほどバスの窓から見つけた
レストランへ行って夕食を
することにしました。 -
その店がここです。
☆画像は、バスが停留所に着いた時に
撮っていおたもの。
-
Amoeba Music店へ行くバスの中から
見た時にも混んでいるようでしたが
どうやら観光客は見当たらず
地元の人気レストランのようで
夕方からは更に混み合ってきて
予約もせずに通りすがりで
入った私たちはウエイティングバーで
1時間程待ってから
やっとテーブルに案内してもらえました。 -
1階の半分のスペースは
ウエイティングバーとなっていて
おしやれな螺旋階段を2階上がったところが
テーブル席となっていました。
照明が落としてあり雰囲気の良い
イタリアンレストランでした。
☆参考
『Zuni Cafe』2人で
フルボトルワインを入れて
93.31ドル(およそ11,570円程) -
翌朝 6時には
空港へ向かいました。
BARTの空港駅構内で
「サンフランシスコのミュージアム」
で開催中の -
ハリウッド映画
「風と共に去りぬ」や「クレオパトラ」
等の作品で
ビビアン・リーやエリザベス・テイラー
が身に着けていた宝石の数々が
並べられてありました。 -
マリリン・モンローや
グレース・ケリーの作品もあり
作品展の一部がこの様に
駅構内のフリーコーナーに展示さてれいました。
防犯カメラが設置されてある
とはいえ大丈夫?かなぁ。と思いながら
「時間が無い! 時間が無い!」と
自分に言い聞かせ
取り急ぎ見空港へと向かいました。 -
こうして3泊4日の
サンフランシスコの滞在を終え
ニューヨークへと向かいました。
さょならサンフランシスコ
また来れるかなぁ。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- jun1さん 2016/01/14 00:20:12
- サンフランシスコは、霧じゃなかつた?
- あの街からさん、こんばんは。
御友人への追悼の気持ちがこもった旅行記に感動しました。
そして、10年前にサンフランシスコに行きました時のことを思い出させて頂きました。
チャイナタウンでジョーズ・シャンハイで食事したかったので、散々歩いて探したが見つからず、妥協して似たような名前のジョーズ・ジンジャーに入ったが失敗でした。
くだらないコメントになってしまい(-_-メ)
遅いので、またお邪魔しますzzz。
jun1
- あの街からさん からの返信 2016/01/14 21:35:40
- RE: あ〜ぁ サンフランシスコの思い出
- un1さん今晩は。
un1さんのサンフランシスコのチャイナタウンの思い出
それも今となれば楽しい旅の1コマとなっていますね。
確か村上春樹のエッセイにこんな言葉が載っていました。
「旅先で何もかもがうまくいったら、それは旅行ではない」
と
まぁ私の過去の旅を振り返ってみても様々な
回り道があった時の方が
旅の印象が強くなるような気がします。
私なんぞう“たとえば、ランチの為の
店を探す”ことだけに( ̄ー ̄)も、
ついつい頑張ってしまいますぅ。
結果味が不味い店に当ることも結構ありますぅ(;´ェ`)
ですから、当りを引いた時には“これだから旅が好きだぁ”
とヽ( ̄▽ ̄)ノでます。
あの街から
-
- satさん 2016/01/01 01:06:00
- ソウルメイト
- あの街からさん あけましておめでとうございます!
5月の寒かったサンフランシスコ。
すれ違っていたかもしれないって話していていたのがずいぶん前になってしまってましたね。
涙もろくなっているのは年のせいじゃないと信じたいです・・・
でも心がじんわりと温かくなりました。
あの街からさんにはシスコは特別な街なんですね。
ずっと放置ばかりですが、ときどきのぞきにきますので、今年もよろしくね。
sat
- あの街からさん からの返信 2016/01/03 13:58:42
- RE:I think so too
- satさん
あけましておめでとうございます
♪♪ ヽ(´ー`)ノ ♪♪
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
「砂の美術館」いかがでしたか。
こちらは
ゆっくりとするはずの年末始でしたが
何やらバタバタとうとう最終日まできてしまいました。(;´ェ`)
そんな年末始にあって、
これまで見逃した「旅番組」やら「特集番組」を
普段はあまり見ることの無いチャンネルの深夜枠で
TVの週刊番組表で見つけ録画しておきました。
昨夜はその中の1本
塩野七生が向井理をフィレンツェとベネチア・ローマ
を案内して歩く『魅惑のイタリア大紀行』を観ました。
向井理の「ルネサンスって何だったのですか?」との質問に
塩野七生は彼女流の解説で
「それまでの教会の言うままではなく
自分で考えること。人が持っている
知りたいという欲求・要求を解き放ち生まれ変わること。」
そして「フィレンツェには職人が沢山住んでいた物造りの街で
芸術家同士切磋琢磨する批判精神が満ち満ちていたこと。
そこに大富豪のメディチ家のサポートがあって
これら3つが揃う事でフィレンツェのルネサンスが開花したのです。」
と分かりやすくズバリと。こんな風に道案内を受けながら進み
楽しくもまた行ってみたいなぁ。と
この後も『須賀敦子 静かなる魂の旅』(4時間30分)
の旅を楽しもうと思っています。
この数年、年末始に次の旅の予定を立てているのですが
今年は、ヨーロッパは厳しいかなぁ。この際
LCCで国内を飛ぶのも良いかなぁ。山陰をはじめ国内にも
未だ行ったことが無い所ばかりだし
京都へもご無沙汰しているなぁ。と思案中です。
あの街から
-
- mistralさん 2015/12/28 16:55:04
- 追悼の想いが。
- あの街からさん
心の中で、大事に抱えていることが良いのか?
それとも、亡くなられたご友人に向き合うためにも
こうして、旅行記としてアップした方がよいのか?
悩まれた結果のアップだったことでしょう。
こうした旅のかたちを拝見させていただき、
あの街からさんの追悼の想いがあちこちに
感じられました。
多分ご友人の方も喜ばれたのではないでしょうか?
今年も残りわずかとなりました。
来年もよろしくお願い致します。
mistral
- あの街からさん からの返信 2016/01/02 16:22:59
- RE:思いの丈を
- mistralさん
新年あけましておめでとうございます
昨年中は、「あの街から」の旅行記に
その都度感じていただいたこと等を
カキコミを頂きましてありがとうございました。
もう本当に
mistralさん から書いていただいた
『心の中で、大事に抱えていることが良いのか?
それとも、亡くなられたご友人に向き合うためにも
こうして、旅行記としてアップした方がよいのか?
悩まれた結果のアップだったことでしょう。』
1行1行がそのままで・・・。
それだけに
『想いがあちこちに感じられました。』
は、とても嬉しかったです。
本年もmistralさんの旅行記を楽しみにしております。
あの街から
-
- cheriko330さん 2015/12/28 05:32:47
- ちょっと うるうる来ちゃいました
- あの街からさん、おはようございます。
サンフランシスコとは ちょっと意外でしたが…
お辛い旅になりましたね。でも墓前にお参り出来て、ご家族の方とも
ゆっくり出来て良かったですね。
あの街からさんは とても楽しい お仲間が たくさんいらっしゃって
良いですね。
サンフランシスコ、TVでよく見る風景 全く見た事がない所、色々楽しめました。
ゴールデンゲイトブリッジ(霧が又、良かったですね)、カラフルなビクトリアン様式の家並み
坂道、フィッシャーマンズ・ワーフ、どこもステキです。
倉庫のような ミュージックショップは 音楽好きの あの街からさんには時間が
足りなかった事でしょう。 どういうのを買われたのか ちょっと興味のある所です。私は
70年代 80年代の音楽が 大好きですが、最近は なかなか ゆっくり聞けなくて。
ニューヨークの前に ここだったのですね。
今年も いよいよ数日を残すのみとなりました。ステキな旅を 色々見せて頂き
ありがとうございました。どうぞ 良いお年をお迎え下さい♪♪
そして 来年も 良い旅が出来ますように お祈りしてます。
cheriko330
- あの街からさん からの返信 2016/01/02 16:21:46
- RE:年の最後のアップの旅行記でしたのに
- heriko330さん 新年あけましておめでとうございます
昨年中は、昨年中は、「あの街から」の旅行記に
その都度感じていただいたこと等を
カキコミを頂きまして本当にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、昨年、年の最後のアップの旅行記でしたのに
おっしゃる通り辛口の旅行記でしたね。
友人宅での写真を載せる訳にも行かず
それでどれだけ旅行記としてアップできるのかなぁ。
でもシスコに行った訳も残しておきたいし、だと
どちらも中途半端になってしまいそうだなぁ。と
思いつつ結局はあの様な形をとって載せてみたのですが
アップ後間もなくcheriko330さんからの感想を掲示板に
見た時には、あぁサンフランシスコの街歩き部分だけでも
何とか楽しんでもらえたのかなぁ。
と、とても嬉しかったです。
「サンフランシスコとは ちょっと意外でしたが…」
と書いてもらいましたが
そのような訳でシスコは後回しになっていました。
ここで言ってみれば、実は、あの後行ったニューヨークは
あのままサンフランシスコから帰ってきたのなら
日常生活にもしばし引きずってしまうかなぁ。
シスコまで飛んで行っているのだからこの機会に
4年振りで大好きなニューヨークまで行ってこようと急遽
決めた旅でした。
今年もcheriko330さんとの旅の話しを楽しみにしています。
あの街から
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