
2015/05/20 - 2015/05/23
28位(同エリア2766件中)
あの街からさん
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サンフランシスコへ向かったのは
5月でした。
先ごろ、今年の秋口からの旅行を
未だアップしないでいましたので
このままだとお蔵入りになってしまうなぁ
と、急遽「愛と風のように 2015」
に編集してアップしました。
その時にも、「サンフランシスコ」は
どうしょうかなぁ。今年の出来事の中でも
心に残った旅を飛ばしたままで良いのか?
でも、あれは「旅」と言えるだろうか?
と多少躊躇したのですが、
やはり残しておこうと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
あけましておめでとうございます
昨年中は「あの街から」の旅行記に
おいでいただきましてありがとうございました。
今年も皆さまの旅行記を拝見・拝読しながら
旅への夢を抱いた素敵な年となるよう思っております。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
あの街から -
サンフランシスコの空港まで友人の旦那さんと
娘さんと2人で迎えにきてくれました。
サンフランシスコ郊外に在る
友人宅へ向かいました。 -
その夜は、遠くにサンフランシスコ空港を
望むレストランに行き
丁度学期と学期の間の休みで
NYの大学から帰宅していた娘さんと
4人でテーブルを囲みました。 -
知らせを受けてから
この日までに何度となく
メールのやり取りをして
友人の病状の経過等を聞いていたのですが
やはり空港で迎えに来てくれた
旦那さんと娘さんの姿を見たときには
涙が落ちてきてしまいました。 -
「この店はママもお気に入りにしていて
いつもこの席でお食事をいただくのよ」
明るく振る舞う娘さんの姿に心が和みました。
この後も「これはここの名物料理よ」
と色々と出てきたのですが喉をなかなか
通りませんでした。 -
サンフランシスコに着いた日から
2晩友人宅へ滞在をしました。
翌朝は友人宅でゆっくりと朝食を食べた後
AT&Tパーク(サンフランシスコジャイアンツの
本拠地としている野球場)からベイブリッジの
下をくぐり抜け
フィッシャーマンズワーフへ向かいました。 -
昨晩、「明日はシスコで行きたい所が
あるなら何処でも連れていってあげるよ」
との言葉に甘えて
友人(彼女)がシスコに渡ったばかりの頃
『「あの街から」さん、シスコへ
来たら先ずフィッシャーマンズワーフと
ゴールデンゲイトブリッジへ連れてゆくね。
後、休みがいっぱい取れるようになったら
ヨセミテに行こうね。』
と言っていたことを思い出し
そこにとお願いしておきました。 -
フィッシャーマンズワーフにある
ここの大きな駐車場に車を停め
歩きました。 -
「PIER39」へ向かう大きな通りの
片側には土産屋さんが並んでいます。 -
「PIER39」へ向かう大きな通りの
片側には土産屋さんが並んでいます。
帰りにそちら側を歩いてみることにし
先ず、「PIER39」へ -
ほどなく「PIER39」到着。
ピア39 散歩・街歩き
-
レストランや土産屋さんが並ぶ
ショッピングモールです。 -
カリフォルニアの太陽を浴びた
フルーツが並んでいました。 -
ウィークディの午前の
早い時間でしたが小学生・中学生
と思われる観光客が随分来ていました。 -
ショッピングストリートを
さらりと見た後 -
フィッシャーマンズワーフ一帯を
歩きながら、アシカを見たり
かってクリント・イーストウッド主演
映画『アルカトラズ島からの脱出』で知った
サンフランシスコ湾に浮かぶ刑務所跡
アルカトラズ島を眺めアルカトラズ島 博物館・美術館・ギャラリー
-
この日のサンフランシスコ湾は
雲が低くたれ込めていて
まるで歌のタイトルのような景色でした。 -
まだ朝食を食べてからあまり
時間が経っていませんでしたから
フィッシャーマンズワーフの
クラムチャウダーや茹でたカニは
この時には食べませんでした。 -
駐車場に戻る途中
今度は先ほどとは反対側の歩道を
歩きました。
すると、とある店先で
レオナルド・ディカプリオと遭いました。
その店とは
「マダムタッソー」です ヽ( ̄▽ ̄)ノ -
フィッシャーマンズワーフから
市内へ
車中からロンバートストリートからの
サンフランシスコの市街地を眺め -
小高い丘の上に建つコイトタワーから
サンフランシスコの市街地を眺め
「あぁ、あそこに見えるのが
友人達が来た時に泊った
キングジョージホテルかぁ」
とか思い出しながら -
ケーブルカーを横に見て
-
ランチはここでと案内してもらった所が
「ジャパンタウン」でした。
大きなビル駐車場につながった
2階建ての広いモールには
成田空港等で見かける様な
日本の品の土産店が並んでいました。
その一角にかなり大きなスペースの
「紀伊国屋書店」が出店されていました。
「ママはお休みの日に時々ここ来て
日本の本を買うの」と話してくれました。ジャパンタウン 散歩・街歩き
-
丁度昼時で大きな店内が
随分混み合っていました。
メニューには
天ぷら・うどん・寿司
お刺身・日本のビールや酒
と日本食なら何でも揃っていました。
カルフォルニアロールとラーメン
がセットとなっている定食をいただき
ました。思ったよりうまかったです。 -
今年のはじめに突然サンフランシスコの友人の
旦那さんから訃報が入りました。
「えっ!一瞬 私は何が何だか
分からなくなり 頭が真っ白になりました。」
・・・つい10日程前に例年の様に彼女から
クリスマスメールを受け取っていたばかり
だったのです。
知らなかったぁ・・・。
元気だとばかり思っていたぁ・・・。
白い封筒に書かれてある
Air Mailの文字はいつもの彼女の自筆だったし・・・。
〔封筒の宛名や差出人の住所氏名は
いつも、印刷してある可愛いシールでした。
そう思って最後のクリスマスメールを見返したところ
家族のスナップ写真で自筆の書き加えはありませんでした。
後で旦那さんに聞いたところ、写真は彼女が選び
まとめて郵便局に持って行ったのは旦那さんという事でした。〕 -
彼女は、私がかっての転勤先で
週に2回程通っていたトレーニング倶楽部の
仲間の1人でした。
それから30年来の友人
でした。
と過去形で書きたくはないのですが・・・ -
当時、トレーニングのある日には朝からワクワク。
前もってこの曜日とこの曜日は
と、ノー残業ディにしてもらい( ̄ー ̄)
一目散に倶楽部へと向かい仕事の
忙しさをしばし忘れました。
職業も違う多勢の人と
ストレッチ・ジョギングの後
バドミントン等を2時間程。
この日が待ちどおしかったことを覚えています。 -
倶楽部の新年会や忘年会
更には季節のキャンプや登山
にも参加するうち“ほとんど仕事の話が出ない”
このつながりが楽しくなりました。
やがてその中で8人程(男・女)が
良く話しをするようになりました。
ほどなく、このメンバーで北アルプスへ登ったり
松島や気仙沼大島の椿マラソンを走ったり
それぞれが観て来た映画を肴に飲み会をしたりしました。 -
そのようなつながりが2年程続いた後
私が転勤先を離れまた新たな
転勤先へ移ることとなりました。
それと前後して
彼女がサンフランシスコへ活躍の場を求めて
渡米することに。
仲間で送別会を開き「1年後に皆で
サンフランシスコで逢おう」と約束をしました。
1年後友人達はシスコへ。ところが私はどうしても
休暇が取れず行くことが叶いませんでした。
彼女はその後、米国人と結婚。
商社のキャリアとしてバリバリ働き始めました。 -
倶楽部の女子の中でも1番の体力を持つ
彼女には男子の私でも何をやっても敵わず(;´ェ`)
奥穂高の山頂にいち早く着いた彼女の
『「あの街からさん」早く!早く!こっちよ」
という声が今でも耳に残っています。
その後も、私の転勤先に新婚の旦那さまを
連れてきてくれたり、帰省した時には皆で集まって
ランチ会を開いたりの交流は続きました。 -
世界1週の旅の途中「アメリカ大陸へ行く」
旨メールを送ったところ折り返しメールが来て
「で、シスコはいつ来るの?」「シスコにはyouが居るから
この先いくらでも行く機会はあるサ。今回はシスコの上空を通るから」
「アメリカまで来て私の所に寄ってくれないの」との やり取りの後
「アメリカで何かアクシデントに会った時には私に電話して。
昼はオフィスに 番号は×××-×××××(携帯が出る少し前でした。)
それ以外の時間は家へ電話をよこして
知っているとは思うけれど番号は××××-×××よ。
24時間何時でも良いのよ。
きっと力になってやることができるわ。」と言ってくれた彼女。
東日本大震災の当日には発生2時間後くらいには
電話をしてきてくれました。
そんなこと等
色々なことを思いだされます・・・。
最後に彼女に会ったのは震災の前の年。
仲間が家族連れで集まり彼女を囲んで
ランチ会をした時でした。
「○○(娘さん)が来年からNYの大学へ行く事に
なったの。いよいよ私も子離れしなくっちゃぁね」
「じゃあ○○(旦那さん)も誘ってドロミテへ行こうよ!」
となど話していたところでした。
まだ50代半ばにさしかかったばかりで・・・
とても信じられず、シスコへ行って手を合わせた
のなら実感することができるのかなぁ〜。と
思って急遽シスコへやってきたのですが・・・
今でもこの時期になると、クリスマスカードが
届きそうな気がしています。 -
旦那さんから『あの歴史を感じさせる建物は
「サンフランシスコの市役所だよ」』
等案内を受けながら観光を終えて郊外の
友人宅に戻りました。そして兼ねてメールで
打ち合わせをしていた通り
地元の大きなスーパーへ買い出しに行き
少し豪華な海産物を買い求め
友人がほんの数ヶ月前まで立っていたであろう
キッチンに私たちが立ち
イタリアンを作り
彼女の写真を飾ったテーブルで
4人で夕食を共にしました。
その後、夜更けまでいろいろなことを話し合いました。 -
翌朝、朝食の後
ヒルトンホテルまで送ってもらいました。
何度か「ホテルではなくここに(友人宅)
泊ってゆきなよ。明日もどこへでも
案内するよ」と引き止めてもらいましたが
「シスコを発つ朝は早朝に空港に
行かなければならないから」と・・・
辞退して -
ヒルトンホテルの広いロビーで
挨拶を交わしました。
旦那さん(私たちはお互い愛称で呼び合っていますが)は、
最後に「Please keep in touch」
そして「じゃ!」と言い残して帰って行きました。 -
早めのチエックインが出来
部屋に入ったところで
ふぅ〜と虚脱感を感じました。
くよくよしていても
彼女(友人)が喜ばないだろうなぁ。
と、
いつもの私たちの旅のスタイルに戻り
街へ飛び出しました。 -
昨日のゴールデンゲイトブリッジは
霧が立ちこめていて
友人の旦那さんから借りた
ガホガホのブルゾンを着て震えていましたが
この日は日本の3月ぐらいの陽気でした。 -
パウエルストリート辺りから
歩き始めて -
ビルの谷間で
開かれていた絵画展を見たり -
いかにもカリフォルニアで
描かれた題材の絵が展示されてありました。 -
Jazz のアーティストの絵も
魅力的でした。 -
サンフランシスコの街は
カリフォルニアの街らしく
ド派手なペインティングを施した
ビルも在りました。 -
いゃぁこんな所を
彼女の案内で歩いてみたかったなぁ。
と
考えてみれば
彼女がサンフランシスコに渡ってから
20数年程1度も、いや、1度だけ
やはりあの時の仲間4人で
デンバーからレンタカーでグランドサークルを
回った帰り、シスコの空港でのトランジェット
の時間を知らせ空港に逢いに来てもらい
2時間程皆で話したっけ。
あの時にも
「どうしてシスコに滞在するよう予定を
組んでくれないの」って
叱られて(;´ェ`)しまったのだっけ。 -
「あれっ 見たことが無い
ミニカー?だぁ」と思ったら -
そこから少し歩いたところに
観光客相手のレンタルの店がありました。 -
坂の道を歩いて
サンフランシスコに来ているのだ
と実感。 -
ここを通り抜けてチャイナタウンに
入りました。 -
あの提灯がいっぱい並んでいて
-
道の両側にいかにも
チャイニーズ風の土産物屋さんが
並んでいます。
ちょうど表参道のあの店を少し
チープにした感じのする店で
こうずらりと並んでいると雰囲気があります。 -
坂の途中の四つ角の
小さなレストランが目に止まりました。 -
飲茶でランチをしました。
-
街並を眺める小さなテラス席で
ランチを食べながら
「何処へゆこうか」と
話し合いましたが
家人も「別にどこでも良いよ」
といつもの元気がありません。 -
観光の写真が少なかったので
サンフランシスコで買ってきた
絵本を少しばかり載せてみます。 -
ランチの後になっても
2人共すぐには切り替えが
出来ないでいました。
それでもケーブルカーを眺めたり
しながら歩いていたら -
坂の途中に可愛らしい
カード(誕生日やクリスマス等の)の店を
見つけました。 -
オシャレな店内には
バースデーカードをはじめとして
サンフランシスコの絵はがきや
イベントカードの他
絵本に可愛い文具や机に置く小物等が並んでいて
2人共、一時・時間を忘れて( ̄ー ̄)
あれもこれもと手を伸ばしてきました。 -
リビングのブックスタンドの
インテリアとして
サンフランシスコのイラスト本をも
買って帰りました。 -
店を後にするころには
なんだか元気が蘇ってきました。
ユニオンスクエア一帯の
街歩きを続けることにしました。 -
信号待ちで立ち止まった時に
隣の2人連れの人が何やらイラストが
描がかれた大きな紙袋を下げていました。 -
どうやらレコード屋さんの紙袋ということが
わかりました。思い切って聞いてみました。
「その袋の店は何処にありますか?」と -
すると「あれに(トロリーバス)乗ってそこから
○○という停留所で降りて、電車の進行方向
に向かい右に直角に行った所にあるよ」
とのこと。それは面白そうだ。
トロリーバスにも乗れるし、これとといった予定も無いし
同意を得行ってみることにしました。 -
Powell駅から7番行きの
バスを2台連結のトロリーバスに乗りました。
もしかしたら初めての体験でした。 -
「オペラ座の怪人」を上演中の劇場前の
停留所に止まった時
何やら人だかりが見えました。
よく見て見たら丁度出待ち時で
アクターが出で来る度に歓声が上がっていました。 -
やがて車窓で展開して行く街角の風景は
これまでのサンフランシスコで
見た風景とは全く異なり -
ウイークディの昼間でしたが
大きな窓をフルオープンにした
酒場(カフェ?)が並んでいて
アルコールを飲んでいる人々の姿も見え -
どこかその昔の
ヒッピー文化の香りがしました。 -
ヘイトアシュベリーの停留所で
バスを降りて -
先ほどユニオンスクエアで聞いて来た
『Amoeba Music店(アメーバレコード)』
をここでまた通行人に聞いてみました。 -
先ほどバスの窓から見てきた
イメージが強く残っていて
この景色を見て
開放的な街だなぁと感じました。 -
建物の向こう側には
昨日車で通った
ゴールデンゲイトブリッジ? -
『Amoeba Music店(アメーバレコード)』
見つかりましたぁ。
何やらド派手な看板でまるで
いかがわしい劇場のネオンサインの様でした。 -
入口は狭く
そこでセキュリティ・チエックを受け
手荷物は番号札と引換えにそこで
預けなければなりません。
入口の狭さとは裏腹に
一歩中へ入って驚きました。
まるで体育館! -
おびただしい数の
CDとDVDが並んでいました。 -
アメリカでも近頃
再び人気が出て来たという
アナログ盤のLPレコードも並んでいました。
サンフランシスコを訪れたこの時
ベストセラーを続けていた
ボブ・ディランの新譜
「Shadows in the Night」のアナログ盤
ももちろん!ありました。 -
しばらく時間をもらって
ヽ( ̄▽ ̄)ノ 数枚のアルバムを買い求め
家人の待つ入口付近の雑貨売り場に
戻った時には「まるで、鳥かごから
放たれた小鳥みたいだったよ」と
言われてしまいました。が
この小確幸がたまりませんでした。 -
Amoeba Music店を出て戻る時に
さっき来る時にバスの窓から見た
風景の中を歩いてみたいと提案
何とか却下されずに歩いてみることにしました。 -
早速、ヒッピー文化を引きずった
ような風景に出会い私はヽ( ̄▽ ̄)ノ
家人は足早になり -
ここはカリフォルニアだぁ!
と感じながら歩く小確幸。 -
アーティストをペイントした
家並みがあり -
坂道を下って行くと
-
カラフルなビクトリアン様式の家並みが
続き -
カラフルなビクトリアン様式の家並みが
続き -
その中でもひと際は目に引く
建物が並んでいる一帯に出ました。
これは
昔見た映画『パシフィックハイツ』の
舞台となった付近に?
出たのかなぁ。 -
更に通りを曲がったりした
-
所に標識が掲げてあるのを
見つけました。
ここは何処かと見上げたところ
「フィルモア」とあり驚きました。
ン? ここはロックのLIVEアルバムで
有名なフィルモアイーストが在る所かぁ。 -
歩き疲れタクシーで
先ほどバスの窓から見つけた
レストランへ行って夕食を
することにしました。 -
その店がここです。
☆画像は、バスが停留所に着いた時に
撮っていおたもの。
-
Amoeba Music店へ行くバスの中から
見た時にも混んでいるようでしたが
どうやら観光客は見当たらず
地元の人気レストランのようで
夕方からは更に混み合ってきて
予約もせずに通りすがりで
入った私たちはウエイティングバーで
1時間程待ってから
やっとテーブルに案内してもらえました。 -
1階の半分のスペースは
ウエイティングバーとなっていて
おしやれな螺旋階段を2階上がったところが
テーブル席となっていました。
照明が落としてあり雰囲気の良い
イタリアンレストランでした。
☆参考
『Zuni Cafe』2人で
フルボトルワインを入れて
93.31ドル(およそ11,570円程) -
翌朝 6時には
空港へ向かいました。
BARTの空港駅構内で
「サンフランシスコのミュージアム」
で開催中の -
ハリウッド映画
「風と共に去りぬ」や「クレオパトラ」
等の作品で
ビビアン・リーやエリザベス・テイラー
が身に着けていた宝石の数々が
並べられてありました。 -
マリリン・モンローや
グレース・ケリーの作品もあり
作品展の一部がこの様に
駅構内のフリーコーナーに展示さてれいました。
防犯カメラが設置されてある
とはいえ大丈夫?かなぁ。と思いながら
「時間が無い! 時間が無い!」と
自分に言い聞かせ
取り急ぎ見空港へと向かいました。 -
こうして3泊4日の
サンフランシスコの滞在を終え
ニューヨークへと向かいました。
さょならサンフランシスコ
また来れるかなぁ。
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