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東海道の脇街道として栄えた佐屋路の岩塚宿の辺りを自転車でまわってみました。<br />愛知県名古屋市中村区岩塚町にあります佐屋街道沿いの岩塚宿跡は1軒わずかに残るのみの静かな住宅街でした。散策コースが近辺にあり、名古屋布袋尊のある薬師寺から北へ行くと浄信寺、続いて永禄11年1568年伊勢で戦死した城主吉田元氏の後廃城となった岩塚城址の石碑が入口に建っている遍慶寺(へんきょうじ)というお寺には中村区内で最初に指定された立派なイブキの木がありました。さらに北へ向かうと曹洞宗児陽山光明寺があります。光明寺には行基作と伝わる本尊地蔵菩薩が有るそうですが、公開はされていませんでした。光明寺から佐屋路をはさんだ斜め向いには岩塚宿場跡の建物が1軒建っており、江戸当時の面影をわずかに残していました。万場大橋の下の通路は七所社に通じており、徒歩5分ほどで着きました。七所社の「きねこさ祭り」は、毎年恒例の厄年の男性が神男として祭を行う豊作占いの祭りで、元は御田神社で行われていた祭りが七所社に受け継がれ連綿として続けられているものです、御田祭りとも言われており、毎年2月の祭り日は多くの参拝者で賑わいます。<br />七所社は太古より古木繁る清浄な神域で岩塚社家の祖岩塚城主吉田守重は、足利尊氏の一族であり、岩塚及び隣邑を領有していたが(尾張雑記)応永32年1425年にこの神域にあった七社を勧請し祀った。熱田神宮,八剱宮、大幸田神社、日割御子神社、高座結御子神社、氷上姉子神社、上知我麻神社、の七社である。(ホームページより)<br /><br />

岩塚佐屋路:光明寺・岩塚宿場跡・遍慶寺(岩塚城址)・七所社2015

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2015/11/12 - 2015/11/12

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名古屋のmisako

名古屋のmisakoさん

東海道の脇街道として栄えた佐屋路の岩塚宿の辺りを自転車でまわってみました。
愛知県名古屋市中村区岩塚町にあります佐屋街道沿いの岩塚宿跡は1軒わずかに残るのみの静かな住宅街でした。散策コースが近辺にあり、名古屋布袋尊のある薬師寺から北へ行くと浄信寺、続いて永禄11年1568年伊勢で戦死した城主吉田元氏の後廃城となった岩塚城址の石碑が入口に建っている遍慶寺(へんきょうじ)というお寺には中村区内で最初に指定された立派なイブキの木がありました。さらに北へ向かうと曹洞宗児陽山光明寺があります。光明寺には行基作と伝わる本尊地蔵菩薩が有るそうですが、公開はされていませんでした。光明寺から佐屋路をはさんだ斜め向いには岩塚宿場跡の建物が1軒建っており、江戸当時の面影をわずかに残していました。万場大橋の下の通路は七所社に通じており、徒歩5分ほどで着きました。七所社の「きねこさ祭り」は、毎年恒例の厄年の男性が神男として祭を行う豊作占いの祭りで、元は御田神社で行われていた祭りが七所社に受け継がれ連綿として続けられているものです、御田祭りとも言われており、毎年2月の祭り日は多くの参拝者で賑わいます。
七所社は太古より古木繁る清浄な神域で岩塚社家の祖岩塚城主吉田守重は、足利尊氏の一族であり、岩塚及び隣邑を領有していたが(尾張雑記)応永32年1425年にこの神域にあった七社を勧請し祀った。熱田神宮,八剱宮、大幸田神社、日割御子神社、高座結御子神社、氷上姉子神社、上知我麻神社、の七社である。(ホームページより)

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
徒歩

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  • 薬師寺は以前旅行記(初詣2013その2)作りましたので、飛ばしましてお隣の八社神社からまわります、こちらは八社という地名にもなった地元の方の氏神と思われます

    薬師寺は以前旅行記(初詣2013その2)作りましたので、飛ばしましてお隣の八社神社からまわります、こちらは八社という地名にもなった地元の方の氏神と思われます

  • 八社神社東の参道

    八社神社東の参道

  • 浄信寺

    浄信寺

  • 羽衣山浄信寺<br />往古は横井山の北あたりにあり、天正の頃、この地に移転。横井村は横井氏発祥の地であり、この寺は横井氏の菩提寺であったとも伝えられています。本尊阿弥陀如来立像。(中村区ホームページ岩塚宿散策コースより)<br />横井山緑地が近くにあります、桜やスイセンなど季節の花が美しいところです<br />今回残念ながら写真撮っていませんので・・・高野宮社も発見できてません・・・<br /><br />

    羽衣山浄信寺
    往古は横井山の北あたりにあり、天正の頃、この地に移転。横井村は横井氏発祥の地であり、この寺は横井氏の菩提寺であったとも伝えられています。本尊阿弥陀如来立像。(中村区ホームページ岩塚宿散策コースより)
    横井山緑地が近くにあります、桜やスイセンなど季節の花が美しいところです
    今回残念ながら写真撮っていませんので・・・高野宮社も発見できてません・・・

  • 紫雲山遍慶寺<br />この寺の境内はもと岩塚城があった所。岩塚城は吉田氏代々の居城であったが、慶長5年(1600年)清須城主福島正則によって滅ぼされたといわれます。境内のイブキの巨木は区内で最初に指定された保存樹で、その立派さは人々の目をうばいます。本尊阿弥陀如来立像。<br />(中村区ホームページ岩塚散策コースより)

    紫雲山遍慶寺
    この寺の境内はもと岩塚城があった所。岩塚城は吉田氏代々の居城であったが、慶長5年(1600年)清須城主福島正則によって滅ぼされたといわれます。境内のイブキの巨木は区内で最初に指定された保存樹で、その立派さは人々の目をうばいます。本尊阿弥陀如来立像。
    (中村区ホームページ岩塚散策コースより)

  • 向かって左がイブキ、右がクロガネモチ、名古屋市の保存樹です

    向かって左がイブキ、右がクロガネモチ、名古屋市の保存樹です

  • 向かって右がイブキ、左がクロガネモチ

    向かって右がイブキ、左がクロガネモチ

  • 光明寺お隣の八幡社

    光明寺お隣の八幡社

  • 八幡社の本殿の囲みはちょっと変わった作りですね

    八幡社の本殿の囲みはちょっと変わった作りですね

  • 児陽山光明寺<br />本尊は行基作と伝えられる子どもを守る仏様地蔵菩薩。この地蔵様にサラシを掛けて安産を祈願し、戌(いぬ)の日にこれをはずして体につける妊婦も多い。<br />(中村区ホームページ岩塚散策コースより)

    児陽山光明寺
    本尊は行基作と伝えられる子どもを守る仏様地蔵菩薩。この地蔵様にサラシを掛けて安産を祈願し、戌(いぬ)の日にこれをはずして体につける妊婦も多い。
    (中村区ホームページ岩塚散策コースより)

  • 役行者様像もありますね、錫杖がないみたいですが・・・

    役行者様像もありますね、錫杖がないみたいですが・・・

  • 光明寺本堂

    光明寺本堂

  • 光明寺の東向かいには岩塚宿場跡

    光明寺の東向かいには岩塚宿場跡

  • 尾張徇行記に、「此村ハ佐屋街道駅場也、名古屋ヘ二里、熱田ヘ四里、神守ヘ二里九町アリ、・・・」と書かれているように、佐屋街道の宿場として、寛永13 年(1636年)に設けられました。本陣、問屋場、旅籠屋も設けられにぎわったものと思われますが、当時をしのぶことができるものは、何も残されていません。<br />(中村区ホームページ岩塚散策コースより)

    尾張徇行記に、「此村ハ佐屋街道駅場也、名古屋ヘ二里、熱田ヘ四里、神守ヘ二里九町アリ、・・・」と書かれているように、佐屋街道の宿場として、寛永13 年(1636年)に設けられました。本陣、問屋場、旅籠屋も設けられにぎわったものと思われますが、当時をしのぶことができるものは、何も残されていません。
    (中村区ホームページ岩塚散策コースより)

  • 佐屋路を北に入ると津島神社がありました、こちらは散策コースには含まれていませんでした

    佐屋路を北に入ると津島神社がありました、こちらは散策コースには含まれていませんでした

  • 七所社<br />日本武尊(ヤマトタケルノミコト)始め7柱の神を祀るので、古来より七所社といわれます。旧暦1月17日に行われる尾張三大奇祭の1つ、きねこさ祭で有名。境内に平安朝初期のものといわれる円墳があり、また、日本武尊は東征の帰路伊吹山に向かうとき、川の渡し船を待つ間、腰をかけて休まれたと伝えられる「日本武尊腰掛石」もあります。伝説の真偽はともかく、岩塚が昔から交通の要衝の地であったことがしのばれます。<br />(中村区ホームページ岩塚散策コースより)<br />

    七所社
    日本武尊(ヤマトタケルノミコト)始め7柱の神を祀るので、古来より七所社といわれます。旧暦1月17日に行われる尾張三大奇祭の1つ、きねこさ祭で有名。境内に平安朝初期のものといわれる円墳があり、また、日本武尊は東征の帰路伊吹山に向かうとき、川の渡し船を待つ間、腰をかけて休まれたと伝えられる「日本武尊腰掛石」もあります。伝説の真偽はともかく、岩塚が昔から交通の要衝の地であったことがしのばれます。
    (中村区ホームページ岩塚散策コースより)

  • 七所社本殿

    七所社本殿

  • 上知我麻神社、熱田神宮内の南にある神社の分社

    上知我麻神社、熱田神宮内の南にある神社の分社

  • 石神社、熊野社、白山社

    石神社、熊野社、白山社

  • 本殿

    本殿

  • 平安朝初期の古墳<br />

    平安朝初期の古墳

  • ヤマトタケルが庄内川を渡る船を待つ間腰かけた言われる腰かけ石<br />庄内川西対岸は、江戸時代に東海道の脇街道の宿場まちとして栄えた万場宿が有ったところで、川岸には渡船場のあった万場の渡し跡の碑が立っています、今回は写真を撮っていません<br />古代から渡船場が有り栄えたところのようです<br /><br />庄内川にかかる万場大橋から100メートル南の堤防に跡碑が立っているが、この付近に渡船場があった。尾張名所図会に描かれた渡し船には馬2頭、客9人、籠、船頭2人が乗っている。このような大きな川船が行き来していたことは東西交流の多さを物語る。(中川区ホームページ万場の渡しかいわいコースより)

    ヤマトタケルが庄内川を渡る船を待つ間腰かけた言われる腰かけ石
    庄内川西対岸は、江戸時代に東海道の脇街道の宿場まちとして栄えた万場宿が有ったところで、川岸には渡船場のあった万場の渡し跡の碑が立っています、今回は写真を撮っていません
    古代から渡船場が有り栄えたところのようです

    庄内川にかかる万場大橋から100メートル南の堤防に跡碑が立っているが、この付近に渡船場があった。尾張名所図会に描かれた渡し船には馬2頭、客9人、籠、船頭2人が乗っている。このような大きな川船が行き来していたことは東西交流の多さを物語る。(中川区ホームページ万場の渡しかいわいコースより)

  • 古墳が3つあるそうで、2つ目の古墳ですが、3つ目がどこかな・・・

    古墳が3つあるそうで、2つ目の古墳ですが、3つ目がどこかな・・・

  • エノキ

    エノキ

  • 一楊荘は稲葉地から下之一色に至る広い荘園で、その一部は伊勢神宮の御神領地で御厨(みくりや)とよばれていました。(中村区ホームページ岩塚散策コースより)<br />中川区の我が母校の一柳中学校の一柳もこの荘園の一柳庄の名残であるといわれています。<br />岩塚も一柳荘だったのですね

    一楊荘は稲葉地から下之一色に至る広い荘園で、その一部は伊勢神宮の御神領地で御厨(みくりや)とよばれていました。(中村区ホームページ岩塚散策コースより)
    中川区の我が母校の一柳中学校の一柳もこの荘園の一柳庄の名残であるといわれています。
    岩塚も一柳荘だったのですね

  • 名古屋の総鎮守と言われています若宮八幡宮が中区栄3丁目にありますが、七所社にも若宮社がありますね

    名古屋の総鎮守と言われています若宮八幡宮が中区栄3丁目にありますが、七所社にも若宮社がありますね

  • 七所社境内地内に御田神社もあります

    七所社境内地内に御田神社もあります

  • 帰宅途中に白山社を発見、中川区川前町、中村区横井町の東隣です

    帰宅途中に白山社を発見、中川区川前町、中村区横井町の東隣です

  • 白山社の境内地はきれいにお掃除されていました

    白山社の境内地はきれいにお掃除されていました

  • クスノキ

    クスノキ

  • イチョウ

    イチョウ

  • 白山社隣の野田第一公園は紅葉が美しかったです

    白山社隣の野田第一公園は紅葉が美しかったです

  • JRと近鉄の高架を抜けると野田公園が有りました

    JRと近鉄の高架を抜けると野田公園が有りました

  • キバナコスモス

    キバナコスモス

  • バラやコキアもありました

    バラやコキアもありました

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