2015/10/08 - 2015/10/08
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fernandoさん
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知多半島の半田(ハンダ)市の北部にある亀崎(カメザキ)地区を歩きます。
元は知多郡亀崎町であったが、昭和12年の合併で半田市の一部となる。
江戸時代は漁業、海運、醸造業で栄え、知多半島有数の繁栄地であったという。
特に漁業は特権が付与されたこともあり、この地域の一大集約地となっていた。
繁栄した時代の証拠ともいうべき「亀崎潮干祭」が毎年5月に盛大に開催されます。
鉄道の普及と同時に、海運で栄えたこの町は急速に衰えることになる。
それが逆に古い街並みが残ることになったのではないか。
そんな当時に思いを馳せながらガイドの方と共に歩きます。
この旅行記の内容のほとんどをガイドさんに頼っています。
聞き間違い等はご容赦ください。
- 同行者
- その他
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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亀崎の案内を地元のガイドさんにお願いしました。
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最初に訪れたのが「尾張三社」。
文政6年(1823年)、この地に津島神社の神符(シンプ)が流れ着いたという。
その神符を祀り尾張三社としました。 -
今は埋め立てられましたが、柵の左は岸壁でそこまで海であったという。
※その当時の様子がジオラマで再現されています。この旅行記の終わりに出てきます。 -
右手にある小さな社が健康の神様です。
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「さざれ石」がある。
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灯篭に鹿のレリーフが彫ってある。
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石塀の菊の模様が珍しい。
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この辺りは酒蔵が多く残っていますが、金鯱酒造(旧天埜酒造)以外は営業していません。
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JR亀崎駅に向かいます。
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JR亀崎駅に来ました。
JR武豊線ですがこれが古い!
東海道本線開通(明治22年)に先立つ明治19年に武豊線が開通している。
しかし、現在も単線で電化されたのは2015年3月!!!です。
武豊線の乗車は10月12日の旅行記でお伝えします。 -
明治19年建造の駅舎です。
現役では日本最古の駅舎です。 -
建物資産標そのものは新しいようですが、「M19年1月」とある。
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高台の見晴らしがよい所に来ました。
すぐ下に見えるのが「浄顕(ジョウケン)寺」です。
亀崎は北側に山、南側を海に挟まれ、狭い路地(せこ)に人家が密集しているという昔ながらの町です。 -
衣ヶ浦(コロモガウラ)湾は大規模に埋め立てられ昔の面影はありません。
しかし、その埋立地に建つ工場の一つに飛行機の胴体を製造する工場があり、最先端を走っています。 -
山が海岸に迫る地形なので坂が多い。
21の坂に名前が付いている。 -
行者坂、お城坂、大坂の三つの坂の交わるところが次郎長峠といい、そこからの北方面の眺めです。
次郎長というのは、ご存じ清水次郎長です。
悪代官を切ってここを抜けて逃げたのではないかということからその名が付いています。
右手の林の辺りに富士山(フジヤマ)と呼ばれた小高い山があり、そこに亀崎城があった。
その山は衣浦(キヌウラ)干拓工事のため削られ、跡形もありません。
亀崎城址の石碑は神前(カミサキ)神社の裏手の公園(外苑)にあります。 -
また、次郎長峠からは衣浦大橋を見ることができます。
橋の昭和31年の完成によって亀崎渡船は廃止される。 -
階段を登ると天命地蔵がある。
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目の悪い人に霊験あらたかとのこと。
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京都の田んぼに倒れていたのを持ち帰ったものだそうです。
いいお顔をしています。 -
神前神社の外苑にある「亀崎城址の碑」。
先ほども触れましたが、本来はここではありません。
初代の城主は稲生政勝です。 -
大正4年11月、大正天皇の大嘗祭(ダイジョウサイ)が行われた京都御所の悠紀(ユキ)殿の屏風絵に「亀崎の月」が描かれ、これにちなんだ和歌が詠まれた。
歌人黒田清綱が「萬代(ヨロズヨ)も かはらぬかけを 亀崎の なみにうかへて 月てりにけり」と詠んだ。
この碑も高台から移築されています。 -
この上に、これらを記念して観月亭が大正4年に建てられた。
しかし昭和34年の伊勢湾台風で倒壊してしまう。 -
今年は大嘗祭から100年目ということで、荒れ果てていた跡地を整備し50数年ぶりの中秋の名月を楽しんだという。
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伊勢神宮遥拝所がある。
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亀崎海浜緑地に来ました。
平成5年神前神社前にできた人口海浜です。 -
亀崎潮干祭の山車の海浜曳き下ろしは、ここができるまで長らく途絶えていました。
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亀崎潮干祭は毎年5月4日と5日に行われる。
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祭りの起源は定かではないが元禄〜宝暦年間までその歴史を遡らなくてはいけないようです。
そしてこの地に5輌の山車が存在すること自体が、昔の栄華を伝えるものとなっている。 -
亀崎潮干祭の山車巡行絵図ですが分かりやすい。
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そして、この海浜緑地で見逃せないのは「新美南吉文学碑」。
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新美南吉が17歳の時(昭和5年)に書いた童話「煙の好きな若君の話」の一節で、当時の亀崎の町の風景がよく描かれています。
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右手が海浜緑地で、昔は海岸であったと思われる247号線が現在は主要な道路になっています。
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道路を渡った所に、常夜灯と亀崎渡船場跡がある。
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知多半島から三河へ渡るのにここ亀崎からの渡船が多く利用されていたという。
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旧道に出るとすぐ目に入るのが山車の車庫。
山車の高さに合わせて作られているので背丈の高いものとなっています。
普段は解体されて近くの倉庫に保管されているそうです。 -
神前(カミサキ)神社です。
後でゆっくり来ます。 -
神前神社のすぐ脇に大きな碑が建っている。
魚商組合の要職に就かれた方のようです。 -
神前神社の隣にある「海潮(カイチョウ)院」に来ました。
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曹洞宗のお寺で、山号は「亀嶺(キレイ)山」です。
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ここは知多四国54番札所です。
特筆すべきは、中央にある灯篭が金属製だということです。 -
「五鈷(ゴコ)」といい、煩悩を破壊し菩提心を表す法具だそうです。
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「開眼の杖」がある。
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金毘羅尊天があり、そこにも金属製の灯篭がある。
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灯篭には亀崎城主稲生家の家紋がある。
ここ海潮院は稲生家の菩提寺である。 -
三代目城主稲生重政のお墓です。
これで海潮院を後にします。 -
亀崎には「せこ(細い路地)」が多く残っています。
そこは昔ながらの亀崎が残っている場所です。 -
そんな「せこ」の一角に共同井戸がある。
現在はその井戸の上にお地蔵さんが山車の中に鎮座している。 -
そのお地蔵さんの横に般若心経を手掘りしたものが掲げてある。
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いよいよ神前(カミサキ)神社をお参りします。
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神社の由来が書かれている。
例祭「桟掛祭(ハシカケサイ)」が2015年は10月18日(日)に催される。 -
亀崎潮干祭の謂れが書かれている。
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神武天皇が東征の途中、伊勢国から舟で天神洲に上陸した。
村人はそれを記念して、上陸地点に祠を建てお祀りしたのが起源とされる。 -
境内に天神様が祀られている。
朱色の灯篭は鉄製です。 -
狛犬ならぬ牛です。
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廃筆納箱がある。
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祭神は「神倭磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト)=神武天皇」です。
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神武天皇が湧き水の清らかさに心なごまれた由緒ある神の井であるという。
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こちらがその井戸で、のぞき神事は子供の癇の虫が治まると云い伝えられています。
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この先に祭神が祀られている。
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狛犬の下を見ると何かがある。
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土台を支えている像がある。
他にはない珍しものだそうです。 -
鳥居から衣が浦を望めます。
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亀崎の旧道を歩きます。
この地区に5輌の山車があります。
最初に「東組 宮本車(ミヤモトグルマ)」の車庫を見ました。
ここは「石橋組 青龍車(セイリュウシャ)」の車庫です。 -
古い街並みが続きます。
この仲町通りは道幅が拡張されたようです。 -
高台から見えていたお寺「浄顕(ジョウケン)寺」です。
真宗大谷派です。
※亀崎地区には今まで見学した「海潮院」「浄顕寺」のほかに「東光寺」「鶴城寺」「来教寺」「妙見寺」と6つのお寺がある。 -
山車3ヶ所目の「中切組 力神車(リキジンシャ)」の車庫です。
山車の彫刻は立川流によるものです。
立川流については後でコメントします。 -
「望洲楼」です。
安政二年(1855年)宿屋として開業したのが始まりです。 -
明治の初め、この地の丘陵を利用した階段状の料理旅館を新築した。
福沢諭吉をはじめ著名人がここを訪れたという。 -
通りには昔の建物が使われなくなってそのまま残っています。
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屋根瓦を見ますと、鳥の形をしています。
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山車4ヶ所目の「田中組 神楽車(カグラグルマ)」の車庫です。
山車の彫刻は立川流によるものです。 -
せこの先にお地蔵さんがある。
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亀崎の火の守り神「秋葉社」です。
明和3年(1766年)に30時間に渡って燃え広がった大火災がありました。
このため、火伏せの神を祀る秋葉社ができました。
神社も「尾張三社」「神前神社」と三ヵ所ある。 -
狭いせこに人家が密集している、そんな庶民的な風景がどこか懐かしく感じます。
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山車の古い車輪をオブジェとして再利用している。
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この辺り昔魚市場があった所です。
この先が亀崎港ですが、漁港としての機能は在りません。
当時の賑わいを想像するしかありません。 -
山車5ヶ所目の「西組 花王車(カオウグルマ)」の車庫に来ました。
山車の彫刻は立川流によるものです。
これで東組から西組の車庫を訪ねました。
この狭い地区に5輌もの山車があるというのは財力と多くの人手が必要です。
それを現在も続けているのは素晴らしいことだと思います。
ちなみに、最初の方でコメントしましたが、山車は普段は解体されて別の倉庫に保管されています。 -
大川通りに来ました。
昔は銀行街と呼ばれていた所で賑やかな場所であったようだ。
左の並びには(現在郵便局)元禄時代創業の山二酒造さんがあった。
その向かいには明治銀行があった(現在郵便局の駐車場)。 -
伊藤呉服店支所であった建物。
伊藤呉服店とは現在の松坂屋の前身です。
その支店がここ亀崎にあったということです。 -
同じ並びに愛知農商銀行があった。
現在は山車を修理する工房になっている。 -
左は山二酒造さんの長屋が続いていたという。
現在はその門を残すのみとなっている。 -
山車の修理工房の隣が「立川(タテカワ)美術館」。
1階は黒壁舎(クロカベヤ)というカフェです。
この写真の撮影は2014.10.30です。
ミニ山車祭が毎年この時期に開催されます。 -
門が凝った作りになっている。
立川流彫刻は、江戸中期に江戸で発祥し長野県諏訪地方で発展した伝統彫刻(宮彫)です。
宮彫とは神社仏閣の楼閣建築を飾る装飾彫刻です。
その簡略化され一般大衆化したものが民家での欄間です。
その後、宮彫は単なる装飾彫刻から独立した彫刻作品の域に達していた。
しかし大正14年以来その流れは途絶えていた。
永年立川流彫刻の研究を続けてきた「彫刻師 間瀬恒祥氏」が今年(2015年)立川芳郎尚富を襲名し再興した。 -
カフェの奥では半田の各種お土産、彫刻も販売している。
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2階はミニの山車が展示されている。
ミニとはいっても、本物に限りなく近い形で再現されている。
尾張三社に揃い踏みした状態の形態です。 -
立川美術館の隣にある朝倉堂は山車、彫刻制作工房です。
元は味噌・醤油の製造元です。 -
その先の辻ですが、ここを清水次郎長が悪代官を切った血刀を持って駆け抜けたという。
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もう一度立川美術館に戻ります。
その敷地内に昔の醸造蔵を利用した「鉄道ジオラマ館」がオープンしています。 -
古い時代の道具類も展示されています。
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1階は、亀崎の町を走るJR武豊線でNゲージの列車が走ります。
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2階は日本アルプスを中心にした風景の中で列車(HOゲージ)が走ります。
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亀崎の街並みは昭和30年代当時を再現しています。
伊勢湾台風前の情景だそうです。 -
山車が海辺に曳き下ろされている様子が再現されている。
以上ですが、まだまだ見どころはあります。
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