2007/05/11 - 2007/05/18
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hy-2217さん
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最近、ギリシャの問題がテレビ、新聞と賑やかにしています。
今思うと、”歴史ある国がまさか”と思う気持ちと”なるほどな”思う気持ちが半々あります。
旅行をしてから約8年の年月が経過していますが、ボケ防止を兼ねて「旅行記」を投稿することにしました。
今回の旅行で、一番行きたかったところは「奇岩の上に建つメテオラの修道院」でした。
旅行のパンフレットではよく見かけましたが、詳細は何もわかっていませんでした。
”修道院が奇岩の上にどのように建立されているのか、どのような方法で建物まで行けるのか”非常に興味がありました。
8日間のざっとしたスケジュールは下記の通りでした。
関西国際空港〜カタール(ドーハ)乗り継ぎ〜アテネ(アクロポリスの丘・エーゲ海クルーズ・その他)〜カランバカ〜メテオラ〜カランバカ〜デルフィ〜オリンピア〜コリントス〜アテネ〜カタール(ドーハ)乗り継ぎ〜関西国際空港
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
-
<1日目:5/11(金)>
主な予定:関西国際空港〜カタール(ドーハ) ※機中(泊)
カタール(ドーハ)を目指して、関西国際空港を23時55分に出発しました。
<2日目:5/12(土)>
主な予定:カタール(ドーハ)〜ギリシャ(アテネ)〜アテネ市内半日観光 ※アテネ(泊)
ドーハには、午前5時15分に到着しました。
日本とドーハとの時差は、6時間なので11時間20分飛行機に乗っていたことになります。
アテネへ出発するまでには、4時間余りの時間があります。
到着した時は、日の出の直後でした。 -
ドーハ空港の景色。
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空港内を散歩すると、空港待合の一角に、白い衣装を身に付けた多くの人達が待機していました。
日本では、見られない独特の雰囲気でした。 -
土産物売り場に行くと、日本とは土産物の種類が違い、多くの金製品が陳列されていました。
「カタールは裕福な国」という印象を受けました。 -
ドーハを9時30分に出発して、14時05分にアテネ空港に到着しました。
所要時間は、約4時間30分の空の旅でした。
関西国際空港〜カタール(ドーハ)〜アテネは、往路約20時間の旅でした。
【アテネとアクロポリスの豆知識】
アテネは世界で最も古い都市の一つで、約3400年の歴史があります。
古代のアテネである「アテナイ」は強力な都市国家でした。
アクロポリスとは、神殿や砦が築かれた高い丘という意味です。
パルテノン神殿は、「アテネの守護神アテナ女神」を祀るための、大理石で造られたドーリア式の巨大な神殿です。
屋根は木製だったと言われています。
アクロポリスは、1987年、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されています。
着後、アテネ市内半日観光」に参加しました。
バスが「アクロポリスの丘」の駐車場に到着すると、緩やかな坂道をテクテク歩き、根気よく登って行きました。
麓から「アクロポリスの丘」を見上げるとこんな感じです。 -
坂道をテクテク歩きながら撮ったアテネの街並みです。
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早速、補修工事真っ最中の神殿に着きました。
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「パルテノン神殿」目指して、緩やかな登り坂を根気よく歩いて行きました。
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「アクロポリスの丘」から見たアテネの街並みです。
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「アクロポリス博物館」側から見た「パルテノン神殿」。
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建物の名称は、把握できていません。
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「パルテノン神殿」をズームで撮りました。
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「アクロポリス博物館」内で、現地ガイドから説明を聞きましたが内容は何も記憶に残っていません。
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「アクロポリスの丘」から直下を見ました。
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「アクロポリスの丘」を見学後、「近代オリンピック競技場」に行きました。
1896年、第1回近代オリンピックが開催された競技場です。 -
「近代オリンピック競技場」からは、遥か遠くに「アクロポリスの丘」が見えました。
アテネ市内を観光バスで巡回して、今でも非常に記憶に残っていることがあります。
駐車場が少ないと言う理由で、通勤用自家用車の路上駐車が目立っていました。
あつかましい人は、自分の家の車庫と勘違いしているのか、駐車した車に汚れ防止用の「カー・カバー」をかけて保管していました。
ギリシャではよくある光景なのかも知れませんが、日本では考えられない光景でした。
”ギリシャ国民は、日本国民とはちょっと違っているな”という印象を受けました。 -
<3日目:5/13(日)>
主な予定:エーゲ海ミニクルーズ ※アテネ(泊)
サロニコス湾に浮かぶ、ポロス〜イドラ〜エギナの3島を巡る1日クルーズを楽しみました。
クルーズ船のデッキには旅行者達がひしめいていました。
それぞれお気に入りの席を確保して、出航を待ちます。 -
1番目に到着したのは「ポロス島」です。
ポロス島は、3島の内で一番小さい島です。
旅行のパンフレットには「オリーブに覆われるポロス島」と掲載されていました。
下船して海岸通りを散策しました。 -
海岸に停留している白いヨット。
-
白い豪華船に見惚れました。
-
海岸の景色です。
パステルカラーの邸宅と港の景色がうまく溶け合っていました。 -
豪華船を背景にして記念撮影。
船の所有者はどんな人だろうか?
さぞかし、大金持ちなんだろうな?
と勝手に想像しました。 -
海岸通りは、多くの旅行者達で賑わっていました。
【ポロス島の印象】
白いヨットと豪華船とパステルカラーの邸宅がうまく溶け合った島。
裕福な人達が集まっている島。
クルーズ船はこれから「イドラ島」に向かって出航します。 -
クルーズ船は、2番目の島、「イドラ島」に到着しました。
イドラ島は、近代になってから人が住むようになった島らしい。
島には車が無い代わりに「ロバのタクシー」があります。
旅行のパンフレットには「パステルカラーの邸宅が立ち並ぶイドラ島」と掲載されていました。
船が港に近づくと、先ず、眼に入るのが「紺碧の海とパステルカラーの邸宅」。
ほとんどの邸宅は、ポロス島と同様、薄いピンク色をした屋根と白色の壁をしていました。 -
のどかな港の景色です。
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クルーズ船を下船して、港に向かって右側を散歩、土産物店にも立ち寄りながら港の外れまで行きました。
ポロス島はヨットと豪華船が目立っていましたが、イドラ島はヨットのような、漁船のような船が多く停留していました。 -
もっと歩いて行くと、海岸沿いに藁葺きのような変わった屋根が見えてきました。
-
海辺の静かなレストランに到着しました。
レストランの一角には、いつの時代に設置されたのか、複数の大砲が残っていました。
めずらしい光景です。 -
レストラン横の紺碧の海では、地元の人なのか、旅行者なのか、気持ち良さそうに海水浴を楽しんでいました。
-
海辺のレストランから港の中心部に引き返す途中の景色です。
-
港を挟んで、今までとは反対側に行きました。
絵になるようなすばらしい景色です。 -
イドラ島の見物を終え、エギナ島に向かってクルーズ船は出航しました。
【イドラ島の印象】
紺碧の海とパステルカラーの邸宅が似合う島。
ヨーロッパと言えば、オレンジ色をした屋根を思い出しますが、ここは薄いピンク色をしていました。
紺碧の海の色と白い壁、薄いピンク色の屋根をした邸宅がうまく溶け合っていました。 -
クルーズ船は、3番目の島「エギナ島」へ到着しました。
エギナ島は、ギリシャ古典期に栄えた島です。
旅行のパンフレットには、「ピスタチオの産地として名高い島」と書かれていました。
クルーズ船が港に近づくと、右手には港に停留している多くの漁船、左手にはアポロン遺跡が見えてきました。
下船して、先ず、ピスタチオの畑を見ながらアポロン遺跡を目指しました。
しかし、残念ながら遺跡の中にまでは入ることはできませんでした。
その他の見どころとして、エギナの守護女神アフェアの神殿がありますが、時間的な問題で断念しました。 -
頭を切り替えて、街並を散策することにしました。
路地にはピスタチオを売っている露店が多くありました。
島では白馬のタクシー、小型バス、乗用車が走っていました。
ポロス島、イドラ島とは全然雰囲気が違っていました。 -
港には多くの漁船が停留していました。
-
港に停留している漁船と建物がうまく溶け合っていました。
絵画を見ているような実にすばらしい落ち着いた雰囲気を作っていました。
すばらしき港の光景でした。 -
わずかな時間でしたが、エギナ島とはお別れです。
クルーズ船が出航直後、見学が実現しなかった「アポロン遺跡」を撮りました。
【エギナ島の印象】
ポロス島、イドラ島は裕福な人達の別荘地と言うような印象がありますが、エギナ島は「漁業・農業と遺跡の島」と言う印象でした。 -
<4日目:5/14(月)>
主な予定:アテネ〜カランバカ〜メテオラ〜カランバカ ※カランバカ(箔)
アテネを出発して約5時間、バスの最前列に乗っていると、遥か遠く前方に奇岩群が見えてきました。
メテオラの拠点、カランバカにまもなく到着です。
今回の旅行で一番興味があり、訪れたかった観光地です。 -
カランバカのレストランで昼食後、レストランの近くで奇岩群を見ました。
これから待ちに待ったメテオラ観光に出発です。
【メテオラの豆知識】
ギリシャ北西部、セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群とその上に建設された修道院共同体、メテオラ修道院群の総称である。
奇岩は6千万年前に海底で堆積した砂岩が隆起し、浸食されて今の地形になったと言われています。
修道院共同体ができたのは14世紀と言われています。メテオラの中で一番古くて大きいのが、メガロ・メテオロン修道院で、1340年頃に建てられました。
かっての食堂の建物が、現在は博物館として公開されています。
当時は24の修道院があったらしいのですが、2012年現在、6つの修道院が活動中とのことです。
1988年、ユネスコ世界遺産(文化・自然複合遺産)に登録されています。 -
メテオラの坂道の途中、大きな奇岩が眼に入りました。
中央の奇岩の上に建っているのは、「メガロ・メテオロン修道院」だと思います。 -
メテオラの奇岩群。
-
目の前の奇岩の上に建っているのは、「ルサヌ修道院」だと思います。
垂直に切り立った岩の上に三層建ての建物が建っています。
16世紀中頃に建立されたと言われています。
1950年以降、女子修道院となっていると言われています。 -
奇岩の上に建っているのは、「メガロ・メテオロン修道院」です。
メテオラ修道院群の中で最大規模の修道院です。
14世紀の中頃に建立されたと言われています。
かっての食堂の建物が、現在は博物館として公開されています。
これから「メガロ・メテオロン修道院」を訪れます。 -
バスは山道を登り、「メガロ・メテオロン修道院」のすぐ近くの駐車場に到着しました。
これから「メガロ・メテオロン修道院」まで徒歩で登って行きますが、奇岩のスキマから見えた「ヴァルラウム修道院」を撮りました。 -
「メガロ・メテオロン修道院」に登るためには、奇岩と繋がっている石橋を渡り、トンネルに入ります。
-
トンネルを出ると長い石段の登り坂に繋がっていました。
約280段の石段を根気よく登ると修道院の建物の一部に到着しました。
ある程度の体力と根気が無ければ、最上部まで登ることはできません。 -
この建物は、修道院本堂と思われます。
間違っていたら”ゴメン”です。
最上部の建物内でいろいろな説明を受けましたが、内容はまったく覚えていません。 -
「メガロ・メテオロン修道院」の外部広場から、下界の景色を見ました。
”気分爽快!!!”と言う言葉がぴったりの景色でした。
俗界を離れてきびしい修行を続けていた修道士たちも、この景色を見て心が洗われたと思います。 -
「メガロ・メテオロン修道院」から見た奇岩群。
-
屋外広場の一角にある小さな建物、修行の合い間の憩いの場所として利用したのでしょうかね。
-
女性は修道院内ではズボン禁止でした。
ズボンをはいている女性にはスカートを貸してくれました。
ズボンの上に履いているので、色気も何もない、だぼだぼのスカートでした。 -
おそらくこの建物は博物館ではないかと思われます。
間違っていたら”ゴメン”です。 -
「メガロ・メテオロン修道院」の見学を終えて、すぐ近くの「ヴァルラアム修道院」の全景を撮りました。
「ヴァルラアム修道院」は1541年に建立されたと言われています。 -
「メガロ・メテオロン修道院」の見学を終えて、眺望がすばらしい所へ案内してもらいました。
正面の大きな奇岩群の上には、先ほど訪れた「メガロ・メテオロン修道院」が小さく見えました。
大きな奇岩群の左手の裾野にオレンジ色の屋根をした修道院が見えました。
おそらく、「聖ニコラオス・アナパフサス修道院」だと思います。
14世紀に建立された言われています。
手前のオレンジ色の屋根をした修道院は、おそらく、坂道から見上げた「ルサヌ修道院」だと思います。
16世紀中頃に建立されたと言われています。 -
目の前に見えるのは、「聖ステファノス修道院」です。
14世紀に建立されたと言われています。
「ルサヌ修道院」と同様、女子修道院と言うことです。 -
「聖ステファノス修道院」の右側の景色です。
-
目の前の岩場の中腹を見ると二人の人間がロック・クライミングをしていました。
神聖な場所でのロック・クライミング、罰は当たりませんかね? -
メテオラを見学後、カランバカのホテルに到着しました。
ホテルの周辺から見た奇岩群です。
【メテオラ修道院の印象】
実際に建物に入ったのは、「メガロ・メテオロン修道院」だけでした。
その他の修道院は外部からの見学でしたが、建物が建っている地形ごとに行く方法が違っていました。
”こんな奇岩の上に、よくこのような修道院を建立したものだ。人間の知恵はすごいものだ!!!”とただただ感心するばかりでした。
念願の「メテオラ修道院」を見学できて、幸せな1日でした。 -
<5日目:5/15(火)>
主な予定:カランバカ〜デルフィ考古遺跡〜デルフィ ※デルフィ(泊)
早朝、バスはデルフィ目指して出発しました。
デルフィ到着の前に、海辺のレストランで昼食をとりました。 -
昼食後、長い坂道を登ったバスは、やっと「デルフィの考古遺跡」に到着しました。
【デルフィ考古遺跡の豆知識】
デルポイ(古代ギリシャ語)は、古代ギリシャの都市国家です。
パルナッソス山(2457m)の麓にあり、アポロンの神託(神のお告げ)が行われた聖域として、また、古代ギリシャ世界においては、世界のへそ(中心)と信じられていました。
1987年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。 -
早速、「デルフィ博物館」を見学しました。
-
博物館には多くの美術品が展示されていました。
-
神殿を中心とした神域と都市遺構の模型。
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建物の遺跡。
建物名はわかりません。 -
古代の劇場跡です。
-
観客席の石段をズームで撮りました。
-
建物の遺跡を見ながら、長い坂道を登って行くと競技場がありました。
競技場まで登るには体力を要するので、体力に自信が無い人は、坂道の途中で休憩、脱落していました。
昔の人は、この競技場で運動能力を競っていたのですね。 -
建物の遺跡。
建物名はわかりません。 -
遺跡見学中、周囲の景色を見渡しました。
パルナッソス山の麓と言うより、中腹と言った方が当てはまりますね。
”古代に、こんな山の中に、根気よく、都市国家を建設したものだ。”とただただ感心するばかりでした。 -
「デルフィ考古遺跡」の見学を終え、バスに乗ってホテルに向かいました。
バスから下界の景色をみていると、今日昼食をしたレストラン周囲の海が見えていました。 -
ホテル周辺の景色です。
道路脇で、地元のオッチャンがのんびりと新聞を読んでいました。
のどかな景色です。 -
<6日目:5/16(水)>
主な予定:デルフィ〜オリンピア考古遺跡〜オリンピア ※オリンピア(泊)
早朝、バスは「オリンピア考古遺跡」を目指してホテルを出発しました。
デルフィからペロポネソス半島にあるオリンピアに行くために、RIO-ANTIRIO BRIDGEを渡りました。
RIO-ANTIRIO BRIDGEは、いつ頃完成した橋なのかは知りませんが、扇を逆さにしたような真白い、記憶に残るような橋でした。 -
車中から見た「RIO-ANTIRIO BRIDGE」です。
-
バスは「オリンピア考古遺跡」に到着しました。
【オリンピア考古遺跡の豆知識】
オリンピック発祥の地(776年から)。
オリンピックはゼウス神に捧げる祭典競技として行われました。
近代オリンピックにおける聖火は、オリンピアのヘラ神殿において凹面鏡を用いて採火されています。
「オリンピア考古遺跡」は、1989年、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されています。
午後から早速、見学開始しました。 -
建物の遺跡。
柱が残っていましたが、建物名はわかりません。 -
建物の遺跡。
1本の柱と多くの土台が残っていましたが、建物名はわかりません。 -
古代オリンピック競技場の跡。
古代オリンピック競技場を眺めていると、古代の人達が優勝目指して一生懸命競技をしている姿が浮かんできました。
また、周囲の観客席から大きな声援が聞こえてくるような気がしました。
「オリンピア 強者どもが夢の跡」。 -
近代オリンピックにおける聖火は、この「ヘラ神殿」において凹面鏡を用いて採火されます。
採火式場は、テレビでよく放映されているお馴染みの光景です。 -
遺跡見学後、「オリンピア博物館」に行きました。
-
「オリンピア博物館」で現地ガイドの説明を聞きましたが、内容はまったく記憶にありません。
【オリンピア考古遺跡の印象】
くずれている遺跡が多く、原形をとどめている遺跡はほとんどありませんでした。 -
<7日目:5/17(木)>
主な予定:オリンピア〜コリントス運河〜アテネ〜カタール(ドーハ)〜関西交際空港 ※機中(泊)
早朝、ホテル周辺の景色を撮りました。
朝食後、バスはコリントス運河目指して出発しました。 -
コリントスに行くには、昨日走った道路を「RIO-ANTIRIO BRIDGE」の分岐点まで折り返します。
バスの左手後方に、昨日渡った「RIO-ANTIRIO BRIDGE」が見えました。
扇を逆さにしたような真白い橋は目立っていました。 -
青い海に扇を逆さにしたような真白い「RIO-ANTIRIO BRIDGE」。
見事!!!。
絵になるような景色でした。 -
早朝、オリンピアを出発したバスは「コリントス運河」に到着しました。
運河の近くには説明看板がありました。
【コリントス運河の豆知識】
ギリシャのコリントス郊外にある運河です。
ペロポネソス半島の根元にあるコリントス地峡に開削されたもので、エーゲ海とコリンティアコス湾を結び、1893年に完成しました。
ギリシャ人にとって、運河開通は長年の夢でした。
全長6343m、運河の幅は水面部で24.6m、河底部で21m、深さは8m、運河の途中に鉄道橋と道路橋があり、桁下は52mとなっています。
運河の開通で、従来のペロポネソス半島を大きく迂回するルートに比べて、航路が約400kmあまり短縮されました。 -
道路橋から運河を見下ろすと、二隻の船がエーゲ海に向かって航行していました。
運河の上を横切っているのは鉄道橋です。
列車は水面より52m上を走っているということです。
おそらく、列車の乗客は下を見たら”ゾッ”としますね。 -
運河を航行する二隻の船。
-
運河を見学した後、今まで立っていた道路橋を見ました。
約110年前に完成した古い橋です。
今までは自分の足元は全く気にしないで鉄道橋のことばかりを心配していました。
老朽化した道路橋を見て、”頻繁に通行している車の重量と見物客の重量で落下することはないだろうか?”と、一瞬不安を感じさせるほど時代の経過を感じさせる古い橋でした。 -
午後、数日振りにアテネに帰ってきました。
昼食後、アテネの中心広場「シンタグマ広場」付近を散策しました。
いつ頃建立されたのかはわかりませんが、古く、歴史を感じさせる教会がありました。 -
路地を歩いていると、ビルのスキマから遥か遠くに「アクロポリスの丘」が見えました。
-
今、何かと話題となっている国会議事堂周辺の景色です。
アテネ市内を散策後、夕方、アテネ(18:30発)〜カタール(ドーハ)(22:35着・23:45発)を乗り継いで関西交際空港を目指して飛行機に搭乗しました。
<8日目:5/18(金)>
主な予定:カタール(ドーハ)〜関西国際空港(15:55)着。
往路は約20時間、帰路は約15時間の旅でした。
【ギリシャの印象】
今回の旅行では、ギリシャを数回訪れた人がおられました。その人が、「ウゾ」と言う酒を紹介してくれました。
透明な色をしていましたが、水を加えるとカルピスのように真白になる食前酒でした。
「ウゾ」は、味にくせはありましたが、めずらしい酒と思い、土産として数本購入しました。
帰国後、仕事先に持参して仲間に勧めましたが、誰も一口以上は飲みませんでした。残念ながら日本人の口には合わなかったようです。
結局、数日後、すべての「ウゾ」を捨ててしまいました。
一生懸命「ウゾ」を造った人に、”ゴメンナサイ”。
まだ、5月中旬だったのに、日本より気温が数度高かったように思いました。
非常に過ごしやすい気候でした。
旅費も良心的な金額で非常に価値ある旅行でした。
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