2015/05/02 - 2015/05/02
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地酒大好きさん
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5月の大型連休初日は晴天に恵まれるとの予報を聞いて、今日は滋賀県の霊仙山(りょうぜんさん。1096m)に登ってきました。この時期の目的はなんといってもヤマシャクヤクです。大好きな花のひとつです。
早朝に家を出て、名神高速道路の関ヶ原まで行きます。連休初日とあって下り線は車がいっぱい走っていましたが、さいわい大渋滞ということはなく、時速100kmで走れました。国道21号線に下りて醒ヶ井養鱒場(さめがいようそんじょう)を通過して登山口まで林道を走ります。10台ほど駐車できるスペースはすでに埋まっており、仕方なく林道の路肩に駐車しました。もうちょっと遅く着いていたら、うんと手前のスペースしか停める場所がなく、林道歩きを強いられたでしょう。
午前7時40分に登山開始。空はあくまでも青く、新緑は素晴らしく、オオルリ、キビタキ、カラ類が競うように囀(さえず)っています。榑ヶ畑(くれがはた)集落跡(1957年に廃村になった)を通り汗拭峠(あせふきとうげ)を目指します。登山ルートは下記のサイトをご覧ください。
http://www.city.maibara.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/127/ryozenmap_omote.pdf
地図の上部に「榑ヶ畑登山道」とある近くの榑ヶ畑登山口から汗拭峠→見晴台→お猿岩→お虎が池→経塚山→霊仙山頂→最高点というルートの往復が一般的な登山ルートで、ほとんどの登山者はこのルートを歩きます。
わたしは「西南尾根登山道」とあるルートを、榑ヶ畑登山口→汗拭峠→落合→今畑→笹峠→近江展望台→最高点→霊仙山頂→経塚山→お虎が池→お猿岩→見晴台→汗拭峠→榑ヶ畑登山口という周遊をしてきました。このルートはかなりきついので歩く人はごくわずかです。わたしは毎年このルートだけしか歩きません。
汗拭峠までは急登で、ほんとうに汗をかきます。ほとんどの登山者はここから頂上に向かいます。わたしはここからいったん大きく下って谷に降ります。汗拭峠から谷沿いの登山道は数年前の大雨でかなり崩れてしまっており、新しい道が整備されていました。この谷沿いでは数年前にアカショウビンが2羽、谷をはさんで鳴き交わしていたことがありました。今年もアカショウビンを期待して行ったのですが、ミソサザイの大声しか聞こえてきませんでした。それにしてもあんな小さなミソサザイの肺活量などは知れているのに、大声でしかも長く囀ることが不思議です。先ほど通過した榑ヶ畑集落内の沢でも、この谷でも両岸の土の中からタゴガエルの大きな声が多数聞こえてきました。ものすごい数の個体が繁殖期を迎えて鳴き交わしています。
だれも歩かない谷沿いの登山道を落合集落(廃村)に向かう途中の山中で、重機が入って護岸工事をしています。こんな人も住まない山奥の護岸工事に必要性があるか不思議です。これでは繁殖期のアカショウビンやミソサザイの繁殖妨害になる上に、両岸に棲む多数のタゴガエルもコンクリートに埋められてしまいます。重機は谷を埋めてその上を走り、樹木を引き倒していました。
落合集落は廃村になってから長いので、かなりの民家が朽ち果てつつあります。鳥の声しか聞こえない、静かなゴーストタウンという感じです。そこからしばらく歩いて、「今畑登山口」からいよいよ霊仙山に入ります。細い急な山道を15分ほど登ると、今畑集落(ここも廃村になって長年経つ)にたどり着きます。こんなところに集落があり、大勢の人がかつては住んでいたとは信じられません。建築資材や日用品、電気製品なども全部担いで持ち上げたのでしょう。子供たちが学校へ通うのもたいへんなことだったと推測できます。不便すぎて集団移転したのかもしれません。民家はほとんど朽ち果ててしまっており、土蔵とお寺がかろうじて残っているだけです。毎年撮影しているNEC製のテレビもどんどん壊れて朽ちつつあります。当時は村民のいこいの場であったであろう水場があり、冷たい水が流れ出してきています。今日は異常に気温が高かったので、水がとてもおいしく感じられました。
今畑集落跡を過ぎるとあとは西南尾根に向かって登ります。ツツドリが遠くで大きな声で鳴いています。しばらく行くと、数年前に見つけた、急斜面下に咲くヤマシャクヤクがある場所を通過します。斜面を覗き込むと咲いていました。シカの食害のせいか株数はうんと少なくなっていましたが、かれんな白い花を見つけて斜面を下って写真を撮りました。これで今日の登山の目的はかなり果たせました。
本来の目的のヤマシャクヤクは、西南尾根に咲くそれです。これも7〜8年前に偶然見つけたもので、かなり大きな群生地です。笹峠を通過して、西南尾根に向かって急な登山道を喘ぎながら登ります。南斜面の日陰がない急坂を1時間以上かけて登るのですが、暑くて熱中症になりそうで、かなりバテました。かんかん照りの斜面ですが、ニリンソウやランの仲間のエビネが咲いていました。尾根に登り着いてヤマシャクヤクの場所に行きましたが、まだつぼみでした。例年は5月の2週目に見に行くのですが、今年はアカヤシオの花が例年より早く咲いたので、ヤマシャクヤクも早いかなと思ったのですが、そうでもなかったようです。来週か再来週が満開でしょうか?
岩で歩きにくい西南尾根を霊仙山に向かって歩いていると、対面から来る見たことがある女性に会いました。よく山歩きをしているNさんで、数年ぶりの再会です。彼女も尾根のヤマシャクヤクが目的とのことです。実は彼女は先週も花を見に来たそうですが、つぼみだったので、改めて今日見に来たとのことです。わたしがまだつぼみだと言うと、彼女はがっかりしていましたが、それでも確認に行くとのことで岩だらけの道を向かって行きました。やはり彼女も、毎年同じ時期に同じ山へ同じ花を見に行くのだと言っていましたが、わたしの登山方法と同じで驚きました。登山者の気持ちはみな同じなのかもしれません。
さて、最高地点に着くと大勢の登山者がいました。他のルートから登ってきた人たちです。窪地には残雪がありました。この山は台地状で、頂上はかなり広いのですが、ほとんどが地面むき出しです。一昔前は背の高いササで覆われていて道に迷ったものですが、今ではシカの食害にあって丸裸の山頂です。昔を知る登山者には異常に感じられます。お虎が池(以前は、「これはお虎が池ではありません」という看板と、「お虎が池」の2本の看板が立っていて登山者は迷いましたが、今では1本だけになって「お池」と正面に書いてあり、側面に「俗称 お虎が池」という表示になっています)では、たくさんのオタマジャクシがいました。しかしカエルになっても、ササもない裸地では天敵に見つかりやすく生き残る個体は少ないと思われます。
今日は風もほとんどなく暑いので早々に下山することにしました。例年途中にあるハシリドコロは今年もたくさんありました。植物全体に猛毒があり、食べると幻覚症状を起こし走り回るからこの名前になったそうです。
登山開始後約6時間の山歩きでしたが、目的のヤマシャクヤクが見られたので満足です。歩行数は23,000歩でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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登山口からすぐ榑ヶ畑集落(廃村になってから60年ほどになる)の中を歩きます。当時の民家は朽ち果ててなくなりましたが、石垣はたくさん残っています。段々の石垣を見ると、狭い敷地で高いところへと家を建てていったのですね。
集落内を流れる小さな川の両岸の土の中からは、タゴガエルが夥しい数鳴き交わしています。 -
汗をかきながら急坂を登ると汗拭峠(あせふきとうげ)に出ます。
ほとんどの登山者は頂上へ向かいます。
わたしは落合集落に向かって急坂を下り、谷沿いの登山道を歩きます。このルートを歩く人はほとんどいません。 -
落合集落へ向かう谷沿いの登山道は、数年前の大雨で大きく崩れ、大きな樹木も根こそぎ流れ落ちています。
登山道は迂回路がつくられています。 -
谷沿いの道を落合集落に向かってどんどん下ります。
このあたりで数年前にアカショウビンが2羽、谷をはさんで鳴き交わしていたのに出会い、たいへん感動した思い出があります。
今回もそれを期待して行ったのですが、あいにく声を聞くことができませんでした。
ミソサザイの大きな声は、100mおきぐらいに聞こえました。たくさんの個体が生息しています。
タゴガエルの声も大きく、たくさんの個体が棲んでいます。 -
さらに下って行くと護岸工事をしている現場がありました。
大きな重機が谷を土砂で埋めて、周囲の樹木をなぎ倒していました。
こんな山奥で護岸工事が必要か疑問に思いました。両岸に棲む多くのタゴガエルは土砂で埋められてしまっています。騒音がすごいので、アカショウビンやミソサザイは繁殖を放棄して逃げ出していまいます。 -
突然開けた場所に出ましたが、ここは落合集落です。ここも廃村になってから久しいところです。かなりの軒数の民家が残っていますが、朽ちつつある家も多くなっています。
鳥の声しか聞こえないゴーストタウンといったところです。この集落には道路が来ているだけでもまだましです。昔の住民が夏の間だけ、手入れをした民家にやってきているようです。 -
落合集落を抜けると「今畑登山口」の標識が現れます。そばに登山届を出す箱があり、ここで届けを出しました。
ここから霊仙山に向けて急坂を登り始めます。 -
人がすれ違うこともできないような細い登山道を15分ぐらい登ると、最後の集落(今畑)に出ます。
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登山道の脇に咲いていたクリンソウ。昔集落で栽培されていたのが生き残っているようです。
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今畑集落跡に残る水場。昔から住民がここで水を汲んだり、井戸端会議を開いたりしていたのでしょうね。この小屋の中にもタゴガエルが多く棲んでおり、賑やかな声が聞こえていました。
水は冷たく、暑さで喉がかわいていたので、とてもおいしく感じました。 -
廃村になって久しい今畑にはもうほとんど民家はなくなっていました。しかしお寺といくつかの土蔵は残っていました。
写真の土蔵は一番保存状態がいいものです。 -
民家跡の野ざらしのNEC製のテレビ。毎年撮影をしてきていますが、当然のごとく年々壊れて朽ちてきています。あと何年この姿を保ってくれるでしょうか。
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今畑を抜けていよいよ本格的な登山が始まります。登山道の急斜面下をのぞき込むと、ありました。ヤマシャクヤクの群落です。シカの食害のせいか株数は少なくなっていましたが。
思わず「やったー」と叫んでいました。 -
急斜面を下って近くまで行ってみました。開花が始まっていました。
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開いたばかりのヤマシャクヤクは初々しくて可憐でした。
これでこの山に来た目的のほとんどが達成されました。 -
笹峠を経て、いよいよ西南尾根を登り始めます。
南斜面でかんかん照りの太陽の下、暑さでバテそうになりながら、延々と続く急斜面をひたすら登ります。
足元を見るとエビネが数株ありました。シカの糞が多く、食害がひどい中でよく咲いていてくれました。 -
ヒトリシズカも岩陰でひっそりと咲いていました。
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犬を連れた登山者がやってきました。元気な犬で、登山者をぐんぐん引っ張って先頭を進んで行きました。
登山者の話では、登りは楽だけど、下りは引っ張りが強く危険だとのことです。 -
西南尾根のヤマシャクヤクの群生地は何年か前に偶然見つけたものです。この場所を知る人は少ないようです。
今年はまだ早いようで、全部が固いつぼみでした。残念です。
開花は1〜2週間後でしょうか。 -
西南尾根歩きは写真のような岩だらけの道が多く、歩きにくく危険でもあります。慎重に一歩一歩進みます。南方面を見ると、鈴鹿の山々が新緑できれいに見えます。後方には大きな琵琶湖が近くに見えます。
「近江展望台」と呼ばれる所以です。 -
霊仙山の最高地点。この山の頂上部は広く、別に霊仙山頂上という場所もあります。
多くの登山者が別のルートから続々登ってきています。
写真後方には伊吹山がありますが、見えますか? -
最高地点から、歩いてきた西南尾根を振り返ります。中央奥の先端からこちらへ歩いてきました。
昔はササに覆われていたのですが、今ではシカの食害にあい裸地になっています。多くの鳥たちの繁殖地でもあったのですが、今はその場所もまったくありません。 -
頂上部の窪地では残雪がありました。ところどころに見られました。
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残雪に近づくと、雪解けが終わった跡にはヒロバノアマナが点々と咲いていました。
シカの糞だらけでした。 -
お虎が池? と言われる湿地。
昨年までは、「お虎が池」という看板と、「これはお虎が池ではありません」という2本の看板が立てられており、登山者はどちらが正しいのか迷って、ネット上でもよく取り上げられていました。
今はこの標識の表には「お池」とだけ書いてあり、側面には「俗称 お虎が池」と小さく書いてあります。
もっと昔は「お虎が池」とだけの看板がありましたっけ。 -
お虎が池?のオタマジャクシ。黒く見えるのがそれです。
でもカエルに孵っても、周囲は隠れる繁みもなく天敵には丸見えで、生き残るのは至難のワザです。 -
下山途中にあるハシリドコロの群落。毎年ここにありますが、とても危険な植物です。
植物全体にアルカロイドを含む猛毒植物で、これを食べると走り回って苦しむところからこの名が付いたそうです。時々山菜として食べる人が出て新聞記事になります。
秋にはすっかり消えてしまって、探しても見つからない不思議な植物です。 -
オレンジのきれいなツツジですが、ヤマツツジでしょうか、それともレンゲツツジでしょうか。
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アオダモの白い花もきれいでした。
この木は硬くて強く、しかもねばりが強いので、野球のバットやスキー板として利用されます。
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