2014/05/13 - 2014/06/14
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eisukeさん
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今回、長年に亘る我儘な一人旅を許してくれた妻が、勤めていた仕事を退職したこともあり、これまでの罪滅ぼしに(時々は妻と短い海外旅行でご機嫌を取ってはいたのですが)、1か月イタリアへ気儘な二人旅をすることにしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
5月13日の朝7時半に浜松の家を出てからミラノのホテルに着いたのが、同日の午後8時15分と都合約19時間(時差7時間)掛かりました。
矢張り飛行機で12時間も揺られ?ていると、かなり疲労が溜まりますので初日はホテルに入ってそのままシャワーを浴びて早めに休むつもりでしたが・・・・。
何しろ1ヶ月に及ぶホテル住まいですので経済的な二つ星ホテル(最も一人の時はもっとランクは下でしたが)をインターネットで予約したのですが、部屋に入ってみると、ダブルベッドにシャワー、トイレにテレビと二つ星ホテルの標準ながら、トイレットペーパー、タオル一人分、シャンプーとグラスがありません。
フロントに連絡すると、タオルは直ぐ持ってきてくれたのですが、他のものは後から持ってくるということでした。
所が待っても待っても、持ってきてくれません。
業を煮やして再度連絡をすると、忙しくて忘れたと言うのです。
やれやれこれがイタリアの二つ星ホテルのサービスなのかと、期待?外れ(何しろインターネットでは写真も綺麗でそれなりによかった)でした。
旅のスタートとしては、先が思いやられる気がしましたが、とにかくベッドに入って明日からに備えましょう。
写真は宿泊しているホテルです。
建物は見た目は立派?なのですが、実際は、何故かこの建物の4階と6階の2フロアーだけがホテルなのです。
写真は、ホテルの外観です。 -
さあいよいよ今日からが、実質的なイタリア二人旅の始まりです。
ホテル近場のミラノ中央駅から地下鉄に乗り、目的地の駅に降り立ち、地上に出てみると、目の前にドーンとドゥオーモ(大聖堂)がそびえ立っていました。
いやー、その何て言って言いのか。とにかく、その姿に圧倒されました。
私は前にも見たことがあるのですが、その時は遠くからその姿を見ながら近づいて行ったので、段々その巨大さを感じていったのですが。
今回は突然目の前に現れたものですから、それの驚きは比べものがないほどでした。
それと今回は初めてドゥオーモの屋上に登りました。最も途中まではエレベーターでしたが。
ドゥオーモを見学した後は、観光の定番のスフォルツァ城まで歩いて行きました。
城に入りその奥の公園のベンチで、途中で買ったパニーニ(イタリアのサンドイッチ)とビールでランチです。
お城の外では色々なお店がテントを張って市場?の様な雰囲気です。
沢山の人々が集まっています。お店を冷やかす人や、露天で食事をする人などで賑わっています。
残念ながら私達は食事をしてしまったので、明日は昼食を此処で取ろうと決めました。
何しろ見ていると皆が楽しそうにワイワイガヤガヤ食事をしているし、お店からはいい匂いが漂って来ていましたので。
今日の夕食は中央駅近くのレストランでスパゲッティとリゾットとワインで軽く済ませました。
明日はいよいよレオナルドダビンチの最後の晩餐とご対面です。
追伸:今日は5月の半ばと言うのに、朝は皆さんコートや皮ジャンバーを着ているような寒さで、昼は一転して真夏日の様な暖かさです。
写真は、大聖堂です。 -
5月15日(木) 晴れ
今日は11時30分に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を予約してあります。
2月の中旬頃インターネットで予約を取ろうとしたのですが、5月一杯インターネットでは空きがありませんでした。
電話でなら空きが在るようなのですが、日本から国際電話を掛けても、希望の日にちや、時間帯等の交渉に自信はありませんでしたので、日本の代理店経由で予約を取ってもらいました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に向かって左側にある、当時は修道院の食堂であった壁面に、それは描かれていました。
しかし15分間隔で、広い会場にも係わらず一度に30人づつしか入場出来ません。
勿論写真はNGですし、会場には係員が三人も警戒?しています。
如何にこの名画を大切に守っているのかと実感出来ます。
今日はこの後昨日も行ったスフォルツ城前のテント街?で、パエリヤ、肉のミックスグリル、ワイン、サングリアで昼食を取りました。
後は翌日のヴェネツィアまでの列車(2等・座席指定)のチケットを中央駅の自動販売機で購入しました。
昼食を食べ過ぎたため夕食は、スーパーで生ハムとパンとワインを買って、ホテルの部屋で軽く済ませました。
写真は、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会です。 -
5月16日(金)・17日(土) ヴェネツィア 晴
ミラノを列車は満員の乗客を載せ、定刻11時35分に出発して2時間30分後、ヴェネツィアを視界に留めて、海の上をまっしぐらに進みました。
サンタルチア駅を出ると、そこには人が溢れていました。
ホテルは駅からキャリーケースをガラガラ引っ張りながらゆっくり歩いて10分位でした。
昼食は近場のレストランでスパゲッティポモドーロ、タリオリボロネーゼ、ビールと赤ワインで済ませ、その後少し街を歩いてスーパーでバナナやワインの買い出し。
ヴェネツィア一日目は、ゆっくりと休憩。
二日目は、ヴェネツィアの神髄の一部?を、嫌というほど味わいさせられました。
一歩運河に架かる橋を渡ると、そこは迷路に次ぐ迷路。
まるで別世界に入りこんだような感じです。
迷いに迷って、また来た道に戻ったり、反対方向に行ってしまったり。
地図を見てもはっきり分かりません。
迷いながらも兎に角歩き続けていたら、ポッと有名なサンマルコ広場が目の前に出現しました。
しかし、サンマルコ教会は何故か閉鎖されており、観光客は入れませんでした。
まだ滞在しているので明日にでもと思いホテルに一旦帰ることにします。
後は3日後のフィレンツェまでの列車の予約を駅の自動販売機ですれば、今日の仕事?は終わりです。
夕食のためレストランに入り、食事とワインを頼み、先ずワインが来たので飲んでいましたら、ウエイターが来て6人連れの客の席が他に取れないので、私達に席を変わってくれないかと訊ねてきました。
食事はまだ食べていませんでしたので、OKして席を代わったところ、ウエイターや席を譲った客達からもサンキューと言われました。
その後ウエイターが食事を持ってきた時に、多くの客は席を譲ってくれと頼んでもNOと言われるといってまたサンキューと言われ、食事後にはリモンチェッロ(食後酒)をサービスしてくれました。
ワインに加えて、リモンチェッロを妻の分まで飲んでしまいかなり利きましたので、早々とホテルに帰って寝ることにしました。
写真は、ヴェネツィアの街並みです。 -
5月18日(日)・19日(月)
今日(18日)は日曜日のため、サンマルコ寺院は午前中ミサがあり、一般客は午後2時から入場ができるとの事です。
それまで、またフラフラと迷いながらも街歩き。
これが結構楽しいのです。
回りの建物や行き交うゴンドラやお喋りしながら歩く人々などをを眺めながら、少し疲れたら適当に広場のベンチや運河の縁に座ったりして休み休み、何処へという訳でもなく時間を過ごすのです。
サンマルコ寺院やドゥカーレ宮殿など観光名所もいいのですが、ヴェネツィアは迷いながらの街歩きが最高です。
翌日はヴァポレットに乗ってヴェネツィアンガラスの島、ムラーノ島に行きました。
流石に硝子工房を始め、硝子製品の販売店の硝子製品は素晴らしく、ウインドショッピングだけでも楽しいです。
ヴェネツィア最後の夜ですが、夕食はテイクアウトのピッツァと鳥の唐揚げとワインでホテルの部屋で、自前のルームサービスと洒落こんで、明日のフィレンツェ行きに備えます。
写真は、仮面屋のショーウインドです。 -
20日(火)21日(水)22日(木)
ヴェネツィアから、20日12時25分発の特急列車に乗って、14時40分にフィレンツェ中央駅に到着しました。
早速昔の記憶と地図を頼りにホテルを目指して歩き始めました。
もうかれこれ11年前になるのですが、世界遺産巡りを始めた最初のヨーロッパ旅行の時にフィレンツェで宿泊したホテルがリーズナブルで気持ちよく過ごせませたので、その時のノートに残っていたホテルの名前と住所を確認してインターネットで予約を入れておきました。
記憶が所々思い出すのですね。狭い路地の感じ、ホテル入り口のベル、フロントデスクの裏の小さな食堂。
11年前と変わらず居心地の良いホテルです。
名前の知れ渡っている教会、美術館、広場、アルノ川に架かる橋等どこを見ても芸術性に溢れている街並みに見とれながら歩き回っていたら、写真集を撮ることもなおざりになりながら、何時の間にか3日も経ってしまいました。
写真は、シニョーリア広場です。 -
5月23日(金)24日(土)
23日は斜塔で有名なピサまで日帰り小旅行です。
フィレンツェから列車でピサ中央駅まで行き、そこからバスでドゥオーモ広場に向かいます。
ピサは正直、斜塔のあるドゥオーモ広場だけしか観る所がありません。
ピサ中央駅からドゥオーモ広場までのバスの往復チケットを買ってバスに乗り込んだのですが、運転手はチケットをチェックするどころか降車口からも大勢の乗客が乗り込みます。
そして広場に到着すると、乗客は当然のように降車口からゾロゾロ降りて行きます。
私達もやはりそのまま車外へ。
帰りもやはりチケットチェックはなく、乗り込んで、降ります。
私達の手元には未使用のチケットが4枚残りました。
全く同じことが翌日のシェナ行きにも起きました。
シェナへは往復とも直通バスを利用したのですが、行きもバスターミナルからの乗車にもかかわらず、チケットはノーチェック。
帰りはバスを待っていたのですが、かなりの人が待っています。
ただしっかりと列を作って並んでいるかと言うと、ただ何となく並んでいるようないないような感じでした。
いざバスが到着すると、それ程混雑もなく乗車し始めましたが、私達の四人程前の人に係員が席が満席なので、次のバスにした方が良いと言っています。
次のバスと言っても、2時間後の筈です。二人は諦めたようですが後の二人は乗り込みましたので、私達も一時間少し立つつもりです乗り込みましたら、最後尾の一段高い席が一つ空いていましたので、そこに奥方殿を座らせ、私はその前の段差のあるステップに座りました。
私達の後からも何人かの人達が乗り込み、降車口のステップなどに腰掛けていました。
こちらもチケットチェックはありません。
そういえば、ヴェネツィアヴァポレットでも乗り降りチェック無し、ガイドブックには頻繁に検札があるとありましたが、実際は一度も無く、それでもチケットを買っているのは旅行者ぐらいでしょうか、地元の人達は無賃乗車?が当たり前なのか分かりませんが。
しかしイタリアに敬意?を払って言えば、列車は特急列車、普通列車に関わらず検札がありました。
写真は、ドゥオーモ広場のピサの斜塔です。 -
26日は日曜日ですので、食べ物屋やスーパー等を除いてほとんどのお店がお休みです。
丁度月に一度の蚤の市があるようなので、見物しながらのんびりと一日を過ごしました。
写真は、フィレンツェ市内の蚤の市風景です。 -
5月27日(月) フィレンツェ
大体どこの都市でも常設の市場がありますが、ここフィレンツェでも立派な市場があります。
生鮮食品から加工食品、お土産屋等が整然と並んでいます。
特に畜産物は牛肉、豚肉、鶏肉それに昔から倹約を旨とした商人が好んで?食べた臓物等、バライティに富んでいます。
二階には、洒落たフードコートのようなコーナーがありました。
市場を楽しみながら歩いた後、一歩外へ出るとそこには、カワ、皮、革のオンパレードです。
これでもかと言わんばかりに、皮革製品を中心とした露天商が市場の建物を取り囲んでいます。
流石に、グッチやフェラガモの故郷だけあって圧倒される物量です。
人混みを掻き分け掻き分けて歩く間中、ニーハオ、コンニチワなど声が掛けられますが、東洋人の観光客では圧倒的に中国人が多く見受けられます。
明日(28日)はナポリに向かいます。
写真は、露天街の様子です。 -
5月27日(人)〜31日(土)
迷路のようなスパッカナポリとピッツァ
ナポリ民謡の「サンタルチア」に歌われる風光明媚な観光名所と、狭い路地に洗濯物がはためく下町を併せ持つ、一大観光地ナポリ。
それぞれに魅力があるのですが、雑食系の私としては、その土地その土地での食文化を堪能したいものですから、ナポリに来たからには、ナポリ庶民の下町スパッカナポリで、何をおいてもピッツァ、それもマルゲリータを食べなければ。
これには相方も大賛成なのですが、問題はその大きさ(量)です。
日本のL判を超す超特大のピッツァを一人一皿、他の客はペロッと食べていますが、我々には到底食べ切れません。
そこで、ピッツァは一皿だけにして、グラスワインとジュースだけを頼みましたら、ちゃんと前もって飲み物と一緒に取り皿を用意してくれました。
出て来ました。大皿にドーンとマルゲリータが。
見るからに食欲をそそるトマトの赤と、モッツァレラの白にバジルの緑。
それに焼きたてのチーズの匂い。
その味は、うーん。流石に本場、然も行列の出来る人気店。
二人で一皿。これで十分大満足です。
写真は、二人で取り分けたピッツァです。 -
5月27日(火)〜31日(土)
幻想的な青の洞窟!
さあ、待ちに待った「青の洞窟」行きです。
先ずはカプリ島行きの高速艇が出る港までタクシー(そう言えば今回の旅でタクシーを使うのは初めてです)で行きます。
出航時刻を確認して、9時30分発の船のチケットがギリギリで間に合い購入。
乗船をするとすぐさま出航。約1時間後カプリ島マリーナグランデに到着。
すぐに港で青の洞窟行きの乗合ボートの予約(11時・青の洞窟は午前中の方が太陽光線の関係で良いとの事)をし、時間までその辺をぶらつく。
11時定刻でボートは出航し、約20分後青の洞窟の前で停船。
そこから、3〜4人乗りの手漕ぎボートに乗り移って洞窟に侵入するまでの長いこと。
何隻ものボートが停船していて、順番待ち。
どうも個人客よりも、ツアー客を乗せたボートが優先されるらしく、我等の個人客相乗りのボートは待つこと約40分程でやっと3〜4人ずつ手漕ぎボートに乗り移り、ボートに身を沈め、いざ洞窟へ。
船頭はオールを使えず、入口に張ってある鎖を手繰って、思い切って舟を進めると。
そこは、別世界。青の色に染められた幻想的な空間が広がっていました。
言葉では言い表せられない様な不思議な世界です。
写真は、カプリ島、青の洞窟です。 -
6月1日(日)
サレルノの海岸沿いの遊歩道
自動車のクラクションの音、大声で話す声、細い街並みに人が溢れた雑踏等に追い立てられるように、中世の面影を残す港町サレルノへ移動します。
ナポリは、それまでの北イタリアの街とは明らかに違った一面を見させてくれました。
イタリアという国の歴史や文化などの奥深さを感じた5日間でした。
サレルノは中世では、ヴェネツィア、ピサなどと並ぶ一大海洋都市でしたが、現在では、イタリア南部の碧い海と空、輝く太陽を浴びるアマルフィ海岸への玄関口となっています。
サレルノは、思ったよりこじんまりとした落ちついた町です。
特にあの悪名高い雑踏の町ナポリと比べたら、落ちついた静けさや、海岸沿いの椰子の木の続く遊歩道を散策する人々を観ていると、これが列車で僅か30分しか離れていないとは信じられないほどの違いです。
今日から少しゆっくりして、4泊するうち一日だけをアマルフィへの日帰りに当てて、あとはのんびりするつもりです。
写真は、サレルノの海岸沿いの遊歩道風景です。 -
6月3日(火)・4日(水)
サレルノからアマルフィへは、バスはかなり頻繁にあるようですが、海岸沿いの細い曲がりくねった道を1時間、船だと1日6便あって35分。
という訳で、迷わず船を選びました。
10時40分発の船に乗船。
船のオープンデッキで潮風に打たれながら海岸沿いに点在する村などを見ているうちに、見えてきましたドゥオーモの鐘楼を中心に小さくまとまった街並みが。
船を降りた広場には観光バスが一杯停車していますし、観光客もヴェネツィア駅前と同じくらいに溢れています。
先ずはユックリ街並みを散策。
どちらかというと、ヴェネツィアよりもカプリ島に似て、狭い通りが海岸沿いから山に向かって緩やかに坂道が幾通りもあります。
南イタリアらしい白い壁に細い路地が続く光景が広がります。
昼食は路地の中程にあるTrattoria(大衆的な食堂?)で、相方はスパゲティ・ボンゴレ、私はペンネ・アラビアータに飲み物は赤ワイン2分の1リットル、ミネラルウオーター(ガス無し)を注文。
実はこれが私がイタリアに来て初めてのパスタでした。
今までは、昼食は軽くピッツァか、パニーニ(イタリアのサンドイッチ)、夕食は相方が、コースでいえば一皿目のスパゲッティ、私が二皿目の肉料理か好物のカラマーリフリット(イカフライ)等に、飲み物という頼み方でしたので。
一昔はいざ知らず、最近ではイタリア人でさえ、世の中の健康指向には逆らえないのか?、フルコースで食事をする人は減ったそうです。
帰りは適当な時間に、また船に乗って戻ります。
次は永遠の都ローマです。
10年以上前に、相方と一度ローマだけの旅行をしたことがあるのですが。
その時は、有名な遺跡等よりも、犬の落とし物があちこちにあったことの方が、相方の印象に残ったようなのですが。
今回は、その汚名が晴れるかどうか。
写真は、アマルフィの大聖堂前です。 -
6月5日(木) サレルノからローマ
サレルノ駅10時27分発のローマ行きの列車は10分程遅れて到着しました。
早速目指す予約座席に向かいますと、そこには既に二人の若い男性が座っており、向の若い女性と何やら話しているではありませんか。
予約チケットの座席番号を彼等に見せた所、残念そうな顔をして席を立って別の空いている席へ移動して行きました。
結構同じ様に予約席でないところに座っている人が多いようで、後から来た予約客と揉めていました。
列車はナポリを過ぎて二つ目の小さな駅で停車して、車内放送で何やら説明しているようです。
聞き取れる単語は10を意味する,ディエチ(dieci)だけでしたので、多分何らかの事情で10分程臨時停車するという事だと思いました。
まあ、この程度はたまにはあることだとでもいうように、乗客達はノンビリ落ち着いています。
その後、20分程してから2回目の放送で乗客は、またかというような表情に変わり、更に50分程後の3回目の放送で、乗客達は一斉にため息。
何人もの乗客達が駅に降り始め、列車の乗降口に座ってタバコを吸う人や、ホームを歩きながらパンなどを食べる人達等が大勢いました。
停車から約1時間20分後に4回目の放送があり、乗客達が列車に戻りました。
気がつけばそれまで反対車線にも列車は一台も通過しませんでした。
やっと発車して次の駅に到着して、ホームの電光掲示板に95分遅れの表示がありました。
結局ローマには、15時05分に定刻より1時間31分遅れの、約4時間半もの長い道中で到着。
写真は、サレルノ駅からローマ方面へ向かう途中駅の臨時停車中にホームに降りてタバコを吸う人達等。 -
6月6日(金)〜8日(日)
やっとたどり着いたローマの二日目は、初めて乗り降り自由のオープンデッキのバスで観光する事にしました。
乗客は皆二階のオープンデッキに上がるのですが、その日差しの強いこと。
それに加えて交通渋滞で、なかなか進みません。
私達は暑さに耐えきれず、取り敢えず二つ目の観光スポットで下車。
観光名所は何処も人、人、人で一杯です。
スペイン広場の階段は、日影に大勢の観光客が座り込み(私達も)、トレヴィの泉では回りを金網で囲われており、肩越にコインを泉に投げ入れる事も出来ませんが、回りに観光客が何重にも重なり合っています。
そういえば、コロッセオでもスペイン広場前の「舟の噴水」でも修復の為だと思うのですが、囲いがしてありました。
やはり歴史的建造物は常に補修をしていかなければ維持出来ないと、改めて思いました。
明日はパリへ向かうというローマ最終日に、連日30度を越す暑さに頭が負けたのでしょうか、悪評の高い地下鉄でのスリ被害に遭いました。
それまでは、特に地下鉄でのスリには細心の注意をして、乗降口には立たず車両の中程に乗るようにしていたのですが。
その時は、スペイン広場から乗って直ぐ次の駅で降りるつもりでしたし、混んでいましたので、中まで入れず乗降口に立ったのですが。
まだ発車もしないほんの瞬間、カーゴパンツの右太股のポケット辺りに、何か違和感を覚えとっさに「ノー」と叫び手を払いますと、私のクレジットカードを入れてある定期入れが床に落ちました。
完全にスラレていたのです。
隣にいた妻(相方と呼ぶのは相応しくないようですので)によると、隣にいた少女が一瞬身をかがめたのが見えたそうです。
3.4人の少女達のグループらしく、彼女達は電車が発車する前に素早く降りて行きました。
どうも私に二つの点で油断があったようです。
一つ目は、カーゴパンツのホック式ボタンの付いたポケットはスリ被害に遭わないのではないかという点と、一駅ぐらいならという気の緩みかもしれません。
相手の方が一枚も二枚も上手のプロだということ、被害はありませんでしたが、ただ運が良かっただけに過ぎなかったと思い知らされました。
そういえば、11年前にローマの安宿でカメラを盗まれた事といい、永遠の都ローマは私に取って永遠の鬼門となったようです。
明日からは気を入れ直して、最後の宿泊地パリに向かいます。
写真は、スペイン広場の階段に座る人達です。 -
6月9日(月) ローマからパリ
それは突然起こったのです。
機体が大きく左手に傾き高度が下がり、次に今度は右手に大きく傾き、ダッチロールをし始めたのです。
一度や二度でなく何度も続きます。
その間、私は大丈夫だからと半分は自分にも言い聞かせながら、こういう時でしか出来ないであろう妻の手を堅く握り締めていたのです。
多分時間にして5分位は続きましたので、もしかして墜落?の文字が浮かんで来ました。
幸いその後機体は何とか体勢を持ち直し、予定時間を少しオーバーしてパリシャルルドゴール空港へ着陸しました。
その途端機内の乗客達から自然と拍手が沸きました。
多くの乗客達も皆さん同じような恐怖を味わっていたのでしょうね。
実は、後になって気がついたのですが、その予兆は幾つかありました。
さて、いよいよ鬼門のローマから逃れ、花の都パリまで約2時間の空旅です。
ローマレオナルドダビンチ空港の自動チェックイン機はイタリア語しかありません。
係員に言うと、画面上でエールフランスを選べば日本語があると言うのです。
確かに日本語表示になり、アリタリア航空AZ324の便名もありましたので、Eチケットの予約番号を打ち込んだのですが、その便は終了していますとしか出ません。
やりなおしたのですが、結果は同じでした。
再度同じ係員に出来ない事を言うと、さもしかたないという表情で、チェックインカウンターの奥にあるアシスタントカウンターに行けと言うのです。
そこには、4カウンターがあり誰も列を作っていませんし、その内一つが空いていましたので、従来の様にEチケットと パスポートを見せますと、簡単に搭乗券を発券され、荷物も預けられました。
一方、自動チェックイン機でチェックインした乗客達は荷物をあずける為、チェックインカウンターに長い列を作っています。
一体何のための自動チェックイン機なのでしょうか、意味が分かりません。
指定された搭乗口で待っていると、搭乗予定時間の10分程前に、搭乗口から乗客達が出て来ました。
折り返しの便が遅れて着いた様です。
暫くすると、搭乗時間が遅れる旨の放送があり、係員が搭乗を待っている客達の中で、機内持ち込みのキャリーケースを持っている客のうち何人かに何か説明をして、そのキャリーケースをチェックインバゲッジへと変更をして、幾つかのキャリーケースを持ち去りました。
この様に搭乗直前に機内持ち込みを変更しているのは初めて見ました。
雲一つない青空のローマを飛び立って一時間半をすぎたころ、空には厚い黒い雲が二重にも三重にもかかっていました。
何か分かりませんが、ちょっと嫌な感じがありました。
更に雷がなり稲妻が見えました。
すると、機内放送で何やら説明があり、シートベルト着用のサインがつき、キャビンアテンダントが客席のシート戻すよう、丹念にチェックしました。
その直後にダッチロールが始まったのです。
結局無事にパリへ到着したのですが、旅の終わりに近づいて、ローマ以降嫌な事が続きましたので、今後は更に気を引き締めようと思っています。
写真は、命からがら無事降り立ったALITALIA航空機です。 -
6月10日(火)〜12日(木) パリ
ローマから何とか無事パリに行き着いた翌日は、雨降りの一日となりました。
私達は、前回訪れた時にヴェルサイユ宮殿の最大の呼び物?の「ガラスの回廊」が修復中で見れなかったため、今回のパリ観光の唯一?の目的でしたので、雨降りを幸いに、晴れる日を期待してノンビリ過ごす事にしました。
翌日は太陽が眩しく肌を射すような暑い日になりました。
インターネットでの情報によると、ヴェルサイユ宮殿は非常に混雑しており、
入場に一時間以上待ったなどとの投稿がありました。
私達は、朝9時の開園に間に合うように8時過ぎには、宮殿に一番近い駅(ヴェルサイユリヴゴーシュ)まで行ける郊外鉄道に乗るため、アンバリッドという駅に行ったのですが、窓口は全て閉まっています。
駅員?に聞いたところ、此処はクローズしているので、他の駅から違う路線でヴェルサイユシャンテという駅に行けということでした。
とにかく、何とか10時過ぎにはヴェルサイユに着き、想像していたよりはスムーズに宮殿に入場出来、やっと「鏡の回廊」を観ることが出来ました。
その後は、市内に戻ってユックリ市内の観光スポットを観ている内、あっという間に日にちも過ぎて、遂に明日(6月13日)は1ヶ月に渡った旅もパリから帰国の途に就きます。
しかし、フライトはアリタリア航空の為、また鬼門のローマ乗り換え成田行きです。
最後まで心配は尽きませんが、無事日本の土を踏める事を信じて、明日パリを発ちます。
写真は、ヴェルサイユ宮殿鏡の回廊です。 -
6月13日(金)〜14日(土) パリから日本
1ヶ月に及んだ旅も、長かったのか短かったのか分かりませんが、無事?浜松の自宅に辿り着くことが出来ました。
生まれて初めての経験として、良いことも悪いことも経験しましたが、果たしてこの経験が今後役に立つかは分かりませんが、兎に角この歳になってまで、初めてということが経験出来たことは驚きでした。
昨日は午後4時頃帰宅し、まずアッタカーイ湯船に浸かった後は、やはりお寿司を食べて、ミスマッチの赤ワインを飲んで、郵便受けに貯まっていたものを見ていたら、知らぬ間に眠ってしまったようです。
今日も、目が覚めたら11時を過ぎていました。1ヶ月分の睡眠不足を取り戻せたかも。
寝不足は解消されたかも知れませんが、身体に残る節々の痛みは、歳と共に蓄積されているようです。
今後のことはまだ未定ですが、また機会を作って、世界遺産の旅を継続したいと思っています。
写真は、パリのサクレクール寺院です。
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