2015/02/02 - 2015/02/09
249位(同エリア630件中)
白い雲さん
つい最近まで、内戦で観光には不向きな国と思われていました。5年ほど前に内戦を終息して、安定した国情を見せるようになっていると聞きました。こんな経緯は、なぜ生じたのか、それがスリランカのどんな歴史とかかわっているかも、観光地を巡れば、少しは分かるのでないかと思いました。この旅行記も、訪れた順番でなく、スリランカの歴史の順番に沿って書きました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
スリー・マハー菩提樹
スリランカ北部の都市・アヌラーダプラにあります。
紀元前3世紀に、インドのアショカ王の王女サンガ・ミッタが、釈迦が悟りを開いたインドのブッダガヤの菩提樹の分け木を運び、デーワーナンピヤ・ティッサ王が植えたとされています。
アヌラーダプラを仏教の聖地とする存在です。
アヌラーダプラは、スリランカ最古の都が2,500年前から置かれたとする土地です。 -
ワウ(旗)をスリー・マハー菩提樹に奉納する仏教徒
仏教の旗は六色仏旗といわれ、緑、黄、赤、白、黒、紫が縞模様になっています。
50人ほどの仏教徒たちが、50mはあろうと思われる仏教旗を頭上に掲げて、スリー・マハー菩提樹の周囲を回って奉納していました。 -
ルワンウェリー・サーヤ大塔
アヌラーダプラにあります。
紀元前2世紀、ドウッタガーマニー王の時に建設が始められたといわれます。
55mの高さで、純白のダーガバ(仏塔)は、何十頭という象の彫刻に取り囲まれています。 -
イスルムニヤ精舎
アヌラーダプラの遺跡です。
通称ロック・テンプルといわれるように、岩を利用して作られています。岩肌が彫られた仏像を祀っています。
本堂には、鮮やかな赤い袈裟を身に付けた仏様が横たわっていますが、この仏様の塗り替えに浅草寺が援助したと聞きました。 -
王族の像
イスルムニヤ精舎に設けられた博物館に展示されています。
寺院北側の王宮庭園から、この像と「恋人の像」が発見されました。。
5?8年の作といわれています。中央に紀元前2世紀のドウッタガーマニー王とその妻、王の左にサーリャ王子、王の妻の横にマーラが彫られています。 -
シーギリヤ・ロック
200mの岩の上に王宮をカーシャバ王が建築しました。
478年、父ダートウセーナ王を殺害させ王位に就いたカーシャバ王は、弟のモッガラーナの復讐を恐れ、岩山の頂上に王宮を建て、玉座を置きました。 しかし、11年後には、亡命先のインドから戻ったモッガラーナに破れ自らその命を絶ったのでした。 -
チケット売り場付近の濠
王宮の遺跡は、岩山の周りにも、濠や城壁が残っていて、当時の都の様子を垣間見ることができます。 -
岩山に登る小路
階段などが設けてありますが、傾斜はかなりです。さらに上に行くと鉄製の階段や鉄製螺旋階段などがあって、少々スリルを感じる箇所もあります。 -
シーギリヤ・レディズ
世の中から忘れ去られていた岩山の王宮は、19世紀後半にイギリス人によって、1400年ぶりに発見されました。1938年にイギリスによって造られたという鉄製の螺旋階段を上がると岩肌にシーギリヤ・レディーズ(Frescos-The Sigiriya Maidens)が現れます。現在は、18人ですが、当時は岩山の周囲に500人も描かれていたようです。花を載せた盆を持っていたり、花を持ったりする上半身裸の像が多く、外国からやって来たと思われる女性も描かれています。 -
ミラー・ウオール
小路を岩肌と挟むように崖側に作られた壁が、蜜蠟でぴかぴかに磨き上げられています。岩肌に描かれたシーギリヤ・レディーズのようなフレスコ画をぴかぴかの壁面に映し、両側のレディーたちを楽しもうとした装置だったといわれています。 -
ライオンの足
ミラー・ウオールからしばらく登ると、広場に出ます。ここに直接頂上に向かう階段があって、その階段を挟むようにして左右にライオンの足の彫刻があります。当初は、上部に口を開けたライオンの頭部も作られており、登る人たちはライオンの喉の中に入って行くようになっていたようです。
シンハラ語で、ライオンはシンハ、喉はギリヤなので、ライオンの喉はシンハギリヤとなり、シーギリヤという地名の由来だとの説明を聞きました。 -
岩山のもっとも高いところの王宮跡
建物などは、全くなく、煉瓦や石の土台部分が残っているだけです。
岩山の頂上は、1.6haもあり、南東の方向に傾斜しています。 -
王のプール
岩山の中央付近に長方形の池があり、今も水を溜めています。
外に、妃の住居跡、舞台跡も確認できているようです。 -
シーギリヤ・ロックからの眺望
カーシャバ王が、弟のモッガラーナの復讐を恐れ、岩山の頂上に逃げて恐怖に苛まれる時間の中で、この風景は心を癒やしたのでなかろうかと思う光景でした。 360°展望できて爽快です。 -
ワタダーゲの外壁
シンハラ王朝の都・アヌラーダプラは、10世紀末から11世紀にかけて南インドのチョーラ王朝に征服され、ポロンナルワに移りました。ポロンナルワに都を構えた歴代の王は、貯水池や水路を建設したので、仏教都市として繁栄しました。その遺構は、ポロンナルワ保護区内に残されていますが、中でもクワドラングルが見所の一つです。
クワドラングルの中心遺跡が、ワタダーケです。円形の仏塔跡で四方に入口があり、四体の仏像が祀られていたといいます。 -
ワタダーケの北の入口
北側の入口は、今も残された1体の石仏が祀られた様子を見せてくれます。 -
ムーン・ストーン
ワタダーケの入口の石段の下に、半円形の石が敷かれています。
外側から鳥、象、馬が円を描いて彫り込まれています。
この遺跡を参拝したり見学する人たちは、この石の前で靴を脱ぎ、帽子をとらなければなりません。
石段の両側には、ガード・ストーンもあり、魔物の侵入から本尊を守っています。 -
ハタダーゲ
ワタダーゲの北の入口の真ん前にある仏歯寺の跡です。その左横にアタダーゲもあります。アタダーゲは、石柱の上に木造の建築物を造り、仏歯を安置したといいます。
アヌラーダプラに都があった4世紀初めキルティ・スリ・メーガワン王の時代に釈迦の犬歯が運ばれてきて、王権の権威を保証する証として扱われるようになりました。日本の三種の神器に似ています。
したがって、都の移転にともなって仏歯も移され、都となった場所に仏歯寺が造られていきます。 -
ガルポタ
クワドラングルに残された「石の本」と呼ばれるものです。長さ9m、幅1.5m、厚さ44cmの大きさです。彫り込まれた文字は、インドの侵略について、小国との関係について、そして王への賛辞を表しています。 -
釈迦立像
ポロンナルワの遺跡群の中にガル・ヴィハーラという遺跡もあります。巨大な岩を削って3体の釈迦像が彫り出されています。
このガル・ヴィハーら遺跡は、大きく柵で囲まれていて、柵の入口では、脱靴、脱帽が求められます。 -
釈迦坐像
ガル・ヴィハーら遺跡の巨大な岩の左端に彫り出された釈迦像です。 -
涅槃像
ガル・ヴィハーら遺跡の巨大な岩の中央部に彫り出された涅槃像です。
ポロンナルワに都が置かれたのは、1017年から1255年までですが、12世紀がその全盛期です。この時代には小乗仏教の重要な聖地としてタイなどとも交流があったようです。
しかし、南部の貴族たちが力を伸ばし、1232年にはタミル人がダンバテニヤに都を置く国が台頭してきて、ポロンナルワの王朝は力を失なって行きます。 -
黄金の大仏
ダンブッラの博物館で、ダンブッラ石窟寺院に登って行く目印です。 -
ダンブッラ石窟寺院
岩山の洞窟を使った石窟寺院が、第1窟から第5窟まで並んでいます。
ここも手前の入口で、靴を脱ぎ、帽子を脱がなけば見学はできません。 -
第1窟 デーワ・ラージャ・ヴィハーラ
「神様の王の寺院」の意味があって、最も古い石窟寺院です。14mの涅槃像と5体の仏像が祀られており、壁一面に絵が描かれています。 -
第2窟 マハー・ラージャ・ヴィハーラ
「偉大な王の寺」という意味で、ダンブッラ最大の洞窟です。幅52m、奥行き
25m、入口付近の高さ6mの空間には、56体の仏像が祀られています。圧巻は、仏陀の生涯、スリランカの歴史としてのシンハラ人とタミル人の戦いなどが天井や壁一面に描かれているところです。
天井から常に水滴が滴り落ちていて、瓶が据られて受け止め、聖水として貴重な儀式のときだけ僧侶が飲むのだそうです。 -
第3窟 マハー・アルト・ヴィハーラ
「偉大な新しい寺」といわれて、18世紀後半に造られています。
祀られているのは、9mの涅槃仏をはじめ57体もの仏像です。 -
第4窟 パッツイーラ・ヴィハーラ
「3人の王の寺」といわれて、キャンディ王朝末期に造られました。
狭い洞窟です。 -
第5窟 デワナ・アルト・ヴィハーラ
1915年の建設でもっとも新しい。
洞窟内は狭い。 -
キャンディ湖畔に建つ仏歯寺
キャンディの街は、14世紀中頃建設されたといいます。
15世紀から16世紀後半には、コーッテ王国の支配下にありました。コーッテ王国がポルトガルの侵食を受けると、キャンディとして独立しました。その後、周辺諸国やポルトガル、さらにはオランダなどとの間で同盟を繰り返しながら存続しました。
1594年には、唯一西欧の支配が及んでいない政権になっていました。 -
仏歯寺
中部スリランカに西欧の支配が及ばない政権が存在したので、政権の正統性の証となる「仏歯」もキャンディに安置されました。
正面の八角堂は、仏教の特徴とする建物様式で、法隆寺夢殿も八角堂です。 -
仏歯寺1階の広間
仏歯寺では、午前6時、午前9時30分、午後6時30分の3回、「プージャ」という厳かな儀式が行われます。仏歯を納めたダーガバ(仏塔)が安置されている2階の部屋の扉が開かれ拝観できるのです。この扉を開けることに先立って、この広間では喇叭と太鼓による音楽の演奏が始まるのです。 -
仏歯を納めたダーガバ(仏塔)が安置されている2階の部屋
扉は、時刻が来ると20分間開け、15分間閉ざされ、再び20分間開かれるというのです。その限られた時間内に拝観しようとする熱心な仏教徒で部屋の前は大混雑。押し出されるようにして、15分間の扉が閉ざされている間にこの部屋の前を通り過ぎることになってしまいました。 -
仏歯寺の通路に描かれたペラヘラ祭り
1505年からポルトガル、オランダ、イギリスと植民地支配が続き、1815年にはキャンディが滅亡してシンハラ王朝の終焉となりました。
仏歯は、最後のウダ・ラタ王国の都キャンディに安置され、現在にいたっています。
この歴史が、エサラ月(7〜8月)にキャンディのペラヘラ祭りを催させているのです。
仏歯を納めた舎利容器を載せた象が市内を練り歩く華麗な行列です。数多くの踊りや見世物が続き、100頭もの象が加わるので人気だそうです。 -
首都コロンボのペラヘラ祭り
ペラヘラ祭りは、各地で催されているそうです。
首都コロンボでは、ナワン・ポヤ(2月の満月)にガンガラーマ寺院やシーマ・マラカヤ寺院一帯に、各地から集まった舞踏集団や仏教の経典を運ぶ象が、仏師を納めたダーガバ(仏塔)を載せた象を先導するように、2時間にわたって行進する長い行列を見物できます。 -
旗持ち
行列の先頭は、「鞭打ち」がピシッ、ピシッと皮の長い鞭をならしながら通ります。
それに続くように「旗持ち」が行進してきます。 -
太鼓叩き
賑やかな音楽の中心は、太鼓と喇叭です。リズム中心の音楽のようでした。 -
イチオシ
踊り子
踊り子の集団は、幾つもあって、旗持ち、太鼓叩き、踊り子、そして象が一つの集団を構成して、ペラヘラ(長い行列)に参加しているように見えました。 -
踊り子
踊り方は、集団ごとに特徴があって、中には仮面をかぶっている集団もありました。 -
経典を運ぶ象
コロンボのペラヘラ祭りには、32頭の象が参加していました。
先頭付近を行進した象は、経典を捧げ持つ人を載せていました。 -
在家総代
行列に参加した集団の中心人物が、仏像を持って行進しました。 -
仏歯を納めたダーガバ(仏塔)を載せた象
最後尾の象の背中には、ダーカバ(仏塔)が載せられて、この長い行列のクライマックスです。この象は参加した象の中でもっとも大きく、両脇に1頭づつの象を従えての行進でした。 -
僧侶
仏教徒が72%を占めるというスリランカでは、僧侶は民衆から尊敬されていて、行列に加わっても傘を差し掛けるお供が付いていました。 -
ゴール旧市街地へのメインゲート
スリランカの南端に近いところにゴールという町があります。
ここにはポルトガルが1505年にポルトガル領セイロンとして植民地化をはじめたとき、植民都市として建設されました。
防塁に囲まれた旧市街地に入るには、このメインゲートとオールドゲートの2カ所しかありません。 -
ゴール旧市街地を囲む防塁
植民都市ゴールを守るための防塁は、現在もほぼ完全な形で旧市街地を取り囲んでいます。 -
オランダの東インド会社のマーク
ポルトガルによる植民地統治は、1505年から1658年まで続きます。その後、
代わってオランダが植民地支配をするようになるのです。 -
ヒストリカル・マンション
ゴールの旧市街地の中には、ポルトガル、オランダ時代など植民都市として栄えていた時代の建物が残っています。
その1軒が私設の博物館に利用されていました。 -
首都コロンボの中心・フォート地区
オランダのスリランカ植民地支配は、1658年から1796年までで、その後イギリスの東インド会社がコロンボを占拠して植民地化をはじめました。1815年にはイギリス軍がキャンディを攻め王権は消滅し、イギリスの植民地支配が続きます。
コロンボのフォート地区には、植民地時代の西欧風建築物が残っていて、銀行などが利用しています。 -
フォート地区南端のゴール・フェイス・グリーン
1859年、イギリスのハワード総督の発案で造られた緑地です。
芝生の広場ですが、芝がはげて土がむき出しになっているところがたくさんあります。樹木はありません。
石垣の下の海辺では、子ども達がたくさん水遊びをしていました。
大人は夕方になると現れて、インド洋からの海風に吹かれるということでした。 -
胡椒
イギリスが植民地化を進めた時代には、熱帯モンスーン気候を利用して、熱帯作物である茶、バニラ、天然ゴムなどのプランテーションが行われました。 -
カカオ
チョコレートの原料なのですが、実は直接幹に花を咲かせ結実します。 -
バニラ
蔓は、樹木などにからんで生長します。開花した花は半年ほどかけて長さ30cmもの実になります。この中に黒い小さな粒が無数に入っていて、香料バニラの原料になります。 -
道ばたの果物販売所
名前の知らない果物がほとんどでした。
右下の大きな枕ほどの果物は、ジャックフルーツという名を教えてもらいました。
甘いそうですが、みずみずしさが乏しいのだそうです。中の種子も焼くとか茹でると食べられるといってました。ちなみにこれもカカオと同じように直接幹に実がなります。 -
紅茶の専門店
スリランカは、インドに次いで世界第2の紅茶生産国で、輸出量は世界第1位です。
生産される土地の高度によって「ハイグロウンティ」、「ミディアムグロウンティ」、「ローグロウンティ」などと区分されます。
さらに製法上、「オレンジペコ」、「ブロークンオレンジペコ」、「ブロークンオレンジペコファニング」、「ダスト」などの区分もありました。 -
木彫りの工場
象を彫っているところですが、外にも人とか悪魔の仮面などカラフルな彩色したものもありました。 -
ろうけつ染めの工場
ろうけつ染めの作業をしているところ。女性の手仕事です。とかした蠟を小さな器の先から流し出して絵柄を描きます。その後染めの工程を経て、蠟を洗い流して製品にします。
驚くほど鮮やかな壁掛けなどが出来上がります。
?価で手頃な買い物ではありませんでした。 -
宝石店
スリランカは、南部のラトウナプラあたりからダイヤモンド以外の宝石を産出します。
イギリス王室のウイリアム皇子がキャサリン妃に送ったブルーサファイヤは、スリランカで産出したものだといっていました。 -
花嫁と花婿
キャンディでのクイーンズ・ホテルで披露宴があるようで、それに先だって目の前の仏歯寺に参拝に行く花嫁と花婿です。
スリランカで、このような衣装でクインーズ・ホテルのような場所で披露宴が行えるのはどのような人なのかと考えてしまいました。 -
独立記念日の催し
2月4日は独立記念日です。
イギリスの植民地として170年余り統治されましたが、1948年2月4日、イギリス連邦内の自治領セイロンとして独立しました。
1972年、イギリス連邦内の共和国・スリランカ共和国となりました。
1978年、スリランカ民主社会主義共和国となり現在にいたっています。
こうした歴史のため国民は独立を記念して国旗を各所に掲げたり、このような記念式典を行っていました。
ちなみにこの日は、不浄とされる経済活動や、肉類を食べること、飲酒は禁じられています。観光客も例外でなく、アルコールは出ませんでした。 -
スリー・ホイール
スリランカの足になっている乗り物です。
インド製です。価格は日本円の50万円くらいだそうです。
ちなみに、スリランカでは日本車が多く走っていました。目立ったのはハイ・エース、プリウス、三菱の自動車でした。ただ、輸出された中古車も多いようで、時には○○商店などと漢字で書かれた自動車も走っていました。私たちが7日間乗ったバスは、車内に「次で降りる方はボタンを押して下さい」と書いてありました。
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