2014/05/21 - 2014/05/24
2772位(同エリア7781件中)
五黄の寅さん
2月に出掛けて、すっかり沖縄の虜になった友人から次何時やと、矢の催促。
ゴールデンウィークの終わった時期を狙って出掛けました。
二回目の旅は南部を中心にゴルフを組み込んだ旅でした。
旅程
5月21日
午後の便で那覇へ
首里城の散策
5月22日
パームヒルズでゴルフ
5月23日
海軍司令号跡−斉場御嶽
沖縄ワールド−辺戸岬
5月24日
午後の便で羽田へ
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
里城公園の一角にある、首里城公園レストセンター(首里杜館すいむいかん)の地下駐車場(B2)に車を入れます。
駐車料金¥320円。
車でのアクセス方法は以下のページを参考にして下さい。
http://oki-park.jp/shurijo/access/192
モノレールの終点から散策しながら向かうのも良いですよ。(^O^)/ -
一階には、レストラン、カフェ、ショップの他に情報展示室があり、首里城公園や首里城周辺の文化財などに関する情報が入手できます。
-
こちらのショップ「紅型」では伝統的な土産物や、Tシャツなどのオリジナル品が購入できます。
-
ビジターロビーを通って、見学コースの起点「守礼門」に向かいましょう。
ご存じとは思いますが、扁額には「守禮之邦」と書かれています。
琉球は礼節を重んずる国であるとの意味ですね。 -
「守礼門」の前では、皆さん記念撮影されます。
この門は別名「上の綾門(いいのあやじょう)」と呼ばれたそうです。
上の方に在る美しい門と言う意味です。
首里城公園のページ
http://oki-park.jp/shurijo/ -
公園の大きな案内図を予め眺めておくと宜しいでしょう。
沖縄県の首里城公園ページ
http://www.pref.okinawa.jp/site/doboku/toshimono/koen/syurijyo.html
以下の説明は、首里城のホームページから引用しております。 -
守礼門をくぐって進むと、左手に見えるのが
「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」
1519年創建、国王がお城を出る際に道中の安泰を祈った所。 -
先ず最初に目に付く大きな門が「歓会門」です。
歓迎すると言う意味です。
(当時中国の皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)を迎えて歓迎する意味合いがあった様です)
別名「あまえ御門(あまえうじょう)」、
「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味します。
実は、この門の両側に魔よけのシーサーがいますので、見落とさない様にして下さい。 -
歓会門を過ぎると、石段が右手に見えて来ます。
-
その石段を上がります。
石段の右手に在るのが、 -
こちら、龍樋です。
龍の彫刻は1523年に中国からもたらされたもので、その口から出る水を王宮の飲料としていたそうです。
上の写真の碑には「中山第一」と記されています。
前述の冊封使がこの水の清らかさを讃えて、題字を残したそうです。
この辺りに同じ様な、7つの碑がありますので、興味のある方は探して見て下さい。 -
龍樋の直ぐさきに「瑞泉門」が在ります。
龍樋にちなんで、目出度い泉と言う意味です。
こちらの門の両脇にもシーサーがいますので、ご注意を。
この門は、石のアーチ門の上に乗っている先程の歓会門と異なり石垣の切れ目に乗っかった作りになっています。 -
さて、次の門は「漏刻門」と言います。
漏刻とは、水時計を指す言葉です。
門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれています。 -
漏刻門をくぐると、広場になっており、右手に「広福門」が在ります。
広福とは「福を行き渡らせる」という意味です。
門をくぐる前に、広場の中を歩いてみましょう。 -
この広場から東シナ海、残波岬方面を眺めて見る事をおすすめします。
ユーチューブにその様子を掲載してますので、興味のある方はどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=mD_tjgb5HPE -
こちらは「日影台(にちえいだい)」という日時計です。
1879年(明治12)廃藩置県(はいはんちけん)まで実際に使用されていたそうです。 -
この鐘は歴史資料では1458年に首里城正殿に掛けられていたと記録されている「万国津梁の鐘」のレプリカです。
本物は、沖縄県立博物館に収蔵されています。
鐘には「琉球国は南海の美しい国であり、朝鮮、中国、日本との間にあって、船を万国の架け橋とし、貿易によって栄える国である。」という主旨の銘文が刻まれています。 -
そろそろ、広福門をくぐって進みます。
門をくぐると、「下之御庭(しちゃぬうなー)」にでます。 -
首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る前の広場で、正殿前で行われる様々な儀式の控え場であり、正殿の建築工事の際には資材置場等として使用されたそうです。
ここで、イベント「舞への誘い」が丁度始まる所でしたので、琉球舞踊を観賞させて貰いました。
右下の写真は、
城壁の手前にある礼拝所を「首里森御嶽(すいむいうたき)」といいます。
「琉球開闢(かいびゃく)神話」によれば、神が造られた聖地であるとされているそうです。
また、城内にはここを含めて「十嶽(とたけ)」と呼ばれる10ヶ所の礼拝所があったといわれています。 -
この踊りは「若衆こてい節」と言って、15,6の元服前の若衆が踊るものです。
こちらもユーチューブで踊りを少しどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=fQx7ZYY0L1Y -
いよいよ、正殿の方へ向かいます。
この「奉神門(ほうしんもん)」は「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。
3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)等限られた身分の高い人だけが通れる門です。
それ以外の役人は両側の門から入城しました。
もちろん、私は端の門から入りました。(笑) -
これが、琉球国王の居城の中心である、正殿です。
戦災で焼失し、1992年に再建。
中山王 尚巴志(しょうはし)が琉球王国を統一した15世紀前半から、国王の居城としてきた建物です。
日本・琉球・中国の建築様式が融合しています。 -
以下、ホームページより引用しましょう。
右手の建物は、奥から「南殿」「番所」
南殿:年間を通じて行催事が行われ、薩摩藩の役人の接待にも用いられていた建物。
番所:首里城へ登城してきた人々の取次所だった建物。
左手の建物は「北殿」
評定所と呼ばれる重要案件を詮議した、政務の中枢機関。
また、冊封使を歓待した場所でもあった。 -
正殿2階のこの場所を「御座床(うさすか)」と言い、国王の玉座として様々な儀式や祝宴が行われた所です。
-
「御差床」の正面にある部屋は「唐玻豊(からはふ)」と呼ばれ、正月の儀式や中国皇帝への親書を送る時などに、国王が椅子に座り御庭に並ぶ諸官とともに儀式を執り行った重要な場所である。
-
国王の王冠が展示されてます。
-
ここから再びホームページから引用しましょう。
御差床左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されている。
なお、国王の椅子については、1477年〜1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものである。 -
正殿1階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場であった。
中央の華麗な部分が「御差床(うさすか)」(2階と同じ名称)と呼ばれ、
政治や儀式の際に国王が出御(しゅつぎょ)する玉座である。
左右には国王の子や孫が着座した「平御差床(ひらうさすか)」がある。
裏側には二階に通じる階段があり、国王はこの階段を降りて御差床についた。 -
2000年7月に行われた沖縄サミットの各国首脳の顔ぶれ。
今でも現役なのは、ロシアのプーチン大統領一人です。
15年の時代を感じます。 -
正殿を見学して、駐車場のあるレストセンターに戻ります。
右手の「淑順門(しゅくじゅんもん)」から出ましょう。
正殿の奥、国王とその家族が住んでいた「御内原(おうちばら)」と呼ばれる一帯は整備工事中でした。 -
15世紀に創建されたと伝わる「右掖門(うえきもん)」を通って戻りましょう。
-
道を下って、帰りは右に見える「久慶門(きゅうけいもん)」から城壁の外に出て、レストセンターに戻ります。
この門は、かっては通用門として主に女性が使用したそうです。
正面左手に見えているのが、城に入る時にくぐった「歓会門」ですね。 -
城壁の外に出て城壁沿いに歩いてゆくと、右手に龍潭(池)方面への道があります。
そちらへ少し行くと左手に、沖縄守備隊32軍の司令部壕が在ります。ご覧の様に中には入れません。
修学旅行の生徒が見学していました。
首里城の見学を終えホテルに戻ります。
旅行記2 に続きます。
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