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御嶽駅近くの玉堂美術館前の黄葉 2014.11.28 13:12 曇り14℃<br /><br />所沢市高齢者大学第36期 http://4travel.jp/travelogue/10670647<br />ハイキング倶楽部 第11回行事<br />(回数はブログ編集者の参加回数で、全体では+7)<br /><br />2014年11月28日(金)<br /><計画書の一部><br />今回は、多摩川沿いを歩く、渓谷紅葉探訪となります。<br />雨でも、それなりの美しさを楽しめます。濡れた紅葉も、綺麗です。<br />コース最後に、酒造工場見学を行い、新酒の試飲を楽しみます。<br />尚、最終、秋津駅前、さくら水産で忘年会を行います。<br /><br />交通機関  <br />往路:所沢駅9:52→東村山9:56→小川10:04→拝島10:19→青梅10:52→御嶽着11:10<br />復路:沢井駅15:28→青梅15:57→西国分寺16:47→新秋津16:55<br />→さくら水産秋津店(西武池袋線秋津駅前)17:05<br /><br />交通費: 所沢駅~御嶽、沢井~新秋津 合計1367円(パスモ利用)<br />    <br />コース<br />御嶽駅11:15→神路橋11:30→発電所下11:50→いもうとや12:15 <br />(昼食と自由時間) いもうとや13:15→小澤酒造13:40 <br />工場見学14:00~14:45<br /><br />秋津の居酒屋で忘年会<br />17:15~19:30 参加23名 会費¥3100、2800(女性)<br /><br />ハイキング参加者25名(一部参加含む、敬称略) 内女性10名  数字は高大の班名<br />Aグループ 秋山2、荒幡1、石井君子10、岡本6、岸田6、高橋16、芳賀16、丸岡2、羽月2 <br />Bグループ 池田9、金原13、岸15、北原16、古賀8、玉田3、砺波8、山崎16、山田耕1、山田洋4<br />Cグループ 小田切7、小布施13、加藤8、川村8、末藤11、三村8<br /><br />撮影 <br />CANON EOS40D EF-S17/85<br />CANON PowerShot A2300 <br /><br />お気に入りブログ投票(クリック)お願い<br />http://blog.with2.net/link.php?1581210<br /><br />

ハイキング倶楽部 第11回 奥多摩渓谷~酒造工場見学 Hiking to Oku-tama Valley

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2014/11/28 - 2014/11/28

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yamada423

yamada423さん

御嶽駅近くの玉堂美術館前の黄葉 2014.11.28 13:12 曇り14℃

所沢市高齢者大学第36期 http://4travel.jp/travelogue/10670647
ハイキング倶楽部 第11回行事
(回数はブログ編集者の参加回数で、全体では+7)

2014年11月28日(金)
<計画書の一部>
今回は、多摩川沿いを歩く、渓谷紅葉探訪となります。
雨でも、それなりの美しさを楽しめます。濡れた紅葉も、綺麗です。
コース最後に、酒造工場見学を行い、新酒の試飲を楽しみます。
尚、最終、秋津駅前、さくら水産で忘年会を行います。

交通機関  
往路:所沢駅9:52→東村山9:56→小川10:04→拝島10:19→青梅10:52→御嶽着11:10
復路:沢井駅15:28→青梅15:57→西国分寺16:47→新秋津16:55
→さくら水産秋津店(西武池袋線秋津駅前)17:05

交通費: 所沢駅~御嶽、沢井~新秋津 合計1367円(パスモ利用)
    
コース
御嶽駅11:15→神路橋11:30→発電所下11:50→いもうとや12:15 
(昼食と自由時間) いもうとや13:15→小澤酒造13:40 
工場見学14:00~14:45

秋津の居酒屋で忘年会
17:15~19:30 参加23名 会費¥3100、2800(女性)

ハイキング参加者25名(一部参加含む、敬称略) 内女性10名  数字は高大の班名
Aグループ 秋山2、荒幡1、石井君子10、岡本6、岸田6、高橋16、芳賀16、丸岡2、羽月2 
Bグループ 池田9、金原13、岸15、北原16、古賀8、玉田3、砺波8、山崎16、山田耕1、山田洋4
Cグループ 小田切7、小布施13、加藤8、川村8、末藤11、三村8

撮影 
CANON EOS40D EF-S17/85
CANON PowerShot A2300 

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旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.0
同行者
社員・団体旅行
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 2014年11月28日(金)<br /><br />御嶽駅から」沢井駅までの遊歩道マップ「御岳・沢井よってけMAP」

    2014年11月28日(金)

    御嶽駅から」沢井駅までの遊歩道マップ「御岳・沢井よってけMAP」

  • JR青梅線 青梅駅ホーム

    JR青梅線 青梅駅ホーム

  • 青梅駅の待合室外観<br /><br />「レトロステーション青梅駅」の待合室<br /><br />ポスターをはがした跡まで残すのはやりすぎではないかな。

    青梅駅の待合室外観

    「レトロステーション青梅駅」の待合室

    ポスターをはがした跡まで残すのはやりすぎではないかな。

  • 待合室内部

    待合室内部

  • 御嶽駅

    御嶽駅

  • 御嶽駅

    御嶽駅

  • 駅前のイチョウの黄葉

    駅前のイチョウの黄葉

  • 御嶽駅前の御岳橋

    御嶽駅前の御岳橋

  • 御岳神社参道

    御岳神社参道

  • 御岳橋

    御岳橋

  • 御岳橋の下を流れる多摩川の下流方面<br /><br />中央の木立の中に玉堂美術館があります。<br />美術館の塀の白壁と黄葉したイチョウが後で登場します。

    御岳橋の下を流れる多摩川の下流方面

    中央の木立の中に玉堂美術館があります。
    美術館の塀の白壁と黄葉したイチョウが後で登場します。

  • カヌーの練習をしていました。

    イチオシ

    カヌーの練習をしていました。

  • 多摩川上流

    多摩川上流

  • 御岳橋を渡り、玉堂美術館を目指します。11:51<br /><br />遅れた私のコースで、本隊は神路橋(神様の通り道:御岳神社への参道)方面へ行きました。

    御岳橋を渡り、玉堂美術館を目指します。11:51

    遅れた私のコースで、本隊は神路橋(神様の通り道:御岳神社への参道)方面へ行きました。

  • 御岳橋から見た「みたけこはし」

    御岳橋から見た「みたけこはし」

  • 「たまがわ」の標識の手前を下りると玉堂美術館近道です。<br /><br />ひらがな表記には違和感を覚えます。<br /><br />「多摩川」に仮名を振るのが本来の日本語用法のはず。

    「たまがわ」の標識の手前を下りると玉堂美術館近道です。

    ひらがな表記には違和感を覚えます。

    「多摩川」に仮名を振るのが本来の日本語用法のはず。

  • 派手さはないが静かな美しさが好きです。

    イチオシ

    派手さはないが静かな美しさが好きです。

  • 玉堂美術館ですが今回は観ません。11:55<br /><br />玉堂美術館 Gyokudo Art Museum<br />http://www.gyokudo.jp/<br /><br />美術館概要<br />玉堂美術館は日本画壇の巨匠・川合玉堂が昭和19年から昭和32年に亡くなるまでの10余年を青梅市御岳で過ごしたのを記念して建てられました。<br />自然を愛し、人を愛した玉堂の人柄は土地の人々からも慕われ、玉堂の愛してやまなかった御岳渓谷に美術館を建てよう、との声が上がり、皇后陛下をはじめ諸団体、地元有志、全国の玉堂ファンより多大の寄付が集まり、没後4年の昭和36年5月に早くも美術館が開館しました。玉堂は伝統的な日本画の本質を守り、清澄にして気品のある独自な作風を展開しつつ、明治・大正・昭和の三代にわたって、日本学術文化の振興に貢献されました。展示作品は、15歳ごろの写生から84歳の絶筆まで幅広く展示されます。展示替は年7回行われ、その季節に見合った作品が展示されています。<br /><br />名 称<br />玉堂美術館<br />位 置<br />東京都青梅市御岳1の75<br />運 営		財団法人 玉堂会<br />館 長		小澤 萬里子<br />所 蔵 品		約300点<br />敷地面積		1,500.000ヘイホーメートル(454.54坪)<br />建築構造		陳列室 鋼金コンクリート造<br />画室・渡廊下・其の他 木造<br />設計監理		日本芸術院会員 東京芸大教授 吉田 五十八<br />庭園設計		吉田 五十八・中島健<br />竣 工		昭和36年4月<br /><br />館長の小澤萬里子さんは玉堂のお孫さんであり、清酒澤乃井で知られる小澤酒造の会長夫人でもあります。<br />小澤酒造さんは、約300年も続く老舗で、<br />御岳の土地の大多数を所有していらっしゃるそうで!!<br /><br />出典:http://ameblo.jp/gahna-izm/entry-10938224073.html

    イチオシ

    玉堂美術館ですが今回は観ません。11:55

    玉堂美術館 Gyokudo Art Museum
    http://www.gyokudo.jp/

    美術館概要
    玉堂美術館は日本画壇の巨匠・川合玉堂が昭和19年から昭和32年に亡くなるまでの10余年を青梅市御岳で過ごしたのを記念して建てられました。
    自然を愛し、人を愛した玉堂の人柄は土地の人々からも慕われ、玉堂の愛してやまなかった御岳渓谷に美術館を建てよう、との声が上がり、皇后陛下をはじめ諸団体、地元有志、全国の玉堂ファンより多大の寄付が集まり、没後4年の昭和36年5月に早くも美術館が開館しました。玉堂は伝統的な日本画の本質を守り、清澄にして気品のある独自な作風を展開しつつ、明治・大正・昭和の三代にわたって、日本学術文化の振興に貢献されました。展示作品は、15歳ごろの写生から84歳の絶筆まで幅広く展示されます。展示替は年7回行われ、その季節に見合った作品が展示されています。

    名 称
    玉堂美術館
    位 置
    東京都青梅市御岳1の75
    運 営 財団法人 玉堂会
    館 長 小澤 萬里子
    所 蔵 品 約300点
    敷地面積 1,500.000ヘイホーメートル(454.54坪)
    建築構造 陳列室 鋼金コンクリート造
    画室・渡廊下・其の他 木造
    設計監理 日本芸術院会員 東京芸大教授 吉田 五十八
    庭園設計 吉田 五十八・中島健
    竣 工 昭和36年4月

    館長の小澤萬里子さんは玉堂のお孫さんであり、清酒澤乃井で知られる小澤酒造の会長夫人でもあります。
    小澤酒造さんは、約300年も続く老舗で、
    御岳の土地の大多数を所有していらっしゃるそうで!!

    出典:http://ameblo.jp/gahna-izm/entry-10938224073.html

  • 川合玉堂年譜<br /><br />近代日本画壇の巨匠、川合玉堂は日本の自然をこよなく愛し、数多くの風景画を描きました。<br />明治6年愛知県に生まれ、14歳で京都の日本画家、望月玉泉、のちに円山派の幸野楳嶺に師事し天分を大きく伸ばしました。<br />23歳で東京画壇に転じ、橋本雅邦に学び狩野派を極め、円山・四条派と狩野派を見事に融和させ、日本の四季が織りなす美しい自然の風物詩を情趣豊かで写実的に描く独自の境地を開きました。<br />東京美術学校教授、帝国芸術院会員など歴任し、昭和15年文化勲章を受章しました。<br />昭和32年6月30日没、勲一等旭日大綬章を受賞。<br /><br /><br />明治6年11月24日、愛知県葉栗郡外割田村に、父川合勘七、母かな女の長男として生れる。本名芳三郎。<br /><br />明治20年春、岐阜尋常高等小学校を卒業。9月、青木泉橋の紹介状をもって京都望月玉泉の門に入り、「玉舟」の号を与えられる。14才<br /><br />明治23年勧業博覧会出品に当り、玉泉の玉と外祖父竹堂をとって、「玉堂」と改める。11月、幸野楳嶺の塾、大成義会に入る。同輩に久保田米僊、藤山鶴城等、先輩に菊池芳文等がいる。17才<br /><br />明治24年10月28日、岐阜県、愛知県にわたる大地震おこり、父不慮の死をとげる。享年66才。家財を整理し、母とともに京都に出て、油小路御池上ル照円寺境内の離れを借りて住む。18才<br /><br />明治26年4月、母急性肺炎のため死去、享年50才。親戚の大洞家の次女富子と結婚。20才<br /><br />明治28年9月、長男真一出生。京都開催の内国勧業博覧会出品の橋本雅邦作「龍虎の図」と「十六羅漢」をみて、深く感動する。22才<br /><br />明治29年4月、上京。橋本雅邦の門に入る。麹町一口坂に住む。23才<br /><br />明治31年10月、日本美術院創立、雅邦に従ってこれに加わる。25才<br /><br />明治33年2月、次男修二出生。長流画塾も盛んとなる。27才<br /><br />明治34年牛込若宮町に転居。28才<br /><br />明治35年三男圭三出生。29才<br /><br />明治39年五二共進会審査員に任命せられる。長女国子出生。33才<br /><br />明治40年3月、東京勧業博覧会の審査官。文展審査員に任命せられる。34才<br /><br />明治41年1月、師、橋本雅邦死去、享年74才。玉堂を中心に芸術を論じ、風流を楽しむ山水会が生れ、爾後30年続く。35才<br /><br />明治42年長流画塾盛となり、研究会とは別に、展覧会本位の団体、下萌会が生れる。36才<br /><br />明治43年9月8日、イタリア万国博覧会鑑査委員に任命せられる。37才<br /><br />大正元年文展日本画部を二科に区分、日本画部第二科審査員に任命せられる。39才<br /><br />大正3年	農商務省より大正博覧会審査員に任命せられる。41才<br /><br />大正4年	5月19日、東京美術学校教授を拝命。10月若宮町の住宅落成。42才<br /><br />大正6年	6月、帝室技芸員を拝命。44才<br /><br />大正7年下萌会を復活。東京美術学校日本画科主任に任ぜられる。45才<br /><br />大正8年	9月、帝国美術院会員となる。46才<br /><br />大正9年	10月、三男圭三死去。12月高等官三等に任ぜられる。47才<br /><br />大正11年5月、第1回朝鮮美術展覧会が開かれ、審査員として京城に赴き、朝鮮各地を巡遊。49才<br /><br />大正13年小堀鞆音、下村観山、山元春挙、竹内栖鳳、川合玉堂、横山大観、6人の淡交会生れる。51才<br /><br />昭和2年	3月、従四位に叙せられる。54才<br /><br />昭和3年	1月、昭和天皇御即位御大典用品として、悠紀地方風俗屏風の揮毫を拝命。11月、記念章を授与せられる。55才<br /><br />昭和6年	フランス、レジョン・ドヌール勲章を拝受。6月、イタリア皇帝よりグランオフイシエー・クーロンヌ勲章を拝受。58才<br /><br />昭和7年	10月、正四位に叙せられる。59才<br /><br />昭和8年	10月、ドイツ政府より赤十字第一等名誉章をおくられる。60才<br /><br />昭和10年6月、帝国美術院会員に任命せられる。11月、勲三等瑞宝章を賜る。62才<br /><br />昭和11年2月、帝国美術院松田改組なり、第1回展覧会開かれる。6月、東京美術学校教授及帝国美術院会員の辞表を提出。11月、平正改組による第1回文部省展覧会開かれる。63才<br /><br />昭和15年11月10日、紀元2600年式典当日、文化勲章をうける。67才<br /><br />昭和17年1月、俳句集「山笑集」刊行、木活和綴で俳句百句を収録。69才<br /><br />昭和19年7月、東京都下西多摩郡三田村御岳に疎開。12月更に古里村白丸に転ずる。歌集「若宮集」をつくる。71才<br /><br />昭和20年5月、牛込若宮町の住宅戦災にあい焼失。12月三田村町御岳に移り「偶庵」と称する。72才<br /><br />昭和22年11月、歌集「多摩の草屋」刊行。74才<br /><br />昭和23年11月、歌集「多摩の草屋」巻2刊行。75才<br /><br />昭和24年12月、歌集「多摩の草屋」巻3刊行。76才<br /><br />昭和27年3月、兼素洞の企画によって、玉堂、大観、龍子の三人展雪月花展を開催す。79才<br /><br />昭和28年4月、歌集「多摩の草屋」巻4刊行。8月、ブリヂストン美術館映画部により、映画「川合玉堂」を撮影、11月完成。11月、病を得て療養につとめ、以後4ヶ月間制作を行わず。80才<br /><br />昭和29年3月中旬、病気回復。俚謡「御岳杣唄」を作詞。古関裕而作曲。81才<br /><br />昭和30年3月、兼素洞の企画によって、大観、玉堂、龍子三人展を開く。大観は松、玉堂は竹、龍子は梅の課題である。10月名誉都民に、11月青梅名誉市民に推薦される。82才<br /><br />昭和32年2月下旬、心臓喘息病をおこし、青梅の自宅にて療養、一時回復に向う。6月上旬から再び悪化し、30日午後零時40分急逝。(勲一等旭日大綬章を賜わる)<br />84才<br />

    川合玉堂年譜

    近代日本画壇の巨匠、川合玉堂は日本の自然をこよなく愛し、数多くの風景画を描きました。
    明治6年愛知県に生まれ、14歳で京都の日本画家、望月玉泉、のちに円山派の幸野楳嶺に師事し天分を大きく伸ばしました。
    23歳で東京画壇に転じ、橋本雅邦に学び狩野派を極め、円山・四条派と狩野派を見事に融和させ、日本の四季が織りなす美しい自然の風物詩を情趣豊かで写実的に描く独自の境地を開きました。
    東京美術学校教授、帝国芸術院会員など歴任し、昭和15年文化勲章を受章しました。
    昭和32年6月30日没、勲一等旭日大綬章を受賞。


    明治6年11月24日、愛知県葉栗郡外割田村に、父川合勘七、母かな女の長男として生れる。本名芳三郎。

    明治20年春、岐阜尋常高等小学校を卒業。9月、青木泉橋の紹介状をもって京都望月玉泉の門に入り、「玉舟」の号を与えられる。14才

    明治23年勧業博覧会出品に当り、玉泉の玉と外祖父竹堂をとって、「玉堂」と改める。11月、幸野楳嶺の塾、大成義会に入る。同輩に久保田米僊、藤山鶴城等、先輩に菊池芳文等がいる。17才

    明治24年10月28日、岐阜県、愛知県にわたる大地震おこり、父不慮の死をとげる。享年66才。家財を整理し、母とともに京都に出て、油小路御池上ル照円寺境内の離れを借りて住む。18才

    明治26年4月、母急性肺炎のため死去、享年50才。親戚の大洞家の次女富子と結婚。20才

    明治28年9月、長男真一出生。京都開催の内国勧業博覧会出品の橋本雅邦作「龍虎の図」と「十六羅漢」をみて、深く感動する。22才

    明治29年4月、上京。橋本雅邦の門に入る。麹町一口坂に住む。23才

    明治31年10月、日本美術院創立、雅邦に従ってこれに加わる。25才

    明治33年2月、次男修二出生。長流画塾も盛んとなる。27才

    明治34年牛込若宮町に転居。28才

    明治35年三男圭三出生。29才

    明治39年五二共進会審査員に任命せられる。長女国子出生。33才

    明治40年3月、東京勧業博覧会の審査官。文展審査員に任命せられる。34才

    明治41年1月、師、橋本雅邦死去、享年74才。玉堂を中心に芸術を論じ、風流を楽しむ山水会が生れ、爾後30年続く。35才

    明治42年長流画塾盛となり、研究会とは別に、展覧会本位の団体、下萌会が生れる。36才

    明治43年9月8日、イタリア万国博覧会鑑査委員に任命せられる。37才

    大正元年文展日本画部を二科に区分、日本画部第二科審査員に任命せられる。39才

    大正3年 農商務省より大正博覧会審査員に任命せられる。41才

    大正4年 5月19日、東京美術学校教授を拝命。10月若宮町の住宅落成。42才

    大正6年 6月、帝室技芸員を拝命。44才

    大正7年下萌会を復活。東京美術学校日本画科主任に任ぜられる。45才

    大正8年 9月、帝国美術院会員となる。46才

    大正9年 10月、三男圭三死去。12月高等官三等に任ぜられる。47才

    大正11年5月、第1回朝鮮美術展覧会が開かれ、審査員として京城に赴き、朝鮮各地を巡遊。49才

    大正13年小堀鞆音、下村観山、山元春挙、竹内栖鳳、川合玉堂、横山大観、6人の淡交会生れる。51才

    昭和2年 3月、従四位に叙せられる。54才

    昭和3年 1月、昭和天皇御即位御大典用品として、悠紀地方風俗屏風の揮毫を拝命。11月、記念章を授与せられる。55才

    昭和6年 フランス、レジョン・ドヌール勲章を拝受。6月、イタリア皇帝よりグランオフイシエー・クーロンヌ勲章を拝受。58才

    昭和7年 10月、正四位に叙せられる。59才

    昭和8年 10月、ドイツ政府より赤十字第一等名誉章をおくられる。60才

    昭和10年6月、帝国美術院会員に任命せられる。11月、勲三等瑞宝章を賜る。62才

    昭和11年2月、帝国美術院松田改組なり、第1回展覧会開かれる。6月、東京美術学校教授及帝国美術院会員の辞表を提出。11月、平正改組による第1回文部省展覧会開かれる。63才

    昭和15年11月10日、紀元2600年式典当日、文化勲章をうける。67才

    昭和17年1月、俳句集「山笑集」刊行、木活和綴で俳句百句を収録。69才

    昭和19年7月、東京都下西多摩郡三田村御岳に疎開。12月更に古里村白丸に転ずる。歌集「若宮集」をつくる。71才

    昭和20年5月、牛込若宮町の住宅戦災にあい焼失。12月三田村町御岳に移り「偶庵」と称する。72才

    昭和22年11月、歌集「多摩の草屋」刊行。74才

    昭和23年11月、歌集「多摩の草屋」巻2刊行。75才

    昭和24年12月、歌集「多摩の草屋」巻3刊行。76才

    昭和27年3月、兼素洞の企画によって、玉堂、大観、龍子の三人展雪月花展を開催す。79才

    昭和28年4月、歌集「多摩の草屋」巻4刊行。8月、ブリヂストン美術館映画部により、映画「川合玉堂」を撮影、11月完成。11月、病を得て療養につとめ、以後4ヶ月間制作を行わず。80才

    昭和29年3月中旬、病気回復。俚謡「御岳杣唄」を作詞。古関裕而作曲。81才

    昭和30年3月、兼素洞の企画によって、大観、玉堂、龍子三人展を開く。大観は松、玉堂は竹、龍子は梅の課題である。10月名誉都民に、11月青梅名誉市民に推薦される。82才

    昭和32年2月下旬、心臓喘息病をおこし、青梅の自宅にて療養、一時回復に向う。6月上旬から再び悪化し、30日午後零時40分急逝。(勲一等旭日大綬章を賜わる)
    84才

  • 落ち葉掃きは大変そうでした。

    落ち葉掃きは大変そうでした。

  • きれいに掃かれた道はすがすがしい。<br /><br />白壁の塀の内側には京都の龍安寺(りょうあんじ)http://www.ryoanji.jp/smph/ を思わせる庭があります。

    イチオシ

    きれいに掃かれた道はすがすがしい。

    白壁の塀の内側には京都の龍安寺(りょうあんじ)http://www.ryoanji.jp/smph/ を思わせる庭があります。

  • 玉堂美術館<br /><br />建物は、日本の現代数寄屋造りの大家として著名な吉田五十八氏(よしだいそや・1894〜1974)の設計によるものであり、日本の名園にも選ばれた簡素な枯山水形式の庭園は、中島健氏(なかじまけん・1914〜2000)の設計です。<br />このお二人の文化勲章受章者のコラボによる玉堂美術館は、日本建築および日本造園の古き雅の落着きと、新しいエスプリを併せ持つ傑作と高く評価されています。<br /><br />出典:http://www.sawanoi-sake.com/magazine_sawanoi/1709.html

    玉堂美術館

    建物は、日本の現代数寄屋造りの大家として著名な吉田五十八氏(よしだいそや・1894〜1974)の設計によるものであり、日本の名園にも選ばれた簡素な枯山水形式の庭園は、中島健氏(なかじまけん・1914〜2000)の設計です。
    このお二人の文化勲章受章者のコラボによる玉堂美術館は、日本建築および日本造園の古き雅の落着きと、新しいエスプリを併せ持つ傑作と高く評価されています。

    出典:http://www.sawanoi-sake.com/magazine_sawanoi/1709.html

  • 黄金のジュウタンです。

    黄金のジュウタンです。

  • 美術館のとなりの食堂・喫茶店「いもうとや」<br /><br />沢井駅前の「ままごと屋」の姉妹店

    美術館のとなりの食堂・喫茶店「いもうとや」

    沢井駅前の「ままごと屋」の姉妹店

  • シダの黄葉は地味です。

    シダの黄葉は地味です。

  • 紅葉の説明は要りませんね。

    紅葉の説明は要りませんね。

  • イチオシ

  • 木立の中に見えるのが玉堂美術館

    木立の中に見えるのが玉堂美術館

  • イチオシ

  • 吉野街道の玉堂美術館入口

    吉野街道の玉堂美術館入口

  • 曇り空のため日差しがなく、コントラストが強すぎず、素晴らしい発色です。

    曇り空のため日差しがなく、コントラストが強すぎず、素晴らしい発色です。

  • 苔むした石垣

    苔むした石垣

  • いもうとやの奥に玉堂美術館が隣接しています。<br /><br />ままごと屋の姉妹店「いもうとや」<br /><br />こちらは、小澤酒造さんが経営しているお店で、<br />小澤酒造の会長さんは、玉堂美術館館長であり、<br />玉堂のお孫さんでもある小澤萬里子さんの旦那さまです。<br />

    いもうとやの奥に玉堂美術館が隣接しています。

    ままごと屋の姉妹店「いもうとや」

    こちらは、小澤酒造さんが経営しているお店で、
    小澤酒造の会長さんは、玉堂美術館館長であり、
    玉堂のお孫さんでもある小澤萬里子さんの旦那さまです。

  • たまには自分の写真もと、撮ってもらいました。

    たまには自分の写真もと、撮ってもらいました。

  • この石碑は道路に対して斜めに建てられ、この夢の文字は崖側からしか見えません。<br />おそらく99%の人は気付かないでしょう。<br />折角なら裏返しにした方が作者の意図に沿うと思います。<br /><br />玉堂美術館に問い合わせたところ、この石碑は昭和6年に建てられ、その当時の銀杏の木は苗木を植えたばかりだったそうです。<br />最近の台風の洪水で倒れ傷ついてしまい建て直したが、磨いたり何とかしようと検討中だそうです。<br />通行する人が「夢」を見られるように(掛詞です)向きを見直していただくようお願いしました。<br />

    この石碑は道路に対して斜めに建てられ、この夢の文字は崖側からしか見えません。
    おそらく99%の人は気付かないでしょう。
    折角なら裏返しにした方が作者の意図に沿うと思います。

    玉堂美術館に問い合わせたところ、この石碑は昭和6年に建てられ、その当時の銀杏の木は苗木を植えたばかりだったそうです。
    最近の台風の洪水で倒れ傷ついてしまい建て直したが、磨いたり何とかしようと検討中だそうです。
    通行する人が「夢」を見られるように(掛詞です)向きを見直していただくようお願いしました。

  • 御岳橋<br />アーチ橋です。<br /><br />画像をクリックして拡大すると石碑の「夢」が読めます。

    御岳橋
    アーチ橋です。

    画像をクリックして拡大すると石碑の「夢」が読めます。

  • こちらは御岳小橋(みたけこはし)<br />吊り橋です。<br />

    こちらは御岳小橋(みたけこはし)
    吊り橋です。

  • 「みたけこはし」の右岸入口

    「みたけこはし」の右岸入口

  • あの銀杏とその向こうに玉堂美術館が見えます。

    あの銀杏とその向こうに玉堂美術館が見えます。

  • 昼食を摂る仲間たちを対岸から撮りました。<br /><br />こちらからは石碑の「夢」見えます。<br />「・・・見えまーす」ではバスガイドですね。

    昼食を摂る仲間たちを対岸から撮りました。

    こちらからは石碑の「夢」見えます。
    「・・・見えまーす」ではバスガイドですね。

  • 紅葉と黄葉が重なると、一段と綺麗に見える効用が・・。

    イチオシ

    紅葉と黄葉が重なると、一段と綺麗に見える効用が・・。

  • 赤い南天の実<br /><br />玉堂美術館には南天の枝先の写実の絵があります。<br />あまりの見事さにびっくりしました。

    赤い南天の実

    玉堂美術館には南天の枝先の写実の絵があります。
    あまりの見事さにびっくりしました。

  • 「みたけこはし」の左岸の入り口

    「みたけこはし」の左岸の入り口

  • 昼食時間

    昼食時間

  • 朝掃き清められた道路にまたイチョウの葉が散っています。

    朝掃き清められた道路にまたイチョウの葉が散っています。

  • 記念撮影 13:12<br /><br />今回は石碑が三脚代わりになったので全員が写っています。

    イチオシ

    記念撮影 13:12

    今回は石碑が三脚代わりになったので全員が写っています。

  • 「みたけこはし」を渡って沢井駅前の小澤酒造へ向かいます。<br />

    「みたけこはし」を渡って沢井駅前の小澤酒造へ向かいます。

  • 多摩川沿いの遊歩道は狭くて、すれ違うのがやっとです。

    多摩川沿いの遊歩道は狭くて、すれ違うのがやっとです。

  • シラサギが優雅に舞い降りてきました。13:17<br /><br />シラサギの正式名称はコサギ(小鷺)ですが、白い鷺なので通称はシラサギです。

    シラサギが優雅に舞い降りてきました。13:17

    シラサギの正式名称はコサギ(小鷺)ですが、白い鷺なので通称はシラサギです。

  • 岩に降りたシラサギ

    岩に降りたシラサギ

  • イチオシ

  • 岩登りの若者たち

    岩登りの若者たち

  • 松ぼっくり(松カサ)人形

    松ぼっくり(松カサ)人形

  • お山の杉の子記念碑<br /><br />この地で作曲されたとは初めて知りました。

    お山の杉の子記念碑

    この地で作曲されたとは初めて知りました。

  • 火の玉モミジ<br /><br />勝手に名付けただけです。

    火の玉モミジ

    勝手に名付けただけです。

  • 小屋の屋根を埋め尽くしたモミジ

    小屋の屋根を埋め尽くしたモミジ

  • この辺りの多摩川はカヌーのメッカ?

    この辺りの多摩川はカヌーのメッカ?

  • 皇帝ダリヤは11月が最盛期です。

    皇帝ダリヤは11月が最盛期です。

  • 外国人の女性が自分の衣装を着せて楽しんでいました。<br />連れの男性はそれを見て楽しそうでした。<br /><br />奥多摩のダビデ像(ミテナンジャロ作)<br /><br />「見て! なんじゃろう」<br />ミケランジェロではありませんね。

    外国人の女性が自分の衣装を着せて楽しんでいました。
    連れの男性はそれを見て楽しそうでした。

    奥多摩のダビデ像(ミテナンジャロ作)

    「見て! なんじゃろう」
    ミケランジェロではありませんね。

  • 澤乃井ガーデンに着きました。13:38

    澤乃井ガーデンに着きました。13:38

  • 楓橋の名前の由来の楓でしょうか

    イチオシ

    楓橋の名前の由来の楓でしょうか

  • 澤乃井ガーデン<br /><br />小澤酒造の清酒「澤乃井」の名前の売店・休憩所

    澤乃井ガーデン

    小澤酒造の清酒「澤乃井」の名前の売店・休憩所

  • 澤乃井ガーデン

    澤乃井ガーデン

  • 澤乃井ガーデンの売店

    澤乃井ガーデンの売店

  • 醸造工場見学前の説明

    醸造工場見学前の説明

  • 日本酒ができるまで<br /><br />原料米は日本酒専用米の「山田錦」が最上で、食用米の最上といわれる「新潟コシヒカリ」より高価だそうです。粒が大きくでんぷん質が多いためご飯にしても美味しくないそうです。<br />大吟醸と呼べるのは精米度合50%以下(残存量)で、60%以下が吟醸酒だそうです。<br />鑑評会などに出品するのは35%で、どの蔵元も同じ程度だそうです。<br />削った部分(白ヌカ)は各種食品・酒類・飼料などに利用されるそうです。<br /><br /><br />平成25酒造年度全国新酒鑑評会 入賞酒目録<br />http://www.nrib.go.jp/kan/h25by/pdf/h25by_moku.pdf<br /><br />東京都 小澤酒造(株)澤乃井は金賞です。<br />

    日本酒ができるまで

    原料米は日本酒専用米の「山田錦」が最上で、食用米の最上といわれる「新潟コシヒカリ」より高価だそうです。粒が大きくでんぷん質が多いためご飯にしても美味しくないそうです。
    大吟醸と呼べるのは精米度合50%以下(残存量)で、60%以下が吟醸酒だそうです。
    鑑評会などに出品するのは35%で、どの蔵元も同じ程度だそうです。
    削った部分(白ヌカ)は各種食品・酒類・飼料などに利用されるそうです。


    平成25酒造年度全国新酒鑑評会 入賞酒目録
    http://www.nrib.go.jp/kan/h25by/pdf/h25by_moku.pdf

    東京都 小澤酒造(株)澤乃井は金賞です。

  • 上の杉玉は新酒の完成・発売の合図に店先に吊るすもので、杉の葉でつく作りたては緑だそうです。(10月20日ごろ)<br /><br />菰(こも)に描かれた沢蟹をから揚げにして一杯やりましょう。

    上の杉玉は新酒の完成・発売の合図に店先に吊るすもので、杉の葉でつく作りたては緑だそうです。(10月20日ごろ)

    菰(こも)に描かれた沢蟹をから揚げにして一杯やりましょう。

  • サンプル保管室のお酒

    サンプル保管室のお酒

  • 岩清水

    岩清水

  • 日本酒の仕込みに使う湧水の水源の一つの横井戸

    日本酒の仕込みに使う湧水の水源の一つの横井戸

  • 新酒の試飲<br /><br />私は体質的に日本酒が飲めないので初詣のお神酒程度に舐めるだけです。<br />味がどうのとか、コメントはできません。

    新酒の試飲

    私は体質的に日本酒が飲めないので初詣のお神酒程度に舐めるだけです。
    味がどうのとか、コメントはできません。

  • 萱葺き屋根の厚さは1m以上ありそうです。<br />私の川越の約70坪の実家も昭和37年に瓦に葺き替えるまでは萱葺きでした。

    萱葺き屋根の厚さは1m以上ありそうです。
    私の川越の約70坪の実家も昭和37年に瓦に葺き替えるまでは萱葺きでした。

  • 清酒澤乃井醸造元<br /><br />表札「小澤順一郎」を掲げた門柱は1尺角のケヤキです。<br /><br />清酒『澤乃井』でお馴染みの小澤酒造株式会社。 元禄15(1702)年以来、創業300有余年の伝統を誇るこの酒蔵の社長を務めるのが、小澤順一郎さんです。 <br />出典:http://www.seikei.ac.jp/web_mag/kouhou64/64koho05.pdf

    清酒澤乃井醸造元

    表札「小澤順一郎」を掲げた門柱は1尺角のケヤキです。

    清酒『澤乃井』でお馴染みの小澤酒造株式会社。 元禄15(1702)年以来、創業300有余年の伝統を誇るこの酒蔵の社長を務めるのが、小澤順一郎さんです。
    出典:http://www.seikei.ac.jp/web_mag/kouhou64/64koho05.pdf

  • 澤乃井ガーデン

    澤乃井ガーデン

  • 楓橋から撮った同行のメンバーです。その1

    楓橋から撮った同行のメンバーです。その1

  • 楓橋から撮った同行のメンバーです。その2

    楓橋から撮った同行のメンバーです。その2

  • 楓橋から見た多摩川下流方向

    楓橋から見た多摩川下流方向

  • 楓橋から見た多摩川上流方向

    楓橋から見た多摩川上流方向

  • 楓橋<br /><br />これも吊り橋です。

    楓橋

    これも吊り橋です。

  • 青梅市の下水のマンホールの模様は「梅にウグイス」

    青梅市の下水のマンホールの模様は「梅にウグイス」

  • 沢井駅前の案内標識

    沢井駅前の案内標識

  • 沢井駅入り口  15:17<br /><br />電車は15:28発です。

    沢井駅入り口  15:17

    電車は15:28発です。

  • 西国分寺で中央線から武蔵野線へ乗り換えです。16:38<br /><br />電車は16:47発です。

    西国分寺で中央線から武蔵野線へ乗り換えです。16:38

    電車は16:47発です。

  • H26年ハイキング倶楽部忘年会<br />西武池袋線秋津駅前「さくら水産」<br />

    H26年ハイキング倶楽部忘年会
    西武池袋線秋津駅前「さくら水産」

  • 日ごろは見せない破顔を撮れたのは嬉しいです。

    日ごろは見せない破顔を撮れたのは嬉しいです。

  • この手の挙げ方は何を意味するのでしょうか。<br />最近の流行ですか?<br /><br />「宣誓! 私たちはたとえ酒気を帯びても風紀を乱す行為は一切しませーん」<br /><br />信じ・ら・れ・なーい !<br />No one believe it.

    この手の挙げ方は何を意味するのでしょうか。
    最近の流行ですか?

    「宣誓! 私たちはたとえ酒気を帯びても風紀を乱す行為は一切しませーん」

    信じ・ら・れ・なーい !
    No one believe it.

  • 私が撮った他の写真と鮮明度が異なるのは、ピントが完全に合わないうちに一気にシャッターを押してしまうためで、カメラに慣れていないと仕方ないです。<br />自分の写真としては問題ありません。ボケ具合が同じ程度です。<br /><br />女性のためにソフター効果を狙って撮影したのならプロです。<br /><br />ソフター:写真をソフトな感じにするレンズ用フィルター(ソフト・フィルター)

    私が撮った他の写真と鮮明度が異なるのは、ピントが完全に合わないうちに一気にシャッターを押してしまうためで、カメラに慣れていないと仕方ないです。
    自分の写真としては問題ありません。ボケ具合が同じ程度です。

    女性のためにソフター効果を狙って撮影したのならプロです。

    ソフター:写真をソフトな感じにするレンズ用フィルター(ソフト・フィルター)

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