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(表紙写真はラクダ乗りで1列に並んで・・・)<br /><br /><br />6.ホ−タン(和田)への道・・・刃物の町・砂嵐・豪雨<br />  <br /> 4日目。6時に起床。毎日、ソックスや下着類は洗濯しているが、あっという間に乾燥してしまう。それほど湿度が低く、乾燥状態なのだ。早いもので、シルクロ−ドの旅も中程にさしかかっている。楽しみのタクラマカン砂漠縦断は2日後にひかえている。今日は1日がかりでタクラマカン砂漠の外周に沿ってホタ−ン(和田)の町へ大移動する日である。さて、どんな旅が待っているのだろう?<br />  <br /><br />7.ラクダ乗りとホ−タン市内観光……早朝のラクダ乗り・玉拾い<br /> <br /> 5日目。今日から旅も後半に入り、そろそろ旅のクライマックスにさしかかる。今朝は待望のラクダ乗りということで、張り切って5時に起床。朝食前にラクダ乗りに出かけるというので、洗面を済ませると、カメラと水だけを用意して準備する。<br />  <br /><br />勘違い<br />6時になって玄関ホ−ルへ行くと、薄暗い中にガ−ドマンがソファに寝転んでいるだけで、みんなの姿は誰一人見えない。?? おかしいな〜? ひょっとして集合時間の間違いかな? 6時半の集合だったのだろうか? そうとしか考えられないので、すごすごと部屋へ戻って憩うことに。<br />  <br /><br />郊外の砂漠へ<br />6時半頃になって行ってみると、みんなの姿が見える。やはり私の勘違いで、はやる心がそうさせたのだろう。とまれ、全員そろったところで、薄暗い中を出発する。昨日告げられていたように、今日からバスは別のに取り替えてあり、乗り心地は昨日のよりは良さそうだ。早朝とあって、広い並木道は車の影も見えず、その中を郊外へ向かってぶんぶん飛ばす。<br />  <br /><br /> 路傍には数人の清掃員が竹ぼうきで落ち葉の清掃をしている。彼らは人や車のいない暗いうちから作業を開始するのだ。中国らしい風景である。どの町も広い道路にはポプラの木やその他の樹木が植えられて素敵な並木の風景を見せてくれるのだが、年中落ち葉があるだけに、その清掃管理などは大変だろう。<br />  <br /><br /> 車は郊外に出て素敵なポプラ並木の道路をスピ−ドを上げながら走り続ける。人や車の姿は見えないが、地道の中をこんなに飛ばして大丈夫?と不安になるほど飛ばしている。なかなか砂漠が現れないなあと思っていると、左手にようやく砂漠の影が見え始める。こうして30分ほど走ったころ、小さな村に到着する。ここがラクダの基地なのだろうか? それにしては、ラクダの姿は見えないが……。<br />  <br /><br />ラクダの登場<br /> 車は村の奥の広場に停車してラクダを待つ。しばらく待っても現れないので様子を見に行き始めると、向こうの方から薄暗がりの中を2人のラクダ使いに引かれてラクダの列が現れ始める。間違いなくやって来たのだ。1人が4頭ないし5頭を引き連れている。ようやく現場に到着して、全頭お座りの隊形になって待機する。そこで、ガイド氏が乗り方の説明をしてくれる。それが終わると、いよいよ出発である。<br />  <br /><br />俄かキャラバン<br /> ラクダ乗りで危ないのは、乗り降りの際の動作である。立ち上がる時は後ろ足から立つので、大きく前につんのめりそうになるし、また降りる時は前足から折り畳むので、これも前につんのめりそうになる。だから、しっかりと取っ手につかまっていないと振り落とされてしまう。そして歩行し始めると、長足だから大股になり、その度に大きくゆさぶられることになる。ラクダ乗りは結構疲れるのである。長時間、ラクダの背で揺られていると、ケツが痛くなって耐えられないかもしれない。古代のシルクロ−ドの旅はラクダによるキャラバンだろうが、その苦労が思いやられる。<br />  <br /><br /> 9人全員乗ったところで出発である。広場のすぐ先には砂漠が広がっており、そこに入って、のっそ、のっそと歩んで行く。鞍の布地を通してぬくぬくとしたラクダの体温がお尻に伝わってくる。その温もりを感じていると、なんだかラクダが愛おしく、一体感になったような気がしてくる。親愛の情がわいて可愛いいものである。<br />  <br /><br />ようやく白み始めた空の下、御者に引かれた9頭の俄キャラバンが砂丘に入って行く。ここはまぎれもなくタクラマカン砂漠の南縁に当たる地域で、いまそれが目と足で確かめられる。サラサラとした灰色の砂が広がる砂丘をサクサクと踏みしめながら分け入って行く。これがタクラマカン砂漠なのだ! それもラクダに乗って歩いている。なんとも感動の瞬間である。ラクダの背の上で一人エキサイトしている。というのは、私にとってはこの砂漠を見るのが今度の旅の大きな目的の一つでもあるからだ。明日はもっとこの砂漠の奥深くに入って行く!<br />  <br /><br />砂漠の中に入って行く<br /><br /> キャラバンの様子を写真に撮ろうと片手でカメラを構えるが、大きな揺れで思うにまかせない。取っ手から手を離すと危ないし、片手で持ちながらファインダ−をのぞくのは至難の技。ここは適当に感で撮るしかない。砂丘の上のキャラバン風景が見られるのは貴重な機会だけに、このチャンスを逃してはなるまい。そう思いながら数枚の写真を撮ったのだが、やはり大きな揺れで手もとがブレてしまう。<br />  <br /><br />キャラバンは砂丘の少し奥まで入ると、そこから大きくUタ−ンしながら帰途につく。空は雲って太陽は拝めない。早朝の砂漠はひんやりと爽やかで、このラクダの背の上からサンライズが見れたら最高なのだが……。もう日の出の頃なのだが、天空は砂塵に覆われて霞んでいる。今日も砂嵐に出遭うのだろうか? 幸いなことに、この砂丘は静かなもので、たまに鳴くラクダの声が砂丘に響き渡るのみ。初体験の朝の砂漠風景を垣間見ながら基地に戻る。<br /><br /><br /> こうして、およそ20分間のキャラバンの旅は終わりを告げる。砂漠でラクダ乗りという念願が果たせ、大きな満足感にひたる。(別途料金:ドライバ−のチップも含めて150元=約2000円)<br />  <br /><br />ラクダとシルクロ−ド<br />居並ぶ彼らの姿を見ながら、古代のキャラバン隊にロマンを馳せる。もし、この世に「灼熱の砂漠の中で飲まず食わずに1週間も過ごせる」というすごい生き物〜・・・ラクダの存在がなければ、果たしてこのシルクロードは生まれ得たのであろうか? 答えは否であろう。<br /><br /><br />その昔、ガラス製品や金貨、それに玉がこの砂漠を通って東へ運ばれた。また、仏教という思想や経典も東へ運ばれた。反対に中国の絹は西へ西へと向かって運ばれた。こうして東西交易の道が開けて行ったのだが、それらのすべてはこのラクダの背に乗せられて運ばれたのである。そのことを思う時、シルクロードという東西の交易路はラクダの存在なしには決して考えられないことが分かる。<br /><br /><br /> 熱砂の上に座っても火傷しない前足と後ろ足の膝だご、後ろ足の太もも表のたこ、腹部のたこ、それに砂嵐でも平気でいられる二重まぶたの目と密生した睫毛、そして長い毛が生えて砂の侵入を防ぐ耳と熱気を冷却できる特殊な鼻腔など、灼熱の砂漠に適応した優れた生理的・肉体的機能を持つラクダなればこそであろう。シルクロードとラクダ・・・古代より切っても切れない深い縁で結ばれているのである。<br /><br /><br />ポプラ並木の風景<br />ラクダに別れを告げると、基地を離れてもと来た道を引き返し始める。長いポプラ並木がどこまでも続き、たまにロバ車と出遭うくらいで人影はほとんど見えない。なかでも、来る際に目に留まった素敵なポプラ並木があり、そこにさしかかる時フォトストップしてもらう。う〜ん、何度見ても素晴らしい並木道である。こんな並木の光景があちこちで見られるのがシルクロ−ドの特徴なのである。このポプラ並木をロバ車が通るのどかな風景こそが、砂漠のオアシスの象徴なのだ。<br />  <br /><br /> 30分ほどでホテルに戻ると、その足で朝食である。すでに残留組は朝食に入っており、それを追いかけるようにラクダ組も朝食に入る。今朝も同じく中華料理の食事が済むと、すぐに部屋へ戻り、荷物をまとめて出発の準備である。これから市内観光と川原で玉石拾いを楽しんだ後、ケリヤ(于田)へ移動する予定である。このホ−タンの町には大した観光ポイントはなさそうだ。<br />  <br /><br />マリカワト古城遺跡<br /> 9時に出発したバスは、郊外のホ−タン空港を目指して走行する。そして、空港の横手を通り抜けて白玉河岸に出ると、大がかりな玉石発掘作業が行われており、それを横目で見ながら通り抜けると、そこからさらに先へ突き進んで砂漠地帯に出る。その一角に停車すると、マリカワト古城遺跡に歩いて向かう。そこにはわずかに遺跡名が書かれた石碑が立っているのみで、門も何もなく、ただの砂漠が広がっているだけである。ところが驚いたことに、ここにもちゃんと係員がいて、撮影料(安い)を徴収しているのだ。ん? 砂漠の撮影料まで要るの?<br />  <br /><br />そこから瓦礫の散乱する砂漠の中をどんどん先へ歩いて行く。かなりの歩行距離で15分は歩いたのだろうか? 汗を流しながらの歩行は大変である。我々が歩いていると、観光客の到着を待ち受けていた近くの村人たちもロバ車を引いたりしながら一緒にぞろぞろと同行し始める。子供たちが多いのだが、彼らは観光客相手に商売をする気らしい。<br />  <br /><br /> 殺風景の砂漠の中に、何やら泥の堆積物があちこちに散在しているのが遠くに見えてくる。あれが遺跡なのだろうか? いちばん手前の塊に近づいて観察すると、ただの泥を固めて造った建造物に過ぎない。上にのぼってみると、別に何の目新しい痕跡もなく、ただ穴の開いた土塁があるだけである。 <br /><br />ここホ−タンでは紀元前2世紀ごろに「于てん(ウテン)国」が建国されたらしいのだが、その古城跡ではないかといわれている。それが事実とすれば、この土塊は2千年以上もの年月を経て我々の目の前に存在していることになる。この一帯では、今でも器の破片やインドとの交易に通貨として使われていた馬銭が見つかるそうだ。<br />  <br /><br />白玉河で玉拾い<br />考古学者でない私には、これ以上の探索は無理なので地上に下りることにする。所在なく、すぐ横手を流れる白玉河を眺めたりしていると、玉石(ぎょくせき)拾いの時間となり、みんなで川原に下りていく。この町の東西には、それぞれ白玉河と墨玉河が流れているが、特にこの白玉河は価値ある玉石が採れることで古代より名の知られたところである。河のあちこちではブルド−ザ−が入って業者による玉石の採掘が行われている。当局に申請して採掘権を得て行うそうだが、果たして採算に見合うのだろうか? <br /><br />これが白玉河の風景。右側が上流で崑崙山脈の方向。右手前方にはブルドーザーが見える。もっと下流域では大がかりな採掘が行われていた。<br /><br />過去多い時には2〜3万人の人たちが年中川原で採掘作業を行い、各種の運搬車や掘削機、ブルド−ザ−などを持ち込んで河川を荒らしまくったという。それが環境破壊として問題化しているらしく、そのうち何らかの規制がなされるに違いない。それほど玉探しはお金になるらしく、みんな一攫千金を狙って川原に集まってくる。そして、当たるも八卦で適当な場所を当てずっぽうに掘り進む。それも5m〜10mも深く掘り下げるそうで、川原はまさに蜂の巣のように穴だらけになってしまう。<br />  <br /><br />こうして掘り出された玉石は現地にやってくるバイヤ−たちが買い取ることになる。収入は不定だが、多い月で2000〜3000元、少ない時でも700〜800元にはなるらしい。国内の平均月給が1000元以下であることを考えると、かなりの高額収入になるわだ。こうして多くの老若男女が一攫千金の夢を追い求め、今日も宝の山の川原の上で黙々と掘り進むのである。古代の人たちがこの現状を見たら、どんな思いを抱くのだろうか? 何千年もの時が流れ、時代がどのように変わろうとも、人間の欲望だけは変わることがない。人間のさがの悲しさである。<br />  <br /><br />ただの石ころ<br /> ガイド氏がこんな面白いニュ−スを聞かせてくれた。つい先日のこと、この河で10トン(?)もある巨大な玉石が発見され、それを鑑定するために巨費を投じて大がかりな輸送でウルムチまで運ばれて来たという。ところが鑑定結果は、ただの石ころに過ぎなかったという。そのことが現地の新聞に大きなニュ−スとして報道されたそうだ。当事者にしてみれば、笑い話では到底すまされないことなのだろうが……。<br />  <br /><br />ホータンの玉<br />それほど中国、特に新彊地域では玉石探しに鵜の目鷹の目なのである。ここホ−タンの町は崑崙山脈に源を発する白玉河(ユルンカシュ河)と墨玉河(カラカシュ河)の2つの河川流域に挟まれた西域南路最大のオアシス都市で、この両河で採取される玉石、なかでも白玉河の玉石は最上質とされ、古代よりつとに有名である。河南省にある紀元前1300年の殷墟・婦好墓(殷王の妻の墓)副葬品からホ−タン玉が出土していることでもこのことが証明されるという。こうしてみると、シルクロ−ドは絹の道であると同時に玉の道でもあったわけで、古代よりホ−タン玉が歴代の皇帝に珍重されたことが分かる。<br />  <br /><br />ホータンで玉が採れる理由<br />では、どうしてこのホ−タンで玉が採取されるのかというと、海抜5000mの崑崙山脈の中に玉鉱脈があるらしく、それが洪水などで両河を流れ下って来るのだという。それも上流地域では急流となるため玉石がとどまりきれず、それがちょうどこのホ−タン地域でゆるやかな流れになって淀み、そこに石が溜まるらしい。というわけで、この地域が玉石採取の最適地となっている。玉探しなら洪水の後に行くのが合理的で、見つかる確率は高くなる。普段は業者が採掘しまくっているので、一般人には到底無理な話で、奇跡的な発見以外には望むべくもない。しかし、1個でも見つければ100万円の価値はあるのだそうだが……。<br />  <br /><br />玉石の種類<br /> 玉石はそれが放つ色彩により、白玉、碧玉、青玉、墨玉、黄玉、青花、紅玉などに分別されるそうで、その中で最も価値が高いのが白玉の「羊脂玉」だという。これは羊の脂身に似た透明感のある滑らかな光沢を持つもので、そのことからこの名が付けられたのだろう。この羊脂玉の現在の取り引き相場価格は1kg当たり10数万元(百数十万円)といわれている。しかし近年、この羊脂玉の採取がなかなか少なく、生産量も限られているという。<br />  <br /><br />羊脂玉の夢<br />さて、白玉河の川原に下り立つと、みんな100万円の羊脂玉を夢見て玉探しに夢中になる。ここで採れた玉石は無主物先占で自分のものにできるというわけだ。紀元前の時代より続く玉探しに時の流れを感じながら同じ川原に立っているなんて、なんとロマンに満ちたひとときだろう。これぞ現地でしか味わえない旅の醍醐味というものである。<br /><br /><br />あるはずもない玉石を探そうと、あちこち川原を掻き分けながら“石”を探し回る。白玉河の記念に持ち帰ろうと、数個の石を拾い集める。ただの“石ころ”であっても、この河で採った石であることに大きな意義と価値があるというもの。それでも半世紀後には値打ち物になるかもしれないと、大事にしまい込む。<br />  <br />(この続きはこちらへ・・・⇒ http://yasy7.web.fc2.com/taklamakan-7.htm)<br /><br />

ホータン(和田)の旅

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2005/06/07 - 2005/06/08

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yasyas

yasyasさん

(表紙写真はラクダ乗りで1列に並んで・・・)


6.ホ−タン(和田)への道・・・刃物の町・砂嵐・豪雨
 
4日目。6時に起床。毎日、ソックスや下着類は洗濯しているが、あっという間に乾燥してしまう。それほど湿度が低く、乾燥状態なのだ。早いもので、シルクロ−ドの旅も中程にさしかかっている。楽しみのタクラマカン砂漠縦断は2日後にひかえている。今日は1日がかりでタクラマカン砂漠の外周に沿ってホタ−ン(和田)の町へ大移動する日である。さて、どんな旅が待っているのだろう?
 

7.ラクダ乗りとホ−タン市内観光……早朝のラクダ乗り・玉拾い
 
5日目。今日から旅も後半に入り、そろそろ旅のクライマックスにさしかかる。今朝は待望のラクダ乗りということで、張り切って5時に起床。朝食前にラクダ乗りに出かけるというので、洗面を済ませると、カメラと水だけを用意して準備する。
 

勘違い
6時になって玄関ホ−ルへ行くと、薄暗い中にガ−ドマンがソファに寝転んでいるだけで、みんなの姿は誰一人見えない。?? おかしいな〜? ひょっとして集合時間の間違いかな? 6時半の集合だったのだろうか? そうとしか考えられないので、すごすごと部屋へ戻って憩うことに。
 

郊外の砂漠へ
6時半頃になって行ってみると、みんなの姿が見える。やはり私の勘違いで、はやる心がそうさせたのだろう。とまれ、全員そろったところで、薄暗い中を出発する。昨日告げられていたように、今日からバスは別のに取り替えてあり、乗り心地は昨日のよりは良さそうだ。早朝とあって、広い並木道は車の影も見えず、その中を郊外へ向かってぶんぶん飛ばす。
 

路傍には数人の清掃員が竹ぼうきで落ち葉の清掃をしている。彼らは人や車のいない暗いうちから作業を開始するのだ。中国らしい風景である。どの町も広い道路にはポプラの木やその他の樹木が植えられて素敵な並木の風景を見せてくれるのだが、年中落ち葉があるだけに、その清掃管理などは大変だろう。
 

車は郊外に出て素敵なポプラ並木の道路をスピ−ドを上げながら走り続ける。人や車の姿は見えないが、地道の中をこんなに飛ばして大丈夫?と不安になるほど飛ばしている。なかなか砂漠が現れないなあと思っていると、左手にようやく砂漠の影が見え始める。こうして30分ほど走ったころ、小さな村に到着する。ここがラクダの基地なのだろうか? それにしては、ラクダの姿は見えないが……。
 

ラクダの登場
車は村の奥の広場に停車してラクダを待つ。しばらく待っても現れないので様子を見に行き始めると、向こうの方から薄暗がりの中を2人のラクダ使いに引かれてラクダの列が現れ始める。間違いなくやって来たのだ。1人が4頭ないし5頭を引き連れている。ようやく現場に到着して、全頭お座りの隊形になって待機する。そこで、ガイド氏が乗り方の説明をしてくれる。それが終わると、いよいよ出発である。
 

俄かキャラバン
ラクダ乗りで危ないのは、乗り降りの際の動作である。立ち上がる時は後ろ足から立つので、大きく前につんのめりそうになるし、また降りる時は前足から折り畳むので、これも前につんのめりそうになる。だから、しっかりと取っ手につかまっていないと振り落とされてしまう。そして歩行し始めると、長足だから大股になり、その度に大きくゆさぶられることになる。ラクダ乗りは結構疲れるのである。長時間、ラクダの背で揺られていると、ケツが痛くなって耐えられないかもしれない。古代のシルクロ−ドの旅はラクダによるキャラバンだろうが、その苦労が思いやられる。
 

9人全員乗ったところで出発である。広場のすぐ先には砂漠が広がっており、そこに入って、のっそ、のっそと歩んで行く。鞍の布地を通してぬくぬくとしたラクダの体温がお尻に伝わってくる。その温もりを感じていると、なんだかラクダが愛おしく、一体感になったような気がしてくる。親愛の情がわいて可愛いいものである。
 

ようやく白み始めた空の下、御者に引かれた9頭の俄キャラバンが砂丘に入って行く。ここはまぎれもなくタクラマカン砂漠の南縁に当たる地域で、いまそれが目と足で確かめられる。サラサラとした灰色の砂が広がる砂丘をサクサクと踏みしめながら分け入って行く。これがタクラマカン砂漠なのだ! それもラクダに乗って歩いている。なんとも感動の瞬間である。ラクダの背の上で一人エキサイトしている。というのは、私にとってはこの砂漠を見るのが今度の旅の大きな目的の一つでもあるからだ。明日はもっとこの砂漠の奥深くに入って行く!
 

砂漠の中に入って行く

キャラバンの様子を写真に撮ろうと片手でカメラを構えるが、大きな揺れで思うにまかせない。取っ手から手を離すと危ないし、片手で持ちながらファインダ−をのぞくのは至難の技。ここは適当に感で撮るしかない。砂丘の上のキャラバン風景が見られるのは貴重な機会だけに、このチャンスを逃してはなるまい。そう思いながら数枚の写真を撮ったのだが、やはり大きな揺れで手もとがブレてしまう。
 

キャラバンは砂丘の少し奥まで入ると、そこから大きくUタ−ンしながら帰途につく。空は雲って太陽は拝めない。早朝の砂漠はひんやりと爽やかで、このラクダの背の上からサンライズが見れたら最高なのだが……。もう日の出の頃なのだが、天空は砂塵に覆われて霞んでいる。今日も砂嵐に出遭うのだろうか? 幸いなことに、この砂丘は静かなもので、たまに鳴くラクダの声が砂丘に響き渡るのみ。初体験の朝の砂漠風景を垣間見ながら基地に戻る。


こうして、およそ20分間のキャラバンの旅は終わりを告げる。砂漠でラクダ乗りという念願が果たせ、大きな満足感にひたる。(別途料金:ドライバ−のチップも含めて150元=約2000円)
 

ラクダとシルクロ−ド
居並ぶ彼らの姿を見ながら、古代のキャラバン隊にロマンを馳せる。もし、この世に「灼熱の砂漠の中で飲まず食わずに1週間も過ごせる」というすごい生き物〜・・・ラクダの存在がなければ、果たしてこのシルクロードは生まれ得たのであろうか? 答えは否であろう。


その昔、ガラス製品や金貨、それに玉がこの砂漠を通って東へ運ばれた。また、仏教という思想や経典も東へ運ばれた。反対に中国の絹は西へ西へと向かって運ばれた。こうして東西交易の道が開けて行ったのだが、それらのすべてはこのラクダの背に乗せられて運ばれたのである。そのことを思う時、シルクロードという東西の交易路はラクダの存在なしには決して考えられないことが分かる。


熱砂の上に座っても火傷しない前足と後ろ足の膝だご、後ろ足の太もも表のたこ、腹部のたこ、それに砂嵐でも平気でいられる二重まぶたの目と密生した睫毛、そして長い毛が生えて砂の侵入を防ぐ耳と熱気を冷却できる特殊な鼻腔など、灼熱の砂漠に適応した優れた生理的・肉体的機能を持つラクダなればこそであろう。シルクロードとラクダ・・・古代より切っても切れない深い縁で結ばれているのである。


ポプラ並木の風景
ラクダに別れを告げると、基地を離れてもと来た道を引き返し始める。長いポプラ並木がどこまでも続き、たまにロバ車と出遭うくらいで人影はほとんど見えない。なかでも、来る際に目に留まった素敵なポプラ並木があり、そこにさしかかる時フォトストップしてもらう。う〜ん、何度見ても素晴らしい並木道である。こんな並木の光景があちこちで見られるのがシルクロ−ドの特徴なのである。このポプラ並木をロバ車が通るのどかな風景こそが、砂漠のオアシスの象徴なのだ。
 

30分ほどでホテルに戻ると、その足で朝食である。すでに残留組は朝食に入っており、それを追いかけるようにラクダ組も朝食に入る。今朝も同じく中華料理の食事が済むと、すぐに部屋へ戻り、荷物をまとめて出発の準備である。これから市内観光と川原で玉石拾いを楽しんだ後、ケリヤ(于田)へ移動する予定である。このホ−タンの町には大した観光ポイントはなさそうだ。
 

マリカワト古城遺跡
9時に出発したバスは、郊外のホ−タン空港を目指して走行する。そして、空港の横手を通り抜けて白玉河岸に出ると、大がかりな玉石発掘作業が行われており、それを横目で見ながら通り抜けると、そこからさらに先へ突き進んで砂漠地帯に出る。その一角に停車すると、マリカワト古城遺跡に歩いて向かう。そこにはわずかに遺跡名が書かれた石碑が立っているのみで、門も何もなく、ただの砂漠が広がっているだけである。ところが驚いたことに、ここにもちゃんと係員がいて、撮影料(安い)を徴収しているのだ。ん? 砂漠の撮影料まで要るの?
 

そこから瓦礫の散乱する砂漠の中をどんどん先へ歩いて行く。かなりの歩行距離で15分は歩いたのだろうか? 汗を流しながらの歩行は大変である。我々が歩いていると、観光客の到着を待ち受けていた近くの村人たちもロバ車を引いたりしながら一緒にぞろぞろと同行し始める。子供たちが多いのだが、彼らは観光客相手に商売をする気らしい。
 

殺風景の砂漠の中に、何やら泥の堆積物があちこちに散在しているのが遠くに見えてくる。あれが遺跡なのだろうか? いちばん手前の塊に近づいて観察すると、ただの泥を固めて造った建造物に過ぎない。上にのぼってみると、別に何の目新しい痕跡もなく、ただ穴の開いた土塁があるだけである。

ここホ−タンでは紀元前2世紀ごろに「于てん(ウテン)国」が建国されたらしいのだが、その古城跡ではないかといわれている。それが事実とすれば、この土塊は2千年以上もの年月を経て我々の目の前に存在していることになる。この一帯では、今でも器の破片やインドとの交易に通貨として使われていた馬銭が見つかるそうだ。
 

白玉河で玉拾い
考古学者でない私には、これ以上の探索は無理なので地上に下りることにする。所在なく、すぐ横手を流れる白玉河を眺めたりしていると、玉石(ぎょくせき)拾いの時間となり、みんなで川原に下りていく。この町の東西には、それぞれ白玉河と墨玉河が流れているが、特にこの白玉河は価値ある玉石が採れることで古代より名の知られたところである。河のあちこちではブルド−ザ−が入って業者による玉石の採掘が行われている。当局に申請して採掘権を得て行うそうだが、果たして採算に見合うのだろうか?

これが白玉河の風景。右側が上流で崑崙山脈の方向。右手前方にはブルドーザーが見える。もっと下流域では大がかりな採掘が行われていた。

過去多い時には2〜3万人の人たちが年中川原で採掘作業を行い、各種の運搬車や掘削機、ブルド−ザ−などを持ち込んで河川を荒らしまくったという。それが環境破壊として問題化しているらしく、そのうち何らかの規制がなされるに違いない。それほど玉探しはお金になるらしく、みんな一攫千金を狙って川原に集まってくる。そして、当たるも八卦で適当な場所を当てずっぽうに掘り進む。それも5m〜10mも深く掘り下げるそうで、川原はまさに蜂の巣のように穴だらけになってしまう。
 

こうして掘り出された玉石は現地にやってくるバイヤ−たちが買い取ることになる。収入は不定だが、多い月で2000〜3000元、少ない時でも700〜800元にはなるらしい。国内の平均月給が1000元以下であることを考えると、かなりの高額収入になるわだ。こうして多くの老若男女が一攫千金の夢を追い求め、今日も宝の山の川原の上で黙々と掘り進むのである。古代の人たちがこの現状を見たら、どんな思いを抱くのだろうか? 何千年もの時が流れ、時代がどのように変わろうとも、人間の欲望だけは変わることがない。人間のさがの悲しさである。
 

ただの石ころ
ガイド氏がこんな面白いニュ−スを聞かせてくれた。つい先日のこと、この河で10トン(?)もある巨大な玉石が発見され、それを鑑定するために巨費を投じて大がかりな輸送でウルムチまで運ばれて来たという。ところが鑑定結果は、ただの石ころに過ぎなかったという。そのことが現地の新聞に大きなニュ−スとして報道されたそうだ。当事者にしてみれば、笑い話では到底すまされないことなのだろうが……。
 

ホータンの玉
それほど中国、特に新彊地域では玉石探しに鵜の目鷹の目なのである。ここホ−タンの町は崑崙山脈に源を発する白玉河(ユルンカシュ河)と墨玉河(カラカシュ河)の2つの河川流域に挟まれた西域南路最大のオアシス都市で、この両河で採取される玉石、なかでも白玉河の玉石は最上質とされ、古代よりつとに有名である。河南省にある紀元前1300年の殷墟・婦好墓(殷王の妻の墓)副葬品からホ−タン玉が出土していることでもこのことが証明されるという。こうしてみると、シルクロ−ドは絹の道であると同時に玉の道でもあったわけで、古代よりホ−タン玉が歴代の皇帝に珍重されたことが分かる。
 

ホータンで玉が採れる理由
では、どうしてこのホ−タンで玉が採取されるのかというと、海抜5000mの崑崙山脈の中に玉鉱脈があるらしく、それが洪水などで両河を流れ下って来るのだという。それも上流地域では急流となるため玉石がとどまりきれず、それがちょうどこのホ−タン地域でゆるやかな流れになって淀み、そこに石が溜まるらしい。というわけで、この地域が玉石採取の最適地となっている。玉探しなら洪水の後に行くのが合理的で、見つかる確率は高くなる。普段は業者が採掘しまくっているので、一般人には到底無理な話で、奇跡的な発見以外には望むべくもない。しかし、1個でも見つければ100万円の価値はあるのだそうだが……。
 

玉石の種類
玉石はそれが放つ色彩により、白玉、碧玉、青玉、墨玉、黄玉、青花、紅玉などに分別されるそうで、その中で最も価値が高いのが白玉の「羊脂玉」だという。これは羊の脂身に似た透明感のある滑らかな光沢を持つもので、そのことからこの名が付けられたのだろう。この羊脂玉の現在の取り引き相場価格は1kg当たり10数万元(百数十万円)といわれている。しかし近年、この羊脂玉の採取がなかなか少なく、生産量も限られているという。
 

羊脂玉の夢
さて、白玉河の川原に下り立つと、みんな100万円の羊脂玉を夢見て玉探しに夢中になる。ここで採れた玉石は無主物先占で自分のものにできるというわけだ。紀元前の時代より続く玉探しに時の流れを感じながら同じ川原に立っているなんて、なんとロマンに満ちたひとときだろう。これぞ現地でしか味わえない旅の醍醐味というものである。


あるはずもない玉石を探そうと、あちこち川原を掻き分けながら“石”を探し回る。白玉河の記念に持ち帰ろうと、数個の石を拾い集める。ただの“石ころ”であっても、この河で採った石であることに大きな意義と価値があるというもの。それでも半世紀後には値打ち物になるかもしれないと、大事にしまい込む。
 
(この続きはこちらへ・・・⇒ http://yasy7.web.fc2.com/taklamakan-7.htm

旅行の満足度
5.0
観光
4.0
同行者
社員・団体旅行
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 冠雪した崑崙山脈の山並み。背景が青空でないので白銀の様子がよく分からない。

    冠雪した崑崙山脈の山並み。背景が青空でないので白銀の様子がよく分からない。

  • 羊の市が・・・

    羊の市が・・・

  • 砂嵐に突入し視界がゼロになった

    砂嵐に突入し視界がゼロになった

  • 運転席の窓から前方を見る。砂嵐で前方は何も見えない。

    運転席の窓から前方を見る。砂嵐で前方は何も見えない。

  • ラクダの勢ぞろい

    ラクダの勢ぞろい

  • 砂漠の中に入って行く

    砂漠の中に入って行く

  • う〜ん、見事なポプラ並木・・・。<br />

    う〜ん、見事なポプラ並木・・・。

  • これが白玉河の風景。右側が上流で崑崙山脈の方向。右手前方にはブルドーザーが見える。もっと下流域では大がかりな採掘が行われていた。<br />

    これが白玉河の風景。右側が上流で崑崙山脈の方向。右手前方にはブルドーザーが見える。もっと下流域では大がかりな採掘が行われていた。

  • <br />私が持ち帰った記念の玉石!? 左端は確かに白玉だが・・・。<br />重さは全部で600gぐらい


    私が持ち帰った記念の玉石!? 左端は確かに白玉だが・・・。
    重さは全部で600gぐらい

  • 機織り作業

    機織り作業

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