2014/09/22 - 2014/09/22
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Mr.チャングムさん
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国内の世界遺産としては18件目、近代の産業遺産では国内初で、6月世界遺産に登録。
絹遺産群は「富岡製糸場」・「田島弥平旧宅」・「高山社跡」・「荒船風穴」で構成。
その中の一つで一番近い「田島弥平旧宅」に行ってきました。
珍しく平日の休みが合った奥さまとママチャリで8:30出発して利根川サイクリングロードへ
休まずこぎ続け「島村の渡し」に9:15着。これから利根川を渡ります。
9人乗りの渡船は9時〜17時、客がいればいつでも乗せてくれます(12時〜13時昼休み)
市道代わりなので無料ですし、自転車もOKです。約2分で到着!
サイクリングロードのある大きな土手を超えると「田島弥平旧宅」案内所があります。ここまで約1時間、ヘー思ったより近いんだー
それでは田島弥平旧宅と島村散策スタートです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- その他
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利根川サイクリングロード、下流に向かって左側を走行。
海から177Km地点に島村の渡しがあります。 -
土手を降りていくと船着き場の看板が。
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今は水量が少ないためチャリを乗せるのが少し大変かな?
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島村の渡し初体験!川の上は爽快でした。 あちこち川べりに車があり 釣り人も見えます。
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約2分の乗船、客が降りると舟は帰ってしまいます。
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川の向こう側(北)も島村なら、こちら側(南)も島村。
左下に見えるのが島村小学校(通称・島小)
学校の敷地内に田島弥平旧宅・案内所があります。 -
きれいな小学校です、全校生徒16名しかいません。
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島小の校章
桑の葉・繭・蚕・蛾からなっています。
いかに養蚕と密着していたかわかります。 -
なんとなく懐かしさを感じる「二宮尊徳」の象。
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案内所前にある「島村沿革碑」
島村の起源や地理、利根川との関わり、養蚕業の発展などの
歴史が記されています。
利根川の中州にあった村「島村」が200年の間に16回もの
大洪水に見舞われ、川の北と南に分かれたと・・・
当時堤防に使われたというレンガが置いてあります。 -
島村沿革碑 明治32年建立。
この題字は山縣有朋が書いたとか・・・
長州藩士・山縣有朋 高杉晋作の騎兵隊軍監から元帥陸軍大将
そして第3・9代内閣総理大臣。 -
案内所で貸し出し中!無料レンタサイクル。
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案内所前のフェンス。
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案内板にある写真の所は全部回るつもりです。
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まず最初は、「島村の板倉」
天明2年(1782年)に作られた落とし羽目板式四方板囲い、
高床式の穀物倉庫で3つに分かれています。
一般のお宅の庭にあります。 -
島村にはたくさんの特徴ある養蚕農家の建物が残されています。
養蚕農家 「栗原茂之宅」 -
島村教会 (国登録有形文化財)
明治30年に建造された木造の教会堂で、いち早く欧米の文化を取り入れた 島村の象徴。 -
養蚕農家
「金井義明宅」
金井烏洲のアトリエ「呑山楼」が残されています。
烏洲の子「金井之恭」は明治の三筆と称される書家でした。 -
南画家金井烏洲画室「呑山楼」
烏洲の父、華竹庵萬戸が文政五年(1822年)に建て、江戸時代末期には烏洲が画室として使い、署名な文人や画家が訪れ、上州文化の中心をなした。
と書いてあります。 -
今や見る影もない「呑山楼」
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金井宅には、芭蕉の句碑がありました。
「降すとも 竹うゆる日は みのと笠」 -
逆光気味で文字がよく見えません
元禄年間の句 -
金井烏洲と一族の墓 (県指定史跡)
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金井烏洲の墓
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養蚕農家 「田島亀夫宅」
屋号 「有隣館」 明治元年(1868)築 -
実はこの「有隣館」だけ埼玉県になります。
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コスモスが輝いています。
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田島昭次宅
屋号:栄盛館 文久元年(1861年)築 -
田島善一宅
屋号:進水館 江戸末期の建築 -
田島英雄宅(第七代当主)
屋号:遠山近水村舎・桑拓園 文久3年(1863)建築
これが「田島弥平旧宅」・県内最大級の養蚕家屋
1階を住居とし、2階を開放的な蚕室、瓦葺の屋根に櫓(やぐら)
と呼ぶ換気のための窓を設けたもので、養蚕農家の原型。 -
主屋中ほど軒下にある屋号
幕末から明治にかけて優良な蚕種を生産する技法である「清涼育」を体系的に完成させた田島弥平が考案し文久3年(1863)に建てられた主屋。 -
弥平宅表門
世界遺産としての価値は、この古い建物ではなく
「技術革新」と「技術交流」を主題とした絹産業です。 -
弥平宅東門
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東門門柱にある日本赤十字社特別社員の章
なんでも日清・日露戦争のころ、弥平宅で薬を作っていたとか… -
渡り廊下らしきものが・・・この先がどうなっていたのか?
新蚕室(今は基礎の盛土と石積だけ残る)に続いていたらしいです。 -
渡り廊下に下がる飾りは、弥平さんがイタリアに行ったときに見た コカリオ駅付近の建物を参考にしたと言われています。
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皇室とゆかりの深い弥平旧宅は、1948年に昭和天皇の母にあたる
貞明皇后が視察されており、庭にある記念の石碑。
明治4年「宮中養蚕事始」に本家の田島武平と4人の蚕婦が参加
翌、明治5年には田島弥平も宮中に上がりました。 -
貞明皇后行啓記念碑の案内。
今現在も皇室での養蚕は続いています。 -
庭の奥には立派な祠が・・・
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養蚕農家の象徴ー櫓ー
弥平が考案した蚕室の最大の特徴は、屋根上に見られる櫓です。
櫓にある窓を開閉して蚕室の温度や湿度の上昇を防ぐものです。 -
今は7代当主が住んでいるため中は見られませんが、 パンフを見るとこのようになっています。
幅約1.8m、高さは2mあり、大人が立ってスムースに歩けるほどの
空間が広がっています。 -
この人が「田島弥平」さんで、明治12年にヨーロッパに行ったときに 描いてもらった肖像画です。
44日かけてイタリアのミラノまで蚕種を売りに行った人です。 -
帰りは黄色いハンカチならぬ、黄色い旗を揚げるとすぐに迎えに来てくれます。
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帰りは3人とチャリ3台が乗船。
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北側に戻ってきました、どこかでお昼ご飯を食べて帰ります。
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おまけです。
お土産無い、食堂無い、コンビニも無い何もないのがウリですが(笑)
唯一駐車場にある自販機にここだけしかないレアものの缶コーヒー
弥平旧宅とグンマちゃんのイラスト入りポッカコーヒー(120円)
をぜひどうぞ・・・ -
もう一つレアものを
第七代当主補佐・田島モン吉君の名刺です。
最後までお付き合いありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- こあひるさん 2014/10/04 15:46:59
- セットで見ないとね・・・
- Mr.チャングムさん、こんにちは!
富岡製糸工場だけでなく、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴と、セットで世界遺産なんですよね〜。つい、富岡製糸工場だけに注目が集まりがちですが・・・。
少し前にTVで、これら施設の特集をやっているのを見て、せっかくなら全部みてみたいな〜とは思いましたが、なにしろアクセスが悪そうで・・・。
自転車で1時間・・・田島弥平旧宅とその周辺のかつての養蚕農家の家々がまだ残っているのですね。
中の見学ができないのはちょっと残念ですが、つい最近までは日本でも養蚕が盛んだったのに・・・時代って恐ろしいほど急激に変化してしまうものですね〜。
こあひる
- Mr.チャングムさん からの返信 2014/10/05 14:32:54
- セットで見ないとね・・・
- こあひるさん、こんにちは!
本当にその通りですね 、セットで見ないとね・・・
> 富岡製糸工場だけでなく、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴と、セットで世界遺産なんですよね〜。つい、富岡製糸工場だけに注目が集まりがちですが・・・。
よくご存知ですねー、富岡製糸場が非常に混んでいまして、行くなら
ついでに荒船風穴・高山社もまわりたいので後日又報告できると思います。
時期はづれていましたが、こあひるさんの旅行記に蚕を見てびっくりしました。今は群馬県内でもほとんど養蚕農家が見られないようです。
〉田島弥平旧宅とその周辺のかつての養蚕農家の家々がまだ残っているのですね。
話によりますと世界遺産の話が出たときに、何軒かの養蚕農家は古い家を
取り壊したそうです・・・
Mr.チヤングム
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