2014/09/17 - 2014/09/17
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櫻さん
もともと台湾原住民族に興味を持ち、そして「霧社事件」のことをなんとなく知りました。
実際に事件が起きた場所を訪れるに当たって、少しでも事件についての知識を深めようと、旅行前に日本人・台湾人(漢人・原住民)の方々が書いた本を何冊か読み、もちろん映画「セデック・バレ」も観たのですが…。
知れば知るほど、「“ちょっと興味があるから”なんて軽い気持ちで訪れてはいけないのかも?」という恐怖心が芽生えてしまいました。
日本統治50年間の中で、台湾原住民族が起こした最大で最悪の抗日事件。
事件が起こった要因は、日本による“理蕃政策(日本的価値観の導入による『文明化』・『同化』の推進)”の名のもとに強いられた過酷な労働・賃金の未払い・原住民族の文化の否定などにより、不満が鬱積していった為と言われています。
私の台湾旅行記には、台湾近代史を語る内容がちょいちょい出てきます。
いっちょまえに知ったかぶったことを書いてしまっていますが、よろしければお付き合い下さい。
それでは超マニアック&超マイナー旅行記、いってみます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
-
清境農場からバスで山道を下ること約20分。
霧社の街に到着。
今回の旅で一番訪れたかった場所です。 -
霧社事件を起こしたセデック族は、日本統治時代にはタイヤル族の一部とされていましたが、2008年、台湾政府により独自の民族として認可されました。
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バス停から歩いて約5分。
惨劇が起きたのは84年前の10月27日。
その現場にやって来ました。 -
当時、霧社公学校だったこの場所は、今は「台湾電力公司」という電力会社になっています。
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その日は学校の運動会が行われる予定でした。
学校に通う児童はもちろん、霧社に住む日本人・漢人・セデック族の人々が多数、この行事を楽しみに参加していました。 -
「君が代」が歌われ、日の丸が掲揚されようとした瞬間、突如響き渡った銃声・雄叫び・悲鳴。
セデック族の男達が一斉に運動場になだれ込み、「ブヌカン(漢人)は殺すな」と叫びながら、日本人のみ子供も女性も含めて134人が銃で撃たれ、首を刎ねられて殺されました。
(誤って殺された2名の漢人もいます)。 -
当時のまま残る校舎は、今も事務所として使われているようです。
皇民化政策の為、セデック族の女性達は日本の着物を着用していました。
日本人と間違われて殺されないよう、この校舎に逃げ込んで危うく難を逃れた女性達もいます。 -
運動場を見渡せる丘の上に立ち、セデックの男達は蜂起の瞬間を窺っていました。
その丘がある方向。 -
あの木々も、当時のままなのかな?
惨劇の一部始終を見ていたのかな? -
事件が起きた、まさにその現場の上に自分が立てていることが、感動と言ったら変だけど、凄く凄く胸に来るものがありました。
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現場を出て、次は右方向へ。
二股に分かれた左側の道に入ります。 -
ここを右に曲がると。
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奥の方の壁の、黒っぽくなっている所。
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この壁の向こうには霧社事件で犠牲になった日本人の墓地がありました。
いつの間にか墓は壊され、遺骨も持ち出され、荒地となってしまったそうです。
今は、その墓地へと続いていた階段だけが数段、残されているだけでした。 -
事件後、日本の警察・軍隊による鎮圧隊とセデック族による2ヶ月にわたるゲリラ戦が、あの山々の至る所で展開されました。
近代的な武器を持つ日本側に敵わないと分かっていても、男達は民族のプライドを掛けて戦い、女達は男達の足手まといにならないよう自決し、それでも生き残った人々も、その後の様々な残虐的な行為によって殺され、2000人余りだった人口が最終的には200人程になってしまったそうです。
正式には確認されていませんが、山中に逃げるセデック族を日本は毒ガスを使って一掃したという情報もあります。 -
バス停まで戻る途中にある、『霧社抗日英雄紀念公園』。
この街のメインスポットです。 -
元々ここには日本人の殉難記念碑がありました。
戦後、日本を一切否定した蒋介石率いる国民党政権によりそれは破壊され、事件を蜂起したセデック族を抗日の英雄として讃える為、このような公園が作られたのです。 -
周辺には事件関連の地が幾つかあるのですが、とても歩きでは廻れません。
車で来れればイイんですが、なかなか難しいですね…。 -
抗日英雄像。
大人だけではなく、少年までもゲリラ戦に参加していたようです。
映画「セデック・バレ」の中でも、機関銃を振り回し、勇敢に戦う少年兵が描かれてましたよね。 -
この事件のリーダーと言われる“モーナ・ルダオ(莫那魯道)”の像。
セデック族マヘボ社の頭目(首領)。
とても勇敢でカリスマ性があった人物と言われています。
霧社やマヘボ社の“社”とは集落のこと。
事件の約20年前、モーナ・ルダオはじめ数名の頭目達は、理蕃政策の一環として内地(日本)観光で来日したことがあるそうです。 -
殉難記念碑が破壊された後に建てられた“抗日起義紀念碑”。
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そしてモーナ・ルダオ(奥)と、戦死した無名英雄達の墓(手前)。
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モーナ・ルダオはゲリラ戦の途中、自決しています。
彼の首には懸賞金が掛けられていました。
迂闊に殺されて首を取られては頭目として、セデック族としての誇りが失われるので、そのプライドにかけて自決を選んだと言われています。
墓前には、誰かが供えたお酒がありました。 -
ここを登ると、事件現場の公学校が見下ろせる丘の上に出ます。
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今はこのように民家や建物が建ち、周囲を見渡すことが出来ませんでした。
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ベンチなどが設置されていて、木陰で休んでいる方も数人見かけました。
悲劇的な歴史を象徴する場所ですが、今は小さな町のちょっとした憩いの場所になっているようです。 -
またバス停付近に戻って来ました。
とんでもなく暑いです。
山の上と違って湿度が高いから、熱中症にならないよう気をつけないと。 -
そんな地べたに寝ちゃって、熱くないのかね?
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さて、お次のスポットへ。
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『自然史教育館』という所に向かいます。
霧社事件に関する写真や資料が展示されていると言うことなので。
もう少し進んでいくと、右手に仁愛小学校、左手には仁愛農業高校が出てきます。 -
さぁ、見えてきた……あれ?
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どこからどう見ても閉まっているシャッター。
休みか?営業停止か?なんだ?どうした?
唖然とする私の背後から
「小姐、■※&☆%◎…」
と中国語で声を掛けて来た中年男性。
分からないので
「休みなの?月曜と火曜が休みって調べたんだけど…(この日は水曜日)」
とブロークンなイングリッシュで聞いたら、彼もブロークン(失礼)なイングリッシュでこう答えてくれました。
「普段は何人かのスタッフがいるんだけれど、今日は1人しかいないから休みなんだよ」
と。
ユルい、ユルいぞ台湾。
翌日だったらオープンしているそうですが、生憎翌日の予定はギュウギュウ詰め。
非常に残念ですが、諦めましょう。
聞けば彼は隣の高校の先生で、この教育館は高校の付属施設なんだそうです。
「僕の英語、伝わった?」
と気遣ってくれました。
大丈夫、親切な気持ちも十分伝わりました。
謝謝。 -
今回の旅で、どんだけ入れないスポットに出くわすんだよ、一体。
そういえば日本出発前日、この時期の期間限定商品“紫いもシェイク”を買いたいが為にわざわざマックに立ち寄ったら、「機械が不具合の為、シェイクの販売一時停止」という貼り紙を見せつけられました。
思うに、あれが全ての始まりだったのかも。 -
などとアレコレ思い巡らしているうちに到着したのが『警察局仁愛分局』。
事件当時の『霧社分署』。
セデック族の男達は事件当日の早朝、ここを含む周囲の分署を襲撃して、銃などの武器を略奪したと言われています。 -
仁愛分局を左手に進むと見えてくる『徳龍宮』入り口の坂。
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坂の途中には、当時の日本人が暮らしていたであろう日本風家屋が残されていました。
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正面に鳥居が見えてきました。
日本統治時代には『霧社神社』だった場所です。 -
あっ♪
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傍に行くと今にも逃げ出しそうな態勢だったので、これ以上は近づけず。
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鳥居をくぐり、本殿まで続く長い階段。
事件後この階段に、殺された日本人の死体がを並べられたとか、鎮圧されたセデック族の首が並べられたとか。 -
神社だった面影はなく、今は中華風な廟が鎮座しています。
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本殿内部。
以前は孔子廟だったそうです。
現在は関聖帝君・孚佑帝君・司命助f君という三恩聖主が祀られているんだそうな。 -
本殿前の広場。
清境農場もそうだったけど、今日一日観光客らしき人達に殆どお目にかかっていません。 -
徳龍宮は高台にあるので、こんな景色が見渡せます。
中央に見えるのは『碧湖(萬大水庫)』。
水力発電所を設ける為、この近くを流れる濁水渓がダムでせき止められて出来た人工の湖です。 -
今のこの世の中から見れば、当時の原住民族の生活に文明を導入することは、教育や医療の発達において必要なことだったと思います。
原住民族は文字を持たず、それぞれ独自の言語を持っています。
理蕃政策として日本語を強制させたことが、逆にそれが共通語となり、他民族同士の意思疎通に役立ったと言うメリットも生まれました。
ただ、そのやり方があまりにも早急で傲慢だった為、そして彼らの文化を否定してしまったことによって、こういった悲劇が起きてしまいました。
「争いの勝者が、どうしても正義となってしまう」というセリフが、先日観たとあるTVの中でありました。
霧社事件は、最終的には日本がセデック族を鎮圧しました。
では、日本のやった事は「正義」なのかな?と思います。
プライドを傷つけられることほど、腹が立つことはありません。
原住民の人々は、代々受け継がれてきた民族のプライドを日本人によって踏み躙られました。
一方のやり方や考えを強要せず、それぞれの立場を尊重し合うことが人間同士・国同士などの関係を友好的に結ぶ上で大切なことなんだと、この霧社事件を通じて改めて学びました。 -
台湾政府による原住民族の文化・生活様式を残す為の政策として、原住民族の住んでいる山地へは入山許可証がなければ入れない場所があります。
あの奥に見える集落も、そういった場所なのかな? -
それでは台中に戻ります。
今日一日お世話になったこの南投客運は、霧社事件で生き残った高愛徳氏(原住民族名:アウイ・ヘッパハ)が創立したバス会社なんだそうです。
台湾は世界の中で中途半端な立場に立たされ、様々な問題を抱えています。
同様に原住民族の方達も、元々自分達が住んでいた土地に漢民族が住み着き、山へ山へと追いやられ、日本統治時代は“日本”を強要させられ、戦後は“中国”を押し付けられました。
彼らは原住民族名・日本名・中国名と何度も自分の名前が変わっています(高愛徳氏の日本名は田中愛二)。
原住民族の方達は、台湾以上に歴史の中で翻弄されている人々です。 -
というわけで、台中に戻って参りました。
ホテルで一息ついた後、再び外出した先は歩いて10分ほどの『中華路夜市』。 -
通りの片側だけに屋台が連なっていました。
その通りには車やバイクがビュンビュン。 -
どこにしようかと迷って決めた、このお店。
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蛋包飯をオーダー。
60元也。 -
超うめぇ。
よくある洋食屋のふわとろなオムライスも美味しいけれど、こういう素朴なオムライスって、食べるとなんだか安心する。 -
ボリューミーな蛋包飯だけでお腹が膨れました。
腹ごなしにホテルまで歩いて帰る途中にあったカキ氷屋さん。
士林夜市にある有名店と同じ店名だけど、特に関連はないらしい。 -
入り口の床に施された文字。
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私が入店した時はお客さんがいなかったけど、この後、怒涛のように大勢来店して来ました。
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今回の旅で初登場。
これを食べる為に台湾に来てると言っても過言ではない、私の活力の源・タロイモ。
それらが溢れんばかりにゴロンゴロンと盛られたカキ氷。
正式名は忘れました。
芋頭練乳掛け氷とかいう感じだったと思う。 -
幸せの断面。
-
ホテル近くの『四信』がライトアップされてるわ。
青空のもと自然を満喫して、台湾の歴史を学べて、大満足な一日でした。
グダグダと偉そうに御託を並べた旅行記を最後まで読んでいただき、有り難うございます。
2日目終了〜。
つづく。
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この旅行記へのコメント (2)
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- トロピカルおやじさん 2014/09/28 09:59:51
- 熱いよ。
- 日本統治 負の歴史の象徴 霧社事件
斬り込んできましたね
この旅行記はたくさんの人に読んで貰いたいです
そして私もいつか必ずあの神社の階段に腰掛けて
霧社の空気を体感したいです。
-
- トロピカルおやじさん 2014/09/28 09:59:45
- 熱いよ。
- 日本統治 負の歴史の象徴 霧社事件
斬り込んできましたね
この旅行記はたくさんの人に読んで貰いたいです
そして私もいつか必ずあの神社の階段に腰掛けて
霧社の空気を体感したいです。
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