2014/06/11 - 2014/06/11
1位(同エリア1件中)
地中海人さん
秘儀といえばエレフシナの秘儀。古代アテネ人は、聖なる道を20キロ歌い踊りながらエレフシナへ。どんな秘儀が当時行われていたのか。
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主な日程 これまで何度かANA旅作を利用していたが、初めて成田発JALを利用することとなった。FRA経由ギリシャ方面へは,ワンワールドグループでの通し利用は難しい。JALダイナミックパッケージフランクフルト便Cクラスでは格安の三ツ星ホテルを放棄せず1泊してトリアーを訪問、アテネのシンタグマ地区とオモニア地区に2泊ずつと初めてサモス島3泊の旅。
【2014年6月6日(金)】
仙台発7.45→成田?着8.50 NH3232便 ANApp665
成田?発11.35→FRA?着16.40 JL407便 JALFOP4550
→SバーンでHbfまで 駅の隣のコンチネンタルホテル泊
【6月7日(土)】
フランクフルト中央駅8.57発(パリ東駅行きTGV9556)→ザールブリュッケン着11.00
同発11.04(RE12011)→トリアーHbf12.11着 65EUR
トリーア遺跡散歩(ポルタ二グラ カール・マルクスの家 カイザーテルマエ)
ペンタホテルトリーア1泊15,493円朝食付き、WiFi有料
【6月8日(日)】
トリーアHbf発10.20(RB12219)→コブレンツHbf着12.18
同12.48発(IC2023)→FRA鉄道駅着13.59 (34EUR)
FRA発18.00→アテネATH着21.55 LH5924便 ANApp790
ATH鉄道駅から地下鉄でシンタグマ駅まで(8EUR)
シンタグマ広場から徒歩2分のパンホテルに2泊(8597+8589円 朝食付き WiFi無料)
【6月9日(月)】
アテネ・ラリッサ駅10.18発→テーベ駅11.28着(12.5EUR)
テーベ・アクロポリスの街歩き、ミケーネ遺跡を巡る。
テーベ14.21発アテネ・ラリッサ駅15.21着(IC53 一等車は6人掛けコンパートメント)で帰る(2等13EUR)。
メトロでモナスティラキ駅まで、古代アゴラを散歩。
【6月10日(火)】
午前 メトロでピレウスへ、街歩き、考古学博物館を訪問
午後 アテネ国立考古学博物館
夜のオモニア広場近辺を歩く。
オモニア駅から徒歩5分のアートホテル2泊(1泊55EUR 朝食付き WiFi無料)
ホテルには元日本語ガイドのミランダさんがおり、相談に乗ってくれ助かりました。
【 6月11日(水)】
午前 メトロでケラミコスの墓を訪問→エレフテリアス広場まで歩く→
★ 午後 バスでエレフシアへ
古代アテネの聖地を訪問
夜 オモニア広場近辺
【 6月12日(木)】
午前 アカデミーア・プラトニアを散歩
午後 ゼウス神殿散歩
ATH発16.20→サモス着17.15 ANApp 113
空港からタクシーで25分(25EUR)のサモスタウンのエミリーホテルに3泊(1泊24EUR 朝食付き WiFi無料)
【 6月13日(金)】
サモス博物館→ピタゴリオまでバス(20分1.7EUR) 紀元前6世紀の遺跡博物館
ピタゴリオビーチ カフェ・キャプテンで休む。
【 6月14日(土)】
サモスタウンからバスでピタゴリオ→タクシー(10EUR)でへーラー神殿往復
ピタゴリオビーチ カフェ・キャプテンで休む。
【6月15日(日)】
サモス発12.55→アテネATH着13.50 A3 245便 ANApp 81
ATH発18.25発→FRA着20.25 LH1823便 ANApp564 フランクフルト コンチネンタル泊
【 6月16日(月)】
フランクフルトの街歩き、ゲーテハウス訪問
FRA発19.20 JL408便 JALFOP4550
【 6月17日(火)】
成田着13.40
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費用
仙台→成田 ANAから株主優待割引で9,300円
成田←→FRA JAL便Cクラス とコンチネンタルホテル2泊で 338,470円(Iクラス JALFOP2倍ポイントキャンペーン適用無し)
FRA←→アテネATH LHから 456.94EUR
ATH←→サモス エーゲ航空から 181,64EUR
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以下写真は全てソニーのスマホ・エクスペリア SO-01F。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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2014年6月11日(水)
ケラミコスの墓から徒歩でエレフテリアス広場までやってきました。→
キオスクでチケット(往復2.4EUR)。
ここからエレフシナまでA16番のバスに乗るはずでしたが、間違ってラムダ16番に乗ってしまい、(写真にはA16とその下はλ(ラムダ)16とあります。) -
隣り合わせたバングラディシュ人が、エレフシナが終点のバスと出会う町外れのバスセンターがあると教えてくれたのがここ。
ここで845番に乗り換えて、 -
アテナから西北、サロニコス湾沿いに20キロ、エレフシナ(古名エレウシス)に到着。
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帰りのバス停を確認。
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昼ごろで暑いためか全く人が歩いていないが、デメテル神殿遺跡はすぐわかりました。この写真の右側一体が遺跡が見える。
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エレフシナのデメテル神殿遺跡(3EUR) 観光客はフランス人数人のみ。
エレウシスの秘儀は紀元前1700年頃ミケーネ文明の時代に始まったと言われています。(前1450年頃、エウモルポスによって創始されたとする説もあります)
ローマ帝国がキリスト教で固めることとなるまで実に2000年の間続けられた。
一体どんな秘儀だったのか。
時代を経て様々な形に変化していったのでしょう。
当初は、10日間。年に春秋の2回で、アテネ全盛期、秋にはアテネで4日間次いで聖なる道を歌い踊りここに至り4日間。 -
この正方形、42本の石柱が林立、8段の観覧席、3000人収容の「テレステーリオン」で深夜、松明の灯の下、何が行われたのでしょう。
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デメテルは穀物と大地の豊穣をつかさどる女神です。
デメテルは、娘ぺルセポネを冥界の神ハデスに略奪されたため、地上に下り探し求めてここに至る。デメテルが職務を放棄し、大飢饉に陥ったため、ゼウスは、ぺルセポネが3分の1を冥界に、他を地上のデメテルと共に過ごすよう取り計らい、地上に四季をもたらし、豊穣をもたらした、という。。 -
気候が現在と同じようになった紀元前8500年頃メソポタミアで食糧生産が始まり、アッティカ地方へはその何年後か?
それからさらに秘儀が行われることとなった前1700年までの間何度も大飢饉に襲われたため、神様に、天と地と人との共生を祈願したのでしょうか。
地母神信仰、豊穣祈願が根底にあるのでしょう。 -
「デメテル母娘の聖劇に参加し、自ら来世信仰を体験した」
「農耕祭祀、死と再生の秘儀」
「死後の再生を願う儀式」
と諸説あるのみで、具体的にどのようなものであったかは今に至るも解らない。
わかっていることは、儀式前に人々は身を清め、42本の石柱が林立、8段の観覧席、3000人収容の「テレステーリオン」で深夜、松明の灯の下行われ、口外すると死刑に処せられたことだけである。 -
ウイキペディアには、
「参加者の出身地を問わないこと(アリストパネスの断片による)、娘ペルセポネーを探すデーメーテールの放浪およびペルセポネーの黄泉からの帰還の演劇的再現が一連の秘儀の中核をなしていたであろうことが推定されている。秘儀への参加者には事前に身を浄めることが要求され、その秘儀は神の永遠なる浄福を直接見ることといわれた。」とある。 -
エレウシスで執り行われていた秘儀はその後多くの密儀宗教の祖型となりました。
ギリシャ悲劇、地中海世界に残るお祭りも?? -
ギリシアにおいてはディオニソスの密儀、オルフェウスの密儀などがうまれ
小アジアのフリュギアではキュベレとアッティスの神話をモチーフにした密儀が生まれ、
エジプトではイシスとオシリスの密儀を執り行う教団が生まれ
ペルシアではミトラ教が現れた、という。 -
これらは皆、キリスト教以前の帝政ローマ期にその版図内において大流行し、当時の黒海からイベリア半島まで地中海の様々な多神教がこのエレウシナの秘儀の影響を受けていると考えられている、という。
ここで、マルセイユの博物館で見た、ブルガリアからポルトガルの各地で今も行われているお祭りに思い当たる、というか、それがきっかけでようやくこの旅行記に手をつけることができた次第。秘儀が文字とおり守られ全くイメージがつかめなかった。 -
アルカディアで広く行われた「ディオニソスの秘儀」では、かがり火のそばではめをはずした仮面舞踏が行われ、生贄が切り刻まれ、生肉食とダンスとワインによる陶酔的高揚感の中で、神と一体となることができた、と言う。
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ここでは、血なまぐさい犠牲は禁じられていたといい、また、豆などの初物も止められていたという。
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酒、ダンス、仮面舞踏。神秘的、陶酔的な礼拝の形態、高揚感に達した状態を通して参拝者たちと神の間の障壁を崩すところにあったのでしょう。
ハデスの聖域の奥に冥界の往復に利用した洞窟が見える。 -
ローマ時代に至り、派生したさまざまな秘儀は、大流行し、紀元前186年、共和政ローマの元老院は、道徳的にも政治的にも反体制的であるとして、ディオニューソス(バックス)信仰を禁じようとしたこともあるという。
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ディオニューソス(バックス)の秘儀の儀式はギリシャ語でオルギア。英語で性的狂乱を意味する orgy はオルギアに由来します。
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セビリャのイシドールスは、オルギアにあたるラテン語は caerimoniae(儀式)であるとし、古代ローマにおける宗教的な秘儀が様々な司祭集団によって維持されている、と『語源』に記している、と言う。
ディオニューソス(バックス)の秘儀は、キリスト教世界において現在、カーニバル、復活祭として受け継がれたと言う。 -
写真の右奥が、ぺルセポネが冥界への往復に利用したとされる洞窟。
奥の階段を上っていったら、 -
小さな博物館がありました。
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紀元396年、ゴート人アラリックによって破壊されてしまいました。
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こんな感じで、アテネからエレフシナまで聖なる道を踊ってきたのでしょうか。
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バス停近くの公園に日陰を求め、
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魅入ってしまうこのポスターが掲げられているカフェで休みました。
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FIXの黒ビール(3EUR)水、チーズ付き。
ギリシャのビールではFIXが一番。 -
古代はギリシャ世界各地から船できたのでしょう。
前479年、第二次ペルシャ戦役のときは、アテネから8000人、スパルタから1万人など総計4万の兵士がここに集結し、主力だけで10万のペルシャ軍が待ち受けるプラタイアの平原まで50キロ進軍したと言われています。
サロニコス湾に面し、現在でも遺跡からすぐ近くなので古代はサモス島のヘーラー神殿と同様、船着き場が接していたに違いありません。
地母神系はギリシャ文明世界では低地に作られました。 -
(ここで私の妄想
デメテルに関する神話は愕くほど日本神話と共通性がある。冥府のものを食する話、振り帰り禁止の話、大地母神に海の神が乱暴を働く話、岩屋がくれの話、などなどイザナキ、アマテラスの神話を思い出さざるを得ない。伝承の記録は明らかにこちらの方が時代は新しいので、ギリシャ神話の影響を受けたものか?)
以上共通性につき、「日本語の世界1 大野晋著 昭和55年 中央公論社」 が詳しい。 -
A16番ではなく、また845番に乗ってしまい、この写真のおじさんに宿泊しているアートホテル近くのメタクソウジオ駅へ寄るB15番の乗り換えバス停を教えてもらう。
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夜のオモニア地区を二晩歩きました。
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夜のオモニア地区
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夜のオモニア地区
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夜のオモニア地区
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夜のオモニア地区
この写真の奥がメトロ・オモニア駅
右一本平行する通りに、ナイトクラブなど男性の遊び場あり。
治安は悪いと感じることは無かった。もちろん女性の一人歩きは全く無し。 -
夜のオモニア地区
オモニア駅近くの裏通りにある、店の外も中もオープンな、地元客のみの食堂で、FIX ヘラス。 -
夜のオモニア地区
シンタグマ地区の半額だった! -
夜のオモニア地区
この左側の歩道を歩いていたら、プロの女性に声を掛けられる。 -
アートホテル
オモニア駅から徒歩5分。アテネ国立考古学博物館やスニオン岬行きバス停まで徒歩の距離。
ミュージシァンがよく利用していると言う四つ★中規模、今のところツアー客無し。朝食付きWiFi無料。シンタグマ地区の三つ星より安い。同行者を伴う定宿に。
なついてくれそうなスタッフ。元日本語ガイドのミランダさんがいて相談に乗ってくれます。アカデミーアプラトノスを尋ねたら即座に地図をプリント、タクシー、バスを調べてくれました。
6月10日(火)から2泊(1泊55EUR)し、12日午前アカデミーアプラトノスを散策し、午後サモス島へ向かいました。
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