2014/08/07 - 2014/08/07
28位(同エリア105件中)
哈桑湖さん
サラトグ村で昼食をとり、再びイスカンダル・クル湖畔を通り、アンゾープトンネルを通って、首都ドゥシャンベに戻ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
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サラトグ村。
アンゾープ峠より北は内戦の影響はありませんでした。
勿論、サラトグ村です。 -
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サラトグ村の家はそこそこ立派です。
これは2年間、モスクワの建築現場で働いて、お金を稼ぐからです。 -
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家の前にあるのは、葵の花です。
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売店です。
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葵の花です。
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石炭です。
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濡れちゃうよ。
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ガイドさんの親戚が経営するゲストハウスです。
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コスモス
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今まで食べたプロフのなかで、一番おいしいです。
ガイドさは、「タジキスタンで有名な湖は、イスカンダル・クル湖だけど、一番美しいのはヤシルクル湖だよ。ヤシルクルの意味は翡翠の湖だよ」と言っていました。
行くのが大変で、ドゥシャンベからホーローグという町まで車で3日、そしてホーローグからさらに1日かかるようです。
タジキスタンの内戦について尋ねると、20万人が死亡したようです。
「国のトップに立ちたいという人が何人も出てきて、戦争になったんだよ。戦争はよくないね。今はタジキスタンのどこに行っても、安全だよ」と言っていました。 -
ゲストハウスの前の川です。
少し曇ってきました。 -
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さて出発です。
美しいサラトグ村ともお別れです。 -
再びイスカンダル・クル湖です。
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美しいですね。
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今日のイスカンダル・クル湖が一番神秘的です。
空は雲っています。 -
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イスカンダル・クル湖の湖尻です。
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イスカンダル・クル湖のバーザ(キャンプ場、バンガロー)のゲートです。
ここのオーナーはロシア人です。
内戦の影響が無かったので、そのまま居ついたようです。 -
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かつてはこのあたりは、ロシア人が多く居住していました。
大半はロシアに移住したようです。 -
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このあたりの家が立派なのは、内戦の影響が全く無かったことと、モスクワの建築現場で働いて稼いだお金で、改築したからです。
モスクワの高層ビル建築に、多くのタジク人労働者が加わっていますが、立派な家を建てて、家族を幸せにしたいからですね。
日本の若者たちの少なくない数の人たちは、家賃を払い食べていくために、働いています。
20代の若者の死因理由の第一が、自殺のようです。これは先進国で日本だけの現象のようです。
ウズベキスタンのガイドさんは、「日本人は仕事のために働きます。理解できません」とおっしゃっていましたが。 -
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モスクワやアルマトィの建築現場で働いたお金で、家を建て替えるんです。
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幹線道路からイスカンダル・クル湖への分岐点です。
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廃棄された砂金工場
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アンゾープトンネルが出来る前は、ここのカフェは凄く賑わっていました。
ここで腹ごしらえして、決死の峠越えしたようです。 -
葵です。
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中のお客は僅かです。
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石炭がとれます。
ソ連時代は、ロシア人が沢山働いていました。 -
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煙の出てるところが、石炭の場所です。
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ソ連時代は砂金がとれたようです。
ソ連らしい壁画ですね。 -
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向こうに見えるのがアンゾープ峠越えの道路です。
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アンゾープトンネルに入ります。
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まだ水漏れの工事しています。
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アンゾープトンネルから出ました。
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自生する白い葵の花です。
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自生する葵の花です。
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ミツバチの箱です。
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閣僚たちの豪邸です。
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ドゥシャンベ郊外の湖です。
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こんな汚い湖で泳ぐなんて。
カザフスタンのカプチガイ貯水池よりも汚いです。 -
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ドゥシャンベ市内です
日本の外務省の海外安全ホームページによると
1)ゴルノ・バダフシャン自治州のアフガニスタンとの国境付近
:「渡航の延期をお勧めします。」(継続)
2)首都ドゥシャンベ市及びホジャンド市
:「十分注意してください。」(継続)
3)上記以外の地域(首都ドゥシャンベ市及びホジャンド市を除く)
:「渡航の是非を検討してください。」(継続)
です。
1)ですが東タジキスタンは人がほとんど住んでいません、治安は問題ないと思います。
3)ですが女性や子どもも夜遅くまで歩いています。
2)私の行ったアンゾープ峠よりも北の地域では、内戦の影響すらありませんでした。内戦時の最大の激戦地であるクルガンテッパも、ガイドさんによれば安全とのことです。 -
タジキスタンでは1992年から1997年まで、内戦が続きました。
ガイドさんによれば犠牲者は20万人。
1998年7月20日に、タジキスタンの日本人国連職員の秋野豊氏が、ドゥシャンベよりも東のガルム地方の山奥で射殺されています。
タジキスタン国境要塞 アフガンゲリラ 11時間の死闘という映画は、1993年7月13日にイスラム武装勢力が、アフガニスタンとの国境警備についているロシア軍を襲った実話に基づいて制作されました。この映画を最近見たのですが、タジキスタンの治安は大丈夫かなと少しは不安でしたが、現地に行ってみると全くの杞憂でした。
(なおこの映画の場面で、イスラム・ゲリラが湖の周囲にたむろしているシーンがありますが、この湖はイスカンダル・クル湖です。)
あれだけの激しい内戦、しかも民間人の虐殺、婦女子への暴行もあったようなので、平和なドゥシャンベの町にも、邪悪な風貌をした人間がいるのではないかと、あちこち見回しましたが、全くその気配すらありませんでした。 -
ガイドさんは「戦争が終わってから、ドゥシャンベの町はとても綺麗になりました」と言っていました。
ここの広場にいる人たち、みんな明るくて幸せそうですね。
戦争がないというのは、素晴らしいと思うのですが。
今日本では、国際的な平和維持活動のもと、戦争のできる国にしようという、愛国心溢れる人が出てきました。
それではまず、この愛国心溢れるお方たちこそ、国際紛争の地に自ら赴いて下さいね。
そして平和ボケした怠惰な国民に、愛国者としてのお手本を示して下さいね。
死んでもラッパを離さないでくださいね。
三人まとめて爆弾三勇士になって、初陣を飾って下さいね。
勿論、感謝の念を捧げて、文部科学省唱歌を作ってあげますからね。
命日には靖国神社に参拝してあげますからね。
何しろ、お国のために、尊い命を捧げて神と祀られたんですからね。
この次の旅行記は、ドゥシャンベ散策です
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この旅行記へのコメント (2)
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- chikuouさん 2014/09/23 21:10:58
- いつも感服いたします。
- この旅行は個人で行っておられるのですか? ツァーではないでしょうからね。失礼ですが、そんなにお若くないように思いますが。お元気なんですね。
日本を戦争する国にしようとする連中にははらだたしいかぎりです。
従軍慰安婦の件では朝日新聞が謝罪しましたが、この制度はあったのは事実で否定はできないと思います。朝日新聞を批判している秦 邦彦氏は「従軍慰安婦の給料は兵士よりも多くて・・・・」と書いておられますが、これこそ慰安婦は過酷な仕事をさせられていたことを認めているのだなないのでしょうか。
- 哈桑湖さん からの返信 2014/09/23 22:19:57
- 父が全共闘世代です
- chikuouさま 父が全共闘世代です。父は同窓会に行くようですが、この世代の人間が憲法改正賛成、反中国、反韓国です。
私が「この世代の人は、かつては反安保で機動隊とやりあっていたのに、何故安倍ちゃんマンセー、憲法改正賛成、日米同盟の強化なのか理解できない」と言いました。
父は「あの世代の連中は、学生運動が無意味であると、完全に総括している。退職して悠々の年金暮らしになると、テレビ漬けになる。テレビに洗脳されている。自分で言うのもなんだが、老害だ」と言っていました。
また同窓生で「尖閣を守るためには、日米同盟を強化して、憲法改正だ」と言う御仁がいたようですが、父は「お前が兵隊に行ったらどうだ?それとも孫を行かせたらどうか?」というと、沈黙したようです。
アメリカ人と結婚した近所の方によると、「当時はそのような置屋は、日本では合法だったとか、女衒を通して親にお金が渡っているでは、西欧のルールでは、通用しないようです。本人の意志に反して慰安所で働かされていたことが、問題のようです」
水木しげるさんの戦記漫画は、全て読みました。
当時の日本軍のやることは、デタラメですね。
玉砕を命令した参謀は、生き延びるんだと水木さんは証言しています。
慰安婦問題に対しては「毎日が地獄の日々だったので、謝罪、補償すべき」
と述べています。
秦郁彦さんですが「南京事件」の本では、学者としての良心がみられ、日本軍の現地挑発をとりあげ、この過程で民間人の殺害、強姦などの事件が起きたと述べています。
最近の秦先生、権力側にすり寄ったみたいですね。
南京事件での責任は、東京裁判で松井石根大将がとり、絞首刑になりました。
東京裁判で絞首刑となった武藤章は「上海派遣軍(司令官は朝香宮鳩彦王)及び第十軍(司令官は柳川平助中将)を統率していないのであって、両軍司令官が部下を統率し、この上に松井大将が立って一時作戦の統一指揮に当たったという次第である。従って部下の軍紀風紀の取り締まりも両軍司令官が全責任を持ち、松井大将は上級指揮官としての作戦上の責任のみを有するのである」と述べています。
つまり南京事件での責任を問われるのは、朝香宮様の方が先ということになるのですが。
松井大将は、南京城内での日本軍が捕虜や市民を殺害したことを聞いて、朝香宮様や柳川中将を激しく叱責したのですが、戦後GHQの取り調べに対して、宮様は「まったく知らなかった」と答えています。
復員してきた人たちの中には「悪い奴ほど生き延びた、さらに悪い奴はGHQに取入って、昇りつめるところまで、昇りつめた」と言っていたようです。
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