2012/05/17 - 2012/05/24
114位(同エリア216件中)
ロコロコさん
三国志をめぐる2回目の旅。今回も中国好きな姉との2人旅。前回と違い今回は全くの個人旅行。旅程は私が計画し、西安中信国際旅行社に依頼。
大まかな旅程は・・・・
西安→宝鶏→漢中→広元→漢中→西安
主に「蜀」の史跡を訪ねる旅でした。
中国内の交通手段はすべて乗用車。現地ガイド、ドライバーと、7泊8日の
ドライブでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
初日
羽田から北京経由で西安にフライト。エアーはいずれも中国国際航空(ANAのマイレージ利用)
北京での乗り継ぎが不安だったが、特に問題なく乗り継げた。国際線ターミナルからの移動はトラムだった。
国際線でもエコノミークラスにテレビモニターはない。食事・サービスは決して良いとはいえず、乗りたくないエアラインの一つになった。
西安には遅延なく午後8時半に到着。現地ガイドの劉さんが出口で出迎えてくれた。時刻が遅かったため、夕飯は空港内のレストランでとる。
あまりおいしくないカレーのような料理だった。
食後、西安市内のホテルへ。今夜は5つ星のグランドパーク西安、このホテルは以前ANAの経営だったので選択した。
チェックイン後、部屋に入ってびっくり。スイートルームだった。だが、翌朝早く出立するので、寝るだけになる。残念。
旅の最後に2連泊で宿泊するので、そのおりもスイートであるように祈った。 -
2日目
ビュッフェ形式の朝食をとった後、いよいよ三国志の世界へ。でもその前に、姉の要望で西安西側にあるいくつかの史跡を巡ることになっている
(中国好きな姉は西安は3度目だが、則天武后の乾陵や、永楽公主の壁画は未見学。)
クルマはミニバン、ドライバーは丸坊主で入れ墨をしている強面の30代の若者、少し不安だったが、実はとても寡黙な好人物だった。
ガイドの劉さんも30代、日本語は大学で学び、大阪に留学していたが、大阪弁ではない。
まずは、茂陵(前漢武帝と衛青・霍去病、霍光などの陵墓)を遠望し、乾陵博物館のなかにある咸陽博物館へ出向く。 -
則天武后の孫娘である永泰公主の墓を見学。則天武后に殺されてしまう悲劇の王女と仕えている女性達の壁画が生き生きしていてすばらしい。
(写真は転写したもの) -
その後、姉が熱望した乾陵の参道に向かう。参道は大きな石象が一定の間隔を保ち設置されている。参道のはるか向こうに陵墓が見える。
途中、多数の首のない石像が参道を挟んで両サイドに置かれている場所がある。
(写真は転写したもの) -
これは,高宗が崩御した際の葬儀に列席した61か国の外国代表の像。 首がないのは清の時代,この地を干ばつが襲った時、これらの王賓像の祟りだとして,地元の人達が像の首を落としたと言われている。
乾陵は未発掘で、今後の予定もないそうだ。唐の全盛期の帝の墓にある貴重な品々を見てみたいが、残念!!
皇帝と妃が一緒の陵墓はただひとつ、乾陵だけとのこと。則天武后は夫、高宗を愛していたのだろうか? 『わが名は則天武后』『小説 則天武后』を再読しよう。
(写真は転写したもの) -
乾陵を後にし、法門寺に向かう。ここで、法門寺専門のうら若い女性のガイドさんに替わる。
法門寺の塔とその地下宮殿を見学。30年前の塔の修理の際、地下宮殿が発見されそこには仏舎利の指の骨が納められていたとのこと。
宮殿の内部はとても豪奢、仏舎利を入れるために金銀、真珠、宝石、玉石、象牙で作られた入れ子細工の箱が陳列されている。
一通りの見学が終わると、「書」の展示スペースに連れて行かれた。この寺の高僧たちの書ということで、購入を勧められた。
日本人が多く買っているとの説明付きで…..もちろん丁寧にお断りしたが少々しつこかった。
法門寺近くの料理店でランチ。二人だけなので色々な料理を食べれない。
(写真は転写したもの) -
入場券
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食後、葫蘆谷(諸葛亮が、司馬懿を引き込み火をかけて焼き殺そうとした場所。ついでに魏延を葬るつもりだった場所)を探してドライブしたが、
見つけたのは「ここは葫蘆谷と呼ばれた場所」という看板だけだった。横道に入れば石碑などを何か見つけることが出来たかもしれない。
横道には入らず、ひたすら五丈原を目指す。クルマを降り、小高い丘を目指すと、『五丈原風景区欧迎館』(諸葛亮記念館)が現れた。
中は少々荒れ果てており、大した展示物もない。正面玄関から広がる広場からは五丈原らしき原野(田畑)らしきものが霞の中に広がっていた。
土井晩翠の『星落秋風五丈原』を思い浮かべた。(長いので抜粋)
祁山悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか
丞相病あつかりき
清渭の流れ水やせて
むせぶ非情の秋の聲
夜は關山の風泣いて
暗に迷ふかかりがねは
令風霜の威もすごく
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」など、北伐のシーンを思い浮かべながら宝鶏へ。市内のホテル(最低!!)にチェックイン。
5つ星ホテルを頼んだが、5つ星は郊外にしかなく市内には4つ星しかないとの旅行社の言に説得させられ宿泊。部屋の掃除が行き届いていない、シャワーカーテンの下部はカビ、洗面所にコンドームなど、不快だった。中国の4つ星はこんなものか。
(写真は転写したもの) -
3日目
おいしくないビュッフェの朝食を食べ、漢中へ向かう。泰嶺山脈を走る高速道路ではなく、古道を通るように要請してあった。
宝鶏市から劉邦、孔明、曹操も通ったという大散関(関中と漢中を結ぶ要路)に行く。記念館のような建物を入ると、山頂に登る階段がある。古戦場跡を臨むためにはかなりの階段を登らなくてはならず、途中で降参、早々に戻る。
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それから、山道をひた走り、とある小さな町でランチ。田舎町の中華料理は結構おいしいが、お米はまずい。一皿の量も多すぎた。
その店にトイレがなかったので、ガイドさんにホテルのトイレを見つけてもらった。店の前がホテルでよかった。
食後、またドライブ。つい寝てしまう。気づくと川沿いの道を走っている。もうじき漢中、褒河ダムが見える。 -
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クルマを降り、石門を見学し、散策開始。桟道を歩いてみる。劉邦の時代に作られ始めたという桟道は断崖絶壁にへばりついている。
宝鶏から漢中にいたる間の桟道の長さは235kmだったそうだ。夷陵古戦場記念館の側でも桟道はあったが、ここほど長くは現存していなかった。 -
褒河ダムではケーブルを伝って対岸まで滑降するアクティビティが人気。大勢の中国人が滑降していた。私と姉も滑降を楽しんだ。
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その後、漢中へ入り、漢中博物館を見学後、漢中郵政大酒店という4つ星ホテルにチェックイン。ここで2泊する。
漢中博物館には石門漢魏十三品、古褒斜桟道、漢中漢代史迹、漢中宋墓出土文物、古代名人字画、館藏宗教造像芸術、漢中近代革命史迹などがある。 -
漢中から高速道路で広元へ向かう。まずは剣門関へ
“剣門閣は「剣門閣を得れば、四川を得る」とも言われた天然の要塞、諸葛孔明が閣楼の下の谷に15キロに及ぶ閣道を造って北伐の根拠地とした。また蜀が滅亡する直前、姜維が3ヶ月間死守した要塞。その後、姜維は魏の鐘会に降伏した。”とのガイドさんの説明があった。 -
「それからの三国志」を読んでおり知識はあるので、剣閣の中を興味深くチェック。園内はかなり広く、オブジェが多数置かれている。
写真は連弩 -
当時の武器
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連弩の一種(?)
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連弩
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孔明
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馬車にのる孔明
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武人群像
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建物剣閣の内部には剣閣ゆっかりの人物や三国志を彩った英雄たちの絵(人物説明つき)が飾られていて、興味を惹かれた。
バルコニーには大きな太鼓が置いてあり、観光客の多くがたたいていた。もちろん私も挑戦した。
姜維の墓をちら見してから剣閣を後にして広元の市内にはいる。広元は豆腐が有名だそうで、道路ぞいの店は『豆腐』と書いてある幟を出している。
確かに豆腐はまろやか、なめらかでおいしかった。
ランチ後、昭化古城に向う。 -
昭化古城は、昔の古城建築がそのまま残った町で、費偉墓と関羽の息子の妻『包三娘』の墓がある。
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以下はガイドさんの説明。“明月峡桟道は、劉備軍が劉璋の蜀を狙っていたときに駐屯していた場所の広元市朝天鎮にあり、そこを流れる嘉陵江の断崖に造られた道。古称を「金牛道」または「朝天峡」とも言う。諸葛孔明の北伐時もここを通った。”
桟道は整備されていて歩きやすいが、当時の面影は全くない。がっかりしたがそれでも、当時の行軍を想像しながらかなりの距離を歩いた。 -
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5日目
漢中から高速道路にのり、勉県の定軍山へ向かう。
車中でガイドの劉さんから“曹操と劉備が激しく奪い合った場所。1年以上の両軍睨み合いの末、 218年、黄忠が定軍山を見下ろせる天蕩山を奪い、夏候淵を破り蜀が勝利した。”と言う説明があった。
山の頂きに記念碑があるようだが、クルマでは入れないようなので諦めた。
それから、諸葛孔明墓の武侯墓と武侯祠を見学。 -
広大な武侯墓には「降天兵神」のような像もある。兵が不足していた諸葛孔明が豆をばらまくと、兵になったという伝説があり、それをモチーフにしたとのこと。
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孔明の墓碑
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孔明像
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武侯祠も大きく、南北200m、東西120m、7つの庭と54の部屋、亭台楼閣などがある。 壁には三国志を題材にした様々な壁画が描かれている。
武侯祠のそばに馬長の墓もあった。
午後早めに、壮大な泰嶺山脈を走る高速道路にのり西安へ向かう。
途中、何回かドライブインでトイレ休憩をとったが、ディープなトイレには辟易した。
中国人はダンス好きなのか、観光バスの乗客が駐車場で大勢ダンスを踊っていた。
夕方 グランドパーク西安にチェックイン -
6日目
今日は西安市内観光。まず、玄宗と楊貴妃のロマンスで有名な華清池に向かう。
観光客が一杯、漢中では見られなかった光景だ。楊貴妃のバスルームの巨大さにびっくり。
園内には蒋介石が幽閉されていた建物がある。ガイドさんは日本人は見学しない方がいいと言っていたが、そう言われれば尚更見てみたくなる。
姉と二人で見学した。 -
それから、兵馬俑に向かう。入口からトラムにのって兵馬俑1号〜3号に行く。ショップが何軒か並んでいるがそこの1つに発見者のおじさんがタバコをふかしながら座っていた。原則禁煙なのだが、おじさんだけは特別だって。
兵馬俑は圧巻です。項羽が武器を奪うために焼いたという跡もあった。これだけのスケールと緻密なテラコッタに青銅の馬車。発掘はまだ途中で現在の規模とそれ以上の規模のものが存在するのは確からしい。しかし、発掘はしないとガイドさんは言っていた。 -
兵馬傭
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兵馬傭
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項羽が武器を奪うために焼いたという跡
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兵馬傭
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兵馬傭
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兵馬俑から始皇帝陵へシャトルバスで向かう。バスストップから陵墓へは徒歩、結構歩いたが、こ高い山があるだけだった。
この陵墓の下に水銀で作った地下宮殿があるのだろうか。乾陵同様、発掘は行わないらしい。 -
このあと、市内にもどり大雁塔を見学。夜は西安名物餃子宴&ショー。餃子はまずかったが(周りの白人観光客もほとんど残していた)
ショーは楽しめた。 -
7日目
自由行動日。ゆっくり、朝食ビュッフェを楽しむ。ホテルを出ると、歩道でダンスをしている人々がいた。なんでかな?
ホテルすぐそばの城壁南門から場内に入り、城壁に登る。城壁の内側に入るまでが難儀。クルマの往来が激しいうえ、交差点がない。仕方がないので、中国人の後ろに隠れるようにして渡った。 -
城壁に登り、上から西安市内をウオッチングすることにした。自転車をかりサイクリング。1周を1時間半でかけめぐった。
東西南北の門には城楼や箭楼などがあり、楼からの眺めは格別。 -
西安城内の街並み
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城壁からの眺め
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城楼
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このあと、シルクロードの起点都市らしいイスラム通りや骨董通りなどを散策。途中おいしそうな香港料理店をみつけランチ。やはりおいしい。姉が「食は広州にあり」と言っていたが本当だった。
バイクタウシー(クルマのタクシーの倍の料金だった)でホテルに帰り、ホテルでマッサージをうけた。マッサージ嬢のおしゃべりがうるさく、耐えられなくなったので思わず「シャラップ!!」とどなってしまった。意味が通じたのかその後は少しだけ静かになったがおしゃべりは止まらない。
夕飯場所をどこにするか姉ともめたが、ランチした料理店がおいしかったので、そこに決めた。タクシーで行くだけのことはある。
8日目
朝食後ホテルを出発、搭乗の3時間前に空港に到着。早すぎると思ったが、出国するのに長蛇の列。待たされましたが、無事通過。
北京経由で羽田に到着。北京からはANA便。やっぱりANAは快適だった。
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